■広げろ、陰の実力者の、解釈を!!   作:匿名

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20話:実験棟・下層

 《実験棟》へ足を踏み入れてから、一時間ほどが経過していた。しかし進んだ距離は驚くほど短い。

 敵が強いからではない。道が危険だからでもない。

 その両方だった。

 そして何よりこの場所そのものが、侵入者を拒絶していた。

 

 薄暗い回廊。

 壁面には古びたランプが取り付けられている。だが十分な光量はない。青白い光が床を照らし、影が不気味に揺れている。

 まるで深海だった。

 施設全体が海の底へ沈んだかのような錯覚。

 遠くから滴る水音。

 どこかで響く呻き声。

 風など吹いていないのに聞こえる呼吸音。

 そして。

 

「……誰か、俺の目玉を知らないか……」

 

 声が聞こえた。

 廊下の隅。

 一人の患者が壁へ向かって座っている。

 頭部は異様なほど肥大していた。

 人間の頭蓋骨が限界まで膨れ上がったような姿。

 

 首は細く身体は栄養を吸われたように痩せ細っている。

 

「水たまりに落としちまったみたいなんだ……ここはずっと青白いんだよ……」

 

 患者は床を探している。

 指先で。

 延々と。

 何十年も続けていたかのように。

 ゼータの眉間に皺が寄った。

 

「……目玉を失っている訳ではないみたいだね。ただ認識が壊れているだけ」

「そうか」

「うん」

 

 患者はこちらへ気付かない。ただ床を撫で続けている。目玉を探しながら、存在しない水たまりの中を。

 さらに進む。

 螺旋階段の途中、何人もの患者が徘徊していた。

 ふらふらと。

 目的もなく。

 だが狩人を見つけた瞬間。

 世界が変わる。

 

「ウアアアアアアアアアッ!」

 

 絶叫。

 患者たちが一斉に襲いかかる。

 肥大した頭部を振りかぶる。

 両腕を振り回す。

 異様な膂力。

 異様な速度。

 人間とは思えない。

 シドが一歩踏み込む。

 剣閃。

 一体、二体、三体。

 首が飛ぶ。

 腕が落ちる。

 それでも患者は前へ出ようとする。

 執念だけで壊れた肉体を動かし続ける。

 ゼータの短剣が閃く。

 

 心臓。

 首筋。

 脳幹。

 急所を正確に貫いていく。だが彼女の表情は険しい。

 

「腹が立つ」

 

 患者の死体を見下ろす。

 

「研究者に?」

「全員です」

 

 即答だった。

 

「こんなものを作った連中も、成果が出たから続けた連中も、止めなかった連中も」

 

 短剣についた血を払う。

 

「全員」

 

 三階研究室。

 ここはさらに酷かった。

 車椅子が並んでいる。まるで病院の待合室だ。だが患者たちは既に人ではない。

 ひとりは首がねじれている。

 ひとりは顔が半分融解している。

 ひとりは霧吹きのような器具を抱えていた。

 次の瞬間。

 白い霧が噴出する。

 

「下がれ」

 

 僕が言う。

 直後。

 霧が通路を埋め尽くした。

 視界が消える。その中から車椅子が突進してきた。

 ゼータが横へ跳ぶ。

 壁が砕ける。車椅子の患者は笑っていた。顔面が崩れたまま笑っていた。

 僕が一撃で沈める。

 静寂。残るのは水音だけ。

 

 ピチャ。

 ピチャ。

 ピチャ。

 

 研究室五階。

 扉を開いた瞬間。

 ゼータが足を止めた。

 シドも僅かに目を細める。

 部屋中に頭があった。

 人間の頭だけが無数に脈動している。

 巨大な梅干しのようだった。

 壁。

 天井。

 床。

 

 どこも頭だらけで呼吸している。

 生きている。

 

「……聞こえる」

 

 ひとつが呟いた。

 

「耳をすませば……水の音が聞こえる……」

 

 別の頭が笑う。

 

「ねえ、あなた。海の音は不思議ね」

 

 ピチャ。

 ピチャ。

 ピチャ。

 肉塊の中から液体が滴る。

 

「私の底から響いてくるの……私の底からやってくるの……」

 

 ゼータが小さく息を吐いた。

 怒りを抑えるように。

 

「狂っている」

「そうだな」

「いいえ」

 

 彼女は否定する。

 

「狂っているのは患者じゃなくて」

 

 部屋を見渡す。

 無数の頭部。

 無数の犠牲者。

 

「狂っていたのは研究者です」

 

 さらに上層。

 中央柱の制御装置へ到達する。

 巨大なレバー。

 何十トンもの重量があるだろう。

 

「すごいね、これ」

「これは……」

「よいしょ」

 

 僕が押す。

 轟音。

 施設全体が震える。

 螺旋階段が回転を始めた。

 鉄と鉄が擦れ合う。まるで巨大な怪物の骨が軋む音だった。

 

 だが、その時。

 背後から音がした。

 ズル。

 ズルズル。

 ゼータが振り返る。

 そこにいた。

 四肢を拘束された患者。

 何人も。

 何十人も。

 床を這っている。

 まるで巨大な芋虫の群れ。

 少年

 少女。

 小柄な身体。

 だが顔だけは肥大している。

 

「……ああ」

 

 ひとりが呟く。

 

「助けて……」

 

 またひとり。

 

「懺悔します……」

 

 さらにひとり。

 

「もうしません……」

 

 次の瞬間。

 全員が叫んだ。

 

「ウアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 地面を跳ねる。

 這う。

 飛びつく。触手が伸びる。頭突きが飛ぶ。狂気の群れ。ゼータが短剣を握る。その金色の瞳には怒りが燃えていた。

 

「主」

「ああ」

 

 言葉はそれだけ。

 二人は同時に踏み込む。そして実験棟のさらに上層へ続く道を切り開いていく。

 

 中央柱を回転させたことで、施設の構造が変化して、轟音と共に巨大な螺旋階段が回転し、今まで繋がっていなかった通路同士が噛み合う。だが同時に封じられていた何かも解放された。

 施設全体から響く悲鳴が増える。

 呻き声が増える。

 足音が増える。

 実験棟そのものが侵入者へ敵意を向け始めたかのようだった。

 

 新たに接続された回廊へ入る。

 足元は鉄格子。

 左右には転落防止用の柵。だがその多くは破壊されている。下を見れば遥か底。青白い闇が広がっていた転落すれば助からない。

 そんな高さだった。

 その時。

 ゼータが耳を動かす。

 

「上だ」

 

 瞬間。

 黒い影が落下した。

 僕が横へ動く。

 影が床へ激突する。

 屍肉カラス。

 腐った羽。

 裂けた嘴。だがその巨体は狼ほどもある。

 普通の鳥ではない。さらに天井から二羽。三羽。四羽。落下。奇声を上げながら襲いかかる。

 僕が剣を振る。

 血飛沫。

 羽毛。

 肉片。

 

 一撃で両断される。しかし最後尾の個体がゼータへ飛び掛かった。

 彼女はしゃがみ込む。

 短剣が閃く。

 首を切断。

 そのまま壁へ蹴り飛ばした。

 カラスの死骸が奈落へ落ちていく。

 

「梁を歩くなら上も見るべきですね」

「そうだな」

 

 僕は何事もなかったかのように進む。

 

 次の部屋。

 実験資料保管庫。

 無数の本棚。

 薬品棚。

 研究資料。

 その全てが散乱している。だが静かだった。異様なほど静かだった。

 ゼータが目を細める。

 

「嫌な予感がする」

 

 その瞬間。

 棚の下から何十もの赤い目が光った。

 ネズミ。しかし普通ではない。犬ほどの大きさ。歯は鋸のよう、皮膚は腐敗し、全身に腫瘍が浮いている。

 遺跡ネズミの群れが一斉に飛び出した。

 狭い通路。

 囲まれる。

 普通なら危険だった。

 僕は本棚を蹴る。

 巨大な棚が倒れる。

 轟音。

 数匹が押し潰され、残りはゼータが迎撃した。

 短剣が舞う。

 銀色の軌跡。

 首が飛ぶ。

 腹が裂ける。だがネズミは止まらない。死体を踏み越えて襲いかかる。

 狂った飢餓。

 狂った繁殖力。

 ようやく最後の一匹を始末した頃には、床一面が血肉で埋まっていた。

 

「本当に碌でもない」

 

 ゼータは靴底の血を払った。

 さらに上。

 螺旋階段の中腹。

 何人患者が歩いていた。

 リハビリウォーク。

 ゆっくり。

 ふらふらと。

 何かを探すように。

 何十人も、だが一人が僕を見る。

 その瞬間、全員が止まった。

 そして。

 

「ウアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 絶叫。

 一斉突撃。

 雪崩だった。患者の群れが階段を埋め尽くす。

 ゼータが舌打ちする。

 

「数が多い!」

 

 普通の患者だけではない。

 裸の患者。

 獣化患者。

 大柄な患者。

 それらの混成部隊。

 

 最悪だった。

 裸の患者が壁を蹴る。

 異常な速度。

 人間とは思えない。

 僕へ飛び掛かる。だが空中で首が飛ぶ。次の瞬間、獣患者が四つ足で駆ける。ゼータの側面を狙う。

 彼女は逆に前へ出た。

 短剣が眼球を貫通する。

 絶命、だがその背後から。

 

「アアアアアアアッ!!」

 

 患者(大)。

 巨大な肉体。

 点滴台を振り回している。

 金属の塊。

 まともに受ければ即死級。

 振り下ろされる。

 轟音。

 階段が崩壊する。

 鉄骨が歪む。

 ゼータは跳躍。

 患者の肩へ着地した。そのまま首筋へ短剣を突き立てる。

 一撃では死なない。

 二撃。

 三撃。

 四撃。

 ようやく倒れた。

 

「頑丈すぎ」

「実験の成果が出ているらしいな」

 

 僕が淡々と言う。

 ゼータの顔がさらに険しくなる。

 

「腹立たしい」

 

 五階層。

 そこだけ雰囲気が違った。

 患者はいない。

 悲鳴もない。

 代わりに祈りが聞こえる。

 静かに。

 穏やかに。

 だが不気味に。

 通路の先。

 一人の女性が立っていた。

 純白の法衣。

 聖教の紋章。

 手には杖。

 医療者。

 かつて患者を管理していた者。

 聖教の使い。

 女性は二人を見る。

 微笑む。

 

「侵入者ですね」

「そうだ」

 

 僕が答える。

 女性は悲しそうに目を伏せた。

 

「残念です。彼らは治療中なのです。これ以上邪魔をされては困ります」

 

 次の瞬間。

 魔法陣が展開された。

 無数。

 数十。

 数百。

 通路を埋め尽くす。

 ゼータが即座に動く。

 

「主!!」

 

 爆発。

 光線。

 呪詛。

 魔法の嵐。

 通路そのものが消し飛ぶ。だが煙が晴れる。

 僕は立っていた。

 無傷。

 女性の瞳が揺れる。

 

「な……これを生き残るなんて。まさか魔族だとでも」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 僕の剣が振られる。

 一閃。

 女性は崩れ落ちた。

 最期まで微笑みながら。

 

「哀れな我らに、魂の救済を……」

 

 そのまま動かなくなる。

 ゼータは死体を見下ろした。

 

「救済か」

 

 怒りを押し殺した声だった。

 

「患者を怪物にしておいてよく言える」

 

 その直後。

 足が止まる。

 床。

 違和感。

 僅かに沈んでいる。

 

「罠だ」

 

 瞬間。

 彼はゼータを掴んで後方へ飛んだ。

 轟音。

 床が崩壊した。下層まで一直線に繋がる巨大な落とし穴。さらに側面から槍。毒矢。回転刃。連続作動。侵入者を殺すためだけに設計された殺戮装置だった。

 

 ゼータは数秒沈黙した。

 そして呟く。

 

「……設計者の墓を暴いてもう一度殺してやりたいね」

「気持ちは分かる」

 

 珍しく僕も同意した。

 僕たちはさらに上層を目指す。

 患者。

 ネズミ。

 カラス。

 罠。

 聖教の残党。全てを突破しながら進んでいく。だが進めば進むほど、実験棟の狂気は濃くなっていく。

 そして最上層には、この地獄の中心にいた存在が待っているのだろう。

ヒロインで見たいのは?

  • シャドウガーデン(アルファ、ゼータなど
  • 現在の者達(アレクシア、ローズなど
  • 過去の者達(ベアトリクスやリリなど
  • 人外(エリザベートやアウロラなど
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