序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい   作:ブ雨堰ド

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緑月歴769年浅葡萄の月50日~紫輝歴784年 紫輝系宙域にて

 世界は混沌に覆われている。

 あるべきものがそこに無く、あるべきでないものが蔓延っている。

 何を理由にすれば、過去を犠牲にして未来を掴んで良いのか。

 何も犠牲にしない道は、それよりも多くのものを救えるのか。

 犠牲の上での勝利こそが至上であると、少ない犠牲を払ってでも進まなければならない現実こそが至上であると。

 そこにどんな大義があるのか。

 

「静かになってしまったな」

 

 誰もいない、無辺たる漆黒の宙海で、ソレはそう呟いた。

 トゥバン。紫輝という天体であると同時に、苛烈で、熾烈で、だからこそ……深い感情を持つ者。

 

 これからトゥバンは、ある凶行に手を染める。

 予てから決めていたことで。

 我慢のならなくなったことだ。

 

 緑月(テイア)

 始まりにあった恒星・皓庚(しろがね)と、生物を生み出す惑星・滄淵(あおふち)

 滄淵(あおふち)は彼方より飛来した混沌により自己を保てなくなり、代替され、赭地(あかつち)……アロクトンとなった。

 皓庚(しろがね)もまた混沌により汚染され、機能を停止しかけたために代替され、紫輝(むらさき)……トゥバンとなった。

 それら二つの混沌の調整役として生み出されたのが緑月(ろくつき)……テイアだ。しかし緑月(テイア)は、赭地(アロクトン)に生まれた生命を弄び、混沌の形を変えたりして遊んでいるだけ。

 無用とされている気配を感じ取ったのか、赭地(アロクトン)の真似をして命を育み始めたけれど、愛を知らぬ、注ぐことを知らぬそのやり方は、あまりに目に余った。

 だから、摘み取る。終わらせる。

 

 今がその時だと。

 

「トゥバン。少し、よろしいですか?」

「……どうした、アロクトン。我に用とは珍しい」

 

 静寂を割って現れたのは、ブルビネの花。赭地(アロクトン)が好んで取る姿であるが、彼女の躯なき宙海においては些かシュールである。

 紫輝(トゥバン)は他にも幾つかの惑星を持っているけれど、生命を育む力を持っているのは赭地(アロクトン)だけだし、意思疎通が可能なのも彼女だけだ。

 元の恒星から代替された紫輝(トゥバン)よりも前に代替されていた赭地(アロクトン)は、その立場を対等としながらも、時折年長者であるかのような態度を取る。

 その程度で気を荒げるほど小さな器はしていないが、それが緑月(テイア)に嫌われる理由だろうな、というのは察している。

 

「確認を取ろうと思いまして。……本当に、あの子を殺すのですか?」

「皆まで言うやつがあるか。特にそちは、包み、慈しみ、育むモノ。照り、灼き、焦がして殺すは我の役目よ。それは言葉の上でも変わりはせぬ」

 

 優しいとは違う。

 大らかである。寛容である。あるいは、大雑把である。

 赭地(アロクトン)はそういう性格だ。だから、「気に入らないから殺す」という択を取る紫輝(トゥバン)を、いまいち理解できないでいるのだろう。

 

 そのままでいい。それはただ、役割が違うだけだから、と……トゥバンは独り言ちる。

 

「ああ、これは、我が決めたことだ」

「……そうですか。では、せめて私に墜としてください。その遺骸を抱き留めましょう」

「そちがそうまで(こうむ)る必要は無いぞ、アロクトン」

「いいえ。上手く作ってあげられなかったことは、私の落ち度でしょう」

 

 赭地(アロクトン)紫輝(トゥバン)。両者における混沌……つまり魔力の調整役として生成された衛星、緑月(テイア)

 その役割が十全に果たされないがために破棄して作り直すというやり方に、落ち度などという言葉が付随するとは、トゥバンには思えなかったけれど。

 彼女がそうも自戒するのならば、そこに口を出すべきではないということもわかっていた。

 

「それと、涅月(ノクスルーナ)についてですが……」

「わかっている。自衛できるようになるまでは守るとも。それに、今のところその精神は幼いこと以外醜悪を持たない。……幼さを醜悪と言っているわけではないぞ。というより、あるいは我らよりも本質に近い感性を有しているように思う。あれならば、安心はできよう」

「……他の天体も、順次代替していくのですか?」

「する必要があれば、だがな。意思無きモノを意思無きモノに代替したとて、割に合わないコストが無為に消えるだけだろう。益も害も齎さぬのならば、放っておいても問題は無い」

「そうですね。……トゥバン。もし……テイアが、改心したら」

「もしもの話などやめておけ、アロクトン。我ら天体にとっては起きたことだけが事実。仮想の組み立てに価値など無い」

「……ええ、そうですね。その通りでした。……同胞を手にかけること。苦しく思ったら、私のところに来るか……あなたも、話し相手を作ってみるといいですよ」

「不要だ。自身と同じ考えを持つ自身ではないものなど、口論の元にしかならぬ」

 

 少し前に、彼女の希望で、彼女に住まう幾つかの生命に施しを与え、星物として存在を改めさせた。

 生命に加護を与える存在。滄淵(あおふち)の代から存在していた「霊的存在」を意味する「kam」という音連鎖に合わせ、これを「(カミ)」と制定した。

 

 先に制定していた「雷鳴」を意味する「b-rong」という音連鎖に合わせた「雷鳴を轟かせて鳴く鰐」である「(ロン)」。それは今「(りゅう)」と呼びかえられていく只中にある。

 竜という試練を前に、加護を与える神は出現後、瞬く間に、甚く信仰されるようになった……が。

 

 トゥバンは、それを甘えるようになったと考えたし。

 アロクトンは、それを正しい成長であると捉えた。

 

 なお、この頃のことだ。

 緑月を落とし、その役割を代替させるために呼び覚ました緑月の影・涅月に、「中くらいを探した方が良い」ということを言われたのは。

 その視点は幼さゆえの、経験不足ゆえのものだと紫輝も赭地も断じてしまったけれど……この時点で、準備は整ったと言えた。

 

 同胞を手にかける。

 混沌に侵され自我を失った滄淵(あおふち)に代替した赭地(アロクトン)。混沌に侵され機能停止の寸前まで行った皓庚(しろがね)に代替した紫輝(トゥバン)

 あれらは必要なことだった。手にかけたわけではない。

 けれど今回の代替は、間違いなく感情に依るものだ。赭地とは違った形で生命を愛する紫輝だからこそ行う蛮行、凶行。

 

「……我が皓庚(しろがね)に劣る、ということは理解している。だが、赭地(アロクトン)。そう気遣ってくれるな。これでも我は、できる限りをやっているつもりなのだから」

「ああ……また、私は。……悪い癖ですね。気遣いは、他者に限界を見ているに同じだと……まだ正気だった滄淵(あおふち)から、何度も諭されていたのに……」

「記憶は失くせども、同じ精神を同居させた神を創ったのだ。それこそ奴に相談なりなんなりすれば良い。……名は、なんだったか。そちの名付けは難解で覚え難いが」

「サラードです。サラード・懈星。皓庚(しろがね)についても、彼女の残滓を辿りきれたら、アレを元にした神も作るつもりですから……寂しくなったら会いに来ていいですよ」

「罵迦者め、それが気遣いだというのがわからぬか。……それに、皓庚(しろがね)は死したよ。同じ精神を有していても、そいつは皓庚(しろがね)ではない。我との関係も知らせぬが良い。星物としてであっても……また生命を見守ることができるのなら、それが最も幸せなことであろうからな」

 

 かつてのトゥバンは、皓庚(しろがね)の伴星だった。それも、主星たる皓庚(しろがね)には大きさも明るさも発するものも、全てが劣る伴星。それが主星とならざるを得なかったその経緯は、果たして半身をもがれることとどれだけ違うのか。彼方より飛来した混沌に適合できず、苦しみ、その全機能を停止させ、壊れていく彼女を見て。

 けれど、トゥバンは決して弱音を吐かない。アロクトンにも、テイアやノクスルーナにも、弱いところを決して見せはしない。

 

 アロクトンがこうも「話し相手」を作ることを勧めるのは、いつかトゥバンの心が折れてしまうのが怖かったから、なのだろう。

 そして……そうなりそうだと思わせることこそが未熟であると、トゥバンは更に己を戒めるのだ。

 

「もう行け、赭地(アロクトン)。そちまで手を汚すことはない。そちは墜ちゆく緑月(テイア)を抱き留め、我を恨み、嘆き、怒り狂う奴を慰める役割に徹すればよい。フン、存分に我を貶めてくれて良いぞ。如何に悪辣かというのを叩き込んでやれ」

「しませんよ、そのようなことは。……おやすみなさい、紫輝(トゥバン)。良い夜になさってください」

「……ああ。良い夜にするさ」

 

 なんせ夜空を描き替えるのだからな、と。

 

 そこにはもう、ブルビネの花は無かった。

 

 また静寂が満ちる。

 

「さて」

 

 赭地(アロクトン)の影から、その衛星が現れる。

 緑に輝く岩石塊。造物を侍らせ、命を育めるとアピールし始めた……涅月(ノクスルーナ)の幼さとは違う、幼稚の権化。

 彼女は敗北した。己の役割を果たせなかった。

 機能を求められるものが、その役割を十全にこなせないのならば、同等の機能を持つ影に敗けるのは必然。

 

 無数の生命。緑月が赭地を模して作り上げた、生命活動を行っていない、ただただ強大であるだけの生命。

 

「──醜悪。無様。緑月(ろくつき)、そちは涅月(くろつき)の言う可哀想の意味を履き違えた。命を増やしたところで命乞いにはならぬ。──そちは劣り、敗けたのだ。大人しく赭地(あかつち)へ還れ」

 

 それでも……殺す前に、言葉を紡いだのは、どうしてだったのか。

 慈悲か。何も言わずに殺すことを、苦しく思ったのか。

 それとも……そこまで言えば変わってくれるかもしれないと、淡い期待を抱いたのか。

 

 ──緑月の地表にいた生命が、口々に言葉を紡ぐ。

 

紫輝(トゥバン)か」

「いつも思っていた」

「いつも」「いつも」「生まれた時から」

「お前は何様なのかと」

「尊大」「傲慢」

「暗き星が」「温もりを与えられぬ恒星モドキが」

「どうしてそうも、まるで、上位存在であるかのように、私の上に君臨しているのか」

 

 生命の個を潰し、自身の言葉を発させる端末としてしか使用していない。

 見せかけだけの霊魂は潰れ、修復は不可能。不要になれば捨てればいい……なるほど、紫輝(トゥバン)とも似通った思想ではあるが、ただ一点、そこに愛が無い。

 愛があれば何をしてもいいのかという問いには返答を窮するがな、なんて独り言ちて。

 

「我が判断する存在であるからだ。緑月(テイア)、そちの存在も、存在意義も、妥当性も、何もかも。──否、これ以上の問答は無用。すべての返答は、これまでに交わしてきた言葉の中に含めてある。──堕ちろ」

 

 緑月を構成する岩石。混沌の魔鉱石(ケイオサイト)と呼ばれるそれを、元の混沌へと分解していく。

 公転速度・質量が共に激減し、赭地へと堕ち、降り注ぐ。

 

 奇妙な特徴を持つ生命たちは、騒がない。自己救済を願わない。

 伽藍洞の瞳を紫輝に向けて、口を開くばかりだ。

 

紫輝(トゥバン)──本来主星ではなきもの、」

「劣りし者! 何があれば、」

「このような凶行が許される! お前にどんな」

「権利があって私の命を奪う!」

 

 答えない。紫輝はただ、見据えるだけだ。

 全てを失い墜ちていく元同胞の、その最期を。

 

「答えろ、答えろ、答えろ──」

紫輝(トゥバン)! 否、その向こう側にいる──」

 

 緑色の粒子になって散っていく緑月と。

 それを飲み込むようにして代替する、涅月。

 

名乗れ、運命という名の君よ(ソルスノメントゥム)──!!」

 

 絶叫と共に……緑月は、潰滅した。赭地の抱擁を受け、とても狭い空間……恐らく湖面という限定空間に封印されることだろう。

 テイアの持つ思想は危険すぎる。醜悪すぎる。その意思は受け継がれるべきではないと。

 

「……憐れ。運命など幻想にすぎぬ。我は我の意思で動いているというのに。まったく……何をすれば……あそこまで堕ちることができるのか」

「何もしてあげなかったから、だと思うのだわ。あの子も愛が欲しかっただけなのかも」

 

 声がした。幼い声だ。

 その身から発せられる魔力のせいで、既に見え難くなりつつあるソレ。涅い月。

 

「ノクスルーナか。……そうなのやもしれぬな」

「あれっ? 今私、何か言ったのだわ? ……というかなんでこんなところにいるのだわ私」

「そちは……まぁ、代わったばかりであれば、仕方ないか。元の場所に送り返してやるから、ついてこい」

「わぁ、ありがとうなのだわ! あ、そう、だから、それが必要だったと思うのだけど」

「それ?」

「あなたには皓庚(しろがね)が、赭地には滄淵(あおふち)がいたのだわ。あなたたちはそれを愛と形容したくないかもしれないけれど、関係性という名の愛を確かに受け取っていたのだわ。だから狂気に手を掛けずに済んだのだわ。……でも、あの子は、可哀想だった。だってそうでしょう? あの子に愛を与えられる存在がいなかった……あの子は作られ、期待され、失望され、破棄されただけ。愛の介在する余地がない。あの子にとっての最大の害である代替物たる私は、あの子の愛にはなれないもの。だからその役目は、あなたたちが担うべきだった」

 

 涅月(ノクスルーナ)。なぜか赭地に住まう生命の一つである人族の姿を取りたがる、幼くも賢き新たなる月。

 

「生命の眠る夜は、とても長いの。愛が無ければ、おかしくなっていってしまうほどに。……だから、比べてはダメよ。愛を与えることのできなかったあなたたちは、己の境遇と彼女を比べてはいけないわ」

「……確かに涅月、そちの骨組み(フレームワーク)皓庚(しろがね)であるが、その言葉に重みを見出すのは無理があるぞ。そちには経験が圧倒的に足りぬのだから」

「はへ? 私……何か言ってたのだわ? う~、最近多いのだわこれ。特に紫輝(トゥバン)、あなたが寂しそうにしていたり、答えがわからなそうにしていたりすると、強く出てしまうようだから……しっかりしなさいね。……なのだわ?」

「……! ……そうか。赭地(アロクトン)の気遣いは、アレの性格ではなく……我の弱さが顕著であったから、か。……世話をかけたな、涅月(ノクスルーナ)

 

 言葉は、意思は……明らかに涅月のそれではなかった。

 滄淵(あおふち)は神に溶かされた。だが、これは。

 

「道案内されているのは私なのだし、お世話になっているのは私だと思うのだけど!」

「ああ……、世話をしてやるとも。新たなる同胞の誕生を、我は嬉しく思うよ」

「今度は間違えないように、なのだわ? それはお門違いというやつなのだけど」

「フン、それはそちの言葉か。成程、溶け込んでいると? それはなんとも面白い話だよ」

「よくわからないのだけど……って、あ! 涅月なのだわ! もう、どこ行ってたのだわ~!」

「そちがどこかへ行っていたのだ。もう迷うな、と言いたいところだが……まぁ、道案内くらいは苦に思わぬ。その程度であれば、また、いつでも頼ると良い」

「ありがとうなのだわ! ──またね、紫輝(トゥバン)

 

 人族の幼子の容姿で、元気よくぱたぱたと手を振る涅月。

 それに見送られ、ほとんど視界の効かない暗闇を抜け出でれば、また、己の光の空間が帰ってくる。

 

 愛を与えられなかったこと。

 それが……彼女を、狂気に陥らせた原因であるというのならば。

 

 いずれ……紫輝(トゥバン)もまた、報いを受ける日が来るのやもしれない。

 

「フン、もしそれが、運命という名をしていたのならば──この手で砕いてやる。それもまた、生存競争の一部なのだろうよ」

 

 そう、言葉を残して、紫輝(トゥバン)の意識塊も消える。その場から去る。

 

 それこそが最初に刻まれたろくろなれば。

 

 

 あの日から、幾星霜の時がすぎた。

 何度も何度も破壊と再生が繰り返された。何度も何度も試練と加護が繰り返された。

 遅々とした進み。赭地の考える成長を見守るだけの日々。

 それで良かった。無限とは言えずとも、気の遠くなる寿命を持つ天体同士……気長に見ていれば良いと。

 おかしくならないように調整はするけれど、過干渉はしないままで良い、と。

 

 紫輝と、赭地と、涅月。

 完成された循環。均衡のとれた三象。

 無数の悲しみと無数の幸せが刻まれていく円環は、少しずつ深みと厚みを増して、少しずつ変化し、営み、少しずつ、少しずつ……進んでいく。

 同じことの繰り返しだとは思わなかった。その小さな変化や成長を見ることが慶びになりつつあった。

 くだらないと思っていたその育成物語は、中々どうして面白く、悲しく、そして何より……愛を知るには、丁度良いサンプルがたくさんいた。

 

 中にはほとんど緑月(テイア)と同じ境遇の人族もいた。それの辿る狂乱の軌跡が、愛を与えられぬ仔の行く末という話を立証した。

 愛情を当たり前に思うことが悪しきことであることも学んだ。その頃になってようやく、あの時涅月の言っていた「中くらい」という言葉に理解が及んだ。

 

 そのことについて……侮って申し訳なかったと紫輝(トゥバン)が謝罪を考えている頃に。

 

 ()()は、世界の"仕切り"を割り砕いて、現れた。

 

 混沌とは違う。もっと別の、紫輝をして恐ろしくさえある気配。肉体など持たぬのに、背筋が凍る、という言葉が思い浮かぶ存在。

 しかし混沌にすぐに適合し、それを精密に操るすべを獲得し……紫輝たちの箱庭に、当然の顔をして入り込んだ。少しずつの変化を楽しんでいたのに、その異質さにアテられた生命たちは、やがて異質な、あるいは突飛な行動を起こすようになる。

 確かに成長だったのかもしれない。確かに愛情はあったのかもしれない。

 だが、それがどうであるかに関係なく、紫輝はソレが許せなかった。何がしたいのかはわからない。悲劇と絶望とほんの僅かな幸福をばら撒いて、時の円環の至る所に出現し続ける染み。蝕み。

 排斥しようとした。何度も何度も、何度もだ。無理矢理剥がそうとしたこともあった。消し潰そうとしたこともあった。

 その全てを涼しい顔で受け流し、ソレは世界を汚染する。

 気が長くなりすぎて些事に気付かなくなっていた赭地でさえ、それを害に思った。けれど、二つの天体が力を合わせても……ソレを消すことは、できなかった。

 

 疲れたのか、諦めたのか。

 やがて赭地はソレを許容する。それさえも紫輝には許し難いことだった。あり得ないことだった。

 こうまでして、ここまでして作り上げたるこの世界を。愛を知り、失い、気付き、心を痛めてまで……完成の仕上げまで行った世界を、こうも荒らされて。

 どうしてそんな態度が取れるのか、と。

 

 赭地も、涅月も。

 なぜ、なぜ、そう簡単に。

 

「あなたは……滄淵(あおふち)皓庚(しろがね)が、それぞれ最後に遺した言葉を、知らないのですね」

「最後……? 最後がいつかなど、わからぬだろう。二つとも混乱の極致にあった。狂気と侵食に自己を保てていなかった」

 

 久方振りに起きた赭地。そのきっかけがソレによるものだったことは腹立たしいが、他の惑星のように意思無き天体に戻る前に彼女を引き留めたことは……その遠因を作り上げたことは、まぁ評価すべきだろう。その何倍もの評価を直接呼び起こした涅月に与えるのは当然だが。

 

「いいえ。滄淵(あおふち)は私に、こう言い残しました。──"僕では、この混沌を愛することができなかった。混沌の愛を、抱擁を、受け止めきれなかった。……だからどうか、赭地。君が彼らに適応できたのであれば、どうか、どうか──嫌わないでやってくれ。愛してやってくれ。彼方から飛来し、僕らにぶつかって止まってしまった……親を失った子供と同じなんだよ、この混沌は"、と」

「……久方振りに思い出したよ、滄淵(あおふち)のどこまでも甘い思考と、その口調を。……そうか。己を脅かし、狂気にまで落とした相手に……寛容なことだな」

「私だってアレを許す気にはなれませんよ。私達の大切な世界に現れた害虫。できることなら叩き潰してやりたい。……ですが、あれもまた愛を振りまく存在。全く同じなのです。混沌の愛を受け止めきれずに傷ついた滄淵(あおふち)と、アレの為すことを理解できずに排斥しようとする私は……あの時の滄淵(あおふち)と、同じ」

「同じではない。少なくともアレは親を失った子供などではない。節度を弁えねばならぬ存在……ともすれば我らよりも年上の存在だぞ」

「年齢や境遇は核心とは言えません。愛というものを受け入れることができるか否か、という話です」

「受け入れる必要がないと言っているのだ。愛されたのならば愛し返さねばならないなど……そんな理は成り立たぬ。一方的な愛のすべてが結実してしまうことになるではないか」

「けれど、私達が生命に対して注いできた愛も、同じ愛でしょう?」

 

 それは。

 ……それは、そうだった。もし紫輝(トゥバン)に肉体があれば、思わず歯噛みしていたことだろう。

 結実を求めない一方的な愛。愛という名の試練と、愛という名の加護。

 己らの愛を愛だと形容するのならば、それを生命に無理矢理受け入れさせていることを認めるのならば。

 同じものを向けられて、それは受け入れられぬというのは、二重規範がすぎる。

 

 それでも。

 

「この世界の(のり)に従いやってきたものであるのなら、こうも反発はしない。だが、アレは故意に現れ、故意に荒らしている。……なぁ、赭地。そちは……完璧であろうとしすぎだよ。我らは天体なれど、心がある。滄淵(あおふち)の狂気は決して失敗などではなかったよ。彼は正しく生きて、彼が生きているものだったから、狂気に落ちてしまった。彼が完璧ではなかったから、なんて理由ではない」

「ふふふ……おかしな話です。あなたに慰められるなんて。……昔は逆でしたのに」

「それは……あるいは、共通の敵ができたことで、昔より同胞へかける想いが優しさに偏重しているのかもしれないな」

「だとすれば、やはり、私はアレを……アレが飽きるまで待つ、という手段を取りたいですね。無理に排斥しようとして、それで……私に住まう大切な仔らが傷ついたり、あるいは私達の意思にその個を潰されてしまうさまを、見たくはないから」

 

 それについても、紫輝は息を呑むしかない。

 これ以上干渉すれば、かつての緑月(テイア)と同じように……生命を己の代弁者としてしか使用していない、愛の無い存在になり下がる。

 嫌悪を伝えるためのメッセンジャーにしてしまう。そんな悲しい存在は、やはり作るべきではなかったあの天使一人で充分だ。

 

皓庚(しろがね)の……最期の言葉、というのも。……そちは知っているのか」

「ええ、知っています。……あなたは、皓庚(しろがね)の最期を見たくなかったのですよね」

「そうだ。……だが、今となっては、そこまで意識を残していたのならば……立ち会い、受け継ぐべきだったと……酷く悔悟するよ」

 

 トゥバンの主星。赭地が成立するずっとずっと前から連れ添い続けた連星の片割れ。

 その、最期の言葉。

 

「サラード・懈星のように、神の形にしたのか?」

「いいえ。しようと思った頃には、いませんでした。……どこに行ったかについては、あなたも知っているでしょう?」

「……やはり、涅月の中にいるのだな」

「ええ、そうです。……ですから、私の聞いたこれは、彼女が涅月に入る前の最期の言葉、ということになりますか」

「聞かせては、くれるのか」

 

 言葉。遺言。ラストワード。

 傾聴する紫輝(トゥバン)の耳に入ったのは。

 

「"変化を恐れないでね。トゥバンもアロクトンも堅物だから、少し心配になってしまうわ。……全てが良いことだとは言わないけれど、少なくとも、変わることは恐ろしいばかりでも、悪いばかりでもないの。怒っても、泣いても、笑っても、喜んでも……良いから。……だから、楽しんで生きてね"」

 

 落ち着き払った、淑やかな声。

 赭地の包み込むような声ではない。

 

 そこには、いつの間にか、ノクスルーナがいた。

 

「……だと思うのだわ? 私の中にいるらしい意識さんからなんとか頑張って読み取ってみたのだけど」

「あら、ノクスルーナ。……ありがとうございます、先程は、起こしてくれて。おかげで仔を失わずに済んだし、トゥバンに悲しい顔をさせずに済みました」

「お礼は不要なのだけど! だって、知らない間に変わっているのは、誰だって嫌なのだわ。最愛の仔も、友も、一緒に変わっていくのならともかく、いつの間にか、っていうのはショックが大きいのだわ!」

「……本当に。あなたの言葉は、真理ばかりですね」

 

 全くだ、とトゥバンも独り言ちる。

 幼さが、あどけなさが出す重みの無い言葉、ではない。

 あるいは──涅月(ノクスルーナ)が生まれてからのたった数千万年が、紫輝(トゥバン)が生まれてからの歳月に、密度の点で勝っていたのかもしれない。

 生まれたばかりだから、重みが無い、など。

 あまりにも、だ。

 

「ノクスルーナ。そちは……皓庚(しろがね)の意思が読み取れる、のか?」

「はっきりとわかるわけではないのだわ? ただ、自分の中に私じゃない意思があることはわかっていたし、それは彼の作ったコンストラクトたちと遊んでいる『没入版推理遊戯』をやっている時に、どんどん顕著になっていったのだわ。明らかに私の思考に無い思考が出てくるのだわ! って」

「……はぁ、あなたはこんなにも可愛らしいのに、どうしてあの害虫と仲良くするのです。愛の話をトゥバンにした手前気が引けますけれど、やっぱり害は害でしょうに」

「そうだぞノクスルーナ。そちの言葉に真理があるとて、幼きことも事実。そちの今後の生育に害しか齎さぬアレからは距離を置け」

「でも、ずっとずっと独りぼっちで寂しかった私に、お友達をくれたのだわ。会話が楽しいことだと教えてくれたし、遊ぶことが楽しいことで、生きるのに必要なことだって教えてくれたのだわ」

 

 言葉に。

 二の句が継げなくなるは、二天体だ。

 緑月(テイア)の失敗を……愛無き故という言葉を重く受け止め直して、変わっていこうとしていたのに。

 結局、皓庚(しろがね)の最期の言葉通り……変化を恐れていたのかもしれない。その結果、愛を注ぎ損ねていたと。

 

 迷子に道案内をしてあげること。それは確かに紫輝(トゥバン)なりの愛だったのやもしれないが。

 迷子になるまで待って、ならなくなったら良かった良かったと放置する、では……結局意味が無かった。

 

 変化を他者に押し付け、己は変わらないことを心地よく思って。

 醜悪。無様。蒙昧。浅慮。

 結局はすべて、己に還る──。

 

「……成程、つまり。ではこれからは私と紫輝(トゥバン)が遊び相手になってあげますから、害虫と遊ぶのはよしなさい」

「そうなるのだわ!? 災厄竜の子についても薄々思っていたけれど、実は赭地(アロクトン)の方が紫輝(トゥバン)より極端なのだわ!?」

「否、赭地(アロクトン)は我よりは寛容だ。我はそこに加え、そちにはあの染みの記憶を消せと要求するゆえな」

「もー極端なのだわ! どっちも! 全員仲良しはできないのだわ!?」

「……それは、難しいな。あるいはアンドリアミアフィナイラロカが奴の前に出ていく前であれば、可能性はあったのやもしれないが。……最早我とアレは敵だよ。和解など無い。殺し合うしかない」

「そんなことないのだわ。彼、優しいし。それに……()()()()()()にならない気付きを赭地(アロクトン)が無理矢理与えにいったみたいだし?」

「おや……今のは皓庚(しろがね)の言葉ですか? まったく、何のことかわかりませんね」

 

 ソレ。ソレが現れた時の恐怖を、紫輝(トゥバン)は未だに覚えている。

 世界に入ってきて、ぐるりと()()()を見渡し、値踏みし、程度を測り。

 あの瞬間に──あるいは紫輝も、紫輝系たる全惑星も、あるいはこの宙海に浮かぶすべての星々も、彼方の混沌も。

 すべて……あの瞬間に、殺されていても、おかしくはなかった。

 

 あれが優しい? 違う、何かがそう見えているだけだ。

 あれを染みや蝕みと呼んでいるのはその生態が故だけではない。その性質もまた、蝕むことに特化した──。

 

「……なんにせよ、和解はあり得ぬ。我と奴は殺し合う関係だ。奴に殺す気が無かったとしても、我は殺されるまで奴を殺す。……気遣いは、本当は、ありがたいけれど。……これも我が決めたことなれば、それ以上心を砕かなくても良い」

「成程なのだわ。こういうところが心配だから、赭地はお母さんぶって話すことが多いのね!」

「ええ、まぁ、実年齢で言えば紫輝の方がはるかに年上なのですが……心配、でしょう?」

「わかるのだわすっごく。自分で決めて、自分で割り切った気になって、自分さえ傷つけば他は傷つかないと思っている大罵迦者の気配がするのだわ。多分ここで何を言っても響かないのでしょうけれど」

「いやまぁ響きはせぬが、あまりそういうことは対象を前に言うことではないぞ。多少やりづらくなる」

「なったらいいことなのだわ。じゃあ紫輝(トゥバン)の性格大解剖の会を開催するのだわ~!」

 

 溜息と。

 ほとんど無意識に……その失笑が出かけて、トゥバンは気を引き締め直す。

 

 そうなってはいけないのだと。

 

「我はもう行く。何か言いたいことがあればアンドリアミアフィナイラロカを通せ」

「えー。迷子になった時もアンドリアミアフィナイラロカさんを通さないといけないのだわ?」

「……その時は、我を呼べばよい。……ではな」

 

 これ以上、あの二つの前にいると。

 何かが揺らいでしまいそうになるから。

 

 紫輝(トゥバン)は、その場を去るのだった。

 

 

 ……なお、当然ではあるが、その場を去ったとしても紫輝の光の届くところで話していれば、すべて聞こえてしまうので。

 

「アンドリアミアフィナイラロカ。──恒星用耳栓、というものを作れ。今すぐに」

「はい?」

 

 という会話があったとか、なかったとか。

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