序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい 作:ブ雨堰ド
竜。最も小さなものでも全高8athl、全長10athlほど。重さは6250atmsに達する。
歴史上において確認された最大の竜は、涅月歴770年に発生した災厄竜ユランだろう。全長62.9athlの超巨大個体であり、当時の記録はほとんど残っていない。後世による創作であるから、ではなく、記録を残し得る文明的な人間が軒並み食べられてしまったからであると言われている。
事実、涅月歴770年を境に消えた街や村は非常に多く、そのすべてで生き残りが見つかっていない。この災厄竜は散々暴れまわったのちに餓死したとされている。
世界各地で起きている竜災とは彼らによる「単なる食事」であり。悪意を以て人々を襲っているわけではない、ということは留意したい。だが、その「ただの食事」が我々の生存を著しく阻害していることもまた紛れもない事実であり、我々が竜を隣人として見ることは、果てしなく難しいことであると言えよう。
「えー、ではこの中で、竜を見たことのあるかたはいますか?」
「若い頃になら」
「あ、俺もあるぞ。至近距離ではないが……」
「至近距離なら死んでるだろ」
生物学や魔法生物学の中で、避けては通れない話題が「竜」だ。
単純な魔物と比較するには巨大すぎる点もそうだが、いつどこで生まれ、育っているのか、というのが一切判明していない点も彼らの「特別さ」を重くしている。
竜は必ず成体の状態で発生する。発生し、街や村を襲う。その過程というのを、誰も見たことがないのだ。
「そう、まるで、竜というものを天が遣わしたかのように──」
「ふん。竜の生育速度は人間や魔物の比ではないからな。そう見えるだけだ」
しわがれた声があった。
授業中、誰もが板書に集中している時、その背後にゆらりと現れたるは──。
「院長。どうしたのですか、珍しい」
「竜についての講義があると聞いてな。多少興味があるゆえ、顔を出した」
院長。ここエチェロエグズル教戒院の長にして、果たしてどれほど長い間生きているのかわからない存在。最初の学徒であるルヴァンですら、出会った時には老人だった、と証言している。
常に椅子に座っているこの老人が、果たして人間であるのかどうか、という部分さえ怪しいが、その部分を重要視する者はいない。
彼は叡知なる者。
この教戒院にある設備や蔵書も、ほぼすべて院長が一人で集めたもの。その知識の深さは恐らく教戒院の全員を凌ぐほどなのだろう。
そんな彼の口から出た話とあらば、固唾を飲んで聞く価値があると言える。
「竜の幼体はそこまでの大きさではない。5athlくらいか。だが、生まれてから一時間と経たぬうちに二千回以上の脱皮を繰り返し、最後には翼を生やして飛翔を始め、成体となる。その頃には先程並べられた通りの大きさにまでなっておる」
「驚異的な生物ですね……。院長は……もしや、交戦経験などお持ちなのですか?」
「何度か、程度だがな。成体になってしまうと手が付けられないほどに暴れまわるが、それでも生物だ。殺せぬ相手ではない。それよりも簡単な対処は、幼体の内に封印、ないしは毒を盛って殺してしまうことであろう。幼体のうちは魔法抵抗が弱い故、結界による封印術が有効になる」
具体的な数値付きで、「いつかの再現映像」と思われる幻術を、先程まで教鞭を振るっていた教師の隣に出す院長。スケールは小さくされているが、この授業を取っているものであればすべて理解できる数値が並んでいる。
竜皮の魔法抵抗率、推定される肺活量、ブレスの種類。
「また、巨体になればなるほど効き難くはなるが、エッセンシャルオイルを嫌う傾向にあるな。呼吸器系が敏感であるからか、単純な煙幕にも近付きたがらない。環境汚染をどうにかできるのなら常に煙で村や街を覆えば竜対策にはなるだろう」
「……画期的ではありますが、確かに環境汚染は考えなければならないですね」
「院長先生、火山地帯にも竜がいると思うんだけど、それはどうして? 火山灰や噴煙も……嫌いなんじゃないの?」
「儂はその答えを知っているが、それでは学びにならんな。お主が自身で考えてみよ。どうしてもわからなければ聞きに来ても良いが、学友と共に議論を交わし、答えを導いてみせろ、イングナ」
完全に授業を乗っ取られてしまったな、と思いながらも、教師もまた学徒の一人として問いを掛けたい気分だった。
生物学や魔法生物学には精通している自覚があれど、万物を知っているとは言い難い。けれど、全知にほど近い叡知が目の前にいるのであれば、と。
「でもさ、竜って基本飢え死にで死んじゃうんだろ? 図体を保つための餌が無くて」
「と、されていますね」
「ならどうやって次の竜を産むんだ? 繁殖方法まで全く別なのか?」
問いに、院長は。
「それは儂でも知らん」
と、さっぱり言い切った。
「え、院長でも知らないのか」
「ああ。非常に危険な話であるゆえ簡単に言い放つことはできないが、この教戒院の者の誰かがこの秘密を解き明かすことがあれば、儂も鼻が高いというものだ。無論、お主らはすでに儂の誇りであるがな」
それは彼が、決して全知に名を連ねる存在ではないということの証左だ。
そして……この世にはまだ解き明かすべき謎が残っている、ということを学徒たちに思い出させる話でもあった。
まだ掘り尽くされてはいない。まだ未踏の領域があるのだと。
「それも……すべてはここを出て成し遂げなければならないことであることは、忘れるな。ここは教戒院。お主らの家ではないのだから」
言い終わると、院長は姿を消す。教室から出ていったのではなく、影に侵入するようにして姿を消した。
「竜、か。……どんな。会話とか、できるのかな。大きいってことはそれだけ脳も大きいんだし、賢いんじゃないかって思うけど……」
「人間なんて餌にしか見えてないだろうからなんも話してくれないだろ。俺達だって賢いけど、家畜の言葉に意味があるとは思えないわけでさ」
「そんなもんかー」
俄かに騒がしくなる教室を、「ハイハイ、まだ授業中だから静かにお願いしますね」と教師が窘めるまで、あと数秒。
いつか解明の日は、来るのだろうか。
幼等部にも院長は現れる。いや、現れる頻度でいえば幼等部が圧倒的に多いか。
どうやら無理な勉強法などをしていないか、という部分を心配しているらしく、院長本人でなくとも彼のコンストラクトの何かしらが見張りをしていることが多い。
「絵本の種類を増やしたい? ……ふむ。どういうものを考えている?」
「もう少しグローバルといいますか、どこの国の子供も楽しめる物が良いですね。ここには各国各地の絵本や訓戒が集まりますが、どれもその国の歴史を準えたものや、その国でしか伝わらないニュアンス、というものが多いのです。できれば幼児への基礎的な教訓を持ちつつも、そういう国柄の無いものであると好ましいのですが」
「……そうだな。儂が……描くか」
「え、院長先生が?」
「儂はどの国の出身でもない。だから、儂の描く物語であれば、国柄も出ないであろう」
という会話があった次の日には幼等部用の本棚に『赤ずきん』、『ヘンゼルとグレーテル』や『藁の牛』、『浦島太郎』、『桃太郎』、『さるかに合戦』など、三十冊以上の絵本が入っていたり。
「子供用のプール……。泳法は、確かに大事か」
「ええ。私を含め、ここにいる者は泳ぐことができずに溺死しかけた者ばかり。それを想えば、子供のうちに水を克服しておくのは大事でしょう。……無論大海原に投げ出されてしまえば、泳げるか泳げないかは関係ない、というのもわかっていますが」
「であれば大人用の水泳訓練場も……必要だろう。……良い、作っておく」
という会話のあと、教戒院の一階廊下奥に巨大な室内プールが建造されたり。
風通しがいいなんてどころの騒ぎではない。子供のための要望であれば大体通るし、決して保留にされない。
院長が教戒院からの卒業を学徒に望んでいることは最早教戒院の誰もが知るところであるが、ここまで居心地の良い空間を作っておいて何を、というのが学徒及び教師一同の意見である。
少なくともここで学びを尽くしてからでなければ卒業者は出ないだろう。
……誰もがそう考えていた、と思われていたが。
教戒院が漂流者を受け入れ始めてから、凡そ十五年の時が経った頃のことである。
「院長。……今までお世話になりました」
「うむ。教戒院を出た後も、良く励み、学び、そして伸び伸びと生きていくように」
その日、初めての卒業者が出た。
ディル・カルロス。ルヴァンから数えて三十個あとの入院生。
竜について非常に高い興味を示していたその少年は、生物学や魔法生物学、そして結界など竜に対抗するための術を身に付け──今日、卒院しようとしている。
教師一同は──涙する者もいたが──彼の背を押し、その門出を祝った。
だが、生徒たちは、どこか複雑な表情だった。卒業を理解していないから……ではない。
カルロスがあまりにも晴れやかな顔で出ていこうとしているから、まるで、卒業ということが……教戒院にいることよりも、良いことなのではないかと……そう思えてしまったのだ。
「一つだけ忠告をしておくぞ、ディル」
「はい。……僕の帰る時代と……記憶、について、ですよね」
「そうだ。お主が帰るのは紫輝歴10年。お主が外の島に漂着した時代になる。よって、お主がここで得た知識の中で、歴史や人物に関連する未来の要素を含むものは、自動的に封印措置が為される。知識は消えぬが、共に学んだ者の中に未来の者が混ざっていれば、その者のことは思い出せなくなるということだ」
エチェロエグズル教戒院は時間流から外れたところに設置されている。そのため、各時代の漂流者が外の島を訪れ、教戒院へと入ってくる。
その時代の者はその時代に、という院長の方針から、彼らは同じ時代に返される。辿り着いた時とは全くの別人になっていても、同じ時代に帰らなければならない。
あるいは快適が損なわれ、苦痛を覚えるかもしれない。塗り替えられた常識が引き戻され、落胆するかもしれない。
そして時間の「整合」を取るために、未来で起こることについての知識は全てが封印される。その術を院長は有している。
「そのあたりはお主も理解して、理解した上で卒業を決めたのであろう。故に覚悟は問わぬ。──だが、忘れるな。お主は時代という
「はい。……ただ、一個だけ。最後の質問です、院長」
「なんだ」
「僕が……この世の全てを解き明かして、この教戒院の位置まで特定したら、また帰ってきてもいいですか?」
茶目っ気たっぷりに。
ディル・カルロス……多少お調子者のきらいはあるが、思慮深く、周囲をよく考えられる……悲しいお別れとか大っ嫌いなタイプの男の子。
だから彼は、そう問うた。
「もちろんだ。その時は新たな学徒としてではなく、教師として子供達を教え導くと良い。……見つけられたのなら、の話だ。見つけられるということはつまり、儂の結界術をお主が上回ったという意味でもある。──儂に負けを認めさせてみよ。楽しみにしている」
「うぉぉぉおお……やる気湧いてきたぁ! 先生たち! 誰か一人でも、院長に結界とか魔法で勝てたことあるって人いますか!」
「いるわけないだろー!」
「できたら、お前がいちばんだ! 胸を張れよー!」
「──了解! それじゃあ、ディル・カルロス! 元の時代に戻り、竜の秘密を解き明かし、完璧な結界術師になって、院長に勝った最初の男として名を刻むため──エチェロエグズル教戒院を、卒業します! ありがとうございました!!」
彼の身体が光に包まれる。
皆に大きく手を振り、最後には振り返って未来を見つめた少年は──数秒と経たぬうちに消えていった。
元居た時代の、どこか陸地に返されたのだ。
静まり返る教戒院。
「──ゆえに、この時を以て禁を解く。もう名と顔を偽らずとも好いぞ、ディル」
「……いやー。……青い頃の自分って、いやぁ……夢いっぱいだったなぁ、って」
「え!? ロイド先生……!?」
今しがた少年を送り出した教師の内の一人が、後頭部を掻いて……自らの身体にかけていた認識阻害系の魔法を解除する。
そこにいたのは、まさに成長したカルロス少年。
「竜の秘密も解き明かせていないし、結界術は遠く院長に及んでいないんだけどね……。エチェロエグズル教戒院を捜索中に、えーと……漂流しちゃって」
「ど、どんな確率だよ……。え、じゃあ他の先生の中にも実は、みたいな人いるの?」
「さて、どうだろうね。いたとしても院長先生との契約で明かせはしないけど、いるのかもしれないね」
院長が呆れの溜息を吐いていることなど知らぬままに、子供達は色めき立つ。
もう二度と帰ってこられぬと思っていた教戒院に、けれど、帰ってきた存在がいるのだと。
ここが時空を超越する場所であるのなら、あるいは教師の中に未来の自分がいるかもしれない、と。
ならば卒業も……悪いことばかりでは。
「ディル、私の事覚えてる……?」
「覚えているもなにも、ユミア、君に算数を教えたのは僕じゃないか。そして、帰ってきた時も君のことは忘れていなかったよ。……ファミリーネームは流石に忘れちゃってたけど」
「えー、酷い~」
「つか、ディルってユミアのこと好きだったんじゃねーの? ここにディルがいるってことは、ユミアとの結婚は無理だったのか?」
「なななな、なんてこと聞いてんのよ!」
「さぁ、どうだろう。この僕にもまだまだ未来はあるから、ここを出た後で結婚したのかもしれない。ユミアと僕は年代も近いし、可能性はあるよね」
「……うわ、いつものロイ先だ……スーパーはぐらかしおじさんだ……」
「おじさんではないかな! 僕まだ二十六だし!」
ここは時空を超越した教戒院なれば、こういうことも──たまには、あるのだろう。
***
よし、諦めよう。
多分この院から人がいなくなることはない。マー今はいないけど、一万年も先の未来から来る可能性だってあるんだ。人類史が無限であるのなら、来る人間も無限に増えるわな。
それに加えて帰還者もいるんならもう無理だ。トーマスだ。
俺の最初のプランとしては、エチェロエグズル教戒院自体は書庫とは別に存在して、外の小屋をコンストラクトが保全して、各時代の俺が時たま魔力補充に戻って、という予定だった……のだけど、毎日のように外へ出て小屋の掃除や保全をしてくれる学徒がいるから、魔力補充もお願いして良いかも知れない。
ルヴァンが流れ着いた頃は外の時間に対応していた教戒院だけど、既にもうがっつり切り離されている。ディルのような「二度目の来訪者」の場合を除き、子供達が危険に遭うこともないよう調整もしてある。
……うん、いい案だろう。
となってくると、あとは俺がどう離れるか、だけど……別に「──ですよね?」を見込まないのであれば、失踪せずにいなくなるのもアリだ。
どういうことかというと、つまり『
影法師。分身。『博士の博士』と呼ばれていた俺の影は、俺が別の時間で活動していた時も関係なくずっとエリスフィアにいたみたいじゃないか。
アレを再現できれば……つまり『院長』という影法師を常にここへ置いておけば、一度世話を見ると決めた子供達への不義理にもならないだろう、と。
あの空間。本体ではなく影法師を掠め取るあの空間については、俺も知識でしか知らない。実体験じゃないからな。
……確か『庭師』と呼ばれていた精霊が、『
異界を作り上げることは簡単だ。教戒院が正にそうだし。……だけど、本体を別で活動させて、影法師を取り込む結界、というのは……結構な難度だぞ。
本来を言えば別にその異界を再現する必要は無いんだけど、ただのコンストラクトだと魔力切れで消えちゃうからなー。どうやって三年も……いや、中にいたのが『庭師』だけだった時も含めたら十三年か。その間コンストラクトや異界を維持し続けたか、についてがなぁ。「精霊だから」で片付いちゃうのが……いや、精霊のすべてにそれができるとは思わないけど、『
……そう考えると『庭師』は一種神と同じような状態にあったのかな。
でもなー、神の位相空間はまたちょっと話が違うんだよなー。
んー。これは「解明すべき理」ではないし、餅は餅屋かもなぁ。
ってことで。
「長期間稼働可能なコンストラクトについて、ですか……」
「ああ。儂もコンストラクトについては知識を有するが、その専門家であるかと問われたら首を横に振る。だが、お主は胸を張ってそうであると言えるだろう、ヴェルナー。その知恵を借りたい」
「大変恐縮ですし、お役に立てれば幸いですが……果たしてわたしの知識で足りるものか、心配です」
ヴェルナー・"アウノフ"・エリオンベルグ。顔の半分を樹木が覆っていてる魔族だ。
実はそれなりの数の魔族がこの教戒院に所属しているが、大人の魔族は彼だけだ。
伐開の魔族という、仮面の魔族と同じく特殊個体魔族であり、結界のスペシャリスト。人間に対して偏見や嫌悪感が無いため、教師としてもよくやってくれているように感じる。
大人の魔族は多分早々漂流しないんだろうな。大海原に放り出されても身体能力でなんとかなる。彼はたまたま左足が義足というハンデを抱えていたから、漂流者となった。
「儂のコンストラクトはすべて刻印魔法を軸にしておる。ゆえに、込めた魔力が切れたら雲散霧消する」
「存じております。教戒院内にいるどのコンストラクトも芸術作品のように緻密な作りをしていて、勉強になる思いです」
「……これはまだ誰にも話しておらぬ話だが、そう遠くないうちに、儂は長期の間ここを空けることになる」
「え! あ、いや、申し訳ございません。秘密であるというのに……」
今回は嘘を吐いての失踪じゃない……言っていないことがたくさんあるだけ、のタイプだから、まだ心苦しくない。
分身を残して行く予定というのも大きいか。
「些か未来の話ゆえ、詳細を語ることはできぬ。だが、子供達を放ってはおけない」
「なるほど、そこで自立型且つ長期間存在できるコンストラクトを、ですか。使役するものというよりは、自身の分身として置いていきたいと」
「そうだ」
「……邪気は感じませんね。わかっていたことですが。……とあらば、伐開の魔族秘伝の技をお教えいたしましょう」
「いや、儂の頼みだからと無理をする必要は無いぞ」
「これは無理というよりは、誠意ですよ。あなたも、ここの人々も、このような見た目の私を偏見なく歓迎してくださいました。そして……子供達は、毎日のようにわたしの名前を元気よく呼んでくれる。わたしは彼らの顔を涙で滲ませたくはないのです」
言いながら彼は、手元に真っ白な小鳥を浮かべる。刻印で編んだコンストラクトだ。
そして反対の手に……今度は真っ黒な小鳥を生み出した。こ……れ、は?
「……そうか。結界は外壁が崩れない限りは崩壊しない。術者が死しても。……だから、結界で文字を作ることによって、永遠を成り立たせる……いや。……この構造は……逆だ。……
「お見事でございます。感服いたしました。見ただけでそこまで解析されるとは……やはり、すごいお人のようだ」
その発想はなかったな。
文字。あるいは線。これそのものが裡と外を隔てるものであり、世界に文字という存在を刻みつけるもの。
だから、これを意識して編んだコンストラクトは、その身が有する刻印自体が外壁の役割をし、内部空間を維持する。
「攻撃を受けて結界の外壁たる文字が崩れない限りは保ち続けるコンストラクト、か」
「さようにございます。そも、世界とは、文字とは、言葉とは。この世に存在する"情報"とは、結界なのです。わたしたち伐開の魔族はそれをより感覚的に扱いうる魔族。やろうと思えば体内を結界に見立て、内部での物質生成なども」
「ああ、それであれば儂もできる」
トムさんを若干意識して、体内でトランプのカードを生成し、パラパラと放出する。
……確かにな。いやほんと、身につまされる思いだ。ローレンスの時にこの魔法をやっているし、なんならヴァルカンのハルバードや痣火の武器もそうだったってのに……俺はそこで止まっていた。
そもそも文字とは結界である。……なんという金言か。
「お役に立てたようでなによりです。……そして、院長。院長の用事というのは、わたしたちの中に手伝いうる者はいないのでしょうか」
「……此度頼っておいてなんであるが、いない。元よりもう少し早くに出るつもりであったが、入院者が存外に増えて、遅らせた次第にある。それを行いにいくにすぎない」
「そうですか。……詳細を聞くことは叶わないのでしょうが、無事上手くいくことを祈っておりますよ」
「ああ。……今日は助かった。ありがとう、ヴェルナー」
「勿体なきお言葉にございます。……それでは、失礼」
さぁ「──ですよね?」再開の日は近いぞ。
待っていろよ俺の「──ですよね?」!!
***
どこかの時代。どこかの海岸沿い。
そこを、ある二人が歩いている。
大きな杖を持った一人と、歳の頃五つにも満たないような少女だ。
「ね、まほーつかいさん。せかいからりゅーさいを失くすんでしょう? どうやるのか、もう考えはついているの?」
「ンー、魔法使いさんが子供の頃に読んだあるお話を採用しようと思っていてね」
「おはなし?」
「さるかに合戦。
「……よくわからないけれど、パパとママをころした人は、それでいっぱいくるしむのね?」
「勿論だ。材料には罪人を使うからね。そこにはあの男も含まれているよ」
舌足らずな口調で、おぞましいことを、当然のように。
倫理というものを知らない幼子の、純粋で漆黒たる憎悪。
「国の名前は
「……いま、なんてはつおんしたのかしら」
「聞き取りやすいように一音一音しっかり発音するのなら──アスミカタ、かな」
「アスミカタ……アスミカタね。わたしのすべてをうばったひとたちの、いるところ……!」
杖を持つ者。魔法使い。彼の名は。
「魔法使い
「ええ、たっくさん、たっくさんくるしめて。こいびと同士でにくしみ合わせて、家族同士であらそわせて、そして、大切なものをうしなうきょうふを、そのちにくで、せかいに、永遠にきざみつけるのよ。まほーつかいさんのまほうがだめだめだったら……わたし、でっかいからだになって、あなたを食べにいっちゃうから」
「ふふ、それは恐ろしいね。じゃあ、……さようなら。──
「ええ、さような──」
少女が消える。残されたるは、賢者と言われる魔法使い一人。
これは歴史の一部である。始終ではないかもしれない、ただの一部。
「……この時代のどこかにも、彼はいたのでしょうかね」
そう、言葉を残して……魔法使いも立ち去った。
波の音だけが、聞こえている──。