どうにも俺は、異世界で英雄だったらしい。 作:京王
違和感は特になかったように思う。
それは間違いなく、連続した日常の延長線上にあったはずだった。
どこからズレたのかと考えれば、それはきっとあの時だろう。
「あっ!」
ちょっとした要り物があったが自宅近くでは手に入らず、電車で二駅ほど離れた都市部に訪れたときのことだった。
目的の施設へ移動している時、不意にそんな声が聞こえて来たのだ。
声に釣られてそちらの方を見てみると、そこに居たのは何とも不思議な少女だった。
明るい空色の髪に、大きい赤の瞳。日本人離れした、西洋人形めいた可愛らしい美貌。
身に纏う装いは制服のようだが、短く折られたスカートと、鞄で豊かな膨らみを強調したYシャツが、何ともまぁ『
(……すげーのがいる)
それだけ思って、視線を外す。
他人をジロジロ見て良い事などない。
それも見るからに『強い』女子高生なのだから尚更だ。
圧倒的な『陽』はどちらかと言えば『陰』に属する俺にとって、毒以外の何にもならない。
その目線はバチリと俺を刺しているようであったが、しかし俺に彼女のような知り合いは居ないし、制服だって俺の学校のそれではない。
つまり彼女と俺との間には、全く接点が無いのだから、彼女の視線の先にあるのが俺であるはずがない。
どうせ俺の後ろにいる誰かの事を見ているのだろう。
だから俺は彼女を無視して、先へ進んでしまえば良い。
「ねぇっ!」
「……え?」
だが、それは許されなかった。
ガシリと、強い力で腕を掴まれる。
半ば反射的に横を向けば、彼女の整った顔面がすぐそこに迫っていた。
当然、腕を掴んでいるのも彼女本人だ。
思考がほんの一瞬だけ停止し、その後すぐに超高速で回される。
(俺……? 俺が何かをしたのか……?)
記憶の中に埋もれているであろう原因を必死になって発掘しようとするが、しかしどうしても俺は彼女の事を知らないし、彼女に何かをした記憶なんてない。
こんなにキャラの強い人物など、一度でも会えば忘れられるわけがない。
であるのなら、俺は彼女と一度も会ったことが無いはずなのだ。
となれば、彼女の正体は
何にせよ、真っ当ではない人間に捕まったのか─────?
と、心の中で結論付け、如何にして彼女を振り払い、この場から逃げおおせるかという方向に思考が向き始めたが、しかしその仮説は次の瞬間、彼女自身によって真っ向から否定される。
「君っ、カイ君だよね!? アズマ・カイ!」
「……!?」
驚愕し、目を見開く。
合っていた。
確かに俺の名前が
であるのなら、彼女が通り魔的に金を毟り取ろうとする悪徳な人間であるという説は、完全な間違いという事になり、明確に俺を探していた、という事になる。
「……えーっと」
そこまで理解した上で、俺は返答に困窮した。
ここで正直に是と答えると、何か取り返しのつかない事になってしまうのではないか、という予感がしたからだ。
だって、そうだろう。
明らかに俺との接点の無いはずの人間が、俺の名を知っていて、俺の事を探していたのだ。
それも、少なくともこの辺りの学校の人間ではなく、俺の友人関係を辿っても絶対に辿り着けないであろう、圧倒的な『陽』の女性が。
どう考えても、俺には想像だにできない事態が、彼女の裏で起こっている。
ここで是と答えたならば、俺は確実にそれに巻き込まれるだろう。
彼女の表情も、俺の予感の信憑性をより高めた。
必死、というか。期待と不安、そこに焦燥が入り混じった、余裕というものが欠片も感じられない強張った顔と揺れる瞳。
怖い。
人はわけがわからない事態に遭遇すると強い恐怖と不安を感じるというが、今の俺の状態がまさにそれだった。
意味がわからないから、怖い。
怖いから、逃げ出したい。
彼女に対して否を突きつけて、腕を振り払い、全力で走れば、振り切れるだろうか。
(…………いや)
そこまで考えて、俺は思考を打ち切る。
報いというものは、巡り巡って帰ってくるものだ。
ここで嘘をついたとして、それはその場を凌ぐだけで、何も解決などしない。
巡ってくるかもしれない『報い』の事を考えるなら、俺は正直に答えるべきなのだろう。
こくり、と。
纏わりついてくる恐怖を振り切り、俺は首を縦に振る。
「はい、確かに俺が東ですが─────」
「ッ……!」
「うわっ、ちょっ!?」
言い終えるより前に、強い力で腕を引かれた。
あまりにもいきなりの事に俺はたたらを踏みつつも、何とか転ぶ事なく追従する。
周囲の視線が、俺にも集まっていることが肌で感じ取れた。
そうして、彼女が俺を連れ込んだのは、本通りに比べて往来の少ない横道だった。
ある程度奥まで進んで、街の賑やかさがほんの少し遠ざかったように感じられる辺りになって、ようやく彼女は俺の腕から手を離す。
「……あの、これは────」
何事ですか?
と、そう聞こうとして、止まる。
「え?」
なんで? とか。どうして? とか。
疑問符が脳内を埋め尽くす。
本当に意味がわからなかった。
振り払ったはずの恐怖が、再び俺の喉元に手をかけている。
「会いたかった!」
声が、聞こえた。
誰に、なんて。分かりきっているはずの疑問が頭の中に一つ生まれ、理性が無慈悲に答えを突き付ける。
すると導き出されるのは、たった一つの真実だ。
どうやら、俺は以前に彼女と会ったことがあるらしい。
「会いたかった、会いたかった会いたかった会いたかった! カイ! カイ! もう会えないと思ってた! 永遠のお別れだと思ってた! でも会えた!」
知らない。
そんな別れ、俺は知らない。
出会いすら知らないのに、別れなんてあるはずもない。
パッと、彼女が俺から離れる。
俺の視界に、彼女の顔が映る。
泣いていた。
溢れんばかりの笑みを浮かべ、全身で喜びを表す彼女の目には、涙が浮かんでいた。
それが嬉し涙である事は、火を見るよりも明らかだ。
本当に、本当に嬉しそうに。彼女は喜んでいる。
その表情に嘘があるとは思えない。
だからこそ、余計に怖い。
「お話ししたい事がいっぱいあるの! カイが帰っちゃった後、本当に色々あって。今もすごく大変で……あ、そうだ! みんなにこの事を伝えないと!」
ぴょこぴょこと、幸福感が溢れて止まらないと言わんばかりに落ち着きなく動き回るその様も、やはり嘘とは思えない。
彼女が俺を求めてこの場に来て、そして俺を見つけて喜んでいる。
俺の目には、そうにしか見えない。
だからこそ、俺はこう聞かずにはいられなかった。
「……すみません、どちら様ですか?」
「─────────ぇ?」
ピタリ、と。
彼女の動きが、凍りついたように止まる。
「……あ、あぁ! そうだよね! あれから結構時間も経ってるし、格好とかも随分変えたから! ほら、私だよ! カイ君の仲間の、アリアだよ!」
何やら納得した様子の彼女が、髪を手で後ろに纏めて、自分の名前を言う。
だが、
そんな名前の人物は、俺の記憶の中にはいない。
仲間なんて言われても、何の仲間なのかすらわからない。
格好が変わったとか言われても、元の格好を俺は見た事がない。
「……覚えてる、よね?」
ピンと来ていない様子の俺を見て、彼女の表情に再び不安と焦燥が現れる。
震える瞳で、彼女は俺の目を覗き込み、問う。
頼むから、肯定して欲しい。
そんな思いがひしひしと伝わってくるようだが、しかし俺が返せるのは否定のみ。
「……ぅ、あ。……そ、そうなんだ。そっか、そう言うことも、あるよね。で、でもさ、少しくらいは覚えてるでしょ? ほら、ゼクラムを倒すために旅をした事とか、凱旋した時のパレードの事とか……」
「……知らない」
「う、嘘! 全部、全部覚えてないの!? あの……あの約束も!?」
「…………その、すみません」
俺がそう言えば、目の前の彼女────アリアと言うらしい────は、その顔色をサッと青白く変えて、頭を抱えたかと思うと、ブツブツと何かを呟き始める。
「──嘘、嘘嘘嘘嘘嘘。覚えてないの? 全部? 何もかも? あの約束も? どうして? 私、私今までずっと信じてたのに? それを信じてここまでやって来たのに? 転移の影響? ううん、そんなはずない。現に私たちは皆、記憶に欠如はない……」
じり、と。後ずさる。
彼女の様子は、明らかに只事ではない。
俺の本能とも言える部分が、警鐘を鳴らしている。
これ以上、彼女のそばに居ることは危険である、と。
「そんなわけない。絶対にそんなわけない。記憶は間違いなく保持される。何が原因? 元々カイ君がこっちの出身だから? だったら……」
彼女の真紅の瞳が、再び俺に向く。
もう一歩、後ろへ下がる。
「……うん! いきなり抱きついちゃったりしてごめんね! どうやらカイ君は記憶喪失みたいだね! でも大丈夫! みんなと話をしたり、あっちの世界に来たらきっと記憶が────」
と、彼女が俺に向けて一歩を踏み出した瞬間。
俺は体を翻し、全力で逃走した。
「えぇっ!? ちょっ、ちょっとぉ!?」
俺は最初、彼女の事を
彼女は、あまりにも
絶対に関わってはいけないタイプの、そういう人種だ。
絶対に振り切らなければマズい。
その思いで、俺は全力で足を動かす。
駆け込むべきは警察だ。
彼女は俺の名前を知っていた。
となれば、俺の家のことも知っている可能性がある。
であるのなら、現状家に帰るのは危険だろう。
「……クソっ、厄日だ……!」
己の不幸を呪いつつ、俺は必死に足を動かす。
俺の日常を、犯させなどはするものか。
──その後、俺は警察に事情を話し、警備の強化の約束と共に保護を受け、後に家に帰された。
近隣に俺を狙う不審者が出て、俺がそれに遭遇したという情報は親と学校に届き、周囲にある程度の心配はしてもらったが、しかしそれだけだった。
思いの外あっさりと、俺の日常は戻って来たのだ。
しかしやはり、一週間が経過しても、俺の頭から彼女のあの姿が消えることは無かった。
絶対に、絶対に俺を狙って行動して来る。
俺のその予感は、ほんの数時間後には現実のものとなり────
その日から、非日常こそが俺の日常になった。なってしまった。