雷神は最強を指名する   作:あいあい

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雷は二度、同じ場所に落ちない

 まず、音が消えた。

 

 あれほど鼓膜を激しく震わせていた雷鳴も、大気を焦がしていた肉の焼ける芳香も、宿儺という絶対者の放つ呪圧も──すべてが、一本の線を引いたように途絶える。

 

 最後に見えたのは、世界そのものを分断する刃の軌跡だった。

 

 速いとか、重いとか、そういう次元の話ではない。俺がその生涯を賭けて磨き上げた技、宿儺という最強へぶつけた幻獣琥珀ですら、その一閃の前では意味をなさなかった。俺の理解が追いつくよりも先に、死という確定した結果だけがそこに置かれたのだ。

 

(──ああ、これが最強か)

 

 薄れゆく意識の淵で、悔しさは不思議となかった。むしろ、胸の奥を満たしたのは深い納得だ。勝てないなら終わる、それだけのことだ。俺はこの一点のために、四百年の時を超え、契約という名の鎖に縛られてここまで走ってきたのだから。

 

 幻獣琥珀の熱が、内側からほどけていく。

 

 神経を灼き、血を電気に置き換えてきた異能の奔流が、俺という器を維持するための境界を失い、霧散し始める。骨が導体のように軽くなり、視界が白から無色へと沈んでいく。俺という形が、概念そのものが、世界の隙間に溶けて消えるはずだった。

 

 だが、終わり方はひどく中途半端だった。

 

 死という名の完全な遮断が来る前に、俺の魂の残滓は、行き場を失った電流のように抵抗の少ない方へと流れ出した。

 

 暗闇の向こう側に、情報の海が見えた。

 

 それは帳のような呪術的な闇でも、死後の安らぎでもない。もっと乾いていて、規則的で、それでいて冷徹な秩序の網だ。

 

 都市の地下を走る光ファイバー、人々の血管にまで浸透した微弱なパルス、あるいは空気を震わす電波の中にまで、その網は張り巡らされている。

 

 個々の力を「個性」という名のラベルで定義し、社会という名の巨大な回路に組み込んで管理する、異質な世界の理。

 

 俺という異物は、死の瀬戸際でその奔流に触れた。

 

 電気がコンセントに吸い込まれるように、俺の輪郭がその網の目に沿って再構成されていく感覚。抗う間もない。最強へ至り、最強をぶつける──その一点に向けて走り続けてきた俺の性質が、別の世界の空白を見つけ出し、そこへ滑り込んだ。

 

 意志が道を選ぶのではない。目的に合わせて、道の方が選ばれていくのだ。

 

 ⸻

 

 次に鼻を突いたのは、安っぽい消毒液と、使い古された湿った布の匂いだった。

 

 肺が勝手に空気を吸い込み、冷え切った酸素が喉を刺す。身体が重さという名の枷を取り戻していく。

 

 目を開けると、天井が低かった。

 

 剥げた壁紙、天井の隅に広がる黒いシミ。どこかの集合住宅の一室。畳と、薄い布団と、埃を被った古いカーテン。

 

「……っ」

 

 身体を起こそうとして、激しい倦怠感に襲われる。

 

 俺は、自分の手を見つめた。指が動く。関節が鳴る。爪があり、皮膚には細い傷が残っている。切られたはずの身体は繋がっているが、かつての俺の肉体よりも、どこか華奢で軽い感覚があった。

 

「生きてる、のか。俺は」

 

 声を出してみる。少し掠れた音が、空っぽの部屋に落ちた。

 

 内側を探れば、呪力の感触は確かにあった。だが、かつてのような淀んだ重みはない。周囲の空気もそうだ。じっとりとした呪いの圧力が、驚くほどに皆無だった。呪霊の気配も、怨嗟の声も聞こえない。代わりに聞こえてくるのは、外を走る車の走行音や、遠くのサイレン、名前も知らない鳥の鳴き声。

 

 かつての戦場にはなかった、あまりにも静かな現実。

 

 起き上がった俺の目に、布団の脇に置かれた一通の封筒が止まった。

 

 事務的なフォント、役所の公印。その宛名欄だけが、ぽっかりと空白のままだ。

 

 中にあった書面を引っ張り出すと、「身元不明者への一時的保護」という名目と共に、この世界の異質な仕組みが羅列されていた。

 

「個性」

 

 術式でも、呪いでも、呪具でもない言葉。

 

 持って生まれた力を、社会的な役割として固定し、登録し、管理する。生まれつきの差を、社会が丸ごと抱え込むための名札。

 

(こいつらは、俺を拾ったのか)

 

 記憶を辿る。

 

 死滅回游。宿儺。斬撃。そして、情報の海に触れた感触。

 

 どうやら俺は、この世界の管理網に触れながらも、最後の手続き──社会が俺を確定する瞬間に、その外側へこぼれ落ちたらしい。履歴の薄い器、登録欄が空のままの身体。そんな社会の余白に、俺の魂が強引に居座ったのだ。

 

 だからこそ、この場所は薄気味悪い。

 

 これほどまでに人の力を見逃さない仕組みが整っている世界で、俺のような異物が、いつまでも静かに潜っていられるはずがない。

 

 不意に、部屋の隅にある小さなテレビが、勝手に明滅を始めた。

 

 コンセントは入っていない。俺が電源を入れたわけでもない。

 

 ただ、俺の身体から漏れ出した微弱な電気が、機械の回路を無理やり目覚めさせたのだ。

 

 砂嵐が整い、映像が浮かび上がる。

 

 そこに映し出されていたのは、まばゆいフラッシュを浴びて、豪快に白い歯を見せる巨躯の男だった。

 

 ──No.1ヒーロー。

 

 最強というラベルを全身に纏い、その座を隠そうともせず、白日の下に立ち尽くす男。

 

 かつての戦場にはなかった、あまりにも眩しすぎる最強の在り方。

 

「……なるほど。名札を掲げて歩くのが、こっちの流儀か」

 

 俺は笑った。

 

 理屈は穴だらけだ。なぜここにいるのかも、自分が何者として扱われるのかも分からない。

 

 だが、俺が飢えていた答えだけは、画面の中で堂々とこちらを見据えている。

 

 指先で小さな火花が弾けた。

 

 青白い火花は畳を焦がし、刹那の熱を刻んで消える。

 

 この器でも、雷は鳴る。

 

 ならば、選ぶべき道は、あの日の戦場から何ひとつ変わっていない。

 

 俺は部屋を出ることに決めた。

 

 この余白は、長く居る場所ではない。俺の性質は、停滞を許さない。

 

 扉を開ける。

 

 廊下は薄暗く、錆びた鉄の匂いがした。

 

 隣の部屋からは、テレビの音漏れが聞こえてくる。

 

「次はあのヒーローの番だ」「またヴィランが暴れてるらしいぞ」

 

 ヴィラン。ヒーロー。

 

 この世界の住人は、力を善悪という薄っぺらな天秤にかけているらしい。

 

 だが、そんなものは俺には関係ない。

 

 俺が知りたいのは、この世界で「最強」と呼ばれる男が、どれほどの熱を持っているかだ。

 

 階段を降り、アパートの外に出る。

 

 そこには、俺の知らない未来のような光景が広がっていた。

 

 高層ビルが立ち並び、空を飛ぶ影があり、人々は平然と、異形の姿を晒して歩いている。

 

 呪術師も、非術師もない。

 

 ただ、個々の力が当然のようにそこにある世界。

 

 道ゆく人々が、俺を怪訝そうな目で見つめていく。

 

 古びた格好。どこか浮世離れした気配。

 

 だが、俺の胸の中にある火花は、周囲の視線よりもずっと熱く、激しく爆ぜている。

 

「……さあ、見せてくれ。お前たちの世界の『最強』を」

 

 俺は一歩を踏み出した。

 

 アスファルトを蹴る感覚。重力。風。

 

 すべてが新鮮で、すべてがもどかしい。

 

 俺の名は、鹿紫雲一。

 

 二度目の転生、二度目の敗北の果てに辿り着いた、新しい戦場。

 

 雷は一度きり。だが、その一度をどこに落とすべきか。

 

 俺は空を見上げた。

 

 そこには、テレビで見た男が守っているという、青々とした平和が広がっていた。

 

 俺が落とす雷は、その平和すらも焼き切るだろう。

 

 指先で、再び小さな、けれど確かな火花が散った。

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