星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜   作:暁 蒼空

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第32話:空白の原稿、忘却の代償

マグノリアのギルド『妖精の尻尾(フェアリーテイル)』。

 ルーシィが旅立った翌日、いつものテーブルで、カナが酒瓶を揺らしながら眉をひそめていた。

「……なぁ、エルザ。あいつ、本当に小説書いていたのか?」

「む? どういうことだカナ。取材旅行に行ったのだろう?」

 エルザが怪訝な顔をする。

 カナはグラスの縁を指でなぞりながら、低い声で言った。

「こないだ、あいつの家に遊びに行った時さ……机の上の原稿用紙、見たんだよ。……真っ白だった」

「真っ白……?」

「ああ。一枚も書けてなかった。ペンを握ったまま、震えてたんだ」

 その言葉に、ウェンディがハッとして顔を上げた。

「あ……私も、見ました。ルーシィさん、時々『何も書けない』って泣いてて……。スランプなのかなって思ってたんですけど……」

「違う」

 カナが断言する。

「あれはスランプなんかじゃねぇ。……『書くことがない』んじゃなくて、『明日が見えない』奴の顔だった」

 テーブルに沈黙が落ちる。

 明るく振る舞っていた受付嬢としてのルーシィ。

 けれど、その裏で彼女は、一枚の物語も紡げないほど、心のインクが枯れ果てていたのだ。

 エルザの背筋に、冷たいものが走った。

「……まさか、あいつ。取材というのは嘘で……」

 

 バタンッ!!

 ギルドの扉が激しく開く音ではなく、地下資料室から駆け上がってきたレビィの足音が響いた。

「マスター! 大変! 大変よ!!」

 いつも冷静なレビィが、顔面蒼白でマカロフの元へ駆け寄る。

 その手には、破り取られた古びた本の一部が握られていた。

「どうしたレビィ、そんなに慌てて」

「これ……! 資料室の『禁書コーナー』にあった本が……ページを破り取られてるの!」

「なんじゃと!?」

 レビィは震える手で、そのページをテーブルに広げた。

 そこに記されていたのは、『嘆きの魔導書(グリモワール)』――失ったものを代償に、過去の縁を繋ぐ黒魔術。

「ルーちゃん……これを読んでたの。このページの地図がなくなってる……!」

「北の……忘却の遺跡か!」

 マカロフが目を見開く。

 その場にいた全員が理解した。

 ルーシィは小説の取材になど行っていない。

 魔力を失った体で、禁忌の儀式を行うために、死地へと向かったのだ。

「馬鹿者ォォッ!! 命を捨てる気か!!」

 マカロフの怒号が響く。

 ギルド全体が総出で彼女を連れ戻すべく動き出した。

 

 北の果て、『忘却の遺跡』。

 猛吹雪が吹き荒れる極寒の地を、一人の少女が歩いていた。

「……げほっ、はぁ、はぁ……」

 ルーシィのコートはボロボロに裂け、素肌には無数の切り傷が刻まれていた。

 遺跡内部には、凶暴な魔獣や古代のトラップがひしめいている。

 魔力のない今の彼女にとって、ここは歩くだけで死ぬ場所だ。

 グルルル……。

 物陰から、飢えた狼型の魔獣が牙を剥く。

 しかし、魔獣はルーシィに飛びかかる寸前で、怯えたように後ずさり、闇へと消えていった。

「……あれ?」

 ルーシィは虚ろな目でそれを見送った。

 なぜ襲ってこないのか。

 理由は単純だった。今の彼女から発せられる「死の気配」が、あまりにも濃密すぎたのだ。

 生きる意志を持たず、ただ破滅へと吸い寄せられるその姿は、本能で生きる獣たちにとって、不気味な「動く死体」にしか見えなかった。

「……どうでもいい。……早く、奥へ……」

 痛みなど感じない。寒さもどうでもいい。

 彼女は血の跡を引きずりながら、最奥の祭壇へと辿り着いた。

 

 祭壇の前には、黒い霧のような不定形の番人が漂っていた。

『……魔力なき娘よ。ここへ何をしに来た』

「……会わせて。……友達に」

 ルーシィは祭壇に崩れ落ち、懇願した。

「アクエリアスに……星霊たちに……もう一度会いたいの。……そのためなら、私の命でも、心臓でもあげる……!」

 番人はクツクツと笑った。

『命などいらぬ。魔力のない貴様の命になど、価値はない』

「っ……」

『だが、貴様の中には「輝かしい時間」の記憶があるな』

 番人の霧が、ルーシィの顔を撫でる。

『代償は……お前の「一番大切にしている記憶」だ』

「一番、大切……?」

『そうだ。家を飛び出し、仲間と出会い、冒険し、笑い合った……その全ての記憶を置いていけ』

 ルーシィは息を呑んだ。

 それはつまり、ナツと出会ってからの記憶。

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)に入ってからの記憶。

 エルザも、グレイも、ウェンディも……そして、ロキやバルゴたち、後から契約した星霊たちのことも、全て忘れるということだ。

 残るのは、ハートフィリアの屋敷で、薬漬けの日々を送っていた孤独な少女時代の記憶だけ。

 知っている星霊は、幼い頃から一緒だったアクエリアスとキャンサー、タウロスのみ。

『選べ。孤独な過去に戻り、友(アクエリアス)との再会を果たすか。……今の絆を持ったまま、孤独に死ぬか』

 

 ルーシィの脳裏に、ナツの笑顔が浮かんだ。

 『お前がいると楽しいんだ!』と言ってくれた言葉。

 ギルドのみんなと囲んだ食卓。

 けれど、それ以上に強く心を占めたのは、アクエリアスを失った喪失感だった。

 今の自分には、ナツの隣に立つ資格はない。

 魔力のない私は、ただのお荷物だ。

 だったら――。

「……いらない」

 ルーシィは呟いた。

「え?」と聞き返す番人に、彼女は叫んだ。

「いらないわよ、そんな記憶! ……私が輝いていた時間の記憶なんて……今の私を惨めにするだけだわ!」

 涙が溢れる。

 それは本心からの拒絶ではなく、自分を許せないが故の自傷行為だった。

「全部あげる……。ナツのことも、ギルドのことも……全部忘れる……」

 彼女は、祭壇に手を置いた。

「だから……返してよ。私だけの、アクエリアスを……!」

 番人が満足げに笑い、黒い霧がルーシィを包み込む。

 彼女の瞳から、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の紋章の輝きが、そしてナツという少年の記憶が、砂のように零れ落ちていく。

 遠くで、彼女の名前を叫ぶナツの声がした気がしたが、それは吹雪の音に掻き消された。

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