『幕間』
貴方はある日、鳩原のカバンから何やら黒い尻尾の様な物が、ピンと伸びているのを見た。
「未来、どうしたのそれ?」
「え?なんのこと?」
鳩原が貴方の不思議そうな顔を見て、さらに不思議そうな顔をする。貴方は流石に気になって鳩原のカバンを指差した。
「いや、これのことだけど。」
「…!?」
鳩原が貴方の音もなく飛び退いた。そうしてカバンをわなわなと震えながら指差す。
「もしかして…あたし…」
貴方は鳩原のその様子を気にせず、勝手に鳩原のカバンを開いた。出てきたのは猫。それも黒い猫。真っ黄色な目を爛々と光らせてその猫は貴方を見ている。貴方はその猫の下から散らばったアーモンドフィッシュの小袋を見つけた。
「最近これ食べてたの?ネコちゃんが釣られてついてきちゃったみたいだよ。」
「ちょ、ちょっと、待って…あたし、ねこ…まさか…誘拐!?」
「いや自分で無理矢理連れてきたわけじゃないんだから、誘拐なわけないでしょ。取り敢えず、この子、どこからついてきたのか探そうよ。」
「うぇえ…。」
鳩原が怯えた声を出す。鳩だけに苦手なのだろうか、猫が。貴方は取り敢えず猫の鼻に自身の指を近づけ匂いを嗅がせた。猫はピンと尻尾を立ててその匂いを嗅いでいる。
「んん、なんか人慣れしてそう。それに綺麗だね。首輪はついてないけど。どっかから脱走してきた?」
「あれ?君たち何やってるのかね?」
貴方と鳩原が騒いでいたのが目についたのか、偶然そこを通りがかった広報部長、根付が貴方達の所に来る。
「根付さん、未来のカバンに偶然ネコちゃんが入り込んじゃったみたいなんです。」
貴方は話が早いと思って、取り敢えず根付に事情を説明する。そうして根付はふむ、と考え込んで三門市の迷い猫のデータベースを調べてくる、と言った。
「その間、君達は鬼怒田のところにでもいなさい。」
「いいんですか?」
「あいつは今頃暇してるからいいでしょう。」
貴方の頭の中でポワポワと、仮眠室でまあるいお腹を真上にして寝ている鬼怒田の映像がよぎった。
「うん、いいかも。」
「えぇ…!?」
貴方はやや嬉しさで上擦った声を上げた。それに鳩原が驚く。
猫も疑問符をあげる様に短く鳴くが貴方は気にしない。
「未来はネコちゃん、何処で入ってきたか検討つく?そこの周辺、教えて。私がSEで見るから。」
「わ、わかった。」
貴方達は猫を再び鞄の中に入れて、鬼怒田の元へ歩き出した。すれ違う隊員が好奇の眼差しで貴方達を見ている。鳩原はそれに押し潰されそうで、時折青くなったり赤くなったりと百面相をしていた。
そこに目の前からモサモサしたイケメンがやってくる。
「あ、お世話になってます。司令官補佐。」
「どっちかというとお世話になりました、じゃないの?」
「ひぇえぇ…生の烏丸京介だ…。」
鳩原が変な声を出す。それに何か面白そうな予感をしたのか「どうも、生のです。」と烏丸が鳩原を刺激しようと手を伸ばす。しかし貴方がすぐさま鳩原を背後に隠した。
「今日は暇なの?」
「いえ、これからバイトですが。」
「それじゃあ頑張って。」
貴方は取り敢えず、鳩原を守るためにこのイケメンを退かすことにした。
イケメンが名残惜しそうな目をして去っていく。それにターゲットにされた本人は、「ファンクラブが怖い…ファンクラブが怖い…」とぶつぶつ呟いていた。案の定、虎の様な形相をした赤いジャージの女子に、先程の現場を見られていたのか、すれ違いざまに睨まれることとなる。
そうして貴方達が歩いていると、次に鳩原の弟子に出会った。
「ユズル!!」
鳩原が先ほどとは打って変わって満面の笑みで弟子に近寄ろうとする。呼ばれた当の本人も嬉しそうな顔をしてこちらに近寄ってきた。が、貴方達が抱えているカバンを見て不思議そうな顔をする。
「鳩原先輩!!と、司令官補佐。何しているんですか?」
「探し物。」
貴方は端的に答える。鳩原の弟子は、鳩原に会えて嬉しいのか貴方の言葉を聞いているのか聞いていないのか、微妙だ。
「探し物なら司令官補佐のSEですぐに見つかりそうですね。」
「それがね…ユズル…」
貴方は鳩原が弟子に事情を一生懸命説明しているのをぼんやりと聞いていた。すると突然、貴方の目にある光景が流れ込んでくる。それはサンバイザーをした烏丸京介のような人物。その偽烏丸が携帯に映った黒い猫を、通行人に見せながら一生懸命探していた。
「未来、見つけたかも。」
「…え?」
「なんかこの子を知ってそうな人。」
「えぇ!!??」
「流石、司令官補佐。」
貴方はその鳩原の弟子の賛辞を聞き流し、急いでそのサンバイザー偽烏丸がいる現場に向かうのだった。
*
「本当にありがとぅ〜…!!」
鳩原が泣きそうな顔をして貴方を見る。それにしょうがないなぁ、と貴方は思い鳩原の頭を自分の胸に押し付けた。そして背中に腕を回して、鳩原の背中をあやすように叩く。
急に抱きしめられた鳩原は驚いたようで、耳まで赤くしながら慌てていた。しかししばらくすると慣れたのか、恐る恐ると貴方の背中にも手を伸ばしてきて、2人はぎゅっと抱きしめあった。
鳩原が心地良さそうに笑う。その振動が貴方に伝わって、貴方もくすぐったくて笑った。なんか予想外な1日だったけれど、これはこれで悪くないかもしれない。
そうしてしばらくした後、鳩原と貴方は自ずと手を繋ぎ合ってボーダーに戻る。肩と肩が触れ合う距離で歩いていると、鳩原のいつもの柔軟剤の香りがした。
ボーダー本部に戻ると、貴方と鳩原は別れて行動する。貴方は本部の制服を着て、事務室で今日のスケジュールを確認してから廊下に出る。するとSEで通路の奥からある人物が歩いてくるのが見えた。迅だ。その横には見知った隊員もいて、貴方は一瞬足を止める。そして2人がこちらに気づく前に貴方は方向転換した。
向かった先は人気のない場所。使われていないボーダーの一室。貴方はそこで彼を待った。どうせ、事が起きる前に彼が貴方に会いにくることはわかっている。
廊下に響く淡々とした1人分の足音。迅が部屋に入って来た。
迅は笑ってる。
いつも通りの軽い笑みだ。
だが目は薄寒い。
「今、何考えているのか当ててみよっか。」
そう言いながら迅は一歩も踏み込んでこない。
それが貴方に対する最後の警告のようで、気づいたら貴方は軽く笑ってしまっていた。まるで人を嘲るような笑い声が、乾いた室内にこだまする。
踏み込む勇気がないだけだろ、と貴方は思った。
迅は動かない。近づけばわかるかもしれない。でも、貴方も近づかせない。
これが貴方と迅の、今の距離だった。
迅は今、貴方に関する"見える未来"と貴方の"見せない本音"の間で心が揺れ動いている。結局未来視というものは万能ではない。未来が見えたところで誰の心も読めやしないのだから。だから迅は止まっている、泣きそうな少年の顔を隠して。
「私が何を隠しているか、の確認?」
お互いに未来視で"結果"は見えている。だから今からやるのは心の読み合い。建前という名の服を全部脱ぎ捨てた、貴方達だけの交わり合い。
「話が早いね。じゃあ聞くけど君は誰の味方?」
「そうだね…」
貴方は唇に手を当てる。先ほど塗り直したばかりのグロスが指についた。だが気にしない。
「ずっと変わらないよ。それは、ずっと。」
貴方の目にはあの日、迅と出会った日、星空の下で共に夜を過ごした日、全てが流れていく。何処かで聞こえる悲鳴と慟哭をかき消すぐらい、綺麗な夜。
「私は私だけの、味方。未来を見通せる力を持つ人だけの、味方。そしてその人が幸せになるためだけの最短経路を選ぶ人間。ね?簡単でしょ?」
迅がは、と息を呑んだ。
その瞬間、貴方は大きく一歩、踏み込む。
それだけで空気が変わるのをお互いにわかってる。
「……あ」
小さく声が漏れた。それは何故なのか。
「ね、未来見てないでしょ、今。」
貴方は迅の唇の真横に、まるで線を引くように己の指についていたグロスをつけた。
「ねぇ、迅。」
貴方は迅に向かって囁く。
「近界はね、怖くて、そしてとっても愚かなところだよ。自分たちが生きていくために平気で他の国から人を攫うし、人を殺す。それだったら、私、この
「はは、……何かの冗談だろ?」
迅の笑みが強張っている。軽く返答をしているが、その目は貴方の瞳と合わない。逃げた。それが答え。
「迅はさ、今、なんで未来見てなかったの?」
あの時私を信じなかったくせに。
「本当は"見えたら選ばなきゃいけなくなる"のが怖かったからでしょ?」
あの時未来を見るのを辞めなかったくせに。
「選んだ後が怖かったの?」
──自分1人になる事が。
沈黙。
長い。
この沈黙は、誰のためのものなのか。
「ほんと君ってさ、…最悪だよね。」
ようやく室内に音が戻った。
迅は先程とは違い、笑わない。誤魔化さない。それがもう答えだった。
「見えちゃう未来ってさ、安心できる代わりに覚悟も強制される。」
迅も貴方に向けて一歩踏み出す。そして貴方の両腕が急に掴まれて、逃げられない程の力で上にまとめ上げられた。貴方はもがくが、迅はびくともしない。
「君の未来を見たら──
守るか、切り捨てるか、止めるか、利用するか。どれかを選ばなきゃいけなくなる。」
目があった。逸らされない。これは迅の方から踏み込んでくる。
「見えるんだよ。」
低く、噛み殺したような声。
「君に乗った瞬間、全てが上手くいく未来が。」
迅が貴方の手首をさらに締め上げた。貴方の骨が軋んで、貴方が小さく悲鳴を上げる。これが首だったら、と迅は思った。
「全てが上手くいく代わりに、沢山の人が死ぬ。沢山の、近界民がね。」
「近界民は人じゃないでしょう。」
「人だよ。」
「じゃあ人だったらなんで同じ私たちを殺すの。なんで私たちを攫うの。なんで私たちの街を壊すの。」
静かな慟哭だった。それに迅は何も言わなかった。言えなかった。家族や師を殺された自分では、何を答えても無駄だと思ったからだ。
貴方は唇を噛み締めた。噛み締めすぎて口の中に鉄の味が広がる。
迅はただ貴方を拘束していた手を緩めて、貴方の顔をじっと見る。
「迅。」
貴方が口を開く。
「私は信じてる。この道が正解だって。」
「じゃあ、力でも、立場でも、未来でも使って。おれは君を縛りつける。」
「やってみればいい。」
ちょうど貴方達に、この時間の幕引きを告げるように携帯が鳴った。互いに詰めていた距離をとって、乱れていた服装を直す。
そうして何事もなかったかのように、貴方達は部屋を後にした。