好奇心の下僕   作:かんぱにい

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トーマス・フラー『格言集』


逆境における仲間は、苦難を軽くする。

翌日の昼休み。

チャイムが鳴って教師が出ていく。

 

千秋、麻耶、かや乃、さつきの四人は、「席取らないと無くなる!」などと言いながら、さっさと食堂へ向かっていった。

 

相変わらず行動が早い。

 

一方で、みーちゃん、心、愛里の三人は席を立たず、こちらを見ていた。

どうやら俺を待っているらしい。

 

昼食のため、食堂へ向かおうと教室を出る。

廊下に出たところで、向こう側から歩いてくる集団が視界に入った。

 

Cクラスの生徒たち。

何故そうだと分かったのかと言えば、その中に読書仲間である椎名の姿があったからだ。

 

こんな場所に他クラスが来るのは珍しい。

そう考えているうちに、先頭を歩いていた男が、俺の前まで来て足を止めた。

 

男にしては長めの髪。

鋭い目つきと、隠そうともしない威圧感。

 

後ろには数人のCクラスらしき生徒が並んでいるが、昨日の審議にいた小宮たちの姿はない。

停学中なのだから当然か。

 

男は俺を見定めるように視線を向け、口を開いた。

 

「よう、お前が綾小路か?」

「そうだが」

「へぇ。どんな奴かと思えば、こんなシケた面してるとはな」

 

初対面で失礼な男である。

これでも俺はイケメンランキング(麻耶調べ)で五指には入るというのに。

 

「それで、お前は?」

「俺は龍園。Cクラスの王だ」

 

王、と聞いてちらりとみーちゃんの方を見る。

どうやら龍園とやらの威圧に縮こまってしまっている。

愛里や心も同様だ。

 

「何の用だ」

「石崎たちが世話になった奴の顔を拝んでやろうと思ってな」

「世話? ちょっかいを出されたからお灸を据えただけだ」

 

龍園は喉の奥で笑うように、クックックと声を漏らした。

廊下という場所でなければ、もっと不気味に聞こえていたかもしれない。

 

「世話、ねぇ。アイツら、お前の名前を出しただけで震えてやがったぞ」

 

その言葉に、昨日の夜の様子を思い出す。

三人とも随分と怯えていた。

もっとも、それは当然の結果だろう。

 

「ただの話し合いだ」

 

そう答える。

事実、会話はした。

忠告もした。

まあ、いわゆる肉体言語というものではあるが。

 

「アンタ、ほんとに石崎たちとやりあったわけ?」

 

今度は、椎名の隣にいた女子生徒が口を開いた。

 

短い髪を揺らしながら、こちらをじっと睨むように見ている。

敵意というほどではないが、警戒心は隠そうとしていなかった。

 

「お前は?」

 

相手の名前も知らないまま会話を続けるのも不自然だ。

そう思って尋ねると、女子生徒は即座に言い返した。

 

「アンタに言う名前はない」

 

なんとなく、初対面の堀北を思い出させる台詞だった。

あの時も似たようなことを言われた気がする。

名前を教えてもらえるまでは、こっそり堀北2号と呼ぶことにしよう。

 

「こちらは伊吹澪さんです」

 

横から椎名が補足する。

助かった。

これで堀北2号から正式名称へ昇格だ。

 

「ちょっと椎名!」

 

当の本人は不満そうな声を上げた。

 

そんな様子に毒気を抜かれたのか。

はたまた、本当に顔を見に来ただけだったのか。

龍園は小さく鼻を鳴らした。

 

「フン」

 

それ以上何かを言うこともなく踵を返す。

後ろにいたCクラスの生徒たちも、それに続いた。

 

伊吹は最後までこちらを睨むような視線を向けていたが、しばらくすると気が済んだのか、ようやく歩き出す。

やがて一団の姿は廊下の向こうへ消えていった。

 

「すみません、綾小路くん。それから皆さん」

 

椎名が申し訳なさそうに頭を下げる。

隣ではみーちゃんたちも、ようやく張り詰めていた緊張を解いたようだった。

 

「気にするな。それにしても、どうして椎名はここまで来たんだ?」

 

単純な疑問だった。

椎名は龍園たちと同じ方向へ歩いていたわけではない。

むしろ、同行していた理由の方が気になる。

すると椎名は少しだけ首を傾げてから答えた。

 

「もし龍園くんが暴力を振るうつもりなら、私が止めようかと」

 

思わず椎名をまじまじと見る。

 

細い腕、華奢な体格。

読書をしている姿の方がよほど似合う少女だ。

どう考えても、龍園を止められるようには見えない。

ホワイトルームのような例外はある。

見た目と実力が一致しない人間も存在する。

だが、椎名からはそういった類の気配は感じない。

むしろ、争いとは最も縁遠い部類の人間だろう。

だからこそ少し心配になる。

 

もし本当に龍園が手を出していたら、止めるどころか巻き込まれていた可能性の方が高い。

 

「大丈夫です。私は暴力には屈しませんから」

 

椎名はいつも通りの穏やかな口調でそう言った。

まるで当たり前のことを口にするような声音だ。

そのためだろうか。

無謀な発言のはずなのに、不思議と強がっているようには聞こえなかった。

 

それに、と椎名は続ける。

 

「読書友達に会いたくなりまして」

 

一瞬だけ言葉に詰まる。

龍園を止めるため、という理由だけならまだ分かる。

だが、こちらの方は完全に予想外だった。

 

「そうか、それは嬉しいな」

 

素直な感想だった。

読書の話ができる相手は案外少ない。

まして、この学校ではなおさらだ。

椎名はその言葉を聞くと、ふわりと表情を緩めた。

普段から柔らかい雰囲気の彼女だが、その笑みはどこか満足そうにも見える。

 

「はい」

 

短く返事をして、小さく頭を下げる。

そして、

 

「それでは、また」

 

丁寧に一礼すると、椎名は廊下を歩き始めた。

長い髪が揺れ、やがて角を曲がって見えなくなる。

静かだが、不思議と存在感の残る去り方だった。

 

「大丈夫か?」

 

みーちゃんたちへ視線を向けながら尋ねる。

 

「こ、怖かった……」

 

返ってきたのは、そんな率直な感想だった。

みーちゃんは胸元で両手を握りしめている。

隣の心も、愛里も似たような様子だ。

 

Cクラスの視線が集まっていたのは俺に対してだ。

だが、それと威圧感を受けるかどうかは別問題なのだろう。

龍園を中心としたあの集団は、それだけで周囲へ圧力を与える。

慣れていない人間なら尚更だ。

三人とも、未だに緊張が抜け切っていないらしい。

ふるふると肩を震わせている。

 

周囲へ目を向ける。

いつの間にか、廊下には野次馬が集まっていた。

もっとも、龍園たちが去った今となっては、その大半も解散し始めている。

それでも、どこか落ち着かない空気だけは残っていた。

昼休みらしい賑やかさはまだ戻っていない。

先ほどまでのやり取りが、それなりに注目を集めていた証拠だろう。

 

「……一応気を配っておくか」

 

三人に聞こえない程度の声で呟く。

 

龍園自身はともかく、Cクラスとの接触が増える可能性はある。

必要以上に警戒するつもりはない。

だが、警戒しなさすぎるのも問題だ。

少なくとも、しばらくは様子を見ておくべきだろう。

 

 

「綾小路くん、一緒に帰らない?」

 

放課後。

生徒会の仕事を終え、荷物をまとめていたところで、一之瀬から声をかけられた。

 

生徒会室には、もうほとんど人が残っていない。

橘先輩は少し前に席を立ち、生徒会長の姿もない。

時計は既に4時を回っていた。

 

「ああ、構わないぞ」

 

断る理由もない。

 

俺も鞄を肩にかけ、生徒会室を後にする。

廊下を並んで歩きながら、自然と話題は近付いている期末試験へ移った。

 

一年生にとっては二度目の定期試験。

クラス順位にも関わる以上、どのクラスも気を抜けない。

 

「綾小路くんは何点目標にするの?」

 

一之瀬が興味深そうに尋ねてくる。

その表情は明るい。

成績優秀者らしく、試験そのものを前向きに捉えているのだろう。

加えて、今現在CPを上げる方法が試験合格しかないため、という理由もあるのかもしれないが。

 

「もちろん満点だ」

 

迷うことなく答える。

冗談ではない。

本気で狙うなら、それ以外に設定する理由がない。

 

「す、すごい自信だね」

 

一之瀬は目を丸くした。

驚いているというより、半ば感心しているような反応だ。

 

普通なら大口と受け取られてもおかしくない。

だが、一之瀬は人を頭ごなしに否定するタイプではなかった。

 

「嫌味に聞こえるかもしれないが、高校の範囲はとっくの昔に履修済みでな」

 

事実をそのまま口にする。

ホワイトルームでは年齢に合わせた教育など行われない。

 

必要なら先へ進み、理解したなら次へ行く。

それだけだった。

 

「昔から頭良かったんだね」

 

一之瀬は素直にそう言った。

そこに嫉妬や嫌味はない。

純粋な感想。

 

だからこそ返答に少し迷う。

 

頭が良かったのか。

それとも、そうなるよう作られたのか。

その違いは案外大きい。

 

そろそろ一之瀬にもホワイトルームのことを教えていいかもしれない。

 

生徒会に入ってから接する機会も増えた。

ある程度の信頼は築けている。

過去を明かす相手として不足はないだろう。

 

そう考え、口を開きかけた。

 

そのときだった。

後ろから、不意に声が飛んでくる。

 

「アンタが綾小路?」

 

振り向くと、見慣れない女子生徒が立っていた。

 

長い髪を無造作に流し、気怠げな表情を浮かべている。

制服こそ着崩していないが、どこかやる気のなさを感じさせる雰囲気だった。

 

こちらを観察するような視線。

敵意とも違う。

興味とも少し違う。

 

何かを確かめるように、じっと見られている感覚があった。

 

隣にいた一之瀬が、彼女の顔を見て小さく声を上げる。

 

「えっと、Aクラスの神室さんだよね?」

 

だが、女子生徒は答えない。

肯定も否定もなく、ただ俺から視線を外さなかった。

おそらく一之瀬の言う通り、神室というのだろう。

 

俺は改めて彼女を見る。

Aクラスの生徒……それだけで警戒する理由にはならないが、わざわざこちらを訪ねてきた以上、何かしらの用件はあるはずだ。

 

「俺が綾小路だが」

 

確認するように告げる。

神室は短く頷いた。

 

そして、

 

「着いてきて」

 

それだけ言った。

 

説明もなければ前置きもない。

用件を話す気すらないらしい。

言うが早いか、神室はくるりと背を向ける。

こちらの返事を待つ様子もなく、そのまま歩き始めてしまった。

 

「私も着いて行った方がいいよね?」

 

神室の背中を見ながら、一之瀬が小声で尋ねてくる。

その表情は柔らかいが、視線にはわずかな警戒が混じっていた。

無理もない。

 

少し前まで、他クラスの生徒に呼び出されるなど面倒事の前触れでしかなかった。

しかも相手はAクラス。

 

用件も告げずに連れて行こうとしている以上、警戒しておくべきである。

俺は歩き続ける神室の背中を見る。

特に急かす様子はない。

だが待つつもりもないらしかった。

 

「頼む」

 

短くそう返す。

一之瀬はほっとしたように頷いた。

 

「うん。じゃあ一緒に行くね」

 

その声には、どこか安心したような響きがあった。

一人で行かせるのは少し不安だったのかもしれない。

 

もっとも、それは俺も同じだ。

Aクラスの生徒に呼び出される理由に心当たりがない以上、用心するに越したことはない。

 

「待たせると機嫌を損ねそうだな」

「それはあるかも」

 

一之瀬が苦笑する。

 

実際、神室は一度も振り返らない。

俺たちが着いて来ているかどうかすら確認していなかった。

まるで来るのが当然だと言わんばかりである。

 

「結構マイペースな人だからね」

「知り合いなのか」

「同じ学年だし、名前くらいは。ほとんど話したことはないけど」

 

そうこうしているうちに、神室との距離が少し開いていた。

彼女は依然として無言のまま歩き続けている。

用件を伝える気配はない。

仕方なく、俺と一之瀬はその後を追った。

 

 

しばらく進むと、見慣れない廊下の景色が広がり始めた。

自然と足が向かう先を見れば、そこにはAクラスの教室がある。

その光景を確認して、わずかに肩の力が抜けた。

少なくとも、前回のような乱闘騒ぎにはならなさそうだ。

 

人目につかない場所へ連れて行かれるわけでもない。

わざわざ教室付近まで来ている以上、表立って話せる内容なのだろう。

もっとも、相手がAクラスである以上、油断する理由にはならないが。

 

そんなことを考えていると、先を歩いていた神室が足を止めた。

そして、

 

「連れてきたわよ」

 

ぶっきらぼうにそう言った。

誰に向けた言葉なのか考える間もなく、教室の奥からコツ、コツという規則正しい音が聞こえてくる。

 

足音ではない。

硬い何かが床を叩く音だ。

 

やがて姿を現したのは、小柄な女子生徒だった。

整った制服。

落ち着いた佇まい。

何より目を引くのは、左手に持った一本の杖だった。

その少女は俺たちの前まで来ると、神室へ向けて軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、神室さん」

 

丁寧な口調。

神室とは対照的な印象だった。

対する神室は、面倒そうに口を開く。

 

「私帰っていい?」

「ええ、構いませんよ」

 

少女がそう返すと、神室は「あっそ」とだけ呟く。

それからこちらを一瞥することもなく踵を返した。

本当に興味がなかったらしい。

用件を終えた瞬間には、もう別のことを考えているような足取りだった。

 

足音だけが遠ざかり、やがて聞こえなくなる。

廊下には俺と一之瀬、そして杖を持った少女だけが残された。

 

「お久しぶりです綾小路くん。8年と159日ぶりですね」

 

穏やかな声音だった。

まるで昨日会った知人に挨拶するかのような自然さ。

だが、その内容はまったく自然ではない。

 

8年と159日、あまりにも具体的すぎる数字だった。

 

「悪いがお前と会ったことはないな。何かの間違いじゃないか?」

 

記憶を探ってみても、目の前の少女に心当たりはない。

少なくとも、この学校に入ってから会った覚えはなかった。

 

「いいえ、間違いではありませんよ」

 

少女は即座に否定する。

迷いも躊躇もない。

 

「私が一方的に知っているだけですから」

 

その言葉に、思わず少女の顔を見た。

一方的に知っている──言葉の意味自体は理解できる。

だが、問題はその前に口にした年月の方だ。

 

8年と159日。

 

偶然で出てくる数字ではない。

少なくとも、相手は何らかの根拠を持ってその数字を口にしている。

 

そして、今から8年前というと──。

 

隣では、一之瀬が完全についていけていない様子だった。

視線が俺と少女の間を行ったり来たりしている。

 

「えっと……どういうこと?」

 

当然の疑問だろう。

俺自身も説明を求めたい立場だ。

すると少女は、初めて一之瀬へ視線を向けた。

穏やかな笑みは崩れない。

だが、その言葉は少しだけ棘を含んでいた。

 

「あら、部外者が1人紛れ込んでいるようですね」

 

言われた一之瀬が目を瞬かせる。

さすがに露骨な言い方だった。

敵意があるというよりは、純粋に事実を述べているだけのようにも聞こえる。

 

それが余計に質が悪い。

一之瀬も同じことを感じたのか、困ったように苦笑した。

 

「あっははは……えっと……私、Bクラスの一之瀬です」

 

律儀に名乗る。

だが少女の方は特に反応を示さなかった。

興味がないのか、それとも最初から知っているのか。

 

判断はつかない。

ただ一つ分かるのは、彼女の関心が最初から俺にしか向いていない、ということだった。

 

「私は今から彼と話をしなければならないのです。一之瀬さん、あなたにはお引き取り願い──」

「いや、そのままで構わない」

 

少女が言いかけたところで、俺は口を挟む。

隠し事をするつもりはない。

少なくとも、一之瀬を追い払ってまでしなければならない話だとは思わなかった。

 

少女はわずかに目を細める。

意外だったのかもしれない。

 

隣の一之瀬も、少し驚いたようにこちらを見た。

 

「大事な話があるんじゃないの?」

 

遠慮がちに尋ねる。

だが、その場を離れる気配はない。

俺が残れと言った以上、従うつもりなのだろう。

 

少女はしばらく無言だった。

まるで何かを計算しているように。

やがて小さく息を吐く。

 

「……なるほど」

 

その声音には、妙な納得が混じっていた。

 

「自身でホワイトルーム出身だと触れ回っているというのは事実でしたか」

 

一之瀬の肩がぴくりと揺れる。

 

聞き慣れない単語に反応したというより、少女が当然のように口にしたことに驚いたらしい。

 

一方で俺は、そこまで大きな動揺はなかった。

 

驚くべきは、彼女がその単語を知っていることの方だ。

 

「事実というには語弊があるが……まあ知っている生徒は少なくはないだろうな」

 

実際、仲の良い友人には既に話しているし、そもそもDクラスには自己紹介の時点でさらけ出している。

生徒会長も薄々勘付いているだろう。

秘密として抱え込んでいる段階は過ぎていた。

もっとも。

 

「普通は信じないだろうがな」

 

付け加えると、少女はわずかに口元を緩めた。

 

「そうでしょうね」

 

否定しない。

それどころか、当然だと言わんばかりだった。

 

「ホワイトルームという単語だけ聞けば、作り話だと思われても仕方ありません」

 

その言い方は、まるで実在を知っている人間のものだった。

俺は改めて少女を見る。

杖を持つ小柄な少女。

落ち着いた物腰。

 

そして、最初からホワイトルームという存在を疑っていない態度。

 

少なくとも、この話題を聞いて目を輝かせるような好奇心の類ではない。

 

知識がある……それも、かなり深いところまで。

そんな印象を受けた。

 

「2人にも俺の過去……ホワイトルームについて知ってもらおう。それと、俺の目的も」

 

そう切り出すと、一之瀬は驚いたように目を瞬かせた。

 

目の前の少女──少なくともホワイトルームという単語を知る人物を前にして、今さら隠し立てをする意味は薄い。

 

もちろん、俺自身も全貌を知っているわけではない。

知っているのは自分が体験した範囲だけだ。

それでも概要を説明するには十分だった。

 

人工的な英才教育施設、ホワイトルーム。

徹底した競争、脱落、選別。

そして教育という名目の下で行われていた様々な実験。

 

語っている間、一之瀬は何度も表情を変えた。

信じられないという顔。

理解しようとする顔。

言葉を失う顔。

 

対して少女の方は終始静かだった。

まるで既に知っている内容を確認しているかのように。

 

説明が終わる頃には、一之瀬の顔にははっきりと困惑が浮かんでいた。

 

「な……なんだか信じられない話だね」

 

無理もない。

俺自身、外の世界で育ち、いきなりそんな話を聞かされたら同じ反応をしただろう。

 

すると少女が小さく笑った。

 

「ふふ、あなたも生徒会役員ですから綾小路くんの優秀さは肌で感じているのではありませんか?」

「そう……だね」

 

一之瀬は苦笑する。

完全に納得したわけではない。

だが否定もできない。

 

俺が見せてきた能力の片鱗が、その話の裏付けになってしまっているからだ。

 

しばしの沈黙。

その後、俺は続ける。

 

「俺の目的はホワイトルームを潰すことだ」

 

一之瀬の目が大きく開かれた。

少女の方も、わずかに興味を示したようだった。

 

「なるほど……かなり長期的な計画ですね」

 

穏やかな口調のまま言う。

まるで事業計画でも聞かされたかのような反応だった。

 

「しかし、どうしてそのような結論に?」

 

俺は少しだけ考えてから答える。

 

「効率の問題だな」

「効率?」

「ここも生徒の育成にかなりの費用が注ぎ込まれているが、ホワイトルームはその比じゃない」

 

国家規模。

いや、リソースの集約ということを考えるとそれ以上と言ってもいい。

投入されていた資金も人員も常識の範囲を超えていた。

 

「その割に、俺程度の能力を持った人間しか生まれなかった」

 

淡々と告げる。

事実だからだ。

自己評価でも謙遜でもない。

純粋な結果として。

 

「どうやら俺はホワイトルームの最高傑作らしい」

 

そう言うと、一之瀬は思わず呆れたような顔になった。

 

「その言い方だと自慢してるみたいに聞こえるよ?」

「実際は逆だ」

 

俺は肩をすくめる。

 

「最高傑作が俺程度という時点で、費用対効果は最悪だろう」

 

ホワイトルームが目指したのは天才の量産。

だが結果として生まれた最高到達点が俺一人。

それも十数年という時間と莫大な資源を費やした末の話だ。

少なくとも教育機関として見れば、成功とは言い難い。

 

少女はその言葉を聞きながら、静かに目を細めた。

まるで何かを確認するように。

 

「では、あなたは私たちに何を望むのですか?」

 

少女は静かに問いかける。

試すような口調ではない。

純粋に答えを求めている声音だった。

 

俺は少しだけ間を置いた。

答え自体は決まっている。

だからこそ、言葉にするのは妙な感覚だった。

 

「俺を救って欲しい」

 

その瞬間、少女の目が大きく開かれた。

今まで崩れなかった表情が、初めて明確に変化する。

隣では一之瀬も息を呑んでいた。

おそらく、予想していなかったのだろう。

ホワイトルームを潰したい。

そのために協力してほしい。

そういう話だと思っていたはずだ。

 

だが俺が口にしたのは、もっと曖昧で、もっと個人的な願いだった。

 

「あなたほどの能力があれば何でもできるのでは?」

 

少女がそう問い返す。

疑問というより、本心からの感想のようだった。

この学校での俺の評価。

ホワイトルームの話。

それらを総合すれば自然な結論なのだろう。

しかし。

 

「俺はそうは思わないがな」

 

首を横に振る。

 

「人間が社会的動物である以上、できることなんてたかが知れている」

 

どれだけ能力があろうと。

どれだけ知識を持っていようと。

一人でできることには限界がある。

それはホワイトルームで嫌というほど理解した。

 

競争には勝てる。

試験でも結果を出せる。

人を出し抜くこともできる。

だが、それだけだ。

 

「俺に今できるのは手数を増やすことだけだ」

 

利用できる人間を増やす。

協力者を増やす。

味方を増やす。

結局のところ、俺が取れる手段もその程度に過ぎない。

 

もっと根本的な解決を一人で成し遂げられるほど、人間という生き物は万能ではない。

一之瀬は黙って話を聞いていた。

その表情には複雑な感情が浮かんでいる。

俺のことを知っているからこそ、違和感があるのだろう。

綾小路清隆という人間と、「救ってほしい」という言葉が結びつかない。

そんな顔だった。

 

俺自身も同意見だ。

数年前の俺なら、そんな言葉を口にすることすらなかっただろう。

 

「いっその事、人外の領域まで足を踏み込めたのならまた違う考えにも至ったのだろうが」

 

半ば冗談のように呟く。

しかし、それは本音でもあった。

完全な超人。

誰にも頼らず、誰にも影響されず、すべてを自力で解決できる存在。

もしそんなものになれていたなら、他人に救いを求める必要もなかったのかもしれない。

 

だが、

 

「生憎、人間のままだ」

 

だからこそ限界がある。

だからこそ手を借りる必要がある。

だからこそ──救いを求めるしかない。

 

「……わかりました。そういうことでしたら、私も協力させて頂きます」

 

坂柳は静かにそう告げた。

その返答はあまりにもあっさりしていて、一之瀬が思わず目を瞬かせる。

もっと悩むものだと思っていたのかもしれない。

だが坂柳の表情には迷いが見当たらない。

まるで最初から答えが決まっていたかのようだった。

 

「口ぶりから察するに、優秀な人だけを望んでいるわけではないのでしょう?」

 

試すような視線が向けられる。

俺は小さく肩をすくめた。

 

「ああ」

 

能力は重要だ。

だが、それが全てではない。

むしろホワイトルームで生きてきたからこそ、その考えには至れなかった。

 

「人生何がきっかけで動くかわからないからな」

 

俺がここに来たように。

 

実際、この学校に来てから何度も予想外の出来事を経験している。

ホワイトルームなら価値を見出さなかった人間たちが、今では確かな影響を与えていた。

 

「勝手に芽吹いてくれるのなら種は蒔いておくべきだろう?」

 

その言葉を聞いて、坂柳は楽しそうに笑った。

 

「フフフ」

 

上品な笑い声だった。

 

「楽しいゲームになりそうです」

 

ゲーム。

 

その表現に違和感はない。

少なくとも坂柳にとっては、そういう認識なのだろう。

先の読めない盤面。

様々な思惑。

予測不能な成長。

確かに退屈はしなさそうだった。

すると今度は、一之瀬が一歩前に出る。

 

「私も協力するよ!」

 

勢いよく言った後、

 

「……私じゃ力になれるかわからないけど……」

 

少しだけ声が小さくなった。

らしい反応だった。

自信満々に言い切ることもできるだろうに、最後の最後で遠慮が顔を出す。

 

「別に無理にとは言わないが」

 

俺がそう返すと、一之瀬は首を振った。

 

「ううん、協力したいからするの」

 

その返答は妙に真っ直ぐだった。

損得ではない。

打算でもない。

だからこそ一之瀬らしい。

俺は軽く息を吐く。

少なくとも、これで二人。

協力者が増えたことになる。

 

「……そうだ、お前の名前は?」

 

ふと気になって尋ねる。

ここまで話しておいて、まだ正式な名を聞いていなかった。

 

すると坂柳は「あら」と小さく声を漏らした。

そして口元に手を添える。

 

「昂って自己紹介を忘れていました」

 

今までの落ち着いた態度からは想像しづらい言葉だった。

 

「私、坂柳有栖と申します」

 

そう言って、優雅に一礼する。

杖を持っているにもかかわらず、その動作には不思議な気品があった。

そして顔を上げると、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「ぜひ、有栖とお呼びください」




投稿できてなくて申し訳ございません。
前回投稿してから既に4ヶ月と、どこまで進んだのか忘れている方もいらっしゃるかもしれません。
やることは確かにありましたが、決して執筆の時間を取れないという程忙しかったわけでもないので、つまるところ私個人の怠慢です。
というかアニメまで始まってもう終わりそうなのに私は何をやっているんでしょうか。
そしてここまで待たせておきながらストックすらない。
私はカスです。

本来であればここのあたりで一之瀬が告白されますが、今回は綾小路に相談せずに自力で解決したということで。
一之瀬の見立てでは周りに好意を持っている女子が数名いたので、綾小路に彼氏役を頼むのは気が引けたのでしょう。

また、ホワイトルームを潰したい理由を大雑把に言い換えると「15年もかかって異端児一人生み出せないのか。なら要らんな」ってことです。
倫理的にどうとかは全く気にしていません。
ただし、この異端児というのは綾小路視点であり、周囲がどう思うかといえば……まあご察しの通りですね。

綾小路を生徒会長に

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