好奇心の下僕   作:かんぱにい

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ダニエル・ウェブスター 『語録』


冷静を保て。怒りは議論ではない。

 

翌朝、HRが始まるなり茶柱先生から告げられた。

 

「今週の木曜、生徒会主導で暴力事件の審議が行われる」

 

教室がざわつく。

もっとも、この話自体は昨日のうちに生徒会長から聞かされていたため、俺としては特段驚きはなかった。

 

視線を巡らせると、須藤は腕を組んだまま前を向いている。

昨日の動揺が嘘のように、表情は比較的落ち着いていた。

 

千秋たちから聞いた話によれば、どうやら愛里は証人として証言してくれるらしい。

本人なりに、相当な覚悟を決めたのだろう。

 

それが伝わっているのか、須藤も無闇に苛立つ様子はない。

少なくとも、状況は最悪から一歩だけ前に進んだ。

 

とはいえ、証人がいるからといって、必ずしも須藤の無実が保証されるわけではない。

生徒会主導という点を考えれば、そこには「公平さ」と同時に、「学校側の都合」も入り込む。

 

木曜日。

その場で何が問われ、何が切り捨てられるのか。

静かに机に肘をつきながら、俺はその先を思い描いていた。

 

一方で、どこか考え込むような素振りを見せているのが、隣に座る堀北だった。

 

HRが終わるやいなや、彼女は無言で立ち上がり、俺にだけ分かるよう視線を送る。

それに従って教室を出ると、廊下の人目につかない位置で足を止めた。

 

「今回の件」

 

声は低く、周囲を警戒するように抑えられている。

 

「このまま終わると思う?」

「このまま、とは?」

 

問い返すと、堀北は腕を組み、わずかに視線を落とした。

 

「目撃者がいたからといって、Cクラスがすんなり非を認めるとは思えないわ。しかも肝心の目撃者が、私たちと同じクラスの生徒でしょう?」

 

確かに、そこは最大の弱点だ。

第三者でなければならないという暗黙の前提は、この学校では想像以上に重い。

須藤と仲の良い俺が、愛里に頼んで証人役をしてもらった、そう思われる可能性もある。

 

「証言の信憑性を突かれれば、それだけで話はひっくり返りかねない」

 

堀北の言葉は冷静だが、その裏には焦りが滲んでいた。

須藤の件は、Dクラス全体の評価にも直結する。

 

「……だから、何か仕掛けてくると?」

「ええ。向こうは勝てる形を作ってくる。そうでなければ、最初からこんな騒ぎを起こさない」

 

廊下を吹き抜ける風が、わずかに制服の裾を揺らした。

俺はその感触を確かめるように一瞬目を細める。

 

「なるほど。確かにこのまま終わる話じゃないな」

 

堀北は何も言わず、ただ小さく頷いた。

 

「堀北としては、どう考えてるんだ?」

 

そう問いかけると、堀北は一瞬だけ言葉に詰まり、視線を泳がせた。

 

「私は……」

 

そこから先が続かない。

だが、それも無理はない。

 

今回の件は、典型的な悪魔の証明だからだ。

 

特別棟には監視カメラがない。

愛里という目撃者がいたとしても、クラスメイトである以上、その証言は簡単に疑われる。

第三者性を欠く時点で、決定打にはなり得ない。

 

須藤が殴っていないことを証明する──。

それは、存在しない行為を示せというのと同義で、極めて困難だ。

 

さらに厄介なのは、相手側には形に残る証拠があることだ。

話を聞く限り、Cクラスの部員たちは実際に怪我を負っている。

それが自作自演であれ何であれ、物的証拠として提示されてしまえば、議論は一気に不利になる。

 

「……詰んでる、ってわけではないけれど」

 

堀北は小さく息を吐いた。

 

「正攻法じゃ、かなり分が悪い」

 

その認識は、俺も同じだった。

 

 

「今更だが、堀北が弁護をするのか?」

 

率直な疑問だった。

正直に言えば、堀北はもっと冷徹に状況を切り分ける人間だと思っていた。

今でこそ改善したが、勉強ができず、素行にも問題のあった須藤を、迷いなく切り捨てる──そんな選択をしても不思議ではない。

 

「……決まったわけじゃないわ」

 

一拍置いて、堀北は視線を逸らす。

廊下の窓から差し込む光が、彼女の横顔をやけに硬質に照らしていた。

 

「彼のせいでクラスポイントが減らされたら困るもの。それに……」

 

言葉が途中で止まる。

わずかに唇を噛み、続きを飲み込んだのが分かった。

 

「いえ、なんでもないわ」

 

その否定は、どこか自分自身に言い聞かせるようでもあった。

少なくとも、計算だけで動いているわけではなさそうだ。

 

「少なくとも、あなたは審議に参加するでしょう?」

 

探るような視線が向けられる。

 

「そうだな」

 

軽く肩をすくめて答える。

 

「俺は……もしかしたら、生徒会役員として、かもしれないが」

 

その言葉に、堀北は一瞬だけ目を細めた。

立場が変われば、発言の重みも変わる。

それを彼女が理解していないはずがない。

 

「あなたがいないのは痛手だけれど……そればかりは仕方ないわね」

 

堀北は淡々とそう言ったが、その声音にはわずかな計算が滲んでいた。

俺が審議の場に立てない可能性を、すでに織り込み済みなのだろう。

 

「そのときは……そうだな」

 

少しだけ考え、答えを口にする。

 

「千秋か、あるいは櫛田に任せるつもりだ」

「妥当な人選ね」

 

即座に返ってくる評価。

二人とも、場の空気を読むことに長けている。

感情論に流されすぎず、かといって冷たすぎる印象も与えない。

 

「特に櫛田さんは、ああいう場で強いわ」

「だろうな。嘘も真実も、同じ笑顔で並べられる」

 

皮肉とも取れる言葉に、堀北は何も返さなかった。

否定もしないということは、同じ認識なのだろう。

 

結局のところ、誰が前に立つかよりも重要なのは──どんな言葉で、どんな物語を語るかだ。

 

 

 

放課後、教室に残った数人で簡単な話し合いが行われた。

結論は早かった。

審議に参加するメンバーは、俺と堀北。

もしどちらかが動けなくなった場合の保険として、代役は千秋が務める。

 

千秋自身は少し驚いた様子だったが、理由を説明するとすぐに理解を示した。

ああいう場での立ち回りや言葉選びは、彼女の得意分野だ。

最悪の事態を想定するなら、これ以上ない配置だろう。

 

一方、櫛田には別の役割を任せた。

審議の場で直接発言はしないが、その分、裏で動いてもらう。

 

Cクラスの内部事情。

被害を訴えている生徒たちの評判。

過去のトラブルや、人間関係の噂話──真偽はともかく、材料は多いほどいい。

 

「任せて。そういうの、得意だから」

 

いつも通りの明るい笑顔でそう言ったが、頼もしさは本物だった。

 

それから愛里。

まだまだ人前で話すことは慣れないようだが、それでも勇気を振り絞って証言してくれるようだ。

 

「が、頑張るね」

 

表で戦う者と、裏で情報を集める者。

それぞれの役割が決まり、ようやく形が見えてくる。

 

あとは、木曜日を待つだけだ。

そこで語られる物語が、須藤の運命──そして、Dクラスの今後を左右することになる。

 

 

 

当日。

生徒会長から事前に特別な指示が入ることはなく、俺はそのまま須藤の弁護人として席に着いた。

向かい合う形で三人ずつ。こちらは須藤、堀北、そして俺。相手側も同数に担任が一人ずつ付く構図だ。

もっとも、茶柱先生からの援護など、最初から計算に入れていない。

 

「それでは、先日起こった暴力事件について、生徒会主導で審議を行います」

 

淡々とした声で口火を切ったのは橘先輩だった。

机に置かれた資料を一枚めくるその仕草は落ち着いていて、場の空気を引き締める。

 

ふと周囲を見回すが、南雲先輩の姿はない。

おそらくは、用事がある、の一言で不参加なのだろう。

らしいといえば、らしい。

 

「生徒会長が、こんな件に直々に顔を出すとはな。珍しいこともあるものだ」

 

中央の席に腰を下ろす生徒会長へ、茶柱先生が皮肉とも取れる言葉を投げる。

会長は眉一つ動かさず、静かに応じた。

 

「多忙により見送らせていただく議題もありますが、規定上、本来は私が立ち会うことになっています」

 

無駄のない言葉。

感情は一切混じらない。

そのやり取りを聞きながら、俺は改めて場の重さを実感する。

 

これは単なる生徒同士の揉め事ではない。

公式の場で、公式の判断が下される……そういう種類の審議だ。

 

 

ふと、生徒会長の視線を辿る。

鋭く、値踏みするようなその視線の先──そこにいたのは、俺の右隣に座る堀北だった。

 

堀北はというと、まるで蛇に睨まれた蛙だ。

背筋を伸ばしたまま固まり、瞬き一つしていない。

いや、できていないと言った方が正しいか。

 

この調子では、弁護役としてここに座っている意味がない。

そう判断して、小さく声をかける。

 

「堀北。堀北」

 

反応がない。

仕方がないので、軽く──いや、わざと少しだけ強めに、脇腹をつついた。

……後で怒られるだろうな。

 

「っ……!」

 

ビクッと肩を跳ねさせ、堀北が勢いよくこちらを振り向く。

鋭い睨み。

ようやく、いつもの彼女に戻ったらしい。

 

「あなた……! 何を──」

「落ち着け」

 

声を低くして、言葉を重ねる。

 

「堀北。今回の相手は、生徒会長じゃないぞ」

 

その一言で、彼女の表情が僅かに変わる。

驚きと理解が、遅れて追いついたような顔だ。

 

「……!」

 

堀北は、ようやく視線を前に戻した。

だが、その瞬間。

 

生徒会長は、今度は俺をじっと見つめていた。

まるで、今のやり取りすらすべて見透かしていたかのように。

そして──少しだけ、楽しそうに。

 

 

さらに視線を後方へとやると、一之瀬と目が合った。

彼女は小さく息を呑み、こちらを気遣うような表情を浮かべている。

 

ある程度の信頼は得ている、そう思ってはいる。

少なくとも、俺が無策でこの場に立っているとは考えていないはずだ。

 

だが、それと心配するかどうかは別の話だ。

結果次第では、須藤の処遇だけでなく、Dクラス全体に影響が及ぶ。

その重みを理解しているからこそ、ああいう視線になるのだろう。

 

俺は軽く目を伏せ、視線を前へ戻した。

気遣いに応える言葉は、まだ早い。

 

 

橘先輩が、淡々と事件の経緯を読み上げていく。

日付、場所、関係者の名前。

感情を排した事実の列挙だ。

 

その横で、左隣に座る須藤の様子が視界に入る。

拳を強く握りしめ、わずかに肩が強張っている。

苛立ちを抑えきれていないのが、見て取れた。

 

改めて第三者の口から説明されることで、状況はより現実味を帯びる。

何もしていないはずの自分が、暴力事件の加害者として扱われている。

その不条理さが、須藤の神経を逆撫でしているのだろう。

 

だが、感情的になった時点で負けだ。

ここは裁きの場であり、感情は武器にはならない。

 

「まずはじめに。Cクラスのバスケ部員二名が、須藤君に呼び出され、特別棟へ向かった……これは事実ですか?」

 

橘先輩の視線が、須藤へと向けられる。

須藤は一瞬だけ息を吸い、背筋を伸ばした。

 

「……いえ、違います。俺が、小宮と近藤に呼び出されました」

 

言葉遣いは、普段の須藤からすればかなり丁寧だ。

意識して敬語を使おうとしているのが分かる。

 

ただ、その声音の奥には、どうしても抑えきれない苛立ちが滲んでいた。

自分が被害者であるにもかかわらず、加害者として扱われている。

その状況に対する怒りだろう。

 

とはいえ、机を叩いたり、声を荒げたりはしていない。

今のところ、十分に許容範囲内だ。

俺は横目で須藤を確認しつつ、次に続く質問に備えた。

 

橘先輩はメモに目を落としながら、淡々と続ける。

 

「では、正確にどうしてあの場に向かったのか、教えてください」

 

須藤は一度、はっきりと深呼吸をした。

胸の奥に溜まったものを吐き出すようにしてから、口を開く。

 

「部活の練習が終わったあとです。そこの二人に、特別棟に来るよう言われました」

 

視線だけで、Cクラス側に座る小宮と近藤を指す。

 

「……日頃から、ちょっかい出されてて。正直、いい加減うざかった。だから、一言言ってやろうと思って、行きました」

 

言い切り。

言い訳がましさはなく、事実だけを並べている。

 

ただ、『一言言ってやろうと思った』。

その部分が、微妙に引っかかってしまう。

 

案の定、Cクラス側の空気がわずかに動いた。

「ほら見ろ」とでも言いたげな視線。

堀北もそれに気づいたのか、ほんの一瞬だけ眉をひそめる。

 

だが、須藤の態度自体は落ち着いている。

少なくとも、衝動的に殴りかかるような人間には見えない。

 

須藤の話が終わると、今度はCクラス──恐らく小宮──が口を開いた。

 

「いいえ、それは嘘です。逆に僕たちが須藤君に特別棟に呼び出されたんです」

 

須藤の短い叫びが、静まり返った室内に響いた。

 

「はぁ!?」

 

立ち上がりかけた肩を、俺は肘で軽く制する。

今ここで感情を爆発させるのは、最悪の選択だ。

橘先輩が、落ち着いた声で場を整える。

 

「落ち着いてください。今は双方の話を聞いているだけです。小宮君は、こちらから指名するまで口を挟まないように」

「……すみません」

 

小宮は一歩引いたが、その表情には余裕がある。

まるで、用意してきた台本を読む順番を間違えただけ、という顔だ。

 

橘先輩は改めて須藤に向き直る。

 

「須藤君。今の小宮君の発言について、反論はありますか?」

「反論もクソも……呼び出したのは向こうだ!」

 

即答。

迷いも間もない。

爆発してしまった怒りは未だ収まらない。

 

「具体的には?」

「練習終わりに『話がある』って言われた。断ったら、レギュラー辞退の件を持ち出されて……」

 

ここで、Cクラス側の一人──近藤がわざとらしく肩をすくめた。

 

「そんな脅し、してないよな?」

「してただろ!」

 

空気が一気に荒れる。

だが、俺は内心で少しだけ安堵していた。

 

来た。

 

相手は、最初から「須藤が呼び出した」という一点張りで来るつもりだ。

つまり、証言は完全な対立構造になる。

 

そして、こういうときに重要なのは事実そのものじゃない。

話の整合性だ。

 

俺は須藤の方を一瞥する。

須藤は怒っているが、話の軸はぶれていない。

 

一方で、小宮と近藤。

さっきから二人の間で、微妙に視線が噛み合っていない。

思ったより、ほころびは早く見えそうだ。

 

「……いいですか?」

 

静まり返った室内で、俺はゆっくりと手を挙げた。

視線が一斉にこちらへ集まるのを感じる。

 

橘先輩が軽く頷いた。

 

「どうぞ」

「今のCクラス側の発言には、明確な虚偽が含まれています」

 

その一言で、空気がわずかにざわついた。

 

「と言うと?」

 

橘先輩は表情を変えず、続きを促す。

 

「須藤が彼らを呼び出した、という点です」

 

断定的な口調。

あえて言い切った。

 

その瞬間、小宮が鼻で笑った。

 

「ハッ。そんなの、証拠でもあるんですか?」

 

続けて、これまで沈黙を守っていた男が口を開く。

Cクラスの担任──坂上先生だ。

 

「生徒の主観的な主張だけでは、判断材料にはなりませんよ」

 

薄く口角を上げ、嘲笑を隠そうともしない態度。

須藤の方をちらりと見て、まるで「分かっているだろう」と言わんばかりだ。

 

だが、その余裕がいつまで続くか。

 

「ええ、もちろんです」

 

俺は視線を逸らさず、淡々と続ける。

 

「証人をお呼びしても?」

 

一瞬、間が空いた。

橘先輩は書類に目を落とし、すぐに顔を上げる。

 

「……構いません。許可します」

 

その言葉を待っていた。

 

俺はドアの方へ視線を向け、小さく合図を送る。

 

「入ってきてください」

 

扉が開き、ひとりの生徒が姿を現した。

 

「失礼します。3年Bクラス、石倉です」

 

落ち着いた声音。

堂々とした態度。

 

バスケ部部長、石倉先輩。

須藤よりも2学年上で、部内では絶対的な信頼を得ている人物だ。

 

彼が姿を現した瞬間、Cクラス側の空気がわずかに揺れた。

小宮と近藤の表情が、ほんの一瞬だけ硬くなる。

やはり、部長という肩書きが効いている。

 

「石倉君。あなたは今回の件について、何を目撃しましたか?」

 

橘先輩の問いに、石倉は一度頷き、静かに口を開いた。

 

「日曜日の夕方、体育館を出るところで、須藤が小宮と近藤に呼び止められているのを見ました。『特別棟で話をしよう』と声をかけていたのは、Cクラスの二人です」

 

その証言は、簡潔で、余計な感情を含まない。

事実だけを述べているからこそ、重みがあった。

 

室内が再び静まり返る。

坂上先生の表情から、先ほどまでの余裕がすっと消えていた。

 

「ありがとうございます。以上です。退室していただいて構いません」

 

橘先輩の言葉に、石倉先輩は一礼した。

 

「失礼しました」

 

落ち着いた足取りで部屋を後にする。

その背中が扉の向こうへ消えても、誰一人として口を開こうとはしなかった。

 

想定外だったのだろう。

バスケ部部長が証人として出てくるなど、Cクラス側は考えていなかったはずだ。

小宮と近藤は視線を伏せ、坂上先生も腕を組んだまま沈黙を保っている。

 

橘先輩が、その空白を逃さずに切り込んだ。

 

「では確認します」

 

淡々とした声が、静まり返った空間に響く。

 

「須藤君が小宮君と近藤君を呼び出した、という主張。これは事実ではない──つまり、虚偽という認識でよろしいですか?」

 

逃げ道はない。

今さら否定を続ければ、証言そのものの信頼性が崩れる。

 

小宮は一瞬だけ唇を噛みしめ、やがて力なく視線を落とした。

 

「……はい」

 

短く、消え入りそうな声。

 

頷くしかなかった、という表現が一番しっくりくる。

この時点で、物語の主導権は完全にこちらへ移っていた。

 

 

「私からも、ひとつ質問してよろしいでしょうか」

 

静まり返った空気を切り裂くように、今度は堀北が手を挙げた。

感情の起伏を一切感じさせない声。

だが、その視線は鋭く、一直線に一点を射抜いている。

 

視線の先にいたのは、これまでほとんど発言せず、存在感を消すように座っていたもう一人のCクラスの生徒、石崎だった。

 

「許可します」

 

橘先輩が頷く。

 

「では質問します。どうして、あの場に石崎君が同行していたのでしょうか」

 

一瞬、石崎の肩がぴくりと跳ねた。

視線が泳ぎ、助けを求めるように小宮の方を見るが、当然返ってくるものはない。

 

「それは……」

 

言葉を探すように間を置き、ようやく絞り出す。

 

「護衛、です。須藤君は……暴力的だと聞いていたので」

 

その瞬間、堀北はわずかに顎を引いた。

まるで、その答えを待っていたかのように。

 

「なるほど」

 

淡々と、だが逃がさない。

 

「では確認します。あなた方は、須藤君が暴力に訴える可能性があると想定したうえで、あの場に向かったということですね?」

 

石崎は答えない。

答えられない、の方が正確だろう。

堀北はさらに畳みかける。

 

「それはつまり、彼を怒らせる、あるいは挑発するような行動を取るつもりだった、という解釈も成り立ちますが?」

 

沈黙。

重く、長い沈黙が部屋を支配する。

 

もしここで「偶然居合わせただけだ」とでも言えていれば、まだ僅かな逃げ道はあったかもしれない。

だが彼らは、そういう選択肢を与えられていない。

 

誰かに書かれた台本。

誰かの都合で動く、ただのマリオネット。

 

筋書きから外れることを許されない以上、彼らは沈黙という形でしか応じられなかった。

 

そしてその沈黙こそが、何より雄弁な答えだった。

 

しかし、その重苦しい沈黙を破るように、近藤が唐突に声を張り上げた。

 

「そうです!」

 

場違いなほど大きな声が、室内に反響する。

 

「僕たちは、須藤君に言うつもりだったんです! いつも突っかかってきて、チームの雰囲気を悪くするような人間は、レギュラーに相応しくないって!」

 

必死さが滲み出る口調。

言葉を繋げるたびに、理屈よりも感情が先走っているのが分かる。

 

──自棄になっている。

 

追い詰められた末の一手。

本来なら自滅にもなりかねない発言だ。

だが。

 

「……」

 

堀北の追及が、そこでぴたりと止まった。

 

視線を伏せ、わずかに思考する素振り。

近藤の言葉を否定も肯定もせず、静かに受け止めている。

 

その様子を見て、俺は内心で小さく息を吐いた。

 

返答としては悪くない。

少なくとも今の発言で、「護衛のために同行した」という不自然さには、一応の理由が与えられた。

理屈としては粗いが、感情論としては理解できなくもない。

堀北が一歩引いたのも、その点を見極めたからだろう。

 

もっともこれは、流れを戻しただけに過ぎない。

 

近藤自身が、これから自分の言葉に首を絞められる可能性があることに、まだ気付いていないだけだ。

 

少しだけ──毒を流すことにした。

 

 

 

「では、ひとつ確認させてください」

 

場の視線が、自然とこちらに集まるのを感じる。

 

「どうして、3人とも怪我をしているんですか? それも、決して軽傷とは言えないレベルの」

 

近藤の喉が鳴った。

 

「それは……僕たちに、喧嘩する気がなかったからです」

「なるほど」

 

俺は頷き、淡々と続ける。

 

「つまり、護衛がいたにも関わらず、避けることも、防ぐこともせず、黙って殴られたと?」

「ち、違います! いきなりだったんです!」

 

語気だけは強いが、言葉の選び方は拙い。

 

「そうですか」

 

そこで一拍置き、数字を投げる。

 

「須藤は日頃から鍛えてはいますが、ボクシングの素人です。仮に殴ったとしても、拳の速度はせいぜい時速25キロ程度でしょう」

 

ざわり、と小さな動揺が走る。

 

「一方で、バスケットボールのパス。こちらはプロでなくとも、時速50キロ近く出る」

「……それが何だって言うんですか!」

 

近藤が食い気味に叫ぶ。

俺は肩をすくめた。

 

「いえ、単純な疑問です」

 

静かに、しかし逃がさず言葉を落とす。

 

「その程度の速度が避けられないのであれば──それはもう、反射神経に異常をきたしていると思います」

 

つまり。

 

「危険ですから、バスケは辞めた方がいいんじゃないかと」

 

空気が凍りついた。

 

論点をずらしたわけではない。

ただ、彼ら自身の主張を、現実的な尺度に当てはめただけだ。

 

そして、その現実はあまりにも都合が悪い。

反論しようにも、感情論では押し切れない。

あくまでも忠告に過ぎないからだ。

 

近藤は言葉を失い、坂上先生もすぐには口を挟めずにいる。

その沈黙こそが、この問いへの答えだった。

 

まあ、至近距離から放たれる拳とある程度遠くから飛んでくるパスとでは、前者の方が速く感じる。

そのことに気づいていないあたり、動揺しきっているようだ。

 

右手側から、くぐもった笑い声が漏れた。

 

堀北──ではない。

茶柱先生だ。

 

一瞬、堪えきれなかったのだろう。

すぐに咳払いをして表情を取り繕ってはいたが、口元にはわずかな緩みが残っている。

 

その様子に空気を正すように、橘先輩が軽く喉を鳴らした。

 

「……んん。綾小路君、あまり本件と直接関係のない質問は控えてください」

 

柔らかい口調だが、進行役としての注意だ。

 

「関係がないわけではないと思いますが……」

 

俺は一歩引き、素直に頭を下げる。

 

「失礼しました」

 

これ以上押す必要はない。

すでに十分、種は撒いた。

 

あとは、彼ら自身の言葉が、どう自分たちの首を絞めていくかを見るだけだ。

 

「つまるところ──」

 

俺は一度、間を置いた。

全員の視線がこちらに集まるのを待ってから、淡々と続きを口にする。

 

「一方的に殴られた、という主張には無理があるということです」

 

ざわ、と小さく空気が揺れた。

 

「……ああ、ひとつだけ例外がありますね」

 

わざと付け足すように言うと、Cクラス側がわずかに身構えるのが分かった。

 

「彼らがすすんで暴行を受けた場合です。殴られると分かっていて、避けも反撃もせず、その場に留まった。そうでなければ、その怪我に説明がつかない。友人が殴られているのを黙って見ていたわけですから」

 

小宮が思わず立ち上がりかける。

 

「そ、そんなわけ──!」

「では聞きますが」

 

被せるように続ける。

 

「三人揃って、同程度の怪我を負う確率はどれほどでしょうか。偶然ですか? それとも……事前に想定された結果ですか?」

 

沈黙。

 

反論の言葉を探しているのだろうが、誰も口を開けない。

傷の存在が被害者の証拠であると同時に、作為の可能性にもなり得ることに、ようやく気づいたようだった。

 

俺は肩をすくめる。

 

「まあ、これはあくまで仮定の話です。ただ──」

 

視線を橘先輩へ戻す。

 

「少なくとも、怪我をしている側が主張しているという一点だけで、須藤が一方的に暴力を振るったと断定するのは、早計かと」

 

言い切ると、再び場は静まり返った。

流れは、確実にこちらへ傾き始めている。

 

「ただでさえ、Cクラスは虚偽の報告をしていたのですから。──須藤に殴られたという点についても、無条件に信用していいものかどうか」

 

淡々と告げた言葉に、Cクラス側がざわつく。

 

「きっ、詭弁だ!」

 

坂上先生が声を荒げる。

だが、詭弁──その一言で押し切られてしまえば、それまでだ。

だからこそ、ここで終わらせるつもりはない。

 

俺は静かに息を吸い、切り札を切る。

 

「では、最後に。目撃者を呼んでもよろしいでしょうか」

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