「……本当に行くんだな?」
車を降り、ドアを閉めようとすると、車内の男が声をかけてきた。
思わず溜め息が漏れる。
「くどいぞ。あんたは俺に負けたんだ。勝者には従え」
「……」
意趣返しとして、強めにドアを閉めた。
ふと、ここが『あの部屋』でないことを思い出した。
バスから降りてきた人、歩いてきた人の視線が突き刺さる。
同じ制服、つまりは新入生だ。
悪印象を与えるわけにはいかない。
落ち着け、俺。
これから三年はあの男に縛られることもないのだから。
正門の方へ歩みを進める。
ぱらぱらと視線が外れていく中、一つの視線だけは背中に向けられ続ける。
どこまでもしつこい男だ。
ふと、ひと月前のことを思い出す。
一対一の格闘戦。
殺し以外なんでもあり。
俺は一人の男と相対していた。
「この世界は勝つことが全て……だったか? ならお前はどうなるんだ?」
「くそっ……」
「ぐっ……うぅっ……!」
拳と足技の応酬に勝利したのはもちろん俺。
そして、目の前でうめき声を上げるのは、父親のボディーガードだ。
父の情なんてものは、生まれてから一度も感じたことはないし、自身としても父親だと思ったこともない。
みぞおちに吸い込まれた蹴りが効いているのか、立ち上がるのにいくらか時間がかかるだろう。
常に連れ回していたあたり、おそらく最も優秀なボディーガードのはずだ。
そんな男よりも俺は強いことがはっきり証明された。
「約束通り、これから三年は自由に過ごさせてもらう。高度育成高等学校、だったか? 松尾」
「はい。そこならば外部からの干渉は難しいはずです」
「難しい、ね」
この男の権力をもってすれば、政府が作り上げたものであろうが、横槍を入れることができるのだろう。
ただ、もしもこの男が直接介入してきた場合、俺は二度と従わないと宣言している。
曲がりなりにも最悪の失敗例……魔の四期生から生まれた最高傑作だ。
決して俺を手放そうとしないことはわかっている。
「俺を引き止めたいのなら、せめて遊び相手くらいは用意しておけ」
まあ正直に言えばそんなことはどうでもいいが、この敗者には権利などない。
この世界は弱肉強食。
俺は常に強者であるように作られた人間。
結局、この場所では俺は一度も負けることはなかった。
あまりにも呆気なく、面白みのない、勝負とすら言えないものばかり。
こんな場所など、何の価値もない。
そんな中で、俺は一つの考えに辿り着いた。
どうせ勝つのは俺なのだから、その過程で何をしようと問題はない、ということに。
ならば、好奇心の下僕と成り下がろうが、何の問題もない。
学校の敷地内には、様々な建造物がそびえている。
さすがに国主導の高校だけあり、どこを見渡しても綺麗な状態だ。
鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる。
見るもの全てが真新しいため、思わずきょろきょろと周囲を見渡す。
変な目で見られるのは遠慮したいものではあるが、これくらいなら新生活で緊張している、とでも思ってもらえるだろう。
クラスが掲示されている場所には、同い歳であろう人で混みあっている。
さすがにあの中に割って入っていく勇気はない。
遠目から自分の名前を見つけ、その場を後にする。
あの男から受け継いだものが、こうして役に立つ日がくるとは思いもしなかった。
教室に入ると、既に数名のクラスメイトがいた。
パンフレットと睨めっこしている男子、早速和気あいあいと会話を弾ませる女子、etc……。
どうやら名前順ではないらしく、予想した席とは正反対の場所、つまり窓際の最後列が俺の席らしい。
隣の席には、目を引く美少女。
腰まで伸びた黒髪は、艶やかな光沢を帯びている。
「初めまして、俺は綾小路清隆です。よろしくお願いします」
「……」
「あの……」
「聞こえているわよ」
「名前を教えてくれませんか?」
「拒否しても構わないかしら。あなたのように校門の前で騒ぐような人に関わりたくないの」
「そうですか……」
そういえば、バスから降りてきた生徒の中に彼女に似た女子生徒がいた。
こちらを一瞥した後、軽くため息を吐いていたはずだ。
「それに何? クラスメイトに敬語なんて。悪印象を払拭するつもり……って何よ、その目は」
「いや……話したくないという割には饒舌だなぁと思いまして……」
「……ばかばかしい」
そうか、同級生に敬語はおかしいのか。
よく考えればその通りだ。
立場が同じなのだからへりくだる必要もない。
同世代の人間が周りにいなかったから頭から抜け落ちていた。
とはいえあんな場所にいる人間に敬意などあるはずもない。
それからは隣人と話すこともなく、時間が過ぎていく。
……それにしても皆打ち解けるのが早くないか?
誰かに話しかけられるのを待っているような人は誰もいない。
一人でいるクラスメイトもいるが、それが苦だとは感じていないようだ。
「哀れね」
「ん? 俺のことか?」
「そうよ。誰かに話しかけられるのを待っている、可哀想な人」
「そう言われても……今まで同年代の人と話したことがなくてな。勝手がわからないんだ。だから、話したのはあんたが初めてだ」
「あんたなんて呼ばないでくれる?」
「そうは言うが、名前を知らないからな」
「はぁ……堀北鈴音よ。話し相手すらいないなんて、やっぱり哀れね」
そう言われても、物理的に話し相手がいなかったのだから仕方ないだろう。
ここ数年はカリキュラムを一人でこなしていたのだから。
とはいえ、目の前の少女がそんなことを知るはずもない。
今度はこちらから話しかけてみようと口を開きかけた瞬間、前方の扉が音を立てる。
「おはよう諸君。入学おめでとう。私がDクラス担任の茶柱佐枝だ。この学校ではクラス替えはない。三年間よろしく頼む。ちなみに担当教科は日本史だ」
スーツを着た美人。
隣の堀北と同じように、少しだけ冷たい雰囲気を漂わせている。
というより、真面目な印象と言った方が正しいか。
「それから、既に配布されていると思うが、手元に学生証カードはあるな? スマートフォンだと思ってくれていい。買い物や連絡手段としても使えるものだ。この学校にはSシステムが導入されている。ポイント……まあ校内で使える通貨は、毎月一日に学校側から振り込まれる。1pt=1円の価値がある。お前たちには10万pt支給されているはずだ」
茶柱先生の言葉にざわめき立つ教室。
10万円相当のポイント、か……。
お金の価値を知らない俺は、朧気なイメージしかないため、喜びようもない。
それほどの大金なのだろうか。
父親たちから漏れ聞こえた会話には、数千万だとか数億という数字が出てきた。
10万と言われても、それらとは比べ物にならない端金でしかないように感じてしまう。
「驚いたか? この学校は完全実力主義。入学できたことにそれだけの価値があるということだ。この学校では買えないものはない。娯楽施設もそれなりにある。自由に楽しんでくれ。ああ、ポイントは卒業後は回収する。現金化はできないからな。仮にポイントがなくなっても他人を恫喝するような真似はするなよ? 学校は虐めには敏感だからな。何か質問は……ないようだな。ではこれでHRを終わる」
興奮冷めやらぬ中、茶柱先生は教室を出ていく。
誰もそれを気にした様子はない……当たり前か。
「なあ堀北」
「話しかけないでと言わなかったかしら」
「これ、どうやって使うんだ?」
「……はぁ? 後で買い物でも行けばいいでしょ」
「そうじゃなくて、この機械の使い方だ。スマートフォン、とか言ってたな」
「…………」
堀北に怪訝な眼差しを向けられる。
仕方ないだろう、こういう機械に触ったことなんてないんだから。
「……横のボタンを押せばいいのよ」
「横……おお、光った」
「あなた……スマホの使い方も知らないなんて、どんな環境で生きてきたの?」
「どんな環境……ろくでもないつまらないところだったな。それで、あと何すればいいんだ?」
「……パスワードの設定さえしておけばいいでしょ」
「助かった。ありがとう。何かあったら手を貸そう」
「あなたの手助けなんて必要ないわ」
それっきり、堀北は自分の世界に入ってしまった。
まあ無理に会話させるのも忍びない。
何をしようか考えていると、前方の生徒が立ち上がった。
「皆! これから三年間一緒に過ごすわけだし、自己紹介でもどうかな?」
「さんせー!」
「私も〜!」
彼の周囲では女子生徒が肯定の返事をする。
一方……。
「けっ、自己紹介とかガキかよ。勝手にやってろ」
「ごめんね、無理にとは言わない。嫌だったらしなくても構わないよ」
赤髪の男子は、荷物をまとめるとさっさと出ていってしまった。
それに続いて数名の生徒も出ていく。
その中には堀北の姿も。
「何あれ、感じ悪っ」
「まあまあ、落ち着いて」
それから自己紹介が始まった。
あの男子生徒は平田洋介というらしい。
整った顔立ちは異性に人気になるだろう。
どんどんと進んでいく自己紹介だが、自分の番にどうすればいいかは一切決まっていない。
他人を参考にしようにも、バレるような嘘をつくわけにもいかないからだ。
趣味……かろうじて読書、か?
特技……他人がどの程度できるか知らない、故に避けるべき。
目標……そうか、目標。
三年間の自由に気を取られすぎていた。
次なる目標は、あの施設の破滅。
ならば、今できることは一つ。
「最後、そこの君、お願いできるかな」
「ああ。俺は綾小路清隆だ。趣味は読書。運動も勉強もそれなりにできると思っている。ホワイトルームという施設出身だから、今まで周りに同世代がいたことがない。コミュニケーションも自信がないが、よろしく頼む」
ホワイトルームの存在を世間に暴くこと。
なんとなくわかってはいたが、若干変な人扱いされているようだ。
若干、というのはそれ以上の変人、高円寺六助という生徒がいたからだ。
圧倒的な自信と態度。
あれでは周囲に人は集まりにくいだろう。
まあ俺は時間があれば絡みに行くつもりだが。
あんなユニークな人間はそうそう見つからない。
それに、体格を見るにあの自信は虚構ではなさそうだ。
自己紹介を終えると、皆が三々五々に連れ立って教室を出ていった。
さて、これから俺は第一の関門を突破しなければならない。
もしかすると、未だかつて体験したこともないほどの困難かもしれない。
「いらっしゃいませ〜」
そう、買い物である。
あの場所から出たことのない俺は、一人で買い物をしたこともなければ、本物の貨幣を見たこともない。
こんな常識不足の人間を国の中枢に据えようと考えるのだから、やはりホワイトルームなど潰してしまうべきだ。
というわけで、入学式を終えた俺は、第1関門であるコンビニエンスストアにやってきた。
それにしても、何が書いてあるのかさっぱりわからない。
初めて見る文字の羅列ばかりが目に入り、知っている単語は多くない。
食べ物くらいはわかるが、それ以外が全く不明だ。
「とりあえず買ってみるべきか……?」
「あら、嫌な偶然ね」
「お、さっきぶりだな、堀北。ちょっと聞きたいんだが……」
「……また?」
「この値段って妥当なのか?」
「……特に気になるようなものはないけれど」
「なるほど……コンビニエンスストアってのは無料のものも置いてあるのか」
convenience……便利、好都合とはよく言ったものだ。
並べられたいくつかの無料商品は、既に半分近くなくなっている。
「何言ってるの? 商品が無料で買えるわけないじゃない」
「そうなのか? ここにはあるが」
「……あなたの言う通りね。てっきり頭がおかしくなったのかと思ったわ」
「変人なのは認めるが、頭がおかしくなった覚えはない」
実際におかしくなった人間は、過呼吸になったり発狂したり、最悪の場合は……と、こんなことを考えている場合じゃない。
「……なんでこんなものがあるのかしら」
「10万円ってこんなもんなのか? 何か無駄遣いでもしなければ問題なさそうだが」
「本当に何も知らないのね。茶柱先生がポイントについて話したとき、皆はしゃいでいたでしょう? それくらい10万円というのは高校生にとっては大金よ」
「じゃあ何だ……救済措置とかか? にしては減りすぎだろ。毎月一日にポイントが支給されるんだろ?」
「そんなこと私に聞かないで。でも……そうね、一応頭に入れておくわ」
常識不足、というか常識がそもそもズレているためか、話が噛み合っていないように感じる。
かのアインシュタイン曰く、常識なんてものは18歳までの偏見の積み重ねでしかない。
現在15歳の俺、しかもようやくホワイトルームを出たばかりの俺に、他人と同じ常識とやらが備わっているはずもない。
「おい、早くしろっての」
「ああん? 今スマホ探してんだよ!」
「いつまでやってんだよ。後ろがつっかえてんだろ」
どうやら、生徒同士が揉めているようだ。
しかもその原因は同じクラスの男子生徒らしい。
自己紹介を真っ先に拒否した奴だ。
「はぁ、あんな生徒でも入学できるなんて、どうかしてるわ。……ちょっと、あなた何するつもり?」
「なに、大したことじゃない」
初めての買い物だ。
自分のものではないというのがちょっと残念ではあるが、さほど気にすることでもない。
横からスルッと身体を滑り込ませると、スマホを光っている場所に翳す。
ピロリンッと音が鳴った。
「おお、できた」
「あ? 誰だお前」
「同じクラスの綾小路清隆だ。今はとりあえず俺が払ったから」
「お、おぅ。助かった」
ついでに自分の買い物も終わらせると、堀北が胡乱な眼差しを向けてきた。
既に買い物は終わらせているのに、文句を言うためだけに待っていたのだろうか。
だとすれば律儀な奴だ。
「あなた、何がしたかったわけ? わざわざトラブルに首を突っ込むなんて」
「好奇心の赴くままに、ってやつだ」
「……」
堀北は何か言いたげな表情だったが、この男と関わるのを嫌がったのか、立ち去ってしまった。
「綾小路、だっけか? さっきはありがとな。俺は須藤健だ」
「構わない。須藤はスマホ忘れたのか?」
「ああ、部屋に置いてきちまった。ポイントは後で返す」
「……悪い奴じゃなさそうだな」
てっきり不良か何かだと思っていた須藤の反応に、思わず声が漏れた。
「おいおい、目の前で普通言うかそれ……」
「いや何。平田の自己紹介を真っ先に断っていたからな」
「あれは……なんつーか、ああいう仲良しこよしは嫌いなんだよ」
「へぇ。てっきり女子に囲まれてるからかと」
「違っ……違ってはいねえが、俺は別に彼女が欲しいとかそういうわけじゃねぇ」
「じゃああれか、いわゆる『スポーツが恋人』とか言う……」
「確かにバスケは好きだけどよ…………綾小路……お前……変な奴だな」
「ま、否定はしない」
「なんだそれ」
須藤に苦笑いされてしまった。
だが安心しろ須藤。
Dクラスには俺以上に変人扱いされている男がいるぞ。
なんてことを考えていると、ドアの向こうから三人組がやってきた。
「おい、邪魔だお前ら。さっさとどっか行け」
「ああん? なんだテメェら」
「おいおい、生意気な新入生だなぁ」
「んだとゴラ!」
「おお怖い怖い。どうせお前らDクラスだろ?」
「チッ……行こうぜ綾小路」
「ん? ああ」
先輩らしき人たちに絡まれてしまった。
さっさと退散することにしたが、嘲るような視線は向けられたままだ。
「てっきり怒って言い返すのかと思ってた」
「あ? まあ、いつもなら多分そうしてたけどよ、今日はそこそこ気分が良かったからな」
どこか照れくさそうに頬をかく須藤。
何かいいことでもあったのだろうか。
良きかな良きかな。
用事があったのか、須藤はさっさとどこかに消えてしまった。
自分の部屋に入り、備え付けのベッドに寝転がった。
文字通り真っ白だった俺のキャンバス。
たった1日だけだと言うのに、自分の世界が塗り替えられていくのがわかる。
ここから3年間、何を描くのも自分次第。
さて、どうやって過ごそうか。
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