おにまい曇らせ(仮)   作:Unus negotiator

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第2話 優しい檻の向こう側

学校へ向かう道はいつも通りだった。

もみじ、あさひ、みよの三人と合流して、みんなの輪の中に入る。

 

「おはよー、まっひろん!はぐはぐー」

 

あさひが元気よく飛びついてきて、背後からぎゅーっと抱きついてくる。

突然の事にまひろはバランスを崩しそうになりながら、慌てて声を上げる。

 

「うわっ、あさひ!? ちょっと、離れろー!」

 

もみじが頰を膨らませながら、すかさずあさひの腕を掴む。

 

「もー!!あさひ!朝からなにしてるの!まひろちゃんにくっつきすぎ!離れなよ!」

 

声に少し棘がある。

嫉妬丸出しの表情で、まひろを自分の方に引き寄せようとする。

 

「えー、別にいいじゃん。まひろんふわふわで気持ちいいぞ!」

 

あさひは全然悪びれず、むしろもっと抱き着こうとしてくる。

まひろは苦笑しながら、そっとあさひの肩を押して距離を取った。

 

みよは少し離れたところからその様子を眺め、目を細めて微笑んでいる。

(朝から百合嫉妬ごちそうさまです♡ あさひちゃんの無防備ハグ、もみじちゃんの嫉妬顔、どっちも最高・・まひろちゃんが困ってる顔も尊い・・うふふ、今日も幸せな朝だわ)

 

「まひろちゃん、今日も文化祭の劇の練習あるよ。姫様役がんばってね! わっ、わたしも王子様役がんばる、、から」

 

気持ちを切り替えたらしきもみじが、頰の膨らみを少し残したまま急に明るい声を出した。

少し照れくさそうに髪を指でいじりながら、まひろの袖を軽く引く。

 

「まひろちゃんが姫なら、私が王子様で守ってあげるんだから!って、その前にちゃんと練習しなきゃだね!」

 

もみじの言葉に、あさひが「えー、あさひも王子様やりたいぞ!」と飛びつき、みよが「王子様は一人だから良いのよ?分かるぅ?」と謎の圧をかけている。

 

いつも通りの賑やかな朝。

 

みよが目を輝かせて言う。

「まひろちゃんの演技、可愛いから絶対ウケると思うよ。衣装の最終調整したから試着楽しみにしててね!」

 

みよがそう言いながら、持っていた紙袋から布地のサンプルを取り出し軽く振ってみせる。

フリルがふわっと揺れて、まひろの視界に可愛らしいピンクが舞った。

 

まひろは笑顔で頷きながら、心の奥でまたも小さな違和感が広がっていくのを感じていた。

 

 

舞台衣装を着けて練習室に入ると、クラスメイトたちがすぐに集まってくる。

 

「まひろちゃん、今日の台詞読み聞かせてよ!」

 

「穂月さんの王子様役イケメン過ぎ~!」

 

「まひろちゃん、姫のポーズやってみて!」

 

「ちょっと男子ー!いくら緒山さんが可愛いからってガン見し過ぎ!」

 

「まひろちゃんがいると、みんなテンション上がるよね〜」

 

みんなの笑顔が、温かい。

褒め言葉が、次々と降ってくる。

皆が見てるのは天然で可愛い美少女の自分。

 

演技がいい。

クラスが盛り上がる。

本当なら、嬉しいはずだ。

 

女の子としての人生で初めてできた友達たちに囲まれて、クラスの皆からもこんなに求められるなんて、引きこもりだった頃の自分には想像もできなかったことだ。

 

なのに、また胸の奥で何かがざわつく。

可愛い? 天然? オレがいるとテンションが上がる?

 

それは、この体だからだろ。

かわいい女の子だからだろ。

 

男だったら、ダメな兄のままだったら、誰も相手になんてしてくれないんじゃないのか?

 

 

「……ちょっと、ごめん。気分悪いからトイレ……」

 

小さな声で呟いて、俯いたまま歩き出す。

 

もみじが慌てて後を追おうとする。

 

「え、まひろちゃん!? 待って、私も——」

 

まひろは振り返って、弱々しく手を振った。

 

「ありがと、でも一人で大丈夫だから……すぐ戻るから」

 

もみじは心配そうに眉を寄せるけど、

 

「……うん、わかった。すぐ戻ってきてね?」

 

まひろは小さく頷いて、練習室の近くのトイレへ向かった。

個室に入って鍵をかける。

 

外の笑い声が、壁越しに響く。

壁に背中を預けて、ゆっくりと座り込む。

ドレスのスカートが太ももに張り付く感触が嫌になる。

誰もいない。ここなら、誰も見ていない。

 

息が浅くなる。

指先が冷たくなる。

胸のざわつきが、波みたいに押し寄せてくる。

 

あの頃のオレは、部屋に閉じこもって誰とも関わらずにいた。

友達なんて一人もいなかったし、褒められることも求められることも無かった。

 

みはりが薬をくれたから、外に出て友達ができて、笑えるようになった。

でも、それは全部この体のおかげだ。

 

本当のオレのままだったら、今も一人でいたはずだ。

 

鏡の中の女の子は、今日も笑顔を返してくれる。

みんなに必要とされている女の子の笑顔。

 

でもその笑顔の下で、オレはまだあの部屋の暗闇の中にいる。

布団にくるまって、誰の声も聞こえないところで、ただ息を潜めてた頃の俺が。

 

(この体がなくなったら……また、)

 

 

放課後、劇の練習が終わった帰り道。

もみじが隣を歩きながら、少し照れくさそうに、でも嬉しそうに口を開いた。

 

「まひろちゃん、急にトイレに駆け込むから心配したけど…今日の姫役…似合ってたよ。本当に。みんなが『姫はまひろちゃんじゃなきゃダメだ』って言ってたし、私も、なんか、守ってあげたくなる感じだった」

 

もみじの声はいつもより柔らかく、頰が少し赤らんでいる。

まひろをチラチラ見ながら、言葉を続ける。

 

「ちょっとポンコツなとこも…って、あっ、違っ、ゴメンね!でも、それが逆に可愛くて、王子様役の私がちゃんとエスコートしなきゃって思っちゃったよ」

 

まひろは小さく笑って返す。

 

「なにー! ポンコツとはなんだー!あっ、でも台詞飛ばしちゃったのはゴメンねぇ…」

 

もみじが慌てて手を振る。

 

「ううん、いいよいいよ! それがまひろちゃんらしくて可愛いんだから!」

 

何気ないやり取り。

いつもの笑い声が響く。

 

 

心のひびが、少しずつ広がっていく。

 

 

 

玄関の鍵を回しドアを開けると、リビングの方から小さな足音がした。

スリッパの音がぱたぱたと近づいてきて、みはりが顔を出す。

 

「おかえり、お兄ちゃん」

 

いつもの控えめな笑顔。

 

「今日は文化祭の練習だったんでしょ?どうだった?」

 

まひろは鞄を置いて、いつもの調子で腕組みしながらドヤってみせた。

 

「まぁ、オレはかわいいからな! みんなが『姫役にぴったり』って騒いでたし、もう主役確定だろう!絶対的ヒロイン様だっ!えっへん」

 

みはりが目を輝かせる。

 

「よかった。お兄ちゃんもすっかり学校になじめて、人気者で」

 

少し間を置いて、みはりが優しく続ける。

 

「実はね、ちとせ先輩の協力もあって長期間、数年単位で女の子に定着できる新薬ができたんだ。副作用もほとんどないし、これなら無理なく“今の生活”を続けられる……

 

まひろは振り向かなかった。

振り向いたら、表情が崩れるのが分かったから。

みはりは続ける。声はどことなく嬉しそうで、純粋で、悪意がない。

 

「……お兄ちゃんがこれからも困らないように」

 

困らないように。

その一言が、優しい檻みたいに感じられた。

(困るのは、俺が“男に戻る”時だけだろ)

 

胸の辺りがひゅっと冷える。

思わず振り返ると、みはりの顔があまりにも真剣な表情で、まひろは言い返せない。

 

「…へえ」

 

口から出たのは、薄い返事だった。

みはりの笑顔が一瞬だけ揺れる。

 

気づいたのか、気づかないふりをしたのか。

 

「…お兄ちゃんはどうしたい? お兄ちゃんが決めていいんだよ」

 

そう言いながら、みはりはほんの少しだけ前のめりになる。

答えを期待している姿勢。

 

でもまひろには、それが「答えはもう決まっているよね?」と言っているように見えた。

“今の生活を続ける”以外の答えを、想定していないその目に。

 

まひろの喉が鳴った。

(決めていいって言いながら、戻る選択肢は最初から無いのか..)

 

まひろは笑おうとした。

笑って「まぁ、いいんじゃね」とか言って、いつも通りに流そうとした。

 

できなかった。

 

口の端だけが動いて、笑顔の形にならない。

息が浅くなる。肩の内側が固くなる。

 

 

 

「…うん」

 

やっと出た声は、嘘みたいに小さかった。

 

「…そうだな。それも、いいかもな」

 

みはりはほっとしたように微笑んだ。

その微笑みが、まひろの中の何かをさらに静かに壊す。

 

まひろは部屋に入ってドアを閉めた。

制服のまま敷きっぱなしの布団に寝転んで、天井を眺めながら深く息を吐く。

 

 

 

心のざわつきが、もう抑えきれなくなり始めていた。

 

 

 

 

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