りあえず、森を抜けることにした。
じっとしていても、状況は変わらない。
人がいる場所を探すのが最優先だ。
太陽の位置と地形を見ながら、なるべく下り坂を選ぶ。
動物の通り道らしい踏み跡を辿って歩いていると、しばらくして匂いが変わった。
煙の匂い。
人の生活の匂いだ。
「……村、か?」
木々の隙間から見えたのは、こぢんまりとした集落だった。
木造の家屋。
土の道。
港が近いのか、どこか潮の気配もある。
人がいる。
それだけで、胸の奥が少し軽くなった。
村の中を歩いていると、やけに騒がしい建物が目に入った。
扉の隙間から、笑い声と酒の匂いが漏れている。
「……酒場、だな」
子供の体だということを思い出しつつも、好奇心が勝った。
俺は、そっと扉を押し開ける。
瞬間――
「ガハハハハ!!」
「もう一杯持ってこい!!」
爆音みたいな笑い声が、耳に叩きつけられた。
「うわ……」
中には、いかつい男たちが大勢いた。
筋肉。
傷跡。
明らかに一般人じゃない雰囲気。
宴だ。
完全に出来上がっている。
場違い感に一歩引きかけた、その時だった。
――カウンター。
そこに、見覚えのありすぎるものがあった。
麦わら帽子。
無造作に置かれたそれは、色褪せているのに、妙な存在感を放っていた。
視線を上げる。
赤い髪。
ラフな服装。
そして――左目の、三本の傷。
「……は?」
心臓が、跳ねた。
「……え?」
理解が、追いつかない。
でも、次の瞬間、頭の中のピースが一気に噛み合った。
赤髪。
麦わら帽子。
三本傷。
「……シャンクス?」
声が、震えた。
その男は、ジョッキを片手に楽しそうに笑っていた。
仲間たちに囲まれ、酒場の中心にいる。
――間違いない。
「……マジか」
背中に、ぞわっと鳥肌が立つ。
「ここ……ワンピースの世界、じゃん」
世界が、急に色づいた気がした。
さっきまで「よく分からない異世界」だった場所が、
一気に、意味を持つ。
興奮が、胸の奥からこみ上げる。
(うわ……うわ……)
(前世で、一番好きだったやつの一つ……)
(いや、普通に一番かもしれない)
叫び出したい衝動を、必死で抑える。
今の自分は、七歳のガキだ。
騒げば、確実に浮く。
それでも、口元が勝手に緩んだ。
「……すげぇ」
シャンクスは、ただ笑っているだけなのに。
それだけで、この世界が本物だと実感できた。
俺は、知らず知らずのうちに、カウンターの方へ一歩踏み出していた。
――その横。
赤髪の男のすぐ隣に、ちょこんと座っている少年がいた。
黒い髪。
大きな目。
頬にうっすらついた傷。
「…………」
俺の思考が、一瞬止まる。
(……え)
(え、ちょっと待て)
(いや、待て待て待て)
その少年は、酒場の喧騒の中でも楽しそうに笑っていた。
ジョッキを持つにはまだ小さな手で、机に身を乗り出している。
「……ルフィ?」
声にならない声が、喉で消えた。
間違いようがなかった。
モンキー・D・ルフィ。
この世界の――物語の主人公。
(うわ……)
(マジで……?)
(シャンクスだけでもヤバいのに、ルフィまで……!?)
(ってことはこの村はフーシャ村なのか!?)
胸の奥が、爆発しそうだった。
前世で一番好きなキャラ。
画面の向こうで何度も見てきた存在が、
今は、同じ空間で息をしている。
なんとか興奮を抑えた。ここで興奮したら
よくわかんない奴だよな、そうして一歩踏み出した、その時。
「お?」
声が降ってきた。
赤髪の男――シャンクスが、こちらを見ていた。
「なんだ坊主。いつからそこにいた?」
酒場中の視線が、一瞬で集まる。
「……っ」
やばい。
心臓が跳ねる。
でも、逃げ場はない。
「え、えっと……」
俺は、正直に答えた。
「山の方から、下りてきた」
「山?」
シャンクスは眉を上げる。
「この村の裏山か?」
俺は、こくりと頷いた。
「……親は?」
一瞬、言葉に詰まる。
どう答えるかは、もう決めていた。
「……いない」
その言葉を聞いた瞬間、
シャンクスは、ほんの少しだけ視線を落とした。
「……そうか」
それ以上、深くは聞かなかった。
「……名は?」
(やべぇ、何も考えてないぞ…そうだ!)
「レオだ」
数秒の沈黙のあと、シャンクスは、ふっと笑った。
「いい名だな」
「ま、いいか」
肩をすくめて、豪快に言う。
「これも何かの縁だ。腹、減ってるだろ?」
そう言って、カウンターを叩く。
「マキノさん! この坊主にも飯出してくれ!」
「おおーっ!!」
酒場が、また一気に盛り上がる。
「え、いいのか?」
思わず聞くと、シャンクスはニッと笑った。
「子供を放っとくほど、俺たちは薄情じゃねぇ」
その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
ほどなくして、皿いっぱいの料理が運ばれてきた。
湯気の立つスープ。
焼いた肉。
パン。
「……いただきます」
一口食べて、目を見開く。
「……うま」
その様子を、隣からじっと見てくる視線があった。
「なぁなぁ!」
声が高い。
顔を向けると、ルフィが身を乗り出していた。
「お前、俺と同じくらいだろ!? 何歳だ!?」
「七歳」
「おお! 俺もだ!」
ルフィは、ぱっと笑った。
「珍しいな! 最近、同い年のやつ全然いねぇんだ!」
そう言って、矢継ぎ早に話しかけてくる。
「どこから来たんだ!」
「山に何があった!?」
「宝とかあったか!?」
レオも自然と笑っていた。
初対面なのに、距離が近い。
遠慮がない。
でも、嫌じゃない。
(……ああ)
(こいつが、ルフィなんだな)
シャンクスは、その様子を少し離れたところから眺めて、楽しそうに笑っていた。
酒場の中は、相変わらず騒がしい。
だが、レオにとっては――
ここが、この世界での最初の居場所になりつつあった。