星に蝕まれる少女 〜硝子の妖精と、最期の輝き〜 作:暁 蒼空
マグノリア周辺の森。
戦いは唐突に終わった。いや、世界そのものが塗り替えられたようだった。
ズズズズズズ……!!
冥府の門(タルタロス)の本拠地である巨大な浮遊島『冥界島(キューブ)』から、禍々しい波動が放たれた。
呪法『アレグリア(喜び)』。
その効果範囲は絶大で、島の中にいたナツたちはもちろん、近くで戦闘していたラクサスたち、そして森に隠れていたジェラールやウルティアたちまでもが、赤い粘液状の物体に飲み込まれていく。
「な、何だこれは……!?」
「体が……動かない……!」
ジェラールが呻く。ウルティアとメルディも、地面から湧き出した赤黒い大地と同化し、動けなくなっていく。
「ルーシィ……! 逃げ……て……!」
メルディの手が完全に飲み込まれ、物言わぬ石像のように固まってしまった。
「メルディ!? ウルティア!?」
ルーシィだけが取り残された。
魔力を持たない彼女だけが、皮肉にも「魔導士を捕食する呪い」の対象外となり、難を逃れたのだ。
しかし、それは孤独な死刑宣告と同じだった。
「嫌だ……また、私だけ……」
森は静まり返り、不気味な赤色に染まっている。
誰もいない。誰も助けてくれない。
世界が終わる。
「誰か……助けて……!」
ルーシィは震える手で、懐の鍵束を握りしめた。
魔力はない。呼んでも来てくれるはずがない。
それでも、彼女は縋るしかなかった。
「お願い……みんなを助けて……!」
その時。
ドクン。
ルーシィの手の中で、一本の鍵が強烈な熱を放った。
ザパァァァァァァァン!!
枯れたはずの森に、大量の水が湧き出した。
水流が渦を巻き、一人の人魚の姿を形成する。
「……ア、アクエリアス……?」
ルーシィは目を疑った。
そこにいたのは、黄金十二宮・宝瓶宮のアクエリアス。
魔力のないルーシィが呼べるはずのない星霊が、自らの意志で現界していた。
「……情けない顔してんじゃないわよ、小娘」
アクエリアスは、いつものように不機嫌そうに、けれどどこか悲しげな瞳でルーシィを見下ろした。
「どうして……? 私、魔力が……」
「私の魔力を使って無理やり出てきたのよ。……時間がないわ。よく聞きなさい」
アクエリアスは真剣な表情で告げた。
「今の状況を打破できるのは、星霊王だけよ」
「星霊王……?」
「そう。ヒゲ親父なら、この冥府の呪いを打ち破り、仲間たちを救い出せる」
ルーシィの顔が輝く。希望が見えた。
「で、でも私には魔力が……」
「魔力はいらない。……その代わり、『代償』が必要よ」
アクエリアスは、ルーシィの手にある自分の鍵を指差した。
「星霊王を呼ぶ条件。それは……『黄道十二門の鍵を一つ壊すこと』」
ルーシィの思考が止まった。
壊す? 鍵を?
「つまり……私との契約を断ち切り、二度と会えなくなるということよ」
「……え?」
ルーシィは後ずさりした。
意味が分からない。二度と会えない?
私の最初の友達。ママの形見。一番慕っている家族。
「イヤだ……」
ルーシィは鍵を胸に抱きしめた。
「イヤだ、壊せないよ……お別れなんてイヤだよ!!」
「このままじゃ、世界が終わるんだ!!」
アクエリアスが怒鳴る。
しかし、ルーシィは首を激しく振った。
「世界なんてどうでもいい! アクエリアスがいなくなるなんて嫌だ! 私、まだ何も……!」
「ルーシィ!!」
「嫌だぁぁぁ!!」
子供のように泣きじゃくるルーシィ。
7年前からずっと、喪失に怯えてきた彼女にとって、これ以上の別れは死に等しかった。
「……ハァ」
アクエリアスはため息をつき、そして優しく、ルーシィの手から鍵を包み込んだ。
「……アンタじゃ壊せないわね。……だから、私がやる」
パキッ……。
アクエリアスの手の中で、鍵に亀裂が入る。
「イヤだ、辞めて……! せっかく会えたのに……!」
ルーシィが彼女の腕にしがみつく。
「まだ私……貴方に謝れてないのに……! ごめんなさい、私がいけないの! 私が弱かったから……!」
ずっと言いたかった。
魔力を失ったことも、大切な記憶を捨てて仲間を傷つけたことも、天狼島で置き去りにされたことも、全部自分が悪いと思っていた。
だから謝りたかった。なのに、これがお別れなんて。
「……バカね」
アクエリアスは、涙に濡れるルーシィの顔を、水で濡れた手で拭った。
「アンタなんか、大っ嫌いだったわ」
いつもの憎まれ口。
でも、その声は震えていた。
「生意気で、すぐ泣いて、男日照りで……私のデートの邪魔ばかりして」
「うぅ……ごめんなさい……!」
「……でも」
アクエリアスは、微笑んだ。
今まで見せたことのない、慈愛に満ちた聖母のような笑顔で。
「……寂しくなるじゃない」
その言葉に、ルーシィの喉の奥から嗚咽が漏れた。
「今まで世話になった。……ありがとう、ルーシィ」
アクエリアスの目からも、真珠のような涙がこぼれ落ちた。
パリンッ。
乾いた音が響く。
黄金の鍵が砕け散り、光の粒子となって空へ舞い上がった。
「アクエリアスぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!」
ルーシィの手の中に、もう鍵はない。
アクエリアスの姿も、光の中に溶けて消えていく。
「……強く、生きなさい。……レイラの娘」
最期の言葉を残し、水瓶宮は星の彼方へと帰っていった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
アクエリアスの消滅と引き換えに、夜空が割れた。
巨大な剣が振り下ろされ、冥界島(キューブ)を一刀両断する。
『……古き友よ。その意思、確かに受け取った』
星霊王が現れた。
彼はその巨大な剣を掲げ、世界を覆う「アレグリア」の呪いを斬り裂いた。
『ギャラクシア・ブレイド!!!』
赤い粘液が光に浄化され、石化していた人々が解放されていく。
ジェラールが、ウルティアが、そしてナツたちが、石の呪縛から解き放たれる。
「……う、あ……」
ルーシィは、砕けた鍵の欠片を拾い集め、その場に崩れ落ちていた。
世界は救われた。仲間は助かった。
けれど、彼女の掌からは、かけがえのない友の温もりが永遠に失われてしまった。
「うああああああああああああああッ!!!!」
森に、少女の慟哭だけが響き渡った。