広げろ、陰の実力者の、解釈を!!   作:実験者

2 / 13
二話:英雄シド・カゲノー

 僕は毎朝、決まった時間に目を覚ます。

 七時三十二分。

 目覚ましが鳴る前に体が自然に起き上がる。習慣というより、もう生理現象に近い。カーテンの隙間から差し込む光は今日も同じ角度で、ベッドの端に細長い影を落としている。

 

 影の長さは季節ごとに少しずつ変わるけれど、僕はそれを数えるのをやめた。数えたところで何も変わらないから。

 今朝の新聞には、僕の名前が載っていた。

 

 

【新連載・英雄シド 著:ナツメ・カフカ】

 

 炎は、決して消えない嘆きだった。

 ミドガル帝国の首都都市。かつては白い尖塔が空を指し、運河が銀の帯のように街を貫き、夕暮れには水面に映る灯りがまるで星屑の川のようだった場所。

 

 今は違う。空は灰色に濁り、黒煙が幾重にも重なって太陽を隠している。石畳は溶けて泡立ち、鉄骨は赤黒く錆び、人の肉は内側から腐って崩れていく。

 毒龍の吐息が撒き散らした死の瘴気は、色を持たないのに、確かにそこに「重さ」を持っていた。それは息を吸うたびに肺を腐らせ、叫ぶたびに喉を焼く、静かな質量だった。逃げ惑う者たちの声は、次第に言葉を失っていった。

 

 「助けて」から「誰か」へ。

 「誰か」から、ただの湿った咳と、喉の奥で何かが潰れる音へ。

 そして、最後には何の音も立てなくなった。その沈黙の只中で、一つの空白が落ちてきた。音もなく。

 風を裂く音すら立てずに。純白の甲冑。

 直剣一本。

 装備は貴族騎士団の標準品と大差ない。なのに、その存在はあまりにも異質だった。周囲の熱も、煙も、死の瘴気すらも、その男の周囲数メートルだけが拒絶されている。

 まるで、そこに「世界の例外」が立っているかのように。毒龍が、ゆっくりと巨大な瞳を向けた。その瞳は、病んだ翡翠のように濁りながらも、どこか愉悦に満ちていた。

 

『……ほう』

 

 低く、喉の奥で響く声。

 古い楽器が軋むような音色。

 

『ようやく、面白い玩具が現れたか』

 

 青年は剣を構えもせず、ただ静かに口を開いた。

 

「君、生きて帰れると思わないでね」

 

 その一言に、毒龍の鱗が微かに震えた。

 愉悦が、確信に変わる瞬間。

 

『ぐふ、はははははっ! 随分と余裕だな、若造。今の人類はどれもこれも雑魚ばかりだと思っていたが……お前は違うようだな』

 

 青年は小さく息を吐き、目を閉じた。そして、次の刹那。

 

 ――魔力始動。

 ――魔力展開。

 ――魔力解放。

 

 黒と紫が、螺旋を描いて迸った。それは炎ではない。

 雷ではない。

 闇ですらない。ただ「破壊」の意志そのものが、色と形を与えられて顕現した光だった。剣の刃に黒紫の奔流が染み込んでいく。

 青年の全身を覆う魔力は、もはやオーラという言葉では収まらない。核分裂と核融合が同時に起こるような、制御された破滅のエネルギーが、彼の肉体を戦闘機械へと再構築していく。

 骨が軋み、筋繊維が再配列され、血管が新たな回路のように脈打つ。心臓の鼓動が、まるで巨大な機関のピストンのように重く響く。

 毒龍が、初めて本気で牙を剥いた。

 

『肉体性能、魂、魔力……どれも上澄みだ。そして魔力解放まで使えるとはな。使える者は多くない。これなら……本気を出してもいい』

 

 巨大な翼が一閃。毒の嵐が、青年を飲み込もうと叩きつけられる。だが青年は、動かなかった。

 ただ、一言。

 

「僕はシド・カゲノー」

 

 名を告げた。

 

「君が殺した人々の想い。それを刃に乗せて、お前の首を切り落とす」

 

 そして続けた。

 

「人間の理性と感情を蔑ろにした。それがお前の敗因だ。この命と都市の被害は、君の死骸に請求をさせてもらう」

『どの口で!』

 

 その咆哮と同時に、世界が裂けた。

 シドの剣が引かれ、振り抜かれるまでの時間は、ほんの一瞬だった。だがその一瞬の中に、無数の「死」が詰め込まれていた。黒紫の奔流が直線を描き、毒龍の巨体を貫いた。鱗が砕け散り、肉が裂け、骨が粉々になり、内臓が蒸発する。

 毒の血が空に撒き散らされ、触れた場所を腐食させながら地面に落ちていく。毒龍の咆哮は、途中で途切れた。

 死の概念の付与と次元すら絶つ斬撃。

 

『……ぐ、ぅ……?』

 

 信じられない、という感情が、最期の瞬間に浮かんだ。巨大な瞳が、ゆっくりと焦点を失っていく。

 その瞳の奥に映っていたのは、自分の死を、ただ呆然と見つめる青年の姿だった。そして、轟音。毒龍の巨体が地面に叩きつけられるより早く、灰と化した。残ったのは、焼け焦げた翼の骨と、黒く変色した血の塊だけ。

 

 それさえも、数分後には風に散って消えていった。静寂が、戻ってきた。灰の中、シドは剣を下ろした。

 黒紫の魔力は、もう消えている。ただの、疲れた青年の姿に戻っていた。彼はゆっくりと空を見上げた。灰色の雲の向こうに、微かに青が覗いている。

 

 誰に言うでもなく、呟いた。

 その声は、風に溶けて消えた。

 後日。ミドガル帝国は、シド・カゲノーを英雄と呼んだ。最高位の騎士階級への昇格。

 純白のマントに輝く黄金の勲章。

 儀式の場では、皇帝自らが彼の肩に手を置き、「我が国の光」と呼びかけた。その言葉に、広場に集まった数万の市民が歓声を上げた。彼自身の強い要望により、戦果を上げる軍人ではなく、「秩序を維持する」治安維持組織の最高責任者へと就任が決まった。

 崩壊した首都は、驚異的な速度で息を吹き返し始めた。ミツゴシ商会による支援は、常識を逸脱していた。

 

 採算を度外視した物資の大量供給。

 浄水・排水システムの全面更新。

 魔力駆動の超大型建設機械が、昼夜を問わず動き続ける。

瓦礫は数週間で片付けられ、新しい白い石畳が敷かれ、運河には再び水が流れ始めた。市民の間では、ある一つの光景が語り継がれるようになった。

 

 復興支援の調印式の場。

 ミツゴシ商会の代表が壇上に立ったとき、

英雄シド・カゲノーが、深々と、誰よりも深く頭を下げた瞬間。その姿は、誰の目にも焼き付いた。

 

「始めまして。ミツゴシ商会代表。毒龍による被害によって撤退する商会が多い中、支援を確約してくれた貴殿の判断に感謝します。お陰で助かる命と人々が大勢存在します」

「いえいえ、私どもとしても、人々を助けることが理念の一つでありますので」

 ありがとう、と彼は何度も繰り返した。声は小さかった。なのに、広場全体に響いた。人々は涙した。

 英雄が頭を下げる姿に、自分たちの痛みを、誰かがちゃんと見てくれていると感じたから。

 彼は光だった。

 

「勇者様。貴方の平和は、今度は僕が守るよ」

 

 その言葉は、夜風に溶けて消えた。だが彼の瞳の奥では、

まだ何かが、静かに燃え続けていた。炎は、嘆きだった。

そして今も、どこかで燃えている。

 いつかその炎が、

 彼の求める「何か」に辿り着く日まで。

 

【一話 了】

 

「面白かった」

 

 

 毒龍。灰色の空。純白の甲冑。黒紫の魔力。そして最後に、僕がミツゴシ商会の代表に頭を下げている場面まで、丁寧に、ちょっと大仰に書かれている。

 部下が作ったんだ。

 ミツゴシ商会に流布してもらうよう、わざわざ指示を出した。もちろん、僕が直接書いたわけじゃない。僕がそんな文章を書けるわけがない。ただ、「こういう感じで」とだけ伝えた。

 

 それで出来上がったのがこれだ。僕は紅茶を一口飲んでから、新聞をもう一度開いた。紙の感触が指先に残る。インクの匂いが微かにする。

 文章は、どこか芝居がかった調子で、でもその芝居がかり具合が妙に心地いい。毒龍の最期が「死の概念の付与と次元すら絶つ斬撃」だなんて、僕自身がそんな大層なことを考えながら剣を振った覚えはない。

 ただ、斬った。それだけだ。でも、こうやって書かれると、なんだか本当にそうだったような気がしてくるから不思議だ。

 

「勇者様。貴方の平和は、今度は僕が守るよ」

 

 最後のこの一文を読んだとき、僕は小さく息を吐いた。誰に向かって言った言葉でもない。それがこんな風に印刷されて、何万、何十万という人の目に触れる。

 少し、くすぐったい。

 少し、気恥ずかしい。

 でも、同時に、悪くない。光が強ければ強いほど、陰はより暗く、より深くなる。これは僕がずっと考えていたことだ。

 昔はただ隠れていればよかった。

 誰も知らないところで最強で、誰も気づかないところで全てを終わらせて、静かに消える。それが「陰の実力者」の理想形だと思っていた時期があった。

 でも今は違う。

 英雄シド・カゲノーという光を、わざと大きく、わざと眩しくしておく。勲章を付けさせ、純白のマントを着せ、皇帝に肩を叩かせ、市民に歓声を上げさせる。

 

 ミツゴシ商会に頭を下げさせ、支援の物語を美しく語らせる。そうやって光を極限まで広げておけば、僕の背後に落ちる影は、自然と濃く、深く、底知れぬものになる。新聞を畳んで、僕は窓の外を見た。

 

 再建された首都の街並みが広がっている。

 白い尖塔が朝陽を反射して眩しい。運河の水面がきらきらと揺れている。毒龍が来た前の景色に、かなり近づいている。いや、もしかしたら前よりも綺麗かもしれない。

 

 部下たちはよくやってくれる。

 シャドウガーデンのみんなもそうだ。僕が表で光を振りまいている間、裏で必な汚れ仕事を黙って片付けてくれる。

そのバランスが、今のところ、驚くほど上手くいっている。僕はもう一度、新聞に目を落とした。

 

【一話 了】

 

 この物語は、まだ始まったばかりだ。

 これから何話続くのか。

 どこまで派手に、どこまで美しく、どこまで大仰に書かれていくのか。

 正直、楽しみでもある。だって、光が大きくなればなるほど、僕が本当にやりたいことが、もっと自由に、もっと深く、もっと徹底的にできるから。

 僕は紅茶を飲み干した。

 それは、期待のような、渇きのような、静かな熱でもある。

 僕は立ち上がって、制服のネクタイを締め直した。

 今日も、表の顔で出勤する。

 英雄として、秩序の守護者として、誰かの光して。

 陰の実力者として、素晴らしい舞台を用意する為に。

ヒロインで見たいのは?

  • シャドウガーデン(アルファ、ゼータなど
  • 現在の者達(アレクシア、ローズなど
  • 過去の者達(ベアトリクスやリリなど
  • 人外(エリザベートやアウロラなど
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。