序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい   作:ブ雨堰ド

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108.ED14 - 決して壊れ給うこと莫れ

 嗚呼、天を見上げよ。天を仰ぎ見よ。

 黄金の鐘の音が響く。膝を突かせ、ただ眺むばかりを強ふ歌の音が響く。

 

 五十二の光弾。三十六の翼束。二対五辺の外暈。

 あの少年の発する()。あの少年の発する()。あの少年の紡ぎ出す(調)に従い、結界内に存在するすべての魔力は今、彼のためだけに動く。

 

「なんて……干渉力。……ううん、違う、結界の中だからか。この結界、ちゃんと音を逃がさないように作ってあるんだ……抜かりないなぁ」

 

 戦闘の隠蔽のために張られたと思っていた結界は、内側の音を漏らさずに反響するための遮断が含まれているらしかった。

 これによりあの少年……ノア・ヘドクイストは、己の武器である歌唱魔法を最大限に発揮できる。

 歌唱魔法。特異な音程や言葉によって他者の無意識空間に刻印を認識させ、それを発動させるというプロセスを踏む魔法だ。

 エレオノーラはこれを信じられないと、無茶苦茶だと評していたけれど、アルカたち刻印魔法使いからしてみればそれは「いつものこと」でしかない。

 刻印魔法は限られた古代魔族語から意味を抽出する魔法だ。同じ刻印でも取り出す術者によって効果が異なる。その背景には、自身の仮想演算空間にてその古代魔族語をどれだけ適切に扱えているかどうか、というのが関わってくる。

 視認した、あるいは己で記述した刻印を、それが意味する言葉を汲み取り、意味する言葉が想起させるものを正しく読み取り、魔力に繋ぎ止められるかどうか。

 

"大通りの朝日(パリガハズス)"

 

 色彩、虹帯。文字通りの極彩色がアルカに襲い来るその直前で、彼女はたった一単語を唱えた。

 

 戦闘においては「鋭敏化」や「貫通力向上」などの意味に取られやすいこの古代魔族語であるが、魔法戦においてはもっと大事な意味を保有している。

 それが、「全体から色を除去する」、である。

 魔法戦において、極彩色を前にそれを使えば、起きるは──属性の無害化。()深紅()属性の向こう側。人類が扱い得ない魔力の段階にまで魔力素を変換し、色を抜く。

 先程アルカが飛ばした魔法に対してノアがやっていたものと似たようなことでもある。あちらはより微細な段階にしか存在しない治癒魔法に変換するという荒業であったけれど、こちらでも同じこと。

 

 歌唱魔法は確かに凄いのだろう。他者に刻印を想起させるということは、先程述べた「術者によって効果が異なる」という部分をスルーしているということでもある。

 余程堅固な幻想を使っている。素養の無い者にさえそれを想起させるというのがどれほど特異なことか。

 その上で二重歌唱……特殊な発声で二重に歌を歌う、なんてことまでやってのけるのだから、あのノア・ヘドクイストという少年は気の遠くなるくらい器用な人間であると言える。これだけの干渉力で事象変換式を叩いて、その一切が失敗に終わっていないのだから、相当だ。

 

 ──けれど。

 確かに歌唱魔法は凄いし、『万能』を素手で砕かれた時は面食らってしまったけれど。

 アルカ・ダヴィドウィッチは、こと刻印魔法においては一家言ある。そのつもりで生きている。

 もちろん【マギスケイオス】は強さを極める集団ではないし、同じく『最小限』というテーマに強さは含まれていない。

 

「でもそれは、私が君に劣ることの決定にはならない。──『最小限』。それは"無駄を省く"という当然を行使する者の諱。私は私の尺度を以て、あなたを否定しにかかる」

「──やってみなよ」

 

 破星雨(バスターレイン)

 言葉に従い、満ち満ちる魔力が、槍となりて雨となりて降ってくる。

 属性魔法ではない。極細の魔力砲のようなもの。──この一瞬での解析は不可能。何の魔力かがわからなければ、変換もできない。

 

"暗天の瞼が開く(ツェシルト)"!!」

 

 構築したのは「一意にとる」という意味を持つ刻印、たったひとつだけ。本来のそれは分かたれた対象をひとまとめにするような働きを持つものだが、ここでは「空模様が変わる」という意味の抽出になる。

 断続的に魔力矢を降り注がせるために付け加えられた継詞基語の雨という言葉を聞き逃さなかった。

 この魔法が曲がりなりにも雨の意をとるのならば、暗天の瞼が開くと同時、止まなければならなくなる。

 

 明けない夜がないように、止まない雨もないのだから。

 

「これで──」

「はぁ。まだ覚悟が決まっていないとはね」

 

 声は、近くで聞こえた。

 アルカは咄嗟に杖を自身の目の前に持ってきて──その蹴りを、受ける。

 

「ッ──!?」

 

 竜の前足を受け止めたのではないかと錯覚するほどの衝撃。彼女の脚では踏ん張りが利かず、そのまま後方へ弾き飛ばされる。

 

「防ぎ切って満足? 打ち払って満足? それは、もう、なんというか──失望した、という言葉を使いたくなるよ」

 

 背後に迫りくる結界に叩きつけられるべきではないと、風のクッションを作り上げ、止まる。

 散々背が小さいと言われてきたアルカよりも小柄な身体。ハーフリング族と同じくらい軽い身体。

 そこから繰り出されたあの蹴りの重さの正体は。

 

「……違う。君が重くなったんじゃなくて、私が弱くなってるだけ。──『定型魔法式(テンプレート)』・『健康(フラット)』」

 

 それは彼女の師が得意としていた技術。複雑な魔法式を魔法陣と呼ばれる紋様の形に直す、というところまでは世間にも広まっている技術だけど、そのさらに先。

 円形となり、扱いやすくなったそれをスタンプのようにして自身に記憶・格納し、時間が無い時や咄嗟の時に使用する、というもの。

 此度用いた『健康』は治癒魔法や探査魔法などをアレンジし、魔法陣に設定してある「健康時のパラメータ」と現在のアルカを照合し、損なわれていたり異常であったりする部分をリセットする。

 脳以外の全ての場所に適用できるこの魔法は、これ単体で【マギスケイオス】に席を作ることができる程度には特異なものと言えよう。

 

 これにより、アルカはノアから受けていた呪詛を体内から追い出し──。

 

「そういうのは戦いながら使うから利点があるんだって、そんなこともわからないのかい?」

 

 肉薄してきていたノアに、再度ぶっ飛ばされた。

 ……が、今度は風と水の魔法で軌道を変え、冒頭と逆、アルカが天に立つ。生徒であるはずの少年を見下ろす。

 

「……ノアくん。君はさ、多分、正しい言葉を吐いているよね」

「なに、今更」

「倫理観。外道、邪道。わかるよ。というか、私も……そっち側であろうとしている人間だから」

 

 最低限の浮遊魔法を纏い、杖を掲げ。

 

 ノア・ヘドクイストに隷属した魔力たちに──帰るべき道を知らせる。

 

「親友が間違ったことをしていたら、止めてあげるのが親友だ、って。……その言葉は、自問自答で、何度も言ったし聞いたかな」

「それでも止められなかったのなら怠慢だよ、ダヴィド先生」

「違うよ。これは傲慢。──私は、一つ飛び抜けた視座から、彼女のやることを()()()()()()だけ」

 

 干渉力では遥かに下回る。特にこの結界内だと、天地の差があるだろう。

 想像力でも下回る。あの少年の脳内が如何としているかなど、アルカにはわからない。

 構築力でさえ下回る。様々を得て、様々を犠牲しながら生きてきた……時を止めてまで生きてきたたったの132年は、齢十五の少年を超えられない。

 

 それでも、音に支配されていた魔力たちが、少しずつ彼女に集いつつあった。

 

「彼女が親友だと思ってくれている間は……そう言ってくれている間は親友でいるつもりだけど、もし彼女から突き放されたら、私は自分からその手を掴みには行けない。──遠くへ来てしまったから」

「人でなくなったから、倫理も失ったと。そう言いたいのかい、アルカ・ダヴィドウィッチ」

「そうだよ。人である君には一生分からないこと。【マギスケイオス】っていうのは元来、そういう集団なの。そうではなかった子たちはみんな……【真のマギスケイオス】とは言えない、数合わせのメンバーでしかない」

「数合わせ、ね。つまりその立ち位置の怪物が、十二人いることが大事というわけだ。──中途半端な数字を使うものだね。創設者はさては、この世に在らざりしモノと接続したんじゃないかな」

 

 嫌そうに歪む少年の顔。確かに、十二という数字は中途半端だ。

 あるいは正しさを好む彼であるから、収まりの良い数字が好きなだけかもしれないが。

 

「話が逸れたね。……それで? 人でなくなり、倫理を失い、道徳を損ねていれば、親友が外道に堕ちることさえ応援できる、と?」

「君が言う程度の外道に堕ちたところで、エレオノーラは私みたいにはならない。それはわかるから」

「道を外れることを外道と言うんだよ。そこに程度の違いなど無い。無数の命を犠牲にする人体実験や、それを実在さえ定かではなく悪霊に捧げる者と、大切な相手が死んでしまうのが悲しいからと、その時を止めて保管するという行為(無視)に、違いなんて欠片もありはしない」

 

 波紋が広がっている。

 ノアを中心とし、彼のいる地面が……沸き立つように、煮え滾るように。

 黄金色の魔力が……アルカに集いつつある魔力の何千倍もの魔力が。

 

「君は僕が正しいだけだと、最初に言ったね。その後はどう続けるつもりだったんだい。正しいけれど、心情に寄り添えていない。正しいけれど、人間を理解できていない。正しいけど、正しいだけ。概ねこの三つだとは思うけれど」

「正しいけれど、体温が無い。……確かにそう言おうとしたかも」

「そうかい。まぁ、概ね同じ意味として捉えるけれど。──そして、正しさとは初めから体温の無いものだよ。僕は自身が絶対に正しいとは言わないけれど、他者をして反しているとは突き付けよう」

「じゃあ、それでもいいよ。反している。間違っている。悪い。おかしい。外道。反論はしないよ。それでいい」

 

 一瞬、ピシ、と結界に亀裂が入る。直後、修復された。

 そちらに気を割く余裕があるということだ。

 

「私達は、その混沌の中から手を伸ばす者。間違っていてもいいから、今やりたいことをやるために、その手を伸ばす。それを誰に糾弾されても、妨害されても……それが大望へと、変貌したのならば」

「……頑固者め」

 

 やがて、両者の魔法が完成する。

 天上にてその杖を茎とし、混沌の花を咲かせる魔導士と。

 星を覆うほどに揺蕩う黄金で煌めきを湛える少年。

 

「──仮想刻印子配置完了。空間刻印励起完了。『万能(マスターキー)』セットアップ。……起動、『されど、世界に芽生えは来ない(Attamen, nulli novelli in mundo apparent)』。『最小限(シンプレクス)』がアルカ・ダヴィドウィッチが命ずる。創作刻印魔法起動、『"或いは、再会を慶べなくなったことを、告解す"』」

「──君達に名を与えよう(拡大解釈)影、光、剣、盃、燭台、長机、皿、供物(明日よりもう食べなくとも良い一人と)遠き山々、壁、格子の天井、中心の背もたれ(その言葉に惑う者達)悩み、個我を失い(最初の一人)餓え、忘我に酔い(ありふれた悲劇)別れ、淘我に叫び(嘆きを受く者達)。──そして、創作刻印か。成程成程……つまり、()()()()? ──創作刻印魔法起動、『"いつか、歩幅を合わせて歩けるようにと"』」

 

 アルカは、その驚きを目に浮かべつつ……けれど、ここで心を乱しては危ないからと己を律し、魔法を発動しきる。

 杖を媒介に作り上げた混沌の花弁。属性というものは存在しない。この世に飛来した頃の、極めて純粋な魔力の奔騰をその花弁に込めて、墜とす。

 

 対するは地上の黄金海。同じくどの属性でもない、けれど混沌ではない魔力を練り上げ、大地に植わらんとするその花を、飲み込むようにして立ち上がる。

 その姿はまさに樹木だった。涯無き天光に生ゆる樹木(アルボセン・ラディコイ・アウフォリオイ)──あれにもし全盛期というものがあるのならば、このような姿をしていたかもしれない、と。

 

 花弁……否、綿毛とでも呼ぶべきスケールの対比である。樹木と綿毛、どちらが勝ろうなどと火を見るよりも明らかであるこのマッチアップは。

 

「混沌とは即ち、彼方より飛来するモノ。──その数は、無数に達する」

 

 言葉と共に、全く同じ魔力の込められた、無数の種子が出現する。

 それらは次々にノアの大樹へと突き刺さり、その魔力を減衰させて……行かない。

 

 穿たれるよりも、弾け飛ぶよりも、生育する速度の方が高く、著しい。

 

「ああそうか、君が殺傷力の高い魔法を使わないのは、君が曲がりなりにも教師である自覚を有しているからか。教師は教え子を傷つけないと──そう認識しているからか」

「そうだよ……いくら意見が合わなくたって、私は」

「思い上がり甚だしいよ、アルカ・ダヴィドウィッチ。君は人道を外れているんだろう。君は道徳を損ねているんだろう。その自覚があって今そこに立っていると、つい、先程、聞いたはずだけど」

「……怪物は、誰かに物を教えちゃいけないの?」

「ああ、ダメだね。誰かに何かを継承するということは、その誰かを自分と同じにしてしまう……自分と同じ道を辿らせてしまう可能性を許容するということでもある。教え子を化け物にしてしまわないように、せめてその時だけは、……他者を教え導く時分にある時だけは、人に戻らなくてはならない」

 

 両者が想起する過去は、あるいは、食い違っているのかもしれないし、噛み合う場所もあるのかもしれないけれど。

 その過去を、どう受け止めているか、は。

 

「今一度問おう、アルカ・ダヴィドウィッチ。今の君は何者だ。何者のつもりで僕と対峙している。肩書はどうでもいいから、君の自認を教えてほしい」

「……今の私は、じゃあ、やっぱり……化け物、かも」

「そうかい。その君が使う魔法は、これで合っているのかな」

「……そうだね。親友を。……私の人生を救ってくれた大事な友達を……たとえどうなったとしても、必ず深い悲しみに包まれる結果にしか続いていかないような道に蹴落とした化け物は……君みたいな障害に、容赦をするわけがなかった。……ごめんね。あ、これは、もう一人の友人に向けた謝罪だから」

 

 ようやく……アルカは、その表情を崩した。

 泣きそうに。笑っていなければならないと、歪み切ったその顔で。

 

 魔力を、走らせる。

 

「──っ」

 

 ノア・ヘドクイストの身体が停止する。呪詛による金縛りではない。周囲の空間ごと停止させられているわけでもない。

 ただ、停止した。黄金の大樹が雲散霧消する。同じく、混沌の綿毛もまた消えてなくなる。

 

 空を走る魔力の線は、地上に、美しき円環を描いていく。無数の幾何学模様。無数の古代魔族語。

 残すために刻まれた文字のように堅牢で、揺らめきの一切を発さない色。緑色の、魔法陣。

 

「君は……もしかしたら、君なら、いつかは辿り着けたのかもしれない。……これは、私の慕う、『教授』と呼ばれる人物が作り出した、世界という混沌に浸された(たかどの)に対して出した、一つのアンサー。その回答を……自分で再現できるようにと、()()()()()()()を見に行ってまで、研究したもの」

 

 今までの非殺傷的な魔法とは違う。

 これは、徹底的に余分を排除した──対象を殺すための魔法。

 

 まるでこの世界の法則が全て書き出されているかのような、人智を遥かに超えていく"魔法"。

 この世で生き足掻いたアルカ・ダヴィドウィッチの持てる全てで再現した、不死(しなず)ではなく不行(ゆかず)を徹底した構造。

 彼女という小さな宇宙の組み上げる、世界の真相の一つ。

 

「──くだらない」

「あれ、どうして喋れるの。……おかしいな、もう……動くことなんて」

「君の慕う相手がどんな奴だったか知らないけどさ。つまり怪物の技術だ。化け物の魔法だ。人智を超えていることがさも素晴らしいかのような語り口だけど、僕はそうは思わない。人の世に生きるのなら、人の域に収まってこその崇高だ。そうだろう」

「……それは、どうだろう。私を否定したのはわかるけどさ。こんなものまで作ってしまった『教授』は……でも、誰よりも人だったから、これは人の手に収まる魔法だと思うよ」

「そうかい。じゃあ、その人は、教師としての才能が無かったんだろうね。余程才能の無い教授だったんだ」

「幼稚な罵倒の矛先を『教授』に変えたところで、もう、響かないかな。君の言う通り、私は化け物だったみたいだから……怒れない」

「その人に教えられた教え子が、君みたいなやつに育つはずが無いんだよ。人は人を教え導くもの。誰にも教えられぬ彷徨う子だけが時折足を踏み外し、化け物へと落ちていくけれど……一度でも()がそれを君に授けたというのなら、君は、それを見失うべきではなかった。今の君は大望に向かって邁進しているんじゃなく、独り歩きした大望に引き摺られて止まれないでいる肉袋でしかない」

 

 ぱき……という音と共に。

 ノアの身体が……結晶化していく。

 

 析出した魔力結晶体は瞬く間に全身に手を伸ばし、その身を覆い、肉も骨も血も、何もかもを魔力の結晶へと変換していく。

 

 それでも、爛と、ノアの目はアルカをねめつける。

 

「……!」

「くだらないと、何度だって言ってあげるさ」

「そんな……肉体を、心臓も肺も……喉すら失いつつある人間が、喋れるわけが」

「魔声という魔法だよ。意思を声に変換する魔法。無知だね、アルカ・ダヴィドウィッチ」

「……魔力を汲み出す腎臓も……もう、無いのに?」

「この世に音がある限り、僕はそれを操って、違う音を響かせ続けられる。──そして、それができるのならば」

 

 口元を、いいや、目の下あたりまでを結晶化したその魔法は。

 あと一歩のところで、止まる。その先にいかない。

 

 どころか──結晶を食らうようにして、肉体を構成するものが再構成されていく。

 

「う……うそ……」

「──どうしてこの世界は、磁力を魔力に代替したのか。磁力の一体何が気に入らなかったのか。これについては、世界なるものに真相を聞いてみないことには、本当のことはわからないけれど」

 

 生命活動などとっくに終えているはずのモノが。

 当然に地続きであるかのような顔と声で、話をし続ける。

 内容など入ってこない。来るわけがない。

 

「魔力自体の研究をしていくうちに、一つの可能性に思い至ったんだ。──それがつまり、不可逆性。魔力はすべてのケースにおいて可逆であるから、という根拠でしかないから、薄いのは重々承知だけどね」

 

 腕が構築される。胴が構築される。

 違う──これは、戻っているだけだ。血液も神経も皮膚も体毛も、果ては衣服までもが、魔法にかかる前に戻っていく。

 

「世界というものにもし意思があるのなら──弱かったんだろう。強くてまっすぐなエレンと同じくらい、弱かった」

「弱い……」

「失うことが。変わってしまうということが……耐えられなかったから、代えた。たとえどうなったとしても元に戻せるモノに。……けれどあるいは、それが、自らの手による大切なモノの殺害であると、後から気付いたのかもしれない」

 

 そうして生還した。

 彼が天使や竜を的確に殺すために編みだした魔法から──無傷で。

 

「第二ラウンドと行こうよ、アルカ・ダヴィドウィッチ。──呆ける理由は無いだろう。君が根っこから化け物だったというのなら、曲がりなりにも生徒であった僕とて怪物さ。──そして、僕が人であるのならば、君もまた人に戻れる。その気が無くとも()()()()()()()

 

 アルカは、今、生唾を飲み込んで、ようやく思い至った。

 彼女こそが──この大いなるものを、討伐しにきた挑戦者(チャレンジャー)なのかもしれない、と。

 そして……こちらには気付けなかったけれど。

 彼女はもう、その時点で、怪物とは決して──。

 

***

 

 ……という、世界の終わりも真っ青な戦いを背景にして。

 

「姉さん。兄さんを……今すぐに、出してください」

「それは、できませんわ。今出せば……エステルトが死んでしまう」

「僕が治癒魔法をかけてもいい。その上で、兄さんの意思を聞きたい」

「……」

「前に話してくれたことを覚えています。姉さんのその魔法に入っているモノは、時が停止すると。……なら、兄さんは紫輝歴684年のまま、ずっと止められている。そうですよね」

「……そうですわ」

「つまり、あの頃の兄さんと何も変わらない考え方をしている、ということでしょう。──兄さんに、己の時を止めてまで……姉さんにそれをさせてまで生きたいかどうか、聞きます」

「その聴き方では、首を振るに決まっているではありませんか。あの子は……優しいですから」

「優しいから、人類が滅亡してしまわないようにと類稀なる力を持つ……人族と魔族間のパワーバランスを崩しかねない者を殺して回った。それによって己が報いを受けることもわかっていて。……姉さんは、兄さんのその決意を、踏みにじるのですか」

「報いなど、受けさせたいわけがないでしょう? エステルトは……頑張ったのです。頑張ったのなら、報われるべきですわ。人族も魔族も関係のないところで……私と、あなたと、密やかに生きて……それでいいではないですか」

 

 姉弟が、ぶつかり合う。

 

「つまり、報いを受けるべきだと主張する兄さんの意見を全て封殺し、生きるべきだと説得し、その在り方さえも否定する、ということですか」

「なら、あなたは、エステルトが死ぬべきだと……そう言うんですの?」

「はい、言います」

「……どうして。あなただって……あの子を愛しているでしょう」

「ならば姉さんは、僕が病で倒れても、事故に遭っても、あるいは天寿に導かれても……同じことをするのですか。愛しているからと……僕を愛しているから、僕ともっと一緒にいたいから、僕に眠りを与えずに、いつかなんとかできる人が現れるまで待って……保管してしまうと言うのですか?」

 

 エレンの瞳が微かに揺れる。

 

「……僕の寿命は、恐らくあと十年か、二十年くらいで来ます。僕はそれを覚悟しているし、残る命の全てを使い、姉さんを守れる弟になりたいと思っています。姉さんを一人置いていってしまうことを心苦しく思いながら、できるだけ、姉さんの思い出す僕の記憶が……良きものになるように、なってくれるようにと……心に刻んで生きています」

 

 ドレン・マイズライトは、単なるハーフ魔族だ。

 魔族としての特徴など、その長い寿命以外には現れていない。

 

「この想いも無視して、僕を『収蔵』しますか、姉さん」

「……ええ、しますわ。今からでも……あなたの老いを『収蔵』しましょう。あと……二十年もいられないなんて、受け入れ難いですの」

「姉さんにとって……僕たち弟は、部品(パーツ)でしかなかったのですか?」

 

 悲しそうに。

 ドレンは言葉を紡ぐ。

 

「どういう意味ですの、それは」

「だってそうでしょう。悲しむのが怖いから、僕らを冷たい棺桶の中に、生きている内から押し込んで……愛する弟という人間関係の部品を失くさないように失くさないようにと……愛でているだけだ。そこに僕の意思も兄さんに意思も介在しない。姉さんにとっては考慮の対象にならない」

「そんなわけがないでしょう。私はあなたたちのことを心から愛して──」

「なら……僕らにも、姉さんを愛し返す隙を与えてほしい」

 

 息を呑むは、エレン。

 その言葉は──大昔、彼女と弟の「大喧嘩」の際、弟より告げられた言葉と、同じだったから。

 

「そういう魔法を使うから、ですかね。……姉さんの愛は、詰め込みすぎていると感じます。……でも、だから、姉さんはそれを抱えて……落とさないようにすることに必死で、僕たちの姿が見えていません」

「家族の……幸せを願うことさえ、私の手に余ると……そう言うのですか?」

「僕も姉さんと共に兄さんを偲びたいと、そう言いました」

「だから……偲ぶ必要などありませんのよ。今は死の際にあるエステルトも、いずれ、元気になれば……」

「もし……姉さんの言う通りの医者や治癒術師が見つかったとして、兄さんが助かったとして」

 

 そうなったとしても。

 

「兄さんは、自死を選ぶと思います。たとえ姉さんが……ともに生きていこうと手を差し伸べても、苦しい顔をして、悲しい顔をして……その手を振り払って。……そんな未来(こと)も、見えなくなってしまったのですか、姉さん。いいや。……兄さんが何を言うかくらい、わかっているから……そういう顔をしているんですよね」

 

 下唇を噛んで。

 その目を、潤ませて。

 ノアをして心底強いと言わしめた女性は──。

 

「──思うに。エステルト()()の最後の言葉は、エレンさんに再会できたことの喜びと……ストックしていた治癒力を使用しようとするエレンさんへ向けた、"もう眠らせてほしい"という言葉だったんじゃないかな」

 

 どさ、と。

 ドレンの横に降り立つは……襤褸布のようになったアルカを──ボロボロなのはあくまで衣服だけであるようだが──抱えた、ノア・ヘドクイスト。

 アルカ・ダヴィドウィッチは気絶しているらしかった。

 

「僕の魔法は効率の良さという一点で刻印魔法に大きなアドバンテージがあるからね。魔力切れで浮遊魔法を保てなくなっての自滅っていう呆気ない終わり方だったよ」

「……ノア・ヘドクイスト。……いえ、ノア・ノードワッドと……そう呼ぶべきでしょうか」

「ありゃ、ダヴィド先生のことは無視か。……ま、どっちでもいいよ。僕は別にギム爺さん本人じゃあないしね」

 

 それで、と。

 

「どうかな、マイズライト理事長。今のは正鵠を射ていたんじゃないかな」

「……」

「それもこれも、今エステルトさんが出されたらわかるか。……ギム爺さんに代わってツケ代を徴収しないといけないから、出してくれると助かるかな」

「出しませんわよ。……何を言われたって、私は」

「そうかい。なら──こじ開けよう」

 

 歌が紡がれ始める。

 その意図を察して咄嗟に耳を塞ぐエレン。

 

「君に任せることは……それこそ外道かな」

「いいえ。これは僕が負うべき咎でしょう。──ほら、姉さん。耳を塞いで……こんなところに閉じこもっていないで」

 

 ドレンがエレンに近付いて。

 優しく、その手を包んで……剥がしていく。

 

「僕と一緒に泣いて、僕と一緒に悔やんで、僕と一緒に……前に進みましょう」

「……ノア・ヘドクイスト。あなたの暗示は……本当はやりたくないことは、させられないと……前に、そう仰っていたでしょう」

「そう。その通りだ。──つまり、君も分かったんだね。……本心では、何よりも自分が……自分を、許せていなかった」

「……後ろの戦い。少しだけ聞こえていましたけれど……アルカは怪物などではありませんわ」

「そうだね。こんなおっちょこちょいの怪物がいるとは思えない。彼女が人なら、僕も、彼女を教え子にしていた人物も、やはり人なのだろう」

「ノアくん。君から見て……姉さんと兄さんは、人かな」

「確実に人だね。そしてそれは君もそう。君達三姉弟はあまりにも面倒臭い……典型的な人間だよ」

 

 言葉が拒めども。

 感情が否定しても。

 

 暗示催眠による魔法の行使は……止まらない。

 

 やがて。

 彼は、取り出された。

 

 全身に酷い傷を負っている。否、致命傷だろうものが幾つもある──第二十二代魔王、エステルト・"ヴァーン"・マイズライト。

 

「ああ……意識が朦朧と……しているようだ。……ここは、城ではないね。……けれど……その顔を見るに。……思いとどまって……くれたんだね、姉さん」

「……私は」

「……兄さん。久しぶりだね。……再会と離別が同時なのは、少し寂しいけれど」

「ドレン……? ……ああ、そうか。……立派になったんだね」

 

 彼は……深く、深く、呼吸をして。

 

「……、……。……ようやく……長い夢が終わり。……この世で最も愛する家族二人に看取られる、だなんて……行いに対して、あまりにも幸福な報酬を貰って……ようやく、長い、眠りに就くことができる」

「エステルト……」

「僕という存在に……石碑(いしぶみ)は不要だけれど。……二人とも、僕の死を……ちゃんと悲しんで、ちゃんと……また、立ち上がると……約束してくれるかい」

「はい。必ず。……おやすみなさい、兄さん」

「……」

「……姉さんは、もう少し……時間が必要そうだから。ちゃんと支えてや……て……」

 

 力無い笑みはやがて色を失う。

 全身から、生気のすべてが、抜け出でていく。

 

「頼むよ、我が、最愛の──」

 

 言葉はそこで途切れた。

 上下していた肩はその波を終え。

 

 今一つの霊魂が、星の尾を辿って劫白の国へと還る。

 されど暗いばかりだったはずのその道程は、愛によって、辛うじて足元が見える程度には、照らし出されることだろう。

 

 彼の亡骸を抱き、はらはらと涙を零すエレン。けれど、その涙を拭うことはしない。

 ともに。同じになって。家族として。

 ドレンもまた……兄の死に、涙を流す。

 

 声をかけるべきではない。少年はそう悟って、伸びているアルカを再度担ぎ上げ──その場を去ろうとする。

 

「待ちなさい。……ノア・ヘドクイスト」

 

 声がかかった。悲しいはずの……他の何にも意識を向けたくないはずの彼女から。

 それに対し、ノアは振り向くことをしない。

 

「礼など言いません。いえ……どころか、私は……あなたを恨むかもしれない。逆恨みをするかもしれません」

「かもね。そして、恨めばいいと思うよ。実質的にエステルトさんを殺したのは僕だって……認識をすり替えたって良い。逆恨みなんかじゃない。君は真っ当に僕を恨む権利がある。この首に手を掛ける権利がある。復讐(そういうの)は否定しないよ、僕」

「因果を、教えてください。……あなたにどんな因があり、これを為したのか。ギム・ノードワッドの血縁である、ということは……これほどまでの大立ち回りをする理由には……ならないでしょう。……ともすれば、退学もあり得ます。私に刃を向けるとは、アルカに杖を向けるとは。……そういうことです。いえ……退学だけではなく、死の可能性すらあった。アルカがどんな魔法を使ったのかなど見ていませんけれど……とてつもない魔力が動いていた。それを」

「今は悲しむことに集中しなよ。……悲しみって、案外中々味わえないんだよ。悲しい話や悲しい歌を聴いて、悲しい気がすることはできるけど……本心から悲しいと思うのは、己の愛情を知覚することと同じくらい貴重なことだ。そして、僕の行動が気になって悲しみに集中できないというのなら」

 

 決して振り返ることなく。

 

「究極僕は、僕のためならなんだってやる。その"僕のためになること"の中には、僕と同じ境遇の存在を増やさない、というものがある。僕は僕という亡霊(人魂)を灯りだと勘違いしてやってきた生き物たちに、この身が触れることの能わない影法師であるということを知らしめてやる必要がある」

「……よく、わかりませんわ」

「わかる必要はないよ。これはただ、僕という存在が人の範疇で在り続けるために有している生命規範(ライフルール)というだけ。そして……これに反することは、退学よりも、自らの死よりも、関係性の悪化よりも恐ろしいものなんだ。僕がもし、このルールを無視して生き始めたら、その時になってようやく──」

 

 エレンは。あるいは、努めて話を聞かないようにしていたドレンまでもが──それを幻視する。

 壮年の男性。身に纏う衣服はどの国・どの時代とも似つかないもので、色の抜けた白く長い髪を後ろで一括りにしている。五十か、六十か、多分それくらいの男性は……何かの前で立ち尽くし、その何かへと手を翳し。

 己でそれを掴んで止めて、その肉体を砂のように崩して──。

 

「絶対に叶うことのない再会を、僕は願ってしまうのだろう」

 

 その全てが──風の向こうに消えていく。

 いつの間にか解かれていた結界は、ゼルパパムの、少し塩辛い風を空へと巻き上げて。

 

 その時にはもう、少年の姿は、どこにもなかった。

 それは消えたというわけではなく。

 

「……姉さん。兄さんの遺体は……焼いて、魔王国に埋めましょう。……人族の国は、兄さんには息苦しいだろうから」

「そう……ですわね。……それを終えたら……帰りましょうか、二人で」

「うん。……アンキアさんの墓前にも、ちゃんと報告しないとですね」

「あら……あなた、彼と面識がありましたの?」

「無いですけど、遠くにいるっていう友達のことは……兄さん、よく語っていましたから」

「そうですのね。……。もっと早くに眠らせてあげられなかった私を……エステルトは、どう思っていたのでしょうか」

「僕は兄さんじゃないから、わかりません。けど……恨んではなかったと思います。それと、怒っていたかも」

「……」

「だって……その魔法。他人の死を……その直前をストックする、っていうことは」

「当然負債は、私にかかりますわ。……ああ、なら、そうですわね。それを背負わせると理解していたのなら……エステルトにもし意識があったとしたら……ずっと、良い顔をしていなかったでしょう」

 

 冷たくなったその遺体を。

 エレンは、『収蔵』する。

 

「……なんですの? まさか死体を運ぶのも手を使わないと温かみが無い、とか……そういうことを言うつもりじゃ」

「そうじゃなくて。……もういいとは、思えないんです。姉さんは今……無理に明るくしようとしていると思って」

「ええ、そうですわよ。私がそう簡単に吹っ切れられるわけがないでしょう。……泣き言も、悔悟も、愛情も。……これから先、全てを吐き出しますから……受け止めてくださいね、ドレン」

「うん。僕が守りますよ、姉さん」

 

 紫輝歴780年緋の月32日。

 エステルト・"ヴァーン"・マイズライト──ここに永眠す。

 

 そして、あなたの功罪を共に認め、あなたの席はあなただけのものになることをここに明記します。

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