息をするように主人公と花村くんがお付き合いしています。
※P4だけじゃなくP3成分も入ってきてます。
なおこの小説を書いたときはまだP5発売されておりません。こわい
※Pixiv二掲載していたものをハーメルンに投稿するのにあたり、一部改稿しています。
※クトゥルフ神話成分がしみしみですよろしくお願いいたします。
※ちょっと痛そうな表現ありますが、タグはこれで大丈夫なはず!だめだったら言って…
※ボーイズラブタグが有効になりました。編集するのはそろそろやめようと思うので、OKな人はぜひ引き続きどうぞ。
日付:12月20日土曜日
音が、消えていた。
正確に言えば、何も聞こえないわけではない。
遠くで何かが軋むような低い音が続いていて、足元の瓦礫がときおり小さく崩れる。だが、それらはどれも現実感に乏しく、まるで水の底で聞いているようだった。
堂島遼太郎は、ゆっくりと息を吐いた。
白でも黒でもない、重たい霧が空間を満たしている。
視界は利く。だが、距離感が狂っている。数歩先が妙に遠く感じられ、逆に離れているはずの人影が、すぐ隣にあるようにも見えた。
「……終わった、んだよな?」
誰に向けた言葉でもなく、ただ声に出しただけだった。
瀬文の姿はもうない。
あの異様な存在感も、笑い声も、世界を歪める圧もすべて、霧の奥に溶けて消えていた。
だが、「終わった」という実感はなかった。
銃を撃った瞬間の感触だけが、やけに生々しく残っている。
引き金を引いた直後の反動。撒き散らされる硝煙の匂い。引き金を戻す指の感覚。それらが現実で、今この静けさの方が夢のようだった。
「叔父さん」
背後から声がした。
振り向くと、鳴上が立っている。いつものように背筋は伸びているが、その顔には疲労の色が隠せていない。
「動けますか」
「ああ……問題ない」
本当は、少し足が重かった。
だが、それを理由に立ち止まるわけにはいかない、と体が勝手に判断していた。
霧の中には、まだ何かが残っている。それを、堂島は本能的に感じ取っていた。
鳴上の視線の先、霧が最も濃く熱がまだ微かに残っている方向に、暗い影がある。
人の形をしているようで、していない。中心に近づくほど、空気が重くなる。
「……南原、か」
名前を口にすると、胸の奥がきしんだ。
思い返せば、南原という男のことを、堂島はほとんど知らない。
だが、菜々子を逃がしたという話。後から聞いた、断片的で曖昧な証言。
それでも、それだけで十分だった。
「俺が行く」
堂島は、自然にそう言っていた。鳴上が何か言いかけて、口を閉じる。
その表情は、半ば諦めのような、辛い感情が滲んでいた。
「……俺も、後ろにつきます」
「いや」
堂島は首を振った。
「少しだけ、距離をくれ。これは……俺が行く道だ」
銃を構え直すことはしなかった。
ホルスターに収めたまま、一歩、霧の中へ踏み出す。
足元の感触は不安定で、地面なのか、別の何かなのか判然としない。
それでも、前に進む。
霧は冷たく、そして奇妙に優しかった。包み込むようで、逃げ場を与えるようで。それが、逆に恐ろしい。
(……迷わせる気か)
堂島は、胸元に手をやる。そこにあるはずの重み。ペンダントの感触を確かめる。
「……待ってろ」
誰に向けた言葉かは、自分でも分からない。だが、足は止まらなかった。
黒い霧の奥で、かすかに、人の気配が揺れている。堂島遼太郎は、その中心へ向かって歩き続けた。
◇◇◇
熱が、急に遠のいた。
赤黒い光に近づいているはずなのに、足元の感覚が薄れていく。堂島は眉をひそめたが、立ち止まらなかった。
次の瞬間、霧がほどける。
──八十稲羽の夕暮れ。
見慣れた駅前通り。買い物袋を下げた人々の流れ。遠くで聞こえる、チャイムの音。
肉屋の前で揚げ物の匂いがした。
遠くで自転車のベルが鳴る。夕方の放送が、駅前の空気に混じっている。
人が行き交う空気は、現実と寸分違わない。
堂島は、息を呑んだ。
そこに、二人分の影があった。
一つは、小さな影。赤いランドセルを背負った、娘の後ろ姿。
もう一つは。
「……遼太郎さん」
背後から、声がした。
低く、柔らかく、聞き慣れた声。何度も、夢の中で聞いた声。
堂島は、反射的に振り向きかけて、止まった。
(……来るな)
分かっている。これは、見せられているものだ。
しかし。
「無理、しすぎよ」
声は、すぐそこにある。耳元で囁かれるほど、近い。
「また、全部一人で抱え込んで……」
胸の奥が、締め付けられた。振り向けば、そこにいる気がした。
穏やかな顔で、心配そうに眉を寄せる妻が。
あの日から、二度と会えなかった人が。
堂島の足が、わずかに止まる。
「……菜々子を、また一人にする気?」
その一言が、胸の奥に刺さった。
三年前に菜々子が誘拐されたとき。一度、心臓が止まりかけた時。
後悔してもしきれないほどの、心の軋轢。喉奥から叫び出したいほどの衝動。
堂島は、歯を食いしばる。
よぎるのは、菜々子の笑顔。今は別の場所にいる。ちゃんと、生きている。
「……やめろ」
掠れた声が漏れる。
「遼太郎さん」
今度は、はっきりと呼ばれた。
チリ、と右手にはめた指輪が熱を発した。
その瞬間、視界の端で、娘の後ろ姿が崩れ落ちる。ランドセルが、音もなく地面に転がる。
人の気配が消えた。商店街の建物が歪む。空が黒く染まる。
静寂の中で、声だけが残る。
『あなたが、守れなかったからよ』
堂島の拳が震えた。怪物の咆哮でも刃でもない。「もしも」を突きつける声。
堂島は、ゆっくりと息を吸う。
そして、前を向いた。
「……それでもだ」
低く、はっきりと言う。
「俺は、進む」
その言葉が落ちた瞬間、幻覚がひび割れる。
妻の声が、歪んだ。商店街が、粉々に砕け散る。
霧が一気に押し寄せ、現実が戻ってくる。
焼け焦げた床。歪んだ壁。赤黒い光。
堂島は、荒く息を吐いた。
上着のポケットに手を入れる。熱を帯びた手に触れる冷たい感触が、現実を引き戻す。
魔女の眷属、と名乗った彼が寄越したペンダントだ。
幻覚は、まだ終わっていないかもしれない。だが、もう惑わされることはなかった。
◇◇◇
赤黒い光の中心は、近づくほど不快だった。
耳の奥を掻きむしるような音が、断続的に響いている。
叫び声のようで、悲鳴のようで、意味を成さない雑音。
堂島は眉をひそめる。
聞き取れないはずなのに、感情だけが伝わってくる。
焦燥。恐怖。切迫。
断片的な、しかし心の奥底の衝動が響く。
(……苦しんでいる)
そう思った瞬間、足が速くなる。
赤黒い光の縁に踏み込んだとき、音が、急に変わった。
耳障りだった叫びは消え、代わりに、か細い声が残る。
「……ななこちゃん……」
堂島は、はっと息を呑んだ。
声は、すぐ近くから聞こえる。怒号でも、怨嗟でもない。震える、小さな呟き。
「……だいじょうぶ、だったかな……」
堂島の足が、止まる。
赤黒い光の中心で、人影がうずくまっている。
熱に焼かれ、形を失いかけながら、しかしその言葉は祈りにも似ていた。
「兄様たちは……うまく、保護してくれただろうか……」
堂島は、拳を強く握った。
声は、途切れ途切れだ。だが、はっきりと聞き取れる。
「……ななこちゃん……けが、してないかな……」
それは、自分の苦しみを訴える声ではなかった。
助けを求める言葉ですらない。ただ、誰かの無事を案じる声。
堂島の喉が、ひくりと鳴る。
(……なんだ、それは)
こんな場所で。こんな状態で。
それでも、この男は自分のことより、娘のことを気にしている。
胸の奥が揺れた。怒りでも、悲しみでもない。もっと、どうしようもない感情。
「……南原」
名を呼ぶと、人影がわずかに反応した。
堂島は、上着のポケットに手を入れる。
冷たい感触がした。
非現実にまみれたこの場所で、唯一の現実としての重みを感じながらペンダントを取り出す。
この光景を見せられ、もう、迷う理由はなかった。
「……すまなかった」
低く、震える声で言う。
「俺は……遅すぎた」
堂島は、一歩踏み出す。
赤黒い光が、肌を刺す。だが、止まらない。
「それでも……迎えに来た」
ペンダントを、そっと差し出す。
南原の胸元だったはずの位置に、触れさせる。
その瞬間。
熱が、嘘のように引いた。
赤黒い光が波打ち、色を失っていく。中心に溜まっていた圧が、ほどける。
人影が、はっきりと形を取り戻し始めた。小さく、息を吸う音。生きている。
堂島は、力を抜いた。膝が揺れる。だが、倒れなかった。
背後から気配を感じる。鳴上だろう。それでも、堂島は振り返らない。
今は、ただ。この現実を、受け止める必要があった。
◇◇◇
赤黒い光は、ゆっくりと退いていった。
消える、というより、沈む。
燃え残った熱が、深い水の底へと引きずられていくように、空間の色が薄れていく。
堂島は、南原のそばから動かなかった。
人の形を取り戻した身体は、まだ力なく横たわっている。呼吸は浅いが、確かに続いている。
「……よし」
それだけを確認して、堂島は息を吐いた。
周囲の霧が、ほどける。黒から灰へ、灰から白へ。
焼け焦げた床の輪郭が、少しずつはっきりしていく。
歪んでいた壁も、現実の形へと戻り始めた。
「叔父さん」
すぐ後ろから聞こえた。
振り返ると、悠が立っている。
その向こうに、イザナギの淡い光。
少し離れた場所には、花村の姿もあった。
皆、無事だ。
「……終わったのか」
堂島の問いに、鳴上は首を縦に振る。
「少なくとも、これ以上悪くはなりません」
堂島は、もう一度南原を見下ろす。
赤黒い光は消え、ただの地下施設の床が広がっている。
異界の気配は、ほとんど残っていない。
「……迎えに来ただけだ」
独り言のように呟くと、鳴上が一瞬だけ目を伏せた。
堂島は、ポケットを探る。
そこにあるはずのペンダントは、もうなかった。
代わりに、南原の胸元で、かすかに光を失ったそれが静かに横たわっている。
不思議と、喪失感はなかった。
役目を終えた。ただ、それだけだ。
やがて、遠くから足音が近づいてくる。
霧の向こうから、仲間たちの声。名前を呼ぶ声。現実の音。
堂島は、南原の肩にそっと手を置いた。
「……もう大丈夫だ」
返事はない。
だが、南原の呼吸が、わずかに深くなった気がした。
堂島は立ち上がる。背筋を伸ばし、周囲を見回す。
異界は、終わった。
残ったのは、救いきれなかった後悔と、それでも救えたという事実。
それで、十分だった。
「帰るぞ」
誰に向けた言葉かは分からない。
だが、全員が動き出した。
地上へ向かう道は、もう歪んでいない。ただの通路だ。
堂島遼太郎は、最後に一度だけ、振り返った。
そこには、もう何もない。黒い霧も、赤い光も、すべて、消えていた。
そして彼は、現実へと歩き出した。
14話です。
あとがきはpixivにはない機能なので、ここでしかしない話をしたりしなかったり。
堂島さん最後のおつかい。
初めて「自分の娘を助けた南原という謎の男に会う」シーンは、12年前にどうしても書きたかったけど、このシーンを書くための精神コストが高すぎて無理だったんだよなあ。
あと、なんとなく「うしろをふりかえってはいけない」という神話あるあるもちょっとだけかけています。
今となっては「間に合ってよかったね」という話に帰結しますが。
それではまた次回お会いしましょう。