星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜   作:暁 蒼空

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第4話:透明な孤独と、冷たい雨

 朝、ルーシィは鏡の前で指先を震わせていた。

 薄紫色の、瞬くような痣。それは鎖骨を越え、今や首筋の際まで這い上がってきている。

「……っ」

 ルーシィは慌てて引き出しから、厚手のストールを取り出した。

 今日は暖かい春の日和だ。ストールを巻くのは不自然だが、この痣を見られるわけにはいかない。

(もし、これがおじいちゃんに見つかったら……)

 きっと、「引退しろ」と言われる。

 「もう魔法は使うな」と、あの優しい声で宣告される。

 それはルーシィにとって、死よりも恐ろしいことだった。彼女は首元を固く隠し、逃げるようにアパートを出た。

 

 ギルドの中は、今日も「優しさ」という名の薄氷が張り詰めていた。

「よぉ、ルーシィ。ほら、この特製の果実水、飲みなよ。カナが『あんたには酒よりこっちだ』ってよ」

「掃除は終わってるからな! 今日は埃一つ立たせねぇぜ!」

 マカオやワカバが笑いかけ、ギルドの力自慢たちが、ルーシィが通るたびにわざとらしく喧嘩を中断する。

「ありがとう……みんな」

 笑顔を返す。けれど、その頬はひきつっていた。

 ふと見ると、図書コーナーでレビィが古文書を広げ、ジェットとドロイと楽しそうに笑い合っていた。

「あ、ルーシィ! 見てよこれ。古代文字の解読がようやく終わったの。これで次の依頼、私たちが有利に進められるわ!」

「すごいね、レビィちゃん」

「あはは、そんなことないって。あ、そうだ。ルーシィ、体調が良くなったら今度一緒に……」

 レビィが言いかけて、ハッとしたように口を噤んだ。

 その一瞬の「同情」の沈黙が、ルーシィの心に鋭い楔を打ち込んだ。

(いいよ、レビィちゃん。……私には、その「今度」がないこと、みんな知ってるもんね)

 レビィは、自分の足で歩き、自分の魔法で仲間を支えている。

 それに比べて、自分は。

 ただ椅子に座り、みんなに気を遣わせ、時間を奪っているだけの「置物」だ。

 

「おいルーシィ! まだそんな薄着してんのか! 俺の火で温めてやるよ!」

 ナツがいつものように近づいてきて、ルーシィの肩に手を置こうとした。

 その瞬間、ルーシィは激しくその手を振り払った。

「……触らないで!」

 ギルド中が、静まり返った。

 ナツが呆然とした顔で立ち尽くす。

「ルーシィ? 俺、なんか悪いこと……」

「……もう嫌なの。ナツに温めてもらわなきゃ生きていけないなんて。みんなに顔色を窺われて、病室みたいな場所で笑ってるなんて!」

「何言ってんだよ、お前が心配だから——」

「心配なんてしないで!!」

 叫んだ拍子に、喉の奥がヒリついた。

 ルーシィは溢れそうになる涙を堪え、立ち上がった。

「私は魔導士なの! ずっと温めてもらわなきゃいられない、お人形じゃないわ! ……放っておいてよ!」

 ルーシィはストールを強く握りしめ、ギルドを飛び出した。

 後ろからナツが呼ぶ声が聞こえたが、振り返る余裕はなかった。

 

 外に出ると、皮肉にも空は一変していた。

 どんよりとした雲が立ち込め、冷たい雨が降り始めた。

「はぁ、はぁ……っ……」

 全力で走る体力など、最初からない。

 数分も経たぬうちに、ルーシィは街外れの公園で立ち止まり、膝をついた。

 雨がストールを濡らし、首筋を冷やす。

 その「冷たさ」は、彼女にとって死神の指先と同じだった。

「……ゴホッ! ゴホッ、ゲホッ……!!」

 肺が痙攣を起こす。

 酸素が吸えない。肺の中にトゲのついた鉄球を押し込まれたような激痛。

 咳をするたびに、意識が遠のいていく。

「だめ……こんなところで……」

 視界が真っ白に染まり、ルーシィは冷たい泥の上に崩れ落ちた。

 雨音だけが、彼女を嘲笑うように降り続いていた。

 

 一時間後。

 『妖精の尻尾』の扉が、遠慮がちに開かれた。

「あの……すみません。ここに、この紋章の女の子が倒れていたんですが……」

 入ってきたのは、街を回っていた初老の行商人だった。

 彼の腕の中には、雨に濡れ、意識を失ったルーシィが抱えられていた。

「ルーシィ!!」

 ナツが真っ先に駆け寄る。

 ギルドメンバーが血相を変えて集まってきた。

「道端で咳き込んで倒れていましてね。……お気の毒に、とても苦しそうでしたよ」

 行商人の言葉は、悪気のない純粋な心配だった。

 けれど、その言葉がギルドに響くたび、目覚めぬルーシィの心は、より深い闇へと沈んでいくようだった。

 魔導士として認められたくて飛び出したのに。

 結局、名もなき通行人に助けられ、哀れみの視線を浴びながら、死体のように運び込まれる。

 ナツが行商人からルーシィを奪うように受け抱き、彼女を温めようと魔力を練る。

 けれど、眠りの中にあるルーシィの表情は、今までで一番、孤独で絶望に満ちていた。

 鳥籠を壊そうとした羽は、あまりにも脆く、冷たい雨に打たれて地に墜ちた。

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