星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜 作:暁 蒼空
世界から忘れ去られた、深い森の奥にある一軒家。
そこは、魔法評議院からも、闇ギルドからも追われる身となった独立ギルド『魔女の罪(クリムソルテール)』の隠れ家だった。
窓から差し込む木漏れ日の中、一人の女性がベッドで浅い呼吸を繰り返していた。
ルーシィ・ハートフィリア。
かつて17歳だった彼女は、7年の時を経て24歳になっていた。
大人びた顔立ちは美しく成長していたが、その肌は透き通るほど白く、頬は病的に痩せこけていた。
「……ルーシィ、起きた?」
部屋に入ってきたのは、ピンク色の髪をした少女――メルディだ。
7年前は幼かった彼女も、今ではすっかり大人の女性へと成長していた。
しかし、その瞳がルーシィに向ける色は、まるで幼い妹を慈しむ姉のような、あるいは壊れ物を扱うような優しさに満ちていた。
「……うん……メルディ……」
「今日は天気がいいよ。少し窓を開けようか」
メルディは手慣れた様子でルーシィの背中を支え、体を起こしてあげた。
ルーシィは虚ろな目で窓の外を見る。
そこには変わらない森の風景があるだけだ。
世界は動いているのに、彼女の時間だけが、あの日から壊れたまま進んでいないようだった。
「おかゆ作ったわよ。食べられそう?」
湯気の立つ器を持って、ウルティアが入ってきた。
彼女もまた、時を経て落ち着いた大人の雰囲気を纏っている。
かつては敵対していた三人。しかし、この7年という歳月は、彼女たちを「家族」以上の絆で結びつけていた。
「……ごめんなさい、ウルティア……」
「謝らないで。貴方は生きててくれるだけでいいの」
ウルティアは微笑み、スプーンで一口ずつ、丁寧にルーシィの口へ運んだ。
魔力を失い、心を壊したルーシィにとって、この二人が全てだった。
彼女たちが薬草を探し、食事を作り、悪夢にうなされる夜はずっと手を握っていてくれた。
「……美味しい……」
「そう。よかった」
ウルティアは安堵の息をつく。
ここ最近、ルーシィの食が細くなっていたからだ。
魔力を失った体は、年々弱ってきている。
特にここ数ヶ月は、高熱を出して寝込む頻度が増えていた。
(……このままじゃ、長くは持たないかもしれない)
ウルティアはメルディと視線を交わし、痛ましげに眉を寄せた。
贖罪の旅の途中で拾った、翼の折れた妖精。
彼女を守ることが、二人の生きる意味になっていた。
食後、ルーシィはベッドサイドのテーブルに手を伸ばした。
そこには、古びた鍵束が置いてある。
もう光ることのない、星霊の鍵たち。
「……みんな……」
彼女は震える指で、一本一本の鍵を愛おしげに撫でた。
タウロス、キャンサー、バルゴ……。
名前を呼ぶたびに、消えてしまった彼らの笑顔が浮かぶ。
そして、指先が一本の鍵に触れた。
波の意匠が施された、宝瓶宮アクエリアスの鍵。
ビクッ。
触れた瞬間、ルーシィの瞳孔が開いた。
『アンタ……何てことしたのよ!』
『私だけ……弾かれた……』
『諦めよう。あいつらはもう帰ってこねぇ』
7年前の記憶。拒絶された記憶。置き去りにされた絶望。
それらが津波のように押し寄せ、彼女の理性を飲み込んだ。
「……あ、あぁ……っ!!」
「ルーシィ!?」
メルディが駆け寄る。
ルーシィは鍵を握りしめたまま、ガタガタと痙攣し始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさいアクエリアス……! いい子にするから……薬も飲むから……捨てないでぇ……ッ!!」
ボロボロと涙を流し、子供のように泣き叫ぶ。
24歳の女性が、心だけ幼い迷子に戻ってしまっていた。
「大丈夫……大丈夫よ、ルーシィ。私たちはここにいるわ」
「捨てないよ。ずっと一緒だよ」
ウルティアとメルディは、左右からルーシィを抱きしめた。
彼女の震えが収まるまで、何時間でもそうして背中を撫で続けた。
これが、この家の日常だった。
発作が収まった後、ルーシィは糸が切れたように眠りに落ちた。
しかし、その体は高熱を発し、苦しげな呼吸を繰り返していた。
「……熱が下がらない」
メルディが濡れタオルを替えながら呟く。
「最近、発作のたびに体力が落ちてる。……ウルティア、どうしよう。このままじゃ……」
「分かってる。……普通の医者じゃもう無理ね」
ウルティアは深刻な表情で、眠るルーシィを見つめた。
持病による全身機能の低下。加えて、精神的な負荷が寿命を削っている。
彼女に必要なのは、強力な治癒魔法か、あるいは――。
「……『失われた魔力』を埋める何かが必要よ。あるいは、彼女の心を縛っている『過去』を断ち切る何か」
「過去……ナツたちのこと?」
「ええ。……彼らが死んだと思っている限り、彼女の時計は動かない」
ウルティアは窓の外、遠く東の空を見上げた。
そこはかつて、天狼島があった方角だ。
「……残酷な話ね。私たちは、彼女に『諦めろ』と言い聞かせることでしか、彼女を守れなかった」
7年間。希望を持たせれば、裏切られた時の反動で彼女は死んでしまうかもしれなかった。
だからこそ、「みんなは死んだ」という前提で、静かに余生を過ごさせてきたのだ。
X791年。
世界は、ある奇跡の予兆にざわめき始めていた。
フィオーレ王国の東の海上で、異常な魔力反応が観測されたという噂が、風に乗って流れてくる。
しかし、この隠れ家にはそんな情報は届かない。
今日もルーシィは、薄暗い部屋で、光らない鍵を握りしめていた。
「……寒い……」
「毛布を足す?」
「ううん……心が、寒いの……」
ルーシィはメルディの袖を掴んだ。
その言葉が、メルディの胸を締め付けた。
7年経っても、彼女の心を癒してあげれない。
「……ルーシィ……」
ルーシィの目から、一筋の涙が伝い落ちる。
それは、発作の時のパニックとは違う、静かで深い悲しみの涙だった。
その頃。
遥か東の海。
7年間の眠りについていた「妖精の球(フェアリースフィア)」が、ついに解かれようとしていた。
止まっていた時間が動き出す。
しかしそれは、ルーシィにとって「残酷な現実」との再会の始まりでもあった。