おにまい曇らせ(仮) 作:Unus negotiator
学校へ向かう道はいつも通りだった。
もみじ、あさひ、みよの三人と合流して、みんなの輪の中に入る。
「おはよー、まっひろん!はぐはぐー」
あさひが元気よく飛びついてきて、背後からぎゅーっと抱きついてくる。
突然の事にまひろはバランスを崩しそうになりながら、慌てて声を上げる。
「うわっ、あさひ!? ちょっと、離れろー!」
もみじが頰を膨らませながら、すかさずあさひの腕を掴む。
「もー!!あさひ!朝からなにしてるの!まひろちゃんにくっつきすぎ!離れなよ!」
声に少し棘がある。
嫉妬丸出しの表情で、まひろを自分の方に引き寄せようとする。
「えー、別にいいじゃん。まひろんふわふわで気持ちいいぞ!」
あさひは全然悪びれず、むしろもっと抱き着こうとしてくる。
まひろは苦笑しながら、そっとあさひの肩を押して距離を取った。
みよは少し離れたところからその様子を眺め、目を細めて微笑んでいる。
(朝から百合嫉妬ごちそうさまです♡ あさひちゃんの無防備ハグ、もみじちゃんの嫉妬顔、どっちも最高・・まひろちゃんが困ってる顔も尊い・・うふふ、今日も幸せな朝だわ)
「まひろちゃん、今日も文化祭の劇の練習あるよ。姫様役がんばってね! わっ、わたしも王子様役がんばる、、から」
気持ちを切り替えたらしきもみじが、頰の膨らみを少し残したまま急に明るい声を出した。
少し照れくさそうに髪を指でいじりながら、まひろの袖を軽く引く。
「まひろちゃんが姫なら、私が王子様で守ってあげるんだから!って、その前にちゃんと練習しなきゃだね!」
もみじの言葉に、あさひが「えー、あさひも王子様やりたいぞ!」と飛びつき、みよが「王子様は一人だから良いのよ?分かるぅ?」と謎の圧をかけている。
いつも通りの賑やかな朝。
みよが目を輝かせて言う。
「まひろちゃんの演技、可愛いから絶対ウケると思うよ。衣装の最終調整したから試着楽しみにしててね!」
みよがそう言いながら、持っていた紙袋から布地のサンプルを取り出し軽く振ってみせる。
フリルがふわっと揺れて、まひろの視界に可愛らしいピンクが舞った。
まひろは笑顔で頷きながら、心の奥でまたも小さな違和感が広がっていくのを感じていた。
舞台衣装を着けて練習室に入ると、クラスメイトたちがすぐに集まってくる。
「まひろちゃん、今日の台詞読み聞かせてよ!」
「穂月さんの王子様役イケメン過ぎ~!」
「まひろちゃん、姫のポーズやってみて!」
「ちょっと男子ー!いくら緒山さんが可愛いからってガン見し過ぎ!」
「まひろちゃんがいると、みんなテンション上がるよね〜」
みんなの笑顔が、温かい。
褒め言葉が、次々と降ってくる。
皆が見てるのは天然で可愛い美少女の自分。
演技がいい。
クラスが盛り上がる。
本当なら、嬉しいはずだ。
女の子としての人生で初めてできた友達たちに囲まれて、クラスの皆からもこんなに求められるなんて、引きこもりだった頃の自分には想像もできなかったことだ。
なのに、また胸の奥で何かがざわつく。
可愛い? 天然? オレがいるとテンションが上がる?
それは、この体だからだろ。
かわいい女の子だからだろ。
男だったら、ダメな兄のままだったら、誰も相手になんてしてくれないんじゃないのか?
「……ちょっと、ごめん。気分悪いからトイレ……」
小さな声で呟いて、俯いたまま歩き出す。
もみじが慌てて後を追おうとする。
「え、まひろちゃん!? 待って、私も——」
まひろは振り返って、弱々しく手を振った。
「ありがと、でも一人で大丈夫だから……すぐ戻るから」
もみじは心配そうに眉を寄せるけど、
「……うん、わかった。すぐ戻ってきてね?」
まひろは小さく頷いて、練習室の近くのトイレへ向かった。
個室に入って鍵をかける。
外の笑い声が、壁越しに響く。
壁に背中を預けて、ゆっくりと座り込む。
ドレスのスカートが太ももに張り付く感触が嫌になる。
誰もいない。ここなら、誰も見ていない。
息が浅くなる。
指先が冷たくなる。
胸のざわつきが、波みたいに押し寄せてくる。
あの頃のオレは、部屋に閉じこもって誰とも関わらずにいた。
友達なんて一人もいなかったし、褒められることも求められることも無かった。
みはりが薬をくれたから、外に出て友達ができて、笑えるようになった。
でも、それは全部この体のおかげだ。
本当のオレのままだったら、今も一人でいたはずだ。
鏡の中の女の子は、今日も笑顔を返してくれる。
みんなに必要とされている女の子の笑顔。
でもその笑顔の下で、オレはまだあの部屋の暗闇の中にいる。
布団にくるまって、誰の声も聞こえないところで、ただ息を潜めてた頃の俺が。
(この体がなくなったら……また、)
放課後、劇の練習が終わった帰り道。
もみじが隣を歩きながら、少し照れくさそうに、でも嬉しそうに口を開いた。
「まひろちゃん、急にトイレに駆け込むから心配したけど…今日の姫役…似合ってたよ。本当に。みんなが『姫はまひろちゃんじゃなきゃダメだ』って言ってたし、私も、なんか、守ってあげたくなる感じだった」
もみじの声はいつもより柔らかく、頰が少し赤らんでいる。
まひろをチラチラ見ながら、言葉を続ける。
「ちょっとポンコツなとこも…って、あっ、違っ、ゴメンね!でも、それが逆に可愛くて、王子様役の私がちゃんとエスコートしなきゃって思っちゃったよ」
まひろは小さく笑って返す。
「なにー! ポンコツとはなんだー!あっ、でも台詞飛ばしちゃったのはゴメンねぇ…」
もみじが慌てて手を振る。
「ううん、いいよいいよ! それがまひろちゃんらしくて可愛いんだから!」
何気ないやり取り。
いつもの笑い声が響く。
心のひびが、少しずつ広がっていく。
玄関の鍵を回しドアを開けると、リビングの方から小さな足音がした。
スリッパの音がぱたぱたと近づいてきて、みはりが顔を出す。
「おかえり、お兄ちゃん」
いつもの控えめな笑顔。
「今日は文化祭の練習だったんでしょ?どうだった?」
まひろは鞄を置いて、いつもの調子で腕組みしながらドヤってみせた。
「まぁ、オレはかわいいからな! みんなが『姫役にぴったり』って騒いでたし、もう主役確定だろう!絶対的ヒロイン様だっ!えっへん」
みはりが目を輝かせる。
「よかった。お兄ちゃんもすっかり学校になじめて、人気者で」
少し間を置いて、みはりが優しく続ける。
「実はね、ちとせ先輩の協力もあって長期間、数年単位で女の子に定着できる新薬ができたんだ。副作用もほとんどないし、これなら無理なく“今の生活”を続けられる……
まひろは振り向かなかった。
振り向いたら、表情が崩れるのが分かったから。
みはりは続ける。声はどことなく嬉しそうで、純粋で、悪意がない。
「……お兄ちゃんがこれからも困らないように」
困らないように。
その一言が、優しい檻みたいに感じられた。
(困るのは、俺が“男に戻る”時だけだろ)
胸の辺りがひゅっと冷える。
思わず振り返ると、みはりの顔があまりにも真剣な表情で、まひろは言い返せない。
「…へえ」
口から出たのは、薄い返事だった。
みはりの笑顔が一瞬だけ揺れる。
気づいたのか、気づかないふりをしたのか。
「…お兄ちゃんはどうしたい? お兄ちゃんが決めていいんだよ」
そう言いながら、みはりはほんの少しだけ前のめりになる。
答えを期待している姿勢。
でもまひろには、それが「答えはもう決まっているよね?」と言っているように見えた。
“今の生活を続ける”以外の答えを、想定していないその目に。
まひろの喉が鳴った。
(決めていいって言いながら、戻る選択肢は最初から無いのか..)
まひろは笑おうとした。
笑って「まぁ、いいんじゃね」とか言って、いつも通りに流そうとした。
できなかった。
口の端だけが動いて、笑顔の形にならない。
息が浅くなる。肩の内側が固くなる。
「…うん」
やっと出た声は、嘘みたいに小さかった。
「…そうだな。それも、いいかもな」
みはりはほっとしたように微笑んだ。
その微笑みが、まひろの中の何かをさらに静かに壊す。
まひろは部屋に入ってドアを閉めた。
制服のまま敷きっぱなしの布団に寝転んで、天井を眺めながら深く息を吐く。
心のざわつきが、もう抑えきれなくなり始めていた。