おにまい曇らせ(仮) 作:Unus negotiator
中学校の講堂。全校生徒が整列し、ステージにスポットライトが当たる。
壇上には校長先生、来賓の知らない大人たち。その中央に制服姿のみはりがいた。
まだ成長途中の小さな体で、背筋をピンと伸ばして立っている。
司会を務める校長先生が、マイクを握って明るく声を張り上げた。
「本日、本校の誇りである緒山みはりさんが、画期的な研究成果を発表してくださいます!そして、この発表をもちまして、緒山さんは遺伝子工学の分野で著名な〇〇大学へ、飛び級で進学することが決定しております。皆さん、盛大な拍手をお願いします!」
会場が一気に沸いた。
拍手が鳴り響く。先生たちが立ち上がって拍手。生徒たちが「みはりちゃん天才!」「すげー!」「うちの学校の星だよ!」と声を上げる。
校長先生が続ける。
「それでは、緒山さんにバトンタッチします。緒山さん、お願いします」
みはりが一歩前に出て、深く頭を下げた。少し緊張しているのか、ややぎこちない笑顔でゆっくりと話し始めた。
「皆さん、こんにちは。今日は、私が最近取り組んでいる研究について、少しだけお話しさせてください。研究のテーマは、『遺伝子レベルでの性分化制御に関する新手法』です。簡単に言うと、人間の体が『男の子』になるか『女の子』になるかを、遺伝子のスイッチでコントロールする方法、みたいなものです。」
みはりはリモコンを操作して、スクリーンに最初のスライドを映した。シンプルなXY染色体の図に、「Y染色体オン → 男の子」「オフ → 女の子」という矢印が描かれている。
「例えば、赤ちゃんの頃に『このスイッチをオンにしたら男の子、オフにしたら女の子』みたいな仕組みがあるんですけど...」
次のスライドに切り替わると、可愛いキャラのイラストがアニメーションで変化する。オンで男の子、オフで女の子に変わる様子がわかりやすく描かれていた。
「それを、薬や技術で後から調整できるようにする研究なんです。例えば、スイッチがちゃんと働かなくて体がうまく成長しない子がいたら...」
スライドが切り替わり、病気の子のイラストが現れる。次に薬のマークが現れて、健康な子に変わる様子が矢印で示され、「薬で調整!」という文字がポップアップした。
「この薬でスイッチを正しくオン/オフに導いてあげれば、もっと健康に育つ可能性があるんです!もちろん、まだまだ実験段階で、動物でのテストが中心ですけど...」
さらにスライドが進み、マウスの写真と簡単な遺伝子図が映る。
「えっと、ここからは本格的に!Sry遺伝子やAR受容体をターゲットに、選択的に活性化/不活性化する化合物を作ってるんです。さらにエピジェネティック修飾を組み合わせると、もっと精密に制御できて...」
スライドが複雑な分子構造図や遺伝子発現のグラフ、配列データで埋め尽くされる。最初は真剣に聞いていた生徒たちも、途中から目が点になり始めた。
みはりはどんどん熱が入って、言葉が早くなる。専門用語が次々と飛び出し、みんなの表情が「わかんないけどすげー」みたいな感じに変わっていく。
「だから、将来的には、病気で体がうまく成長しない子を助けたり、もっと健康に生きられるように役立つかもしれない。そんな可能性を探しています!」
ようやく会場を見回して、みはりが「あっ」と気づいた。
「あっ、えっと、ご、ごめんなさい!つい熱が入っちゃって。でも本当に、みんなの励ましのおかげでここまで来られたんです...ありがとうございました...」
みはりは少し頰を赤らめて、照れ笑いしながら頭を下げた。
会場は一瞬静かになった後、大きな拍手とざわめきが広がる。
「全然わかんないけどすげー!」「天才すぎる!」「みはりちゃん、可愛いくて天才とか凄すぎ!」という声が飛び交った。
最後に、みはりが深く頭を下げた。
「今日で、この学校ともお別れになります。短い間でしたが、みんなと一緒に過ごせて、本当に楽しかったです。これからも、みんなのことを応援しています。私も、もっと頑張ります。ありがとうございました」
再び、大歓声。花束が渡され、みんながみはりに駆け寄る。
「みはりちゃん、おめでとう!」「大学行っちゃうなんて寂しいけど、絶対有名になれるよ!」
真尋は席に座ったまま、動けなかった。今朝もいつものように顔を合わせた妹。「おはよう、お兄ちゃん」って、笑顔で言ってくれた妹。なのに、いま壇上に立っているのはまるで別人みたいだ。兄の存在なんて、みはりの世界にどれだけあるんだろう。この輝きの中に、俺は入っているのか?それとも、ただの影...?
周囲の生徒たちのヒソヒソ声が聞こえてくる。
「みはりちゃんって、確かお兄さんがいたよね。」
「天才の妹がいる兄貴ってどんな気持ちなのかな?」
「お姉ちゃんが同じクラスだけど、めっちゃ普通って言ってたw」
「可哀想だけど、比べちゃうとさ...」
そんな声が、講堂の歓声に混じって、真尋の耳に届く。
誰も直接は言ってこない。
でも、視線が突き刺さる。同情と嘲笑が入り混じった、冷たい視線が。
真尋は席で俯いたまま、拳を強く握りしめていた。
指の関節が白くなるほど力を込めて、爪が掌に食い込む。胸の奥で、何かがぐちゃぐちゃに潰れていく音だけが響いていた。
俺は...みはりの兄貴なのに。今朝だって、いつもみたいに隣で笑って、他愛ない話をしたばかりなのに。なんで、こんなに遠くに感じるんだろう。なんで、なんで、いつもこうなんだろう...。
そんなやり場のない思いが、真尋の体を重く押しつぶす。視界がぼやけた。涙じゃない。ただ、講堂の照明が眩しすぎて、妹の輝きが眩しすぎて、自分の影が濃すぎて...。
「もう、いいよ」
声は小さく、ほとんど息のように漏れた。
「俺なんか...いなくても...」
拳を握った手が、微かに震えていた。この震えは、怒りでも、悲しみでもなくて、ただ、諦めと、どこかでまだ残っている「みはりにとって頼れる兄貴でいたい」という淡い願望、どうしようもない劣等感と、そんな気持ちを抱いてしまう自分への失望、それらが複雑に混じりあったものだった。
かつてオレの後を付いて回っていた小さな妹はもういない。
みんなの誇りで、未来を約束された天才で、誰からも求められる、そして俺はただの、置いてけぼりの影。
それでいい。もう、それで...。
——はっ。
まひろはベッドから跳ね起きた。
心臓がバクバク言っている。
額から首筋にかけて、冷たい汗が一気に引いていく感覚があった。
パジャマの胸元が、重く張り付いている。生地が肌にべったりと吸い付いて、身じろぐたびに不快な冷たさが広がる。
部屋は静かで、午後の陽射しがカーテンを透かして差し込む。
「...また、あの夢か」
最近、頻繁に見るようになった。
あの講堂の記憶が蘇る。
みはりの輝きと、周囲の視線。
「優秀な妹の、ダメな兄」。
まひろは鏡の前に立った。 もう見慣れた女の子の姿。
まだ幼さを残した可愛いらしい顔、成長途上の細い体。
この体になってから、初めて褒められるようになった。
ポンコツさ加減はとっくにバレているが、それでいいってみんなが言ってくれる。
女子中学生として学校に通い、もみじたちと笑い、文化祭の準備をして、毎日が楽しい。
引きこもりだった頃の自分とは大違いだ。
でも心の奥で何かがずっとざわついている。