星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜   作:暁 蒼空

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第3話:硝子の魔導士と、優しき鳥籠

マグノリアの街を流れる運河沿い。家賃7万ジュエルのアパートの一室で、ルーシィは重い瞼を開けた。

 朝の光がカーテン越しに差し込む。それだけで、眩暈がした。

「……ん、っ……」

 身体を起こそうとして、激しい咳き込みに襲われる。

 ヒュー、ヒューと、肺が悲鳴を上げている。昨日の興奮が冷め、現実という名の重力が、病みついた肉体にのしかかっていた。

 洗面所の鏡の前に立つ。パジャマのボタンを外すと、胸元にある**『星空の痣』**が、昨日よりもわずかに範囲を広げていた。

 薄紫色の美しい痣。それは、私が人間であることを辞めつつある証拠。

「……まだ、大丈夫。私は、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の魔導士なんだから」

 自分に言い聞かせるように呟き、ルーシィは服を着替えた。

 右手の甲にあるピンク色の紋章。それだけが、今の私を支える全ての誇りだった。

 

 ギルドへの道のりは、健常者なら徒歩15分。今のルーシィには30分の登山に等しい。

 息を切らせて重厚な扉の前に立ち、意を決して押し開ける。

「お、おはようございま……」

 その瞬間だった。

 ガタタッ! と店内のあちこちで椅子を引く音がし、先ほどまで騒がしかったギルドが水を打ったように静まり返った。

「お、おい! ルーシィが来たぞ!」

「窓際を開けろ! 空気が悪い!」

「タバコ消せバカ野郎! 煙が肺に入るだろ!」

 荒くれ者たちが大慌てで「ルーシィ仕様」の環境を作り出す。

 中央のテーブルへ向かうだけで、まるでモーゼの海割れのように道ができる。

「あ、ありがとう……みんな……」

「おう! 顔色はいいか? 無理すんなよ!」

「座布団、三枚重ねといたからな!」

 皆、優しい。涙が出るほど温かい。

 けれど、その優しさが、ルーシィの心をチクリと刺した。

(……私は、特別なんだ)

 ここでは誰もが対等に喧嘩し、笑い合っている。

 けれど私だけは、触れれば壊れる硝子細工(ガラスドール)。皆に気を遣わせ、楽しみを奪っている異物。

「よぉルーシィ! 今日も生きてるかー?」

 唯一、いつも通りの大声で近づいてきたのはナツだった。

 彼は隣の席にドカッと座ると、勝手にルーシィの手を握りしめた。

「手ェ冷てぇな。ほら、カイロ代わりだ」

「……うん。ありがとう、ナツ」

 ナツの熱が流れ込んでくる。呼吸が楽になる。

 けれど、ふと視界の端で、グレイがこちらに来ようとして、躊躇っているのが見えた。

「あいつ……寒がってるな。俺が近づいたらマズいか」

 グレイは寂しそうに苦笑し、遠くの席へと移動していった。

 それを見た瞬間、ルーシィの胸が締め付けられた。

(ごめんなさい。……私のせいで、ナツとグレイの喧嘩も見られなくなっちゃった)

 私は、守られているんじゃない。

 みんなの優しさでできた、見えない鳥籠の中にいるんだ。

 

「仕事、行きたいです」

 カウンターでジュース(常温)を飲みながら、ルーシィは言った。

 ミラジェーンが困ったように微笑み、奥からマスターのマカロフが出てきた。

「ならん。お前の体はまだ安定しておらん」

「でも、おじいちゃん。……私、家賃も払わなきゃいけないし、何より……」

 ルーシィは右手の紋章を握りしめた。

「何もせずに守られているだけじゃ、ここにいる資格がない気がして……」

「……」

 マカロフは、孫娘の頑固な瞳を見て、ため息をついた。

 彼女の焦燥感を見抜いているのだろう。

「分かった。ただし、条件がある」

「条件?」

「ナツ、ハッピー! お前たちがついて行け! こやつの暖房係じゃ!」

「うおお! 任せろじっちゃん! 仕事だ仕事だー!」

「あい! 魚代稼ぐぞー!」

 こうして、ルーシィの初仕事が決まった。

 内容は『シロツメ山の盗賊討伐』。報酬は20万ジュエル。

 ……本来なら、ルーシィのような初心者が選ぶ仕事ではない。だが、「簡単な仕事(迷子探し)」などは、今の彼女の体力では逆に走り回って危険だという判断で、ナツが瞬殺できる討伐系が選ばれたのだ。

(結局、ナツにおんぶに抱っこなんだ……)

 

 シロツメ山の中腹。

 山道の上り坂は、ルーシィにとって地獄だった。

 ゼェ、ゼェ、と喉が鳴る。視界が白む。

「おーい、ルーシィ。背中乗るか?」

「ううん……大丈夫。これくらい、歩ける……っ」

 ナツの背中に乗れば楽なのは分かっている。でも、それだけはしたくなかった。

 魔導士として仕事に来たのだ。荷物として来たわけじゃない。

 その時、茂みから数人の男たちが飛び出してきた。

「へへっ、魔導士ギルドか! 金目のもん置いてきな!」

「あ? 邪魔だお前ら」

 戦闘が始まる。

 ナツの動きは早すぎて目に見えない。炎を纏った拳が、次々と盗賊たちを吹き飛ばしていく。

 強い。圧倒的だ。

 ルーシィは木の陰で、ただそれを見ていることしかできない。

(……なにか。私にもできること……!)

 一人の盗賊が、ナツの死角からナイフを投げるのが見えた。

 声を出して知らせるより、魔法の方が早い。

「開け、巨蟹宮の扉……キャンサー!!」

 鍵を振るう。

 体内の魔力がごっそりと持っていかれる感覚。内臓を雑巾絞りされるような激痛。

「エビ!」

 現れたキャンサーがハサミを一閃させ、ナイフを撃ち落とす。

 ナツを守れた。

 その事実に喜ぶ間もなく、反動がルーシィを襲った。

「ガハッ……!!」

 地面に膝をつき、鮮血を吐く。

 たった一回。たった一度、下級の星霊を呼んだだけで、このザマだ。

「ルーシィ!!」

 ナツが盗賊を放置して駆け寄ってくる。

 その顔にあるのは、勝利の喜びではなく、悲痛なほどの焦り。

「バカ野郎! なんで魔法なんか使った! 俺一人で余裕だったろ!?」

「だっ、て……ナツが、危な……」

「お前が倒れるほうがヤベェんだよ!! すっこんでろって言ったろ!」

 ナツの怒鳴り声が、山に木霊する。

 彼は本気で怒っている。私の体を心配して。私が死なないように。

 けれど、ルーシィの心は冷え切っていた。

 口元の血を拭いながら、彼女は心の中で呟いた。

(ごめんなさい。……もう、しません)

 私は、戦っちゃいけないんだ。

 ナツの言う通り、すっこんで守られていなきゃいけないんだ。

 だって私は、彼らにとって仲間である以前に、壊れかけの「お荷物」なのだから。

「……ごめんね、ナツ」

 謝罪の言葉は、乾いた風に消えた。

 ナツの温かい手が背中をさすってくれるけれど、その温もりすら、今のルーシィには惨めさの象徴に思えてならなかった。

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