だからウマ娘はエロ禁止だっつってんだろ!! 作:散髪どっこいしょ野郎
「それでな、今日はウッドチップコースにするんだけど……スティル?」
「──あっ、す、すみません」
スティルはこのところ上の空になることが少しだけ増えた。トリプルティアラを達成して色々抜けてしまったのか?
加えて、本能が表れることも無くなった。誰かと走った際は決まって荒ぶる人格が、めっきり出てこない。
うーん……。とりあえず次のレースは決めてあるけど、このまま行くのもなんかなぁ……。
とはいいつつも革新的な打開案は思いつかず、浮き足立った日々を送っていた。
▫▫▫▫▫
「ハァッ──!」
「フッ──!」
「うんうん、善き哉善き哉」
懸念材料だった裏人格の奔出はせき止められている。確かにぼけーっとすることは微増したが、これはいい傾向なのではなかろうか。
なにより、スティルが苦しまないでいてくれることが一番嬉しかった。彼女はずっと悩んできた。自我と本能のせめぎ合いに懊悩してきた。多少救われたって罰は当たらない筈だ。
アルヴも色々吹っ切れたようで、自身のトレーナーやエアグルーヴなどを頼るようになっている。今もこうして彼女たちは併走していた。
さて、次のレースはエリザベス女王杯。そろそろ調整に入るか。
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「トレーナーさん、何かしてほしいことはございませんか?」
「どうした急に」
今日も今日とて仕事に追われ、寮の門限三十分前にようやく全て終わらせた。スティルはいつも門限ギリギリまで俺の傍に慎ましく座っている。
つーか俺は成人だからいいものの、秋川理事長はいつ休んでるんだ?幼女に中央なんて重荷を背負わせていいのか?まあ一介のトレーナー風情が口出しできる問題じゃねえか。にしてもロリだぜ?労基はどう判断してんだ?
……ああいかんいかん。読心術でもあるのか知らないが、いつからかスティルの前で他の誰かのことを考えようとすると彼女の表情に影が差すようになったんだった。本人は無意識でやっているのだろうが罪悪感に襲われる。
「どうした?なんで急にそんなことを聞く?」
「日頃お世話になっていますから、少しでもお返ししたく」
「……俺は、キミが身心共に健康でいてくれればそれに勝るものは無いよ。スティルこそ、何かしてほしいことはないか?」
「私は……貴方が傍にいてくれれば、他に何も望みません」
あー、ヤバい。キモいのは分かってるがニヤける。こんな美少女にそう言ってもらえるなんて、俺はなんて幸せ者だろう。
「……フッ」
「ふふ……」
門限は近い。だが、もう少しだけこの時間を味わっていたい。そんなことを考えたひとときだった。
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「じゃ、行ってこい。無事に帰ってきてくれよ」
「はい」
……貴方の思いが温かい。その言葉に込められた想念が、私を強く掴んで離さない。
レースには本気で挑む。競い合う方々に失礼のないように走りたい。
そう考えながらも、どこか脚に力が入らない。コンディションは最高潮に整えられているのに。
……私は──いや、それは
光の中へ歩いていく。上がる歓声に目を細めながら、最後に一度だけ彼の言葉を反芻した。
『だからまず、信じるところから始めろ。俺だけは何があっても味方だ。世界がキミに怯えようと俺はキミを肯定する』
「ふふ……」
たとえ私が、弱くても。
▫▫▫▫▫
「ハァ……ハァ……けほっ、けほっ……」
薄氷の勝利だった。
──嘘だった。あの子がいなくても走れるだなんて、甘い幻想だった。
「いつもの覇気が無いけど、貴方、衰えた?」
私に語りかけるのはアルヴさん。否定はできない。
「……そうかも、しれません」
「もう一つ言いたいことがあるのだけど……今までごめんなさい。それと、ありがとう」
「え……?」
「私はきっとどこかで、貴方たちに憧れていた。でも認めたくなかった。……今なら分かるの。貴方たちは──愛し合って、強さに変えていたのね」
「……………………はい」
「……ふ、貴方、そんな笑い方もできるのね」
私は──弱くなった。それは環境の所為でも、トレーナーさんの所為でもない。
でも、いい。いつかのように、トレーナーさんはどんな私も肯定してくれる。それだけは確か。
▫▫▫▫▫
「ここだな。レース中盤のこの部分、キミはどう判断した?」
「ここはバ群が散り始めたので──」
ソファに並んで座りながらレース分析と反省。今日のトレーニングは座学だった。
エリザベス女王杯の振り返りをするのは少し歯がゆかったけれど、通らなければいけない道。それに隣には、貴方がいる。
「……よし、休憩にするか。ふぁあ……マジねみぃ……」
「遠慮なくお眠りください。私がいますから」
「おー……らいきゃくたいおう、たの、む、わ……」
電池切れを起こしたかのように即座に眠り始めたトレーナーさん。……今なら、よほどのことがないかぎり起きない。
「……」
意識を失った彼の頭を、私の膝に乗せる。
「ふふ……」
直に伝わる、彼の体温。
「愛してる」
小さく呟いた。
届いてほしい。でも、届かないでほしい。″今″を壊したくないから。
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ぶっちゃけると、俺のモチベーションはスティルの存在だけだった。彼女がいたからトレーナーを続けていただけだし、レースはそこまで好きじゃないからだ。
その筈だったんだが……最近はある衝動が俺の中で芽吹いているのを感じる。いや、きっとそれよりもっと前から、俺はこの世界の住民らしく──レースに惹かれていた。
メイクデビューでも感得した感情だけど、レースっていいものだな。
ターフでもダートでも、それぞれが努力の結晶をぶつけ合う。その輝きに魅せられていた。
前世の俺はウマ娘をプレイしておきながら競馬を全く知らず、ギャンブルということでなんとなく距離を置いていたのだが……これが中々奥深い。
とまあここまでつらつらと語ってきたが、それはそれとして仕事は嫌だった。できることなら明日にでも辞めたい。でも俺はスティルの脚を預かっている。責任を放棄できる身分じゃない。
──息抜きが必要だ。俺のやる気をぶち上げてくれる、とびっきり強烈な刺激が。
そんなわけで俺はとあるウマ娘のトレーナーと取引をしていた。対価はカフェテリアのラーメン三杯。
「これが約束のブツだ」
「助かります」
手渡されたのは、俺の前世の推しその二のレース映像。こんなことしなくても普通に入手できるが、こういうのは雰囲気が重要なのだ。
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「あけましておめでとうございます、トレーナーさん」
「んー、おめでとー」
俺に正月休みなんてものは無い。周囲と差をつけるためには不断の努力が必要だ。
スティルは地元に帰らなかった。電話はしたらしい。……ちょっとぐらい羽伸ばしてもいいのにな。
くぁー、肩が凝る。デスクワークが多いと体にガタがくるんだよなぁ……。
「トレーナーさんは休まれないのですか?」
「俺ってこの学園全体から見たらまだまだ新人だしな。人並みの努力じゃ置いてかれるばかりだし……胸張ってキミのトレーナー名乗れない」
「……いつもありがとうございます。ですが、今日は一緒に休みませんか?」
「いやー、もうちょっとだけ──分かった、分かったからそんな迷子の子犬みたいな目しないでくれ」
そんなこんなで俺たちは神社に向かった。初詣なんて何年ぶりだろう。
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「……」
「……」
神様にお願いはしない。対価という借金を作りたくなかった。それに、未踏の道を切り開いていくのはいつだって生きている人間だからだ。
スティルは強く祈りこんでいる様子だった。そんなに集中するぐらい大事な願い事はなんなのだろう。
「……お待たせしました。行きましょうか」
「ん」
季節は冬真っ只中。凍えるような冷気が充満しつつも、太陽は全てを等しく抱いていた。
「トレーナーさん、少し、お願いしたいことがあるのですが……」
「なんだ?なんでもいいぞ。どんとこい」
珍しいな彼女から頼まれるなんて。この子はいつも控えめだからな。俺にできることならなんでも──
「手を……お繋ぎしてもよろしいでしょうか」
「ンッグフ」
「?」
「わ、分かった。手だな」
彼女の細い指を絡め取る。外気に当てられた手の冷たさに一瞬ビビったが、それでも大切な手だ。
「うおおぉぉ……」
「?」
落ち着け、相手は学生だ。俺が口寂しくなるように、彼女は手持ち無沙汰になっただけだ。
異性との経験は前世で少しだけ獲得したがここまで完成された美少女と関わるなんて初めてだ。緊張がヤバい。ていうか二年も一緒にいてまだ慣れないのか俺は。どんだけガキなんだ。
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「金鯱賞を最後に、引退しようと思います」
「そ……うか、そうか。……そうか、分かった。それがキミの決断なら、俺は何も言わない」
前のエリザベス女王杯からどこか精彩に欠けた走りになっていることは分かっていた。スティルの言う『あの子』が表面化しなくなった──つまり、消え去ったことも分かっていた。
分かっていた、が……いざ引退となると何か感じるものがあるのか、俺は狼狽していた。
……いいんだよな?俺たちは勝ち進んできたし、このまま行けばハッピーエンド達成になるんだよな?
達成したら、俺は前世に帰れる。それはきっと良いことだ。なのに……なんでこんなに胸が締め付けられる?
「……よし!じゃ、良い引退レースにできるように頑張るか!」
「……はい」
空元気を出してみても、霧は晴れない。
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「う゛ぁぁ~……スティルの肩揉みめっちゃいいな~……」
「お気に召したのであれば幸いです」
幸せだった。彼と語らい、彼と走り、彼と悩み、彼と笑う日々が。
もうあの子が出てくることはない。きっと次の金鯱賞も、穏やかな気持ちで終えられる。
……ふふ。引退したら何をしよう。トレーナーさんはついてきてくれるかしら。
『振り払うかよ。俺は、キミに会うために産まれてきたんだから』
「ふふ……」
「?ご機嫌だなスティル」
「貴方と契約した時のことを思い出して、つい」
「……俺からすれば黒歴史なんだけどなぁ」
▫▫▫▫▫
「ハァッ、ハァッ……」
『一着はスティルインラブ、二着は──』
……勝った。これで、私の蹄跡は終わりを告げる。
「良かったぞ、スティル」
「はい、ありがとうございます」
頬が緩む。それは勝利の愉悦から来るものではなく、安堵と期待の微笑みだった。
これから何をしよう。きっとこの人はついてきてくれる。私が何をねだっても、受け入れてくれる。
「……今日までありがとな。俺、キミのトレーナーになれて幸せだった」
「ふふふ……お揃いですね、私たち」
私の方こそ、貴方がトレーナーでいてくれたから、私と歩いてくれたから、返しきれない程の大きな幸せをいただいていた。
きっとこれから何だってできる。未来への期待を感じながら、私は笑った。
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足音が静かな廊下に響く。それは私のものだった。
手元にあるのは引退届。後はトレーナーさんからのサインをいただけば私は晴れて自由になる。
──いいの?
いいの。私はこれで、終わりでいい。
──後悔は無いのね?
そんなの、あるわけがない。欲しかった心が貰えて、燦然と輝くティアラまで貰えて。未練が残ることなど──
──貴方は、本当に愛されてる?
「ッ?」
トレーナーさんのいる部屋の前に立つと、強烈な不安に駆られた。入ってはいけない。見てはならない。そんな危険信号が脳内を染める。
「……あ、ノック、しないと」
返事は返ってこない。
──開けろ。
開けたら、どうなる?いつもみたいに彼は微笑んでくれる?
──開けろ。
「……ぁ」
喉がカラカラに渇いている。決断もままならない状態で、ドアノブに手をかけた。
「失礼しま──」
「──凄えな、ここの状況判断」
「────」
そこに彼はいた。いつものようにソファに腰掛け、ある映像を見ている。それは、そのウマ娘は──
「脚の運び方も素晴らしい……末脚も言うこと無しだ……これが……メジロの至宝……」
画面に映るは、ラモーヌさんのレース。私の存在にも気づかず、彼は釘付けになっていた。
それは独り言、彼の本心だった。
はしたなくてもいい。穢れててもいい。だって貴方は私を愛している。私は貴方の全てが欲しい。そのためなら、闘争に身をやつすことになっても構わない。
奪われるくらいなら、化け物の私で愛されたい。
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「それでは、今日もよろしくお願いします」
「……ああ」
どういう心境の変化があったのか知らないが、スティルは引退を撤回した。
彼女の走りをまた見られるのはトレーナーとして大きな誉れだ。それなのに、どこかボタンを掛け違えたような──形容しようのない不安が首をもたげていた。