雷神は最強を指名する 作:あいあい
目を開けた瞬間、身体が小さいと分かった。
天井が近い。手が短い。息が浅い。
指先が痺れて、ぱち、と小さな火花が鳴った。
弱い。俺の呪力じゃないみたいに弱い。
それでも、ある。
体の奥を探ると、呪力の感触は確かに残っていて、性質も同じ方向を向いていた。電気じみた流れ。強者との戦闘で感じる愉悦。
扉が開いて看護師が入ってくる。
驚いて、それから慣れた笑顔を作った。
「お名前、言える?」
「……かしも。はじめ」
喉から出た声は子どものものだった。軽くて腹に響かない。
気に食わないが、事実だ。
翌日、役所っぽい匂いの大人が来て、紙を並べて、行き先を決めようとした。
俺は余計な話を切り上げた。
「静かなとこがいい」
それだけ言うと、大人は妙に安心して、里親の話を進めた。
飯と寝床と時間が手に入るなら十分だ。強くなるのに必要なのは、それだけだ。
⸻
里親の家は普通だった。
普通の匂い、普通の食事、普通のテレビ。普通の距離感。
テレビだけが異常に派手で、筋肉の男が笑っていた。
No.1ヒーロー。オールマイト。
最強が、いつでも画面にいる。
この世界は親切だ。探す手間がいらない。
俺はその晩から、鍛え始めた。
六歳の身体は弱い。弱いなら、強くするだけだ。鍛え方はすでに知っている。
まず漏れ出る電気を止める。
出力を強めるんじゃない。制御を先に固める。
庭に出て、深呼吸を繰り返した。吸って、吐いて、吐くほうを長くする。
息が浅いぶん、肩が上がる。上がると余計な力みが出る。力むと身体中から電力が跳ねる。
だから、肩を落として、手首だけ動かす。
箒の柄で素振りをしたら一発で折れた。
木が弱い。俺の力の使い方が雑だったのもある。
次は物干し竿。金属であり電気を通す素材だ。それに重い。いい。
握ると掌がじり、と熱くなる。走りたがる流れが掌に集まってくる。
ピリピリと痺れる感覚を腕に溜める。
俺は竿を振るたびに「止める」練習を挟んだ。振って終わりじゃない。振って、ぴたりと止める。
止める瞬間に力が逃げ場を探して電気の波ができる。そこを、指の腹で潰すみたいに押さえる。
一回でできない。
十回に一回、ぱち、と鳴る。
鳴ったら、その日は終わり。癖を覚えるための区切りだ。
走ることで基礎体力は整える。
六歳の足は短い。短いなら回転を上げる。
家の周りを一周、二周、三周。息が切れても歩かない。
息が乱れると、体の中の流れも乱れて雑な電気が増える。だから息を整えたまま走れる距離を伸ばす。
夜はテレビを見る。
オールマイトの笑顔を、飽きるまで見る。笑顔が好きなわけではない。戦闘の癖を把握するためだ。
里親が声をかけてくる。
「はじめ、外で何してたの?」
「遊び」
嘘じゃない。
俺にとっては遊びだ。強くなる遊び。
六歳の雷は小さい。
でも小さいぶん、誤魔化しが利く。鍛え方も間違えにくい。
俺は指を開いて、閉じた。
ぱち、と鳴りそうになるのを、鳴らさずに収める。
(……いい)
最強がいるなら、行く。
そのための身体を、今ここで作る。
俺は七歳の春、オールマイトに会いに行った。
理由は単純だ。
最強は、近くで見てから殴るほうが早い。
イベント会場はうるさかった。人が多く、甘い匂いが漂い、カメラが光っていた。
裏へ回る。搬入口。フェンスの隙間。警備の視線。
子どもの身体は便利で、隙間に入れる。
「おい、君」
警備の男が気づく。
俺は見上げて言った。
「オールマイトに会いたい」
「今日は無理だ。危ないから戻りな」
「一瞬でいい」
「だめだ」
力づくということも考えたが、これから先のことを考えると自制をしなければならない。
だが、それ以上に嬉しかった。
最強と簡単に会えない。
それは、最強が本物だという証拠だ。
踵を返す直前、隙間の向こうで金色の髪とでかい背中が動いた。
歩くだけで空気が変わる。ほんの一瞬で、俺の中の何かが跳ねた。
(いた)
会えなかった。
でも、今の自分との距離は測れた。
その日から訓練の量と中身を増やした。
走る距離を伸ばす。
息を整えたまま、速度を落とさない。心拍が上がるほど電力を徐々に上げていく。
握力も鍛えた。
物干し竿を片手で持って、止める。止めたまま十秒。手首が震える。震えると流れが暴れて火花になる。
火花が出そうになったら、指先に逃がす前に、肘で落とす。肩で落とす。体のどこへ逃がすかを覚える。
足捌きも詰めた。
狭い場所で半歩ずらす。爪先だけで向きを変える。
六歳のころは転んだが、八歳で転ばなくなる。転ばなくなってからが本番だ。速度を上げても形を崩さない。
雨の日は別メニューにした。
濡れると走りやすい。走りやすいと事故が増える。だから出力を落とし、代わりに「身体の芯を動かす」だけに集中する。
雨の日に無理をすると、強くなる前に壊れる。
十歳で、火花の質が変わった。
小さく鳴るだけじゃなく、空気が焦げる匂いが残るようになる。
人前では、鳴らさない。
鳴らすなら、棒の先だけ。点だけ。
自分の周りの空気を変えるのは最後だ。
⸻
控室は狭く、汗と整髪料の匂いが混ざっていた。
笑顔のまま何時間も立っていると、身体は正直に摩耗する。象徴ではあるがあの日の戦いの傷が身体を蝕んでいる。
スタッフが出入りし、次の段取りが早口で流れていく。
「裏手に子どもが入りかけました。すぐ戻しました」
「子ども?」
呼吸が一拍だけ乱れた。
普段はそんな報告などはない。だが子どもという言葉は、いつも胸の奥を引っかく。
「列にも並ばずに裏へ回ってきました。迷いがなくて……ちょっと変でした」
その言い方が気になった。
迷いがない子どもは、珍しくない。だが、迷いのない方向性が問題だ。
「……見せてくれ」
スタッフの制止を背中で受けながら、控室のカーテン脇へ寄る。
会場の裏手。搬入口の角。警備が一人、しゃがんで何かを諭している。
その先に、子どもがいた。
小さい。細い。年齢のわりに静かだ。
泣かない。怒らない。怯えない。
ただ、立っている。立ち方が妙にまっすぐで、足が地面に刺さっているみたいだった。
次に見えたのは、目だ。
星に憧れる目じゃない。
助けを求める目でもない。
こちらを“測る”目だった。距離と速度と、殴ったらどうなるかを一瞬で計算している。
その視線が、偶然こちらへ滑った。
カーテンの隙間越し。ほんの一瞬。
なのに背筋がひやりとした。
危うい。
悪意が濃いわけじゃない。
むしろ澄んでいる。澄んでいるからこそ、危うい。
目的が一直線で、途中にあるものを壊しても気にしない種類のまっすぐさ。
“ヒーローになりたい”という熱とは、違う匂いがした。
もっと単純で、もっと原始的で、勝敗だけを見ている。
子どもの指先が、わずかに動いた。
空気が、ちり、と乾いて鳴る。雷雨の前の刺激に似た感覚。会場は晴れているのに。
個性。帯電系か。
強いかもしれない。いや、強い。
理屈じゃない。経験がそう言っている。
しかし同時に、こうも思った。
――この子は、手を差し伸べられなければ、簡単に“敵”になる。
誰かを傷つけたい顔ではない。
ただ、世界を“相手にする”顔だ。相手が人でも物でも、障害として同じに扱える顔。
警備が子どもを遠ざける。
子どもは抵抗しなかった。反抗もしない。
従ったのではなく、必要がないから引いただけに見えた。
オールマイトは拳を握り、ほどいた。
出番まで時間がない。
象徴がここで動けば、会場が混乱する。スタッフも警備も、守るべき人の列も乱れる。
だから動けない。
動けないまま、胸の奥に小さな不安が残った。
あの目は、放っておくと危ない。
けれど、放っておくのが一番危ない。
「……名前を、聞いておいてくれ」
スタッフが驚いた顔をする。
「え、今ですか?」
「今だ」
ほんの一瞬の出来事だった。
それでも確信だけは残った。
只者ではない。
そして、道を間違えれば――ヴィランになるだろう。