転生博麗   作:ライダー☆

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第二十二話 半人半霊の剣士

結界の向こうに、白い石段が続いていた。

 

見上げるほど長い。霞むほど遠くまで、段が積み重なっている。両脇には満開の桜が並び、花びらが絶え間なく石段の上に降り積もっていく。踏むたびに、乾いた音ではなく、柔らかく沈むような感触があった。まるで、地上のどんな石段とも違う、異界の階段だった。

 

その先に、屋敷の輪郭が見えた。白い甍。淡く発光しているような、そんな錯覚を覚える外観だった。

 

「……あれが」

 

魔理沙が、箒の速度を緩めずに言った。

 

「あそこに、春を集めた奴がいるんだな」

「おそらくは」

 

アリスが答えた。人形を数体、周囲に展開したまま。警戒を解いていなかった。

 

俺たちは、石段の上を飛びながら進んだ。地上を歩くよりも速い。だが、それでも遠かった。段の数が、常識の範疇を超えていた。何段あるのか、数える気にもならなかった。

 

その時、空気が変わった。

 

風ではない。もっと鋭い、何かが空間を裂くような気配だった。俺は反射的に身を捻った。

 

斬撃が、俺のすぐ横を通り過ぎた。

 

一瞬遅れて、亜空間ごと切り裂かれたような感触が肌に届いた。実際に触れられたわけではない。だが、皮膚の表面が、通り過ぎた刃の気配だけで粟立った。

 

「——ッ!」

 

魔理沙が急停止した。アリスの人形が、瞬時に防御の陣形を組む。

 

石段の途中、俺たちの行く手を塞ぐように、一人の少女が立っていた。

 

小柄な体躯。銀色のボブカットの髪に、黒いリボンのついたカチューシャ。暗い銀色を帯びた瞳が、こちらをまっすぐに見据えていた。白いシャツに青緑のベスト、動きやすそうな膝丈のスカート。ベストにもスカートにも、霊魂を模した淡い柄が刺繍されている。胸元には、黒いリボン。白い靴下に、黒いストラップシューズ。庭師というより、行儀のいい学生のような出で立ちだった。

だが、その背後に浮かぶ、白く大きな半透明の霊体――半霊――だけが、この少女がただの人間ではないことを物語っていた。腰には、二振りの刀。片方はまだ鞘に収まったまま、もう片方は既に抜かれていた。抜き放たれたその刃が、桜の光を反射して、静かに輝いていた。

 

構えは、揺らいでいなかった。若さの残る顔立ちに反して、その立ち姿には迷いというものが一切なかった。

 

「ここから先は、白玉楼へと続く道」

 

少女が言った。声は澄んでいたが、硬さがあった。感情を押し殺した硬さではなく、最初から迷いを許さない、そういう硬さだった。

 

「何人たりとも、通すわけには参りません」

 

霊夢の記憶が、その姿に名前を与えた。

 

魂魄妖夢。白玉楼の庭師にして、半分だけ幽霊の剣士。もう半分は人間。二本の刀を操り、亡霊たちの主に仕える若き剣豪。

 

「白玉楼、か」

 

俺は呟いた。

 

「なら、そこに異変の元凶がいるんだな」

「答える義理はありません」

 

妖夢は、表情を変えなかった。

 

「ここを通そうとするならば」

 

刀を、正面に構え直した。

 

「首を、斬り落とします」

 

その言葉に、脅しの色はなかった。宣言だった。これから起こる事実を、あらかじめ告げているだけの、平坦な宣告だった。

 

「……穏やかじゃないな」

 

魔理沙が言いながら、箒の上で構えを取った。だが、俺には分かった。魔理沙の声の端に、緊張が滲んでいる。今までの戦いとは違う種類の緊張だった。

 

妖夢が、地を蹴った。

 

いや、正確には石段を蹴った、というべきだった。踏み込みの音がほとんどしなかった。次の瞬間には、もう間合いの中にいた。

 

刃が、閃いた。

 

俺は身体を反らして避けた。霊夢の反射が、辛うじて間に合った。頬のすぐ横を、冷たい風のような感触が通り過ぎていく。避けた、というより、避けさせられた、という方が近い感覚だった。

 

「速い……!」

 

魔理沙が叫びながら、割って入るように弾幕を放った。妖夢がそれを、最小限の動きでいなす。刀の腹で光弾を弾き、その勢いのまま、二撃目を俺に向けて振るう。

 

俺は下がった。距離を取る。だが、妖夢との間合いは、こちらが下がった分だけ、正確に詰められていく。まるで最初から、俺が下がる先を知っていたかのように。

 

「霊夢!」

 

魔理沙の声が、鋭く飛んだ。

 

「先に行け!」

「……!」

 

俺は、その一言の意味を、瞬時に理解した。

 

説明はいらなかった。この剣士を相手に、三人で足止めしても意味がない。相手が本気で「通さない」つもりなら、時間をかけるだけ、屋敷の中で何が進んでいるか分からなくなる。それに——妖夢の刃は、俺一人を狙っている。この場に残れば、俺は確実に足を止められる。

 

だが、魔理沙とアリスが二人でその足止めを引き受けるなら。

 

「頼む!」

 

俺は叫び、身を翻した。石段を、横に大きく逸れながら駆け上がる。妖夢の刃圏から、無理やり外へ。

 

「逃がしません」

 

妖夢の声が、背中越しに聞こえた。刀を返し、俺を追おうとする気配があった。

 

だが、その進路に、人形の群れが立ちはだかった。アリスが、瞬時に展開したのだ。何十体もの小さな人形が、糸で操られながら、妖夢の周囲を囲む。

 

「私たちを無視するのは、感心しないわね」

 

アリスが、涼しい声で言った。

 

「あなたの相手は、こっちよ」

 

妖夢が、初めて足を止めた。視線が一瞬、俺の背中を追いかけようとして——止まった。

 

「……一人であれば、いい」

 

妖夢が呟いた。誰に言うでもなく、自分自身に確認するような声だった。

 

「二人を、ここで足止めできるならば。それで、いい」

 

判断が、驚くほど速かった。迷いがなかった。俺を逃したことへの未練が、その声には一切残っていなかった。まるで、最初からそう決めていたかのような切り替えの速さだった。

 

刀が、翻った。

 

「参ります」

 

その一言と共に、妖夢の姿が霞んだ。

 

無数の斬撃が、空間に生まれた。

 

一つ一つが、独立した刃のように空を裂く。単なる剣気の余波ではない。実体を持った軌跡が、幾筋にも枝分かれしながら、魔理沙とアリスに向かって殺到した。

 

「うおっ……!」

 

魔理沙が箒を横に滑らせ、辛うじて躱す。だが避けた先に、次の斬撃が待っていた。速度が、尋常ではなかった。剣先から放たれる余波だけで、木の幹ほどの太さの空間が、まっすぐに切り裂かれていく。

 

アリスの人形たちが、盾のように前に出た。数体が、瞬時に両断される。断面が、驚くほど滑らかだった。抵抗した形跡が、まるで残っていない。

 

「本体を狙う剣じゃないわ……周りごと薙いでる」

 

アリスが、糸を素早く操りながら分析した。表情は変えていなかったが、額に、うっすらと汗が浮いていた。

 

「弾幕とは違う。あれは、剣術の延長ね」

 

「そんな悠長な分析してる場合か!」

 

魔理沙が、八卦炉を構えながら怒鳴った。マスタースパークの予備動作。だが、フルチャージには時間がかかる。その隙を、妖夢が見逃すはずがなかった。

 

案の定、妖夢の姿が、瞬時に魔理沙との間合いに入り込んでいた。刀が、下から掬い上げるように振り上げられる。

 

「くっ……!」

 

魔理沙が箒を横倒しにして、辛うじて刃をかわす。だが完全ではなかった。頬に、薄く一筋、傷が走った。血が滲む間もなく、次の斬撃が来る。

 

「させないわ」

 

アリスの人形が、妖夢の背後から一斉に糸を絡めようとした。だが、妖夢はそれを察知していたかのように、体を沈めると同時に、背後へ逆手の一閃を放った。糸が、まとめて切断される。抵抗の感覚すらなかった。

 

「……速いだけじゃない。読まれてる」

 

アリスが呟いた。

 

「私の人形の動きを、先読みしている……。」

 

魔理沙が体勢を立て直しながら、荒く息をついた。

 

「剣士って、みんなこうなのか…?」

「彼女が特別なのよ、きっと」

 

アリスが答えながら、新たな人形を展開する。今度は数を絞り、一体一体の動きを複雑にした。予測を外すための布陣だった。

 

妖夢が、その変化に一瞬だけ目を細めた。

 

「……なるほど」

 

呟くと同時に、抜いていなかったもう一振りの刀にも手をかけた。二刀。両手に、それぞれ異なる剣を構える。

 

「本気でやらせていただきます」

 

その言葉と共に、空気の質が変わった。

 

斬撃の密度が、跳ね上がった。一振りだった刃の軌跡が、二振り分に増える。しかも、それぞれが独立したリズムで空間を裂いていく。片方が直線的に、もう片方が円を描くように。二つの異なる剣理が、同時に襲いかかってくる。

 

「アリス!右!」

 

魔理沙が叫んだ。アリスが咄嗟に人形の壁を作る。だが、円を描く方の刃が、その壁を回り込むように迫っていた。

 

「くっ……」

 

アリスが体を捻り、辛うじて躱す。だが、袖が浅く裂けた。冷たい感触が、腕を撫でていく。

 

「これは……厄介ね」

 

アリスの声に、初めて焦りに近いものが滲んだ。

 

魔理沙が、地を蹴るように箒を加速させた。八卦炉のチャージが、ようやく形を成し始めている。だが、あと数秒かかる。その数秒を、稼がなければならない。

 

「アリス、時間をつくってくれ」

「言われなくても!」

 

アリスの糸が、一斉に広がった。人形たちが、それぞれ違う動きで妖夢を囲もうとする。統一された動きではなく、あえてバラバラに。予測を困難にするための、意図的な混乱だった。

 

妖夢が、その中を縫うように動いた。一体、また一体と、人形が斬られていく。だが、その分だけ、妖夢の意識は分散していった。

 

「今だ……!」

 

魔理沙が、ついに構えを完成させた。

 

「恋符「マスタースパーク」!」

 

光の奔流が、石段を貫くように放たれた。

 

妖夢が、それに気づいた瞬間には、既に光が目前まで迫っていた。とっさに、二刀を交差させる。

 

「——!」

 

光と刃が、正面から衝突した。

 

爆発的な光と、金属の悲鳴じみた音が、辺り一帯に轟いた。桜の花びらが、衝撃波で一斉に舞い上がる。石段の一部が、白く発光しながら軋んだ。

 

光が収まった時、妖夢はまだそこに立っていた。両腕が小刻みに震えている。刀身に、うっすらと亀裂のような光の筋が走っていた。だが、倒れてはいなかった。

 

「……凄まじい、威力ですね」

 

妖夢が、荒い息の合間に言った。表情には、驚きと、同時にどこか楽しんでいるような色が滲んでいた。

 

「これは、少し本気を出さなければ、いけないようです」

 

刀を構え直す妖夢の姿を、魔理沙とアリスは、荒い呼吸のまま見据えていた。

 

石段の遥か上、桜の向こうへと消えていった霊夢の背中を、もう誰も追う余裕はなかった。ここから先は、二人だけの戦いだった。

 

「……ふぅ」

 

妖夢が、短く息を吐いた。乱れていた呼吸を、意識的に整えるような、そんな吐き方だった。

 

そして、構えが変わった。

 

刀の切っ先の角度が、わずかに下がった。今までの、隙を作らせるための優雅な構えではない。もっと直截な、最短距離で急所を貫くための角度だった。俺——ではなく、その場にいた魔理沙とアリスの二人には、それが分かった。今までのものとは、質が違う。

 

「……あの構え」

 

アリスが、目を細めた。

 

「弾幕の型じゃないわ」

 

妖夢の目から、それまで宿っていた微かな余裕が消えていた。代わりにあったのは、静かな、しかし迷いのない色だった。

 

「スペルカードは、使いません」

 

妖夢が言った。

 

「これより先は——本気で、参ります」

 

その一言に、場の空気が変わった。桜の香りすら、急に遠のいたような錯覚があった。

 

「おい、待て」

 

魔理沙が、思わずといった様子で声を上げた。

 

「弾幕ごっこのルールはどうした。スペルカードなしって、それは——」

「地上の異変者ならば、スペルカードで手加減する義理があります。けれど、あなた方は違う」

 

妖夢は静かに言った。刃を握る指に、力がこもるのが見えた。

 

「本気で通ろうとする者を、本気で止める。それだけのことです」

「……あんた、本当に殺すつもりか」

 

魔理沙の声に、初めて明確な緊張が滲んだ。今までとは違う種類の緊張だった。弾幕ごっこの、あの独特の緊張感ではない。もっと生々しい、命そのものへの実感が伴った緊張だった。

 

「はい」

 

即答だった。淀みも、迷いもなかった。

 

「白玉楼を、お嬢様の眠りを、脅かす者を通すわけには参りません。地上の理をお持ちでないというのなら、こちらも、地上の理でお応えする必要はないと判断しました」

 

妖夢の姿が、沈んだ。

 

次の瞬間には、間合いの内側にいた。

 

刃が、アリスの首筋を正確に狙って走った。避けの動作を前提にしていない、初めから急所だけを狙う一撃だった。かすっても終わる、そういう軌道だった。

 

「——ッ」

 

アリスが、間一髪で人形を割り込ませた。だが、その人形は、刃に触れた瞬間、真っ二つに両断された。抵抗の感触が、まるでなかった。今までの斬撃とは、重みが違う。手加減という膜が、完全に剥がれていた。

 

「本気、ね……」

 

アリスは、頬に一筋、冷たい汗が流れるのを感じた。人形遣いとして、これまで何度も命のやり取りに近い戦いをくぐり抜けてきた。だが、この一撃には、そのどれとも違う質があった。避け損ねれば、本当にそこで終わる。そういう重さだった。

 

アリスは、一瞬だけ目を閉じた。開いた時には、その表情から、余裕という余裕が消えていた。

 

「魔理沙」

「ああ、分かってる」

 

魔理沙が、箒の上で身体の重心を落とした。今までの、飄々とした構えではなかった。もっと低く、もっと鋭い、獲物を狩る獣のような姿勢だった。

 

「弾幕ごっこの決まりなんざ、知ったことか」

 

魔理沙が言った。口元に、笑みが浮かんでいた。だが、それは楽しさから来る笑みではなかった。覚悟を固めた者だけが浮かべる、そういう種類の笑みだった。

 

「本気で殺しに来るってんなら、こっちも遠慮なくやらせてもらう。殺されても——文句は言うなよ」

 

その言葉に、妖夢は僅かに目を見開いた。だが、すぐに、静かに頷いた。

 

「望むところです」

 

その瞬間、二つの意志が正面から噛み合った。

 

アリスの人形たちが、一斉に形を変えた。それまでの、防御と牽制を兼ねた展開ではなかった。全ての人形が、明確な殺意を持って動き出す。糸の張力が、限界近くまで引き絞られた。関節という関節が、人間には不可能な角度まで曲がり、刃物のような手足が、妖夢に向けて一斉に振るわれる。

 

「魔法使いに、七色の人形使い……本気を、見せてもらいます」

 

妖夢が呟いた。

魔理沙の目つきが、変わっていた。今までのような、光の奔流を惜しみなく放つ派手さの中にも、明確な殺傷の意図が込められ始めていた。放たれる弾の一つ一つが、掠めるだけで済ませる威力ではなくなっていた。

 

「行くぞ」

 

魔理沙が言った。

 

八卦炉が、唸りを上げた。

 

石段の上で、三つの意志が交錯した。もう、誰も手加減という言葉を口にしなかった。

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