序盤からずっと利用するような施設経営者だけど強キャラに薄目にこやかで見られながら名前を呼ばれて最後に「ですよね?」で締め括られる存在になりたい 作:ブ雨堰ド
紫輝歴618年朱紫の月。あのインシデントレポートによれば、この月の終わり頃……44日にそれが起こるらしい。
なんてことをおくびにも出さず、グラスを拭いていると。
「おお……良い感じの店ですねえ」
「
「すごい、翻訳できないのに何言ってるかわかる……」
どこか、既視感を覚えさせる四人が入ってきた。
エステルト君と……多分女性だろう魔族二人に、男性魔族一人。
女性の内一人はこれ、古代魔族語で話しているな。モーガンの時に日常会話レベルまで修めたからわかるけど、普通の魔族じゃ会話もままならんだろうに。
「ここは姉さんと来た場所だからね。隠れた名店というやつさ。……お忍びでアルフレッド爺さんやアンキアも来ているほどなんだよ」
「へえ……じゃあもしかして結構高かったり? 私今月厳しいんですけど」
「
「問題ないよ。とてもリーズナブル、というか、安すぎるくらいだから」
おお……いや、いうて結局俺の古代魔族語知識って調べたもの頼りなわけで。
英会話じゃないけどさ、母語にしている相手と会話してみて~。そんでスキルアップしてぇ~。リライトして~。
「おっと、ここで話していては他の客の迷惑になってしまうから、テーブル席に移動しよう」
エステルト君は……二年前くらいからかな? 俺としては既視感を覚えるような、若干なよっとした口調になっている。
……どうやらこれが彼なりの「大人っぽい喋り方」らしく、えー……言葉を選んで言うと、その……もう少し……無い? みたいな……。
とりあえず彼女らの飲みたいものを持っていく。ケーキとかは今日はいい感じなのね。
「どうぞ」
「え……何も頼んでないんですけど」
という一連のくだりがあった後で。
エステルト君が連れてきた魔族男性が、ぱちくりと、何度も何度も俺と珈琲の間に視線を巡らせている。
お、これは……?
「エステルト、
「
「え……驚いたな。マスター、古代魔族語がわかるのかい?」
「ええ、昔取った杵柄というものにはなりますが、日常会話程度であれば可能ですよ」
「
おー。これは嬉しかばいですよ。
お世辞ではない、というのも伝わってくるから、いやはや、なんだか達成感があるね流石にね。
純天体語も今解析中だから、喋れるようになったらアンドリアミアフィナイラロカに話しかけるか。まぁその前にノクスルーナだけど。
「……一目見ただけでその相手の好みのブレンドを掴むその観察眼、どの種族でも楽しめる『ヴァリアブルコーヒー』を淹れるその腕……。そして何より、審査員たちに『この広き世に魔族多しと
──Delicious……。
なんと……なんと完璧な「──ですよね?」か。君、デキるな……!
惜しむらくは君自身も主人公パーティっぽいというところだけど、この際それには目を瞑ろう。
「エイヴォン、いきなりどうしたんですか?」
「知らないのかミヨ……。二十年前、当時はコーヒーというのは、人族の飲み物だったんだ。飲めたとしても、かなり希釈したものを栗鼠の魔族か鹿の魔族が多少嗜むくらいで、ほとんど毒と同じ扱いだった。それでもその香ばしい香りにつられない魔族はいなくて……それが美食コンテストにて覆されたんだ。どの魔族が飲んでも安全で美味しい珈琲、というのを謳ったそれは、当時その場にいた審査員の毒見役たちを全員虜にさせ、そしてその後に口にした審査員たちも皆天に昇ったかのように蕩けた顔になった。『美食賞』、『サプライズ賞』、『希望の賞』の三タイトルにて一位を飾ったことは今なお伝説。……そして、その日から魔王国には空前のコーヒーブームが到来した。ギムさんは魔族でも飲める珈琲のレシピを公開してくれていたから、本当に誰でもが楽しめる……というか、飲み物の択にそれが入ってくる程度には常識を塗り替えた、まさに伝説のコフィエスタなんだよ!」
早口がすぎるかもしれないちょっと。女性陣もエステルト君も引いてる引いてる。
ちなみにコフィエスタはバリスタのことね。別にBARでは働いてないからさ。
「二十年も前のことを覚えていてくださり光栄です。コーヒー、お好きなのですね」
「はい! 俺、あ、私は、これに出会えて食の好みも広がって、あ、私実家がベーカリーなんですけど、昔私パン嫌いだったんですけど、コーヒーに出会ってから好きになって、それでこの伝説を聞いた時、いつか会ったら絶対にお礼しようと思ってて、けど美食コンテスト以降ギムさんのお名前を聞く機会に全く恵まれなくて……情報収集能力がほんと甘かったです。本当に、尊敬してますし、生きるのが楽しくなった理由ですし、その、あの」
「ありがとうございます。どうかごゆるりと楽しんでいってくださいね」
「はい!」
いやー……普通に嬉しいね。
良い子です。エイヴォン君って呼びかけられていたか。うんうん、君の名前は覚えよう!
「落ち着いてくれたかな。……けど、感心しないよ。この店は消音結界が張ってあるからいいけれど、あまり自己都合で騒ぎすぎないように」
「あっ……っと、申し訳ありません……」
「でも、エステルトも知らなかったって様子ですね」
「ああ、とんでもない腕利きなのはわかっていたけれど、まさか魔王国に珈琲を広めた人物だったとは。……私も軍属に入りたての頃は、軍規や兵法を頭に叩き込むために徹夜で勉強をしていたから、相棒はコーヒーだったよ」
「
「その通り。真似をしないようにね、君達は」
「……ッス。あの……メレッグアヴィスさんの言葉は俺達聞き取れないんすけど」
「飲み過ぎは良くない、という話さ」
「ああ……」
懐かしいね。ここへ来て資料らしきものやら本やらとにらめっこしながら珈琲を飲んでいたっけ。カフェイン効果がお目当てっぽかったけど、流石に体調を損ないそう、っていう量に達する前にちょっと成分を変えてセーブしてあげたりしてなー。
司書の男、あるいは魔王としか思っていなかったころは、ここまでしてやることになるとは思ってもみなかったけれど。
やっぱり……知ってみるべきだな、何事も。
そんな感じで四人は飲んで、本を買って、それでお腹が空いたっぽかったんでケーキやコーヒーゼリーを出して……店を出ていった。
エイヴォン君は最後まで「また来ます!」みたいなことを言ってくれてね。それは……嬉しい。嬉しいけれど。
……もうすぐ、か。
***
紫輝歴618年朱紫の月44日深夜2時過ぎ頃。
エステルト・"ヴァーン"・マイズライトは、その「感情の奔騰」に飛び起きた。
彼の種族は仮面。仮面の魔族というのはつまり、感情の魔族とも言い換えることのできる種族である。
特殊魔族、特殊個体魔族と呼ばれる彼ら。仮面、伐開、夢妄、時計の四種らは、その祖が涅月と契約を行い、『
夢妄の魔族が司りしは『創造性』。人という種の持つ、作る、発明する、想像する特性に特化した種。
時計の魔族が司りしは『破壊性』。人という種の持つ、壊し、変え、拒絶する特性に特化した種。
伐開の魔族が司りしは『適応力』。人という種の持つ、環境に適応し、状況に順応する能力に特化した種。
仮面の魔族が司りしは『感応力』。人という種の持つ、刺激に反応し、他者に共鳴する能力に特化した種。
人の魔族……『
このため動物の代替である他の魔族とは根本から種族を違えるものであり、特殊魔族はそれを薄々ながらに勘付いて生きている。
そして今日この日、エステルトが感応したのは──数多の魔族と、そして他の仮面の魔族の苦痛、苦悶、掻き毟るような慟哭だった。
軍の宿舎ではね起きても、当然周囲は何も気付いていない。それでも、どうしてもその声が耳から離れなくて、脳裏が埋め尽くされていて……彼は友を頼ることにした。
アンキア・"ヴァーン"・バリムケラス。
現魔王……第二十一代魔王であり、歴史上類を見ないこととされている、同時代の予知名の被り。その片割れである。
正式な手続きを踏んでいる暇は無かったし、友であるとはいえ、魔王を叩き起こせる立場にもないエステルトは、それを敢行する。
即ち。
「アンキア、良かった。起きてくれたか」
「……仮にもオレの部下ならば、寝室にコンストラクトを送り込むのはやめろ」
「ごめんね。けど、居ても立っても居られなくて」
エステルトの様子がおかしいことに気付いたのだろう。文句を言いたげなアンキアは、しかし、それを飲み込んだ。
「どうした」
「魔王国の……どこの村かはわからないけれど、小さな村だ。見えた家屋は十軒ほど。中心の井戸を囲むように、大小まばらな家があって……」
「何の話だ。貴様の夢の話、というわけでもないのだろう」
「ああ……そうか、君は仮面の魔族についてを知らないのか。……仮面の魔族というのはね、他の魔族の感情に感応できるんだ。強い怒りや苦しみは特に伝わりやすい。普段はそれが通ってこないようにする訓練をしているから平気なんだけど、それを突き抜けて届くような感情は決まって救難信号であると言える」
「……特殊魔族。成程、そういう生態か。……つまり貴様は、どこぞかの村の悲痛な叫びを感知した、と」
「そうなる。……ただ、それがどこであるか、というのがわからなかった。普通はわかるのに……何か、強い結界……人払い? のようなもので阻害されている感覚だ」
エステルト自身が気付いているのか気付いていないのかは。アンキアにはわからなかった。
左目からボロボロと涙を流し、唇を固く噛みしめ、掌から血が出る程に拳を握り。
感情が制御できていない様子の彼は、しかし、冷静だ。恐らくこれこそが訓練の賜物であり、種族特性ということなのだろう。
「……十件程度の家しか持たない村は、魔王国には百三十はある。猫の魔族を始めとした足の速い魔族に周辺の村を探らせよう」
「ああ……ありがとう。信じてくれて」
「貴様はオレが尊敬する男の一人でもある。それに、魔族が苦しんでいると言うのなら、オレは魔王としてそれを助けにいくだけだ。理由はこの二つで充分だろう。だが、手あたり次第は時間がかかり過ぎるな。……貴様の感覚的に方向を絞ることはできないのか?」
「普段ならできる。今は難しい。何かに阻害されているんだ」
「……ならば、些か暴力的にはなるが、こちらの手段を取るか。……ヴェリウス!」
アンキアがその名を呼べば、彼の影の中に召喚契約の扉が開き、その存在が顔を出した。
一見すれば蝙蝠の魔族。黒く艶やかな布のようなものを羽織った赤い顔の男性。だが、違う。エステルトの直感に従うのなら、これは、「ヒトガタをした蝙蝠の魔物」というべきだ。
「ハイ、ゴヨウですか、マオウサマ」
「リサンフィビアの神に会いに行く。オレを運べ」
「ショウチ」
人語も……恐らく発声できない喉なのだろう。明らかに無理をして喋っている。
「良く報告してくれた、エステルト。貴様は待機し、改めて感覚を研ぎ澄ませておけ。リサンフィビアの神でも無理だった場合に、聞きに来るやもしれない」
「……何もかも頼ってしまってすまないね。けど……頼んだよ、アンキア」
「任せろ」
ふわりと浮かんだヴェリウスという男がアンキアの肩に乗り……否、その肩を掴み、真っ黒で大きな翼を広げる。
そこにあったのはやはり、魔物の身体だった。どちらかといえば胴体以下は全て魔物で……顔だけがヒトのような形を取った魔物、というべきか。
飛んでいく。飛んで……そして、空の中頃で、消える。
神に会いに行くと言っていたから、位相空間に入ったのかもしれない。それを可能にするのがあの魔物だったというわけだ。
「……嫌な予感しかしない。……どうか、無事で」
彼のその願いは──。
──夜明けと共に発令された、人魔戦争という形で、敢え無く崩れ去ることとなる。
翌日のことである。
エステルトは──その身柄を拘束され、アンキアのもとに連れていかれた。
彼が兵を下がらせ、二人だけになってようやく、エステルトの拘束が解かれる。
「あんまりじゃないか、アンキア。私に……諜報の容疑、だなんて」
「ああ、すまない。だが、余計な勘繰りを持たれぬためにはこうするしかなかった」
「余計な勘繰り?」
わかっている。エステルトとて、アンキアが本気で疑ってきているわけではないと。
その上で。
「人魔戦争……オレが昨日宣言を出した戦争だ。対象はV・D連邦のみだが、この名を使った」
「……昨日の……私が感受した悲鳴。それが原因なんだね」
「そうなるな。……アウノルド村。連邦との国境付近にあるこの村において、身の毛のよだつような……度し難いほどの実験が行われていたんだ」
「実験……?」
「『魔鉱石抽出実験』。魔族の体内に生成される高密度・高純度の魔鉱石を、特殊な魔道具を用いて生きたままに抽出しようとする悍ましい実験だ」
「な……それを、連邦が?」
「ああ。小の悪を大に押し付けるべきではないというのはわかっている。……だが、この実験を進めた者は……この世から消し去らなければ、怒りが収まらない」
アンキアは魔王国を、民を、その彼らが平穏無事に暮らせるような国作りを掲げていた。
人族の国への侵略ではなく、自国に幾らかの風を取り入れて、豊かにしようとしていた。
その彼にとってこれは、あまりにもな仕打ちだろう。
「……私とて憤りが隠せないよ。けれど、それで私が拘束される意味がわからない。況してや諜報だなんて」
「人族の管理していた報告書と、リサンフィビアの神に確認を取ったが……この『魔鉱石抽出実験』の出資者に、【マギスケイオス】が『財宝』のマイズライト、という名があった。──貴様の姉、『財宝』殿で間違いないな、エステルト」
「──……うそだ」
「どこまで関わっていたのかについては知らん。すまないがそこまで気を回してやれるほど今のオレには余裕が無い。……だが、『財宝』と師弟関係にある貴様は……そしてマイズライト姓を持つ貴様は、少なくとも人魔戦争の期間中は、魔王国にいてはならない。わかるだろう」
「嘘だ、姉さんは……そんなこと」
「すまないが、今はかける言葉が見つからない。……だが、この報告書や連邦の金の流れを知っているのがオレだけではないという事実が厄介なんだ。……今のオレでは、貴様を守り切れん。貴様に疑いなど欠片もかけてはいないが、おかしな勘繰りから貴様を迫害、ないしは暗殺しようとする輩が出ても、徒に兵を罰して数を減らすことになるだけだ。……であればオレは、貴様に、戦争期間中の魔王国立ち入りを禁ずる、と宣言する」
それがアンキアの誠意であり精一杯である、ということは、勿論エステルトにも伝わった。
けれど……それ以上に、姉の名がここに出てきたことが、ショックで。
今日中に身支度を整え、出ていけ、と。そう言われ、処理はオレがしておくから、と、そう言われ。
どこを歩いたか、何の理解もしていないままに……彼はその店へ来ていた。
ブックカフェ『ルート』。
戸を押せば、好ましい静かな空気に触れる。
客は……誰もいないらしかった。
重い足を引き摺って、エステルトは、カウンター席につく。
出されるのは……甘い甘い珈琲。まだ姉と一緒にいた頃に飲んでいたものくらい、甘いもの。
そうだ。
信じられる。姉を信じられないわけがない。
血は繋がっていないけれど、互いに苦楽を共にして、今まで生きてきた。家族だ。大切な。
悪いのは連邦の人間だ。人族だ。
自分たち以外の種族を魔物くらいにしか見ていない、あの愚かな種族が悪いのだ。
そうだ。
だから。
「マスター」
「はい」
「マスターは……何の魔族なのかな」
体毛の無い顔。ごつごつしていない顔。
髭も無い。尾も無い。牙も無い。手指は五本。どこかの筋肉が特別に発達しているわけではない。
「私は狒狒の魔族ですよ」
「そうかい」
雷が鳴る。
遮音されているはずの店内にまで響く雷鳴。
膨れ上がった疑問は、確証バイアスという名の思い込みによって膨らみ、加速する。
「──上手く誤魔化すものだね。さてはこれが初めてじゃないんだろう。普段は見かけない、けれどいておかしくない種族で偽って……魔力にも偽装をかけて。──君だろう。君だ。諜報は……人族と繋がっているのは、君だ。……そうだ、だから……だからだろう。姉さんを悪者に仕立て上げたのは……姉さんが僕から離れるように唆したことさえも……!」
「……」
「否定しなよ。なんで否定しない? 図星だから、かな。私の……僕の姉さんに……君は、どんな恨みがあって……どんな権利があって……!!」
全てを悪い方向に考える。
全てを自分の考えたい方向に当てはめて考える。
こいつだ。こいつだ。こいつだ。
こいつに決まっている。すべてはこのための。今魔王国が危機に脅かされているのは。こいつは。
こいつは──なんだ。
「──
こいつが、すべての。
雨が降っている。
分け隔てなく、容赦なく降り注ぐ雨は、果たして誰の慟哭を表しているのか。
彼……エステルトは、導かれるままにそこへやってきた。
大きな池である。魔王国内のどこかの山の、どこかの池。いや、泉というべきか。
そこの真ん中に、大きな蓮があって。
その上に、大きなカエルが……陣取っていた。
「──
仮面の魔族としての感能力を辿って、鳴き声に乗せられた意思が言葉としてエステルトに届く。
「……神、か。……あんたは、リサンフィビアの神か?」
「
「そうか。……呼称を違えたことを、謝罪する」
「
彼は。
エステルトは……膝をついて、嗚咽を漏らすように、言葉を絞り出す。
「……僕を殺してほしいんだ」
「
「できない。涅月と契約を交わした祖の延長線上にいる僕たちは、自死を選ぶことができない。特性の二種ならばともかく、能力の二種は……自らの死へとその全てを繋げられない」
破壊か創造であれば、自らで自らの息を止めることができた。
適応と感応はそうは作られていない。長く生きる設計になっていて、寿命は長く、強度は高く。そしてすべての力を己に向けることができない。その行動力でさえも。
本来はこれを頼むことだって難しい。けれど……そうでもしなければ。
「
「一瞬でも! 姉さんとの……思い出を。僕らがバラバラにならないための力を貸してくれた人を……殺そうとした。首を掴んで、その頭蓋を縊り落とそうとした。……僕は化け物だ。魔物だ。……姉さんの枷にしかならない。僕は……僕なんて存在は、死んだ方が……世のためだ」
「
「ああ。……睨みつけるでも、悲鳴を上げるでもなく……ただただ冷静に、僕の目を見ていた。その目に映る僕が……あまりにも直視できない怪物だったから、我に返ったんだ。……殺していない。……けど、それが……殺していないと言い切れないくらいには、僕は……」
「
あれだけ穏やかな時間を過ごさせてもらった……姉との思い出の場所であり、そして、自身と姉を繋ぎ止めてくれたあのマスターを、一瞬でも疑い、一瞬でも殺しかけた。
彼は抵抗しなかった。悲鳴も上げなかった。助けも求めなかった。
ただじっと、エステルトを見て。その目を、見つめてきただけ。
だから……彼も、我に返ることができた。
自分はなんて愚かなことをしたのだ、と。……そして、自分が怖くなって、逃げるように店を出て、そのまま……ここにまで辿り着いた。
「
「……いや。逃げてきたから……していない。僕は……魔王国自体、出入り禁止になってしまったから……バリムケラスにも顔を出すことはできない」
「
「……僕に生きる目的を与えて……自死を止めようっていう腹なのか」
「
「何を勝手に……」
「
言葉を言い終わるや否や、ぴょーんと跳躍し……エステルトの肩に乗ってくる巨大なカエル。
同時、水場が、蓮が、すべて力を失ったように枯れていく。
「
「……エステルト。僕の……私の名前だ」
「
「したならそう呼べよ。……まぁ、そうだね。……まずは、確認しないと。姉さんが……いったい何と関わっていたのか」
不思議と気持ちは晴れやかだった。いつの間にか雨も止んでいて、だからエステルトは……踵を返すことができた。
死にに来た。その願いは一切適っていないのに、足取りが軽くなった気分だった。
行きより、足にかかる重さはなんなら増えているはずなのに。
「
「え? ああ……え、あ。……なんだろう。マスターとしか呼んでいなかったから、よく覚えてない……ああでも、聞きはしたはず。えっとギ……ギンノー・ドレッド……だっけな」
「
「子供って……。私はもう九十七歳なんだけどな」
「
「……いち魔族と年齢を競ってくるような、程度もスケールも低い神が全霊を賭けたところで、薬にもしたくない量にしかならないだろうに」
ここに。
珍妙不可思議な二人組が完成する。
この二人はその後もずっと一緒に行動し、一度は別れるのだが、再度合流してまた一緒に行動することになるので……この時のことは、運命の出会いとでも言うべきなのだろう。
姉のこと。友のこと。マスターのこと。
心配は尽きないけれど──その道筋に、とりあえず、深すぎる水たまりは無いらしかった。