サイコオブストーリー 作:pcy
懐かしい記憶を見る。
まだ自分が汚らしいボロ家に母親と二人で住んでいた時の覚えていても無駄な記憶。父親が怪物だと罵り母親がそれを否定する、そして最後には罪の擦り付け合い。そして父親が出て行った日の夜の記憶。
母親が泣き崩れそれを無感情に見ていた。通常の神経を持つ子供なら母親を励ましたり意味も分からず泣いていただろう。だが、自分はただ無表情で見ていた。全く感情は揺れ動かず涙腺は刺激されず。ただ見ていた。
だからだろうか。母親は怪物を見るような異物を見る目で睨んできた。自分には怖くなく睨んでくる母親の方が疑問であった。
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懐かしい夢だ。瞼を上げ、思考を働かせて最初に感じたのは懐かしさだった。
まだ自分を『偽る』術を持たず、自分は普通だと思いただ生きていた時の愚かしくも愛おしい記憶。その記憶がどれだけ今の自分を構成しているだろうか。少なくとも『人生』の楽しみ方は『記憶』で見つけられた。感謝しなければならない。
ベッドに腰掛ける態勢のままで昔を懐かしんでいる所で邪魔な金属音が目覚まし時計から鳴らされる。起床し支度をしなければ不味い時間。本心ではもう少し昔を懐かしんでいたい所だが理性で中断しベッドから抜け出す。
今日もまた刺激の無いつまらない日常の始まりだ。
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アンクルッドの観点と人間論理からして『人間』とは資本主義の導入によって大量生産され、使い捨て商品として売られる『製品』のように最初は『無個性』或いは『無特徴』なのだろう。最初は『無』かもしれないが使えば使う程に『有』になるように、人間も生きれば生きる程に個性が出来、特徴が生まれる。アンクルッドはその逆も考えた。大量生産すればおのずと『欠陥品』も生まれる。
欠陥品は個性も特徴も無く空っぽな人間。そして空っぽを満たすために沸き立つ『衝動』に駆り立てられる。それがサイコパスなのだろう。
人間という生物は『矛盾』した生物だ。肉が好きなのに自分の口に運ばれる肉がどうやって『屠殺』されたか気にする。そう言ってる自分も人間だが。
人はやりたがらない仕事がある。いわゆる殺生が関係する仕事だ。人は『死』を見るのが嫌いだ。だが、人間の口に運ばれる食肉は牛や豚を殺さなければならない。だから『屠殺業者』とは需要があるのだ。
アンクルッド・ルッドノックはしがない経済を動かすために奴隷の如く働くサラリーマンだ。毎日定時に出勤し同僚と下らない戯言を並べる、そして夜には幼稚なユーモアの上司の機嫌を取りながら不味い酒を飲む。余りにもくだらない毎日。だが、アンクルッドはそんな日常が好きだった。殺人鬼である本性を隠すには充分過ぎるからだ。
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中学一年生の時に自分はとある事に没頭していた。生物を観察し、それをノートに書き記すという自分でも何故没頭していたのか分からない趣味。だがそれは後々現れる異常性に大きく役立った。
ある時自分に懐いていた猫がいた。その猫は野良猫でよく公園でいたので暇潰しに可愛がってた。だが、ある時何を思ったのか人差し指を噛んできたのだ。
その瞬間猛烈なまでに何とも言えない感情が沸き上がり初めて『衝動』が全身を支配した。気付いた時には既に両手で猫の首を絞めていた。余りにも自然に両手が吸い寄せられ猫を絞殺していた。
殺害した場所は夕方の公園で人はおらず誰にも見られなかったため幸いだった。殺した野良猫は隠滅のため土に埋めた。
その時の感覚は今でも忘れられない。何とも言えぬ心地良い感覚だった。
その時から自分は度々現れるようになった『衝動』に身を任せ小動物を殺すようになった。ただ衝動的に殺す事はせず、計画的に殺すというルールを自分に課した。そのルールに役立ったのが『生物の観察』だ。野良猫や野良犬が溜まる場所、人が少なくなる場所などを『観察』する。
観察する事によって今まで自分は犯人としてマークされたことはない。自分の趣味に感謝をどれほどしたか。
そして今日もまた人を殺す。衝動にその身を委ね。
殺す時間帯というのは決まっておりその時間帯を過ぎるとどんな欲求に駆られようと殺しをしない事にしている。決まった時間に決まった方法で殺さなければ満足しない。変化無き日常、殺風景で灰色の人生。それこそがアンクルッドの人生。
だがそんな灰色の人生は終焉を迎える。アンクルッドが今まで他者に感染症のように振り撒いていた『死』によって死ぬ。
その死は偶然を装った必然な死であった。その死を突き付けたの『死神』であり、天上の存在である神でもあった。