御膳操術   作:ナムルパス

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第9話 万象餐館

「……五条先輩は?」

 

凪の声が 冷たく静まり返った薨星宮の本殿に落ちた

その問いに答えるように 甚爾は肩に担いだ黒い刀を無造作に下ろす

返り血を浴びたその顔には 強者と戦った後の高揚すらなく ただの「作業」を終えた後の倦怠感だけがあった

 

「ああ 殺してきたよ 死体は今頃は高専の門のあたりで転がってるだろ」

 

その言葉が 夏油傑の脳内の何かを決定的に切断した

血管が爆ぜるような怒りが 彼の術式を暴走させる

虹龍の咆哮が地を揺らし 仮想怨霊・口裂け女が冷たい影となって甚爾の喉元へ殺到した

 

だが 甚爾の動きは物理法則という概念そのものを嘲笑っていた

呪力という予兆を一切持たない彼の踏み込みは 特級呪術師である夏油の反射神経さえ凌駕する

 

「遅えんだよ お前も その化け物も」

 

甚爾の振るう『天逆鉾』が 虹龍の硬質な皮膚を紙のように切り裂いた

必殺の術式が 刃が触れた瞬間に霧となって散っていく

呪霊操術という「数」の優位性は 甚爾という「無」の前では無意味な虚飾に過ぎない

 

夏油は胸を深く切り裂かれ 鮮血を吹き出しながら膝をついた

肺が潰れ 呼吸のたびに血の泡が漏れる

その意識の端で 甚爾の視線が理子へと向けられた

 

「……次は そのガキ共だ」

 

理子は絶望に目を見開き 動くことさえ忘れていた

黒井は既に甚爾の打撃で崩れ落ち 本殿の冷たい石畳に倒れている

 

その絶望の壁の前に 一歩 踏み出した影があった

 

生簀 凪

その腹部には 先刻の不意打ちで叩き込まれた重い打撃の痕が 紫黒い痣となって広がっている

肋骨の数本が折れ 臓器が悲鳴を上げているが 凪の瞳だけはかつてないほどに澄み渡っていた

 

(……味(呪力)がしないなら 存在(肉体)そのものを調理するまでだ)

 

凪は幼少期から 生簀家の歪な教育の中で呪霊を食らってきた

忌まわしい記憶と共に胃に収めてきた 数千 数万という呪いの残滓

それらが今 凪の全身の血管を駆け巡り 底知れぬ呪力の奔流となって溢れ出す

 

「お前……死にぞこないの分際で まだやるのかよ」

 

甚爾が嘲笑い 天逆鉾を突き出す

凪はそれを避けない

あえて左肩を差し出し 刃が肉を裂く瞬間に 甚爾の懐へと潜り込んだ

 

視界から色が消え 全ての音が遠ざかる

凪の指先が 甚爾の胸元に触れたその刹那

世界が反転した

 

――黒閃

 

衝突の瞬間 呪力が空間を歪め 黒い稲妻が弾けた

呪力を持たない甚爾の肉体が 凪の放った「純粋な質量としての呪力」に弾かれ 大きく後退する

凪の脳裏に 呪術の核心が 調理の真理が 閃光のように焼き付いた

 

(……掴んだ 素材(呪力)と火加減(出力)の 完璧な一致)

 

凪は血反吐を吐きながら 両手を複雑な「印」へと組み上げる

全呪力を一度に燃焼させ 数分後に気絶するという「自己犠牲の縛り」

それが 未完成だった凪の術式を より上の領域へと押し上げた

 

「――領域展開」

 

凪の唇から 消え入りそうな だが絶対的な意志を孕んだ声が漏れる

 

「『万象餐館(ばんしょうさんかん)』」

 

一瞬にして 薨星宮の風景が書き換えられた

そこは 天井の見えない巨大な「調理場」

見渡す限り 空には銀色に輝く数万の包丁が静止し 床には無限に続く白木の食卓が並ぶ異界

 

「……ちっ 領域だと?」

 

甚爾が舌打ちをする

呪力のない甚爾を領域に閉じ込めることは本来不可能だ

だが 凪は「甚爾を殺す」ことではなく 「理子と夏油をこの結界から不可視にする」という方向にのみ 必中効果を全振りした

 

降り注ぐ包丁の雨が 甚爾の動線を物理的に遮断する

凪の呪力によって生成された銀の刃は 例え甚爾の肉体であっても無視できない密度で降り注ぎ続けた

 

「……凪くん もういい……止めるんだ!」

 

夏油が叫ぶが 凪には届かない

凪の瞳からは鮮血が滴り 領域を維持するための過負荷で 彼の魂は内側から燃え尽きようとしていた

 

十秒 二十秒

それは 死ぬよりも長い停滞の時間

凪は ただ理子の背中を庇うように立ち続け 甚爾という「虚無」の接近を拒絶し続けた

 

「……根性だけは認めてやるよ ガキ」

 

甚爾が包丁の雨を潜り抜け 凪の首筋に天逆鉾を添えた

凪の意識は 既に深い暗闇へと沈み その指先は痙攣を始めている

領域が崩壊し 再び薨星宮の冷たい石畳が見え始めたその時だった

 

「――悪いな 待たせたか」

 

天から降りてきたのは この世のものとは思えないほど 冷徹で透き通った声だった

本殿の天井が 目に見えない巨大な圧力によって粉々に粉砕され 瓦礫となって降り注ぐ

 

そこには 血塗れの制服を翻し

狂気にも似た「愉悦」を瞳に宿した 五条悟が立っていた

 

「……凪くん よく繋いでくれたね 本当に……最高の仕事だ」

 

五条が指を差し向ける

その先には 反転術式によって生み出された斥力の「赤」と 全てを収束させる「青」

それらが重なり 宇宙の特異点のような「紫」が生まれようとしていた

 

凪は その眩い光を見た瞬間に 張り詰めていた糸が切れるのを感じた

安堵が全身を包み 重力に抗う力さえも失っていく

 

(……あとは 先輩に……)

 

膝から崩れ落ちる凪を 夏油が間一髪で抱きかかえる

凪の意識は その瞬間に完全に断絶した

気絶した彼の背後で 「最強」へと至った男の 紫色の閃光が全てを無へと帰していった

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