序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい 作:ブ雨堰ド
草履が地面を擦る音が聞こえる。音は六つ。
涅月は空で暗く輝いているけれど、その光が地表に届くことはほとんどない。上空に滞留する魔力乱層がその明かりを遮っているから、他国よりもさらに届かない。
足音たちは急いでいるのか、時折つんのめるような音が混じっては規則正しい音に戻る。
暗い夜道。行燈もつけずにどこへゆく。
その答えは、案外近くにあった。
「よぅ、やってるかい?」
「ああ、お侍の兄さんら。やっているよ、今日も飲んでいくかい?」
「そりゃもちろんだが、まずは飯さ! 腹が減って減って仕方ねえからな!」
──食事処『
少し前にできた飯処でありながら、既に人々の胃袋を掴んでやまない、どこか懐かしい味付けの料理を多数出す店。
足音の主たち……城の務めの鬼侍たちは、深夜、仕事終わりにここへ来るのが日課となっていた。
「大将、焼き魚定食三つと、お漬モンは……柴漬けを頼むよ!」
「俺は焼き魚定食二つ、衣揚げ定食一つ……いや二つで!」
「お前ら夜中だってのによく食べるなぁ。ああ俺はざるそば五層で」
「はいよー。ああ、そうだ、お侍さんら。これは後で、酒のつまみでいいんだけどな、新しい料理を作ったんで、味見と値踏みをお願いするよ。今回はタダにしておくからさ」
「どんと来いさ! 鬼の胃袋は米俵だって呑み込めるんだ、任せておけ!」
「今から涎が止まらねえなぁ!」
鬼。あるいは他国ではオーガと呼ばれる種族の青年たち。
注文から爆速で作り上げられた定食が彼らの前に運ばれてくる。
焼き魚定食──葦三方海で取れた脂の乗った明花鮭を強火で焼いて、おろし白辛根を添えた、素朴ながら素材の味がこれでもかと乗った定食。この店独自の配合の味噌を使った味噌汁と、どう炊いたらこれほど甘みが増すのかわからない白米。柴漬けというこの店でしか食べられない酸味の効いた付け合わせと一緒に食べれば、箸が止まることを忘れてしまう。体力自然回復量50%Up。
衣揚げ定食──葦三方有数の養鶏牧場から仕入れた
ざるそば──葦三方伝統の打ち方で打たれたそばを、酸味と旨味の配合されためんつゆでいただく一品。器用さ25%Up。
すべての感想は美味いに帰結するが、食べ終わったあとの体調の良くなり方、そして調子の良さもまたこの店の魅力の一つ。
彼らは日々の疲れを大量の飯で癒し──そして。
「ほいじゃあ焼酎と、さっき言ってた新しい料理のとん平焼きだ。好きに食って好きに値段を言ってくれ」
「まぁってましたァ!」
「あー、良い……この充足感の後に入れる酒が最高に良い……」
「魚醤と……卵系統の匂いだな。どれひと口……」
とん平焼き──防御力30%Up。
美味いの三重奏が響き渡る。
今日も食事処『鳴子雀』は大繁盛である。
***
ということで、ゼルパパムからさらに北へぐーんと行った国、アスミカタ帝国へ。この国での表記は葦三方国だ。
漢字……では、実は無いんだけど、対応する字が多いのでこれでいいと思う。
日本というか、ステレオタイプ且つパブリックイメージな日本って感じかな。鬼族を名乗るオーガたち侍と、人族で構成された魔法使い集団もとい忍者が殺し合ったりなんだりしている国。鎖国とかはしていないし、普通に外国との交流もあるんだけど、基本カタカナ語は使われない感じだった。
緯度的にルヴグ村? ……であってるっけ? と同じくらいの位置にあるのだけど、鬼族は基本体温が高いらしく着流しであることも珍しくない。人間はそうじゃないはずなんだけど忍者は耐寒修行をしているから大丈夫らしい。なんじゃそりゃ。
俺からしても肌寒いナーくらいの気温感だけど、もこもこ防寒具ってやつは一人も見かけてないかな。これくらいじゃ寒いって言わないよ、みたいな国だ。
で、ここでやるのは料理「──ですよね?」である。
……マー、なんだ。モーガンの時の……俺の料理を美味い美味いと食ってくれる少年少女ら。
嬉しかったんだな、あれ。料理の時も、医者の時も、俺の夢の副産物でお礼を言われるのが、笑顔を見るのが。いやまぁそれはそれとして大望のためなら気軽に失踪するんだけど。
今回もそんな感じで組み立てている。ワンパターンなのは仕方ない。そういう夢だし。
鬼族ばっかりの侍の領地で顔と名前を売って、忍者の領地で新しく始めて「──ですよね?」が目指すべきところだ。
ただ……ちょっち、侍と忍者の仲が悪すぎるから、どうするべきかなとは思ってる。露見して「──ですよね?」じゃなく「さては間者か!」で即首斬! になりかねない仲の悪さだ。
戦闘系はもうお腹いっぱいなので、まだ名前を決めていない大将の肉体はそこまで強く作っていない。この国の手練れがどのレベルかはわからないけど、前回の……ダ……ダル……ダルビ、じゃない、えーと。……ダル……ダルメシアン? の
それはあんまし面白くない。ので、立ち回りは重要だなーって感じ。
さて、そんな裏事情は措いて擱いて、今回やることである。
……いやね、最初は「新感覚全味覚対応ゼリー」とか作ったんだよ。ゼリー自体は無味に近いグレープフルーツっぽい味の透明なゼリーなんだけど、中に刻まれた刻印が食事を行う対象者の味覚を判別し、自動で「その人が最もおいしいと感じる味」に変化するゼリー、とか。
あとは「報酬系直接刺激ゼリー」も一応作った。ゼリーは上記のそれで、中身が味覚じゃなく脳の報酬系を直接刺激するもので、「味はなんと表現したらいいかわからないけど食べると幸せな気持ちになる」、みたいな感想になるやつとかね。
でもまぁ、違うじゃん。料理ってそうじゃないじゃん。
オンリーワンを目指すより、ナンバーワンを目指すべきなんだよな。世界にたくさんある花。
もちろんオンリーワン要素も入れている。梅や紫蘇といったクエン酸・リンゴ酸系の味だ。世界全土を見渡してもないっぽいので、ゼルパパムからも離れているここなら見つかっていない味があってもいいじゃろがい、ってことで採用した。年代も少し前めにしたからそこまで問題にはならないはず。
料理の腕は腕で勝負をして、オンリーワンもあって。……そしてもう一つ、なんか特別なことほしいな、と思ったので。
主にファンタジーゲームにありがちな、料理を食べると追加効果がある、みたいなのを再現してみることにした。
最初は刻印魔法を使って体内にある間刻印が作用し続ける、みたいな方向性も考えたんだけど、侍は基本身体能力強化系の魔力を、忍者は忍術(魔法)系の魔力を使う。残念ながら両対応はできないし、魔力反応のある食べ物に拒否反応や拒絶感を示すことがあるかもしれない。だからやめた。
手がかりゼロの状態からなにかを、ってのでも良かったんだけど、今までの観察結果を色々思い出してみて、あるアプローチを思いついた。
それはレスベンスト冒険隊に漁師飯を振る舞っていた時のことだ。
幾つかの食材や調味料、香辛料を食べた冒険隊の魔力の質が、凪いだり跳ねたり、波打ったり……そういう反応をすることがあったのだ。……まぁあの頃からレベッカの体内になんかがいた可能性はあるけど、全員ってことはないだろうし、あんなのがいたら気付くし。
とりあえずあの頃作っていた料理を自分で食べて魔力の質の変化を確認し、そこから効果や効能を集中させ、いくつかのパターンを見極める。
血行促進や呼吸器系の改善といった滋養強壮的なものをさらに収斂させ、攻撃力Upと呼べるものやそれらの良し悪しを比較し、パーセンテージも考え、新しい食材に手を出し、それらの究極を……と練り上げる。また、これら食材を使って尚美味を追求し、「効果は高いけど不味い」みたいなものは使わないか、それを伸ばして美味しい方向を新たに作り上げる。
メニューは和食中心だけど、洋食も混ぜる。「日本で発達した洋食」は舌にも合うやろ理論。だから戦後あたりのブリヌイとかオム系の料理も採用。元から卵料理はあったからそこに乗っかった感じだな。
さらに居酒屋メニューとして関西系の粉モンも入れて、漁師飯も入れる。効果の無いただ美味しいだけの料理もメニュー……もといお品書きに書けば完成。
食事処『
今回はそこそこやるつもりでもいる。期間の話な。前回半年で誘拐されちゃったから。
本当は蘇……あるいはチーズも行きたいんだけど、食べる文化があんまりないみたいなので断念。牛乳……というかカゼインアレルギーもそこそこいるっぽいからワースということで。
また。厨房は俺だけのつもりだけど、配膳の従業員も雇った。
アルカやカノンほど距離の近くない従業員だけど、長く勤めてくれたら料理も教える予定。
それと、賄いも出すから……結構条件良いと思うよ、ウチ。住み込みでもいいように寮という名の長屋も作ったし。
「大将、昼間だけどやってるかい?」
「おお、やってるよ。珍しいね」
思考を中断する。暖簾をくぐって入ってきたのは、常連さんの一人。ガツガツ食べる若い衆に「若いなァ」とか言いながらざるそば食べてるちょっと上司っぽい兄さん。……と、編み笠を被った……女性だな。纏っている着物や腰に佩いている刀の鍔で基本は身分がわかるんだけど、身分を示すものが何も無いな。
……やんごとなき、か? 兄さんがエスコートしているところ含めてそうっぽいな。
「今他に客はいないからね。好きなとこに座ってくんな」
言われ、奥の方の仕切りのある席に座る二人。確定だな。
これは売名チャンスだ。けど、あくまで普通の客に接するように、だな。
***
二人が席に座る。
編み笠の間から零れるは、青緑色の髪。
葦三方における"姫巫女"。その一族を表す髪色だ。
「ね、良い雰囲気の店だって言いやしたでしょう?」
「ああ……政治の気配が無いし、店主の人柄も良い。……確かに穴場だな。このあたりは……毒蛙が多い。面倒に思う者も多いだろう」
「俺達もそうだと思って、せめてもの礼にこの辺の毒蛙の駆除をやってますよ。無償でそれをやってもいいくらいの味だ」
「ほう……そなたは金にうるさかった覚えがあるが、そのようなこともあるのだな」
「俺が地主ならなりふり構わずこの店を買いますね。それくらいの価値がある」
それなりに親しい間柄にあるのだろう、二人の談笑がしばらく続き、男の方がさて、と前置きをして、机に立てられている小さなお品書きを取った。
「何か食べたいもの、ありますかい?」
「そなたの選択に委ねるが、そなたらほどは食べないということを忘れないでくれ。それと、この店でしか食えぬ品があれば、それも頼みたい」
「この店の料理の半分はこの店でしか食べられないものですから迷いますが……じゃあ、焼き魚定食と山菜天ぷら定食、似荏巻き、貝焼き味噌で行きましょうか」
「大丈夫か? そなた、足りぬのではないか?」
「こういう時くらい合わせますって」
「そうか……では、そうしてくれ」
鬼族の一日の食事量を考えれば、一食で定食五つくらいが丁度いい量になる。この男はそれよりは少なくて問題ないようだが、それでも定食二つとおかず二つでは足りないはずだ。
けれどここは付き合いを優先した。そういうことだろう。
さて、従業員が呼ばれ、注文を受ける。実を言うと大将は全ての会話が耳に入っているのだが、そんなことを言えばここを使う客が減る。だから言わなかった。
言わずに注文を受け取り、とんでもない早さで調理を始める大将。本来使える魔法を使わないのはここが侍の領地だからだ。忍術(魔法)を見せるのはよろしくない。そのため、爆速と言っても時間をかけざるを得ない部分にはしっかり時間をかけての調理。
「お待たせいたしました。焼き魚定食、山菜天ぷら定食、似荏巻き、貝焼き味噌。それぞれ二つずつですね」
「おお……」
「来た来た!」
「それと、こちら定食のお漬物は柴漬けになっております。お口に合わないようでしたら別のものに替えることもできますので、お気軽にお申し付けください」
二人の前に置かれていく料理たち。その中で、女性がそれを見て「む」と口を尖らせた。……が、とりあえず配膳が終わるまでは黙っていて、従業員が出ていってからくちを開く。
器を取るは、先程言われた柴漬けという漬物。
「初めて見る色だ……。禍々しくさえあるな」
「茄子ときゅうり、
「そうか。……いや、そなたの言を信じよう。怖がっていては菖蒲の名が泣くだろうしな」
「食の好みくらい許してくれそうなもんですがね……。でも本当に美味しさは保証するので、ささ、ぜひぜひ」
他の料理の合間と言われても、どうしても恐れが勝ったのか、柴漬けを箸で少しだけ抓んで、ゆっくりと口に運ぶ。
一瞬酸味に顔を顰めたかに思われた女性……だったが。
「成程……これは米が進むな」
「でしょう? さ、他の料理もどうぞどうぞ。他の店とは違う……なんていうのか、肉体に染み入ってくるような味なんですよ。食べた後は調子が良くなるくらいで」
「ふむ。ふむふむ。ふむふむふむ。……これは。成程これは美味い。……これは美味いな」
「でしょうでしょう!」
小食なのやもしれないが、それでも鬼族。本当に箸が止まらないとばかりに食事を進めていく女性。
段々雑談の数も減って、もくもくと、もぐもぐと食べ進めていく。
「美味い……いや本当に美味いな。あとで似荏というものを見せてもらえたりしないだろうか。これは……姉様たちも気に入るだろう」
「おお、それはそれは。……これは菖蒲家の皆さんには関係のないことやもしれませんが、値段もね、かなりお安いので」
「そうなのか? これほどの料理だ、そこそこはするものだと思っていたが」
「大衆食堂くらいの金しか取られませんね。もっと出すと言っても聞かないので、だからせめて周辺の害獣駆除やってんですよ」
「ああ……これはそうするのも頷ける。触れを出してもいいくらいだが、騒がしくなることは望まぬだろうし、他の家の者が近付き難くなってしまうのも問題か。……おお、こちらの天ぷらも、美味いな。この塩は……藻塩か?」
「ええ、葦三方海の藻塩って聞きましたよ。
うんうんと頷きながら天ぷらに手を出し、味噌汁を啜り、漬物を挟む。既に柴漬けへの恐れなど無くなっている。
女性はそのまま、これまた初めてみるらしい白和えにも箸を伸ばしたが、そこに恐れは無かった。
この分なら大丈夫そうだな、と、ようやく男性も料理に手を着ける。これだけ放置しても食事が冷めないことも、ここの店の良さの一つだろう。
……なお、食べる速度は女性の1.3倍ほどである。
「似荏巻き、と言っていたか。この緑色のものは」
「へい。まぁ今更怖いもないと思いますが、って、ああ」
「美味い。……これが似荏なのか? あの禍々しい色ではないようだが……」
「塩漬けにすると変わるんですかね? 茄子は白だし、きゅうりは緑だし、蕃椒も緑、ですもんね? ああいう赤っぽい、紫っぽい色は他じゃ出せませんよね」
「だと思うが……聞く……のは、どうなのだ。こういう……市井の店にはあまり来ないから作法がわからぬ……。私が聞いてしまっては……本来秘密にしたいことまで話させてしまわないか?」
「あー。……そりゃ考えたことなかったな。俺達も遠慮なく聞いちゃいたが、そういうこともあるのか」
「姫巫女も侍も、町人にとっては逆らえぬ存在だ。そういう気遣いは必要だろう」
葦三方において侍はそこまで位が高いわけではないが、町人よりは高い。
これほどの美味を提供する店主を相手に、権力を振り翳したいとは思えなかった。
「失礼します、大将からお客様へ、平時より当店へ来ていただいていることへのお礼の品があるのですが、よろしいでしょうか」
「お、どうぞどうぞ。ありがたい。いつもいつも一品無料にしてもらって、申し訳なさも勝ってくるが……」
「大将曰く、あれじゃあ一品足りないだろうから、と。お連れ様にはこちら、黒糖羊羹になります」
配膳されるは──ざるそば一層。男の目の色が変わる。
毎日のように食べている通り、蕎麦には目がないのだ。
女性の方へ出された漆黒の直方体は、柴漬けとはまた違った威圧感を醸し出している。
「いや……参った。見抜かれてますね……」
「蕎麦か。確かに前私と食べた時も、そなたは蕎麦を食べていたな」
「ええ、どこでも。それじゃあ、失礼して」
「これは……甘い匂いがするな。羊羹と言っていたから羊羹なのだろうが、いつもの羊羹はもう少し明るい色だし、確か抹茶を練り込んだものもあったか」
「こくとうってのはなんでしょうね。すみません、俺も全ての品を知っているわけじゃないんで」
「まぁ、味の尖ったものは早々出さないだろう。食べてみるか」
柴漬けの時よりは軽快な手つきで菓子切を手に取り、丁寧に切り分けられたそれを口へ運ぶ。
驚きがあった。
「甘い……基本の味は羊羹と同じだが、甘みが強いな。微かな苦みが……ほう、これは、これは」
「ううむ、やっぱり蕎麦が無けりゃあ始まらない。……ううむ、ううむ」
「蕎麦か。今度蕎麦の美味い店も紹介してくれ。そなたの食べっぷりを見ていると、食べたくなる」
「ここは蕎麦も美味いですよ。普通に指折りですね」
「そうなのか……。おお、それと、成程確かに調子が良いような感じがあるな。……いや、練気の……速度が、明らかに良いぞ? なんだ……これは、兵糧よりも効果の高い……」
「すみませんが、店内であんまり気を使うのは……」
「あ、ああ。そうだな。その通りだ。礼を欠くところだった」
羊羹を食べ終えたあとも、自身の手を見ながら体内の変化を確認する女性。
明らかに調子が良かった。気──他国では魔力と呼ばれているもの──の、肉体への浸透率や体内だけでできることを検証し、驚きを露にする。
やがて男性が食べ終わり。
「満足感が高いな……。これならまた何度か来たい。いやしかし、一人で来るのは……この店が危ないか?」
「そう……ですね。そこは……気を遣った方が良いと思いやすね。従業員にゃいくらか戦えるやつがいるようですが、大将は刀を握った形跡が無い。……まぁ包丁捌きは相当ですが」
「いや、参考になるよ。先も言ったが、市井の店での作法はわからぬところが多い」
「でしょうねえ。それじゃあ俺が会計しておきますんで」
「ああ……いや、似荏についてを……やはり聞きたい」
「承知しやした。んじゃ会計のあとで」
「ああ」
二人が席を立つと、……やはり他に客はいない。誰も来ていないらしかった。
「ここの店は、もう少し繁盛していても良さそうなものだが」
「昼間はどうなんですかね。夜はかなり混みあいますよ。座れなくて相席になることもあるくらいで」
「そうか。……私のようなものにはありがたい限りだが、売上を心配してしまうのは……杞憂か?」
「まぁ、それとなく知り合いに紹介していく感じでいいんじゃないですかね。またぞろ姫さんの一押し、なんてことになると」
「面倒くさい事態になりそうだな。……そのあたりはそなたに任せよう」
「お任せを。俺らからしても、この店にゃ潰れてほしくないんでね。お任せくださいや」
さて、男性が会計をする。会計を担当するのは従業員だったが、その後ろには大将がいる。
市井の店の相場がわからないにしても安いと感じる値段が支払われたあと、女性が大将へ声をかけた。
「すまない、似荏という植物について、二、三聞きたいのだが、良いだろうか?」
「ええ、いいですよ。何が知りたいので?」
そこから展開されるのは、男性には口を挟み難い、些か専門的な話し合いだった。女性が植物に詳しいのだろう、大将からの話を受けて、得心の行ったように何度も頷いている。
「塩漬けで紫が発色される……見たことが無いな。……もし可能であれば」
「ああ、少々値が張ってしまいますが、いくらか株分けすることもできますよ」
「本当か? では少し育ててみたい」
「なら、栽培方法を書き留めましょうか。巻物の形で問題ありませんか?」
「かたじけない。……それと、練気についても聞きたいのだが」
「れんき? ですか? ええと、なんのことでしょうか」
「ああ……そうか。いや、なんでもない」
普段戦闘をしない町人であれば、練気を知らなくても仕方がない。そしてそうである以上、この効能は偶然出てきたものなのだろうと、女性は自身の中で整理を付けた。
その後、似荏の栽培方法の書かれた巻物を受け取り、帰路に就く二人。
「確かに値は張ったが……だとしてももう少し高くても良い気がするな」
「ですねえ。無欲な店主なことで。……と、毒蛙だ。ここは俺が」
「駆除していてもこれほど出るのか。これは流石に何かしら考えた方が良いかも知れぬな。この店のためだけではなく、単純に被害も多かろう」
「刀さえあれば然程苦労する敵じゃないとはいえ、何も持たない町人には厳しいでしょうからねぇ」
毒蛙。近年になって発生した、激しい毒をもつ蛙だ。雨の神の眷属とも言われており、好戦的に人を襲う。
全身が有害であり、何をしようとも食用にはできないため、こうして駆除するしかない。
「忍び共の傀儡である、って噂もありますけど」
「流石の忍びどもも神の眷属を模した化生は作るまいよ。神の報復は恐ろしいだろうからな」
「あとは葦三方の誰かが雨の神を害して、その報復が今、って話も聞きますが」
「それも些か広域が過ぎるな。私は一度川の神と話したことがあるが、報復を行うにしても個人宛であることがほとんどらしい。国全体を、というのは早々ないと」
「成程……って、えぇ!? 川の神って……冥津神のことですかい!?」
「声が大きいぞ。……あまり吹聴しないようにな」
「いやしませんけど……。はぁ……いや流石は菖蒲家の姫巫女様だ。冥津神と……」
「家はあまり関係ないがな。幼少の頃の話だ」
そんな雑談をしながら二人は店を後にする。
当然ながら気付きはしない。店内の大将が、二人の会話を全て聞いていた、なんてことは──。