星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜 作:暁 蒼空
マグノリアのギルド『妖精の尻尾(フェアリーテイル)』。
ルーシィが旅立った翌日、いつものテーブルで、カナが酒瓶を揺らしながら眉をひそめていた。
「……なぁ、エルザ。あいつ、本当に小説書いていたのか?」
「む? どういうことだカナ。取材旅行に行ったのだろう?」
エルザが怪訝な顔をする。
カナはグラスの縁を指でなぞりながら、低い声で言った。
「こないだ、あいつの家に遊びに行った時さ……机の上の原稿用紙、見たんだよ。……真っ白だった」
「真っ白……?」
「ああ。一枚も書けてなかった。ペンを握ったまま、震えてたんだ」
その言葉に、ウェンディがハッとして顔を上げた。
「あ……私も、見ました。ルーシィさん、時々『何も書けない』って泣いてて……。スランプなのかなって思ってたんですけど……」
「違う」
カナが断言する。
「あれはスランプなんかじゃねぇ。……『書くことがない』んじゃなくて、『明日が見えない』奴の顔だった」
テーブルに沈黙が落ちる。
明るく振る舞っていた受付嬢としてのルーシィ。
けれど、その裏で彼女は、一枚の物語も紡げないほど、心のインクが枯れ果てていたのだ。
エルザの背筋に、冷たいものが走った。
「……まさか、あいつ。取材というのは嘘で……」
バタンッ!!
ギルドの扉が激しく開く音ではなく、地下資料室から駆け上がってきたレビィの足音が響いた。
「マスター! 大変! 大変よ!!」
いつも冷静なレビィが、顔面蒼白でマカロフの元へ駆け寄る。
その手には、破り取られた古びた本の一部が握られていた。
「どうしたレビィ、そんなに慌てて」
「これ……! 資料室の『禁書コーナー』にあった本が……ページを破り取られてるの!」
「なんじゃと!?」
レビィは震える手で、そのページをテーブルに広げた。
そこに記されていたのは、『嘆きの魔導書(グリモワール)』――失ったものを代償に、過去の縁を繋ぐ黒魔術。
「ルーちゃん……これを読んでたの。このページの地図がなくなってる……!」
「北の……忘却の遺跡か!」
マカロフが目を見開く。
その場にいた全員が理解した。
ルーシィは小説の取材になど行っていない。
魔力を失った体で、禁忌の儀式を行うために、死地へと向かったのだ。
「馬鹿者ォォッ!! 命を捨てる気か!!」
マカロフの怒号が響く。
ギルド全体が総出で彼女を連れ戻すべく動き出した。
北の果て、『忘却の遺跡』。
猛吹雪が吹き荒れる極寒の地を、一人の少女が歩いていた。
「……げほっ、はぁ、はぁ……」
ルーシィのコートはボロボロに裂け、素肌には無数の切り傷が刻まれていた。
遺跡内部には、凶暴な魔獣や古代のトラップがひしめいている。
魔力のない今の彼女にとって、ここは歩くだけで死ぬ場所だ。
グルルル……。
物陰から、飢えた狼型の魔獣が牙を剥く。
しかし、魔獣はルーシィに飛びかかる寸前で、怯えたように後ずさり、闇へと消えていった。
「……あれ?」
ルーシィは虚ろな目でそれを見送った。
なぜ襲ってこないのか。
理由は単純だった。今の彼女から発せられる「死の気配」が、あまりにも濃密すぎたのだ。
生きる意志を持たず、ただ破滅へと吸い寄せられるその姿は、本能で生きる獣たちにとって、不気味な「動く死体」にしか見えなかった。
「……どうでもいい。……早く、奥へ……」
痛みなど感じない。寒さもどうでもいい。
彼女は血の跡を引きずりながら、最奥の祭壇へと辿り着いた。
祭壇の前には、黒い霧のような不定形の番人が漂っていた。
『……魔力なき娘よ。ここへ何をしに来た』
「……会わせて。……友達に」
ルーシィは祭壇に崩れ落ち、懇願した。
「アクエリアスに……星霊たちに……もう一度会いたいの。……そのためなら、私の命でも、心臓でもあげる……!」
番人はクツクツと笑った。
『命などいらぬ。魔力のない貴様の命になど、価値はない』
「っ……」
『だが、貴様の中には「輝かしい時間」の記憶があるな』
番人の霧が、ルーシィの顔を撫でる。
『代償は……お前の「一番大切にしている記憶」だ』
「一番、大切……?」
『そうだ。家を飛び出し、仲間と出会い、冒険し、笑い合った……その全ての記憶を置いていけ』
ルーシィは息を呑んだ。
それはつまり、ナツと出会ってからの記憶。
妖精の尻尾(フェアリーテイル)に入ってからの記憶。
エルザも、グレイも、ウェンディも……そして、ロキやバルゴたち、後から契約した星霊たちのことも、全て忘れるということだ。
残るのは、ハートフィリアの屋敷で、薬漬けの日々を送っていた孤独な少女時代の記憶だけ。
知っている星霊は、幼い頃から一緒だったアクエリアスとキャンサー、タウロスのみ。
『選べ。孤独な過去に戻り、友(アクエリアス)との再会を果たすか。……今の絆を持ったまま、孤独に死ぬか』
ルーシィの脳裏に、ナツの笑顔が浮かんだ。
『お前がいると楽しいんだ!』と言ってくれた言葉。
ギルドのみんなと囲んだ食卓。
けれど、それ以上に強く心を占めたのは、アクエリアスを失った喪失感だった。
今の自分には、ナツの隣に立つ資格はない。
魔力のない私は、ただのお荷物だ。
だったら――。
「……いらない」
ルーシィは呟いた。
「え?」と聞き返す番人に、彼女は叫んだ。
「いらないわよ、そんな記憶! ……私が輝いていた時間の記憶なんて……今の私を惨めにするだけだわ!」
涙が溢れる。
それは本心からの拒絶ではなく、自分を許せないが故の自傷行為だった。
「全部あげる……。ナツのことも、ギルドのことも……全部忘れる……」
彼女は、祭壇に手を置いた。
「だから……返してよ。私だけの、アクエリアスを……!」
番人が満足げに笑い、黒い霧がルーシィを包み込む。
彼女の瞳から、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の紋章の輝きが、そしてナツという少年の記憶が、砂のように零れ落ちていく。
遠くで、彼女の名前を叫ぶナツの声がした気がしたが、それは吹雪の音に掻き消された。