プレ先時空のセリカがやってくるお話   作:気弱

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シロコテラー 初めての気持ち

奇跡の再会――そう呼ぶほかない運命の悪戯を経て、私は、永遠に失ったはずの「私の世界」のセリカと再び巡り会うことができた

 

あの日、地獄かとも思える砂漠で、血と埃に塗れながら絶望の底を彷徨っていた私たちが、こうして同じ空気を吸い、同じ景色を眺めている。あの子は凄惨な戦いの代償として味覚を失い、その容姿もかつての面影を残しながら少しだけ「テラー」としての変質を遂げてしまっていた。けれど、この世界の対策委員会のみんなが差し伸べてくれた温かな手によって、止まっていた時間は少しずつ、けれど確実に動き出していた

 

かつて喉を焼き、心を削り続けた「砂の味」という名の絶望。そこから解放され、今では悩みなんてどこかに置き忘れてきたような、眩しいほどに無垢な笑顔を見せるセリカ。そんな彼女の姿を隣で見つめているだけで、私の胸の奥は言葉にならない充足感で満たされていた

 

ああ、セリカもようやく、あの終わりのない地獄から救い出されたのだと……

 

そう確信できることが、私の今の生きる意味にさえなっていた

 

はずなのに……

 

この凪のように穏やかな日々が続く中で、私の心には新しく、たった一つの、自分でも整理のつかない「悩み」が芽生え始めていたのだ。それは、あの日々では決して抱く余裕などなかった、あまりにも身勝手で、ひどく独占的な感情の澱

 

「セリカテラーちゃん、これとっても美味しいですよ〜。はい、あーん♪」

 

「じ、自分で食べられるわよっ!? ……でも、ありがと。ノノミ先輩……」

 

放課後の対策委員会室。西日に照らされた教室の中、私の視界の特等席には、ノノミ自慢のお菓子を照れくさそうに口にするセリカテラーの姿が映っていた

 

あの日、歓迎会での奇跡を経て、彼女の味覚は確かに戻り始めていた。けれど、地獄の記憶はそう簡単には消えてはくれないらしく、今でも独りで食事をしようとすれば喉の奥からあの忌まわしい「砂の味」がせり上がり、身体が栄養を拒絶してしまうらしい

 

「……誰かと一緒なら、ちゃんと味がするのに」

 

そんな彼女が零した切実な独り言を聞いた日から、対策委員会のメンバーは使命感にも似た情熱を持って彼女を囲むようになっていた。彼女に「本当の味」を思い出させたい、独りで食べる恐怖を温かな絆で上書きしてあげたい。その一心で、みんなが自分のとっておきを持ち寄っていたのだ

 

数日前には、ホシノ先輩やアヤネも、自分たちが気に入っている有名店の和菓子や限定のスイーツを山のように抱えてやってきた。そして今のノノミと同じように、まるで幼い妹を慈しむように、彼女の口元へ優しく食べ物を運んでいた

 

その光景は、誰が見ても微笑ましく、救済の象徴のような時間

 

そして、この世界のセリカもまた、その「甘やかし隊」の熱心な一員だった

 

「ちょっと、もう一人の私! ノノミ先輩にそうやっていつまでもベタベタしないでよ!」

 

「べ、ベタベタなんてしてないわよっ!? ……これは、その……美味しく食べるための、必要なコミュニケーションなんだから」

 

部室のソファでは、ノノミにお菓子を食べさせてもらっていたセリカテラーが、耳まで赤く染めて反論している。そんな彼女の様子を、この世界のセリカは挑発的な笑みを浮かべながら眺める

 

「……ふーん? 言い訳はいいけど、それなら私の持ってきたものも、ちゃんと美味しく食べてくれるわよね?」

 

ニヤニヤとした表情で、セリカが鞄の中から丁寧に包まれた小さな箱を取り出す。それまでムスッとした顔で視線を逸らしていたセリカテラーだったが、その箱のロゴを見た瞬間、弾かれたように顔を上げ、瞳をキラキラと輝かせた

 

「そ、それっ! 私がこの前、雑誌で見て気になってた……!」

 

「ふふふー、正解。たまたまバイトした先が提携しててね、特別に差し入れとして貰っちゃったのよ」

 

恭しく取り出されたのは、愛らしい猫の絵柄がデコレーションされた、季節限定の特別なチョコケーキだった。その甘く芳醇な香りが部室に広がると、セリカテラーの「ツン」としていた態度は一瞬で霧散し、隠しきれない期待がその全身から溢れ出す

 

「今からちょうどいいサイズに切り分けるから、みんなで食べるわよ!」

 

「わ、私も手伝うわ! お皿、どこにあるか知ってるし!」

 

セリカテラーは、それまで座っていたノノミの隣から飛び跳ねるような勢いで立ち上がると、弾んだ足取りでセリカの後を追って給湯スペースへと駆けていった。二人のセリカが肩を並べて、楽しげにケーキを準備する後ろ姿。それは、まるで本当の姉妹のような、あるいは自分自身の半身と和解したような、この上なく幸福な光景だった

 

……けれど

 

そんな奇跡のような光景を、私は少し離れた場所から、愛銃を磨く手を止めて見つめていた

 

誰が見ても、これは救済の象徴だ。砂漠の果てで全てを失った私たちが、喉を枯らしてまで切望した「穏やかな放課後」そのものだ。あの子が笑っている。誰かに甘え、誰かを頼り、明日を疑わずに甘いものを口にしようとしている

 

それなのに、私の胸の奥に刺さった小さなトゲは、彼女の笑い声が響くたびに深く、深く突き刺さってくる

 

(……ん。セリカ、すごく楽しそう。私の前では見せたことのないような、子供みたいな顔をしてる)

 

自分でも、この感情の正体が分からなかった

 

私だけが、彼女の「唯一の先輩」だったはずの時間。あちらの世界で、姿の見えないあの子を想い、ただ再会だけを願って彷徨い続けたあの日々。ようやくこの世界で見つけ出し、私の手で救い出した瞬間の、あの独占的な充足感

 

それが今、この平和で明るい光の中で、少しずつ薄まり、共有されていく

 

彼女がこの世界に馴染めば馴染むほど、私と彼女を結んでいた「特別」な鎖が解けていくような、そんな言いようのない不安と焦燥

 

幸せを願っているはずなのに、心が追いつかない

 

無意識のうちに強く握りしめたメンテナンス用のクロスが、私の迷いを代弁するように、ぎりりと不穏な音を立てていた

 

こんな光景が、最近はずっと続いている

 

彼女が私以外の誰かに向ける無防備な笑顔を見るたびに、胸の奥のトゲが深く突き刺さり、心を抉っていく

 

「……ん。私、もう行く」

 

立ち上がり、鞄を肩にかける。その不自然なタイミングに、真っ先に気づいたのはホシノ先輩だった

 

「あれ? クロコちゃん、もう帰っちゃうの? せっかくセリカちゃんたちがケーキを用意してくれたのに」

 

「……ん。ちょっと、用事があるから」

 

嘘だった。用事なんてどこにもない。ただ、これ以上この幸福な空間に留まっていたら、自分の中に溜まった黒い澱が、形を持って溢れ出してしまいそうで怖かったから

 

「シロコ先輩、また会いに来てくださいね!」

 

ちょうどケーキを切り終えて戻ってきたセリカテラーが、私に向かって、今までよりもずっと眩しい、一点の曇りもない笑顔を向ける。その屈託のなさが、今の私には鋭い刃のように突き刺さった

 

私は何も言わず、ただ小さく手を振って応え、逃げるように対策委員会室を後にする

 

帰り道、夕刻の赤い光が街を重く飲み込んでいく

 

通りかかった橋の上で足を止め、私は独り、川面に映る夕焼けを眺めていた

 

今頃、部室では切り分けられた猫のケーキを囲んで、みんなが楽しく笑い合っているはずだ。セリカテラーも、あの子にしか分からない最高の笑顔で、みんなと甘い時間を共有しているだろう

 

それを想像するだけで、胸がぎゅっと締め付けられるように痛む

 

「はぁ……」

 

重く、熱い溜息が唇からこぼれ落ちる。その瞬間

 

「クロコじゃないか。どうしたの? こんなところで」

 

「!?」

 

背後から掛けられた予期せぬ声に、全身の毛羽が逆立つような衝撃が走る

 

慌てて振り返ると、そこには夜勤明けの疲れを隠しきれない、けれど柔らかな眼差しを向けた先生が立っていた

 

悩んでいたとはいえ、背後に立たれるまでその気配を察知できないなんて。かつて死線を潜り抜け、あらゆる感覚を研ぎ澄ませていた私にとって、それはあってはならない失態だった。それほどまでに、私の心はかき乱されている。そのふがいなさが、余計に自分を追い詰めていく

 

「……ん。大丈夫。ちょっと、黄昏てただけだから」

 

努めて平坦に、感情を殺してそう答えた。けれど、先生は私の隣に並び、一緒に川の流れを見つめながら、静かに首を振る

 

「そうかな……今の君は、景色を眺めているというより、『重い悩みを抱えた』一人の女の子にしか見えなかったよ?」

 

先生がチラリと私を見る。その瞳は、表面上の平穏など簡単に見透かし、私の心の奥底にある濁った部分まで暴いてしまうかのようだった

 

「……はぁ。先生には、敵わないね」

 

私は諦めたように、溜め込んでいた空気を吐き出す

 

「……私の世界のセリカのことなんだけど」

 

あの子の味覚が戻ったこと。けれど、独りではまだ砂の味がして、誰かと一緒じゃないと食事ができないこと。それを知ったみんなが、まるで競い合うようにあの子を愛で、食べさせてあげていること

 

「……あんなに幸せな時間なのに。みんながあの子を愛してくれている、最高の場所のはずなのに……。何故か、私の心がそれを拒絶してる。きっと色彩のせい……ううん、もともとの私の本性が歪んでいるのかもしれない。あの子の幸せを心から願ってあげられない、最低な先輩なんだって……そう思うと、苦しくて」

 

話しているうちに、視界が滲んでいくのがわかった

 

先生は、私の告白を最後まで遮ることなく聞いてくれた。しばらくの間、川のせせらぎだけが二人の間に流れる

 

「……それはね。拒絶じゃないと思うよ」

 

「……え? 拒絶じゃ、ない……?」

 

「クロコ……ううん。ここではあえて、シロコって呼ぼうか。シロコは今まで、ずっと過酷な環境で我慢して……自分の本当の願いを、ずっと心の奥底に閉じ込めてきたんだと思うんだ」

 

「……私の、本当の願い……」

 

「シロコは、セリカに幸せになってほしいって言ったよね。その幸せそうな光景を見て、壊したいと思った?」

 

「っ……そ、そんなこと、思ったことない。ただ……」

 

「ただ……見てるのが、嫌だとは、思った。胸がチリチリして、居たたまれなくなって……」

 

「それじゃあ……それはきっと、寂しかったんだね。あるいは、みんなに嫉妬してしまったのか。……シロコにとって、あのセリカは唯一無二の、共に地獄を生き延びた『本物の後輩』なんだから。そう思うのは、ちっとも最低なことじゃない。人間らしい、当たり前の感情だよ」

 

先生の言葉が、すとんと胸の奥に落ちた

 

そうだ。私はあの子の幸せを願っていないわけじゃない

 

ただ――私も、あのみんなの輪の中に入りたかったんだ

 

私だって、あの子を甘やかしたかった

 

あちらの世界でずっと追い求め、ようやく手に入れた「私の後輩」という特別な居場所が、私以外の誰かの手によって上書きされていくのが怖かった

 

私は、もっとセリカと一緒にいたい

 

私だけの後輩として、私にだけ見せる顔を、もう一度だけ独占したかったんだ

 

「……ん。私、寂しかったんだ。あの子を甘やかすのが、私以外の誰かであるのが……本当は、すごく、悔しかった……」

 

「その顔……。自分が本当はどうしたかったのか、答えは見つかったかな?」

 

先生が、すべてを見透かしたような優しい眼差しで問いかけてくる。私は小さく頷いた。視界を曇らせていた霧が晴れ、胸の奥で燻っていた感情が、一つの確かな輪郭を持って熱を帯びている

 

「……ん。ありがとう、先生。やっぱりこの世界の先生も、私の世界の先生と同じくらい、お節介で……あったかいね」

 

「あはは、それは私にとって最高の褒め言葉だね」

 

先生に短く別れを告げると、私は今来た道を引き返すように走り出した。一刻も早く、あの子の元へ。一歩一歩、自分の足で、この焦燥感と期待を噛み締めながら

 

ようやく対策委員会の教室の前にたどり着き、荒れた息を整える。扉に手をかけ、一呼吸置いてから勢いよく中に入ると、そこには予想外の光景が広がっていた

 

「……あ」

 

そこには、顔を林檎のように真っ赤にさせたセリカテラーがいた。いつものシロコの膝の上に強引に座らされ、先ほどまではなかったはずの別のお菓子を口に運ばれている。逃げようとしても、シロコの無機質な、けれど逃がさないという意思の籠もった腕に阻まれているようだ

 

「し、シロコ先輩!? 帰ったんじゃなかったの……っ」

 

私に気づいたセリカテラーが、弾かれたように声を上げた

 

「こ、これは違うのよ!? シロコ先輩に捕まって……に、逃げられなくなって、その……っ!」

 

必死に弁明しようとする彼女の言葉も、今の私には届かない。私は迷いのない足取りで、ズンズンと二人の前まで歩み寄る

 

「シロコ……先……っ!?」

 

セリカテラーが何かを言いかける前に、私はその細い体を、シロコの腕の中から奪い取るようにして抱き上げる。いわゆる「お姫様抱っこ」の形になった彼女は、驚きで目を見開いていた

 

「シロコ先輩!? な、何して……ちょっと、恥ずかしいんだけど!?」

 

「ん。暴れないで……。今から私とデートするよ」

 

「デ、デート!? 何言ってるの先輩!?」

 

「うへ~……」と、ホシノ先輩たちが目を丸くして驚いているが、今の私には関係ない。私は腕の中にある、驚くほど軽くて温かな重みを、これ以上ないほど愛おしく感じていた

 

「これから私の『大切な後輩』との時間を作る。……今日から、毎日。だから、今日のところはみんなとはお別れ。また明日」

 

「な、何言ってるのシロコ先輩!? 助けてみんな!? お出かけは嬉しいけど、これじゃ目立ちすぎて恥ずかしいわよ!?」

 

セリカテラーがじたばたと足を動かすが、私はそれを無視して、堂々とした足取りで部室の外へと連れ出した。夕焼けに染まる廊下に、あの子の慌てふためく声と、私の心を満たす確かな独占欲が響いていく

 

取り残された部室では、沈黙の後にホシノがぽつりと呟いた

 

「……クロコちゃん。あれ、きっと嫉妬してたんだよね、うへぇ〜」

 

その言葉に、残されたメンバーはただ、深く、深く頷くしかなかった

 

砂漠を二人で歩んでいた時よりも、ずっと我儘で、ずっと人間臭い。そんな「先輩」の顔をした彼女の背中は、夕陽に溶けて、幸せそうに消えていった




終わったはずなのにセリカテラーの幸せな風景を思い浮かんで書いてしまう…特にあの自販機のせいで()
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