光弾が、放たれた。
数ではなく、密度だった。部屋全体が光で埋まった。隙間という概念が消えた。弾と弾の間に空間がない。上も下も前も後ろも、光で塗り潰されていた。
これまで見てきたどの弾幕とも違う。妖精たちの遊戯じみた弾幕でも、美鈴の精密な七色の弾でもない。もっと荒々しく、もっと圧倒的な、質量そのもののような光だった。
俺は動いた。
霊力を全身に巡らせ、光弾が触れる直前に向きを変える。完全には防げない。肩が、脇腹が、熱くなった。それでも、致命的なものは避けた。体を捻り、沈み、跳ね上げる。三次元的な回避を、意識するより先に身体がやってのけていた。霊夢の反射が、今この瞬間も俺を生かし続けている。
御札を三枚、続けて投げた。爆発が連鎖した。一瞬、視界が開けた。その隙間を抜ける。
抜けた先にも、また光の壁があった。フランドールの弾幕には、終わりという概念がないように思えた。一つの壁を突破しても、その奥にまた別の壁が待っている。まるで、無限に重なる薄紙を一枚ずつめくっているような、そんな終わりの見えない感覚だった。
背後で、何かが砕ける音がした。振り返る余裕もなかったが、壁の一部がまた消えたのだろうと直感した。破壊の音というより、崩落の音に近かった。石材が積み重なって落ちる、鈍い連続音。
「楽しい!久しぶりに、力を使える!」
フランドールの声が、弾幕の向こうから聞こえた。屈託のない声だった。心から楽しんでいる声だった。
その無邪気さが、放たれる力の破壊性と釣り合っていなかった。だからこそ、恐ろしかった。子供が花火を見て喜ぶような声で、館の一部が容赦なく消えていく。壁の一角が、また音もなく消失した。そこから差し込む光が、館の内部に不自然な明るさを作っていた。
「魔理沙」
「おう!」
魔理沙が側面から弾幕を展開した。フランドールの光弾とぶつかり、空間で爆発が連鎖した。壁が削れ、石材が落下した。館が、さらに壊れていく。天井の梁が軋み、埃と細かい石片が雪のように降り注いだ。
俺は着地の直後、体を横に転がして次の弾幕をやり過ごした。石床に肩を擦りつけた痛みが走ったが、構っていられなかった。立ち上がりざま、御札を一枚、目の前を塞ぐ光弾の群れへ投げつける。爆発の熱風が頬を掠め、視界が白く点滅した。
一発が、太ももをかすめた。
「っ……」
熱いというより、鋭い違和感だった。触れた瞬間、皮膚の感覚が数瞬だけ消える。まるで、そこだけ存在が薄くなったような、そんな不気味な感触だった。慌てて霊力を巡らせて確かめると、皮膚は裂けていた。だが、傷そのものよりも、その一瞬の異物感の方が、俺を怖気づかせた。
これは、普通の弾幕ではない。単に痛い、傷つく、というだけの現象ではない。触れた場所の「あるべきものが、少しだけそこになくなる」ような、根源的な気味悪さがあった。
痛みを堪えながら、俺はもう一度霊力を全身に巡らせた。傷口に集中させて、出血を最小限に抑える。美鈴との戦いで覚えた、その応用がここでも役に立った。だが、フランドールの弾幕の密度は、これまでのどの相手とも比べ物にならなかった。息をつく間もなく、次々と光の壁が迫ってくる。
俺は動きながら考えていた。
このままでは長くない。館が崩壊する。レミリアが倒れる。美鈴も、まだ意識が戻っていない。この空間そのものが、いつ完全に消え失せてもおかしくなかった。天井の一部が既に消えている場所からは、青空が覗いている。それが、部屋という空間の異常さを、余計に際立たせていた。
吸血鬼の弱点を思い出した。日光だ。この身体に染み込んでいた知識が、その一点を示していた。
だが試す前に、確かめなければならないことがある。
「魔理沙、外に引き出せるか」
「外へ?」
「フランドールを外に誘導する。日光で焼く。」
魔理沙は一瞬だけ俺を見た。額に汗が滲み、髪が数本張り付いていた。それでも、目に迷いはなかった。判断の速さは、これまでの戦いで幾度となく見てきたものだった。
「わかった」
魔理沙が弾幕の向きを変えた。フランドールを押し込むのではなく、横へ誘導するように。俺も御札を使ってフランドールの前方を塞ぎながら、側面を開けた。二人の呼吸が、初めて噛み合った瞬間だった。何度も死線をくぐってきた連携が、ここでも生きていた。言葉を交わさなくても、互いの意図が読めるようになっていた。
フランドールは、素直に動いた。誘導されているという自覚すらないような、無邪気な動きだった。
「逃げるの。つまらない、もっと戦いましょう」
「逃げていない。移動だ」
ベランダを抜けて、外に出た。冷たい外気が、火照った肌に心地よく感じられたのも、ほんの一瞬だった。
太陽の光が、一気に降り注いだ。
日光が、フランドールの身体を照らした。
だが、何も変わらなかった。
肌が焼けることも、苦しむ様子も、一切なかった。フランドールは眩しそうに目を細めただけで、平然と宙に浮いていた。金色の髪が、日差しを受けて輝いていた。地下で四百九十五年を過ごした少女が、今、こうして太陽の下に立っている。その光景の異様さに、俺は一瞬、戦いを忘れて見入りそうになった。
「ん……?」
「だめだ。」
レミリアの声が、館の中から響いた。血の混じった、切迫した声だった。
「フランは自らの弱点を破壊している。吸血鬼としての弱点を、自分で壊したんだ。日光は通用しない。逃げろ!」
俺は、その言葉の意味を一瞬で処理した。
自分の弱点を、壊した。
あらゆるものを壊せる力は、自分自身も例外ではない。吸血鬼としての弱点を構成する部分を、自ら壊してしまえば、弱点はなくなる。想像するだけで、背筋が冷えた。四百九十五年という歳月の中で、この少女は自分自身にすら、その力を向けたことがあるということだ。孤独の中で、自らの身体にまで刃を向けた瞬間が、確かにあったということだ。
その理解が追いつく前に、フランドールの両手が頭上で組まれた。
振り下ろされた。
俺は腕をクロスさせて霊力を集中させた。衝撃が全身を貫いた。防いだ。だが防いだ腕が痺れ、体勢が崩れた。地面に叩きつけられた。石畳に。
息が詰まった。肺の中の空気が、一瞬で押し出された感覚だった。視界の端が、白く滲む。耳の奥で、鈍い耳鳴りが響いていた。
立ち上がろうとした時、魔理沙が動いていた。
フランドールが俺を見下ろしている隙に、背後から全速力で迫っていた。箒に魔力を凝縮させて。風を切る音が、俺の耳にも届いた。彼女なりの、俺を助けるための最速の判断だった。
「遅い」
フランドールは振り向かなかった。
右手を後方に向けて、握った。
パキン、という音がした。
魔理沙の箒が、真っ二つに折れていた。触れてもいないのに。距離があったのに。乾いた木の折れる音が、やけに鮮明に響いた。長年連れ添った相棒が、一瞬で二つの木片になった。
「いっ……」
魔理沙が空中で体勢を崩した。箒を手放し、魔力だけで浮遊を保ちながら着地した。折れた箒の破片が、地面に落ちて転がる。使い慣れた相棒を失った顔に、僅かな動揺が浮かんだ。だが、それを噛み殺すように、すぐに次の構えに移った。歯を食いしばり、拳を握り直す。
両手に魔力を集めた。
極大の光が、フランドールに向かって放たれた。空気を焼くような、あの見慣れた白い奔流。俺は、これまで何度もその力に助けられてきた。今度も、と一瞬だけ期待した。
フランドールは前を向いたまま、左手を前に出した。握った。
光が、消えた。
音もなく。残光もなく。ただ、消えた。空間に何も残らなかった。爆発の余韻も、熱も、何もかもが、最初からなかったことにされたようだった。焦げた匂いすら、残らなかった。
「……」
魔理沙が、何も言えなかった。呆然と、自分が放った光が消えた場所を見つめていた。長年培ってきた技が、まるで存在しなかったかのように扱われる。その事実が、彼女の顔から表情を奪っていた。俺は、その横顔に、これまで見たことのない色を見た気がした。
「全ての物には、目という部分があるの」
フランドールが言った。誰かに話せることが嬉しくて仕方ないような声で。
「最も緊張している部分。そこに力を加えれば、どんなものでも壊れる。鉱物の劈開と同じ原理よ。ダイヤモンドでさえ、特定の方向から力を加えれば割れる。私はその目を手の内に移動させて、握り潰すことができる。距離も関係ない。触れなくていい。目さえ掴めれば、それで終わり」
嬉しそうだった。
四百九十五年間、本の中だけにあった知識を、初めて誰かに話せている。その喜びが、声に滲んでいた。まるで、優等生が誰かに授業の内容を説明したがるような、そんな純粋な熱があった。だが、その説明の内容が、目の前の現実を作り出している破壊そのものだという事実が、聞いている側の背筋を凍らせた。
フランドールは右手を空に向けた。
握った。
空に浮かんでいた雲が、消えた。
音もなく。形を留めず。一瞬で、跡形もなく。ついさっきまで確かにそこにあった白い塊が、今はもう、何の痕跡も残していない。ただの青空が、そこに広がっているだけだった。
誰も、何も言えなかった。しばらく、風の音だけが二人の間に流れていた。
俺は石畳に片膝をついたまま、その場所を見ていた。雲があった場所を。今は何もない、ただの青空になった場所を。
底が、見えない。
「……どうやって、止める……」
地面に手をつきながら、呟いた。手のひらに、石畳の冷たさが伝わってくる。その感触だけが、今の俺にとって唯一確かなものだった。指先が微かに震えていた。恐怖からなのか、消耗からなのか、自分でも判別がつかなかった。
力では届かない。これはわかった。弱点もない。これもわかった。攻撃は防がれるか、消されるか、あるいは触れる前に握り潰される。どれだけ霊力を込めても、その先に何が待っているかわからない状況では、次の一手すら踏み出せなかった。今まで戦ってきたどの相手とも、根本的に勝負の土俵が違っていた。美鈴には技術で、咲夜には感知で、パチュリーには制約で、レミリアには不意打ちで届いた。だが、この少女には、そのどれも通用しない。届く前に、届かせる手段そのものが消されてしまう。
では、何が残る。
俺は、これまでの戦いを、もう一度頭の中で辿った。美鈴は、力で押し切ろうとした俺に、最後には道を譲った。咲夜は、俺の覚悟を聞いて、刃を収めた。パチュリーは、諦めない魔理沙の姿に、戦いを終わらせた。レミリアでさえ、咲夜の反抗という、力とは違う何かに動かされて、異変を止めた。
力で崩せなかった相手を、最後に動かしたのは、いつも力以外の何かだった。
だとすれば、この少女にも、同じ道があるのかもしれない。根拠のない、ただの直感だった。だが、他に縋るものが、もう何もなかった。
俺は、フランドールを見た。指先が、無意識に石畳を掻いていた。
この少女は今、楽しそうだ。力を使えることが嬉しい。知識を誰かに話せることが嬉しい。それはつまり、誰かと関わることが嬉しいということだ。
四百九十五年間、一人だった。
誰とも話せなかった。誰にも知識を伝えられなかった。地下の暗闇の中で、ただ本だけを友として過ごした年月。破壊の力を持ちながら、それを試す相手すらいなかった孤独。何百年という時間、声を発しても誰にも届かない場所で、この少女はどんな夜を過ごしてきたのだろう。想像しようとして、想像しきれなかった。地下室の壁に囲まれて、光も入らない場所で、ただ本のページをめくる音だけが、この少女の世界の全てだったのかもしれない。
窓の外の景色すら知らずに育った子供が、初めて外に出て、目にするものすべてに触れてみたくなる。そんな衝動に近いものが、この破壊の連続にはあるのかもしれなかった。壊すことしか、自分の存在を確かめる方法を知らなかったのだとしたら。
「………まだまだこれからよ」
フランドールが、俺を見た。楽しそうに。その目に、純粋な喜びと、四百九十五年分の何かが、混ざり合っていた。喜びと、怒りと、寂しさと、名付けようのない感情の澱が、幼い顔立ちの奥で渦を巻いているように見えた。
俺は、立ち上がった。
ゆっくりと。霊力を足に流しながら。太ももの傷が、体重をかけるたびに鈍く痛んだ。腕の痺れも、まだ完全には引いていない。それでも、立たなければならなかった。膝に力を込め、崩れかけた体勢を無理やり立て直す。
この少女に、力は通じない。言葉が、通じるかどうかもわからない。
だが、他に道がない。
魔理沙が、隣に並んだ。箒を失った両手を、拳のように固く握りしめて。表情には、まだ動揺の残滓があった。だが、そこに諦めの色はなかった。
「霊夢」
短く、俺の名を呼んだ。それだけで、何を言いたいのかは伝わった。まだやれるか、という確認だった。
「ああ」
俺は答えた。息を、深く吸い込む。石畳の上に散った自分の血の跡が、視界の端に映った。乾きかけたそれは、もう黒ずんでいた。
フランドールが、両手を広げた。周囲の空間に、再び無数の光の粒が生まれ始める。さっきよりも数が多い。密度が、増していく。空気そのものが、その光を吸い込んで震えているようだった。
「もう一回、遊びましょう?」
その声に、悪意はなかった。ただ、遊びたいだけの子供の声だった。それが、何より恐ろしかった。純粋であればあるほど、その純粋さが向かう先の破壊力に、歯止めがかからない。
俺は御札を握り直した。残りの枚数を数える余裕は、もうなかった。指先の感覚は鈍く、握った紙の感触すら曖昧だった。それでも、目の前の少女を、どうにかして止めるための道を、探し続けるしかなかった。
館の奥で、レミリアが何かを叫ぼうとして、血を吐いた気配があった。声にならない声が、微かに届いた。それでも、俺たちに動きを止める余裕はなかった。今この瞬間を凌がなければ、次の瞬間すらない。そういう戦いだった。
倒れたまま、レミリアはこの光景をどんな思いで見ているのだろう。四百九十五年間閉じ込め続けた妹が、今、初めて外の世界で力を振るっている。その姿を、止めることもできず、ただ見ていることしかできない。姉としての罪悪感と、妹への恐れと、それでも何とかしてほしいという願いが、あの倒れた身体の中で、渦を巻いているに違いなかった。
俺は、フランドールの周囲に浮かぶ光の粒を、もう一度見渡した。数えきれないほどの光が、静かに、しかし確実に殺意を孕んで浮遊している。この密度の中を、どう抜けるか。抜けたとして、その先に何があるのか。答えは、まだ何も見えていなかった。
隣で、魔理沙が地面に転がった箒の破片を一瞥した。もう使えない。それでも、彼女はその視線を素早く前方へ戻した。道具を失っても、彼女自身の魔力までは失われていない。両の拳に、そのすべてを込めるつもりのようだった。
「箒がなくても、飛べるのか」
俺は、思わず訊いた。場違いな質問だとわかっていた。だが、聞かずにはいられなかった。
「飛べるさ。箒はただの道具だ。要は魔力の流し方一つ」
魔理沙は、強がりとも本気ともつかない口調で答えた。声に、僅かな震えが混じっていたのを、俺は聞き逃さなかった。それでも、彼女は前を見ていた。
風が、頬を撫でた。太陽の光の下、金色の髪をなびかせて浮かぶ少女は、四百九十五年分の孤独と、今この瞬間の高揚とを、同時に抱えたまま、俺たちを見つめていた。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。