どうにも俺は、異世界で英雄だったらしい。 作:京王
連中は絶対に行動してくる。
そんな予感に基づいて、俺は自分にできる限りの対策をしていたつもりだった。
とは言っても、それはただマスク一枚を着けただけではあるが。
それでも、それは十分に顔を隠すという役割を果たしてくれていたはずだった。
だから、これはきっと誤算というものなのだろう。
「おい」
がしり、と。
学校を終え、部活も終え。
夕暮れの中で行き慣れた通学路を歩いていると、唐突に横から伸びて来た手に腕を掴まれた。
ぞわり。全身に怖気が走り、反射的に腕を振り払いつつ後ろへ下がって、その手の主の全身を視界に収める。
男性だ。それも俺と同年代か、それに近しい歳の。
着ている服は学生服、なのだろう。
しかし彼の右の頬に入った刺青と、耳に下がった派手なピアス、そして彼の凶悪な顔つきを見れば、少なくとも彼がもとい真面目な学生ではないことが理解できる。
見た目から人を判断するのはよくない事ではあるが、それでも人格は見た目に出るものだ。
相手が暴力に訴えてくる可能性が低いとは、とてもでないが思えない。
それに十中八九、先週に出会った彼女と同類だ。
それだけで、最大限の警戒を向けるに値する相手だろう。
「…………誰ですか?」
いざという時には背負ったリュックを投げつけつつ、全力で逃げるために。
重心を軽く落とし、リュックの肩紐の片方を外して。
戦闘の覚悟を決め、問いかける。
すると彼はほんの一瞬大きく目を見開いたかと思うと、ブンブンと首を振り、大きな音を立てて舌打ちをした。
「本当に忘れてやがるのか。テメェ」
視線だけで人を殺せそうな、というのはこういう事を言うのだろう。
顔を顰め、ギリと音が聞こえてきそうな程に歯を噛み締めて、彼は俺を睨め付ける。
「……何のことだか、さっぱりわからないんですが」
「ッ……っ! アンタが忘れるのか!? よりにもよって、よりにもよってアンタが、この俺の事を忘れるのかよ!?」
少年が声を荒げて喚く。
しかし、俺は不思議とそんな彼を見て、怖いとは思わなかった。
だからリュックは投げなかったし、逃げ出す事もしなかった。
確かに彼が叫ぶ様子は凶暴な犬が吠えるようだったが、同時に駄々をこねる子供のようにも見えた。そんなちぐはぐな印象が、彼にあったのだ。
ほんの少しだけであるが、俺の中の警戒心が緩んだのを感じる。
「分かりません」
「〜〜ッ!!」
しかし、俺の答えは変わらない。
仕方がないだろう。知らないものは知らないのだ。
というか、忘れている、忘れていないという次元ですらない。
彼女の時もそうだったが、そもそもとして俺は彼との出会いすら経験してすらいないのだ。
忘れるという事象に対して、そこに前提としてあるべき『記憶』が俺には無いのだから、忘れようがない。
だからこそ彼女は俺に、記憶喪失であると言ったのだろうが。
しかし少なくとも俺は小学校から現在に至るまで皆勤を貫いているし、部活だってほとんど休んでいない。
彼ら彼女らと知り合って、旅だの何だのを出来るような期間は無かったはずなのだ。
となれば、そもそもそのような事実は存在しなかった、と考えるのが自然だろう。
「何でだよぉっ……! アンタが……っ、アンタが俺を認めたんだろうがよぉ……っ! じゃあ、俺は、俺は一体、どうすれば……っ!」
「…………」
頭を抱えて地面に蹲る彼を見て、俺はこの場から逃げ出す好機を得たが、しかし俺はその場から動くことが出来なかった。
勿論彼のことなど全く覚えていないし、体が彼のことを覚えていたなんていう都合のいい話でも無いが、しかし流石にこのように追い詰められている人間を無視して去るというのは、俺のポリシーとでも言うべきものに反する気がしたからだった。
「……何でだよぉ……何なんだよぉ……どうしてアンタは……どうして……」
どう声をかけてやればいいか、わからない。
当然だが、俺は彼の知る俺……カイとでも呼称すべき俺では無い。
親しく声をかけてやることなどできないし、かと言って他人行儀に声をかけるのも違う。
今の俺に出来ることと言えば、ただ彼の近くに立って、静かに佇むことだけだった。
「……どうなってんだよ……何なんだよお前……
そうして、5分も経っただろうかという頃。
嗚咽混じりに、彼は俺へと問いかけた。
どっち、というのは。状況から察するに、俺が覚えている上で敢えて知らないフリをしているのか、それとも本当に覚えていないのか、の二択だろう。
であるのなら、当然選ぶのは後者だ。
「知りません。あなた達が誰で、俺に何を望んでるのか、どこからやって来たのかも」
「……じゃあ何で、逃げなかったんだよ」
「……俺のポリシー的なものに、反するから、としか」
「……………ぐっ、う」
俺がそう言えば、少年は堪えられずに声を漏らした。
大粒の涙が、アスファルトの地面に零れ落ちる音が聞こえる。
(……どうしたものだろう)
正直なところ、俺は困っていた。
俺はついさっきまで、彼らがとんでもなく
まさか、本当に俺と彼女や彼は、親しい間柄だったのだろうか?
(…………いや)
そんなわけがない。
もし仮に、本当にそうであったとして、それは最早俺では無い。
今の俺の記憶に、彼女や彼との出会いと別れが全く無い以上、その記憶のある
人間とは、人格とは、記憶なのだ。
俺と、彼女らの言うアズマ・カイは、決定的に異なっている。
だからこそ、気になってしまう。
「……あなたにとって、アズマ・カイって何なんですか?」
気が付けば、口が動いていた。
気になったのだ。
彼らがここまで執着し、追い求める、俺に似た別の誰か。
その実態が。
「……………………………………英雄」
長い沈黙の後、彼はそれだけ言って、押し黙った。
英雄、そうか、英雄。
数度にかけて、その言葉を反芻する。
英雄とは一口に言っても、その在り方には当然差異はあるものだが。
しかし彼らに共通するのは当然、偉大であるという事であり。
となるのならば、俺はやはりアズマ・カイとは違うのだろう。
「……俺は、アンタに認めてもらった」
不意に、少年が語り始めた。
「落ちこぼれで、でも力だけはあって、そのせいで忌み疎まれて。
俺がそれに耳を傾ければ、少年は滔々と言葉を続ける。
「でも、アンタが助けてくれた。アンタが一番最初に俺を認めて、俺を立ち上がらせて。俺を英雄の一員にしてくれた。アンタがいたから、俺はようやくゴミから人間に戻れた」
今の俺の気持ちを、一体どう言い表せばいいのだろう。
他人事のようにしか聞こえないが、しかしそれは間違いなく俺の事を指していて。
身に覚えのない俺の活躍が、誰か一人の道を正していて。
しかしそれは俺であって俺ではない誰かで。
彼はそんな俺でない誰かを感謝し、尊敬していて、しかしそれは俺で。
「……何なんだよ。本当に。アンタ何なんだよ。アズマ・カイなのにアズマ・カイじゃないし、かと思ったらアズマ・カイだし。……何なんだよ…………どっちなんだよ。どっちがアンタなんだよ…………もう、何がどうなってんだよ」
彼が頭を抱える横で、俺も頭を悩ませる。
何が分からないかって、彼の語ったことが嘘だとは全く思えないことだ。
俺には彼を救った記憶も、貧民街に出向いた記憶もない。
アズマ・カイと東嘉易は別人なのだから、当然と言えば当然の話ではあるのだが。
しかしやはり不思議なのは、俺にそんな事をするだけの時間がないという事だ。
小、中、高と今の所出席日には必ず出席し、当然の如く無遅刻無欠席。
部活も活動日には必ず練習に参加しているし、当然夏季休暇も冬季休暇も活動日ならば絶対に参加している。
となれば、俺に与えられる纏まった時間と言えばお盆や正月であるが。
しかしそのどちらにも、俺は親戚の集まりに参加している。
仮に俺が本当に記憶喪失で。
俺の中にアズマ・カイが本当に眠っていたとして。
じゃあ俺は、アズマ・カイは、何時それを行ったのか?
そこが決定的に、疑問が残る。
「…………もう行く」
粗方語り終えた少年が、顔を俯かせたまま立ち上がる。
「……アンタは覚えてないかも知れないけど。アンタが助けたのは俺だけなんかじゃない。これからもっといっぱいの連中が、アンタに会いに来る」
「…………出来れば、俺の事は放っておいて欲しいんだが」
「無理。アリアがアンタの事をこの辺で見つけた以上、他の連中も一気にこっちに来る。俺にそれは止められない。中にはアンタを無理矢理にでも連れて行こうとするヤツも、多分いる」
だから、気をつけろ、と。
それだけ言って、彼は去っていった。
取り残された俺は一人、面倒だと息を吐く。
さて、どうすべきだろうか。
両親にはなんて説明しよう。
引っ越すべきなのだろうが、しかしウチにそんな余裕は無いだろう。
仕事のことも、学校のことだってあるのだし。
「……本当に、どうしよう」
警察……は、役に立たなそうだし。
学校になんて頼れるわけがないし。
「………………俺、これからどうなるんだ?」
俺の口から紡ぎ出された不安は、風に乗って遠くへ消えた。
答え合わせは、解答の方からじきにやって来る。