転生博麗   作:ライダー☆

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第三話 実力

「飛ぶ……?」

 

俺は魔理沙の言葉を反芻した。口の中で転がすように、その単語を繰り返した。

空を飛ぶ。

そんなこと、できるのか。いや、この身体で本当にできるのか。

常識が、理性が、否定する。人間が空を飛ぶなどありえない。重力の法則に反している。物理学的に不可能だ。

だが、待て。

ここは幻想郷だ。妖怪がいて、魔法使いがいて、常識が通用しない世界だ。物理法則すら、外の世界とは異なるのかもしれない。

そして、博麗霊夢は――空を飛べる。

おぼろげな記憶の中で、そのことだけは確かだった。ゲーム画面の中で、霊夢は確かに飛んでいた。

 

「……とりあえずやってみろよ。」

 

魔理沙は箒に跨りながら言った。まるで、自転車に乗るのと同じくらい簡単なことのように。

 

「ほら、霊力を足の裏に集中させて、ふわっと浮く感じで」

「……本当に、できるのか?」

「お前、マジで忘れてんのか?」

 

魔理沙は呆れたような顔をした。眉をひそめ、信じられないという表情で。

 

「四年前はず~っと飛んでただろ。今更何言ってんだ。まさか、飛び方まで忘れたのか?」

 

四年前。

その言葉に、俺は微かな違和感を覚えた。

四年前の霊夢。つまり、本物の博麗霊夢。俺じゃない、この身体の元の持ち主。

彼女は、四年前から飛んでいた。

当たり前のように、空を飛んでいた。

 

「……とりあえず、やってみる」

 

俺は深呼吸をした。紅い霧が肺に入り込む。気持ち悪いが、我慢した。

霊力を、足の裏に集める。

意識を集中させる。ルーミアとの戦いで感じた、あの感覚を思い出す。

身体の中を流れる、温かいエネルギー。それを、足の裏に集める。まるで水が低い場所に流れるように、霊力を足先へと導く。

イメージする。身体が浮き上がるイメージ。重力から解放されるイメージ。鳥のように、雲のように、軽やかに空を舞うイメージ。

ルーミアとの戦いで感じた、あの全能感。霊力が全身を満たす、あの感覚。

それを、思い出す。

そして――

 

「!」

 

身体が、浮いた。

ふわり、と。

まるで水の中にいるかのような、無重力感。足の裏から地面の感触が消えた。重力が消えた。身体が宙に浮いている。

 

「うわっ!」

 

驚いて、バランスを崩した。

予想外の感覚に、身体が反応できなかった。重心の取り方がわからない。身体が傾く。地面が――いや、もう地面はない。視界が回転する。

 

「おっと」

 

魔理沙が箒で素早く近づいてきて、俺の腕を掴んだ。力強く、確実に。

 

「落ち着け。慌てんな」

「す、すまん……」

「ったく。本当にどうしたんだよ、お前」

 

魔理沙は心配そうに俺を見た。金色の瞳が、不安そうに俺の顔を覗き込んでいた。

 

「飛び方忘れるなんて、ありえないだろ。それとも、本当に頭打ったのか?」

 

だが、俺の心臓は激しく跳ねていた。

飛べた。

本当に飛べた。

空を。

この細く華奢な身体で、重力を無視して、空中に浮いている。

 

「すげぇ……」

 

呟いて、俺は自分の手を見た。

細く白い、少女の手。だが、今は淡く光っている。霊力が満ちている。

この身体には、本当に超常の力があるのだ。

妖怪を倒す力だけじゃない。

空を飛ぶ力まで。

人間の領域を超えた、神秘の力が。

 

「慣れるまで、ゆっくり飛ぶか?」

「え?あぁ、そうしてくれると助かる……。」

 

魔理沙は箒を傾けて、ゆっくりと前進し始めた。箒に乗る姿は、まるで熟練の騎手のように自然で、優雅ですらあった。

 

「ついてこい。迷子になんなよ」

「……ああ」

 

俺も、恐る恐る前に進んだ。

意識を集中させる。霊力を足の裏から後方へ噴射するイメージ。まるでジェットエンジンのように。

身体が、前に進んだ。

ふわふわと。不安定だが、確かに飛んでいる。空中を移動している。

 

「いい感じだ」

 

魔理沙が振り返って笑った。満足そうな笑顔だった。

 

「その調子。もうちょっと慣れたら、スピード上げるからな。」

「お、おい……」

「大丈夫だって。昔のお前なら、音速で飛んでたんだから。」

 

音速。

その言葉に、俺は青ざめた。

冗談だろ。音速って、マッハ1だぞ。時速1200キロメートル以上だぞ。

人間が、そんな速度で飛べるのか。

いや、この世界なら――ありえるのか。

森を抜けると、視界が一気に開けた。

木々の緑が途切れ、広大な空間が目の前に広がった。

そこには、巨大な湖が広がっていた。

霧の湖。

紅い霧に覆われた、静かな湖。地平線まで続く、広大な水面。

水面は鏡のように滑らかで、波一つ立っていなかった。風もなく、完全に静止していた。紅い空を完璧に映して、まるで血の海のように、あるいは巨大な赤い鏡のように見えた。

 

「ここが、霧の湖か……」

 

呟いて、俺は湖を見渡した。

対岸は見えなかった。霧が濃すぎて、せいぜい数百メートル先までしか視認できない。それより先は、紅い霧の中に消えていた。

湖は、想像以上に巨大だった。これは湖というより、海に近い。内海と言ってもいいほどの規模だ。

 

「紅魔館は、この湖の向こう側だ。」

 

魔理沙は箒を傾けて、湖の上を滑るように飛び始めた。まるでスケートをするかのような、流れるような動作だった。

 

「ついてこい。迷子になんなよ。この霧の中、方向感覚失ったら終わりだぜ。」

「わかった」

 

俺も魔理沙の後を追った。

少しずつ、飛ぶことに慣れてきていた。バランスの取り方がわかってきた。身体の傾け方、霊力の調整の仕方。

霊力を一定に保てば、安定して飛べる。

前に進むには、霊力を後ろに向けて噴射すればいい。

上昇するには、下に向けて噴射する。

下降するには、霊力を弱める。

まるでジェットエンジン、あるいはドローンのように。ベクトル制御で飛行する。

単純な原理だった。だが、それを実現するのは、この身体の超常的な力があってこそだ。

 

「なあ、霊夢」

 

魔理沙が突然、話しかけてきた。

 

「ん?」

「お前、かなり変わったな」

 

その言葉に、俺の背筋が凍った。

心臓が跳ねた。まずい。何かボロが出たか。

 

「……何がだ?」

 

できるだけ冷静を装って、俺は訊いた。

 

「わかんねぇけど、雰囲気っていうか……何か違うんだよね」

 

魔理沙は不思議そうに俺を見た。首を傾げながら、じっと観察するように。

 

「四年間、会ってなかったからかな。人ってこんなに変わるもんなのか。性格も、喋り方も、動き方も。全部、微妙に違う気がする。」

 

四年間。

またその言葉だった。

 

「……四年間、会ってなかった?」

「ああ。お前、神社に引きこもってたじゃん」

 

魔理沙は当たり前のように言った。まるで、周知の事実を述べるかのように。

 

「人里にも降りてこなかったし。私が訪ねていっても、居留守使ったり。門前払いしたり。最初は心配したけど、そのうち諦めたよ」

 

俺は、黙って聞いていた。

 

「まあ、色々あったんだろうけどさ。」

 

魔理沙は複雑な表情を浮かべた。憂いを含んだ、寂しそうな表情。

 

「でも、今日久しぶりに会ったら、何か別人みたいで。いや、顔は同じなんだけど、中身が違うっていうか……うまく言えねぇけど。」

「……気のせいだ」

「そうかなぁ。ま、元気そうで何よりだ。」

 

魔理沙は納得していないようだったが、それ以上は追求してこなかった。ただ、時々チラチラと俺を見ていた。

俺は、前を向いたまま黙っていた。

四年間、引きこもっていた。

人里にも出なかった。友人が訪ねてきても、会わなかった。

それが、本物の霊夢だ。

魔理沙が心配して、それでも会えなくて、最終的に諦めた。その四年間が、霊夢にはあった。

どんな理由があったのかは知らない。何があったのかも知らない。

ただ、霊夢が長い時間をかけて、苦しんで、それでも生きていたということだけは、今の俺にもわかった。

 

「……で、今日急に出てきて、異変解決しに行くって言われても、信じられないよな」

 

俺は、声に出して確かめるように言った。

 

「まあ、そうだな」

 

魔理沙は苦笑した。

 

「でも、お前がそうしたいなら止めないよ。昔のお前が戻ってきたみたいで、正直ちょっと嬉しいくらいだ。」

 

嬉しい。

その言葉が、なぜか重かった。

魔理沙が嬉しいと思っているのは、本物の霊夢が戻ってきたと思っているからだ。

だが、戻ってきたのは霊夢じゃない。

俺だ。

霊夢の顔をして、霊夢の身体を使って、霊夢の名前を名乗っている、俺だ。

 

「……そうか」

 

それだけ返すのが、精一杯だった。

湖の上を飛び続けて、どれくらい経っただろうか。

時間の感覚が、完全に狂っていた。

腕時計もない。太陽の位置もわからない。あるのは、ただ紅い霧だけ。

この異様な霧が、時間という概念すら飲み込んでいるかのようだった。

紅い霧は変わらず空を覆い、景色も単調だった。

ただ、水面が続いている。どこまでも、延々と。

血のように紅く染まった空を映す湖面は、まるで地獄の入り口を思わせた。

波一つ立たない静けさが、逆に不気味だった。

単調な風景が、逆に不安を煽った。本当に正しい方向に進んでいるのか。

もしかしたら、同じ場所をぐるぐる回っているのではないか。

魔理沙は自信ありげに飛んでいるが、本当に道がわかっているのか。

 

「なあ、魔理沙」

「ん?」

「紅魔館まで、まだ遠いのか?」

 

不安が声に滲んでいた。自分でもわかった。

 

「もうちょいだ。あと十分くらいかな」

 

魔理沙は振り返って笑った。心配するなと言いたげな、余裕のある笑顔だった。

そう答えた瞬間――

 

「きゃはははー!」

 

甲高い笑い声が、湖面を伝って響いた。

少女の声。いや、子供の声だ。

無邪気で、残酷で、どこか狂気を含んだ笑い声。

聞いているだけで背筋が寒くなるような、そんな笑い声だった。

 

「誰だッ!」

 

俺は反射的に身構えた。ルーミアとの戦いで、身体が学習していた。

敵意ある声を聞けば、思考するより先に身体が動く。

御札に手が伸び、霊力が自然と集まってくる。

声の方向を見ると、一人の少女が、空中に浮いていた。

いや、少女というより、小さな子供のような容姿だった。身長は150センチもないだろう。華奢で、人形のように小さい。

緑の髪に、緑のワンピース。シンプルなデザインの、まるで童話の挿絵から抜け出してきたような服装。背中には、透明な羽根が生えている。蜻蛉や蝶のような、昆虫の羽根。陽光、いや、この紅い霧に遮られた微かな光を受けて、虹色に輝いていた。

妖精、だろうか。

 

「人間だー!人間がいるー!」

 

少女は嬉しそうに叫んだ。まるで、久しぶりに玩具を見つけた子供のように。両手を広げて、喜びを全身で表現していた。

その姿は、どこか無垢で、純粋で――だからこそ、恐ろしかった。

そして、何もない空中から、光の球が出現した。

ぽん、ぽん、ぽん、と。

まるでシャボン玉を吹くように、次々と青白い光の球が生まれていく。

美しかった。幻想的ですらあった。だが、その美しさは致命的な危険性を秘めていた。

弾幕。

 

「うわっ!」

 

俺は慌てて避けた。

霊力を調整して、身体を横に移動させる。

光の球が、俺がいた場所を通過していった。空気を切り裂く、ヒュンという鋭い音がした。当たっていたら、間違いなくダメージを受けていた。

 

「おいおい、挨拶代わりにいきなり弾幕かよ。」

 

魔理沙は呆れたように言った。まるで、子供のいたずらを見た大人のような口調で。その余裕が、逆に俺の焦燥を際立たせた。

 

「大妖精か。珍しいな、こんなとこで」

「大妖精……?」

 

聞き返しながらも、俺は少女から目を離さなかった。次の攻撃が来るかもしれない。油断はできない。

 

「ああ。妖精の中でも、ちょっと賢い部類だ」

 

魔理沙は箒を傾けた。戦闘態勢に入る動作だったが、その仕草は余裕に満ちていた。まるで、散歩中に野良犬に出会ったかのような、そんな気軽さだった。

「人語を話せる妖精は少ねぇからな。まあ、所詮は妖精だけど」

所詮は妖精。その言葉に、俺は違和感を覚えた。目の前の少女から感じる気配は、決して侮れるものではない。少なくとも、俺にとっては。

そう言って――

魔理沙は片手を前に突き出した。

何の構えもない。ただ、手のひらを妖精に向けただけ。

魔法陣も、詠唱も、何もない。

瞬間、星のような光が放たれた。

 

一発。

たった一発の光弾が、大妖精に向かって飛んでいった。流れ星のような軌跡を描いて。

速度は、大妖精が放った弾幕の比ではなかった。音速に近い速さで、空気を切り裂いていく。

そして――

 

「きゃっ!」

 

大妖精の悲鳴が響いた。

光弾は正確に命中していた。大妖精の胸に直撃し、その小さな身体を吹き飛ばした。人形が糸を切られたように、力なく。

大妖精は抵抗する間もなく、湖へと落ちていった。まるで撃ち落とされた鳥のように。弧を描いて、重力に従って。

水しぶきが上がった。ばしゃん、と大きな音を立てて。紅い水面に、白い飛沫が散った。

 

「……え?」

 

俺は呆然とした。

一発?

たった一発で?

戦闘すら、始まっていなかった。

魔理沙が攻撃して、大妖精が落ちた。それだけだった。開始から終了まで、三秒もなかった。

 

「行くぞ」

 

魔理沙は何事もなかったかのように飛び続けた。まるで、虫を払ったかのような、あっさりとした態度で。振り返りもしなかった。

 

「あ、ああ……」

 

俺は慌てて後を追った。だが、頭の中では疑問が渦巻いていた。心臓が、まだ激しく跳ねている。

あの大妖精は、弱かったのか?

それとも、魔理沙が強すぎるのか?

俺がルーミアを倒した時のことを思い出す。あんなに苦労したのに。暗闘に閉じ込められて、パニックになって、死にかけて。霊力を暴走させて、ようやく勝てた。

だが、魔理沙は――一発で終わらせた。

まるで、難易度が違う。次元が違う。

 

「もしかして俺、さっきはかなり下の部類で満足してたんじゃ……」

 

自嘲気味に呟いた瞬間――

背中に、冷たい衝撃が走った。

 

「あぁっ!」

 

痛い。

いや、痛いというより、冷たい。

凍るような冷たさ。氷を直接背中に押し付けられたような、刺すような冷たさ。骨まで凍りつくような感覚。

 

「なっ……!」

 

慌てて振り返ると、そこには、もう一人の少女がいた。

青い髪に、青いリボン。青いワンピース。そして、背中には氷の結晶のような羽根。六枚の、透明で美しい羽根。光を受けて、キラキラと輝いている。

だが、その美しさとは裏腹に、少女の表情は怒りに満ちていた。

 

「あ、チルノ。」

「チルノ?……あいつのことか。」

「あぁ。さっきの奴と同じさ。妖精だよ。」

「何話してるんだぁ~~!あたいの縄張りに、勝手に入ってこないでよ!」

 

少女は怒ったように叫んだ。子供特有の、高い声で。だが、その声には確かな怒気が込められていた。玩具を取られた子供の癇癪とは、明らかに違う。

これは――本気の怒りだ。

そして、両手を広げた。まるで、世界を抱きしめるような、あるいは何かを呼び寄せるような動作。

瞬間、無数の氷の弾丸が出現した。

青白い、美しい氷の結晶。それが何十個、何百個と、空中に浮かんでいた。まるで、冬の夜空に輝く星のように。いや、星よりも近く、そして遥かに危険だった。

キラキラと光を反射して、まるで宝石のように輝いている。美しかった。だが、その美しさは死の香りを纏っていた。

そして――一斉に、俺に向かって飛んできた。

 

「くっ!」

 

俺は慌てて避けようとした。

霊力を調整して、身体を移動させる。だが、予想以上に弾幕が多い。

上から、下から、左から、右から。

四方八方から、氷の弾丸が襲ってくる。弾幕というより、もはや氷の嵐だった。吹雪だった。逃げ場がない。

隙間が、ほとんどない。

避けるスペースが、見つからない。

 

「くそっ!」

 

必死に避ける。身体を捻り、霊力を調整し、軌道を変える。

氷の弾丸が、頬を掠めていった。ヒヤリとした感触。冷たい。肌が凍りつくような感覚。あと数センチずれていたら、顔面に直撃していた。

また一発、肩に当たった。

 

「ちぃ!」

 

痛い。いや、痛いというより、冷たい。冷たすぎて、逆に熱いような感覚。

身体が硬直する。筋肉が凍りついたような感覚。動きが鈍くなる。関節が軋む。

 

「霊夢!」

 

魔理沙の叫び声が聞こえた。心配そうな声だった。

だが、弾幕は止まらない。

次から次へと、氷の弾丸が襲ってくる。まるで機関銃のように、休みなく。容赦なく。

 

「やばい……!」

 

このままじゃ、まともに食らう。

全身が凍りつく。墜落する。湖に落ちる。

御札を取り出す。腰に差した札を掴み、霊力を込める。手が震えている。焦りで、それとも寒さで。

投げる。

札が光りながら飛んでいく。金色の軌跡を描いて。

だが――

氷の弾幕が多すぎて、札は弾幕に阻まれて少女まで届かなかった。途中で氷に当たって、軌道がそれて、力を失って、湖に落ちていった。

 

「ちっ……!」

「どうだ!このチルノ様の力は!はっはー!手も足も出せないだろ!」

 

舌打ちが漏れた。

どうする。

どうすればいい。

ルーミアの時のように、霊力を爆発させる?

いや、あれは無意識にやったことだ。意識してできるかわからない。やり方もわからない。あの時の感覚を思い出そうとしても、掴めない。

 

「くそっ……!」

 

必死に避け続ける。

だが、身体のあちこちに氷の弾丸が当たる。

肩に。腕に。脚に。

冷たい。痛い。動きが鈍くなる。霊力の制御も乱れてくる。身体が言うことを聞かない。

 

「これ、まずい……!」

 

また、パニックが襲ってくる。

呼吸が浅くなる。心臓が激しく跳ねる。視界が狭くなっていく。

このままじゃ、やられる。

その時―

 

「……はぁ」

 

魔理沙の溜息が聞こえた。

残念そうな、呆れたような、どこか失望を含んだ溜息。その溜息が、俺の無力さを突きつけてくる。

 

「しょうがねぇな。どうした霊夢?昔よりだいぶ弱くなったな。……平和ボケしたか?」

 

そう言って、魔理沙は懐から、何かを取り出した。

八角形の、金属の塊。

表面には複雑な模様が刻まれている。炉のような形をしている。中央には、赤く輝く宝石のようなものが埋め込まれている。まるで心臓のように、脈動しているように見えた。

 

「八卦炉……?」

 

呟いた瞬間――

魔理沙は八卦炉を前に突き出した。

まるで、砲台を構えるように。両手でしっかりと持ち、少女に狙いを定めた。

 

「…マスタースパーク。」

 

叫びと同時に――極太のレーザーが放たれた。

虹色に輝く、圧倒的な光の奔流。

直径数メートルはあろうかという、巨大なレーザー。それが、空間を切り裂いて放たれた。いや、切り裂くというより、空間そのものを焼き尽くしているかのようだった。

轟音が響いた。空気が振動した。湖面が波立った。世界が震えた。

 

「えっ!?」

 

氷の弾幕が、一瞬で消し去られた。

蒸発した。いや、存在そのものが消滅した。

レーザーの前では、氷の弾幕など紙切れ同然だった。子供の玩具のように、脆く、無力で、無意味だった。

そして、レーザーは氷の妖精に直撃した。

 

「きゃああああ!」

 

妖精の悲鳴が響いた。

苦痛に満ちた、本物の悲鳴。子供が泣き叫ぶような、切実な悲鳴。魂を揺さぶるような、そんな悲鳴だった。

レーザーが消えると――

妖精は空中で硬直していた。全身が煙を上げている。服は焦げ、髪は逆立ち、身体は痙攣している。目は焦点を失い、口は半開きで。

 

「……え?」

 

俺は呆然とした。

何だ、今の。

あの圧倒的な火力は。

あのレーザーは、何だ。

人間が、あんな力を持っているのか。

 

「ったく」

 

魔理沙は八卦炉を懐にしまいながら、妖精に近づいた。箒を傾けて、ゆっくりと。まるで、倒れた子供に近づく大人のように。

そして――

箒で、妖精の頭を軽く叩いた。

ごつん、と鈍い音がした。

 

「おやすみ」

 

その一撃で、妖精は完全に気絶した。

目を回して、力なく。意識が完全に途切れた。

そのまま、湖へと落ちていった。重力に従って、まっすぐに。抵抗する力もなく。

水しぶきが上がった。ばしゃん、と。紅い水面に、小さな波紋が広がった。

 

「……」

 

俺は言葉を失った。

圧倒的だった。

あまりにも、圧倒的だった。

俺が必死に、命がけで避けていた弾幕を、魔理沙は一瞬で消し去った。

そして、妖精を一撃で倒した。

戦闘時間は、おそらく五秒もなかった。いや、三秒もなかったかもしれない。

 

「行こうぜ、紅魔館。」

 

魔理沙は何事もなかったかのように、俺に背を向けた。箒を傾けて、再び飛び始めた。その背中は、遠かった。

 

「こんなとこで足止め食ってる場合じゃないでしょ。こんなの、ウォーミングアップにもなんない。」

 

ウォーミングアップ。

その言葉が、胸に刺さった。

 

「……ああ」

 

俺は、ようやく声を出した。喉が渇いている。震えている。

弱い。

俺は、弱い。

圧倒的に、弱い。

ルーミアに勝てたのは、たまたまだったのかもしれない。運が良かっただけかもしれない。それとも、ルーミア自体が弱すぎたのか。

だが、今感じているのは単純な「自信喪失」じゃなかった。

霊夢の力を借りておいて、この体たらくだ。

霊夢が四年間かけて積み上げてきたはずの力を、使いこなせていない。霊夢が友人を遠ざけながら、一人で神社にいた四年間。その間に何があったかは知らない。何を考えていたかも知らない。苦しかったのか、それとも別の何かがあったのか。

俺には何もわからない。

わからないまま、その身体を使って、その力を使って、その名前を名乗って、魔理沙に「元気そうで良かった」と言われている。

 

「……霊夢が四年かけて守ってきたものを、俺は今日初めて飛んだんだよな。」

 

呟いた。

誰にも聞こえない声で。紅い霧に溶けていく声で。

 

「大丈夫か、俺……」

 

不安が込み上げてきた。

霊夢への負い目と、自分の非力さが、胸の中で混ざり合って、どちらがどちらかわからなくなっていた。

それでも――

 

「行くしかない」

 

俺は魔理沙の後を追った。震える身体を叱咤して。

紅魔館へ。

異変の元凶へ。

たとえ、どれほど強大な敵が待っていようとも。

たとえ、俺がどれほど弱くても。

博麗霊夢として、異変を解決する。

霊夢の代わりに。

霊夢が守るべきだったものを、俺が守る。

それが、俺にできる唯一のことだから。

 

「とはいえ……もう後先思いやられるぞ、こんなんだと……本当に死んじゃうんじゃないかな……俺……」

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