ここだけ病弱コハル   作:匿名さん

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その44

 

「コハルちゃん……」

 

自然と、名前を呼んでしまう。返事が返ってこないことなど、一目見れば分かるというのに。

 

石造りの古い様式の中に、近代的な機械がいくつも置かれたアンバランスな部屋。その中央、医療ベッドの上に寝かされたコハルちゃんは、ダメージが大きかったせいか、機械に繋がれたまま未だに眠り続けている。ここに運び込まれてから、ずっと。

その姿は、健康とはほど遠い、正に病人そのもので。もともと普段から健康とはとても言い難い姿を見ていたが、今の姿はこうして見ているだけでも、輪をかけて忸怩たる思いが溢れてやるせない。

 

「……もうすぐ、今後についての会議が設けられます。本当なら、コハルちゃんの意見も聞きたかったのですが……」

 

私たちをここまで運び込んだシスターフッド……その頭領、歌住サクラコ。そして、彼女たちに情報提供した張本人、図書委員会……その委員長、古関ウイ。彼女たちから、今後について話がしたいと言われたのだ。

シスターフッドのサクラコさんならともかく、図書委員会のウイさんまで関わっているとは……殆ど外部との接触がない、あの古書館の魔術師殿が一枚噛んでいるとは素直に驚きだった。あの人については如何せん、人嫌いを極めているのか古書館からほとんど出てこず、情報がとんとないため分からないことのほうが多い。一体どういう繋がりがあって今回の件に絡んだのか。シスターフッドと図書委員会はその部活の性質上、シスターフッド保有の古書関係について関わりがあるが……。

 

「まあ先ず間違いなくコハルちゃんが関わりを持っていたと予想していますが……本当に凄いですね、貴方は」

 

コハルちゃん自身は特に凄いと思うこともなく、ただ友達だと言うのだろうが。あの引きこもりと接触を持って、その上友達になるのがどれだけ難易度が高いことか。そのコミュニケーション力が、誇らしいとともに複雑な気分になる。なんだか私が、コハルちゃんにとっては『友達』という十把一絡げの存在でしかない気がして。……何を言っているんだろうか、私は。あれだけのことをしておいて、ただの友達では不満だと?

頭を振って、一瞬感じた後ろ暗い気持ちを心の奥底に押し込めて、私は彼女に語りかけた。

 

「とにかく、コハルちゃん。貴方や、補習授業部の皆が路頭に迷うことがないよう、最善を尽くします。なので……今は安心して、体を休めてください」

 

……数瞬逡巡して、一つ深呼吸したあと、恐る恐るその顔に触れる。――冷たい。人の平均体温より低い体温をしているコハルちゃんは、こうして容体が安定しても尚冷たく感じた。

 

「……またコハルちゃんと喋れるようになるのを、楽しみにしていますね」

 

どうにかそれだけ言ってから、ぱっと手を離す。なんだかいけないことをした気がして、少し胸が高鳴る。ただ少しの間触れただけだと言うのに……なぜかコハルちゃんについては、どうしても一挙一動するのに覚悟がいる。やはりおかしくなってしまっているのだろう、私は。あの教室で、手を差し伸べられた日から、ずっと。

 

踵を返してその場を去ろうとして、ふと私は動きを止めた。コハルちゃんの表情が、変化した気がして。

 

「……?」

 

よく観察して、先ほどとは違う点に気づく。寝ているコハルちゃん。その口角が、わずかに上がっていた。笑っていたのだ。

 

「――いい夢を、見れているのでしょうか」

 

思わず小さく笑って、今度こそその場を後にする。シスターフッドに図書委員会。トリニティでも歴史の長い部活の長たちとの、今後についての会議。何を考えているのかはまだ不明瞭だが……もう誰かにとって、都合のいいようにはさせない。もうこれ以上、誰にも。

 

 

 

静まり返った病室。唯一そこに眠る少女は、まだ目を覚まさないまま、微睡みに浸り続けていた。幸せそうに、笑みを浮かべて。

 

 

 

どこかの病室。窓から差し込む夕焼けが、オレンジ色に部屋を染め上げる中、ベッドに横たわる少女が1人。

普段なら寝ているか、本を読むか、窓の外を眺めているかの3択だが、その日は違った。ベッドに体を深く沈ませながらも顔を横に向け、一心不乱に何かを見つめている。その視線の先には、小さなテレビが一つ。とある学生のお手柄を報じている最中だった。

 

『――私1人の成果ではありません。ツルギ……友人がフォローしてくれたからこそ、こうして犯人達を捕らえることができました』

 

『1年生二人で大規模な犯罪集団を取り押さえるなどと、正義実現委員会始まって以来の快挙ですよ! ……怖くはありませんでしたか?』

 

クロノスのアナウンサーが、感心したようにそう告げてマイクを向ける。

 

『恐怖はあまり感じませんでした。先も言ったように、友人が傍にいてくれたのもありますが……何より、これを野放しにしていては、何の罪もない人たちが理不尽な目に遭い続けていたでしょうから。到底看過できることではありません。』

 

堂々とした、とても1年生とは思えない貫禄でもってインタビューに答える生徒。

 

『力なき者を守る。それが、私が抱いた正義ですから』

 

自信に満ちた様子で、そうはっきりと口にした。その誇らしげな姿から、何故だが目が離せなくて。

 

「……正義、か」

 

 

 

その日は、珍しく朝から調子が良かった。薬を使わずとも体は軽く、ふらついたりもしない。オマケに今朝入れたお茶に茶柱が立っていた。これは、今日はいい1日になりそうだと、そう思ってしまっても可笑しくはないだろう。つい最近望みが絶たれたばかりだから、その反動かしら。ほら、悪いことと良いことは天秤のように釣り合うってやつ。

せっかく体の調子もいいし、たまたまカリキュラムも空けてあるし、久方ぶりに1人で外を出歩くのもいいかもしれない。そう思った私は、いつもより少なめに調整した薬を飲み、ルンルン気分で朝から家を出た。そんな、珍しい1日の話。

 

その日の天気は雲一つない快晴だった。透き通るような青と、いくつかの巨大な光輪が広がる空。遠くには、このキヴォトスで一番高い建造物がそびえ立っているのが、ここからでもよく見える。サンクトゥムタワー。キヴォトスの行政機能に深く関わっている……とされる建物。連邦生徒会が管理しており、キヴォトス全体を管理する中枢部であるとは言われているけど……どう見ても普通の建物ではないのよね。なんでか根本が地面についてないし、衛星のように大きな板が浮かんでたりするし、なんか中央部が謎に光ってるし。さしずめ、巨大なオーパーツ(※キヴォトスで見つかる不思議な物品のこと。だいたい欠片だったりする)といったところだろうか。連邦生徒会が詳細を明らかにしていないからよく分からないが。まあ、今のところ制御できているようだし、不思議な巨塔だけど問題はないのだろう。例えば連邦生徒会長がどこかに行ってしまって行方知れずになったーだとか、そういうよほどのイレギュラーでもなければ。

 

そんな益体のない事を考えながら、不思議建造物から視線を切った私は、ゆっくりとした足取りで目的地に向かう。まだ春先とは思えない程日差しが眩しいが、日傘のおかげで肌が焼けることもない。普通の人はこんな日差し程度で肌を気にすることはないのだろうなと思うと、少し羨ましいけれど……もって生まれたものだから仕方がない。幸い……ではないけれど、もっと子供の頃は病院生活だったから、これで揶揄われたりすることもなかったし。なんなら人との接触自体少なかったしね。今よりも体調が不安定で、ほとんど動けなくて……正直何のために生きているのかわからなくて、辛かった時期でもある。―ーまあ今はあの頃に比べればある程度安定して、普通の人と同じように学校に行けるようになったから、毎日が楽しい。こうして体調が良ければ1人で外出すら出来るようになったのだ。1日中ベッドで過ごすしかできないことに比べれば、日傘が必要なことなんてそう気にすることでもないだろう。

 

……ただ、やっぱりこの前のことは堪えちゃう。この体だから、無理な望みだと始めから分かっていたけれど……はぁ。

 

憂鬱な気分が胸中に立ち込めて、思わずため息をつく。快晴の天気とは裏腹にどんよりとした気分になってしまった。せっかく外出できたというのに、これじゃいけない。

でも、こればかりはため息をついても仕方ないと思うんだ。はっきりと、望みが絶たれてしまったのだから。それも、憧れの人直々に。

 

 

 

『……気持ちは、とても嬉しく思います』

 

トリニティの生徒全てと比較してもかなり大柄な部類に入る彼女は、手元の飲み物を一口含んだ後、苦々しい顔でそう言った。

 

『しかし……やはり、貴方の体では難しい、と言わざるを得ません。正義実現委員会はその職務上、どうしても荒事が多くなります。後詰め専門でと考えても、肉体仕事が多いので、体への負担が……態々来ていただいたのに申し訳ないですが……』

 

『…………そう、ですか』

 

わかってはいた。わかってはいたのだ。私の体では、断れるだろうと。むしろその方が当然だ。天下の正義実現委員会が、こんな病人を受け入れないのは当たり前の話だ。

 

『いえ、そうですよね。無理を言ってしまい申し訳ありませんでした』

 

『ごめんなさいコハルさん。本当に、気持ちは嬉しく思っているんです。貴方が見たというインタビューは若気の至りではありますが……それが、貴方が正義を志す切っ掛けになったというのは、とても励みになりました。どうかその気持ちを、これからもずっと抱いていただければと』

 

『――はい。今日はありがとうございました、ハスミ先輩。せめて、今後の活躍を応援だけはしていますね』

 

――それでも。憧れの人自身に否定されるのは、やっぱり応えるなぁ……。

 

 

 

(あの時、ちゃんと笑えてたかな? 私)

 

思わず頬をムニムニと弄る。今更遅いのはわかってるけど、つい気になって触ってしまった。人よりも血色の薄い肌は、日ごろから気にしてこまめに水分を取っているためか、もっちりしている……気がする。

 

「……よし!」

 

パチン、と軽く頬を両手で叩いて、気持ちを切り替える。もう終わった話だ、いつまでもそれに囚われていては前に進めない。今日はせっかく体調もいいのだから、心もそれに合わせなきゃ。でないと外出を楽しめない。

 

「……と。いつの間にか着いてたわね。話に聞いてたのはここかな?」

 

暗い気持ちを振り切るためにも独り言を発し、歩みを止めてそれを眺める。私の目の前には、つい先日できたばかりのショッピングモールがそびえ立っていた。

日傘を畳んで中に入ると、様々なテナントがところ狭しと並んでいる。お洒落な服屋さんや帽子屋さん等、トリニティの中流階層向けの店が立ち並ぶ通路がいくつか。1階には食材店や、レストランなどの食事処がこれまた数多く揃っている。極めて普通の、大型ショッピングモールだ。

 

「確か、ここの1階に……あ、あった」

 

モール内の案内板を観て、目当ての店を見つけ、そこに向かう。エスカレーターを通って1Fに降り、人の波に逆らわず流されるように進み(かき分けるほどの体力はない、というか使いたくない)、少し遠回りになったもののようやく目的地にたどり着く。

今回の外出の目的地。その看板には、大きなアイスクリーム型のプレートと共に店名が掲げられていた。放課後スイーツ部の皆が話していた、スイーツショップだ。

 

「本当は皆も誘いたかったけど……」

 

苦笑いを浮かべてしまう。せっかく外出できるのだから、放課後スイーツ部の皆と一緒に来てみたかったけれど……残念ながら今日はカズサが落としてしまったテストの補習が設けられており、皆そっちに付き合っているのだ。下手に連絡する前に思い出せてよかった。勉強は大事だものね、邪魔しないようにしないと。

さて、確か皆が言っていたのは……あれか。店のカウンター上部の電光掲示板に映るメニュー表。それとは別に、一際目立つように映されている、隣の一面広告。見るだけで美味しそうな、大きな苺が載った薄ピンクのソフトクリーム。

 

「あ、すみません。苺のソフトクリーム一つお願いします」

 

まだ開店間もないというのに形成されていた列に並ぶことしばし。順番が来た私は店員さんにそう注文した。

 

 

 

「……ふぅ。ごちそうさまでした」

 

思ったより大きめだったソフトクリームを全て食べ終えた私は、両手を合わせた後ベンチの上で一息ついた。放課後スイーツ部の皆が口を揃えて美味しいと言っていたからまず間違いはないと思っていたけど、普段からゼリー飲料が食事の大半な、貧相な私の舌でも美味しいと思える品だった。こうして食べに来た甲斐もあったと思う。元来少食な私には、たかがソフトクリームといえどこれだけでお腹いっぱいになったけど。せっかく来たし、フードコートでお昼を済ませる予定だったんだけど……もう今日はこれでいいかな……。

さて、目的は果たしたわけだが、これで帰るというのも少々味気ない。せっかくの外出なのだ、体力的に他に行くのは厳しいけれど、このショッピングモール内を回ってみるのはありだろう。あまりお洒落には詳しくないが、見るだけでも楽しいはずだ。

そう思った私は、ベンチから立ち上がって一路エスカレーターに向かった。うん、やっぱり体が動くって素晴らしい。

 

2階もまた、1階に負けず劣らず盛況だった。人の流れに載ってお店を見て回る。流石は大型ショッピングモール、服屋さんだけでもどこでも着られるカジュアルな服から、これ何処で着るの? と聞きたくなるような奇抜なものまで、様々な服が店頭に並んでいた。

 

「流石にあの水着は強気すぎると思うけど……まだ季節じゃないし……」

 

先ほど見かけたあまりにも奇抜な衣装を思い出して、つい赤面する。よほど自信があるのか、それとも季節の先取りか、店頭の目立つ位置に飾られていたそれは、水着だった。――牛柄模様のほぼ紐という、水着にカテゴライズしていいのか甚だ疑問な品だったが。前面はかろうじて局部を隠せる程度の布面積しかない、凄まじく鋭角なレオタード。背中は紐しかなく、色々と隠す気がない、いっそ潔いくらい大胆な代物だった。一言で言って、すごくえっち。見た瞬間思わず叫びそうになったくらいだ。心臓がバクバクし始めたから深呼吸して無理やり落ち着かせたが。あ、あんなの本の中でも着てる人いないって……なんか牛の角と耳のカチューシャとか、カウベルの付いたチョーカーとセットになってたし、本当に遊泳用だろうか。

ま、まああんな風にこれ見よがしに置いてあった以上、需要はあるのだろう。海にもプールにも行ったことがないから生憎分からないが、案外ああいうのを着る人は多いのかもしれない。……海、一度でいいから見に行ってみたかったけど、辞めておいたほうがいいのかも。あんな水着を着てる人がいっぱいいる光景を見かけたら、興奮で心臓が止まる気しかしない。いくらなんでもそんな死に方は避けたい。

 

「……あ」

 

形容しがたい気分になりつつ、それを誤魔化すように店頭を眺めていると、ふと目につく服があった。私が今着ている、トリニティの白い標準制服。それを、黒を基調に染め上げたような色合い。

 

「これ、正義実現委員会の……」

 

思わず足を止めてしまう。店頭のハンガーに掛けられていたのは、正義実現委員会の人間のみが着ることを許される、黒い制服。いわばトリニティのエリートの証。正義の象徴。――このトリニティに入学して、私が一番着たかった服。

そのまま視線を横に滑らせると、黒い制服の横に小さなPOPが置かれていた。……『かの有名な正義実現委員会、それを象徴する黒い制服。そのレプリカを、特別に許可を頂いて販売する運びとなりました。売り切れ御免!』……レプリカか。まあコスプレみたいなものかな。ゲヘナの風紀委員会や、他にも存在する特別な仕様の制服は、一度は着てみたいって思う一般生徒も多いらしいし、正義実現委員会のものがあってもおかしくはない。

 

「……」

 

私の足は、ここにきて始めて人の流れに逆らい、床に縫いつけられたかのように立ち止まっていた。怪訝そうにジロジロと通行人に見られるが、今の私には気にならない。……偽物だとはわかっている。わかっている、けれど。

 

――いつの間にか、私は自然とハンガーを手に取っていた。

 

そのまま店舗の試着室に向かおうとした矢先。ドンッと横から衝撃が走る。

 

「キャッ!?」

 

「うわっ!?」

 

残念なことに非力な私の体幹ではその衝撃を受け止めきれず、無様に尻もちをつく。い、痛た……お尻打った……な、何事?

 

「ご、ごめんなさい。よそ見をしてしまって……大丈夫ですか? お怪我は?」

 

「い、いえ。大丈夫です。そう言う貴方の方は?」

 

どうやら誰かにぶつかられたようだ。相手の方が責任を感じたのか、丁寧に対応される。幸いこちらはお尻を打ったくらいで別状はなく、差し出された手を断ろうとして……相手の姿に思わず息を呑んだ。

 

「綺麗……」

 

「……はい? あ、ありがとう、ございます?」

 

困惑する相手。うん、そりゃぶつかった人間からいきなり褒められたら困惑もするわよね、ごめんなさい。でも本当に綺麗な人だったのだ。

 

キャップを目深に被った、女の人。おかげで目元はよく見えないが、眩しく見えるくらいよく手入れされた亜麻色の髪が腰まで伸びており、表情が見えずとも、どこか浮き世離れしたような印象を彼女につけている。身につけている服も至って一般的でカジュアルなものだが、本人の纏う雰囲気が、それを一気に高貴なものに仕立て上げていた。アクセサリーも、首に下げられたネックレスくらいで無駄にゴテゴテ着飾っておらず、自然体というか、なんというか……一般層っぽくお洒落してみた上流階級のお嬢様、というのが一番の表現だろうか。

 

「あ、あのー……」

 

「……は! ご、ごめんなさい! 変なところで立ち止まってた私が悪いのに、その上見惚れちゃって……」

 

「み、見惚れ……い、いえ。その……立てますか?」

 

「あ、大丈夫で……っ!」

 

「危ない!」

 

うわやっちゃった。これ完璧に変な人じゃない! 慌てて立ち上がろうとして、急に座ったり立ったりを繰り返した形になったせいか、ふらっとよろめく。それを見た彼女がもう片方の手も差し出してしっかり支えてくれた。ああ、ほんとにもう、この体は……。

 

「本当に大丈夫ですか?」

 

「だ……大丈夫です。ちょっとふらついただけで……ごめんなさい、ありがとうございます」

 

「……悪いことは言いませんから、少し横になったほうがよろしいのでは? 顔色もあまり良くは……」

 

もともと血色が良くはないのでそのせいだと思います。心配させてごめんなさいほんとに……。ありがたいが、気遣いを断ろうとして、その瞬間彼女がハッとなって後ろを振り向く。

 

「ナ……お嬢様、どちらにいるのですかー?」

 

「お嬢様ー!」

 

人の波の後方で、何やら呼びかけている人影が複数。あれは……あの特徴的な制服は、まさかティーパーティー? 由緒正しい家柄のお嬢様たちが、なんでこんなショッピングモールに?

 

「いけない……こんなところまで追ってくるなんて……」

 

苦々しくそう呟く彼女。……ティーパーティーに追われてる? なんで? ……今のところ状況が良くわからないけど……

 

「――こっち!」

 

「え? ちょ、ちょっと……」

 

事情はわからないけれど、悪人には見えないし。何より、困っているなら放っておけないから。私は彼女の手を引いて店内に連れ込んだ。

 

 

 

「今ここに入ったような……」

 

トリニティでもっとも気高い淑女たち。そんなティーパーティーの人間である私が、まさかこんな庶民の店に来ることになるとは思わなかったが……まあこれも任務のため。仕方がないと割り切るべきだろう。意外にお転婆であそばれたお嬢様を保護すれば、それで済む。

チラリと見えた人影。お嬢様のような姿が、この店の試着室に消えていくのを私の目は見逃さなかった。ふふん、年貢の納めどきですよナギ――おっといけない。お嬢様。こんなところで真名を呼んだら騒ぎになってしまいますからね。

 

「さあお嬢様、帰りますよ。庶民の生態観察もこれっきりに……」

 

試着室のカーテンを堂々と開け放つ。……今思えば、変な自信を根拠にせずに一度確認していればこの悲劇は免れたのだが、当時の私は憧れだったティーパーティーの末席に加わったばかりで舞い上がっており……まあ割とアホだったのだ。

 

カーテンの向こうには、お嬢様とは似ても似つかない小柄な少女が居た。上半身裸で。

 

「え?」

 

「――あ」

 

まだただの裸なら、同性だしそこまで問題ではなかったかもしれない。しかし、彼女の体には……胸部から腹部、スカートとの境目まで一直線に伸びる、一本の線があった。肉の盛り上がった……明らかに、手術痕が。

 

「――きゃあっ!?」

 

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!?」

 

胸を両手で隠してしゃがみ込む彼女を尻目に、気が動転した私は慌てて謝りながらカーテンを閉める。間違いなく見てはいけないものを見てしまった。それも物凄くセンシティブなものを。ティーパーティーとして、淑女たらねばならない私が。ど……どうしようどうしようどうしよう!? 

 

「し……失礼しましたー!!」

 

パニックになった私は、そう叫ぶと脱兎の勢いで店舗から飛び出した。後ほど、合流した先輩方に死ぬほど怒られたのは言うまでもない。うぅ……ごめんなさい、見ず知らずの庶民の方……。

 

 

 

「――もう、行ったかな」

 

咄嗟だったとはいえ、お嬢様には結構きついものを見せてしまったかもしれない。変に後を引かないといいんだけど。……まあとりあえず、上手いこと追手は撒けたようだ。これでしばらくは大丈夫だろう。思わずホッと息をつく。

 

「……もう出てきても大丈夫ですよ。一度見失った以上、しばらくこのお店の近辺は探されないはずですから」

 

そう、カーテンの内側に隠れていた彼女に促す。ティーパーティーに追われていた謎の貴人(たぶんそうだよね?)は、何故か目元が隠れていてもわかるくらい表情が暗かった。あれ、どうしたんだろう?

 

「……よろしかったのですか? 触れていいかわからないのですが……それ、手術痕……ですよね? それを盾にするような……」

 

「あ……ごめんなさい、気持ち悪かったですよね?」

 

結構大きな跡だし、気にする人は結構いるだろう。そう思ってあまり見せないようにしていたし、場所も場所だからそもそも見えないものだったんだけど、こうして見せてしまった以上は気持ち悪がられても無理はない。そう思っての発言だったんだけど……

 

「そんな事はありません!」

 

「うわ!?」

 

大きな声を出した彼女はその勢いのままに私の手を両手でガシッと包みこんだ。あ……結構暖かい。体温高いのかな……いや、私の体温が低すぎるのかも。

 

「けっして気持ちが悪いとか、そのような気持ちは抱いておりません。人の体を論うなどと低俗な所業は、私、家名に誓って行うことはありません。……ありがとうございました。おかげで助かりました」

 

そう言ってしっかりと頭を下げる彼女。そ、そんなにすることじゃないんだけどな……なんだか居た堪れなくなって、ブンブンと首を振る。

 

「いえそんな、頭を上げてください。事情は分かりませんが……なんだか困ってそうだったので、少しおせっかいを焼いただけですから……クシュッ!」

 

なんだか肌寒いと思ったら、まだ服を着てなかった。これはまずい、早く着替えないと風邪を引いてしまう。慌てて下着から身につけていく。

 

「あ、ごめんなさい。気が利かなくて……」

 

「い……いえ大丈夫です。気にしないでください」

 

安心させるために笑いかけながら、元の制服に着替え終わる。……明日風邪引かないといいな。普通は低い確率だけど、この体のことだから……。

 

「……その、蒸し返すようで申し訳ないのですが。先ほどの様子を見るに、お体が悪いのですか?」

 

「え? あー、その……人よりちょっとだけ。……こ、これでも手術を受けて、昔よりはだいぶマシになったので。ほんとに気にしないでください」

 

「手術……ではさっきの手術痕は……」

 

「あ、それの跡です」

 

内蔵がことごとく、特に心臓が駄目になってしまい、このままでは遠からず死に至るとお医者さんの判断を受け、手術でだいたいの内臓を総とっかえしたのだ。めちゃくちゃ大がかりな手術でかなり大変だった。リハビリキツかったし、おっきな跡も残ったし。まあでもその甲斐あって、高校生活を送る分にはなんとか保つだろうと言われて嬉しかった。体への負担が大きすぎてもう二度と使えない手段だが。つまり、私はそう遠からず……いや、それだけでも十分だ。今更高望みしてどうするというのか。

 

「……」

 

「ん? どうしま――」

 

した、と言い切る前に、何故か彼女に抱きしめられる。……え? 何? 急にどゆこと!?

 

「……ごめんなさい、急に。今の気持ちを……私の語彙では、言い表せそうにありません。ですので、行動で示させてもらいました」

 

貴方は、強い人ですね。

 

そう言って、彼女は私の目を見つめた。今まで帽子に隠されていた、柔らかなハシバミ色の瞳と視線が交錯する。……そんなこと、生まれて初めて言われた気がする。

 

「…………。え、えーと。……とりあえず、ここから出ませんか? ずっと試着室にいるわけにも……」

 

「え? あ……ああ、そうですね。すみません、我を忘れてしまいまして」

 

なんだか頬が熱くなって、それを誤魔化すように私は彼女に声をかけた。彼女も我に返ったようで、顔を赤らめながら私を離した。

 

「そ……それでは私は外に出ていますので。お先に」

 

「あ、はい」

 

なんだか不思議な空気を味わいながら、退室した彼女の背を視線でなぞる。……な、なんだったんだろうか、さっきの気持ちは。

と、とりあえず私も出よう。そう考えて荷物を取ろうとして、壁に掛けてあったハンガーの存在を思い出す。

 

「……」

 

つい手に取ってしまった、憧れの正義実現委員会の黒い制服。……少し逡巡した私は、結局それに袖を通すことなく、手にとって試着室を出た。

 

「あら、その制服は……着ないのですか? 私とぶつかる着前に手に取っていましたが」

 

外に出たすぐ横で、亜麻色の貴人が声をかけてくる。

 

「いいんです。私には、似合わないものだから。……少し、寒く感じてきました。暖かいところに移動しませんか? よければ色々とお話したいですし」

 

「え、ええ。そうですね、巻き込んでしまった以上、説明責任は果たさなくては……その、私。実は、あまりこのようなところに詳しくなくて……申し訳ありませんが、案内願えますか?」

 

「お安い御用ですよ」

 

と言っても私もそこまで詳しくないんだけど。……フードコートなら暖かいかな? そう安直に思った私は、彼女の手を引いて移動を始めた。――ティーパーティーに追われていた、不思議な雰囲気の貴人さん。これが、全てが狂う切っ掛けとなるなんて、この時の私は思ってもいなかった。

 

私たちの背後で、店頭に戻された黒い制服が、寂しげに揺れていた。

 

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