転生博麗   作:ライダー☆

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第四話 門番

 紅魔館が、霧の向こうに現れた。

 城だった。

 洋館という言葉では追いつかない。尖塔が幾本も空を刺し、石造りの壁が重く地を押さえ、鉄の門が閉ざされている。西洋の様式を持ちながら、どこか幻想郷の空気に馴染んでいた。紅い霧が建物の輪郭を曖昧にしていて、全体がぼんやりと、しかし確かな存在感で眼前に迫ってきた。

 

「でかいな」

 

 呟いた。知識として知っていたはずなのに、実際に目の前にすると、その質量に押されるような感覚があった。

 

「行くぞ」

 

 魔理沙が速度を上げた。俺も霊力を増して後を追う。門が近づいてくる。鉄の門。重厚で、飾り気がなく、閉ざされている。

 その前に、一人の人影があった。

 女性だった。長い赤い髪を後ろで束ね、緑の中華風の上着に白いズボン。頭には帽子。両手は脇に垂らして、構えてすらいない。ただ静かに、俺たちを見ていた。

 

「紅美鈴」

 

 魔理沙が低く言った。

 

「紅魔館の門番だ」

 

 美鈴は表情を変えなかった。穏やかな顔だった。しかしその穏やかさが、剣呑な静けさと同居していた。

 

「ようこそ、紅魔館へ」

 

 声は落ち着いていた。高くも低くもない、よく通る声だった。

 

「申し訳ありませんが、お嬢様は今、お客様をお迎えになる気分ではありません」

「悪いな。招待なしだが、用がある」

 

 魔理沙は箒を構えた。

 

「通してもらう」

「それは、できません」

 

 美鈴は首を振った。そして初めて、両手をゆっくりと持ち上げた。武術の構え。腰を落とし、重心を安定させ、前後に手を開く。その動作に、無駄が一つもなかった。

 虹色の光弾が、美鈴の周囲に生まれ始めた。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。七色が、静かに空中に並んでいく。

 

「行け、魔理沙」

 

 俺は言った。

 

「は?」

「俺がここで引き受ける。お前は中に入れ」

 

 魔理沙が黙った。一秒、二秒。

 

「……あいつ、割と強いぞ」

「わかってる」

「お前じゃ——」

「わかってる」

 

 俺は繰り返した。魔理沙はまだ何か言おうとして、それから口を閉じた。

 

「……無理すんな」

「ああ」

 

 魔理沙は俺を一秒だけ見て、箒を傾けた。速度を上げ、美鈴の横を抜けようとする。

 美鈴は魔理沙には目を向けなかった。

 俺だけを見ていた。

 その視線の意味が、すぐにはわからなかった。

 

 

 弾幕が来た。

 七色の光弾が、整然とした波のように押し寄せてくる。ランダムではない。規則的な、しかし読みにくい軌道だった。隙間を探しながら、身体を捻り、霊力で加速して抜ける。一発かすった。肩に熱い痛みが走った。

 御札を三枚、立て続けに投げた。

 美鈴は最小限の動きで避けた。上体をわずかに傾けるだけで、三枚ともかわされた。無駄がない。必要な分だけ動いて、余分を一切使わない。

 距離を詰めようとすると、弾幕の密度が上がった。

 近づかせない意図が、はっきりあった。

 俺は御札を続けて投げながら、左右に揺さぶりをかけた。右に動いて見せて、左に流れる。美鈴の弾幕がわずかにそちらに引き寄せられた隙に、右斜め上から角度をつけて突っ込んだ。

 美鈴の顔が、初めてわずかに動いた。

 その隙に、御札が一枚、届いた。

 

「……」

 

 美鈴は音を立てなかった。肩に当たった御札の跡が、着物を焦がしていた。

 だが、次の瞬間、美鈴は構えを変えた。

 弾幕が消えた。

 代わりに、美鈴が前に出てきた。

 

「近接か」

 

 思う間もなく、拳が来た。

 速かった。弾幕の比ではない速度だった。俺は後方に飛んで間合いを切ろうとしたが、美鈴の踏み込みの方が速く、腹部に拳が入った。

 

「——っ」

 

 息が詰まった。内側から何かが押し潰されるような衝撃だった。霊力の制御が乱れ、高度が下がった。

 地面に落ちる寸前で踏ん張って、浮遊を保つ。

 美鈴はもう目の前にいた。

 

「私は気を扱います」

 

 静かな声だった。戦いながら話す声ではなかった。まるで、説明するように。

 

「霊力とは別の、身体に宿るエネルギーです。これを拳に凝縮すれば——」

 

 拳が肩に入った。

 

「っ——」

 

 骨が軋んだ。同じ箇所を二度殴られた感触だった。腕が、一瞬動かなくなった。

 後退しながら御札を抜こうとすると、手首を打たれた。指から力が抜けて、札が一枚落ちた。

 まずい。

 一方的だった。弾幕の時は距離で何とかなった。だが近接になると、技術の差が埋めようのない溝として現れた。美鈴の動きには、俺が読める予備動作がない。来るとわかってから反応しても、間に合わない。

 距離を開こうとした。霊力を後方に噴射して、一気に離れようとした。

 美鈴は追わなかった。

 その場に静止して、俺を見ていた。

 

「追わないのか」

 

 息を整えながら言った。

 

「追う必要がないので」

 

 美鈴は答えた。

 

「今のあなたには、私に有効な攻撃手段がありません。距離を開いても、御札は私に届かない。近づいてくれば、また同じことになる」

 

 正確な分析だった。反論できなかった。

 俺は、ここで初めて状況を冷静に整理した。

 有効打がない。消耗だけが続いている。魔理沙は館に入った。時間は稼げた。だが、このまま続けても俺が先に動けなくなる。

 どうする。

 御札を持ち直した。手が痛んだ。それでも、手放さなかった。

 美鈴が口を開いた。

 

「一つ、聞いてもいいですか」

「何だ」

「さっきの御札、三枚目だけ軌道を変えていましたね」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「最初の二枚を囮にして、三枚目を別の角度から通した。あれは、その場で考えましたか」

「……ああ」

「そうですか」

 

 美鈴は少し間を置いた。

 

「あなたは今日、初めて飛んだでしょう」

 

 俺の呼吸が、一拍乱れた。

 

「なんで、そう思う」

「飛び方が、そうでした。迷いのある飛び方でした。長年飛んでいた人間の飛び方ではなかった」

 

 美鈴は静かな目で俺を見ていた。

 

「それでも、弾幕の隙間を読んで、囮を使って、私の御札を一枚通した。素の判断力と胆力は、相当なものです」

「褒めてどうする。お前の敵だろ」

「そうですね」

 

 美鈴は頷いた。

 

「だからこそ、聞きたかった」

 

 それだけ言って、美鈴はまた構えた。

 

 戦いが、また始まった。

 今度は弾幕と近接を混ぜてきた。距離を取ると弾幕。詰めると拳。どちらに転んでも対応される。

 消耗が続いた。

 肩が痛い。腹が痛い。手首が痛む。霊力が目に見えて減っていた。

 だが、俺は冷静になっていた。

 パニックがなかった。ルーミアの時もチルノの時も、恐怖で思考が止まりかけた。だが今は、痛みの中で、頭が妙に澄んでいた。

 なぜかはわからない。

 ただ、美鈴の動きを見ていた。近接の時の、踏み込みの癖を見ていた。右前足から入る時と、左から入る時の重心の違いを、少しずつ覚えていった。

 十回目の近接攻撃の時、俺は踏み込んだ。

 逃げるのではなく、前に。

 美鈴の右拳が来た。俺は左に体を逃がしながら、右腕で軌道をずらした。完全には止められなかった。肩口をかすった。それでも、致命的な衝撃を逃した。

 そのまま、至近距離で御札を押しつけた。

 

「——」

 

 美鈴の腹に、直接当たった。

 美鈴が後方に飛んだ。着地して、俺を見た。

 その目に、初めて別の色があった。

 戦いが、少し変わった。

 

 それでも、俺が押されていることに変わりはなかった。

 有効打は増えた。だが、受けるダメージも蓄積していた。このまま続けば、先に限界が来るのは俺だ。

 美鈴は知っている。だから焦らない。

 俺は御札を残り数枚確認した。

 選択肢が、限られてきた。

 その時、美鈴が口を開いた。

 

「魔理沙さんは、もう奥に進んでいるでしょう」

 

 唐突な言葉だった。

 

「あなたの役割は、終わりました」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「撤退してもいい。私は追いません」

「撤退して、どうする」

「生きて帰れます」

「それで、異変は解決するのか」

 

 美鈴は答えなかった。

 

「俺が帰っても、霧は晴れない。人里の人間は今も困っている。お前のお嬢様の都合で」

「……」

「お前は、それでいいのか」

 

 美鈴の目が、かすかに動いた。

 

「お嬢様のご意志に、私が意見する立場ではありません」

「聞いてるのはそこじゃない」

 

 俺は言った。息が苦しかった。それでも、言葉を続けた。

 

「お前自身は、どう思ってる。この霧を」

 

 美鈴は答えなかった。

 しばらく、沈黙が続いた。

 紅い霧が、静かに漂っていた。

 

「……私には」

 

 美鈴が、小さく言った。

 

「立場があります」

「知ってる」

「お嬢様に仕える門番として、私がすべきことは——」

「知ってる」

 

 俺は遮った。

 

「だから、もう一度だけやらせてくれ」

 

 美鈴は俺を見た。

 

「撤退を勧めたのに、ですか」

「ああ。もう一度だけ、受けてくれ」

 

 美鈴はしばらく黙っていた。

 それから、ゆっくりと構えた。

 

「……後悔しませんか」

「後悔する前に、やる」

 

 俺は全ての御札を手に持った。残り六枚。

 それを一度に霊力で展開した。

 六枚の御札が、俺の周囲に展開して浮かぶ。全方位に。盾のように、あるいは砲台のように。

 美鈴が踏み込んできた。

 六枚が一斉に動いた。

 美鈴は三枚をかわした。一枚を拳で弾いた。だが残り二枚が、わずかに遅れて別の角度から入った。

 一枚が、脇腹に当たった。

 

「——」

 

 美鈴の踏み込みが、ほんの少し乱れた。

 その瞬間、俺は全ての霊力を右手に集めた。

 制御しながら、だった。

 ルーミアの時のような暴走ではなかった。意識して、絞り出した。痛んだ。全身が悲鳴を上げた。それでも、一点に向けて押し込んだ。

 美鈴の拳と、俺の掌が、ぶつかった。

 衝撃が走った。美鈴の拳の威力が、霊力の壁を通して全身に伝わった。それでも、俺は後退しなかった。足を踏ん張って、押し返した。

 爆発、とは違った。

 ただ、霊力が放出された。密度の高い、凝縮されたものが。

 美鈴が、後方に吹き飛んだ。

 門に背中を打ちつける鈍い音がした。鉄が軋んだ。美鈴はその場に膝をついた。立ち上がろうとして、右腕をついて、止まった。

 しばらく、静寂があった。

 

「……負けました」

 

 美鈴は、静かに言った。

俺は、その場に浮いたまま動けなかった。右手が、震えていた。全身の霊力を絞り出した代償で、指先の感覚が薄かった。

 

「行ってください」

 

 美鈴は顔を上げた。苦痛を表情の奥に押し込んで、それでも真っ直ぐに俺を見ていた。

 

「奥には、強い者がいます。パチュリー様。咲夜さん。そして、お嬢様」

「知ってる」

「あなたが、そこまで辿り着けるかどうか」

 

 美鈴は少しだけ目を細めた。

 

「私には、わかりません。でも」

 

 小さな間があった。

 

「今日、門番として負けたのは事実です。それ以上、私が言うことはありません」

 

 俺は美鈴を一秒だけ見た。

 

「……お前は、いい門番だな」

 

 余計なことを言った、と思った。だが、他に言葉が出なかった。

 美鈴は答えなかった。ただ、わずかに目を伏せた。

 俺は門をくぐった。

 重い鉄の門が、軋みながら開いた。

 紅魔館の内部が、目の前に広がった。

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