改めて言及するまでもないが、舞網市はあらゆることがデュエルを中心として回っている。だからといって、住民がデュエルばかりをしているわけではなく、当たり前であるが一部の人間を除けば本業に勤しんでいる時間の方が圧倒的に多かった。
学生の本分は学業であり、平日のまだ陽も昇りきっていない内は当然学校に居る。榊兄弟も例に洩れず、それぞれの教室で授業を受けていた。
「――また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」
「ありがとう。座っていいですよ榊くん」
見るからに神経質そうな男性教師は、告げるなり黒板へと向き直って今読ませた文の解説を始める。古典という興味を持てないものにとっては辛い題材で、しかも8割方黒板に向かって呟くように説明するという一種の催眠術まで操るこの男の授業を生き残るのは非常に困難だった。事実、半数以上は戦闘を放棄し、残りのほとんどは倒れ伏したまま動かない。
そんな中にあって空矢は立ち向かう少数派であった。が、今日に限っては読み終え着席するなり、あくびをかみ殺している。
昨日、彼はペンデュラム召喚をメインに据えた新しい遊矢のデッキについて議論を交わしていたのだが、気がつけばすっかり夜が更けていた。突然部屋に入って来た洋子の手によって強制的に就寝させられたものの、それでもあまり寝ていない。
温かな陽光差し込む窓側の席というのもあって、やがて耐えきれずに舟を漕ぎ始めた。彼方へと召されるのは時間の問題であろう。
けれども、空矢は寸での所で呼び戻された。窓の外から少女の怒声と、それに続いた複数の笑い声が聞こえてきたからである。意識を取り戻した空矢はしばらく意味もなく虚空を眺めていたが、程なく口元を綻ばせた。発生源で何が起こったか大方の見当がついたのだろう。彼の兄もまた、睡眠をほとんど取っていなかった。
他のクラスで起こった騒ぎを聞き取れたのは何も空矢だけではない。板書する手が止まっていた。
「よそのクラスは騒がしいですね、まったく。……さて、榊くんまでいったから次はと」
教師はぼやいた後、教卓へと振り返り、名簿に記された名を指で追っていく。にわかに教室がざわつき始めた。
この教師はいつもならば1回の授業で1度だけしか生徒に読ませずに残りは自分で読む。しかも名簿順で指名されるので、関係のない生徒は酷い場合教科書すら持ってきていないのだ。
「佐藤くん、は休みですか。では沢渡くん、次を読んでください」
「……え、俺!? す、少し待ってください」
今日自分の番が来るなど夢にも思っていなかっただろう憐れな生徒は、慌てて机の中を
「おい大伴、教科書よこ、って、起きろよ、おい!」
「もういいです沢渡くん。次回大伴くんと一緒に今日の分のノートを提出するように。悪いですけど榊くん、次も読んでください」
「あ、はい。……秋は夕暮れ。夕陽のさして山の端いと近うなりたるに――」
忍び笑いの声が漏れる中、すっかり覚醒していた空矢は再度朗々と読み始める。顔を赤くした件の生徒が睨んできているが、何故だか機嫌のいい空矢は気付いてすらいなかった。恐らく、兄のおかげで寝ないで済みしかも叱られずに済んだからだろう。もっとも、そもそも騒ぎがなければ教師がルーチンワークを破ることもなかったわけであるが。
とにもかくにも、このようにごく一般的な学生生活を榊兄弟も他の多くの同世代と同じように送っているのだった。
その後も平穏に授業は消化されていき、特筆すべきこともないまま放課後を迎えた。舞網市においてはほとんどの生徒がデュエルスクールに通っている為、大概の生徒はそのまま学校を後にする。榊兄弟と柚子もそれは変わらず、3人並んで校門へと歩いていた。
「ちょっと聞いてよ空矢。遊矢ってば授業中に居眠りした挙句、数学の先生相手に寝ぼけてペンデュラム召喚決めたのよ。信じられないでしょ」
「別にいいだろ。柚子がツッコんでくれたおかげでウケたしさ」
「そういう問題じゃない!!」
おどける遊矢にツッコむ柚子といういつも通りのやり取りが繰り広げられている。そんな2人に対する周囲の反応は微笑ましそうに見守るか、爆殺の呪詛を念じるかの2つに1つだ。無論空矢は前者である。
「柚子のツッコミなら僕のクラスにまで聞こえてきましたよ」
「え、嘘!? もう、遊矢の所為でわたしまで赤恥じゃない!!」
「そんなことないですよ。柚子がどういう人間かもう皆知ってますし」
「ちょっとそれどういう意味よ?」
柚子の問いに空矢は答えなかった。わざわざ彼が口に出さずとも、先程から柚子が叫んでも誰も振り返りすらしないことが答えを示している。認めたくないのか本当に気付いていないのか、彼女が察した様子はまるでないが。
「そりゃ柚子がガサツなストロング女だってこ」
「誰がガサツなストロング女よ!?」
伝家の宝刀で柚子は遊矢を即座に叩き伏せる。そんな目立つ動作をしているというのに、やはり誰も気に留めなかった。後から来た生徒も平気で彼女たちの横を通り過ぎていく。2人のやり取りは夫婦漫才として学年問わず学校中に知れ渡っていた。
とはいっても、通行の妨げにはなっているので、たまに視線を向けてくる相手には空矢が会釈程度に頭を下げて対応している。
「遊矢兄ちゃん!」
明らかに中学生のものとは違う声が不意に聞こえてきた。立ち上がった遊矢を含め、3人全員の目が声のした方へと向く。案の定、遊勝塾の下級生3名が校門前からこちらへと手を振っていた。学校にもよるが大抵の場合、小学校の方が終業時間は早い。
中学校の敷地内に入るのは抵抗があるようで、それからも自分から近づくことはせずに遊矢達が歩いて来るのをその場で待っていた。
「迎えに来たよ遊矢兄ちゃん。今日もペンデュラム召喚見せてよ」
「俺は空矢兄ちゃんのエクシーズ召喚と……アレだよアレ、あのシビれるやつが見たいぜ」
「うん、ちょっとその説明じゃ分からないかな」
フトシの抽象的に過ぎる説明に空矢は苦笑する。該当するものが多い、というよりもほとんどのものが該当してしまうだろう。権現坂に以前見た泣ける映画が見たいからレンタルしてきてくれと頼まれるのと同レベルの難易度だ。
「それに僕の場合エクシーズだってそんなに出来るわけじゃないしね」
「え~、何でだよ?」
「ほら、それメインのデッキじゃなくってあくまで選択肢の1つだから」
高レベルモンスター主体のデッキである以上、エクシーズ召喚を行いにくいのは致し方ない。まずモンスターを複数並べること自体が難しいのだから。比較的やりやすいようには構築されているが、特化したデッキと比べれば雲泥の差だ。
「どっちにしても、もう1回遊矢お兄ちゃんと空矢お兄ちゃんがデュエルするってことだね」
「う~ん、じゃ、やるか。リベンジマッチ」
アユに言われた遊矢は少しだけ迷ったが、直ぐに空矢へと笑顔を向ける。少し前では全く考えられなかったことだが、ペンデュラム召喚を得たことで隔意はなくなったようだ。
兄からの思わぬ申し出に空矢は呆けたように固まる。ただいくらか慣れてきていた彼はさほど時をかけずに呑みこむことができ、やがて破顔した。
「はい、お願いします兄さん」
「何で空矢がお願いするんだよ。リベンジするの俺だぞ」
空矢の言葉が可笑しかったのか、遊矢は少し呆れ気味に言いながらも頬を緩める。一々空矢の反応が大げさ過ぎるのは玉に瑕であるが、2人の関係は順調に打ち解けていた。その内空矢もこうしたやり取りに特別感慨を抱かずに済む日が来るのだろう。それは決してそう遠くないように思えた。
榊兄弟の様子に柚子も微笑みを浮かべている。2人を案じてきた彼女にとってもこの変化は喜ばしいものだ。だからか、今、柚子の機嫌は非常に良好である。
「じゃあ、そろそろ行こっか、皆。あと、折角だから途中でアイスでも買っていきましょう」
「うん! あ、でもぼくこの前カード買ったからそんなにお金ないよ」
一瞬輝いたタツヤの顔は直ぐに曇った。フトシとアユも同様である。小学生の小遣い事情というのは得てして厳しいものだ。意気消沈する3人を見て柚子は肩を竦める。
「皆の分も買ってあげるから心配しないで」
「え、いいの? 柚子お姉ちゃん大好き!」
「やったぜ! 柚子姉ちゃん太っ腹」
フトシの賛辞を受けた途端に柚子の表情が僅かに引きつったが、そのまま笑顔を取り繕った。これがもし遊矢か空矢だったならば今頃地を舐めるはめになっているだろう。アユのフトシを見る目がそれこそアイス並みに冷たくなっているが、目前に食べ物を提示された状態の彼が気付くはずもなかった。
「じゃあ、俺がタツヤにで、柚子がアユ、空矢がフトシにだな」
「ありがとな空矢兄ちゃん! シビれまくりだぜ!」
「いや、出来ればシビれない範囲で済まして欲しいんだけど」
はしゃぐフトシを前に空矢は遠い目をしている。中学生の懐事情も小学生とさほど大差はなかった。
最早、哀愁すら漂っている姿を見て他の全員は堪え切れずに笑みをこぼす。実際は3人で割り勘することになるだろうし、フトシとて変に高いものを頼むわけがなかった。遊勝塾の数少ない自慢は塾生同士の仲がとても良好なことである。程なくからかわれたことに気付いた空矢も笑いの輪へと加わった。
そうしたやり取りを経て遊矢達3人も校門の外へと進み、遊勝塾を目指して右へと曲がる。
その時だった。
遊矢の顔目掛けて突如、矢が放たれる。奇襲を受けた遊矢は避けることはおろか反応することも出来ず、顔の中心に3本の矢が突き立った。
「ブルズアイにトリプルで150点。見事なものだろう」
爽やかな笑みを浮かべつつ射手が己の技を誇ってくる。相手は遊矢達と同じ制服を着た男子学生だった。全員が呆然と立ち尽くしている中、彼は無造作に遊矢との距離を縮める。そして、遊矢の顔にある矢を回収すると、人好きのする笑顔を彼へと向けた
「きみ、榊遊矢だよね? 俺、1組の」
「謝れ」
相手の背後から聞こえてきた低めの声に遮られ、射手の男は眉を顰める。が、次いで遊矢の後ろから出てきた姿を見ると、「げ、榊」と呟いて後じさった。空矢がここに居ることを何故だか想定していなかったらしい。
空矢は相手の襟首を掴んだ時と変わらぬ距離まで詰め寄った。表情は消えているが、常より若干瞳孔が開いているように感じる。
「兄さんに謝れ。人の顔にそんなもの投げつけるとか一体何考えてるんですか?」
「はぁ? そのくらいで何熱くなって……や、やだなぁ榊。ほんのジョークじゃないか。ほら、先端は吸盤だし」
相手は反射的に言い返そうとしたが、内心とは対照的な凍てつく視線を向けられると乾いた笑いを浮かべながら言い繕った。
矢の先端についた吸盤で自分の指を吸いつかせては離してという動作を繰り返し、無害性をアピールしている。
「その吸盤は人に投げつける為に付いてるんですか? 注意書きに人に向かって投げないようにとか書いてなかったんですか? それ以前に良識ある人間がする行動ですか? それとも何ですか、あなたの家では世間の常識に反してでも初対面の相手にはそうするようにとでも教えてるんですか?」
空矢の言葉は遅いぐらいのペースで紡がれた。まるで聞き分けのない子供に言い聞かせているような話し方である。言葉が重ねられるのと共に相手の顔は徐々に引きつっていった。原因は間違いなく彼の非常識な行動にあったが、だからといってここまで責められるほどのことでもない。まあ、そこまで言われたにも関わらず、軽くでも頭を下げようとしない彼も大概であるが。
漂う剣呑さは増加の一途をたどっていた。子供達はいつもと大きく異なる空矢の雰囲気に戸惑っており、柚子もどうしてよいか判断出来ずにいる。となれば解決出来るのは1人しかおらず、実際彼が動いた。
「もういいって空矢。俺は全然気にしてないし」
「でも兄さん」
「それより1組って言ってたけど、空矢と同じクラスだよな?」
なおも言い募ろうとする空矢を強引に遮って遊矢が尋ねる。もうこれ以上言及させないという意思表示だった。それでも空矢は兄に何か訴えようとしたが、結局はそのまま呑みこむ。不承不承といった風ながらも首肯を返すことで質問に答えた。
同時に張り詰めていた空気も霧散する。息苦しさがなくなり、榊兄弟を除いた五名は思わず安堵の息をこぼした。珍しく兄の威厳を示すことが出来た遊矢はどこか得意げである。
「クラスメイトです。名前は」
そこまで口にしたところで空矢は止まった。紹介されるはずだった少年は彼の意図が分からず怪訝そうにしている。ただ他の面々には彼の停止した理由がよく分かったようであり、皆が皆苦笑いを浮かべていた。
たっぷり10秒近く間を取って、ようやく空矢は再度口を開く。
「確か佐藤くん」
「沢渡だ! つーかお前、よりによって佐藤と間違えやがって!! あいつの所為で俺が今日どんな目にあったと」
間髪をいれずに訂正して文句を言う佐藤、ではなく沢渡。しかし彼の言もまた中途半端なところで止まった。苛立ちの余り素を出してしまった為、豹変した沢渡のことを空矢以外の全員が目を点にして見ている。
まさかの失態を犯した沢渡は空矢を憎々しげに見据えた。空矢がわざと自分を怒らせたと思っているらしい。これに限っては素で間違えただけだが。
何はともあれ、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。沢渡はわざとらしく咳をすると、友好的に見えるようどうにか笑みを作って空矢へと向ける。
本人は気付いていないだろうが、内心が隠し切れていない所為で大分
「く、クラスメイトの顔と名前くらいは覚えた方がいいんじゃないかな、良識ある人間として。というか、何回かデュエルしたこともあるよな?」
「すみません。名前を間違えたことに関しては謝ります。一応言い訳させて貰うと顔は覚えていても名前を覚えられないんですよ、僕の場合。だから貴方のこと自体は覚えてますよ、僕が5戦5勝してることも」
「……あ、そうなんだぁ。じゃあ、次からはちゃんと名前も覚えてくれると嬉しいなぁ」
「安心してください。初対面の相手にいきなりダーツの矢を投げてくる人間の名前なんて忘れようがありませんから」
空矢は沢渡のことを微塵も許していなかったらしい。ここまで煽られても震えこそすれ行動にまでは移さなかった沢渡を褒めてやるべきだろう。実は謝ればそれで終わる話なのだが、彼のプライドがそんなことを許すはずがなかった。要するにどっちもどっちである。
ともかく、1度は消された火種が再度つけられたことで、物々しい雰囲気が戻りつつあった。
「そ、それよりも沢渡くん! 何か遊矢に用があったみたいだけど」
2人の間に散っているものが火花である内に事を収めようと柚子が話題の転換を図る。彼女の試みは功を奏し、本来の目的を思い出した沢渡は落ち着きを取り戻してようやく語り始めた。
曰く、ストロング石島とのデュエルを見た沢渡はすっかり遊矢のファンになってしまい、是非ペンデュラム召喚を生で見せて欲しいと。さらにはその為にLDSのセンターコートを貸し切ったらしい。
ちなみに、沢渡が話している間、空矢は半目で彼のことを見続けていた。発言の真意を疑っているらしく、実際疑われても仕方あるまい。
だが、LDSのセンターコートというワードは強力だった。舞網市のデュエリストならば、舞網スタジアムと並んで1度は立つことを憧れる舞台である。遊矢本人と下級生3人は途端に乗り気となった。
一方、柚子は塾長の娘という立場もあってわざわざLDSに出向くことに抵抗があるらしい。しかしフトシ達に懇願された結果、彼女もまた折れざるを得なかった。
「分かった。それじゃあ、わたしも行く。遊勝塾の代表としてライバル塾の視察ってことでね。空矢もそれでいいでしょ?」
「……ええ」
空矢も承諾したことでLDSに行くことが正式に決定する。第一、空矢は別に反対しているわけではなかった。仮に沢渡が何か企んでいたとしてもLDSという人が密集しており、かつ監視カメラも多い場所で事を起こすことは出来まい。LDSそのものが彼の味方だというならば話は別だが、いくら有力市議の息子だからといってそんなことはあり得なかった。行き帰りの途中にさえ気をつければ特に問題ないだろう。
センターコートに行けることが決まり、子供達3人は飛び跳ねんばかりに喜んでいた。その様を見て上級生3人も自然と笑顔に変わる。
皆が明るい気持ちになる中、1人取り残されている人物が居た。他ならぬ沢渡である。
「え、何? 榊も来るの?」
「逆に何で来ないと思ってたんですか?」
目を丸くした沢渡が素で尋ねると、途端に空矢の彼を見る目がまた厳しくなった。自身の失策を悟った沢渡は慌てて己の口を両手で押さえるが、それで言葉が戻ってくるわけもない。
度重なる計算外の出来事の所為でいい加減立て直すのが難しくなってきたようだ。弁明を試みる沢渡が浮かべている笑みからどこか自暴自棄な印象を受ける。
「いや、だって君達あまり兄弟仲がよくなかっただろ」
「いつの話をしてるんですか。僕はたとえ兄さんが借金の保証人になって欲しいって言ってきても書類の内容見ずに署名捺印しますよ」
「それは断りなさいよ!」
「というかそんなこと頼むわけないだろ!!」
やけに生々しくおぞましい例えで兄弟仲をアピールした空矢だったが、当然不評だった。一応、目的自体は達成できたようで、沢渡は無意識に空矢から距離を取っている。自分の理解が及ばない範疇にまで兄弟仲が改善、なのかは疑問だが変化したということは把握したはずだ。
沢渡は今険しい顔をしている。どうしても空矢は連れていきたくないようだ。ここまでの流れを考えれば無理ないが、はっきり告げたりすれば印象が悪くなって遊矢にまで逃げられる可能性がある。つまりは相手が納得する形で断念して貰うしかなかった。難易度はかなり高い。
方策を練る為か遊勝塾の面々へと沢渡は視線を走らせた。すると何か思いついたらしい。厭らしく笑っていた。
「いやぁ、悪いな榊。センターコートに入れるのは6人までなんだ」
「そんなわけないじゃないですか。何の為に貸し切ったんですか、貴方は?」
いかにも金持ちらしいことをのたまったが、あっさり空矢に論破される。天下のLDSセンターコートに対戦者含め六人までしか入れなかったらとんだお笑い草だ。空矢の疑念を増幅させてしまう結果となり、向けられる圧力もさらに増している。
これ以上は無理だった。沢渡はため息をついて肩を落とす。
「分かったよ。それで悪いんだけど、一応ちゃんと予約されてるか確認するから、ちょっと待っててくれる?」
あからさまに気落ちした声で告げると返事を待たずに皆へと背を向け、鞄からデュエルディスクを取りだした。そのまま何処かへと電話をかけ始める。
その様子に遊矢と柚子は苦笑していた。口論の後でその相手と共に居たくないのは当たり前である。また当の空矢は沢渡の背を凝視していたが、はしゃぐ子供達に絡まれてそれどころではなくなっていた。不機嫌そうな空矢を和ませようという子供達なりに気を遣った結果なので、彼もされるがままになっている。
他方、沢渡は右足で小刻みに地を叩くなど、焦燥が表面にまでにじみ出ていた。数コールの後に電話が繋がるとさすがに鳴りを潜めたが。
「どうした、何か問題でも起こったのか?」
「計算外の奴までついてくることになっちまった。そっちでどうにかしてくれない?」
相手は大人の男だった。厳格で意識せずとも相手を委縮させるような印象を受ける。声だけで分かるのは精々その程度だった。そんな相手に沢渡は物怖じせずに訴えている。勿論、聞かれないように声量を押さえながらだ。
「計算外? 一体どういうことだ? 何者なんだそいつは?」
「榊空矢だよ、榊遊矢の弟の。俺あいつ苦手なんだよね」
沢渡が言い終えるのと同時に吐息の音が聞こえてくる。電話越しでも音が聞こえるほど深くついたようだ。どれほど大事かと思えば、単に個人的に苦手だと伝えられたのである。呆れたくもなった。
「こちらも報酬を払う以上、そこまで面倒をみる義理はない。その程度、自分でどうにかしろ」
「いや、頼むよ中島さん。俺本気であいつのこと苦手なんだって。勝ったことないし」
「……何だと?」
声のトーンが下がる。沢渡はその場で竦み上がり、またも失言してしまったことを悟った。今日は彼の厄日のようである。狼狽する沢渡をよそに、高く短い電子音が数回連続して向こうから聞こえてきていた。
「榊空矢。成程、過去の大会で君に3勝しているな。それに他のスクール生相手にもそれなりに勝っている」
「ぐッ……だから、ホントどうにかなんない?」
「確かに君では手に余る相手のようだ。いいだろう。彼についてはこちらで対処しよう。だが、ここまでする以上必ず成功するように」
一方的に電話が切られる。ディスクを耳から離した沢渡は、緩慢な動作で腕を下ろした。砕けんばかりに歯を噛みしめ、全身を震わせている。何に耐えているのかは考えるまでもなかった。
ただそうしていたのは少しの間だけであり、程なく皆へと向かって勢いよく振り返る。
「センターコートの方は問題ないって。到着次第直ぐに使えるよ」
逆に何か突き抜けたようだ。歯まで見せて初め以上の爽やかさを有した笑みを沢渡は皆へと向けている。もっとも、そんなことは関係なく、報告の中身だけを待ち望んでいた子供達はこれ以上ないほどに目を輝かせた。
「やった! 憧れのLDSセンターコートでデュエルが見れる!」
「舞網スタジアムでは見れなかったけど、今度こそ遊矢お兄ちゃんのカッコイイところが生で見れるね」
「ほらほら、早く行こうぜ、空矢兄ちゃん」
「分かったから、そんなに引っ張らなくても行くよ」
子供達に引っ張られる形で空矢は沢渡の横を通り過ぎる。その時、彼の方を一瞥したが、変わらぬ笑顔であった。次いで遊矢と柚子も通り過ぎていったが、やはり笑顔で見送る。その後、全員がLDSを目指す中、沢渡だけが校門の方を向いていた。
皆の背が小さくなった頃になってようやく彼は振り返る。やはり笑顔ではあった。ただし、通報されかねない代物へと変貌している。
「榊空矢、お前に受けた屈辱の数々今日こそ晴らしてやる。お前の大切な兄貴が無残に打ちひしがれる様を見て精々嘆いてくれよ」
言い終えると沢渡は口を三日月形に結んだ。それでもなお閉じた口から笑い声が漏れ出ている。これから起こることを想像するとそれだけでも愉快でたまらないようだ。今頃彼の頭の中では空矢が泣きわめいているのだろう。中々に残念な奴だった。何より彼は大切なことを失念している。
「沢渡、お前こんな所に1人で突っ立って何を笑ってるんだ?」
「うっせぇな、俺は今気分いいんだから黙って失せろ」
「……お前、職員室に来なさい」
その後、彼は30分近く拘束されることとなった。無論、これも榊空矢から受けた屈辱の1つとして数えられることとなる。
**********
レオ・デュエル・スクール、通称LDS。LEOコーポレーション直営であり、業界最大手のデュエルスクールだ。その校舎はLEOコーポレーション本社ビルを使用しており、舞網市の至る所から雄姿を拝むことが出来る。経済的余裕があるのならばほとんどの人間がここへの入塾を希望するはずだ。
その為、デュエルスクールでありながら入試などというものまで存在する。さらに成績不振者は容赦なく追い出される為、スクール生のレベルも間違いなく業界屈指だ。年頃のデュエリストならば1度は憧れる場所と言えよう。
「すっげー、ここがLDSか」
代表してフトシが感嘆の声を上げるが、他の面々も内心は全く同じだった。まだ1歩踏み入れただけであったが、それこそ空気すらも違って感じられる。LEOコーポレーションの玄関でもある為か、内装には特に気を遣っているようだ。
感激している一同に沢渡は鼻高々である。ここに着くまでは前かがみ気味に肩を下げて歩いていたのだが、今は逆に胸を張っていた。
「こ、これが業界最大手……負けた」
「むしろ少しでも勝てると思ってたんですか?」
打ちのめされた様子の柚子に空矢が呆れ気味に尋ねる。頂点と底辺と言っても過言ではないほどの差があり、初めから比べるまでもなかった。現に柚子以外の全員は敗北感やそれに類する感情など微塵も有さず、純粋に楽しんでいる。
とはいえ、彼らがここに来たのは見学の為ではなかった。充分に雰囲気を堪能したのを見計らって、沢渡が自分の腕時計へと目をやる。
「センターコートの入り口は建物の反対側だから、時間もあまりないしそろそろ行こうか」
「まあ、誰かの所為で変に時間を食いました、から……ね」
毒づいていた空矢の声が途切れ途切れとなった。明らかに不自然な行動を取った彼に全員の注目が集まる。空矢はある一点に釘付けとなっていた。視線の先を確認すると受付カウンターの横に設けられた売店、そこに掲げられていた1本の
「え~と何々『光属性サポートパック、数量限定、お1人様1パックまで』だって。空矢兄ちゃんにピッタリだぜ」
「でも、もういっぱい人が並んでるよ」
「数量限定って書いてあるし、戻ってきてからだともう売り切れちゃってるよ」
その言葉通り既に結構な数が列を為しており、こうしている今も増え続けていた。どれだけの数が用意されているかは分からないものの、センターコートから帰ってくるまで残っているとは到底思えない。ならば、買ってから行けばいいわけだが、そういうわけにはいかない事情があった。
「センターコートは5時に予約してあるから、買うのを待ってる時間はないなぁ。いやぁ、残念だな榊」
やや芝居がかった言い方で沢渡が空矢に告げる。言葉とは裏腹に、ざまあみろと顔に書いてあった。時間がなくなったのは彼の所為なのだが、言い返すこともなく空矢は眉根を寄せて黙りこんでいる。ただのパックならばともかく、天下のLDSが限定と銘打ったパックだ。気にならないわけがない。
「じゃあ、わたしが並んでおくから、空矢は皆と行って」
「いえ、それはさすがに……。柚子も欲しいですよね」
「ま、まあ、気にならないって言ったらウソになるかな」
柚子は否定せずに視線を彷徨わせた。彼女の「幻奏」モンスターも総てが光属性である。空矢ほどの熱意はないが、何も用がなければ彼女も並んでいたはずだ。1人1パックまでである以上、2パック買うには当然2人必要である。唸る人間が1人から2人に増えた。
「じゃ、ここから別行動だな。俺たちはセンターコートに行くから、柚子と空矢はパック買ってこいよ」
「……ううん、わたしもどっちかというとセンターコートの方が気になるからそっちに行くわ」
「なら、僕1人ですか」
柚子があっさり諦めたので空矢はさらに悩むことになる。1人で心細いというのはあるだろうが、逆に言えば遊矢の方は大人数なので心配が減るということでもあった。
そもそも沢渡がLDSの敷地内で何か出来るとは空矢も思っていない。それでも迷っているのは単に彼が兄に対して心配性なだけだ。本人も頭では己の杞憂に過ぎないと理解している。そうでなければ、兄の危機と物欲を天秤にかけることなどあり得なかった。
「LDSが限定パックを売るなんて滅多にないからね。これを逃すともうこんな機会ないと思うよ」
「え、そうなの!? それなら空矢はペンデュラム召喚いつでも見れるんだし、絶対パック買ってきた方がいいって」
沢渡の言葉を聞いて遊矢が空矢の説得へと回る。強力なダメ押しよって揺れ動いていた天秤が一気に振り切れた。空矢が兄に対して黙って首肯する。
同時に沢渡は誰にも気づかれぬように小さくガッツポーズを決めた。そして、彼はそれだけで終わる男ではなく、油断なく止めを刺す。
「そうと決まれば榊以外の皆は早速センターコートに行こうか。もうギリギリだしね」
これ見よがしに腕時計を確認しながら皆へと告げた。効果は覿面で、子供達の顔から一気に余裕が失われて代わりに焦りが表われ出る。
「わ、大変! 急がないと!」
「早く行こうぜ、遊矢兄ちゃん!」
「分かったから、3人とも押すなって!」
「空矢兄ちゃん、あとで買ったパック見せてね」
子供達に押し出される形で遊矢はその場から離れていった。沢渡も空矢を一瞥して口端を上げた後、何も言わず4人に続いていく。
必然的に空矢と柚子が取り残される形となった。とはいえ、柚子が残ったのは今後の確認をする為だけである。
「じゃあ、買い終わったら柚子に連絡しますね」
「これだけ並んでると結構かかるだろうし、それがいいわね。ついでにスクールを見学させて貰ったら? 終わったら皆で迎えに行くから」
「そこまでして貰わなくて大丈夫です。6時にここで落ち合いましょう」
「そう……? あんまり変な所に行かないでよ」
どこか噛み合っていない会話を交わした後、柚子もまたその場を後にした。去り際に見せた彼女の表情は不安に染まっており、意味が分からずに空矢は首を傾げる。
しかし、だからといって深く気にすることもなく、直ぐに相好を崩して列へと並んだ。店員の対応がいいのか、行列は順調に捌かれている。思いの外早く買えそうだった。
後篇に続きます。
LDSについては『熱血! デュエル塾』で社長がそんな事はLDSの入塾希望者でも知っていると発言してましたので、きっと入試はあると思います。まあ、あろうがなかろうが全く関係ないんですが。