星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜 作:暁 蒼空
フィオーレ王国、ハートフィリア財閥の広大な屋敷。
その一角にある豪奢な寝室は、死に絶えたかのような静寂に包まれていた。
天蓋付きのベッド。重厚なベルベットのカーテン。そして、サイドテーブルを埋め尽くす茶色い小瓶の数々と、吸入器。
窓の外には、手入れの行き届いた美しい庭園が広がっている。だが、ベッドの上の少女にとって、そこは永遠に手の届かない異世界だった。
ルーシィ・ハートフィリアは、シーツの上に投げ出された自分の手を見つめていた。
透き通るような白い肌。血管が青く浮き上がり、まるで硝子細工のように脆い。
(……お父様は、もう一ヶ月もこの部屋に来ていない)
広い屋敷の静寂が、耳鳴りのように鼓膜を圧迫する。
父・ジュードにとって、私はもう「いないもの」なのだ。母様を殺してまで生き残った、できそこないの娘。
肺が軋む。呼吸をするたび、空気中に漂う微量な魔力(エーテルナノ)が、紙やすりのように気管を擦る。
ルーシィの視線が、枕元に置かれたボロボロの雑誌『週刊ソーサラー』に落ちる。
表紙で笑う魔導士たちは、太陽の下で輝いていた。
「魔法は、自由な人のためのものだと思っていた」
乾いた唇から、独り言が漏れる。
「私のような、太陽の光さえ毒になる人間には、星の光は遠すぎる……。でも、もし。もしもあの一筋の星光(スターライト)の様に、空を駆けることができたなら」
胸の奥が焼けるように熱い。
それは病の熱か、それとも焦がれるような憧憬か。
寂しさが、潮のように押し寄せてくる。誰かの声が聞きたい。誰でもいい、私を知っている誰かの……。
震える指先で、枕の下から「黄金の鍵」を取り出す。冷たい金属の感触だけが、現実との唯一の繋がり。
喉から血の味がするのを堪えて、彼女は詠唱する。
「……開け、宝瓶宮の扉……アクエリアス……」
カチリ、と鍵が回る音がした瞬間。
金色の光が部屋を満たし、同時にルーシィの肺が激しく痙攣した。
「がはっ、う、あ……っ!」
激しい咳と共に、視界が白む。
魔力が体内を駆け巡るたび、自分の肉体が「人間」としての輪郭を失い、希薄になっていくような浮遊感に襲われる。
ベッドから転げ落ちそうになったその体を、突如現れた水流が優しく、しかし乱暴に受け止めた。
「——アンタねぇ! 死に急ぎたいなら他所でやってくんない!?」
怒鳴り声と共に現れたのは、人魚の星霊・アクエリアス。
その目は吊り上がっているが、ルーシィの背中を支える手は、壊れ物を扱うように慎重だった。水流がクッションになり、ルーシィの苦痛を和らげる。
「ごめん、なさい……アクエリアス……」
「謝るくらいなら呼ぶんじゃないわよ。また熱が上がってる……まったく、世話の焼ける娘ね」
アクエリアスは悪態をつきながら、ルーシィの額に濡れた手を当てた。
そして、ふと眉をひそめる。
「……アンタ、また進んだわね」
「え……?」
「こっち側(星霊界)の匂いが濃くなってるって言ってんのよ。……これ以上魔法を使えば、アンタの体、本当に消えてなくなるわよ」
『星霊同化症(アストラル・アシミレーション)』。
強大すぎる魔力に肉体が耐えきれず、魂ごと星霊へと変質してしまう奇病。
魔法を使えば使うほど、彼女は人間であることをやめていく。
「それでも……いいの」
ルーシィはアクエリアスの冷たい腕に頬を寄せた。
「だって……私には、アクエリアス達しかいないの……」
「……馬鹿な小娘」
アクエリアスはため息をつき、無言でルーシィの背中をさすり続けた。その不器用な優しさが、母・レイラのようで、ルーシィは浅い呼吸の中で瞳を閉じた。
——その夜遅く、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、古株のメイド、スペットだった。
「お嬢様。……起きていらっしゃいますか」
「スペット……? どうしたの、こんな夜中に」
「……お逃げなさい、お嬢様」
スペットの言葉に、ルーシィは目を見開いた。
「旦那様の電話を聞きました。明日、お嬢様を北の療養所へ移送すると。……あそこは、重度の魔力障害者を隔離するための施設です。一度入れば、二度と空を見ることは叶いません」
「お父様が……私を……?」
驚きよりも先に、納得があった。
ああ、ついに捨てられるのだ。役立たずの娘は、邪魔なだけなのだ。
「ここで枯れるくらいなら、一瞬でも鮮やかに咲きなさい。それが、レイラ様の願いでもあります」
スペットが差し出したのは、旅支度が詰め込まれた鞄と、大量の薬瓶。そして、わずかな路銀。
ルーシィは震える手でそれを受け取った。その重みは、自由への切符の重みだった。
「……ありがとう、スペット」
雨が降っていた。
使用人たちの手リレーで裏口へ運ばれたルーシィは、泥にまみれながら貨物列車に乗り込んだ。
ガタン、と列車が動き出す。
窓ガラスに映る自分は、幽霊のように白く、儚い。
遠ざかる巨大な屋敷。そこは私を守る檻であり、私を殺す棺桶だった。
(さようなら、お父様。さようなら、私の鳥籠)
もう、後戻りはできない。
たとえこの体が、星の光に溶けて消えてしまうとしても。
私は、生きたい。
列車は闇を切り裂き、南へ——魔導士たちの集う港町、ハルジオンへと走り出した。