魔理沙の背中が、どんどん遠くなっていく。
いや、物理的な距離ではない。俺たちは並んで飛んでいる。だが、心理的な距離が、圧倒的に開いていた。
あの一撃。
あのマスタースパークという、規格外の攻撃。
俺の攻撃とは、次元が違う。
「……」
言葉が出なかった。
胸の中に、黒い感情が渦巻いている。嫉妬か、劣等感か、それとも絶望か。自分でもよくわからない。ただ、重苦しい何かが、心を押し潰そうとしていた。
俺は弱い。
それは理解していた。転生してたった四日だ。戦闘経験もない。弱くて当然だ。
だが――
それでも、異変を解決しなければならない。
博麗霊夢として。
この世界の巫女として。
………そうやって無理やりにでも自分を奮い立たせないと、いつ沈むかわかったものじゃない……
「見えてきたぞ。」
魔理沙の声が聞こえた。
顔を上げると――
霧の向こうに、巨大な影が浮かび上がっていた。
紅魔館。
西洋風の、荘厳な洋館。いや、洋館というより城だ。尖塔がそびえ立ち、威容を誇っている。石造りの壁は重厚で、まるで要塞のようだった。
紅い霧に包まれた姿は、まるで悪夢の中の城のようだった。不吉で、禍々しく、そして、圧倒的に巨大だった。
「でかい……」
思わず呟いた。
迫力があった。紅魔館、こうやって実際に目の前にすると、その巨大さに圧倒される。
あの中に、吸血鬼がいるんだろ。
異変の元凶が。
俺が倒さなければならない相手が。
「行くぞ」
魔理沙は箒の速度を上げた。
俺も慌てて霊力を増幅させ、加速する。
紅魔館が、どんどん近づいてくる。
巨大な門が見えてきた。鉄製の、重厚な門。閉ざされている。
その門の前――
「……誰かいる」
呟いた瞬間、門の前に立つ人影がはっきりと見えた。
一人の女性。
いや、少女、だろうか。年齢が判別しづらい。
長い赤色の髪を後ろで一つに結んでいる。中華風の服装。緑の上着に、白いズボン。そして、帽子を被っている。
女性は、俺たちを見ていた。
静かに、だが確かな敵意を込めて。
「門番か」
魔理沙が呟いた。
「紅美鈴。紅魔館の門番だ。」
紅美鈴。
その名前に、かすかな記憶があった。東方Project。三面のボス、だったっけ。
「ようこそ、紅魔館へ。」
美鈴は静かに言った。
低く、落ち着いた声。だが、その声には力があった。警告の響きがあった。
「申し訳ありませんが、お嬢様は今、お客様をお迎えする気分ではありません」
「悪いな。招待されてないけど、用事があるんだ。」
魔理沙は箒を構えた。
「通してもらうぜ」
「それは、できません」
美鈴は首を横に振った。
そして――両手を構えた。
武術の構え。中国拳法、だろうか。腰を落とし、重心を安定させ、両手を前に出す。
瞬間――
無数の光弾が出現した。
虹色の、美しい光弾。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。七色の光が、空中に浮かんでいた。
チルノの氷弾よりも多い。いや、数倍はある。
俺は身構えた。
また、弾幕だ。
また、あの地獄が始まる。
「霊夢、下がってろ」
魔理沙が前に出た。
「私が片付ける」
そう言って、八卦炉に手を伸ばそうとした瞬間――
「待て!」
俺は叫んでいた。
思考より先に、声が出ていた。
「……霊夢?」
魔理沙が不思議そうに振り返った。
俺は――何を考えているんだ。
自分でもわからなかった。
だが、言葉は勝手に口から出ていた。
「俺が、やる」
「は?」
魔理沙は目を丸くした。
「お前、何言って――」
「魔理沙は、先に行け」
俺は魔理沙を見た。
「お前の方が強い。それは、わかった」
チルノとの戦いで、嫌というほど思い知らされた。
俺と魔理沙では、格が違う。
「だからこそ、お前が紅魔館に入るべきだ」
「……」
魔理沙は黙った。
俺の意図を、理解したようだった。
「俺が、ここで時間を稼ぐ」
美鈴を見る。
門番の女性は、静かに俺たちを見ていた。その表情は、穏やかだった。だが、瞳には確かな意志があった。通さない、という意志が。
「その間に、お前が館に入れ」
「……本気か?」
魔理沙の声が、低くなった。
「あいつ、割と強いぞ。お前じゃ――」
「わかってる」
俺は頷いた。
「でも、やるしかない。」
魔理沙は、しばらく黙っていた。
そして――
「……わかった」
小さく呟いた。
「でも、無理すんなよ。やばくなったら、すぐ逃げろ」
「ああ。……そうするさ」
嘘だった。
逃げるつもりはなかった。時間を稼ぐ。それが俺の役割だ。
「行け!」
俺は美鈴に向かって飛んだ。
「はぁっ!」
美鈴は反応した。虹色の弾幕が、俺に向かって放たれる。
「くそっ!」
必死に避け続ける。
身体を捻り、霊力を調整し、限界まで機動する。
だが避けきれない。
弾丸が、肩に当たった。
「…ぐっ…」
痛い。
チルノの氷弾とは違う。熱い。いや、衝撃が強い。
また一発、脚に当たった。
「がっ……!」
墜落しそうになる。慌てて霊力を増幅させ、体勢を立て直す。
「まだまだ!」
美鈴の声が響いた。
さらに弾幕が増える。
さっきと同じだ。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
七色の光が、空間を埋め尽くす。
「やばい……!」
連続で御札を投げる。
一枚、二枚、三枚。
札が光りながら飛んでいく。
だが、美鈴は避けた。
最小限の動きで、確実に。
そして――反撃してくる。
「ッ!」
弾幕が襲ってくる。
避ける。避ける。避ける。
だが、限界が近い。
身体が悲鳴を上げている。霊力も減ってきた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
その時、魔理沙は通り抜けていた。
「悪いな、美鈴!後は任せたぜ、霊夢!」
魔理沙の声が遠ざかっていく。
門を抜け、紅魔館の敷地内に入っていく。その速度は、まるで流星のようだった。
よかった。
時間稼ぎは、成功したか。
そう思った瞬間――
「あの仲間の魔法使いのための、時間稼ぎは済んだかしら?」
美鈴の声が聞こえた。
「……え?」
俺は動きを止めた。
美鈴は、微笑んでいた。
穏やかな、だが何かを知っている者の微笑みだった。
「最初から、わかっていましたよ」
「……」
「あなたが時間を稼ぎ、仲間を館に入れる。その作戦、最初から見抜いていました」
美鈴は構えを解いた。
弾幕も、消えた。
「なら、なんで……」
「止めなかったのか、ですか?」
美鈴は首を傾げた。
「簡単です。止める必要がないからです」
「……どういう意味だ?」
「紅魔館には、私を超える者たちがいます」
美鈴は静かに言った。
「彼女は、気配からして結構腕の立つ人間……魔法使いだったみたいですけど」
魔理沙のことを言っているのか。
「本物の魔法使いに始末されて、終わりですよ」
「……本物の?」
「ええ。パチュリー・ノーレッジ。紅魔館の魔法使いです」
美鈴は微笑んだ。
「あなたの仲間では、勝てません。燃やされて実験材料にされて終わりですよ。」
「……」
俺は、黙って聞いていた。
反論できなかった。
魔理沙は強い。チルノを一撃で倒すほどに。
だが、それでも勝てない相手がいるのか。
「それに」
美鈴は続けた。
「仮にパチュリー様を倒せたとしても、その先には十六夜咲夜さんがいます」
「十六夜、咲夜……」
「紅魔館のメイド長です。そして、恐らくこの館で最も強い人間です」
美鈴の声に、尊敬の色が混じった。
「彼女には、私も勝てません」
「……」
「そして、最奥にはお嬢様がいらっしゃいます」
美鈴は紅魔館を見上げた。
「レミリア・スカーレット様。紅魔館の主、吸血鬼です」
吸血鬼。
異変の元凶。
名前は聞いて思い出した。確か、そういう名前の奴が、異変を起こしたんだったな。
「あなたの仲間が、そこまで辿り着けるかどうか」
美鈴は再び俺を見た。
「私には、疑問ですね」
「……」
俺は、ただ黙って聞いていた。
反論する言葉が、見つからなかった。脳が、思考を拒否していた。
魔理沙は、大丈夫だろうか。
本当に、あの館を突破できるのか。
パチュリー・ノーレッジ。十六夜咲夜。レミリア・スカーレット。
美鈴が口にした名前が、頭の中で反響する。どれも聞いたことがある。東方Projectの登場人物たち。強者たち……
不安が、胸を締め付けた。まるで氷の手が心臓を掴んでいるかのような、冷たく重い感覚。
そして――
その一瞬の隙を、美鈴は見逃さなかった。
「!?」
視界が、歪んだ。
いや、違う。歪んだのではない。
美鈴が、目の前にいた。
一瞬で距離を詰められていた。いつの間に。どうやって。思考が追いつかない。さっきまで数メートル離れていたはずなのに。
「甘いですよ」
美鈴の声が、耳元で囁かれた。
冷たく、静かな声。だが、そこには容赦のない響きがあった。
そして――
「ッッ!!」
腹部に、衝撃が走った。
鈍い音。肉を打つ音。骨が軋む音。
拳。
美鈴の拳が、俺の腹に深く、深く沈み込んでいた。まるで、身体を貫通するかのように。
「がっ……!」
声にならない悲鳴が漏れた。いや、声すら出なかった。息が、完全に止まった。
痛い。
痛いなんてものじゃない。
言葉で表現できないほどの痛み。内臓が、潰れたかのような感覚。胃が、肺が、肝臓が、すべてが圧縮されたかのような。胃液が逆流してくる。喉が焼ける。呼吸ができない。空気が入ってこない。
弾幕とは、比較にならない。
チルノの氷弾よりも、何倍も、何十倍も痛い。
骨が、数本折れた気がする。いや、折れている。確実に折れている。肋骨が、内側に曲がっている感覚がある。
「ぐ……あ……!」
身体が、くの字に折れ曲がった。
人形のように。糸が切れた操り人形のように。
そのまま、空中で吹き飛ばされた。
視界が回転する。空と地面が入れ替わる。何度も、何度も。
地面に叩きつけられる――いや、空中だった。霊力の制御が途切れて、落下していく。重力が、俺を引っ張る。
「ぐぐっ…」
慌てて霊力を展開する。意識を集中させ、足の裏から霊力を噴射する。
墜落する直前で、何とか浮遊を維持した。だが、身体が震えている。制御が不安定だ。
「まだまだ」
美鈴の声が、すぐ近くから聞こえた。
「え――」
視界の端に、美鈴の姿が映った。
追いついてきている。いや、そんな生易しいものじゃない。最初からそこにいたかのように、当然のように、そこにいた。
速い。
速すぎる。
人間の動きじゃない。
「私は、気を使えるの。」
「……………気…………?」
美鈴は両拳を構えた。
武術の構え。だが、さっきとは違う。何かが違う。
その拳が、淡く光っていた。
青白い光。まるでオーラのような、神秘的な輝き。月光のような、冷たく美しい光。
だが、その美しさは致命的な危険を秘めていた。
「空気を読むってわけじゃないわよ」
美鈴は微笑んだ。
その笑顔は、穏やかだった。だが、瞳は笑っていなかった。戦士の目だった。
「気を使えば、一撃一撃をもっと重いものにすることができる。一部分に凝縮して、何倍も、何倍も…」
拳の光が、強くなった。
凝縮されていく。濃密になっていく。エネルギーが、拳に集中していく。まるでブラックホールのように、周囲の力を吸い込んでいくかのように。
空気が、震えている。
霊圧、いや、気圧とでも言うべきものを感じる。
「こんな風に――ね!」
美鈴の拳が、俺に向かって放たれた。
まるで砲弾のように。いや、隕石のように。
「!!」
避けようとした。
霊力を噴射し、身体を横に移動させようとした。
だが、間に合わなかった。
速すぎる。反応できない。
「が………っ!」
顔面に直撃した。
頭蓋骨が、砕けるかと思った。
視界が真っ白になった。いや、星が飛んだ。無数の光点が視界を埋め尽くした。
鼻の骨が折れる音が聞こえた。ゴキリ、という嫌な音。確かに聞こえた。
血の味がした。鉄の味。口の中が血で満たされる。歯が折れたかもしれない。
「ぐ……!」
また吹き飛ばされる。
身体が、宙を舞う。制御できない。どこに飛ばされているのかもわからない。
だが、美鈴は追撃を止めなかった。
「はっ!」
腹に、再び。
さっきと同じ場所に。折れた肋骨が、さらに深く食い込む。
「せい!」
背中に。
脊椎に衝撃が走る。背骨が軋む音がした。
「とう!」
脚に。
骨が折れた。確実に折れた。鈍い音と共に、激痛が走った。
怒涛の攻撃。
一撃一撃が、重い。重すぎる。
まるで、ハンマーで殴られているかのような。いや、鉄球で殴打されているかのような。
人間の拳とは思えない。妖怪の攻撃だ。これは。
「が……ぐ……!」
身体が、悲鳴を上げている。
細胞の一つ一つが、苦痛を訴えている。
骨が軋む。筋肉が裂ける。皮膚が裂ける。
血が、口から溢れてくる。止まらない。咳き込むたびに、血の泡が弾ける。
視界が、霞んでくる。意識が、遠のいていく。
「くそ……!」
御札を取り出そうとした。
腰に差した札を掴もうと、手を伸ばす。
だが――
「させません」
美鈴の拳が、俺の手首を打った。
ピンポイントで。正確に。
「……うぁ…!?」
手首が、折れた。
いや、ひびが入った。骨にひびが入る感覚。ミシミシという音。激痛が走る。指が動かない。
御札が、手から滑り落ちた。
ひらひらと、紅い霧の中へ消えていく。
「あ……」
もう、何もできない。
両手は使えない。身体は満身創痍。霊力も底をつきかけている。
終わりだ。
「これで、終わりです!」
美鈴は両拳を構えた。
最後の構え。止めの構え。
気が、凝縮されていく。さっきよりも、遥かに強く。濃く。重く。
光が、眩しいほどに輝いている。もはや直視できないほどの輝き。太陽のような。
空気が震えている。ビリビリと、肌に伝わってくる。
「さようなら。」
美鈴の声は、悲しげだった。
本当に、悲しんでいるようだった。だが、手は止めない。
拳が、放たれた。
最後の一撃。
止めの一撃。
これを食らったら――死ぬ。
走馬灯が、脳裏を駆け巡った。
おぼろげな、前世の断片。都会の風景。ビルの谷間。喧騒。
死の記憶は、やはり何もない。ただの暗闇。
そして――
目を覚ました時の混乱。見知らぬ天井。細く白い手。
鏡の中の少女。
霊夢の顔。
俺の顔じゃない。
俺の身体じゃない。
でも、今の俺の、顔だ。
四年間、誰にも会わなかった霊夢。
魔理沙が訪ねてきても、会わなかった霊夢。
何があったのかも知らない。なぜ引きこもったのかも知らない。
ただ、確かに生きていた霊夢が、ここにいた。
その霊夢の代わりに、俺がここで死ぬのか。
「……ッ」
喉の奥から、何かが込み上げてきた。
怒りとも、悲しみとも、違う何かが。
霊夢の人生を借りておいて。
霊夢の力を使わせてもらっておいて。
何も成し遂げられずに、ここで終わるのか。
それだけは、嫌だった。
「うおおおおお!」
叫んだ。
魂の底から、叫んだ。
そして――
身体が、勝手に動いた。
無意識に。本能的に。思考を介さずに。
右拳を、振り下ろした。
霊力を、最大限にまで溜めて。
身体中の霊力を、すべて、すべて、残らず右拳に集中させて。
細胞の一つ一つから霊力を絞り出して。
魂そのものを、拳に込めて。
「――!」
拳が、光った。
金色の光。まるで太陽のような、眩い光。いや、太陽を超える輝き。
空間が、歪んだ。
霊力の密度が、現実を歪めていた。
美鈴の拳と、俺の拳が――
衝突した。
瞬間、
世界が、止まった。
音が消えた。
時間が止まった。
爆発した。
光と音が、世界を包み込んだ。
衝撃波が、空気を震わせた。いや、空間そのものを震わせた。
湖面が波立った。紅い霧が吹き飛んだ。地面が揺れた。
「ッ!?」
美鈴の声が聞こえた。
驚きと、痛みが混じった声。信じられない、という感情が滲んだ声。
そして――
美鈴の身体が、吹き飛んだ。
門の方へ。
まるで、砲弾のように。いや、隕石のように。
抵抗する間もなく。反応する間もなく。
「きゃあああ!」
美鈴の悲鳴が響いた。
初めて聞いた。美鈴の、本当の悲鳴を。
ドガン、と重い音がした。
金属が軋む音。石が砕ける音。それらが混ざった、重く、鈍い音。
美鈴が、門に叩きつけられた。
鉄の門が、歪んだ。頑丈な鉄製の門が、人の身体の衝撃で歪んだ。ひしゃげた。
「……え?」
俺は呆然とした。
何が、起こった?
勝った、のか。
美鈴の身体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
右腕が、不自然な角度に曲がっている。
折れている。完全に、折れている。
「う……あ……」
美鈴の呻き声が聞こえた。
苦痛に満ちた、か細い声。
意識は、まだあるようだった。だが、動けない。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
肺が焼けるように痛い。心臓が破裂しそうなほど激しく跳ねている。
身体中が痛い。満身創痍だ。
立っているのがやっとだ。いや、立ってすらいない。浮いているだけだ。霊力で、かろうじて。
考える余裕もない。頭が、痛みでまともに動かない。
ただ、わかることが一つあった。
さっきの一撃は、俺が意識してやったものじゃない。
身体が、勝手に動いた。
霊夢の身体が。
「……美鈴」
俺は地面に倒れている美鈴に近づいた。
ふらふらと。よろよよと。満身創痍のまま。
一歩進むたびに、激痛が走る。
美鈴は、まだ意識があった。
苦痛に顔を歪めながら、それでも俺を見ていた。
その瞳には、驚きがあった。そして――尊敬のような光が。
「お前、気を使えるんだろう?」
俺は美鈴の前にしゃがみ込んだ。
膝が崩れそうになる。何とか堪える。
「それでさぁ……」
息が苦しい。話すのも辛い。喉から血が込み上げてくる。
「俺の力を、最大限にすることは――できるか?」
美鈴は、目を見開いた。
驚愕の表情。信じられない、という表情。
「……何を、言って……」
「教えてくれ」
俺は真剣な顔で言った。
血まみれの顔で。ぼろぼろの身体で。
「俺には、力がある。でも、使い方がわからない」
美鈴は、黙っていた。
ただ、じっと俺を見ていた。
「お前なら、わかるだろ。今の一撃で」
「……」
「俺の中には、とんでもない力が眠ってる」
俺は拳を握った。
右手は動かない。左手で握った。震える手で。
「でも、それを引き出す方法が、わからない」
「……だから、私に?」
「ああ。無理かな。」
俺は頷いた。
「教えてくれ。気の使い方を」
「……なぜ、私が?」
美鈴は苦笑した。血が口の端から流れている。
「私は、あなたの敵です」
その言葉は、冷たかった。
だが、同時に悲しげでもあった。
「あなたは紅魔館に侵入しようとしている。私は門番として、それを阻止しなければならない」
「……」
「今は、こうして倒されてしまいましたが」
美鈴は自嘲するように笑った。
「それでも、私の立場は変わりません。私は、お嬢様に仕える門番です」
「……そうか」
俺は、その言葉を噛みしめた。
確かに、その通りだ。
俺たちは、敵同士だ。
美鈴は紅魔館を守る立場。俺は、紅魔館に侵入する立場。
「教える理由は、ありません」
美鈴ははっきりと言った。
「あなたに力の使い方を教えれば、あなたはさらに強くなる。そして、紅魔館の中へ入っていく」
「……」
「お嬢様と、戦うことになる」
美鈴の声が、震えた。
「それを、助けるわけにはいきません」
「だが――」
俺は言葉を探した。
何を言えばいい。
どう説得すればいい。
「でも、俺は思うんだ」
俺は美鈴を見た。
「お前は、この異変を本当に望んでるのか?」
美鈴の表情が、微かに変わった。
「この紅い霧。人間が苦しむこの状況を」
「……お嬢様が、望んだ世界ができるのなら、それでも。」
「お嬢様が、ね。……じゃあお前自身は?門番として、主人に従ってるだけだろ。」
俺は言った。
「……それに今の言い方…本心じゃないだろ、ある程度は分かるぞ。」
「……」
美鈴は、目を逸らした。
図星、だったようだ。
だが――
「それでも」
美鈴は、もう一度俺を見た。
「私には、立場があります」
その瞳は、揺れていた。
迷いがあった。葛藤があった。
だが、決意もあった。
「教えることは、できません」
「……そうか」
俺は、諦めるしかないのか。
このまま、満身創痍の身体で、館に入るのか。
魔理沙を追いかけるのか。
力の使い方もわからないまま。
「でも」
美鈴が、小さく呟いた。
「……ん?」
「私は、何も見ていません」
美鈴は目を閉じた。
「あなたが、どうやって力を引き出そうとしているか」
「……どういう、意味だ?」
「気というものは」
美鈴は静かに言った。
「身体の中を流れるエネルギーです。それを意識し、集中させ、爆発させる」
「……」
「方法は、人それぞれです」
美鈴は続けた。
「ある者は瞑想で。ある者は武術で。ある者は、死の淵で」
死の淵。
その言葉が、胸に響いた。
「あなたは、さっき死にかけた」
「……ああ」
「その時、無意識に気を爆発させた」
美鈴は目を開けた。
「ならば、もう一度やればいい」
「……もう一度?」
「死の淵に立てば」
美鈴は真剣な顔で言った。
「あなたの気は、また爆発するでしょう」
「……」
「ただし」
美鈴は警告するように言った。
「次は、死ぬかもしれません」
「……」
「それでも、やりますか?」
美鈴の問いかけに、俺は――
「やる」
即答していた。
「やるしかねぇ」
美鈴は、微笑んだ。
「……わかりました」
そして、小さく呟いた。
「私は、何も教えていません。」
「……ああ」
「ただ、あなたが勝手に」
美鈴は目を閉じた。
「力を引き出そうとしているだけです」
その声は、弱々しかった。
だが、確かな意志があった。
………行くか、紅魔館、その内部へ。