その日の、あの嫌になる程綺麗な空は、今でも夢に見る。
『表向きには組織の機密に関する重要規律違反により鳩原隊員を懲戒解雇。これに伴い──』
二宮は上層部から降ろされた指令を、淡々と聞いていた。まるで現実味がなくて、ただ淡々と。
何故、鳩原は近界に自分達を置いて行ってしまったのか。向こう側に連れ去られてしまった家族のために一分一秒も無駄にしたくなかったのか。
鳩原はこのチームでA級一位になるという目標を、具体的だとは思っていなかったのか。それは何故か。隊長の──自分の言葉はそれほど軽かったのだろうか。
二宮はトリガー盗難。密航。関係者拘束。と書かれている書類に目を通す。そうして1人、目頭を抑え、俯いた。
そこにはとある文字。
『トリガー盗難の計画を主導した可能性あり』
そこに書いてあったとある名前を見て目を疑った。
*
『ダイヤモンドカット』
二宮がその人物と出会ったのは訓練生の頃である。当時、トリオン量に物を言わせ、ランク戦でポイントを荒稼ぎしていたころ、その人は来た。第一印象は、やけに小柄な少女。髪が細く、頬が白い。そんな少女とランク戦をしろ、と言われて耳を疑ったのを覚えている。
ただそれから起こった出来事は九敗。
二宮匡貴は、この少女。司令官補佐にして、シューター1位。その人物に初めて訓練室の床を舐めさせられた。
──弾が当たらない。
どんなに撃っても、最低限の動作で軽々と避けられる。
アステロイドを撃つ。バイパーを曲げる。メテオラを混ぜる。トリオン量には自信があった。むしろ相手と互角だと聞いて、眉を上げたぐらいだ。だが、当たらない。横に一歩動かれる。上に跳ばれる。屈む。
全てが相手の掌の上だった。
何故だ。何故当たらない??
相手は何も写していない、真っ黒な瞳でこちらを見つめている。
弾の軌道は全て美しく弾かれていて、相手を囲む様に一斉に放たれることもあった。が、その無感情な目がこちらに近づいて、アステロイドを一つ放つ。それだけでこちらのトリオン供給機関は破損する。
二宮はその時、初めてこの少女に恐怖を覚えたのかもしれない。永遠と続く、己の死亡体験。何も変わらない、雑魚を見るような目。まるで散歩の続きでもするかのように始まる第10ラウンド。
撃てば、避けられる。だが撃たなければ?その隙に自分は何かできるのか?何が読まれている?撃つ動作か?行動を最小限にして─
(弾が来る場所、じゃなくて弾が打たれる理由を見ているんだ。)
知らない声が二宮の頭に響いた。だが何故か自然とスッと通るような声だった。
二宮の弾がまた避けられる。それはこの9回目で何度も見ている通り。
(相手が動く場所に撃つんじゃない。相手を動かしてから撃たなければ当たらないぞ。)
その助言に従うのは癪だった。だが二宮はその助言に従うことよりも、少女に負けることのほうが、もっと癖に触った。苛ついた。この短期間でこちらを雑魚と判断している少女が。
アステロイドを撃つ。相手が避ける。そこに弾を"置く"。
「…!」
相手の眉が僅かに動いた。
そうしてガッと音がした。少女の体にまとわりつくように、薄いブルーのシールドが貼られている。
初めて。
自分の弾が相手に届いた。
だが瞬きをしたうちにシールドは傷ひとつなくなっている。
「今まで隠していたんですか?」
そこで初めて二宮はその女の声を聞いた。薄くて耳触りの良い声だった。行われていることは別だったが。
二宮が謎の声の指示に所々従いつつ弾を撃つ。腹が立つほどに、自分の軌道は当たらない。が指示通り従った軌道は当たる。そこには自分の知らない"強者の壁"があった。
十戦目を終えて、指示を出していただろう人物の元へ行く。その時には屈辱と、好奇心が混在していた。
*
『ROUND:8』
あれから随分と経った。東さんの元で学び、今度は自分が隊員を率いる立場になって思ったことは、チーム戦の複雑さ、常に変わる地形と状況、武器、戦術を如何に自分の元へ手繰り寄せるか。それが己にとっての鬼門であった。
「二宮さんは補佐を落としに行くでしょ?」
「それは補佐をまともに相手できるのが二宮さんしかいないからですよ、犬飼先輩。」
「二人とも、真面目に話聞いて。」
「まぁまぁ氷見ちゃん…。」
隊員同士が一斉に喋るが、二宮が俯いていた顔を挙げると静かになった。そこには紛れもなく、勝つ気でいる、人間がいる。
「いいか。あいつの部隊は、ガンナー兼コンダクターである本人、そうしてスナイパー、そこに未熟なオペレーターが加わっている。普段はあいつがSEを使ってオペレートをサポートしているが、戦闘に集中した時は一時的にオペレーターが本来の役割を果たしている。
それを加味すると、こういった戦闘員同士の実力が拮抗している試合になると、争点はオペレーターの処理能力に向く。つまりあいつにオペレートをさせなければ、あの部隊は崩れ落ちる。」
「今回、うちの部隊は補佐狙いっていう訳ですね。いやぁ、師匠には悪いことするなぁ。」
「補佐と対面したら辻くんはまともに動けなさそうだね。
「氷見さん…!」
そこに顔色が冴えない女が一人。
「鳩原。」
声をかけるとハッと目を見開いてこちらを見る。
「お前は、狙撃地点に到着次第俺の援護をしろ。あとは俺がなんとかする。」
「ひゅう、二宮さん言うじゃん。」
「犬飼先輩、そんなこと言ってたら貴方が真っ先に落とされますよ。」
「本当にそうなったりして。」
外野が煩いが、それに緊張感が抜けたのか女はこちらを見て頷いた。
「わかりました…!あたし、全力で頑張ります…!」
…
そうして試合を終えて待っていたのは、撃てない女が撃ってしまったという事実。俺がなんとかする、という虚言。
撃たせたのは、司令官補佐等の本人。
二宮はまた負けた。
あの少女に。
隊員を土壇場で潰されて、自分自身も乱戦で狙いが定まらなかった。
今期、A級昇格を逃してしまった自分達の隊。それとは別に、澄ました顔で結果を受けていれている彼奴。腹が立った。歯を食いしばった。奥歯がなった。
それよりも、隊室で吐き続けている女。その隊員を駄目にしてしまった自分自身に、一番苛立ちが募った。
後に、東さんに食事に連れて行ってもらう機会があった。その時に東さんが言った。
「補佐は、お前達の部隊を脅威として見做していたからこんな策をとったんだろうな。お前の部隊がA級に通用する証拠だ。」
その言葉に何か嬉しさを感じなかった訳ではない。ただ、あるのは敗北の事実と自分の指揮の甘さ。そして、隊員を駄目にしてしまった自責の念。
「俺たちはA級一位を目指したい。そして目指せる人間を俺は集めたつもりです。」
「そうだな、だからお前はここでは終われない。」
ジンジャーエールの氷が溶ける。グラスの中で音を立てた。
「それにしても鳩原はどうやって立ち直らせたんだ?吐いて寝込んでたんだよな?」
「吐けれる分だけ吐かせました。」
「お前という奴は…。」
東さんが顔を覆った。取り敢えず、肉が焦げても美味くないので、食べごろになった物をさっさと取っていく。
「鳩原と補佐の関係はどうなったんだ?」
「…。」
二宮は肉を噛み切ろうとして噛みきれなかった。鳩原は、あれからより一層訓練に打ち込むようになった。それも、あいつの言葉を聞いてから、だそうだ。
人を撃てない、という戦術を司令官補佐という人物に認めてもらったと。元シューター1位に、わかってもらえたと。
あの女はそう言っていた。
「…以前より良好そうです。」
「そうか。鳩原の交友関係に何か罅が入ってなくて安心したよ。」
煙が上る。ホルモンの脂がどうやら下に落ちすぎたらしい。
「あの二人は何か、波長が合いそうな感じがするからな。」
そう東さんが言っていたのを、二宮は覚えている。
*
だから、そう。
『トリガー盗難の計画を主導した可能性あり』
その文字を見て、二宮の視界は嫌にシンプルになった。光が明滅して、色が落ちていく。
己では駄目だった。チームでは駄目だった。隊長では駄目だった。A級一位では駄目だった。シューター1位では駄目だった?自分よりもあいつを信じた。
二宮は上層部に掛け合っていた。重要参考人に面会できないかと。上層部は許可した。二宮にも聞く権利があると。
久々に会った女は、微笑んでいた。尋問室のガラス窓越しに、その肌の白さに爛々と光る目をこちらに向けて。
「…お前か。」
声が自然と出た。あの書類を見た瞬間でさえ、出なかった声が出た。
「鳩原を唆したのは。」
「協力しただけだよ。」
ゆったりと少女が自分の髪を耳にかける。そうして小首をかしげるのを見て、二宮の何かが切れた。
二宮の拳が振り上げられる。
ガラスが大きな音を立てて軋んだ。
「お前は、あいつを利用したのか……!!!!」
咆哮だった。
それは鳩原を知っている人間だからこその叫びだった。
お前はあの女のことを気に入っていただろう!!喋り合っていただろう!!肩を組んでいただろう!!何故そんなことができた!!!
しかしそれは声にならない。部屋の奥に控える上層部の人間が、これ以上はいけないと首を振っている。二宮はただ歯を食いしばることしかできなかった。
「鳩原未来。」
少女が声を上げる。
「利用したのかって?うん、したよ。」
その言葉は、ゆっくりと落とされた。やけにゆっくりと。もしかしたら二宮の耳がどうにかなっていたのかもしれない。少女は続ける。
「でもね、利用したのって私だけかな。」
その瞳に光を宿して。
「だって人が撃てないって言ってるのに隊に入れたのは誰?」
「一緒にいたのは誰?」
「A級一位を目指すって言ってたのは誰?」
その瞳に狂気を宿して。
「ねぇ、それ自分でしょう。」
二宮が、その目に自分が写っていると気付いた瞬間は、もう全てが手遅れな時だった。