雷神は最強を指名する 作:あいあい
転生してから四年。十歳になった。
まだ身体は小さく、筋力も十分とは言い難い。だが、戦い方だけは以前同様のままだ。今は弱い肉体の分だけ、技の精度と相手の動きを先読みするように心がけている。
街は明るい。眩しいほどに。
電線、看板、ネオン、信号。あの世界でもそうだが現代に光が溢れている。
その夜は雨だった。小雨。路地のアスファルトが黒く濡れて、靴底が少し滑る。
商店街の端、古いゲームセンターの前で人が固まっていた。声が割れている。泣き声と怒鳴り声が混ざって、金属のシャッターがガタガタ鳴った。
覗くまでもなく分かる。
二人組のヴィランだ。
「動くな! 動いたら、切るぞ!」
1人は粘着系の個性なのだろう。腕に巻いた白い樹脂みたいなものが濡れて光っており、貴金属などが張り付いている。もう1人は陶器の刃を腕から生やしている。
そして床のあちこちには粘着質の樹脂が散りばめられており、踏んだ足がぺたりと吸い付く。これは足を取るための仕込みなのだろう。
この小さい身体では機動力が要であり、厄介だな。
(俺が挑む側になるのはあれ以来だな)
「おい、俺をワクワクさせてくれよ」
俺は落ちていたビニール傘を拾った。骨だけになった金属の軸。握るにはちょうどいい。柄の部分のゴムを剥いて、素手で金属を掴む。
じわ、と呪力が電気の形を取る。熱も音も出さない。皮膚の下だけで唸る。
瓦礫の隙間を縫うように抜ける。
大人の膝の高さ。視界は腰と鞄と雨具ばかりだが、逆に死角だ。
樹脂の縁で止まる。踏めばそれまでだ。
俺は傘の先で床を軽く突いた。膜が伸び、粘性が強い。足を吸って動きを奪うためのものだ。
……それと同時に、床の端が不自然に浮いているのが見えた。タイルが一枚だけズレている。
隙間から黒いチューブが覗いていた。配線を守るための保護管だ。
(店の照明の線だ)
照明は点いている。つまり、この床下には今も電気が流れている金属線が通っている。
俺が欲しいのは、それだ。相手に直接電気を当てる必要はない。
(あの線に一瞬だけ俺の電気を混ぜる。通り道を借りるように)
俺は傘の軸を握り直し、金属の先端をタイルの隙間へ差し込んだ。
ぐっ、と押す。先が硬いものに触れる。
電気をなるべく出さないように、指先の感触だけを研ぎ澄ませる。
金属に当たったときの反響は、骨に返ってくる。
石に当たる反発とは違う。柔らかいが逃げない、細い芯。配線特有のしなる硬さ。
(当たった)
押し込まない。傷を付けたら異常が出る。
ただ触れ続けるだけでいい。接触面を保つ。
ここで大きく流せば、ブレーカーが落ち、騒ぎが増えるのは間違いない。
今回必要なのは筋肉の同期を一瞬だけ狂わせる程度。意識を飛ばすほどはいらない。
男がこちらに気付いた。目が合う。
次の瞬間、表情が変わった。子どもだから、嘲笑だ。
「ガキが……っ!」
粘着の男が走ってきた。速い。大ぶりに樹脂の腕を振る。狙いは捕縛だろう。
陶器刃の男も距離を詰めてくる。刃先が雨を割って光る。こっちは躊躇がない。殺す気で来る。
俺は半歩だけ下がる。
傘の軸を水平に出して、粘着男の手首に当てる。打つのではない。触れる。押し付け、電気をピンポイントで流す。
──通らない。
判断を誤った。想定以上に樹脂の膜が厚い。絶縁が効いている。
電気が相手に抜けないぶん、俺の側で跳ね返る。皮膚の内側が勝手に弾けて、嫌な痺れだけが残った。
「っ、ははっ!」
粘着の男が笑った。勝利を確信した顔だ。
個性の相性も良く、あとは体格で勝てると思っているだろう。
「悪くないなっ!!」
(その思考ごと叩きのめせる)
俺は後退を続けた。わざとだ。
二人を同じ進路に乗せるため。狙いは陶器刃の足元だ。
(陶器野郎は殺傷力は高いが、俺の電気が通る。足が床に付いてる限り、確実に当てられる)
陶器刃が踏み込んだ。
雨で濡れた床に靴底が触れる。水の膜が薄く広がっている。完全な水たまりではない。だが電気流すには丁度良い。
俺は息を吐き切った。
傘の軸を通して、床下の線へ──一瞬だけ電気を噛ませる。短く、浅く。最大出力を一瞬でだす。
パリッ。
紫電と共に音が遅れて来た。
陶器刃の男の足が止まる。止まったまま、膝だけが抜けた。
刃を振る腕が半拍遅れて空を斬り、体が前へ崩れる。
「……っ、な──」
声が続かない。
意識が飛んだわけじゃない。身体の指令だけが一瞬ズレた顔になる。
(足から入って、足で抜けたか。深くは通っていないが倒すには十分だ)
俺は距離を詰めた。
顎の下へ拳を当てる。殴るというより、正確に当てる。
陶器刃の男が音もなく落ち、刃が床に転がった。
残りは1人だ。
粘着の男は一瞬だけ固まった。
相棒が理由も分からず落ちたからだ。理解の遅れが隙になる。
「て、てめえ! 何した!」
樹脂の腕が伸びる。今度は顔を狙ってくる。掴まれたら終わりだ。
だから掴ませない──のではなく、あえて掴ませる。
俺は傘の軸をわざと差し出した。
樹脂が金属に絡む。ぐにゃり、と重くなり、傘が腕に張り付く。
粘着の男が笑う。さっきと同じ顔だ。
「取れねえだろ!」
(取る必要がねえ)
俺は息を吐き切った。
今度は床じゃない。傘の軸に溜めた分へ、身体の中の負を合わせる。
外へ散らさない。点で済ませる。
パリッ。
粘着の男の目が見開く。喉が変な声を出す。筋肉が勝手に収縮して、指が開かない。
掴む力が抜けないまま、体が固まる。自分の樹脂を握ったままの形で止まった。
俺はそのまま体を沈めた。
相手の腕の内側を支点にして、足を払う。小さな体はこういう時に便利だ。重心が低い。
男が倒れる。背中が樹脂の上に叩きつけられ、ぺたりと貼り付く。
行動阻害のつもりで撒いた樹脂が、拘束具に変わる。
息はある。生きてる。
──ここで、終わりにするつもりだった。
だが、空気が変わる。
雨の音が、一瞬だけ薄くなった気がした。
視線。背中が冷える。
振り向くと、路地の入口に男が立っていた。
ぼさぼさの黒髪。目の下の隈。ヒーロースーツというより作業着に近い。首には白い布が巻かれている。いや、布じゃない。武器だ。
(風貌は不気味だが、纏っている温度がこいつらとは違う。こいつは狩る側だ)
彼の目が、俺を捉えた。
瞬間、体内の唸りが止まった。
電気が鈍る。呪力が形を取れない。皮膚の下の回路だけが、急に冷えたみたいに静かになる。
「……子ども?」
声は低い。驚きより先に警戒がある。倒れたヴィランより、俺を見ている。
それが答えだった。
捕縛布が動く。蛇みたいに跳ね、雨粒を弾きながら俺へ伸びる。
俺は半歩下がって避けた。電気が使えないなら、ただの体術だ。十歳の体で正面からは無理だ。
布が地面を叩く。音がない。滑らかで、殺意がある。
追撃。次は足を狙ってきた。逃げ道を潰す動き。慣れている。
俺は店の看板柱を蹴った。
金属が鳴る。ぐらりと傾いた看板が、奴の視線を遮る角度を作る。ほんの一瞬、目が切れる。
その隙に、呪力が戻る。
薄い火花が指先で跳ねた。
俺は路地へ飛び込んだ。濡れた壁を蹴って高さを稼ぐ。排水管を掴んで登る。屋根へ。
背後で捕縛布が壁を叩いた。紙一重。布が足首を掠め、皮膚が裂けた。熱い血が雨に混ざる。
「待て!」
奴の声が追う。
だが俺は止まらない。屋根から屋根へ。距離を取る。視線が届かない位置を選ぶ。照明の死角へ滑り込む。
最後に一度だけ、下を見た。
奴が立っている。雨の中で、こちらを探している。倒れたヴィランへ視線を寄越す暇もない。
……面白い。
あれは、ヒーローの顔をした別種の捕食者だ。
俺は口角を上げるのを、我慢しなかった。
そして、夜の上を走って消えた。