序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい 作:ブ雨堰ド
ハンラムは王都にて、それは開催されていた。
藝理総会──高い参加費としっかりとした貴族による身元保証の必要な、己が渾身、生涯の一作と呼ぶべきものを見せ合う会合。
目前。いや、既に建物の中ではある。建物の中、控室。たかだか控室の一つであっても上位貴族の屋敷の一室と言われても納得してしまいそうなつくりの、豪奢な部屋。
そこで彼女、マルガナレ・アリエッタはようやく──「もしかして私は場違いなのではないだろうか」ということに思い至った。
知識と経験に裏打ちされた技術。人と人との縁を結んでつくられた身元の保証。低俗な荒らし屋が入ってくることを防ぐための参加費。
果たして彼女は、ここにいていいものか、と。
「大丈夫だよ、マルガナレお姉さん」
「え……うぇ!?」
「しーっ。静かにね」
ようやく追いついてきた常識と不安をかき消すかのような声。
それは少年……セレンのもの。関係者以外立入禁止になっているはずのこの建物の、参加者控室という警備も十二分であるはずのその場所に彼はいた。
「ど、どうやってここに……っていうかなんで王都に」
「色々あってさ。とりあえず僕は、もうあの街にはいられなくなっちゃった。タイムリミットだったんだ」
「え──なにを、言って」
よいしょ、なんて言って、セレン少年は背負っていたリュックサックをテーブルに置いた。
重そうな音のしたそれ。
「画材、かき集められるだけ集めて持ってきたから。保存状態をしっかり良好にしておけば、一年二年は保つはず。筆の作り方は昔教えた通りで、」
「待って、どういうこと? あの街にいられなくなったって……おじいさんの大切な店って、それに、まるでセレン自身がいなくなるみたいな」
「あんまり詳しい話はできないんだ。だけど、少しポエミーに言うのなら、過去が追いついてきた、って感じかな」
矢継ぎ早に。もう時間が無いとでもいうかのように。
セレン少年は、伝えたいことを言い切る。
「藝理総会。その結末を見ることはできなくなってしまったけれど、遠くで応援しているから。大丈夫、気後れする必要も、不安に思う必要もないよ。お姉さんの才能は誰かに劣るものではないし、潜在主義の描き方にある浅い歴史は、けれど、既存の歴史を塗り替える力を持つものだ。是非が生まれるのは仕方ない。万人に受け入れられる芸術など存在しないからね」
「……もう、会えないの?」
「会えない。僕はこれから遠いところへ行く。それは逃避であり旅路だ。追いかけてきた過去と決別し、また新しい未来へ逃げる」
「誰か……頼れる人はいるの? セレンはまだ子供でしょ。誰もいなくて──」
「僕の本当の名前はケレン。ケレン・
控室の扉。そこにノックが為される。話声が聞かれてしまったのかもしれない。
「それじゃあね、マルガナレお姉さん。心行くままに好きなものを描き、心行くままに表現をしてほしい。その画法に歴史を汲む一切が無いのだとしても、表現方法であるという部分まで踏みにじる資格は彼らに無いのだから」
「待、」
アリエッタさん? 入りますよ? という声と共に控室の扉が開き。
それと同時、あたたかな気温を纏った風が窓から入ってきて、カーテンを揺らめかせた。
カーテンによってセレンが隠れたその瞬間、彼の姿は掻き消えていて。
「そろそろお時間です。作品の搬入はこちらで行いますので、どうぞこちらへ」
「あ……はい。ありがとうございます」
不安や場違い感は消えていた。考えなくてはいけないセレンのことさえ、すっかり、さっぱりと。
彼女がそのことを思い出すのは、藝理総会にて最優秀賞こそ逃したものの、この齢・この歴史の短さにそぐわぬ程の栄誉ある賞を頂いて……どこか夢見心地で帰路に就く途中。
リュックサックの晃かな重みに違和感を持った、その時である。
彼女のもとに画材屋イコノグラフでの事件や彼の生い立ちに関する話が届くのも、そのあたり。
過去に追いつかれた。その言葉は、関係者の全員の心の底に深く刻まれることになる──。
***
雨が降っている。
王都より離れた田舎道。田舎と田舎を繋ぐ、道と呼べるかすら怪しい場所に、それはいた。
「ゲェロ」
「ん……雨足が強くなるって? はは、参ったな。これ以上強い豪雨は魔鉱石のベールで防げるかどうか……」
「ゲェロ」
「溺れてくれた方が助かる、って……酷いな。私は君のご主人様だぞ?」
「ゲェロ」
「こらこら、雨乞いをするんじゃあないよ。君は一応雨の神なんだから、本当にとんでもないことになる可能性がある」
傘も差していない青年。と……その肩にどっぷりずんぐり乗った、緑色のカエル。
歩いている。降り頻る雨の中、一人と一匹が。歩いているのは一人の方だけだが。
「ゲェロ?」
「ん……何か、って。なんだい? 雨の下にいて、君が正体を掴めないものがいるのかい?」
「ゲェロ」
「目の前……って、おお」
この、道と呼べるか怪しい道。
それを辿る、小さな影。このまま行けばすれ違うのだろう道を辿る子供。
これほどの豪雨の中、保護者の姿も見当たらない……小さな子供だ。
差していなかった。
傘を。見たところ、雨具という服装でもない。
ただ、少年も……濡れてはいない。青年やカエルと同じように、身に纏う透明なベールが雨を弾いている。
声を掛けるべきか。呼び留めるべきか。
逡巡は一瞬。青年は意を決して口を開く。
「やぁ、少年」
「……なに、おじさん」
ピシ、と何が罅のようなものが精神に入った気がした青年。まぁ、この頃の子供からすれば、確かに、青年も「おじさん」なのかもしれないが。
普段は言われても「お兄さん」止まりであるから、二の句が継げなかった。
「用が無いのなら、僕はもう行くけれど」
「ゲェロ」
「おかしなことを聞くね、カエルさん。君こそ、だろう」
「ゲェロ」
「あぁ、神……神ね。そんなものがいたのか。それでいてテイムされているあたり、君の主人は恐ろしい存在かな」
「ゲェロ」
「ただのヘタレ? そうだね、性格的にはそうなんだろう。ひしひしと感じるよ」
当然のようにカエルと話していること……にも勿論おかしさを覚えるべきなのだけど、カエルと少年の話すあまりにもあまりにもなオープン陰口に涙の止まらない青年。
しかし気を取り直す。取り直して問う。
「少年。君のそのベールは、防具加工……雨具加工というものだね。誰にやってもらったのか、教えてくれるかい」
「ろくに加工していない魔鉱石から意味を抽出して同じ効果を持つベールを纏っているおじさんに教えることなんかなにもないよ」
「細部まで洗練された加工だ。同じ効果の加工ができる人間は九人いるだろうけれど、意匠としての美しさまで兼ね備えて、効果の一切が損なわれない……そこまでできるのは大陸広しと言えど一人しかいない。──君の雨具加工は、シュライン・ゼンノーティの作品だ。違うかな」
「ゲェロ」
少年は。
「違うよ」
「……いいや、私の目利きは正直者だからね。君の嘘も精査できる」
「シュライン・ゼンノーティは死んだよ。知らないの? 魔族と戦って殉死したって話だよ」
「自爆した。巻き込まれた魔族二人も死した。しかし、シュライン・ゼンノーティの死体は見つかっていない。……あの男ならば、魔鉱石暴走の魔力乱流程度どうにかしのいで生きていておかしくはない」
「ゲェロ」
「そっか。でも、そんなこと僕に言われてもね。この加工を行ったのはシュライン・ゼンノーティではないし、おじさんといつまでも喋っている程暇でもないんだ」
膠着は一瞬。笑顔と笑顔のぶつかり合いにおいて、痺れを切らしたのは──青年の方。
「もしシュライン・ゼンノーティではないのであれば、困るよ。君の衣服に雨具加工を施した加工師が、シュライン・ゼンノーティの再来ということになってしまうのだから」
言いながら虚空を掴み、引き絞るようにして抜き放つは巨大な瞳のついた真っ黒な剣。
魔剣アドゥニグラーン。魔力素の結合を分かち、魔法という事象改変を断ち切ることのできる剣だ。
その性質上、魔力に嫌われる。蜘蛛の子を散らすようにしてこの場から逃げ去っていく魔力。それは痕跡となり筋となり、まるでここに隕石でも降ってきたかのような様相が展開される。
「ゲェロ」
「……どうしたんだい? この剣を持ち出したというのに、退け、だなんて」
「それがおじさんの切り札、ってことでいいのかな。成程、確かにそんな強い剣を持っていれば、気が大きくなってしまうのも無理はない。聞きたいこと、欲しい言葉がなかったからといって暴力に走るのは大人としてどうかと思うけれどね」
「ゲェロ」
「返す言葉も無いけれど、これを抜いた以上は手ぶらでは帰れないんだ。さぁ、少年。教えてほしい。君のその加工をやったのは、誰かな」
退け、退け、愚か者。お前の勝てる相手ではない。
青年の肩に乗るカエルの鳴き声は、そういう音となって彼に聞こえていたけれど……青年は無視をすることにした。
その彼の、持つ剣の刀身に。
小さな手が添えられる。
「ふぅん。天然物も中々やるね。いや、もしやこっちでも聖剣は精霊が鍛ったものだったりするのかな。となると魔剣は、妖精や悪魔が鍛造したもの?」
「言うんだ少年。言わないと君を斬ってしまうよ」
「それはまぁ願ったりかなったりだけど、如何せんオーディエンスが少ないかな。──ね、おじさん。この剣って大事?」
「ゲェロ」
話の噛み合わない、通じもしない子供に業を煮やしたか、仕方がないとばかりに魔剣を振り被ろうとして──気付く。
柔らかく、優しく手の添えられた刀身。それが……欠片も動かせない。
ゲェロゲェロと、カエルの鳴き声だけが響く。
「だんまりか。ま、流石に大事でしょ。──だから、これ、壊すね」
青年は見た。瞬きの内に行われたその全てを。
少年の手の至る所から伸びてきた細やかな魔力の糸。それが魔剣アドゥニグラーンの全身を撫でたかと思えば──あれほどに異彩を放っていた魔剣の魔剣たる所以、その全てが解除されていた。
「は──」
「魔剣、聖剣。言うなれば天然物の武具加工だからね。加工が施せるのなら、それを
逃げていた魔力が濁流のように押し寄せてくる。瀑布にさえ例えられるだろう魔力の奔流。それに対し、少年は風魔力によるボードのようなものを作り上げ……それに乗る。
「じゃ、僕は行くから。怒るんだったら追っかけてきなよ。追いつけるかどうかは知らないけどね」
そうして、魔力の流れに乗って高い速度と共に走り去っていく少年。
残されたのはカエルと青年だけだ。
「ゲェロ」
「だから言っただろ、って……。いや……なんてことだ……。……私の魔剣コレクションのうちの一つ……アドゥニグラーンが……ただの鋼の塊に……」
「ゲェロ」
「切り札……などではないけれど。けれど大切なコレクションの一つで……」
「ゲェロ」
「それに……あの子、おかしなことを言っていたよね。加工を施せるのなら、それを解除できて当たり前、だとか」
つまり。
「あの子が二代目シュライン? それとも……あの子が一代目だったりするのかな」
「ゲェロ」
「追わないのか、って。追わないよ。追ってどうにかなる未来は見えない。怒ってくれるのなら儲けもの、みたいな言い草だったしね……」
「ゲェロ」
「ああ……そうだね。世界は広い。大陸の半分を手中に収めても、こうしてまだ見ぬ発見がある。やはりフィールドワークはした方が良いという話だ」
「ゲェロ」
「え、雨? ……ああ、上がったね。もしやあの少年が雨雲を引き連れているのかな」
なんにせよ、と。
青年は虚空から水晶玉を取り出す。ただの剣になってしまったそれはしまい直す。
「あー。あー。聞こえるかな、侵略作戦本部。あー」
『聞こえていますよ。何用ですか? 今昼飯時なんですけど』
「次の侵略予定地にハンラムを追加してほしいんだ」
『はぁ。そりゃ構いませんが、あそこは侵略したとてよくわからん絵くらいしかありませんよ。旨味が無いったらありゃしない』
「旨味ではなく、危険因子潰しだよ。二人目のシュライン・ゼンノーティがいる可能性がある」
『あー、まーだそれ言ってんですかい。それで人員割きまくって人間に前線押し返されたのもう忘れたんで?』
「……まぁ侵略予定とまで行かなくてもいい。人間社会に溶け込んで、人を探して内密に消してしまえる者を誰か送り込んでほしい。私もサポートするからね」
『送り込むのは良いですけど、サポートがいるかどうかはそいつに聞いてくださいや。
水晶玉で行われていた通信らしきものが途絶える。一方的に。
「ゲェロ」
「い、いや? 嫌われているわけではないと思うよ? ただみんなお昼時で……お腹が空いていただけじゃないかな。うん、きっとそうだ」
「ゲェロ」
「いやだから、信頼されてないとかそういうわけじゃ……。いや私だって頑張っていて……」
「ゲェロ。ゲェロ。ゲェロ。ゲェロ」
「いや、その、う、ぐ」
「ゲェロ♪」
「楽しそうに言うなぁ!」
先程までの土砂降りはなんだったのか。カラっと晴れたお日様の下、一人と一匹は日が暮れるまでじゃれ合いを続けていたそうな。
***
オーリエ……そう名乗り、そう呼ばれていた少女はインクのついた羽ペンを筆立てに置く。
彼女の目の前にあるのは日記を記しておくためのノートだ。彼と知り合ったばかりの頃、『イノセントの掉尾を飾るコンテスト』に二人そろって入賞した時、彼がくれたもの。これからは嫌なことも良いことも、文章にして形にしておくといいよ、なんて言って渡してくれたものだ。
以来彼女はその日あったことのすべてを文章にする習慣をつけた。教養の感じられる美しい字で、毎日の全てが記されている。彼が姿を消したあの日のことも、彼と同じ画法を用いる少女についていって、記憶を失った彼を発見したあの日のことも、全部。
そして今日、今、書き記したのは。
「
マルガナレの前に現れたという彼が遺した最後の言葉。
彼女曰く監視されている感じはなかったけれど、時間が無い、という様子だったという。
逃げたか、抜け出したか。彼には高い戦闘能力があるから、もしかしたらあの時彼を浚った手勢自体は撃退できたのかもしれない。
そして……記憶を取り戻した。その上で、恐らく。
本当に彼を付け狙う者の魔の手を思い出し……皆の前から姿を消したのだと。
ゼンノーティ。その一族を目の敵にする魔王という存在。
歴史の病巣。数死病の祖。
「寂しいよ、ケレン。……私を脅かす手のすべてをあなたは追い払ってくれたのに……私は何も、あなたにしてあげられなかった。……叶うことならあの日に戻りたい。私があなたを手元に置こうとしなければ……私達は元のままの関係でいられたのかな」
祈るように手を組んで、縋るように目を瞑って。
彼女の眼前。羊皮紙の上に現れるは魔力の球体。彼はこれを絵筆の形に落とし込み、あの画法を成立させている。
至難の業。どこぞの兵器開発研究の女性ですら習得に数年をかけたというそれを、想いの強さだけで再現し……再び彼女が目を開けると。
日記。その挿絵として、野原でゆるり、絵を描く二人が──。
「……さて」
日課を終えて。
少女は次のタスクに取り掛かる。
そこにあったのは、山のような本だった。
ゼンノーティについてはわかった。わからないことだらけだけど、謎の一族である、ということはわかった。
じゃあ、マイズライトは?
初めにケレンが名乗っていたファミリーネーム。記憶を取り戻したという彼がマルガナレに語った時もその名を名乗っていた。
けれど少女は彼の父母や親戚といったすべての血縁を知らない。彼がゼンノーティ一族の出であるのなら、なぜそちらを名乗っていなかったのか。名乗ってはならぬ理由があったのか。狙われるから? けれどガルベンやシュラインは気にせずに名乗っていた。その理由は。
その答えが本の山だ。
見つける。歴史に埋もれた名前があるというのなら、歴史を読み解けばいいだけの話。
彼女は王族で、時間がある。智にアクセスできるのなら、やらない手はない。
カズラ・リアナたちはゼンノーティ一族を探るという。マルガナレやジュリアは画法の歴史という観点から、あの全く新しいと言わざるを得ない潜在主義について、どの流派の影響を受けている可能性がありそうか、というところから彼のルーツを探るつもりだという。
であれば彼女は、内側から。
誰も足を止めることはない。
手がかりのない存在なんて生まれ出でない。
どんな闇の奥底にいても、どれほど掴み難い手だとしても。
必ず見つけ出す──。
それが。
「……うん。やっぱり私は、あなたが好きだから」
あなたに言葉を、届けるために。