序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい   作:ブ雨堰ド

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幕間 - 紫輝歴999年~涅月歴10年浅葡萄の月 世界のどこかにて

 世界は混沌に覆われている。

 生きるべき者が先へ辿り着けず、死ぬべき者がのさばっている。

 何を理由にすれば、他者を食い物にして良いのか。

 誰も食わずに生きることは、その生き方をして人間と呼べるのか。

 善行を為してこその人生であると、悪行三昧こそが人生の醍醐味だと。

 そこにどんな違いがあるのか。

 

「……はぁ。静かになっちゃいましたねえ」

 

 誰もいなくなった場所で、彼女はそう呟いた。

 ナタリー・"オーラ"・ゼンノーティ。

 第一代魔王……否、この時点の彼女は、それになる前の存在である。

 

 視界いっぱいに広がっているのは、赤だ。時折白や黒も見える。時折山なりになっている場所があったり、未だに赤の流れ続けている場所があったり。

 死体。死体死体。死体死体死体死体死体──。

 屍山血河、という言葉が、これほど似合う光景も中々無いだろう。倒れ伏しているのは人族だけではない。オーガ族、ハーフリング族、魔族、精霊族のコア、魔物──果てには、竜まで。

 

 その真っ只中にあって。その中心地にいて。

 一切の血を被らずに、そのままの色でいるモノ。

 それが今の彼女だった。

 

 彼女の躯に怪我はない。

 彼女の躯に返り血などもない。

 

 ただ、ここ……今となっては元ゼンノーティ村という外ない様相を呈するここに、餌に飢えた……血に飢えた()()がやってきて、全てを踏み荒らし、壊し尽くし、そして争い合って、死んだ。

 ナタリーの関与したことなど一つもない。

 彼女はただそこにいただけで、勝手に屍山血河が作り上げられたのだ。

 

 確かに彼女は『涅月の血属(ノクスルーナ・ブラッド)』と呼ばれる種族だ。その血液は芳醇な香りを持ち、一滴でも啜れば死ぬまで興奮状態が続く、などと言われるほどに危険な血液を宿している。

 けれど、わざと怪我をしたり、自傷して血をばら撒いたわけではない。

 何もしていないというのは比喩ではない。ただそこにいただけで、彼女の周囲に死が寄ってきた。

 

 家族だったモノ。友達だったモノ。先生だったモノ。

 それらの血を浴びるように殺し尽くしたモノ。それらのことを羽虫のように潰してしまったモノ。

 狂乱を餌時だと見て寄ってきた、大きな翼を持つモノ。

 

 今、彼女の周囲にあるすべてが、生命の無いモノになっていた。

 そのすべては、彼女の種族とは全く別の理由で生き絶えたのだ。

 

「いやぁ……ははは。……ええと、これ、何事ですか?」

「……おや? 誰、ですか?」

 

 誰もいないと思っていたし。

 誰かが来ても同じことの繰り返しになるのだろうな、と思っていたところに……声がかかった。

 かなり引いてはいるが、理性的な声だ。

 

「……初めまして、お嬢さん。私の名はパールフレイム・ルンテーニ。『王貴の決定(ゾルハ・サガ)』によりナタリー・"オーラ"・ゼンノーティさんをお迎えに参ったのですが……お嬢さんですか?」

 

 現れたのは……若干どころじゃなく怯えている、パステルグリーンの髪色の特徴的な男性だった。

 長身で、糸目で、でも「怪しい」の前に「苦労してそう」が出てくるような印象の男性。

 

「ああ、はい。私がナタリー・"オーラ"・ゼンノーティですよ。それと、そんなに怯えずとも大丈夫です。これ、私がやったわけじゃないので」

「あ、そ、そうでしたか。いやぁ良かった。『王貴の決定』に任命された魔王様はこちらからのお断りができないので、とんでもない暴君になったらどうしようかと」

「そうじゃなかったから良いことですけど、あんまり本人の前でそういうの言わない方が良いですよ。……それで、魔王ですか。予知名の話、両親の世迷言だと思っていたんですけど、本当なんですね」

「はい。『王貴の決定』はあなたを第一代魔王に指定しました。これにより、紫輝歴まで続いていた全ての魔王制度が過去のものとなり、ここから先、つまりあなたの次代の魔王もまた第二代、その次が第三代と名乗る仕組みを取ります」

 

 その後もいくらか魔王制度についての話をされたけれど、ナタリーはあまり興味が無いようだった。聞いていようがいなかろうが逃げられぬのが『王貴の決定』なれば、それも致し方ないだろうと、パールフレイムは己に定められた役割分の言葉を吐いて、一度話を止める。

 

「明日からすぐに魔王、ですか?」

「いえ、ナタリー様が魔王に着任するのは二年後。涅月歴1年の朱華の月になります。それまでは魔王国で過ごしていただきます。また、その間、命を奪うことや他者の家を破壊することなどといった度のすぎる行為以外の全てが許されますので、贅沢の限りを尽くしてくださって構いませんよ」

「……二年間の自由と、十年間の望まぬ魔王。その後は放逐、ですか」

「放逐だなんて、とんでもない。十年の任命期間後も続ける気があるのでしたら続けてくださって構いませんよ。歴代の魔王様は任命期間中に好きな場所へとご自宅を作り、そこに住まわれていますね」

 

 つまるところ、『王貴の決定』がある以上その十年だけは変えられないが、他は最大限配慮する、ということだ。

 十年働くだけで人生上がりなら、安いものかと……ナタリーは独り言ちる。

 

「十年で出ていきますよ。あまり長くいると、ここの二の舞になりかねませんからね」

「……それは、この惨状の原因を理解しておられる、ということでしょうか」

「ええ、まぁ。……だから、そう心配せずとも、この惨劇を魔王国でも、ということはしませんから、安心してください。昔からそうなんです。一つの場所に留まると、必ず良くないことが起きる」

「おや? 資料及び予言によれば、ナタリー様はこの村の出身では」

「想像以上に居心地が良くて住み着いてしまった──家族なんてものまで作ってしまった場所、というだけですから。それに、故郷はもうありませんし」

「それは……失礼いたしました。……この場に対し、何も未練が無いのであれば、私が焼いて供養いたしますが、どうなさいますか?」

 

 焼く。焼けば供養になるのか。既に死した者への手向けをして、何になるというのか。

 非業も狂気も断ち切って、霊魂は皆、劫白の国で仲良くやっているのだろうに。

 

「──現実味(ジェミニ)

 

 一瞬、ぶちまけられていた屍山血河の輪郭が二重になる。なったかと思えば、次の瞬間、そこにはそんなもの存在していなかったかのように……すべてが消え去った。

 あまりにも文字通り「瞬きの間のこと」すぎて、反応できないでいるパールフレイム。

 

「魔王として……やっていけると、そう判断されるくらいには、魔法も使える、ということです。……二年後、必ず魔王国に戻ると約束するので、もう少しの間自由にはさせてくれませんか?」

「……わかりました。ですが、可能でしたら、一度だけ『王貴の決定』のもとへ赴いてはいただけませんか」

「そこで捕らえて、籠の鳥にするつもりでしょうか」

「今の魔法を見せられて、あなたを丁重以外の方法で扱おうとする魔族はいませんよ」

 

 そういう示威的な意味を込めたつもりはなかったけれど、それならいいか、とナタリーは言葉を収めた。

 勝手に解釈をしてくれるのならば、好都合極まりない、と。

 

「参りましょうか。少し離れたところに空泳船を停めてあります」

「……乗るの、初めてなので……楽しみですね」

「ああ、でしたら、貴重な機会になるかもしれません。紫輝歴770年の災厄によってほとんどすべての空泳船が破壊されてしまい、この残っている舩ももうそろ寿命です。あなた様が着任する頃には無いかもしれません」

「……それ、乗って大丈夫なやつですか?」

「今はまだ動きますよ。それに、問題があったとしても、己で対処できる者しか乗っていません」

「私は?」

「次期魔王様なら問題ないでしょう」

 

 訂正、示威的になってしまったことは明らかに選択ミスだったかもしれない。

 ナタリーは胸の内で大きく溜息を吐いた。これからが心配だ、と。

 

 

 想像以上に揺れないし、船室にいれば空にいること自体を忘れるような乗り心地の空泳船に乗ること三時間と少し。

 ナタリーは、眼下に広がる魔王国に、思わず息を呑んだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 けれど、隣にいたパールフレイムはそれを、初めて見る都会というものへの驚きだと受け取ったらしかった。

 

「王都タナスクロウン。絢都アルクトゥニタや森都バリムケラスに面積こそ負けますが、巨石の台地を穿って作られた城壁と、円状を描いて並ぶ城下町、その中心にある魔王城は堅牢の名に恥じません。矮小なる人族は勿論のこと、如何なる魔物も竜もここを抜けることはできませんよ」

「……今の魔王さんがどういうスタンスなのかは知りませんけど、私の前でそういう差別的な発言はやめてください。ゼンノーティ村では、種族の一切が気にされていませんでした。少なくとも私の前ではそれを徹底してください」

「承知いたしました。以後気を付けると共に、先の発言を謝罪いたします」

 

 どうせ失えば惜しくなると……そういう、居心地の良い場所を作らないように生きてきたナタリーだけど。

 此度、それを……この村ならば大丈夫かもしれないと高を括った結果が、あの惨劇だ。

 惜しい。あの村での生活が。ゆったりと時間の流れていたあの村が。

 

 もう、家と思える場所は、出てこないのでしょうね、なんて。

 その嘆きは。

 

 

「──これは、これは。"オーラ(天に愛されて)"……あぁ、まったく、その通りの顔をしている。すべてのものは自分のためにあるとでも言いたげな、不遜な顔だ」

「悲しいことだ。ここまで紡がれたすべての歴史は、『王貴の決定』によって分断される」

「何を異なことを。『王貴の決定』に異を唱えるというのか。萎びたその頭蓋、今ここで断ち切ってやっても良いのだぞ」

 

 目の前に聳え立つ巨大な石塔と、それを取り囲む「議会」を前に、さらに深い溜め息となって彼女から出ていった。

 

「静粛に。『王貴の決定』の前でみっともない言い争いを見せるでないわ。──娘子、お主もだ。次期魔王とて、今はただの魔族。溜め息など不作法極まりない──」

「来てほしいというから来てあげたのに、出迎えも無しで、その上圧掛けですか。私の知る魔族はもう少し慎みを持っていたのですが、災厄から三百年で……ここまで腐り果てることができるとは、流石の私も驚きで言葉が出ないというか」

「な──」

「無礼、無礼だぞ! 長老様の言葉を遮っただけでも万死に値するというのに、挙句の果てになんという言葉遣いか!」

「生まれて間もない幼子が知ったような口を利くでないわ。それとももしや、魔王という役職が誰よりも貴きものであるとでも勘違いしているのか? フン、あれなるは結局民のための奴隷にすぎぬ。二年後、お前がなるものだ」

「ああほら。一枚皮を捲れば醜悪醜悪。上手く隠していましたけど、腐ってますよこれ。早く取り替えないと、魔族全体に腐敗が及んじゃいますよ」

 

 ナタリーの横で黙しているパールフレイムは……当然何も言わないけれど、その口元は明らかに痙攣している。

 老人たちの次の言葉を知っていたから、かもしれない。

 

「ルンテーニのせがれ! お前というものがついていながら──」

 

 ああ来た来たと、どうせ私の責任問題になるんですよね、と大人しく目を瞑り手を上げたパールフレイムは……突然静まり返った室内に首をかしげる。

 くだらない言葉を聞きすぎて耳が潰れてしまった可能性もある。だから、仕方なく、その目を開いて。

 

「な……なにをっ、ナタリー様!?」

 

 中心の『王貴の決定』とパールフレイム、そしてナタリー以外の全てが凍り付いたその空間に、本気の焦り声を上げる。

 

「うるさいので、口を閉じてもらいました。……ああ、とはいえ、私がやったわけじゃないですよ。魔力が勝手にやったんです」

 

 言い訳……ではない。

 ナタリーは魔力を動かしていない。そんなことをすれば隣にいるパールフレイムが気が付かないわけがないのだから。

 彼女の言葉通りならば、この空間じゅうの魔力が彼女のためを想い、自ら彼らを凍てつかせた、とでもいうかのような。

 

 "オーラ(天に愛されて)"。

 まさか、と……パールフレイムは彼女をもう一度見る。

 

「はい。あの惨劇は、そういうことです。……私は愛されていますから、少しでも何か、私に不都合なことがあると……()()()()()しまうようで」

「……確認しますが、決して、あなたが望んだ、というわけではないのですよね」

「私が、煩いから黙ってほしいなぁ、って? ──つまりあなたは、私が自らあの村を滅ぼしたと……そう言うんですか?」

「いえ。……そのようなはずがありませんでした。重ね重ね、失礼をお許しください」

 

 そうだ。そんなことはありえない。

 この日常がずっと続けばいいと、そう思っていたはずだ。

 否──何も思わないように努力していたはずだ。何かを思えば、好悪を()()()、愛されてしまうから。

 

 たとえその祝福(呪い)が、オーラの本当の意味を隠すためにかけられたものであると知っていても。

 決して望んだから起きたことではないと……そう思わずには、やっていられない。

 誰が、あれを、望んで手放すのか、と。

 

 ……そこまで考えて、ふと。

 

「……あなた、死なないんですね」

「と……言いますと?」

「私に対して、これほど神経を逆なでする言葉を吐いておいて、死なない。自ら死を選ばない。……貴重な人材ですね。魔王に着任した暁には、あなたを秘書にしましょう。次期魔王もあなたで」

「はい?」

 

 これほど……一瞬とはいえ、嫌悪を向けて、死なない相手。

 ナタリーがこれまで過ごしてきた生において、未だ数人しか出会ったことのない類の相手。

 もしかしたら──好きとか嫌い、どうでもいいとか面倒くさいとかやめてくれないかなとか、そういう感情を抱いてもいいかもしれない相手。

 

「パールフレイム・ルンテーニさん、でしたか。おめでとうございます、第二代魔王はここに決定しましたよ」

「いやあの意味が分かりません。……というか、お歴々を解凍してあげてくださいませんか」

「私の意思ではないので、知りません。……しかし、『王貴の決定』。これまた悪趣味な結界を作ったものですよねえ。"世界が如何様になったとしても残り続けること"をコンセプトに作られた記録装置。表面以外の全てが不壊。内側が壊れないから外殻も壊れないという結界術の理の逆転。これを考案したやつは、さぞかし性格の悪い奴だったんでしょう」

「『王貴の決定』が結界、というのは……どういう意味ですか?」

「なんでもありません。感じ取れないのならそれまでです。……さ、行きましょう。この氷は、生命までは奪いませんし、多分一日くらいで溶けるでしょう。でないとその方が私に都合が悪いので」

 

 パールフレイムの背を押して、その部屋を後にしようとするナタリー。

 けれど……一度、振り返って。

 

「──意識までは奪っていないはずです。その氷の中で、今後の身の振り方でも考えておいてくださいね。──私、そこまで優しくないので」

 

 しっかり聞こえるように音の魔力の拡声まで行って。

 彼女は、そこを後にした。

 

 

 ひと月後のことである。

 必ず魔王の座につく約束をして、じゃあ、ということでぶらり一人旅をしているナタリーが出会ったもののとの一幕だ。

 

「……おや。位相結界? なんでこんな道の端に」

「そりゃあ、ここが(ミチ)の淵だから、だろうなァ」

 

 晴れ渡るほどの空は、しかし色がおかしい。滄色をしたその空には雲一つないけれど、まるで絵の具で塗りたくったかのような不自然さがそこにある。

 

「……ここは、ああ、成程。死の大河……なんでしたかね、明郷神権王政国でいうところの、冥津。そういう、"物事の端"という概念ですか」

「へェ、詳しいじゃねえか。その通り。ここは惑彼岸で、オレもまた惑彼岸。生者が時たま間違って入ってきちまう死後の世界への継ぎ目」

「また……おかしな場所に誘われたものですね。これも涅月の思し召し、ですか?」

「そんなわけがあるめェさ。ここはまだ、一応、緑月の管理下にあるからな」

「……湖面に呑まれた旧き月が、何をしている、と?」

「と……カカカ、なんだなんだ、意図して会話してねェわけじゃなく、単純に無視していただけか。──そんでもって、だとしてもしなくとも、ちょいと知りすぎだなぁ、嬢ちゃん」

 

 小さな老人。否、そういう存在だと周囲に認識されているがゆえに、そうでなくてはならなくなった存在。

 それが生まれた時期が、つい最近であれ。それ自体の意識がたとえ、一瞬前に生まれていたとしても。

 彼は老人でなくてはならない。含蓄ある言葉を吐いて、他者を導き、踏み外す脚に手を伸ばし、支え。

 そうではなくてはならない。そう在らなくてはならない。

 幼稚であると言われたから、その反対を。

 浅慮であると言われたから、その対義を。

 ただ、本当はアレがそうならなくてはならなかったのに、そう在るものを作るに終わってしまったのは、その力が湖面に封じられていたがゆえだろう。

 

「知りすぎだ、知りすぎだ。さてはお前、一回目じゃねえな。何度目の生だ、ソイツは」

「おかしなことを言わないでください。私はそう何度も人生を送ってはいませんよ。──何人飲み込んだのかについては、さて、私の意思ではありませんのでなんとも」

「カカカッ! なるほど、なるほど、()()()()()()()か。誰の差し金だ? 自分で受け持ったのか?」

「さて、ここが緑月の支配下にあるというのなら、あまり喋り過ぎるのも良くないでしょう」

「それについちゃァ問題ねえが、まぁ、ろくろには刻まねえほうがいいかも知れねえな」

 

 改めて空を見上げるナタリー。

 記憶を掘る。掘り返す。何十何百では足りない──ただの一度も会ったことのない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()続けた自分自身。

 席はずっとあった。だから、積み重ねられてきた席を、刻まれ続けた己自身を。ナタリー。二つ前はゼンノーティではなかった。そこからしばらくはずっとそうではない名前だったし、さらに前はナタリーですらなかった。

 けれど、自分だ。己だ。記憶だ。

 

 その果てしなく高く、硬く、強く、そして気高い、「己は己である」という意識。

 彼女という個人の抱き、持つ、すべての記憶を掘り起こして。

 

「……ああ、滄淵(あおふち)。あなたはまだ、忘れられていなかったのですね」

「──まさかお前は、皓、」

「なんて。……それは、夢の見すぎですよ。というかあなただって別に緑月本人じゃないでしょう。幼稚と言われた彼女が反発して作り上げた仮想人格……こんなお爺さんがいてくれたらどんなに良かっただろうと、あるいは、己がそうならばどんなに良かったことかと夢見た姿の一つ。まさか中身の入っていない骨組みだけが放逐されているとは思いもしませんでしたが」

「そうか。……まァ、そうか。仮にオレが本人であっても、面識があるわけでもねェしな。カカカ、しかし成程、『涅月の血属(ノクスルーナ・ブラッド)』ってヤツか。人探しは、オレ目当てじゃねェにしても……ソイツが見つかるかどうかってのは、気の遠くなるような試行回数が必要だろうに」

「それが契約ですからねー。……さて、そろそろ行きますよ、私は」

「おゥ。もう迷い込むんじゃねェぞ、と言いてェところだが……嬢ちゃんはそう遠くないうちに、別の惑彼岸に迷い込みそうだなァ」

「不吉なことを言いますね……。基本的にここに迷い込む時って……だから、正規の入り口は、死にかけている時じゃないですか? それ、近い未来に死にかけるぞ、って言ってるようなものですよ」

「カカ、カカカッ! ああ、そう言ったのさ。しかしそれは、死にかけ、助かるということでもある。──怖れを抱く必要はねェさ。いつか辿り着く楽園。いつか行かなくちゃならねえ劫白の国の前に、一つ挟まるってだけ。そんでもって……そこは、こことは違って、広くて、便利で、なんでもあって。……嬢ちゃんであっても、必ずいい出会いがある。必ず……今までとは違う方向に向ける」

 

 それは、どれほど記憶を掘っても、該当する事象の見つけられない言葉だった。

 つまりこの世界ではまだ起きていない事象か。

 あるいは偶然を塗りたくった「逃がし」にて縁を千切られていた事象か。

 

「それは……とても楽しみですね。叶うのならば、今度こそ会ったことのない彼女に会って──」

 

 自分から会いに行って。

 その自分が、彼女を、飲み干してくれたのなら。

 この、中途半端な地点から過去と未来を飲み干し始めたナタリー・"オーラ"・ゼンノーティを……終わらせてくれるかもしれないのに、と。

 

「フン、小娘が。──そのような結果にはならんさ」

 

 消える。飲み込まれる。満ちが(ミチ)に。(ミチ)が淵に。淵が端に、端が線に。

 線は点となりて、折りたたまれる。

 

 気付けばそこは、彼女が元いた道だった。

 

「……うーん、本当に私が愛されていたら、叶うかもしれませんね」

 

 そう吐き捨てて。

 ナタリーはまた、気ままな旅路に戻った。

 

 

 さて、その十二年後。

 つまりまぁ、ナタリーが魔王になって、ちゃんと十年経って、パールフレイム・ルンテーニに魔王の席を譲って。

 けーっきょく死ぬような事態には恵まれませんでしたネー、と……頑張ったご褒美バカンスでセプウルクルム洋に出て、時化も嵐もなーんもない穏やかな海ですネーとか言っていたら、船が海中からの「一突き」にあって、魔法でどうとでもなるはずだったのに、どうしてか上手く機能しなくて。放ったはずのものは全部上空へ飛んでいってしまって。

 海流に揉まれ、割と簡単に意識を手放して。

 

 気付けば、そこにいた。

 海流が素通りする小島。いつのものなのか、どこの文化の建築様式かもわからない小屋が一軒あって、その中に入ると位相空間に飛ばされた。

 

 エチェロエグズル教戒院。

 御伽噺の桃源郷。辿り着けない楽園。

 死に際の命が夢を見る、此岸と彼岸の、彼岸に惑う世界の片隅。

 

「おや……どうかされましたか? そうも呆けて……もしかして新入生でしょうか」

「ルヴァンの回収より早く入ってきたパターンか。珍しいが、前例が無いわけでもない。禁則処理の兼ね合いは……『院長』が抜かるはずもないか」

「初対面の人を前に内々の用語を並べたてるのは君の悪い癖だよ、モーガン。……君、名前は? 初めまして。僕はシュラインという……なんだろう、細工師見習い、かな?」

「ローレンスと言います。医者見習いをしております」

「モーガンだ。こいつら見習いと違い、私はもう教職レベルだという自負がある」

「ほう? よくもまぁぬけぬけと言ったものですねぇ」

 

 ──まるで、命があるかのように、霊魂を……席を有するかのように動く、コンストラクト三体。

 廊下を歩いている者。人族。魔族。オーガ族やハーフリング族もいる。

 けれどその中に、時たま、コンストラクトがいる。まるでいち種族であるかのように振る舞う……実際、独立し、自律し、外力のすべてを受け付けていないコンストラクトたちは、最早「人語を扱う魔物」に等しい。

 

 なんだここはと、驚愕した。

 それに、どうして、とも。

 

 だってそのコンストラクトたちは……霊魂が無いのに。

 確実に……緑月の造り上げた生命よりも、あるいは涅月が生みだそうとしたなにかしらのどれよりも……生きていたから。

 この世の法則に縛られぬ、混沌でさえ成し遂げられなかったことを当然のようにやってのける存在がいる。それは恐らく、『院長』なる存在。

 

 コンストラクトからの「善意」という奇妙なものに対し、若干の申し訳なさを覚えつつ、ナタリーはその身を隠した。

 

「あ、ごめんね、結局話し込んじゃって……って。あれ……いない?」

「おや……私達に呆れ、どこかへ行ってしまったのでしょうか」

「まぁ、理知的な目をしていたし、大丈夫だろう。生徒というよりは教師寄りの雰囲気を感じた」

「それでも最初の案内は必要だと思うけど……」

 

 ここがそうだ。

 ここが、あの、惑彼岸の言っていた場所だ。

 

 新しい風の吹く場所。なれば、ここでようやく──ナタリーは。

 

「──フン、小娘が。そうはならぬと言っただろうに」

 

 あるいは、そこが、時の円環の──。

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