「行くわよ。」
レミリアが、動いた。
さっきまでとは違った。空気の質そのものが変わった。俺が掌を押し当てた瞬間から、何かが変わっていた。払う、という余裕が消えた。それまでの彼女の動きには、遊びがあった。子供の悪戯を見守るような、退屈しのぎの余裕があった。だが今は違う。攻撃に確かな意図が生まれていた。俺たちを「処理する」のではなく、「当てに来ている」。その差は、皮膚感覚で分かるほど鮮明だった。
御札を投げた。
届かなかった。
軌道が、わずかにずれた。俺が投げた軌道から、数センチ。だが確実に。まるで、俺の攻撃の到達点があらかじめ決まっていて、そこにレミリアが存在しないように。
二枚目を投げた。また外れた。今度はもっと大きく逸れた。
おかしい。
距離は十分だった。霊力の込め方も、さっきと変わらない。手首の返し、指の離し方、何一つ狂っていない。なのに、当たらない。技術の問題ではなかった。もっと根本的な、俺の理解の外側にある何かが働いていた。
魔理沙のレーザーも同じだった。放たれた瞬間、レミリアが動く。レーザーが通る場所に、もういない。
「何で当たらない……?」
魔理沙が歯を食いしばりながら言った。声に、苛立ちよりも困惑が滲んでいた。右手だけで八卦炉を支え、左腕は身体の脇に力なく垂れたままだ。焼け焦げた袖が、その動きに合わせてわずかに揺れていた。彼女ほどの魔法使いが、自分の技が通じない理由を掴めずにいる。それ自体が、この敵の異様さを物語っていた。
「私のレーザーまで避けた。ノーモーションで撃ったのに……!」
俺も同じことを考えていた。頭の奥で、これまでの戦いの記憶が急速に並び替えられていく。
美鈴の近接は、踏み込みの癖を読んで対応した。あれは「反応」だった。相手の動作を見てから、こちらが動く。咲夜の時間停止は、霊力で予兆を感知した。あれは「察知」だった。パチュリーは本を守る制約を突いた。あれは「分析」だった。
だがレミリアの場合、そのどれとも違った。攻撃が届く前に場所がない。回避の動作を見てから動いているのではなく、攻撃が来ることを知った上で、最初からそこにいない。順番が、根本から狂っている。
予知、あるいはそれに近い何かだ。
レミリアは俺たちを見ていた。急がない目だった。狩人が獲物を眺める目でも、遊戯を楽しむ目でもない。もっと静かな、達観したような視線だった。
「気づいたのね」
俺が考えていたことを、見透かしたように言った。声には愉悦も驚きもなかった。当然の帰結を確認するような、平坦な響きだった。
「当たらない理由」
「……ちょっとは」
喉が渇いていた。答える声が、自分でも思ったより掠れていた。
「あなたの攻撃が届く前に、あなたたちの動きが見える。だから、そこにいなければいい」
レミリアは平然と言った。天気の話でもするような口調で、俺たちの絶望を告げた。
「未来が、見えるの。正確には、起こりうることの筋道が。あなたがどこを狙うか。どう動くか。だから、避けられる」
「……」
「運命を操るとでも言えばいいかしら。この力も、私が完全に理解しているわけじゃないけれど」
俺は、その言葉を頭の中に落とした。何度も、噛み砕くように。
完璧に理解していない、と言った。つまり、見えない筋道がある。
完璧ではない、と言った。それは、見えない未来があるということだ。
藁にもすがるような発想だった。だが、他に縋るものがなかった。
「魔理沙」
俺は声をかけた。喉の奥に絡みつく血の味を飲み込みながら。
「なんだ」
魔理沙は側面から弾幕を展開しながら答えた。片腕だけで支える弾幕は、明らかに密度が落ちていた。星の数が減り、隙間が目立つ。額から流れる汗が、顎先から滴っていた。
「一つだけ試したいことがある」
「何だ」
「俺が決めずに動く。考えずに、身体だけで動く。運命を見るなら、俺自身が決めていない動きは読めないはずだ」
我ながら、根拠の薄い賭けだった。だが、理屈は通っている気がした。運命が「起こりうる筋道」を辿るものなら、その筋道を選ぶ主体――俺の意思――そのものを消してしまえばいい。
魔理沙は少し間を置いた。俺の顔を見て、何かを推し量るような沈黙だった。
「……できるのか、そんなこと」
「わからない。だが、やる。やるしかない」
俺は御札を全部手に持った。全部で八枚。残りのすべてだ。指先に紙の感触が食い込むほど強く握りしめていた。
考えるのをやめた。次にどこへ動くか、決めなかった。レミリアのどこを狙うか、決めなかった。ただ、霊力を全身に巡らせて、身体の動くままに任せた。意識という手綱を、手放した。
この身体は霊夢のものだ。
俺の中で、その事実がこれまでで一番強く輪郭を持った。霊夢の反射が、霊夢の本能が、この身体に染み込んでいる。何年もの実戦、何百という異変、その全てが筋肉と神経の奥に刻まれている。俺の意思ではなく、霊夢の積み重ねが動く。俺はただ、その器を空にすればよかった。
身体が、跳んだ。
右斜め前に。考えていなかった方向に。自分の身体でありながら、自分の意思が追いつかない。誰か別の人間の背中を、後ろから押されて見ているような感覚だった。
御札が、手から離れた。俺が投げたというより、手が勝手に離した。
「——」
レミリアが、大きく動いた。初めて、その動きに「予定外」の色が滲んだ。
かわした。だが、かわすことに意識が向いた一瞬、魔理沙のレーザーが走った。右手一本、狙いを絞り込むだけで精一杯の、それでも放たれた光だった。
レミリアの右肩を、かすめた。
深くはない。だが、当たった。
沈黙があった。空気の密度が変わったような、そんな一瞬だった。
レミリアは自分の肩を見た。焦げた布地。彼女がそれを「痛み」として認識するまでに、わずかな遅れがあった気がした。何百年ぶりかの感覚を、思い出そうとするかのように。
「よし……」
「……面白い」
今度の言葉には、温度があった。さっきまでとは違う、純粋な驚きが混じっていた。今までの言葉には常に、達観の膜が一枚張られていた。それが、初めて剥がれた瞬間だった。
「考えずに動いた。だから見えなかった。」
レミリアは俺を見た。その視線には、獲物を見る目とは違う何かが宿っていた。
「あなたは、自分の身体を信頼したのね」
「霊夢の身体を、だ」
俺は答えた。訂正せずにはいられなかった。この称賛を、俺自身のものとして受け取るわけにはいかなかった。
レミリアは少し間を置いてから、笑った。今までの、余裕を纏った微笑とは違う笑みだった。
「なるほど」
そして、手を上げた。
「だけど、それも限界があるわ」
無数の紅い槍が、空間に生まれた。空気そのものが紅く染まり、部屋全体を押し潰しそうな圧力が満ちた。
グングニル。
槍が飛んできた。俺は考えずに動いた。身体に任せた。一本をかわした。二本目が来た。かわした。だが、三本目が来た時、身体の反応が間に合わなかった。
脇腹をかすめた。深くはない。服が裂け、皮膚が切れた。熱さより先に、鈍い衝撃が骨に響いた。
「……!」
「消耗が、限界に近いようね」
レミリアは見抜いていた。その声には、勝ち誇る響きすらなかった。ただ事実を読み上げるような、静かな観察だった。
「身体の反応が、遅くなっている。霊力が、底をつきかけている」
正確だった。俺の霊力は、確実に減っていた。傷の止血に使い、筋肉の補強に使い、時間停止の感知に使い、霊力の放出に使い、ここまでの戦いで消耗し続けていた。指先の感覚が、少しずつ遠のいていく。視界の端が、僅かに滲んでいた。
それでも、まだある。ゼロではない限り、まだ続けられる。
「魔理沙。」
「わかってる!」
魔理沙が八卦炉を構えた。右手一本で。左腕は、もう肩の高さまで上げることすらできなくなっていた。最後のマスタースパークを撃つ構えだった。片手で支えるには、あまりにも危うい重量のはずだった。それでも、その切っ先はまっすぐレミリアへ向いていた。
「もう一度だ。俺が前に出る。お前は後ろから撃て。」
魔理沙は一秒だけ俺を見た。その一瞬に、何かを確かめるような、覚悟を問うような色があった。
「……ああ。」
俺は全速力で前に出た。足が縺れそうになるのを、気力だけで押し留めながら。
レミリアが槍を生成し始めた。俺の動きを読んで、俺の到達点に向けて。だが俺は、到達点を決めていなかった。身体に任せて、直前に向きを変えた。槍が、俺がいた場所を通過した。頬のすぐ横を、紅い穂先が掠めていく感触があった。
レミリアのすぐ前に、出た。
「——」
その瞬間、魔理沙のレーザーが放たれた。反動が、片腕だけの身体を大きく後方へ押しやった。箒が斜めに流れ、彼女の体勢が崩れる。それでも、狙いは逸れなかった。
俺はレミリアの真横に跳んだ。レーザーがレミリアに向かって走る。空間を焼くような、白い奔流だった。
レミリアは上に動いた。
レーザーが脇をかすめた。完全には避けられなかった。光がレミリアのドレスの裾を焼いた。焦げた布の匂いが、鼻を突いた。
俺は着地した。膝が折れそうになった。霊力で堪えた。全身の筋肉が悲鳴を上げていたが、その悲鳴すら遠くに聞こえた。
部屋に、沈黙があった。魔理沙も動きを止めていた。反動で痛めたのだろう、右肩を庇うように身体を傾けていた。三人とも、しばらくその場にいた。誰も次の一手を出せない、奇妙な静止の時間だった。
レミリアは焼けた裾を見ていた。それから、俺を見た。
「二発、当てた」
静かな声だった。
「最初の掌と、今のレーザー。二回、私に届かせた」
「それでも、倒せてない……まだ遠い……」
「ええ」
レミリアは頷いた。
「でも」
レミリアの表情が、少しだけ変わった。何かを考えているような間があった。長く生きてきた者だけが持つ、遠くを見るような目だった。
「……久しぶりに、当てられたわ」
その言葉は、独り言のようだった。俺たちに向けたというより、自分自身に確認するような。忘れていた感覚を、指先で確かめるような呟きだった。
そして、手を上げた。紅い光が集まり始めた。今までの攻撃とは、密度が違った。
(……まずいな。あれは避けられない)
背筋を、冷たいものが這った。霊力はもう、底が見えている。魔理沙の顔にも、同じ絶望が浮かんでいた。右手一本では、もう一発のマスタースパークすら撃てないだろう。俺の御札も、残りは二枚だった。
その時、扉の音がした。
咲夜が、そこにいた。
壁に手をついて立っていた。白いメイド服に血の滲みがある。左腕が動かせない様子だった。顔色が、俺や魔理沙の比ではなかった。唇に血の気がなく、呼吸するたびに胸が引きつるように上下していた。俺も喉に違和感があった。だが咲夜のそれは、次元が違った。息を吸うたびに、喉の奥で何かが軋むような音がした。
今日だけ霧を吸った俺たちと、霧が発生してからずっとこの空気の中にいた咲夜では、蓄積の量が違いすぎたのだろう。何日分もの毒が、あの細い身体の中に沈殿しているはずだった。
「……起きたの」
レミリアは咲夜を見た。驚きが顔に出ていた。「こんなに早く」という驚きだった。未来を見通す彼女にとってすら、この登場は予定外だったのかもしれない。
「ええ」
「ちょうどよかった。片付けを頼もうと思っていたところ」
咲夜は答えなかった。
部屋に入ってきた。倒れている俺と魔理沙の間を通り過ぎた。足元がわずかに乱れていた。杖の代わりに壁を頼りながらの、危うい足取りだった。それでも、まっすぐ歩いた。目的地から目を逸らさなかった。
レミリアの前まで来て、止まった。
「一つ、訊いてもいいですか」
「何?」
「霧を放つ前、なぜ私に何も言わなかったのですか。人間の身体には有害だと、分かっていたはずです」
レミリアは間を置いた。一瞬だけ。だがその一瞬の中に、何かを探るような、あるいは何かを認めるような色があった。
「……思いつかなかったわ」
その答えは短かった。隠してもいなかった。悪意もなかった。取り繕う気配すらなかった。
ただ、思いつかなかった。私の身体のことが、頭になかった。それは残酷な言葉であるはずなのに、レミリアの声に悪意の温度は一切なかった。だからこそ、余計に重かった。
「……そうですか」
咲夜は俯いた。しばらく、何も言わなかった。その沈黙の間に、彼女の中で何かが静かに、しかし確実に動いていくのが分かった。
俺は床から、その様子を見ていた。立ち上がれなかった。霊力がほとんど残っていなかった。魔理沙も、咲夜の動きを黙って見ていた。
「咲夜、早く」
レミリアが促した。何の疑いもない声だった。従うことが当然だという前提の上に立った、その声だった。
「……できません」
「は?」
「もう、従いません。」
咲夜は顔を上げた。
レミリアを、真っ直ぐに見た。俯かずに。視線を逸らさずに。血の気の失せた顔の中で、その目だけが、はっきりとした意志の光を宿していた。
「この異変を止めてください」
「……咲夜」
レミリアの声のトーンが、落ちた。初めて聞く低さだった。
「私に逆らうつもり?」
「逆らうのではありません」
咲夜は首を振った。
「ただ、もう従わないだけです。私はあなたの道具では、ありませんから。魂を売ったわけでも……」
レミリアは黙った。部屋が静かになった。蝋燭の炎だけが揺れていた。誰も呼吸すら聞こえないほどの静寂だった。
「いらないなら、他を探す」
レミリアは言った。静かに。怒鳴らなかった。声を荒げる必要すら感じていないようだった。
「それだけよ」
静かだったから、重かった。本気だった。代わりを探せばいい、と本当に思っている声だった。長い年月を生きた者の、乾いた合理性がそこにあった。
「……そうですか」
咲夜はナイフを一本、取り出した。指先が、僅かに震えていた。それでも、握りは揺るがなかった。
「ならば、私はお嬢様と戦います」
「本気?」
「はい」
「私に、勝てると思って?」
「思っていません。こちらは満身創痍ですので」
咲夜は答えた。感情を押し殺したような、平坦な声だった。
「ただ、この異変が終わるまで、立ちます」
レミリアはしばらく咲夜を見ていた。値踏みするような、あるいは何かを見出そうとするような視線だった。それから、何かが変わった。怒りではなかった。侮りでもなかった。もっと別の、名付けようのない感情が、その紅い瞳の奥を過ぎった。
「……」
レミリアは手を下ろした。紅い光が、消えた。部屋の空気が、少しだけ緩んだ気がした。
「わかったわ」
その声は、さっきまでと少し違った。硬さが、僅かに抜けていた。
「異変は、止める」
部屋に、沈黙があった。誰もが、その言葉の意味を理解するのに時間を要した。
「……え?」
魔理沙が、声を漏らした。
「聞こえなかった?」
レミリアは繰り返した。
「異変は、止める。霧を晴らす」
「……な、なんで……急に……」
俺は聞いた。床から、かすれた声で。喉の奥から絞り出すように。
「あなたたちが倒したからよ」
レミリアは俺を見た。
「咲夜もパチュリーも美鈴も倒した。私にも二発当てた。それで十分」
「十分、って」
「……本当はね、私はただ、退屈だったのよ」
レミリアは窓の外を見た。紅い月を見た。その横顔には、これまでの戦いの間には見えなかった何かが浮かんでいた。哀愁とも、諦観とも呼べる、静かな色だった。
「何百年も生きると、本気で動ける理由が減っていく。久しぶりに、誰かが私に触れた。それで十分よ」
「……そんな理由で、異変を起こしたのか」
「そんな理由よ」
レミリアはあっさりと言った。
「あなたたちからすれば、最低の理由でしょうね。でも、私にとってはそういうことよ」
俺は何か言おうとした。怒りが来なかったわけではない。人里の人間が苦しんでいた。それは事実だ。彼女の孤独がどれほど深かろうと、その代償を払わされたのは無関係な誰かだった。
だが、言葉が出る前に、別のことを考えていた。咲夜が、主に逆らった。それで、レミリアが止めた。俺たちが二発当てたことも、理由の一つかもしれない。だが、咲夜が立ったことが、何かを動かした。それは確信に近い直感だった。
レミリアにとって、咲夜が逆らうことは「想定外」だったはずだ。運命を見ても、そこは見えなかったのかもしれない。人の心の底にある変化だけは、未来視という力の網の目から零れ落ちるものなのかもしれない。
「咲夜」
俺は咲夜を見た。
「お前が立ったから、きっと終わった」
咲夜は俺を見た。しばらく黙っていた。その沈黙の中に、複雑な感情が幾重にも折り重なっているのが見えた。
「……そうかもしれません」
その声は、静かだった。レミリアは窓に向かって歩いた。ゆっくりと。足取りに、これまでの戦闘中には見せなかった疲労の色が、微かに滲んでいた。
「咲夜」
レミリアは窓に向かって歩きながら、咲夜を一瞥した。その目が、一瞬だけ止まった。唇の青さ。引きつるような呼吸。霧が発生してからの日数を、レミリアは瞬時に計算したのだろう。その計算の速さと正確さの中に、彼女なりの気遣いが滲んでいた。
「下がっていなさい。霧は私が晴らす」
それから、静かに付け加えた。
「霧が晴れたら、妖精メイドに竹林の医者を迎えに行かせるわ。あなたはそれまで動かないで」
命令口調だった。だが、その言葉の向かう先は、咲夜の身体だった。支配のための命令ではなく、案じるがゆえの命令だった。
「……はい」
咲夜は答えた。従う声だった。だが、さっきまでとは少し違う従い方だった。強制された服従ではなく、選び取った上での応答だった。
レミリアは窓の前に立った。手を上げた。紅い霧が、ゆっくりと動き始めた。窓の向こうで、霧が薄まっていく。日が、少しずつ本来の色を取り戻していった。
俺は床に座ったまま、その様子を見ていた。立ち上がれなかった。霊力が空に近かった。身体中に、戦いの痕跡が残っていた。脇腹の傷が、じくじくと熱を持っていた。
隣に、魔理沙が座ってきた。右肩を庇うように、身体を斜めに傾けたままだった。息を吐く音が、疲労の全てを物語っていた。
「終わったな」
「ああ。……倒してはいないがな」
魔理沙はしばらく黙っていた。窓の外の光を、眩しそうに見つめながら。左腕は、まだ袖の中で力なく垂れている。
「お前、今日、初めて飛んだんだよな」
「そうだ。(……俺は何回、今日それを言われればいい。)」
「……それで、ここまで来たんだな」 「霊夢の身体が、来た」
「……お前は本当に、変なことを言うな」
魔理沙は笑った。笑いながら、右肩の痛みに、少し顔をしかめた。
「ふっ」
俺は窓の外を見た。陽光が、一気に差し込んでくる。紅く染まっていた世界が、本来の色を取り戻していった。見上げれば、真昼の青い空があった。霧がなければ、とうに昼を過ぎていたのだ。当たり前の空の青さが、今はやけに眩しく、そしてどこか他人事のように感じられた。
「霊夢」
魔理沙が、また口を開いた。
「四年間、会えなかった。お前が引きこもってた間、何度か来たけど会えなかった」 「………………あぁ……知ってる」
「……ちょくちょく神社に、邪魔するよ。いいかな」
その言葉は、静かだった。確認するような声だった。踏み込みすぎることを恐れているような、慎重な響きがあった。
「ああ」
俺は答えた。答えてから、少し胸が痛んだ。魔理沙が来ることを望んでいるのは、本物の霊夢だ。俺ではない。俺が「ああ」と言っていいのかどうか、わからなかった。この関係の、この約束の、正当な受け手は俺ではないはずだった。
でも、言った。霊夢の代わりに、霊夢がそう思うだろうと思って、言った。それが偽りなのか、それとも今の俺にできる精一杯の誠実さなのか、自分でも判断がつかなかった。
「……ありがとな」
魔理沙は小さく言った。俺は答えなかった。
霧が、晴れていった。