序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい   作:ブ雨堰ド

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5/20~5/26までの一週間お休みをもらいます。


96.ED12 - 具さ(円ら)準備()をくべる

 紫輝歴619年浅緑の月。

 魔王国とV・D連邦との戦争は、周辺諸国を巻き込み、真に人魔戦争と呼ぶべき規模にまで発展した。

 魔王軍において四天王と呼ばれている四人。第一師団師団長カムシン・ラングウ、第二師団師団長ブルファ・ローホ、第三師団師団長キャンティス・"ローマンターグ"・エイティンス、第四師団師団長トクツネ・ヤカタ。

 以上四人の師団長を防衛・攻撃の要に置いて、ガルズ王国、エリスフィア帝国、ハンラム王国、ゼルパパム、V・D連邦、アスミカタ帝国それぞれとの交戦を行っている。

 戦争の根本理由を、魔王国側は技術濫用を避けるために、連邦側はもみ消しのために隠蔽し、そのせいで理由も分からぬままに殺し合いを行っている兵士たちの方が多く、その不満は当然外敵ではなく内側へ向く。

 その煽りを受けるのは助け合って生き延びようとしていた無害な一般人たちであり、戦争は全てを巻き込んで泥沼化していっている状況にあった。

 

 これはそんな戦時下における連邦……ヴァグス公国領のある場所での出来事の一つとなる。

 

 

 大きく上がる炎の竜巻を見て、安堵の溜め息に近いものを吐きながら、その施設内に入っていくオレンジ髪の青年。

 施設の中は惨劇を思わせるほどに血みどろであり、生命活動において重要な部分を根こそぎ奪われたかのような死体が多数見受けられたが、青年はそれを気にも留めずに前に進む。

 

 やがて、大きな講堂のような場所の手前にまできて……その会話が聞こえてきた。

 

「……ご乱心を……。……今、刃を向けるべきは魔族であり……我々人間ではないはずです……!」

「まるで魔族は人間ではないとでも言いたげですわね。人魔とは人族と魔族を指す言葉であって、人間同士の戦争であることに変わりはないでしょうに」

「その発言と……此度の狼藉を報告させていただきます。……残念です、『財宝』殿」

「報告? 面白いことを言いますのね。──ここで死ぬあなたが、どのようにしてそれを為すのです」

「な……正気ですか、私は元皇族の──」

「仮に現であっても殺していましたわ。当然でしょう。──我が財を無心した挙句、それをあのああも惨たらしい実験の費用にするなど。……それとも、私が何も把握していないと思っていて? だとするのならば愚かでしたわね。──『財宝』とは、"富を得る"ための安全を行使する者の諱。即ち、損を負うことに対しての嗅覚は、時に過去視や未来視の域にまで達しますのよ」

 

 熱気が満ちる。廊下にいて肌を焼くその熱気に、青年の肩に乗る大ガエルが不快そうな表情を作った。

 

 一瞬漂うは人が燃える臭い。けれどそんな悪臭さえも消し飛ばされて。

 

「──さて、そろそろ出てきたらどうですの? 盗み聞きは褒められた行為ではありませんわよ」

「……うん、そうだね。堂々と聞くべきだった。……ただ、それだと……姉さんが人間の側から彼らを誅したのではな、」

「エステルト!? あ、あ、ごめんなさい私ったら、その……気配が読めなくて。神の気配でしたから、怪しむべきでしたわ。偽装でそういうものを使っていたのね。……ああ……嬉しい。お久しぶりですわ……七年ぶり、くらいかしら。背も伸びて、猫背も直って、……このカエルのアクセサリーは、ちょっと、どうかと思うけれど」

ゲェロ(これが貴様がよく話題に出す姉か)ゲェロ(成程、種族を違うというのに、似た者同士だ)ゲェロ(クク、我に会ったことよりも)ゲェロ(この者と姉弟関係にあることこそ)ゲェロ(貴様が滅亡の因子にならぬ理由だろうな)♪」

 

 滅亡の因子。

 青年はここ一年ほどこの大ガエル……雨の神と対話をして、紫輝の愛し子と呼ばれるものが何を期待されて愛されているのか、『涅月の血属(ノクスルーナ・ブラッド)』や特殊魔族とは本来なんであるのか、など……様々なことを聞き、知った。

 破滅の因子というのはその中の一つだ。

 人類滅亡に必要な欠片。人類滅亡の端緒を開く要素たち。

 この時の円環の中で、人類というものを愚かしいと無垢の狭間に置いて、その成長の行く末を眺めている紫輝は──その裏で、密やかに、滅亡も願っているのだと。

 紫輝の愛し子というのは、人類のリーダーとなり、人類全体を袋小路に導く者達のことであると。

 無論全てを鵜呑みにしたわけではない。そのために沢山のことを調べている。今も、その最中だ。

 

「ふふ、そう慌てなくてもいいよ。久しぶりだ、姉さん。……色々あってね、神の気配は、正しく神だよ。この大きなカエルが雨の神でね。訳合って一緒に行動しているんだ」

「あら……そうでしたの。……弟がお世話になっておりますわ。私などよりよっぽど優秀な弟ですから、迷惑などはかけていないでしょうけれど……それでも、温かく見守ってくださっていることはわかりますわ。弟が……前より柔和な空気を纏うようになりましたから」

ゲェロ(この者に意思は通じないか)。……あ、あー。……人間の喉とは、こんな感じで合っていたか。いや久しく使っていないと忘れるものだな」

「まぁ……」

「娘、名は?」

 

 むっとするエステルト。なぜって、この一年で聞いたどの声よりも優しい声だったから。

 姉に優しくされることは勿論良いのだが、それをどうして私に向けてくれないものかな、という拗ねである。

 

「エレン・"オーラ"・マイズライト、と言いますわ」

「ほう、"オーラ(天を欺きし)"を名に持つか。……ククク、ああ、これは……一本取られた、というやつだな」

「いえ、オーラは天に愛されて、という意味ですのよ」

「それは後から代替された古代魔族語での意味だろう。純魔力語……精霊語では天を欺きし、という意味だ。そしてそれを名乗る者たちは、紫輝の庇護を受けることができない。というより、拒絶しているというべきか。クク、とっくのとうに根絶されたと思っていたが、どこを通って、どこを抜けてきたのか……」

 

 嬉しそうに笑う大ガエル。いまいち話についていけていないエレンの困り顔に、エステルトが制止の声をかけようとして。

 

「今聞いたことは、神が近くにいる場合を除いて口外すべきではない。我ら神は紫輝の視線を受けぬ。高らかに宣言した場合を除外してな。……ヴァーン(落ちるところまで落ちる)を誇らしげに名乗るエステルト(こいつ)を見た時は何事かと思ったものだが、オーラが庇護していたというのならば納得だ」

「エステルト、この方は……ええと」

「何百年と他者との会話をしていなかったみたいでね。時折こうやって自分の世界に入ってしまうんだよ。そっとしておいてあげてほしい」

「そうだったのですわね……」

 

 若干失礼な納得をしている二人であるが、一応神への敬意はあるらしく。

 お互い話したいことも山積みだろうに、雨の神が自分の世界から帰ってくるまで律義に待って。

 

「……ああ、すまぬ。我を忘れていた。声をかけたというのに、放置してしまったことを謝罪しよう、エレン」

「いえ、問題ありませんわ」

「ついては……そうだな。しばらくの間、誰もここへ寄りつけぬよう結界を張ってやろう。姉弟共々、心の裡……心の裏まで語り明かすがよい」

 

 それだけ言って、ぽふんという軽い音を立てて消える大ガエル。

 同時、非常に静謐な……周囲に血肉が散乱しているとは思えないほど静かな世界が降誕する。

 目に見える場所には死体も血飛沫も無く、外の音も聞こえない。まるで世界から切り離されたかのような静寂。

 

「はぁ、勝手な奴だな、本当に。……まぁ、あの神はこういうところ律義だから、本当に誰も来ないだろうし、彼も聞き耳を立ててはいないと思うよ」

「仲、よろしいんですのね」

「……そうだね。最悪のどん底にいた私……僕を、……言葉は素直じゃなかったけど、励ましてくれて、道を示してくれて、間違えそうになったら正してくれて。……兄、というよりは……父親って感じだったかもしれない」

「あら、団長のことはもう記憶の彼方ですの?」

「団長こそ兄って感じだったからなぁ」

 

 姉弟は話す。どん底とは何か。そもそもどうしてここにいるのか。

 包み隠さず、変に遠慮せず、全部。

 

「……そうだったんですの。ごめんなさい、心配をかけましたわね」

「姉さんはそういうことをしないって信じていたから、大丈夫だよ。……ただ、マスターには謝れず終いでさ。それだけが気がかりなんだ」

「戦争が終わり次第、二人で謝りに行きましょう。人族であることをとやかく言われるのならば、適当に偽装をして」

「それこそスパイか何かだってアンキアに勘違いされそうな……」

 

 笑い合って……今度は。

 

「手広くやりすぎた、というのが……今回の私の落ち度ですわ」

「だいたい想像はつくよ」

「『魔鉱石抽出実験』、でしたか。身の毛もよだつ実験。……確かに私はあれに出資していました。けれど、私と連邦の研究所が契約を交わした時に受けた説明では、生きた魔族から魔鉱石を抽出する、なんて悍ましいものではなく、魔剣や聖剣から同様の効果を持つ魔鉱石を抽出する、という名目のもの。実際の研究進捗も一年毎に送られてきていましたから、戦争が起こるまで……というか、戦争が起こった後ですら、まともに疑えておらず……」

「……つまり、人族は姉さんを騙したんだね」

「いいえ、エステルト。私を騙したのはこの施設の研究員と関連経営者、ですわ。人族に騙されたわけではありませんの」

「……そうか。……そうだね。主語が大きすぎた」

 

 事実はこれではっきりした。

 もう、充分だ。

 

「ふふ、姉さんのことだ。大方、魔剣や聖剣の仕組みを再現できるようになれば、魔剣が増えて僕が喜ぶかも、くらいの気持ちだったんだろう」

「む……それは正しいですけれど、なんですの姉さんのことだ、って。どうせそれくらいしか思いつけない、みたいな……」

「ああ、そういう意味じゃないよ。……なんだろう、この言葉を違える悪癖は昔から抜けないな」

「そんなに落ち込まないでくださいな。私とてわかっていますわ。エステルトのことですから、どうせそういう意味ではないのだろう、ってことくらい」

「……じゃあ、やっぱり、似た者同士だ」

「ええ、本当に」

 

 紐解いてみれば、ただ、これだけのことだった。

 彼の姉は非道に加担しておらず、姉弟の結束は揺らぐものではない。

 ただそれだけで──充分だ。

 

「……サラード、結界を解いてほしい。私達は、もう充分話し合ったからね」

「時などいくらでもあるのだから、もう少し思い出話をしていればいいものを。貴様の生真面目さは姉の前でも氷解しないか」

「それがエステルトの良いところ、ですわ。……私が……この事業に加担しているやもしれない、という不安の中で、エステルトを引き留めていてくださったのですね。……本当にありがとうございました」

「ク、気にするな。半分は我の願いを叶えるためよ。……して、どうする、エステルト。姉と共に諸国漫遊の旅にでも出るか?」

 

 現れたる大ガエルは問いをかける。

 その問いに、けれど、青年は。

 

「まずはアンキアの心の不安を解かないと。私がどん底にいることを……多分、彼は、なんとなく察してくれていたから。……けど、魔王国の国境を跨げばそれこそ彼に心労を与えてしまうからなぁ」

「ならば古の契約者でも使うか。──来い、ウォーラー・イン・フロッグス」

 

 水が水面に落ちたような音が響く。

 ……そして、地面が波打って……そこに召喚契約の陣が形成された。

 出てくるは──エレンにとっては知己の顔。

 

「『擬毒(シネクドキ)』? ……ああ、そういえばあなた、そんな名前でしたわね。羽澤蛙とかいうけったいな名前になる前は」

「……君は、『ルート』でよく甘味全種を頼んでいた常連客の」

「あー……久しぶりに呼び出されたかと思えば、これはまた、どういう食べ合わせなのかな」

 

 ウォーラー・イン・フロッグス。【マギスケイオス】が第八位、『擬毒(シネクドキ)』、である。

 

 

 軽く事情が説明されて。

 

「成程ね。……サラード、君、何歳も年下の、君にとっては幼子にも等しい彼らを自分の享楽に付き合わせるのはやめなよ、みっともないな」

「クク、今は気分がいい。返す言葉も無いとでも言ってやろう」

「……へえ。変わったね、君。……そうか、エステルト君は……良い触媒だったんだろうな」

「こちらの事情はそんなところですけれど、あなたについてはお聞かせ願えますの?」

「ああ……まぁ、簡単に言うと、僕は命を持っていないんだ。……言い方が難しいかな。過去……君達が思っている過去よりもずっと前に命を落としていて、サラードと契約し、彼の使役物になることで命を繋いだ契約者。本質的には違うけど、ざっくり言うとこんな感じかな」

「ククク、我の玩具だったのだがなぁ、奇妙な魔法研究集団と接触したかと思えば、精神を時代遡行させたり、本来関われぬ場所に手を出したりと……とても手が付けられなかったから、放逐していたのだ」

「悪役を気取りたい年頃なんだよ、彼。でも基本的には善意の存在だから、気にしないでほしい」

「ああ、それはよくわかっているよ。口では悪ぶるけれど、結果的に良いことをしてくれる神だと」

「おっと……趨勢が悪いな。クク、契約者を呼んだのは間違いだったか。これもまた面白き巡り会わせよ」

 

 サラード・懈星。エステルトの知る限りでは、面倒臭がりだし怠惰だけど、人道に背くようなことはしたがらない。善性に賭け、善なる結果を望む……中立神だ。

 あくまで中立なのは、望みこそすれ、手は出さないから。……だと思っていたのだが、契約者の青年を見る限り、どうやら違うらしい。

 

「それで? 僕にどんな用かな。古い時代の仮面の魔族として、新しい時代の仮面の魔族に何かレクチャーでもしようか?」

「私の無事と、私の心の陰が落ちたことを、アンキアに伝えてほしいんだ。……私は今、魔王国に入れないから」

「……成程、結局同じ、と。それを知っていて呼び出したね、サラード」

「クク、なんのことやら」

 

 疑問符を浮かべるは姉弟だ。なんのことか。

 

「仮面の魔族の能力をちゃんと理解していないみたいだから、少しレクチャーしてあげるよ。仮面の魔族の力は感応。感受じゃない。つまり──」

 

 途端、エステルト、そしてエレンの脳裏に……懐かしきコーヒーゼリーの味が想起され、実際に味が口の中に広がる。

 

「これ、は」

「思念の送受信。他の魔族の暴走感情を受け取る、だなんてことが、人の能力を区分し特化した姿であるものか。僕たち仮面の魔族は、遠く離れたところにいながらも意識や思念を交わし、互いの位置を悟り、言葉を伝え、あるいは下位の生物を使役する。それが本来の在り方さ」

「……エステルトの両親は、戦争で……亡くなったのですわ。だから」

「いや、伐開の魔族以外の特殊魔族は遺伝しないんだ。だからその亡くなったという魔族は普通の魔族だったと思うよ。何が言いたいかって、彼らじゃ仮面の魔族についてを教えることはできなかった、ということさ」

 

 わざとわかりやすく開いてくれているのだろう。

 エステルトは、"そのやり方"というものを、体感し、理解していく。

 

「ただ……今の魔王様に思念を繋げるのは、あまりおすすめしないよ」

「どうしてですの?」

「鋼の意思で自分を律しているけれど、彼の中では激情が荒れ狂っている。尊敬する人族。軽蔑すべき人族。彼本来の優しさと、貴族の血が持つ冷徹さが鬩ぎ合ってぐちゃぐちゃだ。もう少し落ち着いてからでないと、繋げたこっちまで巻き込まれる」

「……だとするのならば、なおさら……少しでも安心を届けないと。……この戦争の真のきっかけは、私なのだから」

「アウノルド村の慟哭を受け取ったんだね。……その後、明らかに自分じゃない……自分の思考とは違う判断をしたり、考えるはずの無いことを考えなかったかい? 仮面の魔族はその辺敏感でね、受け取った思念に乱されると、一時的に己の人格にまで影響を受けるんだ」

「それ……」

 

 覚えは、あった。当たり前に。

 それを……ずっと、悔いていたのだから。

 

 ならば。

 

「……私は、怪物じゃ……なかったのか」

「エステルト……」

 

 後悔は消えない。罪悪感もだ。マスターに誠心誠意謝りたいという気持ちは変わっていない。

 けれど──あれが、自身の裡に潜むものではなかった、というのが。

 彼をどれほど救うのか。

 

「エステルト。……アンキアさんを信じるのも、友の務めですわ。もう少し時間を置いてからにしましょう」

「怒りというのは持続する感情ではないからね。あと一年も経たば魔王様も落ち着くさ」

「……あと一年間、アンキアを……絶望と狂怒の海に沈めておかなくてはならない、と?」

「ああ……じゃあ、まぁ、当初の予定通り、僕が伝えに行ってもいい。軍属でもない一般魔族の話が魔王様に届くまでにどれほどかかるかはわからないけれど、確実で安全だ」

 

 善意があった。姉からも、先達からも、そして神からも。

 皆、エステルトを案じている。

 けれど。けれど。

 

「……姉さん。私が……おかしくなっても、止めてくれるかな。かつてマイズライト旅団を止めた時のように」

「……はあ。あなたは……。……ええ、止めてあげますわ。姉ですもの、任せなさい」

「ウォーラー・イン・フロッグス。否、今は羽澤蛙と名乗っているのだったか? クク、結界くらいは張ってやる。──後進のために命を張る覚悟はあるか?」

「無いよ、そんなの。……ただまぁ、同じ味を好む者程度の縁と情はある。命を張るも何も、死んでいるんだけどね」

 

 耐え難かったのだ。

 同じ場所にいた者として……少しでも長く、共に同じ苦痛を味わってほしくなかった。

 自身の憂いが晴れたことだけではない。下手人の中核は姉がすべて焼き殺してきた。それを……弔いは成ったのだと、早く伝えたくて。

 

「──行くよ、アンキア」

 

 繋げる。

 習ったばかりの手段で、青臭い感情で。

 あの、気高く優しい魔王様へ、心を。

 

 繋げて──。

 

***

 

 風が吹く。

 その風の回避に成功したのは、曲がりなりにも羽澤が仮面の魔族だったからだろう。

 回避ができなかったエレンは、その場から消え、直後講堂の壁に叩きつけられた。

 

「っ──最初から魔獣形態(オーバーウェルム)か!」

「結界で衝撃を殺したが、重傷な上意識が無い。我はこの者の治癒と守護をしてやる。必然、貴様の守りは無くなる。──できるな?」

「つくづく良い神様だね、君は!」

 

 羽澤自身も魔獣形態に移行しようとして、やめる。

 魔獣形態は本来の力を引き出すようなもの。今、あの悲痛の塊が如き存在の前でそれを行えば、羽澤まで巻き込まれかねない。

 

 やるべきは魔族化。普段人族のフリをしている仮面を捨てて、魔族としての仮面をかぶり直す。

 これで少しは戦え──。

 

「あ──?」

 

 風が身体を突き抜けたのがわかった。

 だって現に、ひゅうひゅうと、胸から腹にかけて、冷たい風が吹き抜けて。

 

 魔獣形態。通常時とのその差は、三十倍から百五十倍ほどと、個人差があると言われているが──。

 彼は、その範疇に。

 

 

「──流石に見ていられない、と。そう言ってあげますよ」

 

 

 ()()

 失われていた肉体の三分の二が再構成される。

 

「……っ!?」

 

 耳朶を打つは低い声だ。落ち着く、耳馴染みの良い声。

 ただ……戦争が始まったあの日以降、避難したのか、店を開けているところに遭遇できなかった存在。

 

「ム……貴様、我が結界をすり抜けた……というより、()()()()()()()()()()()()()()()()()な?」

「ええ、私を縊り殺す直前で我に返り、逃げるように去っていった知己の少年。多少は心配でしてね、これでも。まぁ、あなたと出会った時点で大丈夫そうでしたから、そのまま出ていっても良かったのですが──」

「ァ──!!」

 

 もはや人の言葉を発していないソレが風のような速度で突進してくる。

 しかし、止まる。止まった。……止められた。

 

 小さなティースプーン。それが、高位魔獣のようにすら見えるエステルトの一撃を止めている。

 弾かれるようにして後退するエステルト。()()()()()ティースプーンが回り、その柄が掴まれ、まっすぐに頭が向けられる。

 強烈な既視感。あり得ない誰かが彼に重なる。

 

「羽澤さん。動けないのであれば、そこを動かないでください。あなたを守り切れるほどの余裕がありませんので」

「……マスター。……あなたは……何者なのかな」

 

 ブックカフェ『ルート』のマスターは……その言葉に、きょとんとした顔をして。

 そして……にっこりと笑った。幻視する。誰かが重なる。心から尊敬する誰かの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

「私は、そうですね。コーヒーを愛するしがない一般魔族ですよ」

「……茜座という──料理人では、なく?」

「ほう? 懐かしい名前を出しますね。同門ではありますが、私は彼ではありませんよ」

「……ああ、そういう……ことなのか。そう繋がるのか……」

 

 納得はあった。叶うことならば隣に並びたい気持ちもあった。

 だけど──羽澤では、邪魔にしかならないと、わかるから。

 

「ああして暴れているのは、同僚の弟で、同じ種族の後進なんだ。だから、そう……マスター、注文をしてもいいかな」

「どうぞ」

「珈琲とミルクと砂糖の境界が分からなくなるくらいの甘さ──通称羽澤ブレンド。あれを頼むよ。大人ぶって飲まなくなった彼にもだから、二杯分」

「承りました。アルフレッドさんからは"おまえそれ……砂糖を食べた方が早いだろう"と言われていたブレンドですね」

「あのブレンドを何も言わずに出してくれるあなたの店が大好きだったからさ。ぜひお願いするよ」

 

 咆哮を上げるは赤き牛にも似た獅子の面を被る巨体。髪は鮮やかなオレンジ色で、迸る魔力は個人の有していて良い物の範疇には収まらない。

 仮面の魔族の魔獣形態(オーバーウェルム)。その姿を他に比喩する言葉を彼らは持たないが、あるいはマスターの胸中にはそれが浮かんでいることだろう。

 つまり──憤怒に染まった獅子舞、と。

 

 風が吹く。エステルトの身体が掻き消える。

 いつの間にかマスターの姿もそこにはなく、瞬きの後、講堂の檀上付近に両者が現れ、またもエステルトが弾き飛ばされた。

 目で追えない。身体強化の魔力を目に集中させ、動体視力を強化しても……追えない。

 

「あの日と同じですね、エステルトさん。あなたの様子がおかしかったから、私は何もしませんでした。その果てに殺されてしまってもまぁ、私としては、別にどうでも良かったのです」

「──!!」

「ただ、一撃目でエレンさんを殴ったのはダメですよ。あるいは戦場から除外しようとしたのかもしれませんが、普通に致命傷でした。雨の神でも治癒できなかった分も治療しておいたので、そこはツケとして数えておきます。ああそうそう、あなたが逃げるようにして去っていったあの日もツケですよ。払っていただいていないので」

 

 弾く。弾く弾く弾く弾く。

 攻撃は一切しない。往なし、弾き、逸らし。

 魔獣形態にもなっていないマスターが、赤子の手をひねるかのようにエステルトを翻弄する。

 

 ただそれは……最初だけだった。

 

「ォ、ァ──!!」

「っと、まだ早くなりますか──やはり今までのは微睡! あなたの本気はこの程度ではないでしょうからね!」

 

 この短時間で三桁に突入している打ち合いは、次第に、エステルトがマスターを弾き飛ばす結果に変わりつつある。

 感情暴走状態の魔獣形態。その際に肉体を占有する感情によって、仮面の魔族のコンディションは大きく変わる。

 今までの悲嘆から──憤怒のそれに。

 

 ぶち、と。嫌な音がした。

 

「っ、マスター!」

「ご安心を。二十年に亘る魔力プールは今までの比ではありませんのでね」

 

 エステルトに食い千切られた腕は、瞬きの後には治っている。脚も、腹も、心臓でさえも。

 驚異的な治癒魔法ではあるが、防戦一方だ。このままでは、いずれ。

 

「わかりました、では、こうしましょう」

 

 凶爪がマスターの心臓を貫く。

 貫いて──そのまま、固まった。

 

「抜けないでしょう。ああ、腕を切り落とそうとしても無駄ですよ。私が今全力で治癒魔法をかけていますから、エステルトさんの肉体は今、切れたそばから癒合する状態にあります。私も心臓を掴み抜かれた程度では死にませんので──こうすれば、見えるでしょう」

 

 にこやかに、──何の感情も無い目をエステルトに向けるマスター。

 微かにエステルトの動きが止まる。

 

「友人に苦難を味わってほしくない。ええ、結構です。しかし、使いこなしてもいない力で他者に干渉しようとすれば、己も他者も、周囲も巻き込み、迷惑をかける。それを学びましたか?」

「……!! ──!!」

「あなたが紫輝より滅亡の因子という期待を寄せられたのは、あなたのその危うさが原因です。エレンさんの話をよく聞きなさい。先達の忠告を受け入れなさい。なにより、あなたに賭けてくれている雨の神に報いることを覚えなさい。……それができれば、あなたは滅亡の因子になどなりませんからね」

 

 魔力減衰があった。迸る魔力圧で浮き上がっていた髪が下りて、次第に、その巨体までもが縮んでいく。

 

「その上であなたが何をするかについては、あなたの勝手です。そこにまで私は干渉しません。ただまぁ、時折、コーヒーの味でも思い出して、一息吐いてくださいね」

「ぁ……ぼ……く、は……また……?」

「おはようございます、エステルトさん。お姉さんも羽澤さんも、誰も怪我をしていません。あなたは自身を抑え込むことに成功したのです」

 

 ずるりと抜けるエステルトの腕。

 しかしそこには、血の一切が付着していない。抜いた場所には穴など無く、肉片も飛び散っていない。

 

「大丈夫です。──あなたは怪物ではありません。ですから……今は、お眠りください」

 

 やがて、元のカタチにまで戻るエステルト。

 荒れ狂っていた魔力は全てが抑えられ、安らかな寝息がくうくうと響くばかり。

 

「……何かをしたのかい? 幻術とか……」

「ええ、一瞬だけですが。彼に今の自分の姿を見せたのですよ。私の瞳に映ったように見せて。……以前もそれで我に返っていましたから」

「そうか……流石だね。……怪我は大丈夫かい?」

「問題ありませんよ。──ただ、時波が面倒臭いので、あなたにも眠ってもらいますが」

「え」

 

 トーン、と。

 水音が響いて……羽澤の意識が暗転する。そんな彼を抱き留め、寝かせるはマスターだ。

 

「乱暴な。……それで、何用だ。天外の男」

「紫輝の天使、アンドリアミアフィナイラロカから伝言です。『賭けに勝ったのは、アナタ。古の約定に従い、アナタの定めた一人を死の運命から解放することを許す』、と」

「ほう? ああ、……成程、そうか。……ならば、エステルトは……自らいばらの道を選んだか」

 

 カエルの身で大きなため息を吐くサラード。

 

「あなたはエステルトさんの善性を信じ、彼がいばらの道を選ぶことに全賭けしていたのでしょう? なぜ溜め息を?」

「……幼子が自ら傷つく道を選んだ。それを残念がらぬ存在などおらぬだろう」

「賭けに負けることより、自身の狙い通り、彼が傷つくことが……嫌だ、と。ふふ、難儀な性格ですね、あなたは」

「余計な世話だ。……エステルトは自責の念に駆られるぞ。貴様を殺してしまった、と」

「そこはあなたの説明次第でしょう。羽澤も覚えているでしょうから、大丈夫ですよ。……それで、仮面の魔族の受ける影響というのは、どれほど人格を侵食するのかわかりますか?」

「さてな。我は涅月とはそこまで親しくなかった。湖面に映る緑月の写し身。涅き月。……何がどうなろうと、我は最後まで面倒を見るとも」

 

 そうですか、と。

 マスターは、錬金術で作り上げた簡易なベッドに三人を寝かせる。そうして。

 

「これ以上何かをするのも、何かを言うのも野暮ですね。彼らをお願いします。ああそれと、羽澤ブレンドを二杯とエレンさんの好みのブレンドのコーヒーを置いておきますので、……そうですね、保温結界をかけて、と」

「行くのか」

「ええ、知りたいことは知れました。本当は一年前にいなくなるつもりでしたが……まぁ、今回は、いてよかった、ということにしておいてください。赭地の化身たるあなた方にとっても、私は邪魔な存在であるとは思いますが」

「我にとってはどうでもいい話よ。だからこそ言おう。──感謝するぞ。我が契約者、我が気にかけている幼子、その姉。この三つの命があるのは、貴様のおかげだ。……我は雨の神。ゆえに、天より降る以外の雨は好まない。魔の子も人の子も、大雨の前には等しく無害。雨雲を見上げて歌でも歌っていればよい」

 

 言葉を受けて──彼は、「でしたら」と呟く。

 

「これ、今考案してみました、蛙が飲んでも害にならない珈琲です。私はもう行きますが、いつか感想の方お待ちしておりますよ」

「ク──どうする貴様。もしこれで我が珈琲とやらにハマったら、エステルトの死後、珈琲の池でも作るやもしれんぞ」

「その時は施工承りますよ。──それでは」

 

 消える。肉体が魔力素へと還り、精神が消え、霊質が解け、霊魂が消滅する。

 しばらくそれを眺めてから……サラードは、今しがた出された珈琲のカップを魔力で掴んで、こく、と……飲んだ。

 

 ふむふむと頷き、そのまま全てを飲み干して。

 

「美味。……神への捧げものとして上等だ。それがどういう意味か、わかっているのだろうな?」

 

 クツクツと──嗤って、哂って。

 変声魔法を解除し、ゲロゲロと雨の歌を歌い始めるのである。

 

***

 

 紫輝歴620年浅葡萄の月19日。

 地面に剣が突き立てられる。

 

「……」

「やぁ、アンキア」

「……エステルト? まだ戦争は終わっていないだろう」

「そうだね。けれどここは魔王国の国土じゃないから」

 

 屍の上にいた。屍しかなかった。

 殺して殺して殺して殺して。殺されて殺されて殺されて殺されて。

 彼は。

 

「……人族は、強いな」

「そうかな。弱く脆いように思うよ、私は。ああ勿論姉さんを除外してね」

「強い。……根拠の無い意思で、命を捨てることができる。此度の戦争……死に行った命のほとんどが戦争の原因を知らぬ者達だった。なぜ戦っているのか、なぜ争っているのかを理解せずに剣を取り、殺し、殺され……」

「それが私には脆く映るけれど、君にとっては違うんだね」

「……恐ろしかったよ。何度道理を問うても向かってくる。どれほど彼我に力量差があろうと、だ。……英雄や……将と呼ばれる筆頭を要に、破滅を厭わずに突撃してくるのは……意味が分からなかった。死にたいわけでは、ないだろうに」

 

 地鳴りがする。地平線の向こうにまた、無数の人影が現れる。

 

「……退いていろ、エステルト。貴様の容疑は晴れている。罪悪感など感じる必要は無い」

「強い光。英雄。そういうものに魅せられた力無き人々は、果ての無い暗闇に希望の光を幻視してしまうものさ。たとえそこへ向かう道が存在せず、種全体を谷底へ突き落とすのだとしてもね」

「そうだな。……戦争は特に、それが顕著だ」

「私はね、アンキア。そういう英雄と同じ括りにされかけていたんだ。今も、かな。……だからわかる。君の言葉は正しい」

 

 魔王国からも追加の軍勢が現れる。またここで殺し合いが始まるのだ。

 

「英雄……否、特記戦力とでも呼ぶべき存在。それらがいるから、人々は足元を照らすランタンを失って、足を踏み外す。──世界に英雄は不要だ。生き汚く足掻き続ける兵だけで充分」

「……エステルト、貴様さっきから何を言っている? どうにも話が噛み合わんぞ」

「……ごめんね、アンキア。私は私のやり方で、姉さんのいるこの世界を愛するよ」

 

 咆哮が響く。

 今まさに開かれようとした戦端は──空を飛ぶ巨躯の降臨で混乱に染められる。

 

「竜だと!? ……まさか、腹ペコ竜の晩餐会(サレナスズナ・クリロノミア)か!?」

「だからお詫びに、アンキア。──君のその狂乱をもらっていくよ」

「なに──?」

 

 振り向いても、そこには誰も。

 

 

 紫輝歴620年浅葡萄の月20日。

 二年間続いた人魔戦争は竜災により終わりを告げる。

 その後、戦争を起こし、国を揺るがしたとして魔王アンキアが辞任。第二十二代魔王を継いだのは──エステルト・"ヴァーン"・マイズライト。

 

「ああもう……気が気じゃないというか、見ていられませんわ……」

「信じてあげようよ。彼の選択をさ」

「ゲェロ」

 

 真実は、あと少しだけ、水の底で。

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