転生博麗   作:ライダー☆

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第五話 紅魔館内部での戦い

紅魔館内部。

魔理沙は、困惑していた。

いや、困惑なんて生温い表現では足りない。完全に、状況が理解できなかった。脳が、現実の認識を拒否していた。

 

「……なんで、ここに?」

 

呟きながら、魔理沙は周囲を見渡した。箒に跨ったまま、ゆっくりと宙を旋回しながら。

そこは――図書館だった。

巨大な、図書館。

天井が見えないほど高い。いや、本当に天井があるのかすら疑わしい。何層にも重なった書架が、まるで塔のように積み上げられ、どこまでも、果てしなく続いている。無数の本が、整然と並んでいる。背表紙の文字は、様々な言語で書かれていた。ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、そして見たこともない文字。古いものから新しいものまで。西洋の書物も、東洋の書物も。魔導書らしき怪しげな本も、禍々しいオーラを放ちながら鎮座していた。

空気は冷たく、湿っている。紙とインクと、何か古いものの匂いがする。時間が凝縮されたような、重苦しい空気。

魔法の気配が、濃厚に漂っていた。肌に纏わりつくような、粘ついた感覚。

 

「地下……図書館?」

 

魔理沙は、この場所が地下にあることを直感的に理解した。

空気の流れが、ない。

完全に、止まっている。

地上なら、どれほど密閉された空間でも、わずかに空気の流れがある。窓の隙間から、換気口から、扉の隙間から。微かな風が、必ず存在する。

だが、ここには――ない。空気が、完全に閉じ込められている。

それに、温度が低い。地上よりも明らかに冷たい。湿度も高い。まるで、洞窟の中にいるかのような感覚。

そして――重力の感じ方が、微妙に違う。

何百メートルもの岩盤が、頭上にあるような。圧迫感がある。身体が、わずかに重い。

魔法使いとしての感覚が、そう告げていた。

ここは、地下だ。

深い、深い地下だ。

だが――

 

「おかしい……だとしたらおかしすぎる……!」

 

魔理沙は歯を食いしばった。

私は、確かに上へ向かっていたはずだ。

門を突破して、館の中に侵入した。豪華な玄関ホールを抜け、大理石の階段を駆け上がり、二階へ。赤い絨毯が敷かれた廊下を突き進み、さらに階段を上って、三階へ。そして四階へ。

吸血鬼がいるであろう、最上階を目指していた。

それは確かだ。記憶が曖昧なわけじゃない。幻覚を見たわけでもない。

階段を上っていた。確実に、上へ上へと。

なのに――

 

「なんで、私が地下にいるんだ?」

 

矛盾していた。

物理法則が、破綻していた。

上へ向かったはずなのに、下にいる。

まるで、エッシャーの騙し絵の中に迷い込んだかのような感覚。

 

「……空間操作、か?」

 

魔理沙は舌打ちした。

罠だったのか。

廊下のどこかに、転移の魔法陣でも仕掛けられていたのか。それとも、館全体が巨大な魔法装置になっているのか。

気づかなかった。

まったく、気づかなかった。

魔法使いとしての自負が、一瞬で崩れ去った。

 

「ちっ、やられた……!」

 

時間を無駄にした。

霊夢が、命がけで稼いでくれた時間を、無駄に消費してしまった。

あの満身創痍の身体で、美鈴と戦ってくれているのに。

 

「早く、戻らねぇと……!」

 

魔理沙は図書館の出口を探した。

箒を加速させ、書架の間を縫うように飛ぶ。

だが、書架が迷路のように入り組んでいて、方向感覚が狂う。右に曲がったはずなのに、また同じ場所に戻ってくる。真っ直ぐ飛んだはずなのに、いつの間にか曲がっている。

どこが出口なのか。

どこが入口なのか。

それどころか、どこが上でどこが下なのかすら、わからなくなってきた。

 

「くそ……!」

 

焦りが込み上げてくる。呼吸が浅くなる。心臓が激しく跳ねる。

霊夢は、大丈夫だろうか。

美鈴と、まだ戦っているのか。

 

考えたくない可能性が、頭をよぎる。

倒れているのか。

気絶しているのか。

それとも――死んでいるのか。

 

「…………いいや、考えるな!」

 

魔理沙は頭を振って、その思考を追い払った。

考えるな。

霊夢は、強い。

弱そうに見えるが、あいつは博麗の巫女だ。そう簡単にやられるはずがない。

昔は強かった。圧倒的だった。……その力が、羨ましくてしょうがなかったぐらいだ。

……信じる。

 

「……行くぞ!」

 

魔理沙は箒を加速させた。

書架の間を縫うように飛び、出口を探す。

巨大な本棚が、次々と視界に入っては消えていく。

天井から吊るされたランタンが、薄暗い光を放っている。炎が揺れるたびに、影が踊る。まるで、何かが蠢いているかのように。

静寂が、支配していた。

自分の飛行音だけが、やけに大きく響く。風を切る音。箒が空気を押し退ける音。それらが、図書館中に木霊する。

 

「どこだ、出口……!どこなんだよ……!」

 

魔理沙は必死に探した。

だが、図書館はあまりにも広大だった。

まるで、無限に広がっているかのように。

いや、本当に無限なのかもしれない。

魔法で、空間が歪められているのかもしれない。

 

「……待てよ」

 

魔理沙は、ふと気づいた。

出口を探す必要はないんじゃないか。

天井を、ぶち破ればいい。

上に向かって、強めの弾幕を撃てば、岩盤だろうが何だろうが貫通する。そして、地上に出られる。

 

「そうだ、それでいい!」

 

魔理沙は上を向いた。

天井は遥か上。だが、マスタースパークなら届く。あのレーザーは、射程距離を気にする必要がない。

 

「そうと決まれば!」

 

懐から八卦炉を取り出す。

金属の感触が、手のひらに伝わる。冷たく、重く、そして――力強い。

レーザーで天井を――

 

「――!?」

 

突然、視界が真っ赤に染まった。

炎。

巨大な炎。

いや、火の玉だ。

直径数メートルはあろうかという、巨大な火の玉が、正面から襲ってくる。

轟音を立てて。空気を焼き尽くしながら。

 

「うわっ!」

 

魔理沙は咄嗟に箒を傾けた。

横に飛ぶ。全速力で。限界まで加速して。

直後――

巨大な火の玉が、魔理沙がいた場所を通過した。

轟音と共に。

熱波が、肌を焼いた。髪が焦げる匂いがした。服の袖が、わずかに燃えた。慌てて叩き消す。

 

「危ない……!」

 

魔理沙は冷や汗を流しながら、振り返った。

火の玉は、背後の書架に激突していた。

本が燃え上がる。赤い炎が、古書を舐め尽くす。

だが――すぐに消えた。自然に。まるで、最初から燃えていなかったかのように。

魔法で消火されたのか。

いや、違う。

あれは、燃えることを許されなかったのだ。この図書館の意志によって。

 

「……誰だ!」

 

魔理沙は叫んだ。

声は、図書館中に響き渡った。何重にも反響して、まるで複数の魔理沙が叫んでいるかのように。

そして――

沈黙。

長い、長い沈黙。

魔理沙は息を潜めた。警戒を最大限に高める。

 

「ようこそ」

 

声が返ってきた。

女性の声。いや、少女の声。低く、落ち着いた、知的な響きを持つ声。だが、同時に冷たさも含んでいた。感情の欠落した、機械的な冷たさ。

 

「ヴワル魔法図書館へ。……なんて、洒落た言葉はいらないかしら。」

 

魔理沙は、声の方向を見た。

書架の上。

そこに、一人の少女が浮いていた。

紫色の長い髪。艶やかで、まるで絹のような髪。紫色のローブとスカート。ゆったりとした、魔法使いの装束。頭には三日月のような飾り。銀色に輝く、神秘的な装飾品。

そして、手には――分厚い本。

古びた、魔導書のような本を抱えていた。革の装丁。金属の留め具。ページからは、微かに光が漏れている。

少女は――病弱そうだった。

肌は青白く、頬はこけている。まるで、長い間日の光を浴びていないかのような。

だが、その瞳は鋭かった。

紫色の瞳。深淵のような、底知れぬ知性を宿した瞳。

 

「……誰だ、お前」

 

魔理沙は警戒しながら訊いた。

少女は、微笑んだ。

だが、その笑顔には温かみがなかった。冷たく、計算された、まるで数式のような笑み。

 

「パチュリー・ノーレッジ」

 

その名前を、魔理沙は知らなかった。

だが、名前を聞いた瞬間、直感した。

この少女は、危険だ。

圧倒的に、危険だ。

 

「紅魔館の魔法使い」

 

パチュリーは本のページをめくった。

ゆっくりと。まるで、時間が無限にあるかのように。

 

「そして、この図書館の主」

「……図書館の?」

「ええ」

 

パチュリーは頷いた。

 

「ここは私の領域。私の聖域。私の世界」

 

本が、淡く光り始めた。

 

「そして、あなたは――」

 

パチュリーの瞳が、鋭くなった。

 

「不法侵入者」

 

空気が、重くなった。

魔力が、濃密になっていく。呼吸が苦しくなる。

 

「名前は?」

 

パチュリーは訊いた。

 

「あなたを殺す前に、教えてちょうだい」

「……霧雨魔理沙」

 

魔理沙は答えた。

隠す意味はない。それに、この状況で嘘をついても意味がない。

 

「魔法使いだ」

「魔法使い?」

 

パチュリーは興味深そうに首を傾げた。

 

「あら、珍しい。人間の魔法使いなんて」

「……お前も、人間だろ?」

「ええ、一応、「ガワ」はね。」

 

パチュリーは微笑んだ。

 

「でも、普通の人間ではないわ。百年以上、生きているもの」

「……は?」

 

魔理沙は目を見開いた。

百年?

この少女が?

 

「驚いた?でも、事実よ」

 

パチュリーは本を閉じた。

 

「魔法使いは、老いない。少なくとも、私のような真の魔法使いは」

「……真の、魔法使い?」

「ええ」

 

パチュリーは誇らしげに言った。

 

「生まれながらの魔法使い。魔法を操る才能を持って生まれた者。」

 

そして、魔理沙を見た。

 

「あなたは、違うでしょう?」

「……」

「普通の人間。努力で魔法を身につけた。そんな感じね」

 

図星だった。

魔理沙は、生まれながらの魔法使いではない。

努力で、魔法を学んだ。独学で。試行錯誤を重ねて。

 

「まぁね。私は天才じゃない、何か特別な才能を持って生まれたわけでもない。」

 

魔理沙は自嘲した。

 

「努力型の、凡人。そして自分自身を、ここまで上げてきた。」

「そう」

 

パチュリーは冷たく言った。

 

「中途半端な力を持った奴は、早死にするって知らなかったかしら?今ここで死になさい」

 

本が、激しく光り始めた。

 

「凡人が、天才に挑むなんて――」

 

ページが、捲られる。

 

「百年早いわ!!」

 

瞬間、

図書館中の本が、光り始めた。

無数の本が。何千冊、何万冊という本が、一斉に。

書架に並ぶすべての本が、それぞれの色で輝き始めた。赤、青、緑、黄、白、黒。虹色の光が、図書館を満たす。

 

「……これは…」

 

魔理沙は、呆然とした。

これは、勝てない。

本能が、そう告げていた。理性が、撤退を促していた。

この少女は、格が違う。

次元が、違う。

だが――

 

「それでも、行かせてもらう!」

 

魔理沙は叫んだ。

霊夢が、待っている。

時間を稼いでくれている。満身創痍の身体で、美鈴と戦ってくれている。

その時間を、無駄にするわけにはいかない。

たとえ相手が、どれほど強大でも。

たとえ勝算が、ゼロに近くても。

 

「マスタースパーク!」

 

魔理沙は八卦炉を構え、叫んだ。

極太のレーザーが、パチュリーに向かって放たれた。

虹色に輝く、圧倒的な光の奔流。チルノを一撃で倒した、あの必殺技。

 

「シルフィホルン」

 

パチュリーは静かに詠唱した。

感情のない声で。まるで、数式を読み上げるかのように。

瞬間、緑色の竜巻が出現した。

魔法陣から生まれた、巨大な竜巻。

そして――レーザーを、飲み込んだ。

いや、逸らした。

レーザーは軌道を曲げられ、明後日の方向に飛んでいった。そして、書架に激突した。爆発が起こる。本が舞い散る。

だが、すぐに修復された。まるで時間が巻き戻されたかのように。

 

「……なにっ!?」

 

魔理沙は、信じられなかった。

マスタースパークが、効かない?

いや、効かなかったわけじゃない。逸らされた。防御されたのではなく、攻撃の方向を変えられた。

 

「言ったでしょう?」

 

パチュリーは微笑んだ。

 

「百年早いと」

 

そして――

 

「さあ、始めましょうか」

 

本のページが、激しく捲られ始めた。

風が吹く。いや、魔力の奔流だ。

 

「魔法使い同士の――」

 

パチュリーは宣言した。

 

「知恵比べを。」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

紅魔館の中は、静寂に満ちていた。

いや、静寂というより――死の気配が満ちていた。生命の息吹が感じられない、真空のような静けさ。まるで、墓場の中を歩いているかのような、冷たく重苦しい空気。

俺は、館内を歩いていた。

一歩進むたびに、激痛が走る。

折れた肋骨が、肺を圧迫する。呼吸するたびに、胸の内側で何かが軋む音がする。

右手首は、完全に使えない。わずかに動かすだけで、電流が走ったような激痛が腕全体を駆け巡る。

脚も、限界だった。美鈴の打撃のダメージが深部まで残っている。筋肉が腫れ上がり、内出血で青紫色に変色している。

血が、滲み続けていた。

身体中の傷から。動くたびに、じわじわと。止まらない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

呼吸が荒い。

酸素が足りない。頭がぼんやりとしてくる。

このままじゃ、まずい。

動き続ければ、それだけ血が出る。

だが、止まるわけにもいかない。

 

「魔理沙……」

 

呟いて、俺は館の奥を見た。

長い廊下が続いている。

魔理沙は、どこにいる。

無事なのか。

それとも――

考えたくない可能性が、頭をよぎる。

 

「……行かないと……」

 

俺は再び歩き出した。

廊下を進む。赤い絨毯が敷かれた、豪華な廊下。壁には絵画が飾られている。肖像画。風景画。どれも高価そうな、芸術作品。西洋の貴族の館そのものだった。

だが、人の気配がない。

メイドもいない。執事もいない。使用人の気配すら感じられない。

まるで、廃墟のように。

 

「……静かすぎる」

 

不気味だった。

罠なのか。

それとも、全員がどこかに集まっているのか。

わからない。想像するしかない。

ただ、前に進むしかない。

廊下を抜けると、大きなホールに出た。

吹き抜けになっていて、天井が遥か上にある。何階分もの高さがある。シャンデリアが吊るされている。巨大な、水晶のシャンデリア。紅い霧に遮られた微かな光を受けて、虹色に輝いている。

そして、ホールの中央には――階段があった。

大理石の、豪華な階段。左右に分かれて、優雅な曲線を描きながら上の階へと続いている。まるで、舞踏会の会場のような。

 

「上……か」

 

吸血鬼は、上にいる。

最上階に、いるはずだ。

 

「行くぞ……!」

 

俺は階段に向かって歩き出した。

だが――

 

「うぅっ………」

 

膝が崩れた。

ガクリ、と。

脚が、もう限界だった。

内出血で腫れ上がった太腿が、体重を支えることを拒否した。

石の床に、膝をついた。冷たい感触が伝わってくる。

赤い染みが、絨毯に広がっていく。俺の血だ。

 

「くそ……ここで、倒れるのか……?」

 

悔しさが込み上げてくる。

美鈴には勝った。

霊夢の力を借りて、かろうじて。

だが、ここで終わるのか。

階段すら上れずに。

失血で、戦う前に倒れるのか。

 

「……」

 

その時、美鈴の言葉が脳裏をよぎった。

 

【気というものは、身体の中を流れるエネルギーです。それを意識し、集中させ、爆発させる】

 

あいつは「何も教えていない」と言った。

だから、これは俺が勝手に考えることだ。

 

霊力は、戦闘に使うものだと思っていた。

攻撃に。防御に。飛行に。

だが、そうじゃないとしたら。

身体の中を流れるエネルギーなら――身体そのものに使えるんじゃないか。

俺は意識を内側に向けた。

身体の中を流れる、霊力。

温かいエネルギーが、まだ残っていた。わずかだが、確かに流れている。

それを、傷口に向ける。

血が滲んでいる箇所。脚の内出血。手首のひび。腹の傷。

そこに、霊力を送り込む。

まるで、栓をするように。

すると――

 

「……止まった?」

 

血の滲みが、遅くなった。

完全には止まらない。だが、流れが鈍くなった。

霊力が、傷口に集まっている。

これで、少しは保つ。

次に、脚に霊力を送り込む。

筋肉を補強するイメージ。壊れかけた構造に、霊力で支えを作るイメージ。

痛みは消えない。

腫れも引かない。

だが――

俺は立ち上がった。

震える脚で。霊力に頼り切りで。

でも、立った。

 

「……なるほどな」

 

呟いた。

まだ、わからないことだらけだ。

使いこなしているとは、とても言えない。

ただ、身体に流れるものを、少しだけ、意図して動かせた。

それだけだ。

 

「行くぞ……!」

 

階段を上り始める。

一段、また一段。

ゆっくりと、確実に、上へ。

ふと、階段の手すりに手をついた時、指先に血の感触があった。

自分の血だ。

さっきまで滲んでいた傷から、また少し出たらしい。

霊夢の手が、血で汚れている。

 

「……すまんな、霊夢」

 

小さく呟いた。

また借りっぱなしにしている。

傷まで、負わせている。

返せるものが、何もない。

だから、せめて、前に進む。

それしかできない。

 

「魔理沙……待ってろ……」

 

俺は階段を上り続けた。

二階に到着する。

また廊下が続いている。さっきと同じような、赤い絨毯の廊下。

 

「まだ、上か……」

 

奥に、さらに階段がある。

俺は、その階段に向かって歩き出した。

だが――

 

「ッッ!?」

 

腹部に、突然、激痛が走った。

 

「がっ……!?」

 

何だ。

何が起こった。

衝撃があった。だが、何が当たったのかわからなかった。

腹を見ると――

小型のナイフが、深々と突き刺さっていた。

銀色の、鋭利なナイフ。刃渡り十センチほど。柄まで深く刺さっている。肉に埋まっている。

 

「いつの間に……!?」

 

見えなかった。

まったく、気配を感じなかった。

音もしなかった。風を切る音すら。

まるで、瞬間移動したかのように、ナイフがそこに現れた。

 

「くそ……!」

 

俺はナイフを引き抜いた。

刃が肉を裂く。激痛が走る。血が噴き出す。

すぐに霊力を集中させる。傷口に送り込む。止血する。

 

「はぁ……はぁ……」

 

息が荒い。

誰だ。

誰が投げた。

どこから投げた。

 

「……!」

 

俺は前を見た。

そこには――

何十個もの小型ナイフが、空中に浮いていた。

銀色に輝く、鋭利なナイフ。それらが一直線に並び、まるで軍隊のように整然と配置され、俺に狙いを定めている。

刃先が、すべて俺を向いている。

殺意が、可視化されたかのような光景。

 

「ッ!」

 

ナイフが、飛んできた。

一斉に。間髪入れず。音速で。

空気を切り裂く、鋭い音。

 

「くそっ!」

 

俺は咄嗟に横に飛んだ。

霊力を足に集中させ、限界まで加速する。

ナイフが、俺がいた場所を通過する。そして、背後の壁に突き刺さる。ズガガガガ、と連続した音。

 

「まだ来る……!」

 

さらにナイフが飛んでくる。

第二波。第三波。

避ける。

身体を捻る。ギリギリで躱す。

また避ける。

だが、完全には避けきれない。

数が多すぎる。速すぎる。

肩に一本。刃が肉を裂く。

脚に一本。太腿に深く突き刺さる。

 

「ぐっ…!!」

 

痛い。

激痛が走る。

だが、止まれない。止まったら、蜂の巣にされる。

俺は階段を駆け上がった。

全速力で。身体の限界を超えて。霊力を足に送り込み、人間を超えた速度で。

ナイフを避けながら。躱しながら。

そして――

三階に到着した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

息が切れる。

肺が悲鳴を上げている。心臓が限界まで跳ねている。

だが、ナイフは止まった。

攻撃が、止んだ。

 

「……誰だ」

 

俺は前を見た。

そこに――

一人の女性が立っていた。

いや、少女、だろうか。年齢が判別しづらい。十代後半か、二十代前半か。

銀色の長い髪。月光のような、美しい銀髪。それが腰まで伸びている。

メイド服。青と白の、クラシックなメイド服。白いエプロン。白い袖。そして、頭には白いカチューシャ。

完璧なメイドの装いだった。一分の隙もない。シワ一つない。汚れ一つない。

だが――その表情は、冷たかった。

感情がない。

喜びも、怒りも、悲しみも、何もない。

まるで、精巧に作られた人形のように。

 

「ようこそ、紅魔館へ」

 

少女は静かに言った。

低く、落ち着いた声。美しい声だ。だが、その声には温かみがなかった。

 

「私は、十六夜咲夜」

 

咲夜は、手に持ったナイフをくるりと回した。

指の間で、まるで曲芸師のように。銀色の刃が、光を反射して輝く。

 

「紅魔館のメイド長です」

 

美鈴が言っていた。

この館で、最も強い人間。

美鈴ですら、勝てない相手。

 

「……メイド長、か」

 

俺は警戒した。

この女性は、危険だ。

圧倒的に、危険だ。

本能が、そう告げていた。全身の細胞が、警告を発していた。

 

「あなたは、博麗の巫女ですね」

 

咲夜は静かに言った。

 

「博麗霊夢。幻想郷の…異変解決者」

 

その名前を、この口で名乗っていいのか、という感覚が、また胸の奥を刺した。

だが、名乗るしかない。

 

「……ああ」

「そして」

 

咲夜の瞳が、冷たく光った。

赤い瞳。血のような、赤い瞳。

 

「不法侵入者。」

 

空気が、重くなった。

 

「私の仕事は、紅魔館を守ること。お嬢様にお仕えすること」

 

咲夜は淡々と言った。

 

「そして、不法侵入者を排除すること」

 

ナイフが、キラリと光った。

瞬間、無数のナイフが出現した。

空中に。何もない空間から。まるで、空間の裂け目から生まれたかのように。

数十本。いや、百本以上。

銀色のナイフが、咲夜の周囲に浮いている。刃の翼のように。

 

「……マジかよ」

 

俺は呟いた。

これは、どういう能力だ。

 

「あなたは、よく美鈴を倒しました」

 

咲夜は冷たく言った。

 

「称賛に値します」

「……」

「しかし」

 

咲夜は静かに続けた。

 

「ここから先は、通しません」

 

ナイフが、一斉に俺に向けられた。

 

「お嬢様を、煩わせるわけにはいきません」

 

ナイフが、飛んできた。

また、一斉に。

 

「くっ!」

 

避ける。だが、

 

「ぐっ!?」

 

脇腹に、衝撃が走った。

ナイフが、刺さっている。

避けたはずだった。

完全に、避けたはずだった。

だが、ナイフは俺に当たっていた。

まるで、避けた先に最初からナイフがあったかのように。

 

「だぁっ!」

 

俺はナイフを引き抜き、霊力で止血する。

だが、また飛んでくる。

避ける。

身体を捻り、ギリギリで躱す。

 

「ぐっ!?」

 

肩に、ナイフが刺さった。

また、見えなかった。

予備動作がない。

投げる動作がない。

咲夜は、ただそこに立っているだけだ。

手を動かすこともなく。

なのに、ナイフが飛んでくる。

 

「おかしい……こんなことあるはずがない……」

 

俺は階段を駆け上がった。

距離を取る。咲夜から離れる。

 

「ッ!?」

 

背中に、衝撃が走った。

ナイフだ。

背後から、刺された。

 

「なっ……!」

 

振り返ると――

咲夜が、すぐ後ろにいた。

 

「……な、なんで……!?」

 

さっきまで、遥か前方にいたはずだ。

十メートル以上、離れていたはずだ。

なのに、今は目の前にいる。

 

「どうやって……!」

 

咲夜は、何も言わずにナイフを振るった。

 

「ぎゃっ!」

 

俺は咄嗟に身体を逸らした。

ナイフが、頬を掠める。血が飛び散る。

 

「はぁ……はぁ……」

 

息が荒い。

わからない。

まったく、わからない。

咲夜の攻撃が、理解できない。

予備動作がない。

移動の過程がない。

まるで、瞬間移動しているかのように。

 

「……瞬間移動?」

 

違う。

そんな単純なものじゃない。

もっと、根本的な何かだ。

 

「では、もう一度。」

 

咲夜の声が聞こえた。

 

「くっ!」

 

俺は警戒した。

だが――

何も見えなかった。

咲夜の姿が、消えた。

いや、消えたわけじゃない。

そこにいる。確かに、そこにいるはずだ。

だが、見えない。

 

「どこだ……?」

 

そして――

 

「がっ!」

 

腹部に、衝撃。

ナイフが、深々と刺さった。

 

「ぐあ………ああ…!!」

 

痛い。

激痛が走る。

だが、咲夜の姿は見えない。

攻撃だけが、届く。

 

「くそ……くそ……!」

 

俺はナイフを引き抜き、霊力で止血する。

だが、また刺される。脚に。腕に。背中に。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

避けられない。

見えないものは、避けられない。

絶望が、じわじわと滲んでくる。

勝てない。この相手には、勝てない。

だが――

 

「まだ……まだだ……!」

 

俺は立ち続けた。

ここで諦めるわけにはいかない。

魔理沙が、どこかにいる。

人里の人間たちが、苦しんでいる。

そして――

霊夢の身体が、まだ動いている。

こいつが耐えてくれているうちは、俺も耐える。

 

「負けるか……!」

 

また、ナイフが飛んできた。

無数の、ナイフが。

避けようとした。

だが、間に合わない。

当たる。確実に、当たる。

 

その瞬間――

身体が、勝手に動いた。

美鈴の時と同じように。

無意識に。本能的に。

 

(これは……あの時の!)

 

霊力が、爆発した。

全身から。

光が、弾けた。

そして――

ナイフが、弾かれた。

すべてのナイフが、霊力の波動で弾き飛ばされた。

 

「……ん?」

 

俺は、自分でも驚いた。

だが、考えている暇はなかった。

その一瞬。

霊力が爆発した、その一瞬。

俺は、見た。

世界が、止まっていた。

いや、止まっていたわけじゃない。

咲夜だけが、動いていた。

空中に浮かぶナイフ。

それは、静止していた。

だが、咲夜だけが――

ナイフを配置していた。

俺の周囲に。俺が避けられない位置に。

そして、時間が動き出すと同時に、ナイフが飛んでくる。

 

「……そういうことか」

 

理解した。

ようやく、理解した。

咲夜の能力。

彼女は――

 

「時間を、止めている……!」

 

そうだ。

瞬間移動じゃない。

予備動作がないわけじゃない。

咲夜は、時間を止めて、その間に動いている。

ナイフを配置している。

移動している。

攻撃している。

そして、時間が動き出すと――

俺には、瞬間移動したように見える。

予備動作なく攻撃されたように見える。

 

「時間停止……」

 

そんな能力が、あるのか。

いや、ある。

この幻想郷なら、あり得る。

 

「……なら」

 

俺には、対抗策がある。

一つだけ。

美鈴の時のように、無意識に霊力が爆発した。

あの瞬間、時間が止まっている世界を、一瞬だけ見た。

ということは――

 

「霊力を、常に展開し続ければ……」

 

時間停止の影響を、減らせるかもしれない。

完全には防げないだろう。

だが、わずかでも時間停止中に動ければ、咲夜の攻撃を、避けられる。

反撃できる。

これは、治癒に使っていた霊力の応用だ。

傷口に流し込むのではなく、常時展開する。

身体の外に、薄く広げる。

それが、時間の歪みを感じ取るセンサーになる。

 

「やってやる……!」

 

俺は霊力を全身に巡らせた。

身体の隅々まで。

そして、それを維持する。

常に、霊力を展開し続ける。

 

「来い……十六夜咲夜……!」

 

俺は叫んだ。

咲夜は、冷たく微笑んだ。

 

「ようやく、気づきましたか」

 

その声には、わずかに驚きが混じっていた。

 

「時間を操る、私の能力に…」

 

咲夜は手を広げた。

無数のナイフが、再び出現する。

 

「ですが」

 

咲夜は冷たく言った。

 

「気づいたところで、どうにもなりません。なるわけがないんです。」

 

そして――

咲夜の姿が、消えた。

いや、時間が止まった。

 

「!!!!」

 

俺は、感じた。

世界が、静止する感覚。

音が消える。空気が止まる。

だが――

俺の身体は、わずかに動く。

霊力が、時間停止の影響を減らしている。

完全には防げない。

だが、スローモーションのように、わずかに動ける。

 

見えた。

咲夜が、動いている。

ナイフを配置している。

俺の周囲に。

 

「……そこか!」

 

俺は、必死に身体を動かした。

スローモーションで。

まるで、水の中を泳ぐかのように。

だが、確実に、動いている。

ナイフの配置を、避ける。

咲夜の攻撃を、予測する。

そして、時間が、動き出した。

 

「よし!」

 

ナイフが飛んでくる。

だが、今度は――

 

「避けられる!」

 

俺は、ナイフを避けた。

完全に。

すべてのナイフを。

 

「……!」

 

咲夜の表情が、変わった。

驚き。

初めて見る、咲夜の感情。

 

「まさか……私だけの時の中で、動いた?」

 

咲夜は信じられないという顔をした。

 

「ありえない……人間には、不可能なはず……」

「そうだったのか?悪いな。」

 

俺は笑った。

血まみれの顔で。

 

「だったら俺は、もう人間じゃねぇのかもな。」

 

御札を構えた。

身体が、今までと違う感覚を持っていた。

霊力の流れが、さっきまでより確かだ。

治癒に使い、脚の補強に使い、時間停止への抵抗に使った。

その全部が、つながっている。

使い方が、少しだけわかってきた。

まだ、完全じゃない。

まだ、霊夢の身体を使いこなせているとは言えない。

でも。

 

「俺は博麗霊夢だ」

 

静かに言った。

叫ばなかった。

叫べるほど、その名前に胸を張れない。

でも、この身体はそう呼ばれる。

この名前を借りて、ここまで来た。

 

「……第二ラウンドと行こうじゃねぇか。」

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