「――あれ、母さんどっか出かけるの?」
パンケーキを切り分ける手を止め、赤と緑の髪とゴーグルが特徴的な少年――榊遊矢は母である洋子へと問いかけた。というのも、朝食を出すなり自分の部屋に籠もっていた母が滅多に袖を通すことのない余所行きの服に着替えて出てきたのである。洋子は夫の応援に行く時ですら普段着で出かけているのだから、子供ながらに疑問に思うのも当然だった。
「うん、“あの子”のお見舞いに」
「ふぅん」
答えを聞いた遊矢はぞんざいな相づちを返す。そして、それ以上質問を重ねることもなく食事を再開した。単に聞いてみただけで元々特に興味があったわけではなかった、とも受け取れる態度である。とはいえ、しかめっ面でパンケーキを頬張っていることからして、洋子の答えが原因で機嫌が悪くなったのは明らかだった。
洋子の言う“あの子”に遊矢は1度も会ったことがない。1ヶ月程前、遊矢が小学校に行っている間に買い物へと出かけた洋子が、倒れているところを見つけたそうだ。大けがをしていた為にそのまま救急車で運ばれ、以来ずっと入院している。
その子のことを洋子は気にかけており、頻繁に見舞いへと行っていた。それどころか多忙である父、遊勝までもがたまに会いに行っているという。よその子に両親を取られたように遊矢が感じても仕方あるまい。
ふてくされている遊矢を見て、洋子の表情が若干曇った。最愛の息子に寂しい思いをさせてしまっていることを申し訳なく思っているのだろう。だからこそ、息子にそんな顔を見せるわけにはいかなかった。
洋子は遊矢と対面する形で椅子に腰かけると、心なしゆったりとした語調で彼に話しかける。
「ねえ、遊矢も一緒に来てくれない?」
「へ?」
母の提案に遊矢は目を丸くした。今まで彼の方から一緒に行きたいと言ったこともなかったが、このように誘われたこともなかったのである。
「たぶん遊矢と同い年だし、出来ればもっと早く会わせたかったんだけど……まあ、ちょっとね」
「ちょっとって何? それじゃ分かんないよ」
はっきりとした物言いをする母が珍しく言葉を濁したことに、遊矢は敏感に反応した。この上隠し事をされるのが嫌だったのだろう。
追及を受けた洋子は困ったように笑った。なにせ遊矢はまだ小学生なのである。これからの為、言葉は慎重に選ぶ必要があった。
洋子は少しの合間
「その子、空矢くんって言うんだけど、お家が見つかんないのよ」
「え?」
悩んだ割には直球だった。
遊矢の方も突然告げられた予想外の事情に固まってしまっている。その様を見て洋子は自分の失敗を悟ったようだが、1度口から出たものは戻ってこない。遊矢がしっかり受け止めてくれるまで待つしかなかった。もっとも、それほど時は要さなかったが。
「迷子ってこと?」
子供の純粋さは複雑な事態をこの上ない程簡潔化した。確かに迷子であるのは間違いない。普通より規模が大きいだけで。
「そう、迷子なの。お巡りさんがお家探してくれてるんだけど、中々見つかんなくってね。それで不安になって暴れちゃって……というか、あの無神経な警官の所為だけど」
思い出して腹が立ってきたのか、最後は小声で毒づいていた。無論、遊矢に聞かれるなどというへまはしていない。小学生相手に事実をすべて教えても混乱するだけだ。
ひとつわざとらしい咳払いを挟んでから、洋子は続ける。
「まあ、そんなわけだから今まで遊矢と会わせなかったの。けど、最近は逆にすっかりふさぎこんじゃってて。先生も同じ年頃の子と話せば気がまぎれるかもしれないって。で、どう? 来てくれる?」
「う~ん……。行く」
少しだけ悩んだ様子を見せた後、遊矢は了承した。そもそも彼が両親からのお願いを断ることなどほとんどない。母と父で“断れない”と“断らない”の差はあるが。
「ありがと。じゃ、出かける準備してきなさい」
「は~い!」
快活に答えた遊矢は最後の一口を放り込むと、椅子から飛び降りて駆けていく。気が進まないが母親に頼まれたから嫌々行く、というわけではなさそうだった。
そんな息子の背を見送って、洋子は人知れず安堵の息をつく。取り敢えず、始まる前に終わるという最悪の事態は回避された。
「新しい家族になるかもしれない、ってのは伝えなくていいか。そうなるかはあの子たち次第だしね」
そうもらした洋子の表情は、お世辞にも晴れやかとは言えないものだった。これからどうなるか予想がつかないのだから無理もない。
誰にとっても悪くない結果になることをただ願うばかりだ。
**********
「――あ、榊さん。今日もいらしてくれたんですね」
近づいてくる榊親子を見つけ、丁度病室から出てきた若い女性看護師が話しかけてきた。突然のことに遊矢は固まっているが、洋子の方は動じることなく笑顔で応じる。
「ええ、今日は息子の遊矢も一緒に。空矢くんの話し相手にでもなればと」
「そう、ですか。遊矢くん、こんにちは」
「こ、こんにちは……」
突然だったこともあってか、遊矢の挨拶は尻すぼみ気味となってしまった。強張っている遊矢を見て看護師は眉を曇らせる。残念ながら、彼の性格はやや内向きであった。
そんな息子の窮状を見かねたのか、洋子は苦笑を浮かべると話題の転換を図る。
「ところで、空矢くんは相変わらず、ですか?」
「あ、はい。私たちとはほとんど話してくれませんし、食事もほとんど残しています。ですから、榊さんがよくいらしてくれて本当に助かっています」
そう感謝を述べる看護師だが、あまり表情は優れなかった。本来なら自分たちが解決すべき問題であるにも関わらず、本質的には部外者である洋子に任せざるを得ないのである。自責の念を抱くのも当然だ。
「幸い、と言っていいのかは分かりませんが、怪我の方はもう包帯もとれて心配ありません。ですが、そうなるとやはり……」
「分かってます。これも何かの縁ですし、私も夫も、出来る限りのことをしてあげたいと思ってます」
「……榊さんには本当に頭が下がります」
当たり前ながら、頭上で交わされるやりとりを遊矢には全く理解できない。ここまで来てまたもや蚊帳の外に置かれてしまった彼の機嫌は徐々に下降を始めていた。
対面する形となっている看護師にも伝わったらしい。微笑んでから洋子へと目配せをして会話を切ると、病室のドアをノックした。
「空矢くん。榊さんが来てくれたよ」
返答はない。3秒程待ってから開けるよと断りを入れ、看護師は横開きのドアを開けた。洋子、続いて遊矢が入ったところでゆっくりと扉が閉められ、同時に遠ざかっていく足音が聞こえてくる。
その部屋は病室らしく白を基調とした質素な作りをしていた。遠く街並みが見通せる窓から惜しみなく光を取りこんでいる為、内装も相まってとても明るく感じる。そんな中で部屋の大部分を占有しているベッドに上体だけ起こした姿勢で彼は居た。
「こんにちは、空矢くん」
「……こんにちは」
消え入るような声だった。思わず空耳だったのかと疑う程に。またそれを発した少年――空矢も同じくらい存在が希薄であった。
年齢は遊矢と同じく10に少し届かない程度。薄い青をした入院服から覗く肌は病的な白さをしており、髪の黒さを際立たせていた。子供らしく笑えばかわいらしいだろう顔には感情が一切のっていない。一応は榊親子へと向けられているものの、髪と同じ色をした瞳がしっかりと相手の姿を捉えているか怪しかった。総じて生気を感じさせない姿は病室という特殊な空間に恐ろしい程溶け込んでいる。少しでも目を離したならば2度と見つけられなくなるのではないかなどと荒唐無稽な不安を覚える程だ。
空矢の姿に遊矢は目に見えて困惑している。相手が最も多く接する同世代であるからこそ、特異さが目立つのかもしれない。
「今日はこの前聞かれたうちの息子も連れてきたわよ。遊矢っていうの。空矢くんと1字違いね」
「よろしく」
「え、あ、うん。こっちこそよろしく」
まさか向こうから声をかけてくるとは思ってもみなかったのだろう。いっそ面白いくらい遊矢は狼狽してみせた。ただそれでも最後はしっかり人好きのする笑顔で返す。同時にいくらか肩の力も抜けていた。
しかし、順調なのはここまでだった。遊矢の笑みに対して空矢は無言のまま無機質な表情を向けるのみ。笑顔をやめるタイミングがつかめず、遊矢の頬が徐々に引きつり始めた。それでも空矢の方が何か反応を示すことはない。眉ひとつ動かさずただじっと遊矢を見つめるだけ。そのまま無為に時が流れていく。
本気でどうしていいか分からなくなったのだろう。笑っている顔から笑わせる顔へと変わってしまった遊矢は、そのままの表情で母を仰ぎ見る。彼が求めているものが何か火を見るより明らかだった。
「じゃ、ちょっと母さん用があるから、2人で話してて」
が、無情にもそれだけ言って洋子は
そして、扉が閉まると同時に無音の世界が戻ってくる。まだ陽も昇り切っていない都会の中心に居るというのに、そこだけ世界に取り残されたように静かだ。実際に1名程取り残されたわけだが。
いくらもしないうちに遊矢は我に返った。しばらく扉を恨めしそうに見ていたが、そうしたところで何か起こるわけもない。結局のところ、このまま無言でいるか、言われた通り初対面の相手と会話をするかの2つの選択肢しか彼にはなかった。無言が耐えられない以上、答えは1つしかない。
遊矢は息を1つ吐き、振り返った。
「え、ええっと……」
目に入ってきた光景が遊矢の決意を揺らがす。空矢は既に遊矢の方を見ておらず、自身の手元を見詰めていた。彼はもう1つの選択肢を選んだらしい。
相手が会話を望んでいない以上、難易度は跳ね上がる。なにせ相手の興味をひく話題を提示しない限り会話の持続が望めないのだ。しかしながら、今日初めて会った相手が何に興味を持っているかなど知るよしもない。遊矢は途方に暮れるしかなかった。
と、このまま実りなく終わってもおかしくはなかったのだが、なんの縁かそうはならなかった。空矢の視線の先、彼が持っているものに気がついたのである。
「カード、ってことはきみもデュエルするの?」
「……うん」
遊矢の方ではなく手元を見たままであったが、首肯と共に返事が為された。相手がデュエリストだと分かれば途端に話が簡単になる。デュエリスト同士ならばどれだけ語りあったとしても話題に困ることはない。初対面ならば尚更だ。これで最低でも数日分の話題は確保された。
遊矢は顔だけではなく声にまで喜色をのせて空矢へと話しかける。
「俺もデュエルやるんだぁ」
「そう」
再度遊矢は笑顔のまま固まった。まさか手短に切って捨てられるなど誰であっても予想すら出来まい。強いて問題点を挙げるならば直接話題を振らず受け身になったことだろうが、その程度は許容範囲だろう。デュエルの万能性が否定されようとしていた。
「――はじめは」
「え?」
沈黙が破られたことに驚いたのか、遊矢は咄嗟に聞き返す。どうやら言葉を考えていただけのようだ。やはりデュエルは万能である。
「はじめは兄ちゃんが家でもデュエルしたいって言うから、デッキ借りて相手してた」
「借りて相手ってことは、たくさんデッキ持ってたってこと?」
「うん。3つか4つ」
ここにきてようやく言葉のキャッチボールが成立した。この段階で既に遊矢の方が担当の看護師以上に空矢から心を許されているということになる。年が近いというのはそれだけ大きな利点だった。
「それで、ちゃんと相手出来るようになったらこのデッキを兄ちゃんがくれて、近所のお店に連れてってくれるようになったんだ」
「デッキくれるって……いい兄ちゃんだなぁ」
「うん」
遊矢の方を向いて空矢は頷く。少々引きつってはいるものの笑みすら浮かべていた。空矢の方も、というよりも空矢の方がより一層会話に飢えていたのだろう。まだ子供なのだから当たり前だ。その後も堰を切ったように話し続ける。
「そこで兄ちゃんの友達の大人の人とか紹介してもらってね。他にも違う学校の子とか、今まで話したことなかった同じ学校の子とかも友達になって」
今まで抑えていた反動か、言葉も感情もとめどなく溢れていた。少々流れが急すぎて見ていて逆に心配になるほどだ。それでも総て押し殺すのに比べればはるかに良いが。
「デッキくれた後も兄ちゃんはカードくれたし……。お父さんもカード買ってくれたし、お母さんもお使い行ったらパック一つ買ってきていいって言ってくれたんだ」
「あ、それいい。今度俺も母さんに言ってみよ」
「うん、洋子おばさん優しいからきっと大丈夫だよ」
「そ、そうかなぁ?」
単に照れているだけなのか本気で疑問に思っているのかは判断しかねるが、とにかく遊矢は空矢の発言を素直には認められないらしい。それと同時に扉の方から何やら物音が聞こえてきたが、会話に夢中の2人には聞こえなかったようだ。
それからは遊矢の方から積極的に話題を振っていった。ようやく会話が通じたのが嬉しかったか、今の彼は一種の興奮状態にある。遊矢のとりとめのない話に対し、はじめ空矢は相づちを打つだけのことが多かった。徐々に自分からも質問や自身の例などを示して会話の発展に貢献していくようになっていく。数分もすれば気心の知れたとまではいかないが、普通に語りあうまでになっていた。
「そういえばお店って言ってたけど、空矢もショップ大会とか出てたの?」
「うん、一応。フリーの大会だったし、兄ちゃんと違っていけても3回戦くらいまでだったけど」
「俺もそんな感じ。たまにしか行かないけど」
成績を聞いて親近感を覚えたのか、遊矢はあどけない笑みを空矢へと向ける。それに対して空矢もまだぎこちないながらも笑い返した。ナチュラルに呼び捨てにしているあたり、いくらかは打ち解けてきたらしい。ちなみに、遊矢がフリーの意味を理解できているのかは定かでない。
「俺あんま強くなくてさ。本当は父さんみたいにデュエルしたいんだけど」
「えっと、遊勝さん、だよね? “ぷろでゅえりすと”なんだっけ?」
「そ。父さんのデュエルはホントに凄いんだ! 何万人もいるお客さんが父さんのデュエルを見て1つになって。上手く説明できないけど、空矢も見れば分かるよ」
目を輝かせて意気揚々と語る遊矢。まるで今実際に遊勝のデュエルを見ているかのような興奮ぶりだ。
「きみはお父さんが大好きなんだね」
「もちろん! ……って、あ、いや、その」
唐突に言われた為思わず即答した遊矢だったが、すぐに顔を赤くしてうろたえ始める。親のことを臆面もなく好きだと言うには少々難しい年頃だった。
百面相する遊矢を空矢は笑うでもなくただ黙って見つめている。逆にそれが遊矢には澄ましているように見えたのだろうか。赤面したまま鋭く空矢を睨み付けた。
「く、空矢だって兄ちゃんのこと大好きなんだろ?」
「え?」
意趣返し、というよりは道連れにしようとしたのだろう。ささやかな反攻だった。
しかしながら、空矢にとってはささやかというわけにはいかなったらしい。完全に固まってしまっていた。
想定以上の反応に遊矢は首を傾げる。
「兄ちゃんの話が多いから、そう思ったんだけど、違かった?」
「……ううん、違わない」
遊矢の問いかけを受けて空矢は少しだけ逡巡した様子だったが、程なく静かに首を横に振った。手にしたデッキごと胸に両手を押し当てる。
「今までそう思ったことなかったけど、兄ちゃんのことは好き」
「そっか……。今聞いただけだけど、いい兄ちゃんだしね」
「うん」
はにかむように笑んで頷く空矢。喜びや嬉しさはもとより、何よりも幸せがにじみ出ていた。見ている遊矢の方まで自然と笑顔となってしまう。そんな笑みだった。同時に、病室であることを差し引いても陰鬱であった雰囲気が、心なしか和らいだように感じられる。初対面の2人の距離は縮まり、空矢はいくらか心を許せる相手を手に入れたことで少しずつ落ち着いていくことだろう。誰もがそう考えるような状況だった。
「だけど」
「ん?」
胸にあてていた手が力なく腹の前に落ちる。今まで吊り上げていた糸が突然切れたようだった。手元のデッキへと視線を落とす空矢の姿は、遊矢が話しかける以前と同じである。心の内にはなんらかの感情が溢れだしそうになるまで溜め込まれているというのに、表にはまったく出ていない。感情が削げ落ちた顔をしていた。
「だけど、いないんだって」
「え? それってどういう」
「そんな市なんてないし、そんな小学校もないし……そんな名前の夫婦なんていないんだって」
遊矢を遮って吐きだされた空矢の言葉。そのあまりの内容に遊矢は目を
「同じクラスの大輔くんも晃くんも美沙ちゃんも先生も、山本さんも滝川のおじちゃんも店員さんも、父さんも母さんも……兄ちゃんも。みんないないんだって」
その内容も聞いていて胸が塞がるものであったが、何より辛いのはそれを淡々と口にする空矢の態度だ。そんなことを言われ、なおかつ自分で口に出して平気なわけがない。受け入れられるわけがないものを受け入れているが為に麻痺してしまっている。とてもではないが見るに堪えなかった。
「おかしいよね。兄ちゃんにもらったデッキも、父さんに買ってもらったカードも、お使いに行ったとき買ったパックに入ってたカードも、みんな全部あるのに。全部うそなんだって」
デッキを眺めながら語る空矢にはやはり表情がない。彼が言葉を1つこぼすたびに、他の何かも一緒にこぼれ落ちていってしまっているようだった。表には出ていなくとも空矢の心が軋んでいるのは明らかであり、限界はすぐそこまで迫っている。このままではそう遠くないうちにまだ幼い彼は壊れてしまうだろう。
だからといって、一体誰が今の空矢にかける言葉を持ち合わせるというのか。今まで誰も持たなかったが故にどうにか彼の気を逸らそうとしてきたのである。だが、見ず知らずの他人に囲まれた環境で家族を想わないなどあり得ない。彼の家族を連れてこられる者がいない以上、根本的な解決は不可能だ。破綻は時間の問題だった。
遊矢はそのまま立ち尽くしていた。無理もない。直接空矢の悲鳴を聞いたのだから。たとえ大人であろうと咄嗟に対応できまい。ただそれでも何か言わなければならないと思ったのだろう。遊矢は眉を寄せ、戸惑いながらも口を開いた。
「えっと、何言ってんのかよく分かんないんだけど」
瞬間、空気が凍りつく。そんな一言が出るなど完全に想定外だ。だからこそ、この奇襲の効果は大きい。深みにあった空矢が顔を上げ、遊矢の方へと向き直った。
「分かんないって?」
問いかける空矢は無表情のままである。変わらず感情を見せない彼に対し、何故だか遊矢は半目で咎めるような視線を送る。
「だって、空矢の家族っているんでしょ?」
「……うん。でも」
「いるんだったらいないわけないじゃん」
当然のように断言され、空矢は目を丸くした。確かに遊矢の言うことは理に適っている。ただし、それは空矢を全面的に肯定しなければ決して出てこない言葉だ。その為、今まで誰も言えなかったのである。
いくら経っても返事がないことを遊矢は
「母さんが言ってたけど、空矢は家族に会えなくて不安になってんだよ。俺だって、父さんや母さんと会えなくなったらと思うと、それだけで苦しい」
そう口にした遊矢は胸にかけたペンデュラムを握った。その存在を確かめるように強く。遊矢は人の身に起こった不幸を自分に置き換えて思いやることの出来る人間だった。また、人一倍家族を大切に想っている。だから、空矢の苦しみも理解出来た。自然と瞳が潤んでしまうほどには。それも空矢の姿を捉えると引いていき、代わりに強い意志が灯る。
「だったら、俺が空矢の家族を見つけるよ」
「え?」
それは子供だからこそ出来る宣言だ。大人に言わせれば無思慮かつ無責任でしかない。それでも間違いなく空矢が望んでいた言葉であった。能面が揺らぎ始める。不安げに見詰めてくる空矢に遊矢は笑いかけた。
「大丈夫。俺、探しものは得意だから」
「で、でも」
空矢は子供ながらに聡い。その所為で周りの真意が分かってしまい、さらにはそれに納得出来てしまった為、これ程までにひどく弱っているのだ。故に、遊矢の好意を素直に受け入れることも出来ない。それがどれだけ無謀かを分かっているからだ。
言葉を選んでいる空矢を見て、遊矢はそれだけでは不安を払拭出来ないことを悟ったらしい。腕を組んで唸り始めた。さほど経たないうちに何やら思いついたらしく表情が明るくなり、笑顔のまま告げる。
「じゃあ、見つかるまで俺が空矢の兄ちゃんになる!」
「は?」
再度奇襲は成功した。何が“じゃあ”なのかさっぱり分からない。あまりの衝撃に空矢は口を半開きにしたまま固まっていた。しかし、遊矢にとっては筋が通っているらしい。腕を組んだまま満足げに何度も頷いている。
「ホントの兄ちゃんよりちょっと頼りないかもしれないけど、そしたら空矢もさみしくないでしょ」
若干得意げにそう説明するも空矢の反応はなかった。未だ彼の中で受け止めきれていないのだろう。硬直している空矢をそのままに、遊矢は新たに行動を起こしていた。靴を脱いで空矢の居るベッドへと乗り、膝立ちの体勢をとる。その体勢のままさらに距離を縮め、空矢の間近へとやって来た。丁度空矢を見下ろす形となる。呆然と見上げてくる空矢に対して、遊矢は微笑んだ。
そして、
「だから、大丈夫だよ空矢」
空矢の頭を優しくなでる。彼自身がよく父親にされるのと同じように。遊勝がするのと違ってなでているというより髪に触れているといった方が正しい。なでられている方よりなでている方が心地よさそうだ。それでもその行為に込められた想い自体は遜色ない。人を動かすにはそれだけで充分だった。
「……俺が兄ちゃんってそんなにやだ?」
手を空矢の頭に置いたまま、顔を悲しげにゆがめて遊矢が問いかける。またもいきなりのことであった。それで空矢も我に返ったのか、まっすぐと遊矢を見つめ返す。
「どうしてそう思うの?」
「だって、空矢泣いてるし」
空矢は息を呑んだ。何故だか震える手で自身の目元へと触れる。それから視界へと収めた指先は確かに濡れていた。認識してしまえばもう
涙はとめどなく溢れだし、声も意図せずこみ上がっていく。そんな姿を見られるのを嫌ったのか、前かがみになって掛け布団に顔を押し付けた。しかしそれでも嗚咽が止まることはない。むしろ益々激しくなっていった。
本格的に泣きだした空矢を見て遊矢は焦る。取り敢えず背中をさすりながら空矢の顔を覗き込もうとするが無論見えなかった。困り果てた遊矢は一緒に泣きだしそうになっている。
「ご、ごめん。もう兄ちゃんになるなんて言わないから」
その言葉に対して空矢は布団に顔を押し付けたまま首を激しく横に振った。そうしている間も彼は泣き続けている。いよいよどうしたらよいか分からなくなり、遊矢の瞳が一層揺れた。そんな中、不意に背後から肩へと手が置かれる。飛び上がらんばかりに驚いた遊矢は慌てて振り返り、同時に色を失った。
「母さん! ち、違うよ、俺はその」
母の姿を確認した遊矢は泣いている空矢に視線をやった後、必死に言い繕おうとする。自分が泣かせたと思っているのだから当たり前の反応だった。けれども彼の言い訳はすぐに途切れる。洋子が抱き寄せたのだ。
「よく言ったよ、遊矢。……次は母さんの番だね」
抱きしめたままそう囁いてから、洋子は遊矢を下ろす。母の行動と言動の意図がつかめず遊矢は呆気にとられていた。とはいえ、彼女には息子に説明するより先にやらねばならないことがある。1つ息をついて呼吸を整えてから洋子は空矢へと告げた。
「ねえ、空矢くん。もしよかったら、わたし達と一緒に暮らしてみない?」
咽び声がやむ。少しの空白を間に挟んだ後、鼻を啜ってから空矢は顔を上げた。まだ涙は止まらないらしく、時折しゃくり上げながらもしっかりと洋子の方を見ている。ようやく空矢と目が合った洋子は微笑みを浮かべ、遊矢の両肩へと手を置いた。
「遊矢もこう言ってるし、わたしも遊勝おじさんも空矢くんと一緒に暮らしたいと思ってる。……だから、空矢くんの家族が見つかるまで一緒に暮らして欲しいの」
洋子は一瞬だけ躊躇したが、それでも迷いない口調で最後の言葉も告げる。遊矢と同じく、空矢の話を信じると決めたようだ。この決断については賛否あるだろうが、少なくとも洋子が後悔することはないだろう。一緒に暮らすと提案している以上、相手を信じるのは当然のことだ。
「もちろん、空矢くんが嫌だったらそれでいいの。おばさんたちも諦める。それに今すぐ答えてくれなくても」
「――いい、です」
空矢の声が洋子の話を遮る。泣いた為か余計に掠れてしまったその声は非常に聞き取りにくく、何と言ったのかほとんど分からなかった。気付いた洋子が話を止めると、空矢は泣き腫らした眼で彼女を見詰める。
「洋子おばさんたちがいい、です」
不安定な声で、それでいてしっかりとした意志をもって空矢は伝えた。その言い方からして彼は今後の自分の処遇について分かっていたのかもしれない。だからと言って、妥協や成り行きでそう言っているのではなく、本当に心から願っていることは一目瞭然だった。
「お願いします」
そうして空矢は頭を下げようとした。しかしそれは半分ほどで止まる。空矢の肩へと手を置いた洋子が優しく笑んだ。
「分かった。ありがとう、空矢くん」
「これからよろしく、空矢」
洋子の言葉に重ねるように遊矢が発する。会話の要点は把握出来ていたようだ。満面の笑みを浮かべており、心の底から歓迎しているのが分かる。
遊矢の好意に、空矢も笑顔で応えた。今日1度だけ見せたものと同種でありながら若干異なるもの。いくらか照れをはらんだそれを浮かべ、今までにない穏やかな口調で空矢は言葉を紡ぐ。
「こっちこそよろしく……兄さん」
――こうして榊家に新たな家族が加わった。
**********
遊矢は空矢という弟が出来たことを本当に喜んだ。ちなみに、同い年ではあるが生まれた月から言って遊矢が兄で問題ない。遊矢はどこへ行くにも必ず空矢を連れていき、違うクラスになってしまった学校以外のほとんどの時間を共有した。また、兄の威厳を保つ為か、空矢に何かを教えることを遊矢は好んだ。
具体的には、
「じゃ、空矢から言ってみな」
「うん。……た、戦いの殿堂に集いしデュエリストたちが」
「モンスターと共に地を蹴り、宙を舞い」
「フィールド内を駆け回る」
「駆け回るじゃなくって駆け巡る! これがちゃんと言えないとデュエル出来ないんだからな!!」
といった具合である。他にもモンスター召喚時の口上についてなどを遊矢が教えた。まず、その必要性から説明する羽目となったが。
ただ、当然ながら遊矢の方が何事においても空矢より優れているというわけにはいかなかった。運動に関しては遊矢の方が断然優れていたが、テストの点数では圧倒的な差をつけられている。デュエルに関しても直接対決では遊矢が気迫で勝ち越していたが、大会などの成績では空矢の方が上だった。
もっとも、それで遊矢が空矢を妬むようなことはない。自分のことのように喜び、これ以上差をつけられないよう苦手なことにも励むようになった。それは空矢も同様である。彼らは仲の良い兄弟であり、ライバルでもあった。
その関係は空矢の戸籍取得が認められ、正式に家族となってからも変わらない。2人は互いのことを思いやりながら、切磋琢磨して成長していく。これからもその関係が続いていくことを誰もが疑わなかった。
――あの日が訪れるまでは
遊勝が全く出てこないのは今後原作がどう動いてもある程度辻褄を合わせられるようにする為です。デュエルシーンはもう少々お待ちください。