おにまい曇らせ(仮)   作:Unus negotiator

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第7話 疑念

穂月家のリビングには、いつもとは違う、沈んだ空気が漂っていた。

 

妹のもみじがソファに座り、膝に手を置いたまま俯いている。

隣には小学生時代からの親友、あさひがいて、落ち着かない様子でソファの端をいじっていた。

 

少し離れた椅子に、中学に入ってからの友だちの、みよちゃんが腰掛け、静かにこちらを見守っている。

 

いつもなら……もう一人――まひろちゃんがここにいて、四人で取り留めのない話をして、笑い合っていたはずなのに。

 

三人とも、顔が曇っている。

今日はバイト先で急な病欠が出て、三人を随分待たせてしまった。

私はコーヒーを淹れながら、みんなの様子を横目で見ていた。

 

もみじが口を開いたのは、私がカップをテーブルに置いた瞬間だった。

 

「お姉ちゃん……まひろちゃんのことなんだけど……」

 

もみじは言葉を探すように、いったん視線を落とした。

 

「昨日ね……私…また、まひろちゃんの家に行ったの」

 

あさひは一瞬目を丸くしたが、珍しく口を挟まず、もみじを見ていた。

みよちゃんも小さく瞬きをして、何か言いかけ――そのまま飲み込む。

二人とも黙って、もみじの次の言葉を待った。

 

「まひろちゃんには、会えなかった。やっぱりまだ誰にも会いたくないって…言ってるって…」

 

声が小さくなる。 

 

「その時の……みはりさんの様子がおかしくて……声も掠れてて……ずっと泣いてたみたいだった。やっぱり劇の事だけじゃないって、すぐに分かったの……だから、何があったのって、聞いてみたんだ。話してほしいって」

 

もみじはそこで言葉を切って、唇を噛む。

 

「でも……答えてくれなくて……それ以上は、聞けなかった。みはりさん……すごく苦しそうな顔してて……私のほうが、それ以上踏み込めなくなっちゃって……」

 

話し終えると、もみじは膝の上で手をぎゅっと握り込んだ。

 

 

 

あの文化祭の日、私も、まひろちゃんが舞台袖に駆け込む、あの瞬間を見ていた。

かわいそうに、大丈夫かな――とは思ったけど、正直、ここまで長引くとは考えてなかった。

 

主役を任されたら、そりゃ誰だって緊張もする。

ましてや、あのまひろちゃんだ、台詞が飛んだって全然おかしくない。

 

泣いて、恥ずかしくて、二、三日寝込んで、それでもまた、うちにも顔を出してくれて――みんなに「あの時は大変だったね」って言われて、「もうやだ〜、その話には触れないで〜」って、ぐるぐる目でパニくる、まひろちゃんを囲んで笑い合って。

 

……そうやって終わるはずだった。そう思っていた。

 

 

ずっと心配はしていた。

でも私まで押しかけたら、まひろちゃんが余計に気にしちゃう気がして……

 

なにより、そばにはみはりがいる。

だから大丈夫だ――どこかでそう安心していた。

だから、あえて動かなかった。

 

みはりにはチャットで時々様子を聞いていた。

それが――

 

いつもは早い返信が、この数日で目に見えて遅くなり――昨日からは、既読すら付かない。

通話にも出ず、連絡は途絶えたままだ。

 

 

「……わかった。今日はもう遅いから、明日の放課後、私が行ってみるよ」

 

もみじが顔を上げた。

 

「お姉ちゃん……受験勉強もあるのに……ごめんね……」

 

かえでは小さく首を振って、いつも通りの笑顔を作った。

 

「ううん、まひろちゃんは私にとっても、もう一人の妹みたいなものだし、それに……みはりのことも、気になる」

 

かえではそう言いながら、テーブルの上の時計に目をやった。

 

「さっ、――もう遅いから、今日はこれで解散。みんな、帰る支度して」

 

三人は名残惜しそうに立ち上がり、コートを羽織る。

ドアを開けると、日が暮れかけた夕方の冷気がひんやりと流れ込んできた。

晩秋の乾いた空気が頬を撫で、視線の先では通りの街灯がぽつぽつ灯り始めていた。

 

二人の背中が角を曲がって見えなくなるまで、もみじと並んで見送った。

あさひが手を振り、みよちゃんが小さく会釈する。

 

ドアが閉まる。

鍵をかける音が、やけに大きく響いた。

 

 

もう、放ってはおけない。

 

今を逃したら、取り返しがつかない――そんな気がしてならなかった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

朝の光がカーテンの隙間から細く差し込んで、廊下の床に淡い筋を落としていた。

家の中はまだ静かで、昨夜の慌ただしさは夢だったみたいに遠い。

 

キッチンに立ち、湯を沸かす。ポットが小さく唸りはじめても、二階からは物音がしない。

みはりは大学を休んでいる――昨夜、そう聞いた。

 

まひろくんはこの時間は寝ているようだ。

気になって、そっと部屋を覗いてきたが、布団の膨らみはそのままで、眠っているのがわかった。昨日みたいに――起きたところへ、温かいものを置けば、少しでも食べてくれるだろうか。

 

(起きるの何時頃なんだろう……みはりちゃんに聞いておけばよかった)

 

今さらそんなことを思いながら、まつりはスマホを手に取って画面をスワイプする。

ろくに引き継ぎも連絡調整もできないまま、帰国を優先した。

未読バッジには見た事がないような数字が貼りついている。

メール、チャット、緊急のミーティング依頼、etc――

 

仕事は、好きだ。

プレゼン前の空気が張り詰める瞬間も、資料の数字が噛み合って道が一本に収束していく感覚も、誰もが「無理だ」と言いかけたところを、地道な段取りと根気で現実に変えていく道程も――その中心に自分がいることに、静かな高揚を覚える。

 

けれど今は、それを優先している場合じゃない。

まつりはスマホを伏せた。

 

いま、この家でいちばん必要なのは――母親として、ここにいる自分だ。

 

 

しばらくして、階段を下りる小さな足音がした。

みはりが、ぼんやりした目のままリビングに現れる。

髪は寝癖のまま少し乱れ、目元はまだ腫れている。

パジャマの裾を握りしめて立つ姿が、ふと幼い頃のみはりに重なった。

 

「みはりちゃん、おはよう。昨夜は、よく眠れた?」

 

みはりは少しだけ口元をゆるめて、小さく頷く。

それからテーブルの椅子に腰を下ろした。

 

「いま、トースト焼くわね」

 

まつりはトーストを焼き、サラダを盛り、コーヒーを注いでみはりの前に置いた。

温かい湯気が立ち上る。

 

「ゆっくり食べてね。ママも一緒に食べるから」

 

みはりはフォークを手に取り、マッシュポテトを小さく掬って、そっと口に運んだ。

まだぼんやりとした目で、でも、少しだけ、頰が緩んだように見えた

 

 

……昨夜より顔色は少しだけ戻っている。けれど――

 

まつりは向かいで、トーストの最後のひと欠片を噛みしめてから、ようやくコーヒーに口をつける。

 

「……おいしかった?」

 

みはりは弱々しく微笑みながら小さく頷く。

 

「……うん。おいしかった」

 

まつりはカップを置き、テーブルの上に手を揃えた。

いま聞かなければ、また先延ばしになる気がした。

 

「みはりちゃん……改めて、今までのこと……ずっと……本当に、ごめんなさい」

 

まつりは一度だけ視線を落とす。

 

「本当は、母親である私が二人の事を守らなきゃいけなかった。ずっと仕事を言い訳にして、本当に母親失格だった、でも……今までの事、みはりちゃんの目で見て、みはりちゃんの胸の中で起きていたことを、全部聞かせてほしい。 まひろくんが――最初の時も、今回も……どうしてあそこまで追い詰められたのか。 ママ、もう曖昧にしたくないの」

 

「今さらこんなことを言って……ごめんね。でも今度こそ、間に合うようにしたいの。だから……お願い」

 

みはりは俯いたまま、しばらく言葉が出てこない。

小さく息を吸って、吐いた。

そのたびに、言葉が喉元まで来ては引っ込む。

 

 

「……お兄ちゃんはね」

 

ようやく絞り出すように、みはりの声がこぼれた。

 

「……私のこと、ずっと褒めてくれてたの。昔から。……私、それが嬉しくて」

 

久しぶりに声を使ったみたいに、喉の奥が少しだけ掠れている。

 

まつりは何も言わず、ただ頷いた。

続きを待つように、視線だけをそっと合わせて。

 

 

「お兄ちゃんに“すごい”って言われたくて。“よくできたね”って、頭を撫でられたくて……だから、私、頑張ったの」

 

みはりの口元が、ほんの少しだけゆるんだ。

 

「最初は……ほんとにただ、それだけだった。勉強も、運動も、お兄ちゃんが何でも教えてくれて、褒めてくれて……お兄ちゃんが見てくれるから、頑張れた」

 

"最初は"――

まつりの胸の奥に、わずかな違和感が芽を出す。

 

みはりは言葉を探すように一瞬黙り、それから続きを口にした。

 

「でも……だんだん、私が“できる”ことが、普通と違うってことがわかってきて、お兄ちゃんじゃなくて、先生や、他の大人たちも、期待して……褒めて……」

 

みはりは一瞬だけ唇を噛み、目を伏せた。

 

「……お兄ちゃんの前でも、そうなっていった」

 

まつりは黙って聞く。

みはりは聡い子だ、だからこそ、そこにずっと違和感を感じていた。

 

――それは、結果的に、お兄ちゃんを追い詰める形になったはずだ。

"普通"ではないと、"天才"だと分かった瞬間から、周りの視線も、学校の空気も、変わっていったはずなのだ。

みはりがそのことに気づかないはずがない。

 

みはりは視線を上げず、なおも続けた。

 

「そのうち……お兄ちゃんが褒めてくれなくなった。段々遊んでくれなくもなって……なんでかなって思ってた。一度聞いた事もあったんだ。どうして私のこと褒めてくれないの?私のこと見てくれないの?って……お兄ちゃんは……答えてくれなかった……」

 

まつりの指が、テーブルの端を軽くなぞる。

違和感が、輪郭を持ち始める。

 

みはりは、そこで一度言葉を切った。

まるで、自分の中の何かを確かめるみたいに。

 

「……私、ただ褒めてほしかっただけなの。それなのに……私が頑張れば頑張るほど、距離ができて……どうしたらいいか……分からなくて」

 

淡々と話すみはりの声から熱が抜けていき かすれていった。

 

「……気づいた時には、もう戻れないくらいに、遠くなってた」

 

まつりは息を飲む。

それは、悲しみの告白であると同時に――どこか、何かが足りていない、紛れもない本音の形をしているのに、何かが一枚だけ、足りない。

 

(……みはりちゃんは、本当に“気づいていなかった”の?)

 

冷めたコーヒーが、舌の上で苦く広がる。

その苦みで気持ちを整えながら、言葉を選ぶ。

傷つけず、逃がさず、でも追い詰めないように。

 

これから聞くことは、決定的なことかもしれないし、ただの勘違いかもしれない。

けれど、いま踏み込まなければ、二人とも戻ってこない気がした。

 

 

「……みはりちゃん、聞いていい?」

 

知らず、喉が小さく鳴った。

 

「……なぁに? ママ」

 

まつりは一拍置いて、まっすぐに言った。

 

 

 

「ママ、ずっと気になっていたことがあるの」

 

 

 




うん。やっぱりこれ、8話じゃ全然終わらないや。知ってた

すみません、創作なめてました。
とあるp〇xiv作品に感銘を受け(癖ェェ!!)、気づけば衝動のまま書き始めた本作品。
最初にズラーっと勢いで書いてしまったので、その後のつじつま合わせとか色々と……難航しそうです。はい。

あと明日からお仕事がちょっと立て込みそうで、次話以降は更新ペースが落ちると思います。
が!!エタらせないように頑張って書き上げる所存ですので、よろしくお願いします!


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