好奇心の下僕   作:かんぱにい

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ラルフ・ワルド・エマーソン 『アメリカの学者』


恐怖はつねに無知から発生する。

 

「喜べお前たち。今回の試験での退学者はゼロだ」

「よっしゃぁぁあああ!!!!」

 

試験返却の日、茶柱先生の言葉に教室中が沸き上がっていた。

中には感極まって泣き出す生徒までいた。

そんな中、隣人である堀北が小声で話しかけてきた。

 

「……本当に、全員を助けたのね」

「いや、特にそんなつもりはないぞ」

 

これは謙遜でも何でもなく、俺の本心である。

試験問題を手に入れておきながら、10日以上何もせずに遊び呆け、赤点を取るような生徒がいれば、当然救済などしなかった。

その基準は俺の中で冷静に線引きされていた。

まあ、櫛田や平田なんかはほぼ毎日のように、勉強会に参加していたクラスメイトが答えを覚えているか確認していたようだが、俺は流石にそこまで手厚くはない。

俺はというと、いざ別の問題が出ても問題がないように難易度や数字を変えて教えていた。

手を抜いたわけではないが、必要以上の世話を焼くつもりもない。

 

「おめでとう諸君。無事中間試験を乗り切ったようで何よりだ。国語と社会は同率1位……満点が15人以上もいた」

 

黒板に張り出された紙にはクラスメイト全員分の名前が書かれており、俺を含め10人の生徒が全教科満点を取ったことが分かる。

 

「クラス平均点もAクラスを差し置いての1位だ。これは快挙だ。誇ってもいいぞ」

 

随分と白々しい態度を取る先生である。

俺たちが過去問を使ったことを悟っておきながら、それを咎めようとしないということは、やはりこういった裏工作は黙認されているということなのだろう。

その証拠に、先生の口元には、微妙に含みのある笑みが浮かんでいた。

 

「ああ、そういえば言い忘れていたが、赤点はクラス平均点の半分だからな。次回から気をつけておくように」

「あっぶな! せんせーそういうことは早く言ってくださいよー!」

 

「平均点の半分、ね……」

 

堀北が小さく呟く。

今回はほとんどの生徒が危なげなく回避できたが、次回からはこう上手くはいかないだろう。

実際、山内の数学はあと2点で赤点だった。

顔色が悪くなっているところを見るに、充分に危機感を煽ることはできたようだ。

 

「何か質問はあるか? ……ないな。これでHRを終わる」

 

茶柱先生が去ると、またしても教室は歓喜と興奮の坩堝と化した。

息を弾ませる声、机を揺らす振動──そのすべてが、不安が消え去った証拠だ。

喜びたい気持ちは理解できる。

 

「皆! 水を差すようで悪いんだけど、授業は集中してくれないかな? もちろん喜びたい気持ちは僕も同じだ。でもここでクラスポイントを下げられないようにしよう!」

 

流石は平田だ。

その声が教室に響くと、徐々にざわめきが静まり、皆が席へ戻り始めた。

浮かれている彼らもわかってはいるだろう。

cpを減らさないよう授業には真面目に取り組まないといけないことに。

ただ、自分だけで意識するのと他人から言われた上で意識するのとでは、気の引き締め方がまた違ってくるだろう。

 

俺は、女子がどんな願いを言ってくるのか考えながら──ほんの少しだけ戦々恐々としながら──、1時間目の準備を始めた。

 

 

「改めて、中間試験よく頑張ったな」

 

放課後、勉強会をしていたメンバーで集まっていた。

全員が平均点を大きく上回る結果となったことに、自分としては満足している。

一方で、集まった女性陣の表情はあまり優れているとは言えない。

 

「そう言われても、さ」

「あともう少しだったのに……」

 

はっきり言うと、落胆した表情が浮かんでいる。

特に麻耶は、随分と気落ちしているようだ。

数学と理科で惜しくも95点以上を逃してしまったためだろう。

 

「惜しかったな。皆もう少しで全科目95点以上だったぞ」

「直前にやった問題に釣られちゃった……」

「私も……」

「そうは言っても、もし過去問と試験問題が違ったら、何もできずに終わってしまったかもしれないぞ。それに、十中八九次回以降の試験ではこの方法は使えないだろうな。早いうちから勉強はできるようになっておいて損はない」

「それはそうなんだけどね……」

 

一方で、ニコニコと微笑んでいるのは千秋である。

俺と同様の点数、つまり全教科満点を取ったのである。

その笑顔は普段よりも柔らかく、嬉しさが素直に滲み出ている。

数学と英語で満点、他の科目も95点を越えていたみーちゃんもまた、どこか喜びを隠しきれていない様子が見られる。

 

「千秋、みーちゃん、おめでとう。約束通り、何でも言うことをひとつ聞こう。先に点数が高かった千秋から聞こう」

「う〜ん、そうだな〜。じゃあ清隆君、次の土曜日、デート行こうよ」

「で、デート!? 千秋ちゃんズルいよ!」

「わかった。次の土曜日だな?」

 

思い返せば、休日に彼女らと出掛けることは何度もあったが、1対1というのは初めてかもしれない。

 

「みーちゃんはどうする?」

「私は……」

「? ……どうかしたか?」

「あの、どうか、佐倉さんを助けてあげて!」

 

みーちゃんの言葉を聞いた瞬間、場の空気がふっと変わった。

それまで明るく弾んでいた話題が、急に重く沈んだような……そんな感覚。

 

「……佐倉を、助ける?」

 

思わず復唱すると、みーちゃんは不安げに視線を泳がせながら、小さく頷いた。

 

「うん……。清隆君なら、きっとどうにかしてくれると思って……」

 

理由を聞こうとしたところで、遠くから佐倉がゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。

 

 

みーちゃんからの相談を受けた俺は、彼女と心、そして千秋を連れて自室に戻ってきた。

麻耶、かや乃、さつきは気を利かせたのか、この場にはいない。

千秋も帰ろうとしていたが、過去問を入手してくれたことについて直接感謝したいということで着いてきてもらっている。

 

「あ、あの、過去問をくれてありがとうございました」

「いいよいいよ、気にしないで」

「そーそー、全部清隆君のおかげだから」

 

深々と頭を下げる佐倉。

人に囲まれているからか、俺という男の部屋に入ったからか、あるいはその両方か──緊張しているのが見てとれる。

そして、千秋がこの場にいるということは、当然櫛田もこの場にいる。

 

「櫛田の言う通りだ。気にする必要はない。敬語もいらないぞ」

「わかりま、わかった。……あの、王さんが渡してくれたプリントって、綾小路君が作ってくれたんだよね?」

「ん? ああ、そうだ」

「どうして、私なんかのために……」

「どうして、か……」

 

改めて何故佐倉にも勉強を教えることになったのか考えてみる。

……まあ、偶然というか、気が向いたから、というのが1番の要因だろう。

俺が窓側の最後列でなければ、佐倉の様子も目には入らなかったはずだ。

とは言え、流石にこのまま伝えるのは俺としても気が引ける。

何か良い表現はないかと思考を巡らせていると、ふと櫛田と目が合った。

 

「……そうだな、櫛田の言葉を借りるとするなら、クラスメイトだからだ」

 

そう告げた時、佐倉の肩がわずかに震えた。

うつむいた横顔は、安堵と戸惑いが入り混じった複雑な色をしていた。

自分に自信が持てていないのだろう。

──だが今は、そんなことを気にしている余裕はない。

 

 

 

「……それで、今日この場に来てもらったのは、みーちゃんから相談を受けたからなんだが」

 

その言葉を聞いた途端、丸まっていた背中を更に丸め、怯えた様子を見せる佐倉。

 

「ある程度は聞いた。だが、一応詳しく聞かせてくれ」

「……最近、その……困ってて……」

 

言いよどむ佐倉。

指先が震えており、強く握った手は白くなっていた。

 

「実は私…………アイドルをやってたの」

「アイドル?」

「うん。……それで、自分でもブログとか書いてるんだけど……この頃変なコメントが多くなってきて」

「見てもいいか?」

「どうぞ……」

 

佐倉からスマホを借り、ブログを見る。

櫛田や千秋も横からちらっと覗き込んだ。

 

「アイドルって、グラビアアイドル!?」

「すごいね、佐倉さん。いっぱいいいね来て……っ!?」

 

最初の方は大した問題はなかった。

可愛い、綺麗、スタイル抜群……彼女が未成年だということを加味しても、特に気になるようなコメントはなかった。

 

しかし、ある日を境に、コメント欄に危険な香りが漂い始めた。

 

「これは……」

「もはやストーカーじゃん……」

 

佐倉から何かアクションを起こしていなかったためか、コメントはどんどんエスカレートしていく。

更に、日付が今年の4月になってからは、俺から見ても気持ちが悪いとしか言いようのないものとなっていた。

 

「学校には言ったのか?」

「い、言えないよ……! 私のせいで騒ぎになったら、迷惑だし……。それに……怖くて……。どうすればいいのか分からなくて……」

 

堪えていたものが溢れたのか、佐倉の目に涙が滲んだ。

声を上げることはしないが、肩が小刻みに震えている。

 

「……それで、俺に?」

「うん……。綾小路君なら、きっと冷静に考えてくれると思って……。お願い……助けてほしいの……」

 

言い終えると同時に、佐倉は深々と頭を下げた。

髪がさらりと揺れ、弱々しい呼吸が耳に届く。

 

俺は一瞬だけ目を閉じる。

状況を整理し、必要な対策を考える。

そのうえで、静かに答えた。

 

「わかった」

「……いいの?」

「ここまで聞いて放っておくつもりはない」

 

顔を上げた佐倉の目には、まだ怯えが残っていたが、わずかに安堵の色も宿っていた。

 

「ありがとう……綾小路君……本当に……」

 

小さく震える声。

その姿を見て、俺はひとつだけ確信する──これは、早急に対処すべき問題だ。

 

 

「でも、どうやって対処するの? インターネットのコメントなんて、アカウント変えたりすればいくらでもできるよね?」

「それに、確かストーカーって、実際に被害がないと警察は動いてくれないらしいよね」

 

佐倉の顔から一気に血の気が引いた。

櫛田の淡々とした言葉、千秋の現実的な指摘。それらが容赦なく胸に突き刺さったのだろう。

 

「そ、そんな……」

 

声は掠れ、佐倉の膝から力が抜けた。

そのまま床に崩れ落ちるように座り込み、震える指で制服の裾を握りしめる。

 

「佐倉さん!」

 

みーちゃんが慌ててしゃがみ込み、佐倉を支えた。

背中を優しくさすりながら、必死に落ち着かせようとしている。

 

「大丈夫……? ねぇ、立てる?」

「……ご、ごめん……」

 

目に涙を浮かべたままの佐倉は、まるで今にも壊れそうなガラス細工のように弱々しい。

 

「清隆君、何とかならないの?」

 

みーちゃんが俺を真っ直ぐに見つめてくる。

その目には必死さが宿っていた。

佐倉をどうにか救いたいという、切実な願いが滲み出ていた。

俺は短く頷き、画面を数度タップする。

 

「恐らくやりようはある」

「……ほんとに?」

 

佐倉の震えた声が届く。

荒い呼吸の中に、わずかな希望が混じっていた。

 

「このコメントを見てくれ」

 

俺はスマートフォンの画面を皆の前に差し出す。

そこには、ブログに投稿された数行の書き込みがあった。

 

《今日は雫ちゃんと目が合ったね!》

《明日も会いたいな》

《僕と君は運命の赤い糸で繋がってるよ》

《ずっと君を見てるから》

 

ただの偶然や悪戯では済まされない──むしろ明確な悪意と執着。

読んだ瞬間、部屋の空気が一段冷たくなった。

 

「こんなの……もう」

 

佐倉の声が、かすかに震える。

その指先は、まるで凍えるように固まっていた。

俺は静かに言葉を続ける。

 

「この“明日も会いたい”という文言……場所の特定が前提になっている。つまり、投稿者は佐倉の行動範囲を把握している可能性が高い」

 

櫛田が息を呑み、千秋が表情を強張らせた。

 

「これだけでも、ただのネット上の嫌がらせとは違う。行動の予告──いわば“接触意思”。警察が動くラインに十分引っかかる可能性がある」

「つ、つまり……!」

 

佐倉が縋るように俺を見る。

俺は視線を受け止め、確信を持って答えた。

 

「これは“実害の可能性がある脅迫”。放置できる段階ではないということだ」

 

佐倉の肩が、震えながらもわずかに上下した。

絶望に埋もれかけていた顔に、ほんの少しだけ安堵の色が灯る。

 

「何となくだが……佐倉、このコメントを書いている相手に予想が付いているんじゃないか?」

 

俺の問いかけに、佐倉はピクリと肩を跳ねさせた。

図星だったのだろう。

視線がさまよい、唇がわずかに震える。

しばらく沈黙が続いたのち──彼女は、搾り出すように言った。

 

「……うん。4月にデジカメを買ったときの、店員さん」

 

言葉にするだけで怖いのだろう。

その声はか細く、途中で今にもちぎれそうだった。

 

「店員さん……?」

 

心が眉をひそめる。

 

「佐倉さん、どういうこと……?」

 

みーちゃんも不安そうに顔を寄せた。

佐倉は、ぎゅっと自分の両手を握りしめた。

思い出すだけで足が震えるのか、腰がまた沈み込みそうになる。

 

「そ、その……デジカメって、ちょっと高いし、色々説明されてたの。最初は普通に優しくて……『写真が好きなんですね』って、色々話しかけてきて……」

 

そのときの記憶が蘇ったのか、彼女の喉が小さく鳴った。

 

「で、でも……帰り際に、『また来てくださいね。待ってますから』って、笑って……その時は深く考えなかったんだけど……」

 

一呼吸置き、震えがさらに強くなる。

 

「その日の夜、ブログに、あのアカウントからさっきのメッセージが来て……」

 

櫛田が息を呑み、顔を強張らせた。

みーちゃんも、思わず佐倉の手を握る。

佐倉の声が震え、目には涙が滲み始めた。

 

「だから……多分、その人……」

「例の『見てるから』って言うのも?」

 

心が小声で尋ねる。

佐倉は、ゆっくりと頷いた。

その頷きは重く、恐怖の影に縛られているようだった。

俺は彼女の言葉を整理しつつ、静かに尋ねる。

 

「4月の段階ですでに佐倉の正体に気付いて、今も継続してる。……なら、ただの偶然でも悪戯でもない。明確に“執着”している相手だ」

 

佐倉の肩がまた震えた。

しかし先ほどよりも、震えには“助けを求める意思”が混じっている。

 

「佐倉」

 

俺はゆっくりと言った。

 

「その店員の特徴を教えてくれ。話し方、見た目、名前を知っていればそれも。小さなことでもいい」

 

佐倉は涙を指で拭いながら、必死に記憶を辿り始めた。

 

「……わ、わかった……思い出せる範囲で話す……」

 

部屋の空気が、一気に緊張で張り詰める。

 

「ああ、そうだ千秋。悪いが土曜日のデートは延期だ」

「……ま、仕方ないか」

「佐倉。土曜日俺とデートに行こう」

「……ふぇ!?」

 

──ここから先は、確実に“対処”の段階に入る。

 

 

夕方の裏路地。

人気のない細い道を、沈んだ夕暮れの光がかろうじて照らしていた。

 

その奥に──俺と佐倉の行く手を遮るように、男が立っていた。

 

40代前半。

電気屋のジャンパーを着たまま、場違いな笑みを浮かべている。

佐倉を見た瞬間、その顔が歓喜で歪んだ。

 

「……やあ、雫ちゃん」

 

その一言で佐倉の肩がびくりと跳ねた。

普段の“佐倉愛理”としての名前ではない。

グラビアアイドルとして活動している時の名前──“雫”。

その呼び方を知っているという事実だけで、男がどれほど彼女を追っていたかがわかる。

 

「ずっと探してたんだよ。今日こそ会えるって、わかってた」

 

男の目は粘つくように佐倉へ貼りつき、歩み寄ろうとしてくる。

俺は一歩前に出て、男の視線を遮った。

 

「佐倉に近づくな」

「その子……僕と話があるんだよ。ちょっとどいてくれるか?」

 

佐倉は怯えて、俺の背中に隠れる。

男は一歩近づく。

俺はその前に立ちふさがった。

 

「話? 聞こえなかったか。彼女は俺と出かけている最中だ」

 

男の笑顔が瞬時に壊れ、怒りの表情に変わる。

 

「……雫ちゃんの邪魔をするな。彼女は僕を求めてるんだ……! 約束したんだ! 店で見たあの優しい目……忘れられない……!」

 

男は陶酔したようにペラペラと語り出す。

俺はあえて挑発的な声音で、冷淡に返した。

 

「妄想だよ。それは」

 

男の顔がゆっくりと赤黒く染まり、怒りが爆ぜる。

 

「黙れって言ってんだろッ!!」

 

その瞬間、男が俺に向かって飛びかかってきた。

俺は一歩退きつつ、わざと受け止めるように衝突させる。

男が完全に『暴行の加害者』となるよう、動きを誘導して。

 

──そして。

 

裏路地の入口近くで、偶然通りかかったふたりの少女の悲鳴が響いた。

 

「きゃあああああっ!! 誰か──っ!!」

「ぼ、暴行事件です! だれか来てください!」

 

みーちゃんと心が、通行人として声を上げる。

彼女たちの細い叫びは思いのほか大きく、路地に反響した。

男は一瞬ひるむ。

そのすぐ後ろから、荒い息の千秋と櫛田が、制服姿の警備員を二人連れて走り込んでくる。

 

「こっちです! 早く!」

「この奥です! 暴れてる人がいます!!」

 

警備員が男を押し倒し、腕を背中へねじ上げる。

 

「動くな!」

 

腕を後ろへねじ上げられ、男は地面に押さえつけられる。

それでも佐倉を見つめ、必死に言葉を搾り出した。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 雫ちゃん! 君は……君は僕を必要としてるだろ!? だって、あの時──あの微笑みは……! 僕のこと……見てただろ……?」

 

うわごとのように繰り返す男の声が、裏路地に響く。

取り押さえられたまま、それでも男は佐倉に手を伸ばそうとした。

警官が押さえつける力を強める。

佐倉は震えながらも、俺の手を取って前に出た。

その瞳は怖さで潤んでいるのに、声だけはしっかりしていた。

 

「……私は“雫”じゃありません。あなたが思っているような関係でもありません。店で対応しただけです……。あなたを必要としたことなんて、一度もない」

 

男の表情が崩れ落ちる。

 

「う、そだろ……雫ちゃん……?」

「私を追わないでください。怖かったんです……ずっと」

 

警官たちが男をパトカーへ連れ込む。

男は連れて行かれながら、何度も何度も叫んだ。

 

「雫ちゃぁぁああん!! 僕は……僕は……ッ!」

 

叫び声は、ドアが閉まると同時に途切れた。

 

静寂が戻った裏路地で、佐倉はその場に崩れ落ちそうになる。

 

「……大丈夫だ。全部終わった。あの男はもう、二度とお前に関わることはない」

 

佐倉は震えながらも、小さく頷いた。

 

「だ、大丈夫……これで……終わったの……?」

「終わりではないが、佐倉に危害が及ぶ形にはならない。今後は接近禁止命令が出るはずだ」

 

俺がそう言うと、佐倉は胸に手を当て、大きく息を吐いた。

櫛田が優しく寄り添い、

千秋とみーちゃんが両側から抱きしめるように支え、

心が静かに背中をさすった。

 

「清隆君……ありがとう……ほんとに……」

 

その言葉に、俺はただひとつ頷いた。

 

「佐倉が無事で良かった」

 

そして、静かに目を閉じた佐倉の表情には──初めて見るような“安心”が浮かんでいた。

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