放課後の対策委員会室には、琥珀色の柔らかな夕陽が深く差し込み、室内を非現実的な黄金色に染め上げていた。その温かな光は、ソファで深く眠りにつくセリカテラーの髪を優しく撫で、埃の粒子が光の筋の中でキラキラと舞っている。ふと瞼を開けた彼女は、あまりの静寂と、肌にまとわりつくような重い空気に、自分がどれだけの時間まどろんでいたのかを測りかねていた
(……いつのまに…寝てたの…?)
寝ぼけ眼で辺りを見渡すが、つい先ほどまで聞こえていたはずの、シロコたちの賑やかな声も、アヤネの書類をめくる音も聞こえず、部室の中には彼女一人だけが座っていた。ただ、視界の端が妙に白く霞み、空間の輪郭が水面のように絶えずゆらゆらと揺らいでいる。まるで現実と空想の境界線が熱に浮かされたように曖昧になっているかのような、奇妙で、それでいてひどく懐かしい違和感があった
「…そろそろ、帰らないと……」
彼女が重い腰を上げ、出口へと向かおうとしたその時。静まり返った廊下の奥から、聞き慣れた二つの足音と声が響いてくる
「うへ~、やっぱりこの時期のお外は寒いねぇ。おじさん、耳がちぎれちゃうかと思ったよ」
「……でも、あそこはお昼寝には最高だった。静かで、誰にも邪魔されないよね」
扉がゆっくりと開き、室内に入ってきたのは二人の人影だった
一人は見慣れた、いつもの制服姿でへらりと笑うホシノ。そしてもう一人は、黒いゴシック調のドレスに身を包み、冷徹なまでの静謐さを纏った――あまりにも異質な、けれど間違いなく本人の面影を残した「小鳥遊ホシノ」
その人物の頭上には、赤黒い「目」のような紋章が刻まれたヘイローが、呼吸を合わせるように鈍く明滅しながら浮かんでいる。漆黒の衣装は夜の闇そのものを切り取って縫い合わせたようで、彼女がそこに立っているだけで、部屋の空気が張り詰め、氷点下まで下がるかのような錯覚を覚えた
「ホシノ、先輩……? ……それと、その横の、人は……誰……?」
セリカテラーが震える声で問うと、二人のホシノは吸い込まれるような仕草で同時にこちらを見た。いつものホシノが楽しげに笑い、黒いドレスのホシノは――本物よりもずっとぎこちなく、罪悪感か後悔が入り混じったような複雑な笑みを浮かべて、静かに答える
「何言ってるの、セリカテラーちゃん。この子はあなたの世界の私だよ。この前ここへやってきたばかりなのに、もう忘れちゃったの?」
「セリカちゃん酷いよ、私のこと忘れるなんて。もしかして、こっちの私がおじさんおじさん言うから移っちゃった?」
黒いドレスを纏ったホシノテラーが、いつものホシノの言葉に同調するように、淡々と言葉を紡ぐ。声のトーンはもう1人のホシノよりも一段低く、どこか遠い場所から響いているような冷ややかさがあったが、困惑するセリカテラーを少しだけ弄って楽しんでいるような、そんな彼女らしい茶目っ気だけは、僅かにその声に宿っていた
「で、でも……! 私の世界のホシノ先輩は……あの時、死んで……! 私も、この目で最期を見たもの! 間違えるわけないわよ!!」
セリカテラーが、否定したい現実に抗うように悲鳴に近い声を上げた瞬間
再び、部室の扉が勢いよく開かれる
「セリカテラーちゃん! 大丈夫ですか!? 外まで悲鳴のような声が聞こえてきましたけど!」
「セリカ、大丈夫…!?」
扉を乱暴に開けて飛び込んできたのは、セリカテラーの動揺を察知し、焦燥を露わにしたアヤネだった。その背後からは、同じく心配そうに眉を寄せたセリカとノノミ、そして無表情ながらも微かに瞳を揺らしたクロコが続く
しかし、セリカテラーの視線は、彼女たちの隣に寄り添うように立つ「異質な影」に釘付けとなった。そこには、服装こそ見慣れたものと大差ないが、決定的な「死の残り香」を纏った、もう一人のノノミとアヤネが立っていた
「……う、嘘……。なんで、みんな……」
セリカテラーは大きく見開いた瞳から、溢れ出しそうな涙を堪えて絶句していた
ノノミは、首元を厚手のマフラーで覆っているが、その隙間からはかつて自ら命を絶った際に刻まれたであろう、生々しいロープの痕のような文様が黒い痣となって覗いている。一方で、アヤネテラーは眼鏡のフレームの色が変わっている以外は、驚くほど生前と変わらぬ知的な面影を残していた
「セリカちゃん……本当に大丈夫ですか? 顔色がとても悪いですよ」
マフラーに顔を埋めるようにしたノノミが、慈愛に満ちた声でセリカテラーの顔を覗き込む
「……まだ、……寝ぼけてるみたい……。ごめん、だけど……何があったのか、順を追って説明してほしいかな……」
セリカテラーは、ガタガタと震える膝を必死に押さえつけ、塞がらない口を動かしてようやくそれだけの言葉を絞り出した。彼女のあまりの混乱ぶりを見かねた一同は、二人のノノミが手際よく淹れてくれた、香ばしいお茶が注がれた湯呑を手に、円卓を囲んで座ることにした
「んー……どこから説明した方がいいのかな。まず、数日前にゲヘナ学園の自治区内で、私が暴走してるっていう妙な噂が流れてね……」
この世界のホシノが語るには、事態は数日前の奇妙な目撃情報から始まったという。偽物の正体を暴き、これ以上の騒ぎを止めるために現場へ急行したホシノ達が目にしたのは、漆黒のドレスを纏い、感情を凍りつかせたようなホシノテラーの姿だった。意外にも対話が可能であったため、戦火を交えることなく、二人のホシノは「自分たちの抱える事情」を共有し、すぐに打ち解けたのだという
事態はそれだけでは収まらなかった。それから一日も経たぬうちに、今度はノノミとアヤネの偽物が現れたという情報が舞い込む。急いでゲヘナへ向かった対策委員会の面々が目にしたのは、ホシノやセリカ(テラー)のように暴れ回ることもなく、ただ途方に暮れた様子で空を見上げていた二人が、空崎ヒナによって保護されている光景だった
そこから聞かされた真実は、驚きの連続だった。三人はそれぞれ、あちらの世界で確かに一度は命を落とし、意識が途絶えたはずだった。しかし、気がつくとテラー化した状態でこの世界へと降り立っていたのだという
「あの時のヒナちゃんの顔といったら、もう凄かったよねぇ……。『他の世界から来るのは構わないけど、なんでみんなしてゲヘナで暴れたり、うちの自治区で座り込んだりするの?』って……おじさん、あんなに怒ったヒナちゃんを初めて見たよ」
「……あれは、私も本当に怖かった。過労で限界を超えていて、今にも何をしでかすか分からないような、凄絶な表情だったから……」
ホシノテラーは、低く落ち着いた声で同調し、本物よりもずっとぎこちない、けれどどこか楽しげな苦笑いを浮かべる
「私も、正直そう思いました。ああ、ここで殺されるのではないかって……。あっ、……一度は死んでいるんでしたね」
「あはは」と、力なく、けれど確かに生きていることを噛みしめるような苦笑いを浮かべるもう一人のアヤネ
「私達はどこかしら、こちらの世界の私達とは外見に決定的な差異がありましたけれど、アヤネちゃんだけはほとんど生前と変わらない姿でしたからね。こちらのアヤネちゃんをこっちのアヤネちゃんと間違えた風紀委員長さんに『……貴方は真面目で、暴走しがちな対策委員会の唯一のストッパーだと思っていたのだけれど』なんて、心底意外そうな顔で言われていましたよね♪」
ノノミテラーが、マフラー越しに穏やかな、けれどどこか悪戯っぽい響きを含んだ声で当時の状況を回想する。 その言葉に、それまで冷静を装っていたアヤネテラーが、堪らずといった様子で声を荒らげる
「それは他のみんなが変わりすぎなんですよ!? ノノミ先輩は……まだ首元以外はそこまで原型を留めていますが……シロコ先輩とホシノ先輩……そしてセリカちゃんすら、あんなに凄まじい変貌を遂げているじゃないですか!? 私まで変わり果てていたら、誰が事態を収拾するんですか!?」
「あはは……なんだか、自分自身の不満を聞かされているようで複雑ですね」
憤慨するアヤネテラーを宥めようと、この世界のアヤネが苦笑いを浮かべながらお茶を差し出す。 客観的に見れば、二人のアヤネが互いの「ストッパーとしての苦労」を分かち合うという、もはやカオスという言葉すら生温い光景が広がっていた。 そのあまりにも非日常的で、それでいて自分たちがかつて共有していた空気が混じり合う空間に、セリカテラーの脳は処理能力を超え、ショート寸前にまで追い込まれていた
しかし、混乱の波が引いた後に残ったのは、確かな温かさだった。 あの絶望に染まった砂漠で、一人、また一人と欠けていき、二度と揃うことはないと諦めていた「自分たちの対策委員会」が、今、再びこうして一堂に会している。 その奇跡のような真実を芯から理解した瞬間、堰を切ったように、セリカテラーの瞳から涙がポロポロと零れ落ち始めた
「セリカちゃん!? 大丈夫ですか、どこか具合でも……っ!」
先ほどまで勢いよく反論していたアヤネテラーが、セリカテラーの目から溢れ出す大粒の涙を見て、一瞬で顔色を変えて慌てふためく
「せ、セリカちゃん……? どうしたの、そんなに泣いて……」
ノノミテラーも、心配そうにその顔を覗き込む。 セリカテラーは、しゃくりあげながら、枯れることのない涙を拭おうともせず、震える声で叫ぶ
「みんなが、いる……。本当に、本当に……みんな、戻ってきてくれたんだ……!!」
セリカテラーは堪らず椅子を蹴るようにして立ち上がり、傷跡を抱え、痛々しい姿となって戻ってきた仲間たちの懐へと飛び込んだ。 漆黒のドレスを纏ったホシノテラーの胸に顔を強く埋め、アヤネテラーとノノミテラーの肩を、二度と離さないと言わんばかりの力で抱きしめる
「ううっ……おかえりなさい……! おかえりなさい……!! もう、絶対どこにも行かないで……独りにしないで……!」
テラー化した彼女たちは、そのあまりの勢いと切実な願いに一瞬だけ戸惑うような素振りを見せた。 しかし、すぐにその瞳を細め、この上なく慈しみに満ちた、優しい手つきでセリカテラーを抱き締め返した
「……ただいま、セリカちゃん。……もう、どこにも行かないよ。約束する」
黒いドレスのホシノが、低く落ち着いた声で囁き、不器用な手つきでセリカテラーの背中をトントンと優しく叩く。 それに合わせるように、ノノミテラーもアヤネテラーも、愛おしい妹分をあやすように、その頭を幾度も、幾度も優しく撫で続けた
ーーーーーーーーーー
カチャリ、と静まり返った部室に、扉が開く微かな音が響く
窓の外はすっかり帳が下り、かつて琥珀色に輝いていた夕陽は、今や冷ややかな夜の闇に取って代わられている。街灯の青白い光が窓から細く差し込み、室内を辛うじて判別できる程度の暗さで満たしていた。任務を終えて帰還したクロコは、足音を忍ばせて入室すると、迷いのない足取りで真っ直ぐにソファへと向かった。そこには、幼い子供のように丸くなって深い眠りについている、セリカテラーの姿があった
「……ん。セリカ、まだ寝てる」
クロコがそっと傍らに歩み寄ると、眠っているセリカテラーのまつ毛が小刻みに震えているのが見えた。熱に浮かされたように赤らんだその目尻からは、一筋の涙が静かに零れ落ち、白い頬を伝って枕元を濡らしている
「みんなが……生きてるよ……。ホシノ、先輩……ノノミ先輩……シロコ先輩……アヤネちゃん……もう……絶対に、離さないんだから……」
それは、あまりにも幸せそうで、同時にあまりにも切実な響きを持った寝言だった。その震える唇から漏れ出た言葉の意味を、同じ地獄を歩み、同じ喪失の痛みを知るクロコが理解できないはずはなかった
今のこの世界には、確かにホシノも、ノノミも、アヤネも、そしてもう一人の自分であるシロコも、健やかに笑い、平穏な日々を謳歌している。けれど、自分たちが「あちらの世界」で一つずつ、剥がれ落ちるように失っていった家族、そして最期まで救うことができなかった「彼女たち」は、もう宇宙のどこを探したとしても存在しないのだ
クロコは無言のまま、セリカテラーの隣にゆっくりと腰を下ろした。そして、夢の中の奇跡を必死に繋ぎ止めようとしている彼女の小さな手を、壊れ物を扱うような手つきでそっと握りしめる。自分の体温を分けるようにそっと体を寄り添わせ、彼女の震えを鎮めるように寄り添う
「……ん。……また、みんなに会いたいね」
誰に届くともない、クロコの静かな独白だけが、冷えた部室の闇の中に静かに溶けて消えていった
夢の中でしか許されない、残酷なほどに甘く、温かな再会。あちら側で失ったものへの、消えることのない愛着と渇望。その救いのない温もりを胸の奥に抱えたまま、二人のテラーは、ただ静かな夜の静寂へと深く包み込まれていった
セリカとは違ってホシノ達は明確に亡くなったという描写(ノノミは微妙だけどユメと同じ感じなのでそう捉えてます)なので辛い…
お気に入り100超えましたー!ありがとうございます!!