数日前、とある廃病院にて——
「うわぁ、マジで不気味やなここ」
陽介が懐中電灯を照らしながら、廃病院の廊下を歩いていく。
「だから肝試しにはぴったりやろ? でもどうせ町筋がおるから何も起きへんけど」
もう一人の友人、健太が肩を竦める。
「いや、俺のせいにすんなよ」
町筋は苦笑いしながら二人の後をついていく。
その時、廊下の奥から白い人影がスーッと現れた。
長い髪を垂らした女性の霊が、恨めしそうな表情で三人に近づいてくる。
しかし、町筋たちが気づく前に——
「はぁ……また出てきた」
天井裏に隠れていた渚が、溜息をつきながら指を鳴らす。
パッと光が走り、女性の霊は「きゃあっ!」と小さく叫んで消えた。
「おい、今何か音せんかった?」
「気のせいやろ。ほら、何もおらんし」
町筋たちは何事もなかったかのように先へ進んでいく。
「本当に何も起きないな。つまんな」
「だから言ったやん」
その会話を聞いて、渚の眉間に皺が寄る。
「つまんないって……僕が必死に守ってるのに」
渚は再び天井裏に身を隠し、三人の後を追う。もちろん、町筋が渚の存在に気づくはずもない。守護神は通常、守っている者には見えないのだから。
「そういえばさ、町筋って彼女おるん?」
健太が突然そんな質問をする。
「は? いきなり何言ってんの」
「いやだって、お前モテそうやん。変な名前やけど顔はまあまあやし」
「まあまあって何だよ」
「俺も気になってたわ。誰か気になる子とかおらんの?」
陽介も興味津々といった様子で町筋を見る。
「別におらんけど……」
「嘘つけ。絶対おるやろ」
「マジでおらんって」
天井裏で、渚の表情がさらに険しくなる。
「彼女の話なんてして……そんなことより周りに気を配りなさいよ」
渚は少しイライラしながら、辺りを警戒する。この廃病院は悪霊の巣窟だ。油断すれば、すぐに町筋が危険に晒される。
「まったく、呑気なものだね」
さらに奥へ進むと、手術室の前に辿り着いた。
「うわ、ここマジでやばそう」
「入ってみるか?」
「お前が先行けよ」
三人が手術室の扉を開けようとした瞬間、中から黒いモヤのようなものが溢れ出してきた。
「なっ……!」
渚は咄嗟に飛び出し、三人の前に結界を張る。
黒いモヤは結界に阻まれ、シューッという音を立てて消えていく。
「ん? なんか風吹いた?」
「窓どっか開いてんのかな」
町筋たちは相変わらず何も気づいていない。
「ふぅ……危なかった」
渚は額の汗を拭う。
「気づいてくれなくていい。気づかないまま、安全に過ごしてくれればそれで……」
渚は町筋の背中を見つめながら、小さく呟いた。
「なぁなぁ、町筋が将来なりたいものって何?」
帰り道、陽介が聞く。
「え? 急にどうした」
「いや、俺らもう大学三年やん。そろそろ就活とか考えなあかんし」
「確かにな……」
町筋は少し考えてから答える。
「まあ、普通に就職して、普通に結婚して、普通に家庭持って……って感じかな」
「普通すぎやろ」
「いいじゃん、普通で」
その言葉を聞いて、渚は少し寂しげな表情を浮かべる。
「普通……か」
普通に結婚して、普通に家庭を持つ。
そうなったら、守護神の僕はどうなるんだろう。
「ずっとそばで見守り続けるのが、僕の役目なんだけど……」
渚は首を振って、その考えを追い払う。
「何考えてるんだ。町筋が幸せに生きてくれるなら、それが一番じゃないか」
でも、心のどこかで、引っかかるものがあった。
最後に、墓地の前を通りかかった時だった。
「うおっ、墓地とか絶対やばいやつやん」
「でも町筋がおるから大丈夫やろ」
「お前ら、俺を何だと思ってんだよ」
その時、墓地から無数の人魂が浮かび上がってきた。
青白い光が、フワフワと三人に近づいてくる。
「ちょっと、多すぎない!?」
渚は慌てて両手を広げ、大きな結界を展開する。
パァッと光が広がり、人魂たちは弾き飛ばされていく。
「はぁ……はぁ……」
渚は息を切らしながら、膝に手をつく。
「流石に、疲れた……でも、これが僕の役目だから」
町筋たちは相変わらず何も知らない。
「やっぱ何も起きんな」
「町筋、マジで最強の霊避けやわ」
「だから俺のせいじゃないって」
三人は笑いながら帰路についていく。
渚はその背中を見ながら、静かに呟いた。
「君が笑っていられるなら、それでいい」
それが守護神としての務め。
でも——
「もう少しだけ……君のことを知りたいな」
渚は町筋の後を追いながら、そう思った。
町筋は渚の存在に気づかない。
渚も、自分から姿を現すつもりはなかった。
それが、守護神と人間の正しい関係だと思っていたから。
でも、状況は変わり始めていた。
最近、明らかに強力な悪霊が増えている。
普通の霊なら、渚の結界で簡単に退けられる。
でも、最近現れる悪霊は違う。
「まるで、誰かが意図的に送り込んでいるみたいだ……」
渚は不安を感じていた。
このままでは、いつか町筋の身に危険が及ぶかもしれない。
「もしかしたら、直接守らないといけない時が来るかもしれない」
そう考えた渚は、町筋の夢に現れることにした。
少しずつ、自分の存在を認識してもらうために。
そして——
ついに、その時が来た。
大学内に現れた、あの黒い物体。
あれは渚の結界を突破してきた、今までにない強大な悪霊だった。
「これ以上、陰から守るだけじゃダメだ」
渚は決意を固めた。
町筋の前に、姿を現す時が来たのだ。
——現在——
「ねえ、町筋」
渚が真剣な表情で町筋を見つめる。
「何?」
「実は、君が心霊スポットに行くたびに、僕は陰から守ってたんだ」
「え、マジで?」
「うん。廃病院でも、墓地でも、トンネルでも。君が気づかないところで、悪霊を退治してた」
町筋は驚いた表情で渚を見る。
「そうだったのか……全然気づかなかった」
「気づかないのが当然だよ。守護神は普通、守っている人には見えないから」
「じゃあ、なんで今は見えるんだ?」
「それは……」
渚は少し言葉に詰まる。
「君が危険に晒されているから。最近、明らかに強力な悪霊が増えてる。陰から守るだけじゃ、もう限界なんだ」
「そっか……」
町筋は真剣な表情になる。
「ありがとな、渚。俺が知らないところで、ずっと守ってくれてたんだな」
「う、うん……」
渚は少し照れたように視線を逸らす。
「これからは、二人で協力して戦おう。よろしく頼むよ、相棒」
「相棒……」
渚の頬が少し赤くなる。
「うん。任せて」
二人は笑顔で見つめ合った