「つまらない。本当に殺してしまいましょう」
レミリアは冷たく、そう言った。
その声には、失望が滲んでいた。心底、がっかりしたという響き。期待していた獲物が、あまりにも弱すぎたという落胆。
「もっと楽しめると思ったのに。期待外れね」
「……まだだ……」
俺は立ち上がった。
血まみれの身体で。全身が傷だらけで、服は破れ、至る所から血が流れている。
満身創痍の身体で。肋骨は折れ、腕は痺れ、足は震えている。
だが、まだ立てる。まだ、戦える。
「まだ、終わってない」
声を絞り出す。喉が血で塞がれそうになりながら。
「あら」
レミリアは微笑んだ。
その笑みは、残酷だった。獲物が抵抗する様を楽しむ、捕食者の笑み。
「……びっくりしたわ。立てるのね。でも――」
レミリアは窓の方を向いた。
紅い月を見上げながら。血のような、禍々しい満月を。
「私には勝てない。……あなたたちに、一つ教えてあげる」
「……何だ」
俺は警戒した。全身の神経を研ぎ澄ませる。次の攻撃に備えて。
「私は、運命を操ることができるの」
レミリアは宣言した。
その声には、絶対的な自信が宿っていた。何百年も生きてきた吸血鬼の、揺るぎない確信。
「この私自身もこの能力を完璧に理解しているわけではないわ。けど、確かなことは一つ。………未来を見ることができる。そして、その運命を変えることができる」
「……は?」
俺は理解できなかった。いや、理解したくなかった。
「つまりね」
レミリアは振り向いた。
その動作は、ゆっくりとしていた。まるで、演劇の一場面のように。優雅に、そして威圧的に。
赤い瞳が、俺を見る。深淵のような、底知れぬ瞳が。
「あなたたちの攻撃は、すべて当たらない。なぜなら、私がそう決めたから」
その言葉が、俺の心臓を凍らせた。
瞬間――
レミリアの周囲に、無数の紅い槍が出現した。
空間から生まれたかのように。何もない場所から、突然現れた。
数十本。すべてが鋭く、すべてが殺意を帯びている。
「……グングニル。」
その声は、美しかった。歌うような、リズミカルな響き。だが、同時に恐ろしかった。死の宣告のような。
槍が、俺に向かって飛んできた。
一斉に。音を立てて。空気を切り裂きながら。
「くっ!」
俺は避けようとした。
霊力を足に集中させ、横に跳ぶ。最高速度で。限界まで加速して。
だが――
槍の軌道が、変わった。
俺が避ける方向に、曲がった。まるで、生きているかのように。誘導ミサイルのように。
「!?」
避けられない。
どう動いても、槍が追ってくる。
槍が、俺の肩に突き刺さった。
痛い。激痛が走る。骨まで届く痛み。
「まだよ。」
レミリアは冷たく言った。
さらに槍が飛んでくる。次々と。容赦なく。
「くそっ!」
俺は御札を投げた。
複数の札を。槍を迎撃するために。破壊するために。
霊力を込めた、紅色の札を。
「無駄よ」
レミリアは断言した。
その声には、絶対の確信があった。
御札が、槍に当たらない。
軌道が、微妙にずれる。わずか数センチ、だが確実にずれる。
そして、槍が俺に当たる。
脚に。深く突き刺さる。
腕に。肉を裂く。
腹に。内臓に届きそうなほど深く。
「がぁ………あぁぁ!!」
避けられない。防げない。
何をしても、無駄だ。
「わかる?」
レミリアは笑った。
楽しそうに。心から楽しそうに。まるで、子供が玩具で遊んでいるかのように。
「これが、運命を操るということ。未来を見て、未来を決めるということ」
「……くそ!!」
俺はレミリアに向かって突進した。
全速力で。霊力を足に集中させ、人間を超えた速度で。
床を蹴る。空気を蹴る。
拳を構える。右拳を。
霊力を込める。全身の霊力を、この一点に。
「はっ!」
拳を振るった。
全力で。魂を込めて。
だが――
レミリアがいない。
「……なに?」
拳が、空を切った。何もない空間を。
振り向く。慌てて。
レミリアは、後ろにいた。
俺がいた場所に。まるで、最初からそこにいたかのように。
「こっちよ」
レミリアの声が聞こえた。
穏やかな声。だが、その奥に嘲りが滲んでいる。
「!?」
レミリアの拳が、俺の背中に叩き込まれた。
脊椎に。正確に、容赦なく。
「ぐっ!」
身体が、前に吹き飛ぶ。制御不能で。
床に倒れる。顔面を強打する。鼻が折れる音がした。
「運命を見れば、あなたがどう動くかわかるの」
レミリアは説明した。
まるで、教師が生徒に教えるかのように。丁寧に、だが冷たく。
「だから、避けられる。反撃できる。あなたの攻撃は、すべて無意味よ」
「……反則だろ、それ……!!」
俺は呟いた。血を吐きながら。
「反則?」
レミリアは笑った。
愉快そうに。本当に面白いという顔で。
「これが、私の力よ。五百年を生きる吸血鬼の、力よ。」
「……!」
突然、魔理沙のレーザーが飛んできた。
地上から。極太の虹色のレーザーが。
レミリアに向かって。正確に、狙って。
だが――
「ああ、それも見えてるわ」
レミリアは平然と言った。
そして、移動した。レーザーが飛んでくる前に。
事前に、避けていた。まるで、最初からそこにレーザーが来ることを知っていたかのように。
レーザーは、空を切った。何もない空間を貫いた。
「……化け物か、お前……今度はノーモーションで撃ったってのによ…!」
魔理沙の声が聞こえた。絶望が滲んだ声。
「化け物?」
レミリアは笑った。
その笑い声は、美しかった。鈴を転がすような、澄んだ声。だが、同時に恐ろしかった。
「そうね、人間から見れば化け物かもしれないわ。でも、それがどうしたの?私は吸血鬼。最初から、化け物よ」
そして――
「そして、あなたたちは人間。弱い、脆い、儚い人間よ」
レミリアが手を上げた。
紅い光が集まる。手のひらに。凝縮されていく。
「スカーレットマイスタ」
レミリアは詠唱した。
瞬間――
無数の紅い弾幕が出現した。
それは、俺と魔理沙を囲むように配置された。球状に。完璧に。逃げ場がないように。
何千発。いや、何万発。数え切れないほどの弾丸が、空中に浮かんでいる。
「まだこんな力を……!!」
弾幕が、一斉に動き出す。
俺と魔理沙に向かって。収束するように。
俺は避け始めた。
身体を捻り、霊力を駆使し、限界まで動く。
弾幕が、俺の動きを予測している。
避けた先に、弾幕がある。最初から、そこに配置されていたかのように。
「ぐぁっ!」
当たる。一発、また一発。
肩に。脚に。腹に。
何発も、当たる。避けられない。
「霊夢!」
魔理沙も、同じ状況だった。
弾幕が、魔理沙を追い詰めている。容赦なく、執拗に。
魔理沙の身体に、次々と弾丸が命中している。
「くそっ!どうやって避ければいいんだ!未来が見えるなら、どう動いても無駄じゃねぇか!」
「そうよ」
レミリアは頷いた。
満足そうに。
「避けられないわ。だって、私があなたたちの未来を見ているもの。どう動いても、結果は同じ」
「……なら」
俺は決意した。
歯を食いしばり、全身に力を込める。
「見えない未来を、作る!」
「は?」
「やれるはずだ。……咲夜と戦った時と同じ、霊力を……!!」
俺は霊力を限界まで高めた。
全身の霊力を。もう残っていないはずの霊力を、さらに搾り出す。
身体が悲鳴を上げる。細胞が悲鳴を上げる。だが、構わない。
そして――
「負けるわけにはいかないんだよ!!」
爆発させた。
全開で。限界を超えて。
金色の光が、部屋全体を満たす。眩く、圧倒的に。
弾幕が、すべて消し飛ぶ。光に飲み込まれる。
壁が揺れる。床が揺れる。館全体が揺れる。
「……へぇ…。」
レミリアは、わずかに驚いた顔をした。
その表情に、初めて動揺が見えた。わずかだが、確かに。
「それは、予想外ね。まさか、そこまでの力を隠していたとは」
「どうだ……」
俺は叫んだ。
息が荒い。身体が限界を超えている。だが、構わない。
「これなら、見えなかっただろ。未来にない力なら、予測できないだろ……!!」
「ええ」
レミリアは頷いた。
その表情は、まだ余裕があった。だが、さっきまでとは少し違っていた。面白そうな色が、混じっていた。
「確かに、見えなかったわ。あなたが、そこまで追い込まれて覚醒するとは。でも、もう無理でしょう?あの力を出すことは……」
レミリアの姿が、消えた。
いや、消えたわけではない。動いたんだ。人間には見えない速度で。
「!?」
どこだ、どこにいった………?
「ここよ」
声が、真上から聞こえた。
見上げる。慌てて。
レミリアが、天井にいた。
逆さまに立って。重力を無視して。
まるで、蝙蝠のように。
「とどめ。」
その声には、終わりが込められていた。
その手が、赤く光る。禍々しく、濃密に。
血のような光。死の光。
レミリアが急降下してきた。
流星のように。隕石のように。
圧倒的な速度で。
「!!」
俺は避けようとした。
霊力を足に集中させ、後ろに跳ぼうとする。
だが――
「遅い」
レミリアの声が聞こえた。
すぐ近くから。
レミリアの手が、俺の胸を貫いた。
左胸を。心臓の、すぐ近くを。
深く。骨を砕き、肉を裂き、内臓に届くほど深く。
容赦なく。躊躇なく。
「―――……」
声も出なかった。
痛みが、全身を駆け巡る。
いや、痛みを超えている。感覚が追いつかない。
神経が焼き切れるような感覚。
熱い。身体の中が、燃えているような。
いや、冷たい。凍りついているような。
感覚が狂う。熱いのか冷たいのか、もうわからない。
何もわからなくなる。
血が、噴き出す。
傷口から、大量の血が。まるで、泉のように。
口から、血が溢れる。喉を、口腔を満たして。
止まらない。どれだけ吐いても、止まらない。
「霊夢!!」
魔理沙の叫び声が聞こえた。
遠くから。まるで、遥か彼方から聞こえてくるように。
だが、もう声を返せない。
声が出ない。喉が血で塞がれている。
レミリアは、手を引き抜いた。
ゆっくりと。丁寧に。
俺の身体が、倒れる。
床に。力が入らない。膝が折れる。
ドサリ、という音。
自分の身体が倒れる音が、遠くから聞こえる。
痛みは、もう感じない。
感覚が、麻痺している。神経が、もう機能していない。
血が、床を染める。
広がっていく。どこまでも、どこまでも。
赤い海が、広がっていく。
視界が、暗くなっていく。
周辺から、中心に向かって。まるで、カーテンが閉まっていくように。
意識が、遠のいていく。
その途中で、何かが浮かんだ。
考えようとしたわけじゃない。ただ、浮かんだ。
鏡の中の顔。
黒髪。赤いリボン。紫の瞳。
霊夢の顔。
俺は、ここで死ぬのか。
霊夢の身体で。
霊夢の代わりとして、ここに立って、霊夢の身体を傷つけて、霊夢の名前を使って戦って。
それで、死ぬのか。
返せなかった。
何一つ。
「……すまない」
声が出たのか、出なかったのか、もうわからなかった。
魔理沙の声が、遠くから聞こえた。
レミリアの声も、遠くから聞こえた。
まるで、夢の中で聞こえてくるように。
「でも、結果は変わらない。あなたたちが負けて、私が勝つ。それが、運命」
「つまらないだけの、最低の運命よ。」
その声を最後に、俺の意識は途絶えた。
*****
咲夜は、目を覚ました。
「……ここは」
視界が、ぼやけている。霞がかかったように。
頭が痛い。全身が痛い。
何が起こった?
記憶を辿る。
霊夢と戦っていた。
時間停止が、通用しなかった。
誰かが床を突き破って飛んできた。
壁に叩きつけられて、意識が途絶えた。
「……くそ」
咲夜は立ち上がった。
よろめきながら。
左腕が、使えない。霊夢のナイフで貫かれた腕。血が止まっていない。
白いメイド服が、真っ赤に染まっている。
肋骨も、何本か折れている。呼吸するたびに、激痛が走る。
そして、喉が焼けるように痛かった。
「げほっ……げほっ……!」
咳き込んだ。止まらない。血が、口から流れる。泡立っている。
おかしい。これは、ただの咳じゃない。
「……霧?」
咲夜は気づいた。
紅い霧。
お嬢様が太陽を遮るために放った、紅い霧。
人間には、有害だ。長時間浴びれば、呼吸器が壊死する。
咲夜は、ずっとこの館にいた。
毎日、霧を吸い続けていた。
お嬢様は、何も言わなかった。
警告も、注意も、一言も。
「……」
その事実が、咲夜の胸に静かに落ちた。
石を水面に落とした時のように。
波紋が、じわじわと広がっていく。
忘れていた?
いや、お嬢様がそんなことを忘れるはずがない。
気づかなかった?
毎日顔を合わせていたのだから、気づかないはずがない。
なら――気にしなかったのか。
私の身体を。私の命を。
「……行かなければ……お嬢様のために……」
咲夜は、その考えを振り払って歩き出した。
階段に向かって。血を吐きながら。
だが、足が前に出るたびに、さっきの考えが戻ってくる。
気にしなかった。
私の命を。
拾ってくれた。名前をくれた。それは本当だ。
だがそれは、私の能力があったから、だったのではないか。
「……違う」
咲夜は首を振った。
そんなはずはない。
だが、振り払えなかった。
最上階に、到着した。
扉が、開いている。破壊されて、半分壊れている。
中から、静寂が聞こえる。
戦闘の後の、重苦しい静寂。
咲夜は、扉をくぐった。
そして――
目の前の光景に、立ち止まった。
レミリアが、いた。
窓の前に、月を背にして。
霊夢と魔理沙が、倒れていた。
床に。血の海の中に。
動かない。ピクリとも、動かない。
霊夢の胸には、大きな傷がある。左胸に。深い傷。致命的な傷。
「………結局、この程度。」
レミリアは言った。
失望したように。退屈そうに。
「もっと、楽しめると思ったのに。でも、所詮は人間ね。」
そして、手を上げた。
赤い光が、集まる。
止めの一撃のために。
「……死になさい」
その瞬間、咲夜は思った。
これで、いいのか。
「……お嬢様」
咲夜は、静かに言った。
レミリアが、振り向いた。
「あら、咲夜。起きたの」
驚いた顔だった。本当に、驚いている。
だが、その次の言葉は、あっさりしていた。
「ちょうどよかった。この二人を片付けて」
「……一つ、訊いてもいいですか」
咲夜は言った。
レミリアは眉をひそめたが、頷いた。
「なに?」
「霧を放つ前、なぜ私に何も言わなかったのですか」
レミリアは、一瞬だけ間を置いた。
「……思いつかなかったわ」
それだけだった。
悪意はなかった。隠しもしていない。
ただ、思いつかなかった。
私の身体が、私の命が、お嬢様の頭の中に存在していなかった。
「……そうですか」
咲夜は俯いた。
涙が、出ると思った。だが、出なかった。
それよりも先に、何か別のものが胸に満ちてきた。
冷たく、静かな、確信のようなものが。
「咲夜、早く片付けなさい」
レミリアは促した。
私との会話より、目の前の仕事の方が重要、という口調で。
「……できません」
咲夜は言った。
「……は?」
レミリアの声のトーンが、変わった。
「もう、従いません」
咲夜は顔を上げた。
レミリアを、真っ直ぐに見た。
初めてだった。何十年も仕えてきて、初めて、対等に見た。
「この異変を止めてください」
「……咲夜、あなた」
レミリアの声が、冷たくなった。
「私に逆らうつもり?」
「逆らうのではありません」
咲夜は首を横に振った。
「ただ、もう従わないだけです。……私は、道具ではありませんから」
レミリアは黙った。
しばらく。
そして、言った。
「いらないなら、他を探す。それだけよ」
その言葉は、静かだった。怒鳴らなかった。
だからこそ、重かった。
本気で言っている。
代わりを探せばいい、と、本気で思っている。
「……そうですか」
咲夜は、小さく笑った。
悲しい笑みだったかもしれない。自分ではわからなかった。
「ならば」
ナイフを構えた。
震える手で。だが、確かに。
「私は、お嬢様と戦います」
「……」
レミリアは、ナイフを見た。
それから、咲夜を見た。
何かを測るような目で。
「本気?」
「はい」
咲夜は頷いた。
「この命を使って、この異変を止めます」
血を吐きながら、そう言った。
「……」
レミリアは、しばらく黙っていた。
そして、笑った。
今までとは、少し違う笑みだった。
「久しぶりに、面白いものを見たわ」
紅い光が、手のひらに集まり始めた。
「いいわ。受けて立つ」
そして、付け加えた。
静かに。
「あなたが私に逆らえるなら、逆らってみなさい。それだけの覚悟があるなら、認めてあげる」
咲夜は、時間を止めた。
世界が、静止する。
レミリアに向かって、駆け出した。
「無駄よ」
レミリアの声が聞こえた。
時間停止の世界で。
「!?」
レミリアが、動いている。
時間停止の世界で。
「私は、運命を操る」
レミリアは言った。
「あなたが時間を止めることも、見えていたわ」
レミリアの拳が、咲夜の腹に叩き込まれた。
「うっ…!」
咲夜の身体が、吹き飛んだ。
壁に激突する。
時間が、動き出した。
「げほっ……げほっ……」
咲夜は血を吐いた。
「……それでも」
咲夜は立ち上がった。
身体が、動かないはずだった。
霧で肺が壊死しかけている。肋骨が折れている。腕が使えない。
それでも、立った。
「私は、人間として、戦います」
ナイフを構え直す。
震えながら。それでも、確かに。
「この異変を、止めるまで」