3話作戦会議
渚に出会ってから、俺の日常は確実に変わり始めていた。
大学からの帰り道、俺の隣には常に渚がいる。他の人には見えないらしく、渚と会話していると時々変な目で見られるのが少し恥ずかしい。
「町筋、さっきから独り言多くない?」
陽介が不思議そうに俺を見る。
「あ、いや……考え事してただけ」
「最近ちょっと変やで、お前。何かあったん?」
「別に何も……」
渚は陽介には見えない。というより、渚が見せていないだけだ。
「守護神の姿は、基本的には守っている本人にしか見えないんだ。他の人に見せることもできるけど、そうすると余計な混乱を招くからね」
そう渚は説明してくれた。
「じゃあな、町筋。また明日」
「おう、また明日」
陽介と別れて、俺は自分のアパートへと向かう。
「ねえ、町筋」
「ん?」
「そろそろちゃんと話し合わない? これからのこと」
渚が真剣な表情で言う。
「そうだな……家で話そうか」
俺のアパートは1Kの狭い部屋だ。大学生の一人暮らしにしては標準的な広さだと思う。
「お邪魔します」
「お前、守護神のくせに礼儀正しいな」
「当たり前でしょ。僕だって元は人間なんだから」
渚は部屋を見回して、興味深そうに呟く。
「これが現代の若者の部屋か……僕が生きていた時代とは全然違うな」
「そりゃそうだろ。何百年前だよ」
「失礼だな。まだ二百年くらいしか経ってないよ」
「十分長いわ」
俺はペットボトルのお茶を二つ取り出して、一つを渚に渡す。
「あ、ありがとう」
「神様って、飲み食いできるんだな」
「一応ね。しなくても平気だけど、できないわけじゃない」
渚はお茶を一口飲んで、感動したような表情を浮かべる。
「すごい……冷たくて、甘くて……これがペットボトル飲料というやつか」
「大げさだな」
俺たちは床に座り、向かい合った。
「それで、話って?」
「うん」
渚は真剣な表情になる。
「まず、現状を整理しよう。最近、明らかに強力な悪霊が増えている。しかも、君を狙っているように見える」
「俺を? なんで?」
「分からない。でも、偶然じゃない。何か意図があるはずだ」
渚は少し考えてから続ける。
「大学で現れたあの黒い物体。あれは普通の悪霊じゃない。誰かが意図的に作り出した、人工的な悪霊だと思う」
「人工的な悪霊なんて作れるのか?」
「呪術や術式を使えば可能だよ。でも、相当高度な技術が必要だ。つまり……」
「つまり?」
「君を狙っている相手は、かなりの実力者だということ」
俺は背筋が寒くなるのを感じた。
「誰が、何のために……」
「それを探る必要がある。でも、今の君には戦う力がない」
渚は俺の目を真っ直ぐ見つめる。
「だから、当面の対策を立てたいんだ」
「まず第一に、危険な場所には近づかないこと」
渚が指を一本立てる。
「危険な場所って?」
「心霊スポットはもちろん、人気のない場所、古い建物、事故や事件があった場所。そういうところには悪霊が集まりやすい」
「なるほど……」
「第二に、夜遅くの一人歩きは避けること。悪霊は夜に活発になるから」
「でも、バイトの帰りとか遅くなることあるんだけど……」
「その時は僕がちゃんと守るから大丈夫。でも、できるだけ避けてほしい」
「分かった」
「第三に、変なものを見たり感じたりしたら、すぐに僕に教えて」
「変なものって?」
「黒い影、冷気、誰かに見られている感覚、不自然な音……そういうの」
俺はメモを取りながら頷く。
「他には?」
「あとは……」
渚は少し躊躇ってから言う。
「できれば、友達との心霊スポット巡りは控えてほしい」
「あー……それは陽介たちが誘ってくるんだよな」
「断れない?」
「断ったら断ったで、『お前がいないと怖い』とか言われるんだよ」
渚は困ったような表情を浮かべる。
「でも、危険だよ」
「分かってる。でも、急に断ったら不自然だろ?」
俺は少し考えてから提案する。
「じゃあ、徐々に断るようにするよ。『最近バイト忙しくて』とか理由つけて」
「……それでお願い」
渚は安堵したような表情を浮かべた。
「あとは……」
俺は少し躊躇ってから聞く。
「もし、誰かが困ってたらどうする?」
「え?」
「例えば、悪霊に取り憑かれてる人がいたら。助けないのか?」
渚は少し考え込む。
「それは……」
「俺、見捨てられないと思うんだ。自分が安全だからって、他の人が苦しんでるのを無視するのは嫌だ」
「町筋……」
渚は複雑な表情を浮かべる。
「君は優しいんだね」
「優しいとかじゃなくて、当たり前のことだろ」
「でも、危険だよ。君にはまだ戦う力がない」
「だから、お前がいるんだろ?」
俺は渚を真っ直ぐ見つめる。
「俺たち、相棒じゃないか」
「……っ」
渚の頬が少し赤くなる。
「ずるいよ、そういうこと言うの……」
渚は小さく溜息をついてから、言う。
「分かった。でも、条件がある」
「条件?」
「もし誰かを助けることになったら、必ず僕の指示に従うこと。勝手な行動はしないこと。そして、自分の命を最優先すること」
「……分かった」
「約束だよ」
「約束する」
俺たちは小指を絡ませた。
渚の指は少し冷たくて、でもどこか温かかった。
「それじゃあ、まとめるね」
渚がメモを取り出す。
「基本方針:危険な場所には近づかない。心霊スポット巡りは徐々に断る。夜遅くの一人歩きは避ける」
「うん」
「例外:人命に関わる場合は、僕の指示のもとで行動する。ただし、君の安全が最優先」
「了解」
「あとは……」
渚は少し考えてから付け加える。
「君を狙っている相手の情報を集める。これは僕が中心にやるけど、何か気になることがあったら教えて」
「気になることって?」
「例えば、最近近づいてきた人とか、変な話を持ちかけてきた人とか」
「うーん……特に思い当たらないけど」
「そう。じゃあ、これから気をつけて」
渚は真剣な表情で続ける。
「相手は君を狙っている。ということは、君の近くにいる可能性が高い」
「近くって……」
俺は少し不安になる。
「まさか、知り合いの中に……?」
「可能性はゼロじゃない。でも、疑いすぎるのも良くない」
渚は俺の肩に手を置く。
「大丈夫。僕がちゃんと守るから」
「……ありがとな」
その後、俺たちは他愛もない話をした。
渚が生きていた時代のこと。
守護神になってから見てきた、榊家の歴史のこと。
そして、現代の文化に対する驚きのこと。
「スマートフォンってすごいよね。こんな小さな箱に、あらゆる情報が詰まってるなんて」
「お前、スマホ使えるの?」
「見てるだけだけどね。実体があるようでないから、触れないんだ」
「不便だな」
「まあ、慣れたよ」
渚は少し寂しそうに笑う。
「でも、こうして君と話せるようになって嬉しい」
「え?」
「今まで、ずっと一方的に見守るだけだったから。話しかけても返事は返ってこないし」
「それは……寂しかったな」
「うん。だから、こうして会話できるのが、すごく楽しい」
渚の笑顔を見て、俺も自然と笑顔になる。
「じゃあ、これからたくさん話そうぜ」
「うん!」
気づけば、もう夜の11時を過ぎていた。
「あ、もうこんな時間……」
「僕、そろそろ帰るね」
「え、帰るって……神様って家あるの?」
「ないよ」
渚はあっさりと答える。
「じゃあどこに……」
「普段は神社にいるけど、別にどこにいてもいいんだ。でも、町筋が寝ている間は見守ってるよ」
「見守るって……ずっと起きてるのか?」
「神様は寝なくても平気だから」
「それ、大変じゃないの?」
「大丈夫。慣れてるから」
渚は立ち上がり、玄関へと向かう。
「じゃあ、おやすみ、町筋」
「おやすみ、渚」
渚が消えた後、俺は一人部屋に残された。
不思議な感覚だ。
ついさっきまで、神様と話していたなんて。
俺はベッドに横になり、天井を見つめる。
「これから、どうなるんだろうな……」
不安はある。
でも、渚がいれば大丈夫な気がする。
そう思いながら、俺は眠りについた。
その頃、大学近くのカフェで。
陽介は一人、コーヒーを飲みながらスマホを見ていた。
画面には、見知らぬ番号からのメッセージが表示されている。
『榊・久礼・町筋の情報、ありがとう。次は彼の行動パターンを教えてくれ』
陽介は少し躊躇ってから、返信する。
『本当に報酬もらえるんだろうな』
すぐに返信が来る。
『約束通り、100万円振り込む。ただし、情報の正確さ次第だ』
『分かった』
陽介はスマホを置いて、深く溜息をついた。
「ごめんな、町筋……でも、俺にも事情があるんだ」
陽介の表情は、どこか苦しそうだった。
彼のスマホの画面には、もう一つメッセージが表示される。
『あと、最近町筋の様子が変わったと言っていたな。詳しく教えてくれ』
陽介は少し考えてから、打ち込む。
『最近、独り言が多くなった。まるで誰かと話しているみたいに』
『なるほど。守護神が姿を現したか……予想通りだ』
その言葉を見て、陽介は眉をひそめる。
『守護神って何だ?』
『気にしなくていい。君はただ、情報を提供してくれればいい』
陽介は複雑な表情でスマホを見つめた。