遊戯王ARC-V 天上の迷い子   作:殷淵源

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残念ながらデュエルなしです。
後ろ向きなのはここまでにして、次からはデュエルありで軽めの話を書きます。


第1話

 

 

 舞網市というキーワードから何を連想しますか?

 道行くもの100人にそう尋ねれば、ほぼ全員が同じ答えを返すだろう。すなわち、“デュエル”と。

 なにせ、質量を持ったソリッドビジョンの開発に成功したLEOコーポレーションの本社を市内に有しているのだ。必然的に多くの市民がデュエル関連の職業に就いており、その子供は生まれた瞬間からデュエルに関わっていくこととなる。

 結果、そんな彼らをターゲットとしたデュエルスクールが市内に乱立することとなった。

 激戦区である以上、生徒の入らない塾は淘汰されていく。では、どうすれば生徒が入ってくれるのか?

 1番確実なのは実績を積み上げていくことだ。逆にそれが出来ないところは衰退していくしかない。主要大会における上位入賞者の多くが舞網市のデュエルスクール出身となったのは当然の帰結だった。

 こうして世界に誇るデュエル都市・舞網が形成されていったのである。

 

 さて、ここまで舞網市のデュエルスクール事情について説明してきたわけだが、勝ち組が居るならば無論それ以上の負け組が存在するわけだ。川沿いの通りに面したこのデュエルスクールもその内の1つである。

 ――遊勝塾。その名の通り、アクションデュエルにおけるかつてのカリスマ榊遊勝のデュエルスタイルを教えるスクールだ。榊遊勝の名と共に勃興したこの塾は彼の失踪と共に斜陽の一途をたどる。今や塾生はたったの5名。存続の為には新たな塾生の確保が急務であった。

 結局何が言いたいのかというと、飛び込んできた獲物(入塾希望者)を逃がすわけにはいかないということである。

 

「遊勝塾ではエンターテイメントデュエル、具体的なプレイングとしては主にアクションカードの取得から活用について重点的に教えております。もちろん、これはどのデュエルスクールでも教えてはいます。ですが、アクションデュエルの草分け的存在である榊遊勝の理念を受け継ぐ当塾だからこそ教えられることは多いと自負しております」

 

 もの静かそうな青髪の男の子といかにも教育ママといった風貌の女性に対してそう説明しているのは黒髪の少年であった。

 年の頃は10代半ばといったところ。細身という印象は受けるが決して痩せ過ぎているわけではない。鼻筋の通った端正な顔立ちをしており、今のように微笑んでいればおとなしそうな美少年に見えた。男から見れば思わず唾を吐きたくなるような奴である。

 

「また、アクションカードは大概のデッキで有効に使える為、塾生が使うデッキに制約がないというのも当塾ならではのメリットです」

「では、こちらではデッキの構築や運用については教えないと?」

「いいえ、そのようなことは御座いません。大抵のデッキに関しては構築から運用法まで一通りはお教え出来ます。もっとも、さすがにそちらはLDSほどの講義は出来ませんが。ただ、繰り返しお伝えしておりますように、アクションデュエルに関してはLDSにもないものをご提供出来ます」

 

 突然の質問に対しても笑顔を崩さず、淀みなく丁寧に答えていた。変に見栄を張らずに売りたい点はしっかりと伝えられており、トークとしてはまずまずの出来だろう。現に説明を受けた女性は納得したように頷いた。それを見て少年は小さく息をこぼす。

 

「ところで、1つよろしいでしょうか?」

「はい、何でもお聞きください」

 

 気を抜いたところへ声をかけられたというのに完璧な笑みで対応していた。しかし、そんな彼の応対を気にかけた様子もなく、眉根を寄せた女性は自身の眼鏡の位置を正す。

 

「何故、先程からあなたが説明しているのですか?」

 

 少年は笑顔のまま固まった。答えられるわけがないし、女性の方も彼からの答えを望んでいるわけではない。彼女が目を向けているのは、少年の隣でその説明を聞きながら頻りに頷いていたジャージ姿の男性――遊勝塾塾長・柊修造にであった。

 修造は自分が注目されていることに気がつくと、後頭部をかきながら朗らかな笑みを浮かべる。

 

「いやぁ、すみません。どうも私は言葉で簡潔に伝えるのが苦手でして。こういった説明は娘の柚子やこの空矢の方がッ」

 

 みなまで言わぬうちに修造はわき腹を抑えながら屈み込んだ。何でも正直に言えばいいというものでもない。指導者が言葉で伝えるのが苦手と豪語する塾に子供を入れたがる親はどう考えても少数派だ。

 

「当塾ではただ一方的に教えるのではなく、級友や上級生、講師も含めて共に考え、共に進んでいくことを大切にしております」

 

 少年、空矢が曇りない笑みで取り繕う。論点がずれているが中学生にそれ以上を求めるのはいくらなんでも酷だ。まあ、そんな事情など客には関係ないので、女性の顔から険はとれなかったが。

 

「あ、どうやら模範試合の準備が出来たようです。こちらへどうぞ」

 

 言葉での挽回は困難と判断したのか強引に話題を変え、修造をその場に残したまま観戦位置へと親子を誘導する。

 観戦席などという贅沢な代物はこの塾には当然なかった。とはいえ、大概の人は立ち見なのも塾の方針なのだろうと勝手に納得してくれる。むしろ、変に気を遣って備え付けでない椅子などを用意してしまえば、単にみすぼらしいという印象を与えるので逆効果だ。

 

「本日の模範試合は当塾のジュニアユース生・榊遊矢と……権現坂道場のジュニアユース生・権現坂昇くんが行います」

 

 説明の後半で空矢の語気が弱まる。笑顔にも影が差しているように見えた。

 そのことは親子にも伝わったようで2人とも彼の方に視線をやる。母の方は、他のデュエルスクールに応援を頼んだことが原因と考えたのか、それともそもそもさほど興味がなかったのか、ともかく直ぐにデュエル場へと注意を戻した。

 空矢も何かを振り払うように頭を振るとデュエル場の方と目を向ける。が、そこで下からの視線に気がついたようだ。心配そうに見上げてくる青髪の男の子と目が合う。

 空矢は驚きを見せたが、程なく穏やかな笑みへと変わり、男の子と目線の高さを合わせた。

 

「ええっと、タツヤくん、だよね? きみはどんなデュエルがしてみたい?」

「え?」

 

 唐突な問いかけに青髪の男の子、タツヤは戸惑う。少々質問が抽象的に過ぎた。それでも彼はしばらくすると目を閉じて考え始める。素直なよい子であった。

 だが、考えて答えが出ることでもない。それから少し経って目を開けたタツヤの顔は曇っていた。

 

「ごめんなさい。ちょっと分からないです」

「そっか。けど、普通はそうだよね。聞いておきながら悪いけど、自分でもよく分からないから」

 

 そう言って空矢は苦笑する。無責任な答えにタツヤは顔を(しか)めた。人に考えさせておいて、いくらなんでもあんまりだろう。

 

「本当にごめん。……でもね」

 

 謝罪した後、空矢はデュエル場の方へと視線を移した。つられてタツヤもそちらを見る。

 丁度、赤と緑の髪をした少年が可愛らしくデフォルメされたピンクのカバに乗り、ソリッドビジョンの建物の屋根へと躍り出たところであった。続けて発動された速攻魔法《カバーカーニバル》によって、派手な装束を身にまとった三色のカバが現れて踊りだす。陽気な音楽も流れだし、少年が乗っているピンクのカバもリズムを取って前後に揺れ始めた。まさしくカバ達によるカーニバルである。なんとも珍妙な光景だった。

 タクヤは少々引きつった笑みを浮かべて見ている。彼の母親は冷淡に見下ろしている。そして空矢は――

 

「もし見つけられたなら、見失わないようにしないといけないよ」

 

 ――ただただ悲しそうだった。

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 

「――俺の熱血指導がぁぁあ!!」

 

 突然椅子から立ち上がった修造がご近所からの苦情必至の大きな叫びを上げる。せっかくの入塾希望者を逃し、その上リアルソリッドビジョンシステムまで壊れたのだ。叫びたくもなる。

 椅子へと崩れ落ちた彼はいよいよ現実味を帯びてきた破滅の未来に頭を抱えるしかなかった。

 

「あ~あ、柚子が壊さなかったらもっと笑わせてやれたのに」

「遊矢がふざけるからでしょ!」

 

 嫌味ともとれる遊矢の言葉に柚子が即座に切り返す。いつも通りの掛け合いだ。

 しかし、いつもと違って今回は柚子の方が責任の度合いが大きい。その為か、自分のことを棚に上げて遊矢は得意げだった。

 

「それを言うなら、僕と兄さんがデュエルしてシステムを権現坂に任せてれば、そもそもこんなことにはならなかったと思うんですが」

「うッ……」

 

 恨めしそうな声が遊矢の鼻を叩き折る。遊矢の正面に座っていた声の主は彼のことを半目で見詰めていた。たまらず遊矢は視線を隣へと外す。

 が、正面とは比にならない圧力を受けた為、直ぐに反対を向いた。

 

「その通りだぞ遊矢。本来なら部外者の俺は裏方に徹するべき。お前がどうしてもと言うからこうなったのだろうが」

 

 遊矢の隣に立っていた権現坂は彼が自分の方を向くなり、生来の強面へさらに険を加えて糾弾する。いつの間にか遊矢は四面楚歌となっていた。

 

「いやさ、ほら……あははは」

 

 遊矢は天井を見ながら曖昧に笑う。弁解をするつもりはなさそうだった。

 その態度を腹に据えかねたのか、権現坂は余計に顔を険しくして先ほどのデュエルについての説教を始める。それに対しても遊矢はどこ吹く風だ。

 兄のそんな様を空矢は黙って見ていたが、不意に立ち上がって扉へと歩き出す。

 

「ちょっと! どこ行くの空矢!?」

「少し外の空気を吸ってきます」

 

 席を外したい時に使う言葉の中で最もいい加減なものを述べて空矢は部屋を出た。

 扉を閉じるなり、それに背を預けて大きく息を吐き出す。表情はひどく曇っており、今にも雨になりそうだった。(こら)える為か未だドアの取手を握ったまま天を仰ぐ。

 

「やっぱり、まだ」

「あのぉ、少しよろしいでしょうか?」

 

 唐突に聞きなれぬ声をかけられ、空矢は目を見開いてそちらを向いた。

 そこに立っていたのはちょび髭を生やした黒髪痩身の中年男性で、黄と黒の派手なスーツにオレンジのサングラスを着用している。私は胡散臭いですと全力で主張しているような人間だった。

 思わぬ容貌に空矢は寸秒硬直したが、直ぐに満面の笑みを浮かべる。

 

「入塾希望者の保護者の方ですか?」

「いえ、違います」

「ちッ」

 

 露骨に舌打ちした空矢からは当然笑みが消えていた。半眼で目前の男を凝視している。完全に不審者を見る態度だった。

 というか、空矢の中では不審者であろうと客なら問題ないらしい。

 

「でしたら、ウチに何の用ですか? 幸運を呼ぶ壺とかだったら間に合ってますのでさっさとお引き取りください」

「いえいえ、そんな胡散臭いものは扱っておりませんよ。ただ、この遊勝塾に幸福をもたらすというのは変わりませんがね。しかも運などではなく確実に」

 

 ニカッという擬音がつきそうな笑みを浮かべる男。胡散臭さがさらに3割ほど増していた。

 けれども、空矢は男の言葉から何かに思い至ったらしい。驚愕の表情を浮かべて、男に問いかけた。

 

「まさか闇金の方ですか!?」

「いえ、違います。あのすみませんが、塾長に会わせて頂けませんか?」

 

 若干疲れた様子で男が頼んでくる。このままでは埒が明かないと悟ったようだ。

 一方、空矢は少しの間眉を寄せて考えていたが、結局は自分が塞いでいた扉を開ける。

 

「塾長、お客様です」

「なにぃ! 入塾希望者か!?」

「いえ、違います」

 

 否定された瞬間、立ち上がっていた修造は再度椅子へと崩れ落ちた。この状況で客という言葉に期待するのは当たり前だろう。ため息をついて見るからに落胆していた。

 だがそれも入って来た奇抜な格好の男を見ると困惑に変わる。

 

「え~っと、どちら様で?」

 

 男に続いて入室して扉を閉めた空矢も含めた全員の気持ちを修造が代弁した。いくら遊勝塾がエンタメデュエルを(うた)っているからとはいえ、こんな人間との付き合いはない。権現坂などは何かあれば実力行使も辞さんとばかりに身構えていた。

 が、男の答えはその存在以上の衝撃を一同に与えることとなる。

 

(わたくし)、アクションデュエルの現役チャンピオン、ストロング石島のマネージャー兼プロモーターをしております、ニコ・スマイリーと申します」

 

 

 言わずと知れたアクションデュエルの現チャンピオン、ストロング石島。榊兄弟、ひいては遊勝塾にとって因縁浅からぬ相手だ。

 3年前のアクションデュエル王座決定戦。全世界の注目が集まった試合会場に当時のチャンピオン、榊兄弟の父である榊遊勝は現れなかった。その時不戦勝という形でチャンピオンになったのが、他ならぬストロング石島である。

 無論、榊遊勝のファンを中心とした一部の人間は彼が何かを仕組んだのではないかと疑った。現役チャンピオンがタイトル戦直前に突如失踪した以上、対戦相手が疑われるのはやむをえまい。

 そんな疑惑をストロング石島はまるで相手にしなかった。否、する必要がなかった。

 圧倒的な、それこそたとえ榊遊勝であっても勝ち目がないと思わせるほどの実力を彼は世間に示し続けている。不戦勝という最悪の形でチャンピオンになってから3年間、ただの1度も王座を明け渡したことがなかった。

 強大な力は人を黙らせる。いつしか彼に疑惑の目を向ける人間は居なくなった。同時に榊遊勝を擁護する人間もほとんど居なくなる。

 当然ながらそれは残された家族に大きな影響を与え、間接的にではあるが仲のよかった兄弟の関係をぎこちないものへと変えてしまった。ストロング石島は榊兄弟にとって家族に次いで人生に影響を与えた人物と言えるだろう。

 とはいえ、それは榊兄弟の一方的な事情に過ぎなかった。普通に考えて現役チャンピオンがただの学生に用があるわけない。公式戦の成績で言っても遊矢は勝率5割程度、空矢はそれよりは高いがそれでも7割程度だ。他の塾生も似たようなもので、いずれにしても現役チャンピオンが声をかける相手としては明らかに力不足である。

 となれば、理由は1つしか考えらえず、実際その通りだった。

 

 ニコによれば近々ストロング石島のファン感謝デーがあるらしい。正直そんなことをするタイプとは思えないが、LDSのイメージキャラクターも務めている以上そうも言っていられないようだ。プロであるからには様々なしがらみがあるのだろう。

 とにもかくにも、そこでスペシャルマッチとして遊矢にストロング石島とデュエルして欲しい、というのがニコの要望だった。

 要望と言いつつ、ファン感謝デーのポスターは既に作られており、遊矢の写真付きでスペシャルマッチについても書かれている。踊る見出しは“伝説再び”。ご丁寧に榊遊勝の息子、榊遊矢君という説明まで付いている。これに出れば観客にどういった目で見られるかは明らかだった。

 

 この提案を修造は一蹴する。当然だ。彼はこの3年間、榊兄弟が苦悩している様を間近で見ている。塾長として、それ以前に責任ある大人として、遊矢を見世物にするなど断じて許せるわけがなかった。

 しかしそこに悪魔のささやきである。

 

「それは残念! ご承諾頂けましたなら、お礼としてLEOコーポレーション製の最新型リアルソリッドビジョンシステムをお納めさせて頂こうと思っておりましたのに……もちろん、無料で」

「マジっすか!?」

 

 鼻息荒く喰いついた修造は娘にハリセンで思い切り叩かれることとなった。ツッコミ、というより天誅である。

 とはいえ、リアルソリッドビジョンシステムがなければ塾は成り立たず、修理に出すにしても新しいものを買うにしてもそんな金は現在の遊勝塾になかった。開塾以来最大の危機に陥っていると言っていいだろう。ニコが提示した報酬はあまりに魅力的だった。

 

「……僕じゃダメですか?」

 

 覚悟を表情と声に乗せて空矢が尋ねる。それに対する反応は様々だった。

 修造は期待と自責が入り混じった表情となり、柚子は純粋に空矢を気遣う素振りを見せ、権現坂は変わらず泰然と構え、そして遊矢はゴーグルをかけて感情を隠す。

 

「え~、榊空矢くん、ですよね?」

「はい。榊遊矢の義弟です」

 

 突然の提案にもニコは動じた様子を見せなかった。榊遊勝の家族関係はしっかり調査済みらしい。胡散臭い見た目に反して中々やり手のようだ。現役チャンピオンのマネージャー兼プロモーターというのは伊達ではない。

 

「そうだよ。俺なんかより空矢の方がいいだろ」

「遊矢!!」

 

 柚子の怒声が響いた。今までのものと比べものにならないほど強烈であり、関係ないニコが思わずたじろぐ。怒号は総てを持ち去り、痛いほどの静寂が訪れた。皆が皆何も言えずにいる。

 膠着を打破したのは遊矢であった。立ち上がった彼はニコが座るソファの隣に立っている空矢の方へと向かっていく。

 空矢は俯き震えていた。

 

「ごめん」

 

 すれ違いざまにそれだけ言って、遊矢はそのまま部屋を出ていく。空矢は振り返らなかったし、誰も遊矢を止めなかった。再度、沈黙が降りて無為に時が流れる。

 しかしながら、いつまでも時間を浪費するわけにはいかなかった。恐る恐るニコが口を開く。

 

「あのぉ、先ほどの件についてなのですが」

「はい」

 

 空矢は顔を上げ、凛とした佇まいでニコと向き合った。よほど切り替えが早いのでなければ虚勢であろう。それが分かっただろうニコは躊躇いを見せるが、だとしても言わなければならなかった。

 

「大変申し上げにくいのですけれども、空矢くんは榊遊勝さんと血縁関係にはありませんよね?」

「……はい、その通りです」

 

 突きつけられた厳然たる事実を前に空矢は再び俯くしかない。3年前に実現しなかった王座決定戦を榊遊勝の子供が父に代わって行うという趣旨である以上、実子でないというのは大きなマイナス要因だった。決して慈善事業ではないのだから、ニコの判断自体はなんら責められるものではない。

 とはいっても、そもそも彼が勝手に押しかけて好き放題言っているわけなのだから、そう単純な問題でもなかった。

 

「ちょっとあんた!」

「いいから柚子。僕は大丈夫ですから。……無理を言ってすみませんでした」

「いえ」

 

 空矢の謝罪をニコはいかにもばつが悪そうに受ける。彼とて必要がなければわざわざ空矢の心を抉るようなことを言うことはなかった。実際に言ってしまったのだから言い訳にもならないが。

 

「え~、もしご出場頂けるようでしたら、こちらに記載されております事務所の方までご連絡ください。それでは、よいお返事をお待ちしております」

 

 既に遊矢も退出しているし、これ以上長居しても心象がわるくなるだけと判断したのだろう。ニコは名刺だけ置いてそそくさと退散した。引っかき回すだけ引っかき回していったことといい、まるで嵐である。

 ニコが居なくなると柚子はテーブルの上に置かれた名刺に手を伸ばし、迷わず破り捨てた。

 

「まったく! いったいなんなのよ、あいつ」

 

 柚子は先ほどまで遊矢が使っていた椅子へと座りこむ。憤懣やるかたないようで、誰に言うでもなくひたすら文句を言っていた。

 一通りの罵言を言い終えた頃、未だ立ち惚けている空矢の姿を捉えて彼女は眉尻を下げる。

 

「あんな奴の言ったこと気にする必要なんてないのよ」

「血の繋がりが家族の総てではない」

「そうだぞ空矢。たとえ誰が何と言おうとお前達は家族なんだからな」

 

 口々に気遣いの言葉を述べる3人に対して空矢は微笑んだ。その笑みに偽りはないだろうが、若干無理しているようには見える。

 

「ありがとう。でも本当に大丈夫ですよ。血が繋がってないのは事実ですし。それに母さんには悪いですが、遊勝さんが父親だっていう実感があまりないんですよね」

 

 そう言って笑う空矢には力がなかった。彼の空元気が分からないような人間はこの場に1人も居ない。なんともいたたまれない空気となった。

 

「……すみません、ちょっと外の空気吸ってきます」

 

 先刻と同じ文言を口にした空矢は逃げるように部屋を後にする。やはり誰もそれを止めず、また誰もかける言葉を思いつかなかった。

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 

 舞網市の住宅街付近に位置する公園。いくつかの遊具を備え、児童達が活発に駆け回るそこのベンチに空矢の姿もあった。

 手に持ったデッキを見詰めたまま微動だにせず、場違いに陰鬱な雰囲気を発している彼の周りには誰も寄り付かない。さらに言えば、落ち込むと必ずここに来る空矢は子供達の間でそれなりに有名であり、彼の姿を見た瞬間に帰る子供もいるほどだ。もちろん、本人はそんなことを知るよしもなく、存分に気を落としている。

 そこまではいつも通りだった。しかし、今日という日はどこまでも日常から外れるらしい。

 座っているベンチもろとも空矢は大きく揺れた。それでも視線はデッキから外さない。

 

「何か用ですか、権現坂。兄さんならいつもの橋だと思いますよ」

「今は遊矢よりもお前の方が問題だ」

 

 空矢の隣に腰かけた権現坂は正面を見据えたままがっちりと腕を組んでおり、座っているというのに全然休んでいるように見えなかった。

 ちなみに、ベンチの正面には遊具があるので、残っていた子供達も一斉に離散している。

 

「問題って、さっきも言った通り僕は大丈夫ですよ」

「本当に大丈夫ならば独りでこんなところに座り込んだりはせん」

 

 正論を返されて空矢は黙った。ただし、意地でも隣を向くつもりはないらしい。相変わらずデッキを眺めていた。対する権現坂もそれきり何も言わず、腕を組んだまま前を見ている。奇妙な静けさが2人の間に漂っていた。

 どちらも無言かつ不動でただ時だけが流れていく。子供達が様子を見に来てそのまま肩を落として帰っていくということが間に2度あったが、それでも2人は変わらなかった。

 3度目があってからしばらく経ってようやく空矢が折れる。

 

「……僕は権現坂に嫉妬してました。たぶん今でもしてます」

 

 話しかけるというよりは独り言に近い形で空矢が吐きだした。結局姿勢はそのままであり、権現坂の方も同じスタンスでいくようだ。これが空矢の精一杯なのかもしれない。

 

「兄さんの役に立ちたいのに、いつも何もしてあげられない。それどころか傷つけてしまうばかり。貰ってばかりで仇以外何も返せないんです」

「……やはり、まだあの時のことを気にしていたのか」

「当たり前でしょう」

 

 空矢は自嘲気味に笑った。彼の瞳は目の前のデッキすら捉えておらず、どこか遠くを見ているようである。

 不文律を破って目線だけ空矢にやった権現坂は、予想通りの様子に短くそして悟られぬよう小さく吐息をこぼした。 

 

 権現坂の言う“あの時のこと”とは、遊勝が失踪してしばらく後に起こった事件のことである。事件と言ってもあくまで榊兄弟にとってであり、彼らの父のように世間を騒がす類のものではなかった。だが、2人にとっては父の失踪に次ぐ大きな出来事である。

 遊勝が失踪したことで榊兄弟に対する風当たりは一気に強くなった。トッププロが父親という羨望から生じた彼らに対する妬みが名声の失墜と共に歪んだ結果であろう。そうでも思わなければやっていけなかった。

 遊矢がまだ周りと向き合えないでいる中、空矢は早々に1つの防護策を取る。それは争わず、逆らわず、丁寧にという優等生になることだった。そもそも揉め事が起きにくくなるし、起きたとしても大人受けがいいのは自分なので相手が有責になりやすく家族に迷惑をかけずに済む。なんとも子供らしくない決断だ。無論、子供にそんな決断を強いた周囲が1番問題であるが。

 ただし、空矢にも許せず流せないことが2つあった。1つは母と兄を貶められること。もう1つは自分のデッキを馬鹿にされることだ。今の家族は言わずもがな。実の家族と唯一の繋がりであるデッキもまた彼にとって何よりも大切なものだった。

 デッキについて揉めたデュエリストが決着をつける方法は1つしかない。

 皆が自分で構築したデッキを使う中、空矢のデッキは兄や向こうの大会で知り合った大人の友人と共に考えたものだ。当時から自分のデッキの回し方は熟知していたのもあって、構築もプレイングも甘い同年代が相手ならば負ける要素はほとんどない。図らずともストロング石島と同じ方法で彼は自身の平穏を手に入れた。

 しかしながら、人間とは難儀なもので、多くの場合矛は収めるのではなく先を変えるものなのである。当然逸れた先はもう1人の、彼らからすれば与しやすい方だ。さらには「弟と違ってお前は」という罵倒が新たに加わる。

 それは空矢が最も望まない結果だった。

 

「我ながら思慮が足らなくって嫌になりますよね。しかも自分の所為で余計に兄さんが酷い目にあってるなんて気がつかなくって、むしろ兄さんの役に立てるってちょっと喜んでたんですから本当に救いようがない。まあ、勝ち続けて天狗になってたんでしょうね」

 

 吐き捨てるように言う空矢からは憎悪すら感じられる。もしかつての空矢が目の前に現れたならば、それこそ彼は自分自身を手に掛けてしまいそうであった。

 

「で、兄さんが実際に絡まれているのを見てしまって、そこからどういうやりとりがあったかあまり覚えてないんですが、とにかく相手をデュエルで倒して、兄さんの役に立てたって勘違いして、それから……」

 

 そこから先を言葉にすることは空矢に出来ない。顔は苦悩によって歪められており、とても見ていられるものではなかった。

 ――あの日、意気揚々と振り返った空矢と駆けつけた権現坂が見たのは、どうにか笑おうとするもそれが出来ずに泣いている遊矢の悲惨な姿だった。自分が尻込みして出来なかったことを弟は成し遂げ、なにより兄として護るべき弟に助けられたのである。弟を護らなければならないという使命感に支えられていた遊矢の心は挫かれた。

 それ以来1度も遊矢は空矢とデュエルをしていない。同じ大会に出ることも決してなかった。直接比べられるようなことはなるべく避けるようになる。遊矢が変わってしまったのは、それからしばらくしてからだった。

 ただ、何も遊矢が一方的に距離を置いたわけではない。

 空矢の方もこれ以上兄を傷つけることを恐れて離れていった。同時にデュエルで勝つことに悩むようになってしまう。それでも実の家族との繋がりも捨てられず、自分から負けるようなことはさすがになかった。が、勝ちに徹しきれない者が勝ち続けられるほどデュエルの世界は甘くない。

 結果として中途半端なデュエリストが出来上がった。

 

「中学に上がって、環境も変わって、兄さんとまた普通に話せるようになって、もう大丈夫と心のどこかで思ってたんでしょうね。思い上がりも甚だしいです。僕自身が独り善がりの阿呆のまま、何も変わってなかったっていうのに」

 

 確かに中学に上がってから2人の関係は徐々に良くなってきている。学校ではクラスが違うのもあって全く話さないが、家や塾にいる間はぶつ切れでない会話が出来るようになった。

 だから今日、思い切って空矢はデュエルを申し込んだのである。断られた上に、遊矢が上手く流せないほどの軋轢が未だにあることが判明してしまった訳だが。加えて、その後の出来事の所為で溝はより深くなったようにすら思える。完全に失敗だった。

 不意に空矢は短くそしてはっきり聞こえるほど大きく息を吐く。そうして肺の空気を入れ変えたところで彼は初めて権現坂の方を向いた。

 

「そんなわけですから、兄さんを護ってきた権現坂に嫉妬してるってわけです。もちろん、それ以上に感謝してますよ。こうして黙って話も聞いてくれましたし。本当にありがとう」

 

 屈託ない笑顔を権現坂へと向ける。いいガス抜きにはなったようだ。憑きものが落ちたようにすっきりとした表情をしている。

 対して、権現坂の方は礼を言われたというのに厳しい表情のままだった。前を向いたままの変わらぬ姿勢を貫いている。これが彼以外の人間であったならば目を開けたまま眠っている可能性を考慮しているところだ。改めて言うまでもないが、権現坂に限ってそれはあり得ない。

 それ故、空矢も特に返事を催促するわけでもなく、黙って待ち続けていた。

 そのように充分すぎる間を取って、ようやく権現坂が口を開く。

 

「俺からお前に伝えられることは1つだけだ」

「何ですか?」

 

 権現坂から言葉を貰えるとは思っていなかったのか、空矢は首を傾げた。そうして直接問いかけられてなお、権現坂は不変の構えである。その為か、彼の横顔には理屈では表せない荘厳さがあった。

 

「弟が兄の為を想っているのと同じように、兄も弟の為を想っているということだ。俺には遊矢の考えていることはよく分からんが、それでもその程度のことは分かる」

 

 言い終えるや否や権現坂は腕を解いて立ち上がる。そのまま空矢の反応も見ずに歩き去っていった。やるべきことは終えたということなのだろう。遠ざかる背は実に堂々としたものだ。

 一方、残された空矢はというと、口を半開きにしたまま固まっている。告げられた内容は想定外のものだったらしく、直ぐには消化出来ないようだ。証拠に、時が経つにつれて徐々に表情が和らいでいく。

 

「兄さんも僕の為を想ってる、か。きっとその通りなんでしょうね」

 

 嬉しそうではあった。だが、他の何かが占める割合の方が多く、単純に喜んでいると表現するのは大分無理がある。

 権現坂の言葉を空矢は疑ってはいなかった。しかし、それが故にある思いが生じてしまうのだ。

 

「だからこそ、不安になるんです。兄さんを変えてしまった僕が弟でいてもいいのか、って」

 

 天を見上げてそうこぼした空矢の顔には様々な感情が入り乱れている。具体的には不安、自責、憂愁、寂寥などだ。もし彼と近しい誰かが側にいたならば、笑い飛ばすだろう杞憂。だがしかし、空矢の心底にたちの悪い病巣のように蔓延(はびこ)るそれを完全に払拭出来るのは1人しかいない。

 その1人が五里霧中である以上、空矢も暗中を彷徨い続けるしかなかった。出口は未だ遠い。

 

 重ねて言うが、空矢は権現坂の言葉を疑ってはいなかった。が、充分に理解していたとは言い難い。

 弟が兄の為を想っているのと同じように、兄も弟の為を想っている。この言葉が一分の誤差もない真実であると実証されたのは、それから数日経ってのことだった。

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 

 

 舞網市のシンボルとされる建物は2つ存在する。

 1つは言わずもがな、LEOコーポレーション本社ビルだ。周囲の建物よりも飛びぬけて巨大な建造物はLDSの校舎も兼ねており、舞網市における経済の中心と言っても過言ではない。

 もう1つが、国内有数の収容人数を誇る舞網スタジアムだ。世界最大級のデュエル大会である舞網チャンピオンシップを筆頭に、数多くの巨大イベントが執り行われている。さしずめこちらは舞網市における娯楽の中心地と言ったところであろうか。

 今日もまた大きなイベントが開催されており、大量の客席は総て埋め尽くされ、熱気に溢れている。

 

「――バトルだ! 《バーバリアン・キング》で《EM(エンタメイト)ディスカバー・ヒッポ》を攻撃!!」

 

 一般的な民家をもゆうに超える巨体から、その身の丈に合った棍棒が振り下ろされた。それを受けるのは、道化の衣装をまとった主を背に乗せて走るピンクのカバ。

 牛刀を以て鶏を割く、という成語ですらこの状況を表すには不足だろう。欠片すら残さず砕かれること必至だった。

 

「アクション魔法(マジック)《回避》! モンスター1体の攻撃を無効にする。ローリングヒッポ」

 

 ピンクのカバは華麗な側宙で破滅を回避すると、着地と同時に駆け出す。避け得たのは単なるカードの効果であるが、振り落とされなかったのはデュエリストとモンスターが一体となって初めて出来ることだ。

 現役チャンピオンであるストロング石島とかつてのチャンピオン榊遊勝の息子である榊遊矢との対決は、まだ始まったばかりとはいえ中々の盛り上がりを見せている。

 折角の遊矢の晴れ舞台だというのに、遊勝塾の3人とプラス1人は客席ではなく出入り口付近にいた。遊矢が出場することを誰にも告げなかった為、席すら取れなかったのである。チャンピオンと遊矢の攻防を柚子、修造、権現坂の3人は食い入るように見詰めていた。

 その数歩分後ろで空矢は1人浮かない顔をして佇んでいる。聞こえてはいるだろうが、直視しようとはしなかった。

 

「だが、逃げてばかりでは勝てん。何故もっとちゃんと」

「ちゃんと戦ってるよ、あいつは」

 

 思わずこぼした権現坂に重ねる形で4人の背後から声が掛けられる。

 ゲートを上がって来たのは、濃淡2種の黄色い髪をしたジーンズ姿のまだ若い女性だ。4人、特に空矢にとっては馴染みの深い人物である。

 

「母さん……」

「や、空矢。昼ごはん以来だね。食べかけのままいきなり飛び出してったから母さんビックリしたよ」

「す、すみません」

 

 洋子は街で偶然会ったような気軽さで空矢に話しかけ、そのまま彼の横に並んだ。あまりに日常的なやりとりに空矢も落ち込んでいたにも関わらず、普通に返している。

 

「ま、それについては後で話すとして、今はほら。しっかり遊矢のこと見てやらないとね。あいつは今、戦いながら生まれ変わろうとしてるんだから」

「え?」

 

 洋子の言葉を理解しきれなかったらしく、空矢は短く声を上げていた。それは他の3人も同じであり、皆一様に軽い戸惑いを顔に浮かべている。

 

「遊矢が生まれ変わろうとしてるって、どういうこと?」

 

 一同を代表して柚子が洋子へと尋ねた。

 洋子の視線は真直ぐにデュエルフィールドへと向いている。そこには文字通り、モンスターと共に地を蹴り、宙を舞い、フィールド内を駆け巡る遊矢の姿があった。息子の晴れ姿を温かく見守る彼女の顔はまさしく母親のそれである。

 

「この3年間、遊矢は道化の仮面をかぶって生きてきた。逃げた父親の息子、出来の悪い兄だと笑われるより先に、自分で自分を笑い飛ばしてきた」

 

 洋子の言葉を聞いて空矢は力なく項垂れた。自分で理解はしていても実際に母の口から聞かされると衝撃の度合いは大きく異なる。蓄積されたものが今にも決壊しそうだった。

 無論、洋子とて自分の言葉が空矢にどのような影響を与えるか分かっている。ただ分かっていてなお口にした理由は彼女本人にしか分からなかった。

 洋子はフィールドを見ているのと同じ目を空矢へと向け、彼の後頭部を優しく2度叩く。幼子を起こすようなそれを受け、空矢はおずおずといった風に顔を上げた。

 

「だけど、遊矢が本当になりたいのは、榊遊勝――幼い頃に見て憧れたあの伝説のデュエリスト。そして」

 

 そこで一旦区切ると洋子は目線だけではなく顔も向ける。彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「弟が、空矢が胸を張って誇ることの出来る兄にさ」

 

 母から語られた真実に、空矢は呆然と立ち尽くす。長らく思い悩んできた彼にとって、まさに青天の霹靂であった。

 

「あんたは何でも独りで抱え込んじゃうからね。自分が傷つけた所為で遊矢が変わったんじゃないかって責任感じてたんでしょ?」

「それは……実際少なからずその通りですし」

 

 目を逸らしつつ空矢が答える。洋子の言う通り人一倍自責意識が強く、しかも頑なであった。そんな息子に対し、母はいかにもしょうがないなぁ、といった風にため息をつく。

 

「遊矢も同じだよ。ずっと悩んでたんだ。自分が空矢の枷になってるんじゃないか、そんな自分が空矢の兄でいていいのか、って」

「そんなの! そんなことないのに」

 

 一転、声を荒げて否定する空矢。無関係である周囲の人間の注目まで一瞬集める。が、今の彼にはそんなことは取るに足らない、というよりもそんなことを気に掛ける余裕などなかった。

 空矢にとってそれは己の総てを賭してでも否定するべきことである。たとえ何が起ころうとも彼の方から遊矢を拒絶することなどあり得ないのだから。

 その必死さを目にして、何故だか洋子は苦笑した。

 

「そう、そんなことなんてないんだよ。最初から2人とも悩む必要なんてなかったんだ。そんなの問題にならないだけのしっかりとした絆があんた達にはあるんだから」

 

 空矢が固まる。地球は丸いとでも説明するような口調で洋子は言い切った。彼女にとっては分かり切ったことなのだから至極当然である。

 しかし、それは空矢にとって思いもよらぬことだった。遊矢も同様だろう。当たり前だ。分かっていたならば、そもそも3年もすれ違ったりはしない。

 それに今この場で言われなければいくら洋子の言葉とはいえ、以前の権現坂の時と同じく疑いこそしないが心の底から信じることは出来なかっただろう。

 だが、今ならば信じられる。否、信じなければならない。

 

「遊矢は今のままの自分じゃダメだって、このデュエルで生まれ変わって父さんともあんたとも正面から向き合うって決めたんだよ」

 

 今、遊矢は懸命に闘っていた。逃げだしたチャンピオンという父親の汚名、そして何より逃げていた自分自身。それら総てを変えようと闘っていた。そんな姿を目の当たりにすれば、疑いを挟む余地などありはしない。

 

「だから空矢。わたし達はこのデュエルをしっかりと見届けなきゃいけないし、後は言わなくても分かるね?」

 

 空矢は頷いた。返答もまた言葉は不要だった。彼は闘う兄の姿をしっかりと両の眼で捉えている。空矢も今は迷いを捨てていた。

 丁度その時、

 

「お楽しみはこれからだ!」

 

 溌剌とした遊矢の声が場内へと響き渡る。往年の榊遊勝を思い起こさせる台詞に会場は一気に沸き立った。思い入れが強い遊勝塾の面々はより顕著であり、修造にいたっては感極まって涙まで流している。

 

「本当に見失ったわけじゃなかったんですね」

 

 呟く空矢の声も少し震えていた。そうさせるのは、長い間不要にすれ違っていたことへの嘆きではない。兄のことを分かっていなかった己の不明に対する怒りでもない。

 輝きを取り戻した兄を見る空矢は、ただただ嬉しそうだった。

 

 

 ストロング石島と遊矢のデュエルは大方の予想を覆し、白熱した攻防を繰り広げる。

 遊矢がアクションカードを次々と3枚も墓地に送ることで発動したカードによって《バーバリアン・キング》の攻撃力は一気に0となり、遊矢の《オッドアイズ・ドラゴン》の効果もあって1ショットキルを狙える状況となった。

 これだけ言うとアクションカードの手札コストとしての有用性が反則染みて聞こえるが、話はそこまで単純でない。

 1度に手札に持てるアクションカードは1枚までだ。また、アクションデュエルにおいて1つのプレイに許された時間は1分のみであり、それ以上が経過した場合は失格となる。つまりは、1分以内に複数のアクションカードを手に入れる必要があるのだ。短い時間で広大なフィールドから探しだすのは至難の業である。予めアクションカードの位置を把握し、かつモンスターと一体となって初めて成し得る高等技術であった。

 あわや大番狂わせという事態に会場は大きく沸いたが、さすがにチャンピオン相手に一筋縄ではいかない。

 アクションカードで《バーバリアン・キング》の破壊を回避した上に攻撃力を5000にまで上げられ、返しのターンで《オッドアイズ・ドラゴン》を破壊された遊矢は心まで折られそうになった。

 ところが、そこで誰しも予想し得ぬことが起こる。遊矢が未知の召喚法を使い、最上級モンスターを含む3体のモンスターを同時に展開したのだ。

 想定外の出来事にさしものストロング石島も大きく動揺する。結果、遊矢はそのまま押し切ることに成功し、見事大金星を挙げたのだった。

 

 

 スタジアムは静まり返っている。目の前で起こった現実を理解出来ずに誰もが呆けていた。何しろ闘っていた当の本人達ですら把握出来ていないのだから無理もない。

 そんな中にあって、いち早く動けたのは衝撃が少なかったもの、遊矢の勝利を信じていたものたちだった。

 

「勝ったんだよ、あんたは!」

 

 立ち惚けていた遊矢は背後から聞こえた母の声に振り返る。そこには今まで彼を支えてきた皆の姿があった。

 

「ストロング石島に勝ったんだ! 父さんの代わりに……。よくやった遊矢!!」

「凄かったわよ、遊矢!」

「お前はやったんだ!」

「うぉぉぉおお! 熱血だぁぁあ!!」

 

 口々に遊矢を祝福する面々。ようやく我に返った観客達からも温かい拍手が送られ始める。ここに来てやっと遊矢は自分が成し遂げたという実感を持つことが出来てきたようで、徐々に顔を綻ばせていった。

 そうして落ち着いてきた遊矢は、4人の後ろで下を向いて立っている弟の姿に気がつく。

 

「空矢!」

 

 破顔して遊矢は客席へと駆け寄っていく。

 名を呼ばれ、空矢の肩が一瞬上がった。その後しばし固まっていたが、やがて恐る恐るといった足取りで前へ出てくる。その様に4人は微笑みを浮かべ、場所を開けた。

 衝動的に弟の許まで走って来た遊矢であったが、いざ実際に対面すると何を言っていいのか分からないようで戸惑っている。しばらくの合間、言葉になっていない呻きに近い声を上げていた。

 さらに少し経て、言葉がまとまったらしい遊矢はそれでも明後日の方を見ながらゆっくりと語りかけた。

 

「あのさ、兄ちゃんまた頑張るから。俺が空矢の兄ちゃんなんだって胸張って言えるように前よりもっと頑張るから。だからさ、ほら、俺はもう大丈夫だから、お前も……」

 

 しどろもどろになりながらも続けていた遊矢だったが、そこで言葉に詰まってしまう。まだわだかまりがあるのではないか。柚子などは不安を顔に浮かべる。が、彼女たちのそれも遊矢の顔を見ると霧散していった。

 遊矢は言葉に詰まったのではない、止めたのだ。証拠に彼は今、真直ぐ弟と向き合っていた。

 

「空矢も一緒に頑張ってくれないか? また昔みたいに、2人一緒に」

「何言ってるんですか」

 

 遊矢の言葉に被せる形で空矢が発する。遮られた遊矢は困惑を見せたが、次第に表情が曇っていた。拒絶されたと思ったのだろう。

 しかしそれも空矢が顔を上げると一気に吹き飛んだ。

 空矢は涙を流していた。だが決して泣いてはいない。晴れやかに笑っていた。

 

「そんなの当たり前じゃないですか」

「……そっか。そうだよな。ごめんごめん」

 

 そう言って遊矢も笑みを返す。こちらもこちらで今にも色々と溢れ出しそうであった。

 それから2人は3年振りに笑い合った。何がおかしいのか分からないが、次々と込み上げてくる。そんな風に2人は意味もなく愉しそうに笑い続けていた。

 それだけ言うと少々薄気味悪く聞こえるが、実際間近で見ればそんな感想は出てこない。2人の間からは言葉では表せない温かい何かが感じられた。その何かが、2人の間に出来た壁を融かしていっている。そう思えてならなかった。

 

 何にせよ、こうして止まっていた2人の時間は再び動きだした。

 3年の間にあった様々な出来事も彼らを後々勇気付けたり、悶絶させたりすることだろう。

 それら総てを善き思い出として語り合える日が2人に訪れることを願うばかりだ。

 

 

「それにしても、やっぱ空矢は俺が居ないとダメだよなぁ。泣き虫のまんま全然変わってないし」

「はぁ!? 何言ってるんですか、僕ももう中学2年ですよ。泣くわけがないじゃないですか」

「分かった分かった。じゃ、ゴーグル貸してやろうか?」

「だから泣いてないって言ってますよね!」

「まったく、漢が涙を流すなぞけしからん。けしからんぞぉぉおお!!」

「いや、じゃあ、あなたの眼から噴き出してるのは何なんですか?」

「ふふ、じゃあ空矢の眼から流れてたのは何なの?」

「いや、それは……とにかく僕は泣いてません!!」

 

 ……取り敢えず、このやり取りが全国のお茶の間に流れたことは、この後空矢を長く悶えさせることだろう。たぶん一生。

 

 




展開上どうしても必要な話でしたので後ろ向きになってしまいました。次は、本当にデュエルありです。
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