■広げろ、陰の実力者の、解釈を!! 作:匿名
《実験棟・潜入》
任務前ブリーフィング
会議室は静かだった。静かすぎると言ってもいい。
壁に埋め込まれた魔導灯だけが白い光を落とし、その光は磨かれた長机の表面に冷たく反射している。
シャドウガーデン本部。
数え切れない任務が立案され、数え切れない危機が討伐されてきたこの場所であっても、今回の資料だけは空気を重くしていた。
机の上に展開されたホログラムには、巨大な地下施設の断面図が映し出されている。
複雑に入り組んだ通路。何重にも張り巡らされた隔壁。そして地下深くへと伸びる一本の巨大な縦穴。
まるで世界そのものに穿たれた傷痕のような構造だった。
その縦穴の脇には赤い文字が浮かんでいる。
――《手術祭壇》。
そして、そのさらに下。
最下層に位置する封鎖区域。
赤黒い警告表示と共に記された名称。
――《実験棟》。
僕は椅子に深く腰掛けたまま資料を眺めていた。表情に変化は出ていないだろう。しかしこの資料から見るべきなのは、内容そのものではなく、その背後にあるものを見ているようだった。
対面に座るゼータは資料をめくりながら淡々と説明を始める。
彼女の声はいつも通り落ち着いている。
感情を極力排した報告口調。しかし、それは決して無関心だからではない。
むしろ逆だ。
感情を挟めば正常な報告ができなくなるからこそ、意識的に切り離している。
そんな声音だった。
「今回の目標地点は《実験棟》」
ホログラムの一角が赤く点灯する。
「聖教本部地下深部。《手術祭壇》と呼ばれる大型昇降機のさらに下層。現在は封鎖されているけど、近年になって内部活動が確認されている」
ゼータが指先を動かす。
施設の構造図が切り替わる。同時に会議室の空気がさらに冷えた気がした。
「元々は聖教とディアボロス教団による共同研究施設だった。表向きには医療研究施設。実態は人体実験場」
その言葉だけで十分だった。
誰も続きを聞きたくはない。だが聞かなければならない。
それが任務というものだった。
「現在確認されている資料によれば、ここは両組織が保有していた研究施設の中でも最悪の部類に入ります
「ふぅん?」
「研究成果、死亡率、犠牲者数、倫理違反、全てにおいて突出している」
淡々とした説明。だからこそ重い。感情的な言葉で飾られるよりも、数字として示される惨劇の方が現実味を持つ。
ゼータは次の資料を表示する。
そこには古い記録写真が映し出された。
無数の手術台。
壁際に並ぶ培養槽。
薬液の中で眠る人影。
そして人だった何か。
腕が異常に増殖したもの。
顔面そのものが消失したもの。
身体の半分が別種の生物へ変質しているもの。
どれも生物として成立していること自体がおかしかった。
人間の尊厳。
人格。
人生。
そういったものが一切考慮されていない。ただ結果だけを求めて積み重ねられた失敗作。
人間を材料として扱った痕跡。
それが資料の隅々から滲み出ていた。
「聖教は神様の救済を作ろうとした」
ゼータが言う。
「教団は魔王を討伐する兵器を作ろうとした。結果として完成したのは、そのどちらでもありません」
彼女は一枚の写真を拡大した。
その瞬間、会議室の誰かが僅かに顔をしかめる。映し出された存在は、生きているのか死んでいるのかすら判別できなかった。
「怪物です」
短い一言だった。だが、それ以上の説明は必要なかった。
資料が切り替わる。
今度は戦術情報。こちらは感情ではなく現実的な危険性を示すものだった。
「実験体の多くは現在も生存しているみたいだね。封印状態の個体もいますが、活動中の反応も多数確認されてる」
施設内部のマップに赤い点が浮かび上がる。
ひとつやふたつではない。
数十。
数百。
まるで病巣のように広がっている。
「弱い個体でも上級魔族級、強い個体は災害級。能力は個体ごとに異なるから予測不能」
そしてゼータは一度言葉を切った。
わずかな沈黙。
それから静かに続ける。
「だけど、本当に危険なのは敵ではないと思う」
視線を向ける。
ゼータの瞳もまた静かだった。
「実験棟は人間を壊す場所です」
その言葉には確信があった。
「肉体はもちちろん、精神を壊す」
資料が再び変わる。
今度は日記だった。
助けてほしい。
帰りたい。
母さん。
怖い。
痛い。
寒い。
死にたくない。
文字は途中から乱れ、最後には判読不能になる。
別の記録。
研究員の報告書。
最初は事務的な文体。だが日付が進むにつれて内容が崩壊していく。
懺悔。
後悔。
恐怖。
狂気。
最後は意味のない文字列だけが並んでいた。
さらに別の映像。
解放を求める実験体。
救済を願う子供。
何も映らなくなった監視カメラ。
どれも結末は存在しない。途中で途切れている。救われなかったからだ。
誰にも。
何ひとつ。
「実験棟で心を折られた人間は少なくないみたい」
ゼータは静かに言う。
「強敵に負けたのではなく、自らの絶望に負けた」
会議室に沈黙が落ちる。
重苦しい空気。資料を読むだけで気分が悪くなる。現地へ行けばなおさらだろう。そこには人類が積み重ねた失敗の歴史が眠っている。
希望を求めた末に生まれた絶望。
善意が歪んだ果ての地獄。
それら全てが保存されている。
まるで巨大な墓場だった。
ゼータは僅かに目を伏せた。
「私はあそこが嫌いだね」
珍しい発言だった。
感情を表に出さない彼女にしては。
「敵を倒すことは構わない。危険な任務も問題ない。だけど、あの場所は違う」
彼女は資料を見つめる。
その視線は冷静だった。しかし完全に無感情ではない。
「誰も幸せにならなかった。その証拠だけが残っている。だから嫌い。
静かな言葉だった。だからこそ本音だと分かる。
僕はしばらく資料を眺めていた。やがて椅子から立ち上がる。動作はいつも通り自然だった。まるでこれから散歩にでも行くかのように。
「つまり」
僕は言った。
「面倒な場所か」
ゼータは即答する。
「うん。非常に面倒で、気分も悪くなる」
僕は小さく頷いた。
「なら早く終わらせよう」
その一言は驚くほど単純だった。だが、それで十分だった。
「生きている奴がいるなら助ける。危険なら止める。原因があるなら潰す。それだけだ」
救えなかった人間はいる。
取り返せない過去もある。だが、それは今ここで立ち止まる理由にはならない。
ゼータは数秒だけ黙り込む。
それから僅かに笑った。
本当に僅かに。
猫が気まぐれに見せるような小さな笑みだった。
「うん、シドならそう言うと思いました」
ホログラムが消える。
会議室の光だけが残る。
人類最悪の失敗作が眠る場所。
絶望の記録庫。
実験棟。
その地獄へ向かう為の準備が開始された。
ヒロインで見たいのは?
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